こちら - 一橋大学

早川武彦ゼミ&岡本純也ゼミ
合同卒業論文発表会
日付:2006 年 2 月 11、12 日
於:一橋大学東 1 号館 1202 教室
-1-
目次
1.
早川武彦教授より皆様へのご挨拶∼最後のご挨拶 ............................................................. - 3 -
2.
早川&岡本ゼミ卒論発表会(1日目)タイムテーブル ............................................................ - 5 -
3.
早川&岡本ゼミ卒論発表会(2日目)タイムテーブル ............................................................ - 6 -
4.
早川先生ご退官記念会タイムテーブル....................................................................................... - 6 -
5.
各発表者の紹介、配布資料及びメモ用紙.................................................................................. - 7 -
5−1.第1発表者
大垣真梨子.......................................................................................................... - 7 -
5−2.第2発表者
新藤聡 .................................................................................................................- 11 -
5−3.第3発表者
森田 純平 .........................................................................................................- 17 -
5−4.第4発表者
森 雅士 ..............................................................................................................- 23 -
5−5.第5発表者
菊田 公毅 .........................................................................................................- 29 -
5−6.第6発表者
安藤 正 ..............................................................................................................- 34 -
5−7.第7発表者
真木信人.............................................................................................................- 40 -
5−8.第8発表者
小林乙彦.............................................................................................................- 46 -
5−9. 第9発表者
山本 康平 .........................................................................................................- 52 -
5−10.第10発表者 柿沼信行 ............................................................................................................- 58 5−11.第11発表者 神山 敦吏 .........................................................................................................- 62 5−12.第12発表者 林 浩司 ..............................................................................................................- 68 5−13.第13発表者 杉本 達朗 .........................................................................................................- 73 5−14.第14発表者 涌田 龍治 ..........................................................................................................- 77 6.
早川先生&早川ゼミのご紹介 ......................................................................................................- 83 -
7.
岡本先生&岡本ゼミのご紹介 ......................................................................................................- 84 -
8.
レストラン等お食事場所のご案内................................................................................................- 86 -
-2-
1. 早川武彦教授より皆様へのご挨拶∼最後のご挨拶
今年は厳しい冬でしたが、いよいよ春を迎えます。
これまでの様々な困難をクリアーし、恒例の卒論発表
会に漕ぎ着けたことを当の4年生は勿論のこと、この
日の準備を進めてくれた3年生や大学院生、助手の
方々、そしてわざわざここに駆けつけてくださった
方々ともども喜びたい気持ちでいっぱいです。
海の向こうイタリアのトリノでは冬季オリンピック大会が数時間後に開会します。
その世界的なイベントに負けないイベントとして大いに盛り上がりたいものです。本
ゼミのイベントには、勝者も敗者も、賞金もメダルも存在しません。あるのは Pride
と知的欲求の刺激・充足そして将来を見据えた希望(期待)です。
スポーツを知的に楽しむ
ことが本ゼミの基本理念です。実戦、観戦・視聴、批
評を知的興奮の世界に取り込み、誰もが楽しめるスポーツの有り様をスポーツ産業論
の視点から創造することに最大の関心があります。今年の卒論もその成果の一端です。
スポーツはプレイヤー(する)だけを意味しません。プレイヤーの成果を見守り(み
る)彼らに指導・助言、機会・場、経済的援助、生活支援などなどの環境を提供し(サ
ポート)
、それらの有り様を客観的に見つめ評価する(批評)人びとや行為からスポー
ツは成り立っています。卒論もまた書き手だけでなく、先輩、友人、様々な情報を提
供してくださった現場の方々とのネットワークの成果によるものです。実際、公開発
表会を重ねることで、年々その成果が蓄積され初期の頃とは比べものにならないほど
充実した内容に仕上がって来ています。今回の各報告も昨年を上回るすばらしい内容
に仕上がっていると自負できるでしょう。
ところで今回の発表会は私にとりましては特別なものとなりました。この3月末日
をもって退職することになり、私が関わる卒論発表会は今回が最後となり、バトンタ
ッチする岡本純也ゼミとの引き継ぎをかねた合同発表会となったからです。そのため
に演題が多くなり2日間にわたるだけに外部から参加してくださる方々には大変なご
負担をお掛けすることになってしまいました。この場をお借りしてお詫びと感謝を申
し上げる次第です。と同時に忌憚のないご指導・助言・意見などを賜りますことと、
これからの岡本ゼミへのエールも宜しくお願い致します。
-3-
最後になりました。学生諸君の知的関心とその探求心には計り知れないものがある
