6_金融自由化後の金融システム

講義⑥
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アニメを使用しているためです。講義で確認してください。
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金融自由化後の金融システム
戦後の金融システム
融資先と銀行の区分
大蔵省の銀行保護行政
資金需要者と銀行
信用金庫の業務
企業経営者の望み
金融自由化後の日本の金融
金融自由化後の金融システム
日本人と土地
土地を担保とした貸出
戦後の金融システム
主な資金余剰主
体
家計
金融仲介機関
主な資金不足主
体
都銀・長信銀
大企業
(基軸産業)
インターバンク
地域金融機関
中小企業
相互銀行
地域の個人
中小企業者
信用金庫
地域の個人
中小企業者
その他
資金供給者
その他
協同組織金融
その他
資金需要者
1
融資先と銀行の区分
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

メジャーな大企業←都銀・長信銀
マイナー大企業、中堅企業←地銀
中小零細企業←相互銀行&信用金庫


協同組織内の資金需要者←協同組織金融



但し、信用金庫は「エリア」&「融資先」に規制がかかっていた。相互銀行(後の第二地
銀)は「エリア(「都道府県内」など)」にのみ規制がかかっていた。
都銀・長信銀~信用金庫は大蔵省(現財務省&金融庁)が統括し、「護送船団方式」に
より業界の健全性を担保していた。その他協同組織金融機関は主務官庁が異なり、そ
れぞれの官庁で独自の行政を行っていた。とはいえ、それぞれ中央機関が存在し、事
実上は中央機関に任せている状態といえよう。
各協同組織金融機関は、資金が余れば、中央機関に預けていた。中央機関は集まっ
た資金を、不足している各協同組織金融機関があれば、その期間に貸し出すことに
なっていた。しかし、ほとんどは中央機関でも資金余剰になるため、インターバンクを通
じて、都銀・長信銀に流れていた。
その他資金需要者←貸金業者

ここで「貸金業」とは、銀行や協同組織金融機関でない貸金業者であり、大小様々であ
る。当時は貸金業者は銀行のような厳しい規制はなかった。
大蔵省の銀行保護行政


国は、マル優などにより、国民に貯蓄を推奨し、国民から集めた銀行預金で基軸産
業を育てようとしていた。実際、その目論見は成功するが、そこで問題になるのは
「銀行の健全性」である。
銀行が破たんした場合、「国の貯蓄推奨策」に問題があったことになる。また、銀行
が破たんする可能性がある場合、国民は預金をしなくなる可能性もあった。
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

そこで大蔵省が行ったのが「護送船団方式」である。
護送船団方式とは・・・
最も収益性の低い銀行に合わせて、金利やその他規制を行うことで、落ちこぼれの
銀行を作らないようにする行政手法である(但し、大蔵省は公式には認めていない)。

当時、「預金金利」は自由化されておらず、公定歩合に連動する形で一律に決めら
れていた。この預金金利を低めに抑えれば、銀行の支払い金利の負担が軽くなる。
預金金利を「最も収益性の低い銀行」に合わせることで、収益性が劣る銀行でも生
き延びるようにしたわけである。逆に収益性の高い銀行は、本来、預金金利を高め
ることができるのに、「しない」わけだから、さらに収益性が高くなる。
銀行、特に都銀は、大蔵省の保護行政の下に業績を拡大していくことになる。


2
資金需要者と銀行
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

最大の資金需要者はメジャーな基軸産業であった。基軸産業は国策事業であり、また、敗戦
後の復興事業なので、行うべきことが多く、資金需要は非常に旺盛であった。
しかし、株式発行や社債による資金調達は規制されていたため、資金は銀行からの融資に
頼らざるを得なかった。
そのような旺盛な資金需要を賄えたのは都銀&長信銀だけであった。

地方、大都市圏以外でも、復興事業は多くあり、地域の大企業(マイナーな大企業)や中堅企
業も、旺盛な資金需要があった。しかし、都銀はメジャーな大企業等への貸出で手が一杯で
あった。

そこで、このような企業への貸出は地銀が担当することになる。

とはいえ、復興間もない経済状態においては、「大企業」「中堅企業」といっても、今のベン
チャー企業のようなものであり、情報の非対称性が問題になることから、貸出審査は厳しく行
われた。
たとえ、資金が余ったとしても、「だから貸出に回す」ということはせず、余ればインターバンク
で運用するという姿勢を取っていた。
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
つまり、融資のために「外交する」というのではなく、融資先は相手が銀行の支店に出向いて
くることが一般的であった。したがって、銀行の外交の中心は「預金集め」であった。
信用金庫の業務