ことを繰り返し実感して来ました。彼らの潜在的な力を引き出せなかったとすれば、
それは偏に指導者としての私の怠慢であり、その責任は免れないでしょう。これまで
至らなかった点をお詫びしつつ、将来必ず芽を吹き大樹に育つことを願い、見守りた
いと思います。
本学で立ち上げた「スポーツ産業論」講座も皆様方のご支援を受け、何とかここま
で成長することができました。しかしそれは本の端緒です。わが国のみならず、世界
のスポーツ界に新たな風を吹き込む知恵と力をこれから本格的に育て上げていかなけ
ればなりません。私もその営みにこれからも参加したいと思っています。その意味で
は今後とも宜しくお願い申し上げます。
長い間ありがとうございました。そしてこれからも・・・
2005年2月11∼12日
一橋大学商学研究科教授
-4-
早川
武彦
2. 早川&岡本ゼミ卒論発表会(1日目)タイムテーブル
時間
発表者
9:55∼10:00
早川武彦先生
10:00∼10:25
大垣真梨子
タイトル
テーマ
初日はじめの挨拶
「楽しい女子
マネージャー」
「大学スポーツ発展の
10:30∼10:55
新藤聡
ためのスポンサーシッ
プ」
11:00∼11:25
森田純平
11:30∼11:55
森雅士
11:55∼13:00
昼休憩
「がんばれ中小泡盛メ
ーカー」
「テニスサークルを通して
見るテニス史」
女子マネージャー研究
スポンサーシップ+大学
スポーツ
泡盛業界の持続的成長
要因
テニス
「現代のゴルフという
13:00∼13:25
菊田公毅
スポーツにおける潜在
ゴルフ
性と発展性について」
13:30∼13:55
安藤正
14:00∼14:25
真木信彦
14:30∼14:55
調整時間
15:00∼15:25
小林乙彦
「日本のバレーをより良く
するために」
「スポーツ・チーム経営とI
T産業」
「スポーツの芸能化、ア
スリートの芸能人化」
Vリーグ
IT とスポーツ
スポーツと娯楽主義
「スポーツ・ジャーナリ
15:30∼15:55
山本康平
ズム―新聞は 遊び を スポーツ・ジャーナリズム
伝えているかー」
「モータースポーツのビジ
16:00∼16:25
柿沼信行
ネス的価値−トヨタとF1
モータースポーツ
−」
16:25∼16:30
どなたか
初日終わりのご挨拶
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3. 早川&岡本ゼミ卒論発表会(2日目)タイムテーブル
時間
発表者
タイトル
9:55∼10:00
10:00∼10:25
10:30∼10:55
テーマ
早川武彦先生2日目初めの挨拶
神山敦吏
林浩司
「なぜ沖縄のハンドボール
スポーツの強化と地域と
は強いのか」
の関係性
「大学スポーツ発展のため
のアプローチ」
大学スポーツ団体、地域
等へのアプローチ、その
波及効果
「脱甲子園主義∼生涯ス 人格成長、引退後、大学
11:00∼11:25
杉本達朗
11:30∼11:55
涌田龍治
11:55∼14:00
昼休憩
14:00∼15:25
早川武彦先生
最終講義
15:30∼15:55
早川武彦先生
質疑応答
15:55∼16:00
岡本純也先生
2日目最後の挨拶
16:30∼17:00
たくさんの方々
御講評
17:00∼17:30
―
懇親会
ポーツを目指して」
の意義
「スポーツ観戦者の社会化
スポーツ観戦者、社会
と消費−理論的検討−」
化、準拠集団
4. 早川先生ご退官記念会タイムテーブル
時間
内容
18:00∼18:05
司会者挨拶
18:05∼18:10
花束贈呈
18:10∼18:15
ご来賓の方よりご挨拶
18:15∼18:20
ご来賓の方よりご挨拶
18:20∼18:25
記念品授与
18:25∼18:30
早川先生最後のご挨拶
18:30∼20:00
ご歓談
-6-
5. 各発表者の紹介、配布資料及びメモ用紙
5−1.第1発表者 大垣真梨子
¾ 紹介
<略歴>
1983年
東京都に生まれる
2002年
私立 桐蔭学園高校 卒業
2002年
一橋大学 商学部 入学
卒業後は(株)資生堂へ就職予定
<好きなスポーツ>
それはサッカーです。シドニーオリンピックから 2002 年ワールドカップの
頃に熱を上げており、あらゆる試合に出没しました。その中でオリンピック出
場を決めた試合や、Jリーグ優勝が決まった試合に立ち会ったときの何とも言
えない感動が、きっとサッカー部でマネージャーをしようと私に思わせました。
それから毎日のようにうんと間近でサッカーを見ていたわりには、先日初めて
フットサルに挑戦し、自分の頭と体の連絡の悪さにがっくりした次第です。
<ゼミでの思い出>
なんといっても4年生の夏に行った宮古島です。短い滞在期間に「あいにく」
台風が上陸し、ものすごい風が吹き狂ったのにも心の中ではわくわくでした。
それが過ぎてから行った海の青さは写真で知っていてもびっくりで、気持ちの
色調もそんな青になってしまいます。うきうきです。食べ物も泡盛もおいしく
て、先生やみんなとたくさん一緒に過ごせたこの合宿が、特筆すべきものです。
<発表会への意気込み>
自分でもマネージャーの何が楽しいのか、はっきりは分からないのだけれど、
でも毎日ささいなことにも楽しみを見つけられてしまい、いま振り返れば結局
は楽しかったのです。これは何だったのかと自問自答するところから始まり、
スラッシュ小説という、自分でも思わぬ方向に進んでしまいましたが、言葉を
選びえらび、うまく説明できたらと思います。このような場が与えられたこと
に恐縮しておりますが、もしよろしければお耳を傾けていただけますよう。
-7-
¾
配布資料
「楽しい女子マネージャー」
発表の趣旨:ここにおける「女子マネージャー」とは、体育会で選手とは違う活動、そこ
に幅はあれども、主に選手の練習を補助する雑務をこなしているものをいう。
男子の担うマネージャーあるいはコーチという役職とは一線を画す。女子の
中でも全く興味のない人がいる一方で、強くひきつけられる人がいる。後者
の女子は何に魅力を感じているのだろうか。
先行研究にて提示された「ホモソーシャルな男集団への憧れ」という概念
を基底に、その憧れはどこから来ているのかを、
「スラッシュ小説」
(日本に
おける「やおい」)に見られる「男同士の関係性」をヒントにして解き明か
したいと思っている。そうして、女子マネージャーは甲斐甲斐しく男子選手
を支える存在であるようにして、案外エゴイスティックに行動しているのだ
というくらいにまで思っていただいても、それは、自らがマネージャーとし
て大学生活の3年間をサッカー部にどっぷり浸した本発表者にとっては大
いにうれしいことであると申し上げよう。
先行研究:セジウィックのいう、男性社会の「ホモソーシャル」な構造。そこには常に
女性嫌悪(ミソジニー)が存在すると同時に、同性愛嫌悪があり、男は「ホ
モセクシュアル」でないことを女性の取り込みによって証明している。この
ような「排除」と「取り込み」という一見相反する二重の構造によって男性
中心社会は成立している。
高井はそれに加えて、女子の方からの「憧れ」でもってかける男性集団へ
のアプローチ、それこそが女子マネージャーのアイデンティティ形成過程と
なるのだが、皮肉にも「ホモソーシャルな」構造を補強してしまっているの
だとした。
(『女子マネージャーの誕生とメディア――スポーツ文化におけるジェンダー形成――』
高井昌吏 2005 ミネルヴァ書房)
スラッシュ小説:メディアのなかの男性ペアを利用した、性的な描写を含んだ一種のロマ
ンス小説である。カーク/スポック(スター・トレック)、ホームズ/
ワトソンといったように、スラッシュを挟んだ二人は愛し合っているこ
とを意味するため、その名がついた。一風変わった趣味なのかと思いき
や、1970 年頃に欧米豪日などでほぼ同時に自然発生しており、日陰の
存在ながら熱心なファンはかなりの数いる。書き手も読み手も女性であ
る。
-8-
そのストーリーは、上記のような、強い友情関係にある仲間もとい「戦
友」同士が、あるとき相方への恋愛感情を自覚して、葛藤しつつも告白、
もちろん成就し肉体関係に至って、その前よりもより強固な関係となる
というものである。
※ロマン小説:ヒロインが困難を乗り越えてヒーローを見つけ、その心をがっちり掴み結
婚する、というもの。
スラッシュ小説とロマンス小説の共通点:
写実的な性描写:あくまで感情的な意味のある交流の一部でありロマンチックなもの。
男でもあり女でもある主人公たち:理想のヒーロー像は、女の基準に合うよう変容させた、
伝統的な「男らしさ」と「女らしさ」が調和するもの。
視点の移動/多重同一視:男同士でも、片方は肉体的・心理的特徴が「女らしく」ある。
対等な恋愛関係:補完的なカップルで一対一の絆が強い。
その他:初体験物語である。他の人を排除する、性的な嫉妬。
・・・たったひとりのパートナーとの生涯にわたる永遠の関係を築き上げる。
このテーマをはじめ共通点は多く、ロマンス小説愛好家の多くが男同士の物語も楽しめ
ることから、スラッシュ小説愛好者は特別な趣味というわけではないと言える。
(『女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密 ―シリーズ「進化論の現在」― C.サーモン&D.サ
イモンズ 訳・竹内久美子 2004)
より詳しいことがわかる日本の「やおい」でもってさらに述べておこう。
やおい:大まかな特徴はスラッシュ小説に同じ。パロディで、男同士の恋愛を描き性描写
を含む。「主に漫画、絵、小説などの作品形態を取っており、個人により好むキ
ャ
ラクターや人間関係が分かれるため、一つのアニメ作品からでも様々なカップリ
ングが誕生する。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
スラッシュのかわりに「×」が用いられる。
「挿入される側{受け(⇔攻め)}」
は相対的に細めになよっと描かれ、しきりに顔を赤らめる。ふたりのその行為の
描写、男同士なのに結婚して子供が生まれたりもすることなどは、はっきりいっ
て描かれているのはそのまま男女の関係である。
類似の概念を指す言葉として、「ボーイズラブ」という語もあるが、こちらは
オリジナル作品において、男同士の恋愛、性描写を描くものである。中小のみな
らず大手出版社にもそのレーベルがあり、たいていの本屋で一般的な少女マンガ
と
同様に棚のスペースを得ていることからも、その人気の程度は窺える。
結論:女子マネージャーは男同士の絆に男女の永遠の関係を見出して、その関係を疑似体
験するために男集団に入り込もうとすることを楽しんでいるのである。
-9-
¾
メモ用紙
- 10 -
5−2.第2発表者
新藤聡
¾ 紹介
<略歴>
1981 年
埼玉県に生まれる
2000 年
埼玉県立浦和高等学校卒業
2001 年
一橋大学商学部入学
卒業後はブリヂストンへ就
職
<好きなスポーツ>
サッカー(小学生のときからずっと続けています)
ゴルフ(これからはじめたいスポーツです)
<ゼミでの思い出>
・3 年生の夏休みにいったゼミ旅行
ゼミ生が 3 人しか参加できずに出発前に早川先生のお怒りをかってしまった。
どうなることかととても心配しながら出発したが、滞在先で色んな方々によ
くしてもらったこともあり、とても貴重な経験をすることができた。
・ラクロス部集客プロジェクト
理論を実践する場として9期生全員で取り組んだプロジェクトだったが、み
んなの気持ちが上手く一つにならず、泣きそうだった。最終的には男子ラク
ロス部をはじめ協力いただいた人から感謝の言葉をもらえて本当に安心し
た。
<発表会への意気込み>
自分のことを知らない方に自分の考えを聞いてもらえる機会はとても貴重だ
と思うので、短い時間ですが精一杯発表したいと思います。
- 11 -
¾
配布資料
「大学スポーツチーム発展のためのスポンサーシップ」
一橋大学商学部 4 年
早川武彦ゼミ所属
新藤聡
1.はじめに
本論文は大学スポーツチームが主体的に発展していくためのスポンサーシップを明ら
かにしようとしたものである。また大学スポーツチームの中でも早稲田大学ラグビー部、
立命館大学アメリカンフットボール部などテレビへの露出があり既に多くの人に興味を
持たれているチームではなく、まだファンがいないようなチームを対象にしている。
この十数年間で日本サッカーは飛躍的に発展したが、それはサッカー協会会長の川渕三
郎氏の功績が大きかったことは言うまでもないだろう。そして、着実にサッカー人気を不
動のものしていき私を安心させてくれたのが当時Jリーグチェアマンだった川渕三郎氏
だ。実際川渕氏がサッカー界にいなければ現在のようにサッカーが野球に肩を並べるほど
人気を獲得することは考えられなかっただろう。そして私はずっと「川渕さんがサッカー
界にいてくれてよかった」というふうに考えてきた。しかし一橋大学早川武彦ゼミでスポ
ーツ産業論を学びはじめさまざまなスポーツの現状を認識していくにつれて、川渕さんの
ような突出した個人の出現によるスポーツ界の発展を望んでいるだけでは、日本における
スポーツの発展はすごく不安定だと考えるようになったのである。そして突出した個人の
出現に頼らないでも、スポーツが継続的に発展していくために必要なことは何かを考える
ようになった。そして、そのために重要だと考えるようになったのが今回の卒業論文のテ
ーマであるスポンサーシップである。
チームの発展ということを考えた場合、プロリーグのスポーツチームであればファンを
増加させることで入場料収入の増加になるので努力次第でチームを発展させられるのは
明らかである。しかし、日本のチームスポーツリーグの中で完全にプロ化されているリー
グはまだ少なく、アマチュアリーグが大半である。アマチュアリーグに所属しているチー
ムの場合、ファン増加による入場料収入の増加はチームに還元されないので、ファンを増
やす努力次第でチームを発展させられる可能性があるということを自覚しづらい。これは
発展を志向するチーム数が限られることにつながり、また日本のスポーツ界全体の発展を
川渕三郎氏のような突出した個人の出現などに頼ることが多くなってしまうだろう。本論
文の目的はそういった発展を志向できないでいるアマチュアリーグに所属しているチー
ムに、収入を増加させられる手段としてのスポンサーシップを示すことである。これが明
らかになれば発展を志向するチーム数が増加することにつながり、ひいては日本のスポー
ツ界全体の発展につながっていくと考えられる。
アマチュアリーグに所属するスポーツチームの中でも大学スポーツチームを選んだ理
由は、比較的スポンサーシップという手段をとりやすいからである。まず企業スポーツチ
ームに関しては、チームを所有しているのが企業であるためスポンサーシップを行おうに
- 12 -
もさまざまな制約を受けやすいと考えられる。また中学・高校の部活動ではアマチュアリ
ズムの影響が根強く残っているし、運営を中心になって行っているのは先生である。また
中学生や高校生の中でチームのマネジメントについて考えるほど成熟している生徒は少
ないだろう。しかし、大学生になると技術面を指導するコーチはチーム内にいるものの、
それ以外の運営の中心は学生である場合が多く、また生徒の視野は広がっておりマネジメ
ントの重要性を認識し経済活動も自主的に行えるほど成熟している。また、チームが所属
しているのも大学なので企業との利害関係が生まれにくく、スポンサーシップを行う上で
の障害は少ないだろう。そして重要なのは大学スポーツチームは民間のスポーツクラブと
比べた場合、チームを強化したいという強い想いを持っている場合が多いので、チームに
自主的に発展を志向してもらうことができると判断した。つまり所属する人達の自助的な
努力によって発展する可能性を一番秘めているのが大学スポーツなのである。そこで、本
論文では大学スポーツチームを対象としたスポンサーシップの可能性を探ることにした。
また大学スポーツチームの中でもマイナーなチームを選んだのは、自主的な発展を果たす
ための障害が多いからである。メジャーなチームと違ってスポンサードされる価値がない
と考えられ、そしてチームに所属する部員も同じように考えてしまっているマイナーなチ
ームの発展が実現してこそ、大学スポーツ界全体の発展につながると考えたからである。
2.大学スポーツを取り巻く環境と問題点
チームが発展するということを、「①成績が向上する(強くなる)
②ファンが増える
③運営資金が増えるが共に実現すること」だと考えると、大学スポーツチームでは①は十
分に取り組まれているが、②③に関しては十分には取り組まれていないのが現状である。
①はチームの最重要課題であるため積極的に取り組まれているが、②③も①の実現につな
がると考えられるので、その意味ではチームの当事者にとって実現が望まれえるはずであ
り、積極的に取り組んでいてもおかしくない。そこでまずその原因をスポーツの歴史から
探った。
大学スポーツチームにはアマチュアリズムの影響が根強く残っている。日本ではスポー
ツが体育と同種のものと考えられ、その発展が教育現場を拠点として進んだことでアマチ
ュアリズムの精神が必要以上に尊重されてきたこと。「アマチュアの体育」として発展し
たスポーツでは、競技団体の組織もアマチュア団体や教育団体が中心で、それらは税金や
寄付によって運営されてきた。そのようにスポーツ側が無償で誰かに支えてもらった中で
運営され続けた結果、スポーツそのものをビジネスと考える感覚が希薄になってしまった
のだ。つまりいままではマネジメントの意識はスポーツの側に不要だったのである。その
影響が大学スポーツチームにも多分に残っており、運営資金を増加させるというビジネス
的な部分についてはこれまであまり取り組まれてこなかったので、そのためのノウハウの