基本的には「地銀」と同じような業務であるが、「エリア」「融資先」に規制
がかかっているため、当該担当エリア内の融資先を大切にしようと考える
信金が多い(これは今も)。
また、地域が限定されていることもあり、預金先が融資先になる場合が多
いことから、「預金(定期積金)集め」がそのまま融資先の発掘につながる
場合もある。

とはいえ・・・

そもそも資金がタイトな時代なので、融資をする場合には地銀同様に厳し
い審査を行うことは変わらない。ただ、地域が狭いこともあり、審査におい
ては書類だけでなく、外交の中での情報などが加味される場合が多く、リ
レーションシップが重視されていた(これも現在に通じる)。
信用金庫自体は協同組織金融機関であり、非営利であるため、地銀より
も「地域振興」を重要視する傾向が強い。

3
企業経営者の望み


企業経営者は順調に「利益を出す」というのが使命だが、そのためにも「会社を大
きくしたい」「知名度を上げたい」という望みを持つものが多い。
会社が大きくなったり、知名度が上がれば、多くの人に知ってもらえるので、売上
も上がり、有能な人材も集まると考えられ、そうすれば、当該企業の信用度も高ま
ることになる。

ここで「信用度」ということから言えば・・・

融資先企業の規模と銀行が明確に区分されている状況においては、付き合って
いる銀行が「相互銀行」よりも「地銀」の方が信用度が高まるし、「地銀」よりも「都
銀」の方がより信用度が高まる。

とはいえ・・・

上位行の審査は厳しく、上位行との取引がすることは難しい状態にあった。
金融自由化後の日本の金融
 <金融自由化に伴う金融システムの変化>
 高度経済成長を遂げた後、経済が安定期に入り、また、「国債の
大量発行 」を契機にして徐々に金融が自由化されていった
(1980年代初頭)。
 金融の自由化とともに・・・
 社債発行に対する規制
 エクイティーファイナンス に対する規制
 これら規制が緩和され、メジャー大企業のような「ネーム
(name) 」をもっている企業では、銀行借入に頼るよりも、社債発
行やエクイティーファイナンスのような直接金融方式による資金調
達の方がコストは低く済むため、銀行離れを起した。
4
金融自由化後の金融システム
主な資金余剰主
体
家計
金融仲介機関
主な資金不足
主体
都銀・長信銀
大企業
(基軸産業)
市場
インターバンク
地域金融機関
中小企業

大企業は都銀や長信銀にとっての重要な「顧客」であり、その顧客が離れていったことにより、
都銀や長信銀は新たな顧客層を開拓する必要に迫られた。

都銀等の開拓先は、地域金融機関の「顧客」である中小企業である。

都銀や長信銀は、地域金融機関に比べて情報生産能力では劣るため、土地などを積極的に
担保として要求するようになる。担保さえあれば、都銀は資金を豊富に持っていることによる
スケールメリット(規模の経済性)と「資産の分散化」によるリスク低減効果により、貸出コスト
を引き下げることが可能である。
日本人と土地
 土地は単なる「資産」ではあるが、戦前、長子相続が普通であった
日本においては「先祖からの預かり物」という認識も強かった。
 つまり、「自分の資産」ではあるが、自由に処分してしまうわけには
いかない資産であったのである。
 一方、「一国一城の主」に憧れもあるため、土地を買いたいという
人は多く存在していた。したがって、売り方が少なく、買い方が多
いため、常に土地価格は高い状態にあった。
 以上から・・・
 「土地」というものを担保に出すというのは、事業に余程の自信が
ある場合に限られることから、非常に重要な「シグナル」となる。
5
土地を担保とした貸出

これほど重要な「土地」であっても、借入資金を返済する限り、取り上げられることはない。土
地を担保に出すだけで都銀と付き合うことができるのであれば、マイナーな大企業や中堅企
業は、喜んで融資を受けようとする。

そうなると・・・


都銀は、地域金融機関が地元の情報生産で得られる審査費用や監視コストの低減
効果と同じくらい、またはそれ以上にコストを引き下げることできることから、地域金融機関と
対等に。はそれ以上に新規の貸出先争奪戦で戦うことが可能になる。

となると・・・

地銀は、資金が余ってもインターバンク市場で運用ができなくなる上に、今までの取引融資
先企業を取られてしまうため、さらに資金が余ってしまう。
そのため、今までは貸出をしてこなかった層への貸出を行うことになる。その場合、都銀と同
じように「土地」を担保として拠出させる。


このような都銀や地銀の戦いの中で、融資審査そのものが甘くなり、「担保 さえあれば貸し
出す」という風潮が強くなっていくことになった。
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