蓄積がないのだ。
また現状の大学スポーツのシステムを何かを変えようとした場合、協会を説得する必要
- 13 -
が出てくる。基本的に大学スポーツは学生が自主的に現場の運営を行っているが、リーグ
戦を統括する団体として関東大学連盟や日本学生協会などの各種のスポーツ団体がそれ
らの集合体として形成され、さらに日本体育協会が社会人から学生までを統括している。
もちろん協会は民主的に運営されているが、学生だけでは難しい部分もあるために、大人
の専従者を置くか、社会人協会や日本協会と協力しながら運営をしていくことになる。そ
してそこには運営に参加している学生の「何を言っても結局は上のほうで決めてしまうし、
自分達の意見なんて通らない」というあきらめが先にたってしまうのだ。あるいはチーム
の代表者として学生が運営に参加する者にあるために、大学間の争いを語ることが中心と
なってしまっている。スポーツ協会は本来社会にかに認められるかということに意識が向
くべきものだが、実際には社会ではなく政治や行政、具体的には日本体育協会およびその
上の文部省卯跡道府県の教育委員会に目が向いている場合が多い。または他の団体と「ど
っちが偉いか」競争しているようにみえる。そしてその偉さの基準は「伝統」が大きな比
重を占め、日本のスポーツ団体のほとんどが、積極的な改革案を出す若手よりも従来のや
り方をよしとする幹部が主流をにぎっているのだ。以上のようなことが②③に積極的に取
り組まないことの一因になっていると考えれ、これらの問題を打開する手段として、自助
努力で②の実現と共に③の実現を図ることができる可能性のある企業とのスポンサーシ
ップに注目した。
3.スポーツチームと企業
次に大学スポーツチームの資金獲得の有力候補としての企業とスポーツチームの関係
を探った。企業とスポーツの関係は職場スポーツ、企業スポーツなどによって誕生したが、
それらは常に企業側の論理によるものだった。スポーツチーム側から能動的に企業にメリ
ットを提供しようという試みはあまり見られなかった。その後企業によるチーム保有とい
う関係から、スポンサーシップによる企業のチーム支援という形も発展してきた。しかし、
スポンサーシップにはファンの存在が必要であり、ファンを持たない大学スポーツチーム
にはファン獲得のために先にお金と労力をかける必要がでてきてしまう。チームの部員が
周期的に入れ替わってしまう大学スポーツチームでは、長期的なビジョンののもとにこの
先行投資を行うことは難しい。このことが大学スポーツチームが②③の実現に積極的に取
り組めないことの原因となっている。
4.スポンサーシップの考案
そこで考案したのが成果主義型のスポンサーシップである。ファン獲得のためのお金と
労力を長期的な先行投資にしないで、収入に直結させることで問題の解決を図るのである。
この方法であれば、現在ファンを持たない大学スポーツチームでも、これから獲得するフ
ァンが収入に直結するので、長期的なビジョンをもっていなくても積極的に取り組んでい
けるはずであり、①②③を共に実現することにつながると考えられる。
- 14 -
5.おわりに
最後に私がこのテーマを選んだ直接的な契機となった、大学 3 年生のときにゼミナール
で取り組んだ「一橋大学男子ラクロス部集客プロジェクト」について触れておく。このプ
ロジェクトは閉じた世界で活動している体育会のチームに、ゼミ生がマネジメントのお手
伝いをすることで観客動員増加というメリットをもたらし、チーム発展のためのマネジメ
ント強化に体育会が自主的に取り組むように仕向けようとしたものだった。そしてさらに
はプロジェクトの波及効果によって大学スポーツの発展に少しでもつながればという想
いもあった。プロジェクトは当初の狙い通り男子ラクロス部の観客動員数をある程度増や
す
ことができた。しかしその結果として男子ラクロス部にもたらされたものは、「たくさん
の人に応援されていい思い出になった」「観客誘致をしたことで責任感が生まれた」など
という部員一人一人の心理面への効果がほとんどすべてであった。つまりこのプロジェク
トは部員にとっては「労力とお金をかければ観客を呼べて心理面でプラスに働く」という
経験にはなったが、「マネジメントを強化したことによってチームが発展した」という経
験にはなっていなかったのだ。男子ラクロス部が次年度以降もチームの発展のためにマネ
ジメント強化に取り組み、観客動員増加などを図っていくかどうかは、そのときの部員が
観客数増加による心理面に期待する度合いによって決まってしまうだろう。そうだとすれ
ば、このプロジェクトの効果は単発で終わってしまう可能性が高く、男子ラクロス部の継
続的な発展への寄与は見込めないものだったといえる。そこで「ではこのプロジェクトを
どのようなアプローチで行えば、男子ラクロス部の継続的な発展につなげることができた
のか」という想いが生まれ、男子ラクロス部に収入が増えるというわかりやすいメリット
が必要だったという考えに行き着いたのだ。本論文では、そのわかりやすいメリットとし
てスポンサーシップによる資金増加を取り上げた。しかし、今回考案できたことは少なく、
大学スポーツチームのスポンサーシップには多様なものが考えられるはずである。
<主要参考資料>
・広瀬一郎「新スポーツマーケティング」創文企画 2003 年
・原田宗彦「スポーツ産業論入門」杏林書院 2003 年
・杉山茂/岡崎満義「スポーツマネジメントの時代を迎えて」創文企画 2005 年
・佐伯年詩雄「現代企業スポーツ論」不味堂出版 2003 年
・大学スポーツオールガイド vol.3 旺文社 2000 年
・「交換過程の経営」スポーツマネジメント研究会 2000 年
・「スポーツの価値創造」スポーツ産業学会シンポジウム 1999 年
・SPRT MARKETINNGU CASEBOOK ホームページ
http://www.sportmarketingcasebook.com/smc/index.cgi
- 15 -
¾
メモ用紙
- 16 -
5−3.第3発表者
森田
純平
¾ 紹介
<略歴>
1982 年
神奈川県横浜市に生まれる
2001 年
私立桐朋高校卒業
2002 年
一橋大学商学部入学
2006年
一橋大学商学部卒業見込み
卒業後は伊藤忠商事へ就職
<好きなスポーツ>
自分でするスポーツとしてはヨットが好きです。大学では体育会ヨット部に
所属していました。風と一体になったかのような独特の感覚は、ほかのスポー
ツでは味わうことができないものだと思います。社会人になってからも細々と
ヨットを続けていきたいと考えています。
見るスポーツとしてはサッカーが好きです。長い長い攻防の末、ようやく生ま
れるワンゴール。この瞬間に興奮が頂点に達します。この歓喜の瞬間がサッカ
ーの魅力だと思います。
<ゼミでの思い出>
4 年のゼミ合宿で沖縄に行ったことが最も思い出に残っています。ゼミ生み
んなが寝食をともにすることで、ゼミ生の意外な一面が見えたことが非常に面
白かったです。それによって、お互いの理解がいっそう深まり、ゼミの団結力
が強まった?と思います。
<発表会への意気込み>
大人数を前にした発表は初めてなので、少々緊張しています。しかし、発表会
までにできる限りの準備をして、自分で納得のできる発表をしたいです。
荒削りなところばかりだと思いますが、自分なりに考えました。よろしくお
願いします。
- 17 -
¾
配布資料
がんばれ中小泡盛メーカー
―伝統的地場産業の生き残りー
一橋大学商学部商学部 4 年
岡本ゼミナール所属
森田純平
1.はじめに
1-1
研究の背景
近年の焼酎ブーム、沖縄ブームの後押しを受け、泡盛業界もブームの様相を呈している。
泡盛の県外への移出高はこの 10 年間で 5 倍以上にも増加し、非常に活況であると言うこ
とができよう。
しかし、現在は非常に勢いのある泡盛業界であるが、今後もこのままの発展していくの
かと言うと、必ずしもそうとは言えない状況にあると考えられる。
まずは、県内消費される泡盛に限り酒税を 35%軽減する復帰特別措置法の期限切れが目
前に迫っていることである。1972 年以来続いてきた復帰特別措置法が 2007 年で終了して
しまうのである。
次に、アサヒビール等の大手酒造メーカーの総合酒造化への流れである。すでに、泡盛
業界に大手酒造メーカーが参入してきている。
このように、必ずしも今後が明るいとは言えない泡盛業界の中で、零細な企業が多い(グ
ラフ 1 参照)泡盛の酒造会社が生き残っていくためには何が必要であるのか。本論文では
そのことについて論じていきたい。
グラフ1熊本、宮崎、鹿児島、大分県と沖縄県の規
模別製造免許場数
100%
80%
5000kl以上
2000-5000kl以上
200-2000kl
20-200kl
60%
40%
20%
0%
九州4県
沖縄県
(出所)沖縄国税事務所、熊本国税局 HP を参考に筆者作成
本稿では、泡盛市場に参入してきた大手酒類メーカーと今後どのようにして住み分ける
のか、ということに特に重点を置く。そこで目を付けたのが、大手とは違った風味の泡盛
- 18 -
を製造することで、大手と住み分けることができるのではないか、ということである。
調査方法としては以下の 2 つの方法を採った。
① 資料収集。
② 沖縄本島、宮古島での酒造所見学。
1-2
問題及び問い
そこで、本論文における問題及び問いを整理すると、次のようになる。
大手酒造メーカーの泡盛市場への参入という事態を受け、今後は泡盛業界において零細
な企業が生き残っていくためには大手との住み分けが必要になってくる。そこで、どのよ
うな風味の泡盛を製造すれば良いのか。それが本稿の問いである。
2.泡盛業界の俯瞰
2-1 泡盛ブーム
グラフ2 泡盛製成数量の推移
25000
20000
15000
kl
10000
製成数量
5000
0
年
01
20
年
00
20
年
99
19
年
98
19
年
97
19
年
96
19
年
95
19
年
94
19
年
93
19 年
92
19
年
91
19
年
90
19
年
89
19
年
88
19
(出所)沖縄国税事務所統計書より筆者作成
グラフ 2 を見て分かる通り、泡盛の製成数量は右肩上がりである。その原因としては、
本格焼酎ブームと沖縄ブームが考えられるが、この点に関しては発表の方で説明する。
それでは、この泡盛ブームが泡盛業界に残したものはいったい何なのであろうか。それ
は、泡盛の「飲み手」を県外に育てたことであると考えられる。ここで言う「飲み手」と
いうのは、泡盛の味の違いが分かる人のことである。そして、現在は高くても味の良い泡
盛を求める「飲み手」と、安ければいいという一般のユーザーに二極化していることが予
想される。
このように、泡盛ブームによって県外に「飲み手」が育ち、市場の二極化が訪れたと考
えられる。
- 19 -
2-2 大手酒類メーカーの泡盛市場への参入
表 1 大手酒類メーカーの焼酎市場への動き
アサヒビール
サントリー
キリンビール
01 年:ニッカウヰスキー
02 年:「麒麟麦焼酎ピュアブル
00 年:麦焼酎「それから」(甲乙混和)
完全子会社化
ー」(乙)
01 年:韓国焼酎「宝海」
02 年:麦焼酎「麦笑」、「麦六先生」(甲
(乙)
乙混和)
02 年:協和発酵酒類事
業買収「大五朗」(甲)、
03 年:芋焼酎「黒丸」(乙)
芋焼酎かのか(甲乙混
和)
03 年:泡盛「天龍蔵(てんりゅうぐら)」
04 年:新世代焼酎
(乙)瑞穂(みずほ)酒造(株)の製造に
「SAZAN」(甲)
よる古酒
00 年代
04 年:芋焼酎「さつま司」
04 年:泡盛「美ら島」(乙)新里酒造の
(乙)
製造
04 年:長期熟成泡盛「う
みそら」(乙)アサヒビー
04 年:ジャスミン焼酎 「茉莉花(まつ
ルグループのアサヒ協和
りか)」(甲乙混和)
酒類製造株式会社門司
工場で製造
04 年:麦焼酎「綺羅麦(き
04 年:麦焼酎「八重丸(やえまる)」
らむぎ)」(乙)
(乙)
05 年:麦焼酎「豊醇玄
05 年:米国にて本格焼酎の販売開始
海」(乙)
(出所)富銘〔1〕図表 3-1 に加筆
2000 年代に入ってから、アサヒビール、サントリーが泡盛の製造に乗り出しているのが
分かる。また、サッポロビールも本格焼酎市場に 2006 年 4 月から参入することを表明し
ている。
3.どのような泡盛を製造するべきか
下の表は、2004 年度泡盛メーカー売上上位 6 社の代表銘柄のテイスティングチャートを
抜き出したものである。日本ソムリエ協会認定ソムリエが作成したものである。
- 20 -
1.久米島の久米仙(久米島の久米仙)
2.くら(ヘリオス酒造)
爽
薫
爽
薫
醇
熟
醇
熟
4.残波((有)比嘉酒造)
3.菊の露(菊の露酒造)
爽
薫
爽
薫
醇
熟
醇
熟
5.瑞泉(瑞泉酒造)
6.久米仙(久米仙酒造)
爽
薫
爽
薫
醇
熟
醇
熟
(出所)居酒屋『ナヴィとかまど』の平良栄健店長が作ったものを参考にして筆者作成
6 社中 3 社の泡盛が「爽」の象限にあることが分かる。
「爽」の泡盛というのは癖がない、
水のような泡盛である。それに対し、
「熟」の象限にある泡盛は1銘柄も無い。
「熟」の泡
盛というのは癖が強く、泡盛本来の味を楽しめる。古酒はここに分類される。
大手が参入してきていないこと、そして育った「飲み手」による高級泡盛への需要を考
慮に入れると、「熟」の泡盛、とりわけ古酒に特化した経営をしていくことによって大手
とうまく住み分けることができると考える。
主な参考文献)
〔1〕富銘栄一(2004)
「拡大する焼酎市場における泡盛製造業の課題」沖縄国際大学大学
院地域産業研究科『地域産業論業』pp.93-101
- 21 -
¾
メモ用紙
- 22 -
5−4.第4発表者
¾ 紹介
森 雅士
<略歴>
1982年
広島に生まれる
2001年
私立修道高校卒業
2001年
一橋大学商学部入学
卒業後は未定
<好きなスポーツ>
野球・サッカー・テニス・ヨット・
<ゼミでの思い出>
・宮古島でのゼミ合宿。海、空、大地、人、食べ物、お酒、すべてが最高でし
た。
・ゼミの飲み会。ゼミの仲間、岡本先生にいっぱい迷惑かけました。
・岡本先生の奥様の手料理。絶品。
<発表会への意気込み>
今の自分に出来る限りの準備をしました。自分の言いたいことを伝えられる
ように全力でがんばります。そして、岡本ゼミの実力を見せます!
- 23 -
¾
配布資料
「テニスサークルを通して見るテニス文化」∼「遊び」としてのテニス文化∼
テニスサークル研究の意義
スポーツには勝ち負けにこだわる「競技」としての面だけでなく、必ずしも勝ち負けに
こだわらずに楽しむことや、交流を深めることを目的とする「遊び」としての側面も持っ
ている。今まで、
「競技」スポーツとしてのテニス文化はいくつも語られてきた。しかし、
「遊び」としてのテニス文化は今までほとんど語られていない。テニスサークルは、楽し
むこと、交流することを目的とした、まさに「遊び」のテニス文化だ。このテニスサーク
ル文化を研究することによって、新しいテニス文化が明らかになるのではないか。
1.テニスサークルの概要
1.1
テニスサークルの今
関東学生庭球同好会連盟によれば、現在、同連盟に加盟しているテニスサークルは、50
大学、約 220 団体、約 20000 人であるという(2006 年 2 月現在)。
さらに、連盟に加盟していないサークルを加えると、さらに数は増え、誰もわからない
ほどの数のテニスサークルが存在している。
1.2
テニスサークルの分類
テニスサークルは大きく分けて、3タイプに分類できると考えられる。
それは「硬派系」と「軟派系」である。
「硬派系テニスサークル」の活動内容は体育会のテニス部とそん色ないものであり、伝
統があることや、大学以前にテニスを経験している部員が多いことが特徴。そして、大学
から「公認」を受けて、テニスコートなどの大学の施設の使用や大学からの予算を認めら
れているところもある。また、積極的に試合に参加しており、なかにはテニスの競技力が
体育会に匹敵するほどのサークルもある。
「軟派系テニスサークル」はテニスが主な活動ではあるが、「飲み会」や「キャンプ」
など、そのほかの活動も積極的に行っているサークルである。「テニス」と他の行事の両
方を楽しめることを売りにしている。また、男女の交流も重視していて、硬派系ほど競技
志向ではなく、「遊び」のほうにより重点を置いている。
「多目的系テニスサークル」は、名前は「オールラウンドサークル」「イベントサーク
ル」「アウトドアサークル」などさまざまであり、遊び仲間の延長のようなサークルであ
る。活動の一部に「テニス」を加えてはいるが、ほとんどテニスはしていない。厳密に言
うと、テニスサークルではないが、テニスが活動の一部であるので、大学テニス文化の分
類に加えた。
- 24 -
1.3
テニスサークルの歴史
省略
2.テニスサークル増加の背景
2.1
第2次テニスブーム
第2次テニスブームが起こったのは、1970 年代前半である。このブームの背景は「エー
スをねらえ!」の大ヒットと、沢松和子選手の活躍が挙げられる。
漫画「エースをねらえ!」は、1973 年(昭和 48 年)から 1980 年(昭和 55 年)まで
「週刊マーガレット」で連載され、単行本(全 18 巻)の売り上げは約 1500 万部の大
ヒット少女漫画となった。当時、この作品に影響され、テニス部入部希望者が殺到す
るなど社会現象を起こした。
そして、当時のテニス界に彗星のごとく現れたのが、沢松和子だった。彼女は、1963
年に、12 歳で、関西幼少戦にデビューし、1968 年の全日本室内選手権で、国内連勝記録
のスタートを切った。以来、1974 年のジャパン・オープン準決勝で敗れるまで、192 連勝
という偉大な記録を打ち立てた。そして、1975 年の全英選手権、ウィンブルドン大会女子
ダブルスで、アン清村と組んで、日本人女子として初めて優勝した。
当時の「エコノミスト 51 号」
(1973(昭和 48 年)09.25、52∼55 頁)によると、
「テニ
スがブーム化しつつある。・・・ひところレジャー産業の花形的存在だったボウリングか
ら、テニスへ急速に移っていっ」たという。
さらにエコノミストによれば「売り場で初めてラケットを手にするという人が、ラケッ
ト購入客の半分以上を占めるようになった。これはテニス人口が急速に増えている証拠」
という百貨店のレジャー用品部長の話もあり、このテニスブームにより、多くの人によっ
て、テニスが一般的なスポーツとなっていったことがわかる。
そして、このテニスブームによって、1970 年代に多くのテニスサークルが創立された(表
1参照)。
表1テニスサークル創立年表(関東学生庭球同好会連盟所属)
1950 年代
5サークル
1960 年代
51 サークル
1970 年代
100 サークル
1980 年代
17 サークル
※1965 年から 1975 年
109 サークル
早川武彦『地球時代のスポーツと人間』202 頁をもとに作成
2.2
第3次テニスブーム
「エコノミスト 58 号」(1980.1.15、90∼95 頁)の「テニスブームがいま学生や若い
OLのあいだに巻き起こっている」という記事にもあるように、1970 年代後半から第3次
テニスブームが起こった。このテニスブームの背景も、第2次と同様に、80 年まで連載が
続いていた「エースをねらえ!」の影響が大きかった。そして、さらに産業界がテニスを
- 25 -
ビジネスとして注目し、テニスコートやテニスクラブが数多く作られた。
「所得水準の上昇につれて増大する自由裁量支出によって形成された学生やヤング OL な
どの先端的市場、そこに的を絞ってテニスを産業化し、加えてマスコミを動員して作り出
されたブームが、今回のテニスブームの本質」だった。
「月刊レジャー産業」
(2000 年)によれば、1970 年代後半からの時代に関して、
「20 歳
代の若者たちはカラフルなテニスウェアに身を包み、小脇にラケットを抱えて原宿や表参
道など
おしゃれ
な街を行き交った。「フィラ」や「エレッセ」に代表される高級ブラ
ンドテニスウェアの全盛時代の幕開けで、テニスというスポーツをファッションがリード
したのである。当時のファッション雑誌を読み返してみると、スポーツウェアをタウンウ
ェア、カジュアルウェアとして取り扱うものが多い。テニス雑誌も次々創刊され」た。
この第3次テニスブームによって、テニスは若者の間で、「ファッション」として認知
されることとなった。
2.3
女子大生の増加
2度のテニスブームに加え、テニスサークル増加に大きく寄与したのが女子大生の存在
である。1970 年代には全大学生のうち、女子の占める割合が 20%を超え、女子大生が一
般的に見られるようになった(表2参照)。
そして、「エースをねらえ!」の大ヒットもあって、当時、女子大生にもっとも人気の
あったスポーツはテニスだった。1980 年の慶應大学では「全女子学生の 2 人に1人はラケ
ットを握っているということになる」割合の女子大生がテニスサークルに参加し、同様に
1988 年のお茶の水女子大の例では、1∼3年生全体のうち、3分の1以上の学生がテニス
サークルへと参加していた。
女子大生の増加によって、さらに、その女子大生にテニスが人気だったこともあって、
男女の交流を目的とするテニスサークルが増加した。
表2 女子学生数とその割合
50.0
40.0
30.0
20.0
10.0
0.0
120
100
80
60
40
20
−
1955
65
75
85
女子学生数(単位万人)
※文部科学省の学校基本調査をもとに作成.
- 26 -
95
2005
女子の占める割合(%)
3.テニスサークル文化
ニュースポーツとは、「社会的におこっている新しいスポーツ性向であり、従来のスポ
ーツ(活動)のあり方を問い直し、その社会・地域になかった新しい種目や新しい楽しみ
方を追求し、必ずしも速さ、強さだけを求めるのではなく、自分や仲間の生活スタイルに
マッチした、自己変革を豊かにさせるような形態的・機能的・理念(価値)的運動文化(ス
ポーツ)であり、その活動」(早川武彦『地球時代のスポーツと人間』
)であるという。
テニスサークル文化はまさに、ニュースポーツという、新しいスポーツの形のひとつと
いえるのではないだろうか。大学において、女子大生が増加したことによって、男女の交
流の場が求められることになった。この男女の交流とスポーツを楽しむということにおい
て、テニスサークルがもっとも適していたのだ。テニスサークルは、「競技」志向が強か
ったこれまでのテニス文化のあり方に対して、「遊び」という、もうひとつの大きなテニ
ス文化をつくりあげた。
テニスサークル文化は、若者たちが作り上げた、新しいスポーツの楽しみ方であり、ニ
ュースポーツの象徴である。
参考文献:
『厚生補導』第一法規出版 /文部省大学局学生課編、1979 年
『現代生活とスポーツ文化』金芳
保之・松本
芳明、大修館書店、1997
年
『テニス/復興から繁栄の軌跡』ベースボールマガジン社、1986 年
『キャンパスライフの今』武内
清編、玉川大学出版部、2003 年
『クラブ文化が人を育てる』荒井
貞光、大修館書店、2003 年
『現代史のなかの若者』中野
収、三省堂、1987 年
『戦後若者文化の光芒』岩間
夏樹、日本経済新聞社、1995 年
『エコノミスト』51 号、毎日新聞社、1973 年
『エコノミスト』58 号、毎日新聞社、1980 年
『月刊レジャー産業資料』綜合ユニコム、2000 年
文部科学省ホームページ http:www.mext.go.jp/
- 27 -
¾
メモ用紙
- 28 -
5−5. 第5発表者
菊田 公毅
¾ 紹介
<略歴>
1983年
兵庫県に生まれる
2001 年
愛媛県私立愛光高等学校卒業
2002 年
一橋大学商学部入学
卒業後はオリックスへ就職
<好きなスポーツ>
ゴルフ、野球、バスケットなど
球技ならなんでも
<ゼミでの思い出>
先生やOB方とゴルフする機会があったこと。
ゼミのOBの方と親睦を深めることができ、大変有意義だった。
OB会でも感じたが、卒業されてもゼミ内でのつながりが深いと思う。
<発表会への意気込み>
発表をきいてもらって、ゴルフというスポーツを少しでも身近なものに感じて
いただければうれしいです。
- 29 -
¾
配布資料
タイトル:現代のゴルフというスポーツにおける潜在性と発展性
∼卒業論文∼
1章
はじめに
2章
ゴルフ界の盛衰
3章
トーナメントにみる光と陰
4章
メーカーの弱肉強食
5章
ゴルフ界に潜む不安
6章
おわりに
∼本日の構成∼
1. 論文のテーマ
2. バブル期を経たゴルフ場
3. メーカーの青田刈り戦略
4. ゴルフ界は今
Ⅰ
スターへの過程
Ⅱ
ゲーム理論
Ⅲ
1.
☆
対策
論文のテーマ
光と陰
ゴルフ界を形成する光と陰
たとえば
・光→バブル期
陰→現代
・光→人気のゴルフ場
陰→客の少ないゴルフ場
・光→女子ゴルフ界
陰→男子ゴルフ界
・光→高収益メーカー
陰→低収益メーカー
・光→トッププロ
陰→それを目指す研修生
→光あれば陰は必ず存在する。
光のあたるところだけにスポットが当たりがちだが、陰で苦しんでいる人もいる。
その陰に光をあてるためにはどうすればよいか、を考える。
2
ゴルフ場はどうすれば?
∼ゴルフ場の問題点∼
- 30 -
最大の問題:高い値段
値段が安ければゴルフ場にくるビジターの数も増えるはずだが、現状では採算とれず
→無駄な費用の削減をすべき(キャディフィ、昼食代、設備費等)
高級な会員権を買った会員への遠慮
→改革に踏み出せないまま赤字解消できず・・・
→潰れてしまい、会員権は紙切れに
対策は?
3
メーカーの戦略
2005 年7月本間ゴルフが民事再生法を適用
・メーカーの2つの戦略
・それらの優劣
陰が光になっていくためには?
4
ゴルフ界の現況
∼問題点∼
男子プロ界
:
盛り上がりに欠ける
女子プロ界
:
大フィーバー
∼最大の相違点∼
・ スター不在
女子プロ界もうかうかはしてられない。
宮里藍選手は今年からアメリカツアーにいってしまい、次のスターを育てていかなければ
ならない。
では、なぜスターが不在?
1つは海外流出
5
プロを目指すには
・大学生からプロへ
- 31 -
部員は月 60∼80 万円の経費(年 720∼960 万円)
・大学にいかせず
経済的負担は 10 年間で 5000 万円から 8000 万円
※数字はデューク石川著『ゴルフの経済学』(生活人新書)を参照
→幼少の頃から手軽にゴルフをさせられない
6
メリット・デメリット
プロゴルフファーを目指すメリット とデメリットとは?
☆特に女性は
女性で20代から年収1千万円をこえる職業はなかなかない。
倍率(ゲーム理論の図を参照)が男性ほど厳しくない。
ただし
女性プロにも大きな問題が・・・。
7
結論
0.1
成功
←
させる
○
↓0.9
ピンチ
←
□
女
←
↓させない
男
○
→
□
させない↓
普通
0.02
させる
普通
→
○
→
成功
↓0.98
ピンチ
*ここでの成功とはプロになるための試験をうけ無事プロになるまでのことをいう
*表中の確率は 2005 年度のプロ試験の結果から割り出したものである
*□が意思決定、○は意思の介在無し
を表す
対策
ゴルフ協会が中心となって、上でのべてきたメーカー・ゴルフ場などすべての分野が協力
する必要がある。
- 32 -
¾
メモ用紙
- 33 -
5−6.
第6発表者
安藤
正
〔略歴〕
1983 年
2002 年
2002 年
東京に生まれる
海城高校卒業
一橋大学商学部入学
卒業後は東京ガスへ就職
〈好きなスポーツ〉
バレーボール、サッカー
〈ゼミでの思い出〉
合同ゼミ合宿で、福島と京都に行ったこと。他の大学の人と交流が持てて楽し
かった。
〈発表会への意気込み〉
早川ゼミ最後の卒論発表会なので、精一杯頑張ります。
- 34 -
¾
配布資料
☆
発表の趣旨
日本のバレーボールをより良くするための方策の一つとして、プロ化も踏まえた、Vリ
ーグ発展のための考察問題
Vリーグは観客数の減少やテレビ中継頻度などを見ると、盛り上がりに欠けている問い
なぜVリーグは盛り上がらないのか?
¾
結論
協会、Vリーグ機構に問題がある。早急にプロ化を含めた改革が必要である
【Vリーグ概要】
1994 年に誕生。
「リーグの設立は日本リーグの発展的解消だと受け止めていただきたい
と思います。Vリーグと日本リーグの違いはまず意識です。プレーヤーも運営者も意識革
命が不可欠です。Vリーグではサービスをしっかりと打ち出していきます。サービスこそ
プロの生命だと言うことを自覚して、ファンやメディアに積極的に対応し、要望にお答え
していきます。技術の向上に努め、エキサイティングなゲームを提供するといった大きな
サービスから、会場のアナウンスにも細心の配慮が行き届くと言ったきめ細かいサービス
まで、徹底してサービス精神を貫きたいと考えています。
」
(松平康隆会長(当時・現名誉
会長)のコメント。Vリーグ公
HPhttp://www.vleague.net/aboutv/column/history/07-02.html より引用)という趣旨で
開幕。現在第12回大会開催中。
現在、男子は8チーム
東レ・アローズ、NEC・ブルーロケッツ、JT・サンダーズ、松下電器・パナソニック
パンサーズ、サントリー・サンバーズ、堺ブレイザーズ、豊田合成・トレフェルサ、旭化
成・スパーキッズ
女子10チーム
NEC・レッドロケッツ、パイオニア・レッドウィングス、デンソー・エアリービーズ、
JT・マーヴェラス、シーガルズ、久光製薬・スプリングス、武富士・バンブー、東レ・
アローズ 、日立佐和・リヴァーレ 、茂原アルカス
で行われており、堺ブレイザーズとシーガルズはクラブチーム。
Vリーグ後もチームの廃部などは止まらず、女子はVリーグ発足の時の 8 チームのうち、
現在も同じチームはNECとデンソーだけである。昨年には茂原アルカスの廃部が決定。
以下は統廃合などを示した図である。
企業チームの休部・廃部・統合・移籍の状況
- 35 -
男子
年次
女子
チーム名
備考
チーム名
1978
備考
ヤシカ
1982 住友軽金属
1989 神戸製鋼
1991
クラボウ
1992
カネボウ
1994 日本鋼管(NKK)
1995
1997
富士フイルム
NECホームエレクトロ
ニクス
日新製鋼
1998 住友金属
ダイエー
オレンジアタッカーズに
引継ぎ
象印
1999
東芝
シーガルズに引継ぎ
小田急
NEC関西
2000 新日本製鐵
堺にチーム名
変更
ユニチカ
オレンジアタッカ
ーズ
2001
東レに引継ぎ
久光製薬SAに引継ぎ
日立
イトーヨーカドー 武富士に引継ぎ
久光製薬アタッカ
ーズ
2002 富士フイルム
久光製薬に吸収
東洋紡
NTT西日本
日立国分
(Vリーグ公式HPhttp://www.vleague.net/aboutv/column/history/07-03.html より引
用)
- 36 -
1会場あたり平均観客数の推移
(Vリーグ公式HPhttp://www.vleague.net/aboutv/column/history/07-05.html より引
用)
昨シーズンの平均観客数は、男子2429人、女子2565人であった。
- 37 -
Vリーグ収支
Vリーグ特別会計・収支計算書
(平成16年4月1日から平成17年3月31日まで)
(収入の部)
科 目
予算額
チーム参加料収入
54,000,000
開催地分担金受入収入
171,500,000
直轄大会入場料収入
230,700,000
テレビ放映料収入
13,900,000
協賛金収入
78,000,000
有償プログラム売上収入
23,800,000
競技強化支援事業助成金(男子)
9,000,000
競技強化支援事業助成金(女子)
9,000,000
雑収入
5,100,000
当期収入合計 (A)
595,000,000
前期繰越収支差額
0
収入合計 (B)
595,000,000
決算額
54,000,000
163,780,000
251,237,900
15,912,000
96,159,000
22,046,600
9,000,000
9,000,000
6,108,281
627,243,781
0
627,243,781
科 目
競技会開催事業費
会場費
食糧費
警備費
旅費交通費
チーム旅費交通費
役員旅費交通費
通信運搬費
消耗品費
印刷製本費
賃借料
用具費
支払手数料
入場券販売手数料
協賛社対応手数料
諸謝金
表彰費
賞金
広告宣伝費
協賛看板製作運搬費
開催地放映交付金
保険料
委託費
交際費
雑費
競技強化支援事業費(男子)
諸謝金
旅費
借料及び損料
消耗品費
通信運搬費
会議費
交際費
競技強化支援事業費(女子)
諸謝金
旅費
借料及び損料
会議費
交際費
事業費
人件費
福利厚生費
臨時雇用費
会議費
旅費交通費
通信運搬費
消耗什器備品費
消耗品費
新聞図書費
印刷製本費
光熱水料費
賃借料
諸謝金
交際費
撤去費
雑費
(小 計)
繰入金支出(一般会計)
当期支出合計 (C)
当期収支差額 (A)‐(C)
次期繰越収支差額 (B)-(C)
(支出の部)
予算額
364,900,000
65,800,000
2,500,000
24,400,000
110,300,000
90,200,000
20,100,000
2,500,000
1,000,000
24,300,000
300,000
400,000
18,500,000
12,400,000
6,100,000
300,000
900,000
40,000,000
5,000,000
57,000,000
3,000,000
2,000,000
5,600,000
800,000
300,000
13,800,000
(財団法人日本バレーボール協会公式HPhttp://www.jva.or.jp/jva/2005/balance/06.html より引用)
- 38 -
12,900,000
45,200,000
14,400,000
1,000,000
4,800,000
500,000
3,500,000
2,500,000
300,000
2,500,000
100,000
1,200,000
500,000
8,500,000
0
1,700,000
3,000,000
700,000
-436,800,000
158,200,000
595,000,000
0
0
決算額
440,208,939
94,343,684
2,834,794
24,510,973
146,530,624
121,139,460
25,391,164
1,512,491
360,801
23,917,085
630,740
502,215
25,018,589
16,219,589
8,799,000
383,898
1,045,800
40,000,000
6,002,700
59,559,054
4,488,160
1,661,500
5,603,425
773,645
528,761
10,641,539
6,078,332
4,001,173
288,850
3,650
640
181,111
87,783
10,676,679
5,494,444
3,529,501
1,208,519
167,347
276,868
42,485,858
18,405,292
1,123,494
4,248,650
855,050
4,623,595
1,363,337
34,965
455,795
53,760
618,546
449,436
8,269,127
435,965
1,093,126
0
455,720
-504,013,015
123,230,766
627,243,781
0
0
¾
メモ用紙
- 39 -
5−7.第7発表者
真木信人
¾ 紹介
<略歴>
1982年
愛知県岡崎市に生まれる
2001年
県立岡崎高等学校卒業
2002年
一橋大学商学部入学
卒業後は株式会社豊田自動織機へ就
職
<好きなスポーツ>
観るのは野球(主に中日ドラゴンズ)とサッカー(主に名古屋グランパス)。
するのはバスケットボール。
<ゼミでの思い出>
ゼミでの思い出は去年の夏に沖縄・宮古島へ行ったことなどいくつもありま
すが、なかなか卒論でやることが決まらなくて、自分がつらかったのはもちろ
んですが、先生やゼミテンに多大な迷惑を掛けて申し訳ないなと思ったことが
なぜか強く記憶に残っています。
<発表会への意気込み>
4 年間、何をがんばってきたと言えることはそれほど多くない僕ですが、だ
からこそ卒業論文とこの卒論発表会には大学生活の総決算として全力を尽く
したいと思っています。
- 40 -
¾
配布資料
「スポーツ・チーム経営とIT産業」
1.はじめに―問題の所在―
177 チーム。バブル崩壊以降 2000 年 8 月の時点までに撤退したトップレベルの企業
チーム数であり、そのうち 78%1 が景気の悪化に伴う経済的な理由とされている。しかも、
撤退したチームのうち 58%1 が、景気が回復しても再開を「考えていない」と否定的であ
る。その理由は企業スポーツのメリットとして考えられてきた宣伝効果などが失われてき
たと言われているが、プロ野球界にもそれが近鉄バファローズとオリックスブルーウェー
ブの合併という形で現れてきたのである。
一方、2005 年を騒がせたライブドアとフジテレビの、楽天と TBS の騒動は一般には「ネ
ットと放送の融合」の試みだと言われている。では「ネットと放送の融合」とはどういう
ことなのだろうか。
去年の日経ビジネス 11 月 14 日号での楽天・三木谷社長のインタビューから抜粋してみ
(中略)これからネットで流すと
てみると「TBS に見出したのも番組制作能力です。
いう意味では非常に魅力的な会社です。」 と述べており、TBS の番組=コンテンツを楽
天がネットで流すという意味のようである。話をプロ野球に戻すと、プロ野球も一つの「コ
ンテンツ」ということが言える以上、プロ野球参入も一連の「ネットと放送の融合」の試
みの流れの一環としてあると言えそうだ。
ではそれがプロ野球を含むスポーツにとってどのような未来をもたらすのだろうか。
2.発表の趣旨
本発表では、IT企業の目指す世界と、「コンテンツ」としてのスポーツが持つ特徴と
の交差点に現れるであろう近未来のスポーツ・チーム経営の形を提示することを目的とし
て行う。
3.IT企業の目指す世界とは?
IT 企業の目指す方向性を知るためにプロ野球との関係から楽天とソフトバンクを取り
上げ、その首脳陣はどういう方向を向いているのかを明らかする。
まずはソフトバンク・孫正義社長の「われわれはいわゆるトリプルプレー(電話、イ
ンターネット、放送)といった複合サービスを提供していく。最後はやはりコンテンツ
であり、サービス。それをトータルでどう提供していくかが価値の差になると思う」
(『週刊東洋経済』2005.4.30-5.7 号) という発言と、ヤフー・井上雅博社長の「
(インタ
ーネットとテレビは)そもそも融合するとは思わない。ネット、テレビ、新聞、それ
ぞれの媒体の立ち位置がある。」
「テレビ局の 1 社と親密になると、他社と仲良くでき
なくなってしまう。ただ、テレビ局の動画コンテンツ制作能力は圧倒的で、何らかの
連携は必要だ」 (『朝日新聞』2005 年 11 月 10 日)という発言を総合して考えると、電
話、インターネット、放送といったインフラ上に、ソフトバンクグループが各社と連携し
- 41 -
て集めたコンテンツをどんどん流す、といった未来像が想像できそうだ。
続いて、楽天の三木谷社長の発言をピックアップしていく。1 章で引用したものをもう
一度、今度は全文を引用すると「TBSに見いだしたのも番組制作能力です。過去の映
像ライブラリーは極端な話をすればお金を出せば買えますが、何千億円もお金を出す
意味はあまりない。しかしながら言うは易しで、テレビ局の持っているような番組を
自分たちで作りなさいとなると、これは相当時間がかかる話でなかなか難しい。これ
からネットで流すという意味では非常に魅力的な会社です。 」と発言していて、やり
たいことは一緒でもその手段については TBS の事例からも分かるように考えが別れるよ
うだ。
連携と囲い込みどちらがより有望なのかを知るため、世界における先行事例として AOL
タイム・ワーナーを挙げ判断の手助けとする。2001 年にインターネット接続業者 AOL と
メディア複合企業タイム・ワーナーの合併時にはネットとメディアの融合が叫ばれたが、
結局失敗に終わっている。
その原因としては、企業風土の違いを埋めることができなかった等いくつも挙げられる
が、ここで特に重要だと思う原因は合併したことでワーナーの抱えるコンテンツは AOL
でしか流せなくなったためワーナーの潜在的な顧客が限定されたため失敗したというも
のである。というのも、この AOL タイム・ワーナーの失敗以降、コンテンツ制作という
上流と消費者に届ける下流を垂直統合するという事例は減少し、代わって同業他社との合
併統合というようにトレンドが変わって来ているようだからだ。つまり、IT 企業はより集
客力のあるポータルサイト構築を目指し、コンテンツホルダーはコンテンツの質を高める
ことに力を注ぐというように。
そして、改めて日本の事例に目を向けると楽天の手段は TBS の件を見る限りは垂直統
合型であり、ソフトバンクの手段は水平統合型であると言えそうだ。もちろん、世界で上
手くいっているからといって、日本でも同じように上手くいくとは限らないが、現在の水
平統合すなわちコンテンツは幅広く連携して集めるというトレンドは AOL タイム・ワー
ナー等の失敗を踏まえて出来上がってきたものであり、それなりに妥当性はあるように考
えられる。
4.「コンテンツ」としてのスポーツ
2005 年度実績
初年度収支計画
損益
入場料収入
23.5 億円
21 億円
2.5 億円
広告収入
22.5 億円
18 億円
4.5 億円
7.5 億円
11.5 億円
▼4 億円
11 億円
3.8 億円
7.2 億円
テレビ放映権
料
グッズ等収入
ファンクラブ
収入
2.5 億円
2.5 億円
- 42 -
スタジアム収
入
6 億円
6 億円
この表 2 は 2005 年度シーズン
を戦い終えた楽天イーグルス
の年間の収入実績と初年度収
支計画の数値を比較したものだ。ほとんどの数値が計画を上回っているのだが、唯一計画
を下回っているのがテレビ放映権料の数値である。地上波テレビの放映権料はある程度相
場が決まっているものであるにも関わらず、誤差が出た理由はそれ以外の部分、ネット配
信が上手くいかなかったからではないか。それでは参入 1 年目の楽天のネット配信とはど
のようなものだったのだろうか。ソフトバンクの場合と併せて分析していく。
○楽天イーグルスの場合
・スーパーインターネットクラブ
→主催全 68 試合をライブ中継。本拠地フルキャストスタジアム宮城の試合は4ヶ
所に設置
されたカメラを自由に切り替え可。価格は 10 万円(!)で 500 組人限定
・楽天イーグルス.TV
→主催全 68 試合を試合後にオンデマンド配信。月額 840 円
○ソフトバンク・ホークスの場合
・Baseball Broadband TV(ヤフーBB 会員向け)
→CS放送の映像および、30 台カメラを自由に切り替えられるライブ映像の配信。
無料。
・Baseball Broadband TV(一般インターネットユーザー向け)
→CS放送のライブ映像をネットで配信。無料。
こうしたサービスの差が生じるにはいくつか理由があるだろうが、私は経験の差とビジ
ネスの方針の差を挙げたい。まず前者は、楽天がショウタイムというオンデマンド配信の
サービスを運営しているとはいえ、同時に数万人がアクセスする状況には不慣れであった
のに対して、ソフトバンクは 2001 年からヤフー上で西武ライオンズの試合をライブ中継
してきたという経験があるからだ。この経験の重要さについては配信を担当したヤフーの
川瀬達也氏が「サーバーをいくら増やしても足りないといういたちごっこの経験から得た
ノウハウは大きい。」 (『AURA』2001 年 10 月 26 日)と述べていることからもわかる。
後者については、楽天の場合は、採算考えた結果として 10 万円が出てきたと考えられる
が、一方でソフトバンクについては、ADSL のときのようにまずユーザーを確保するとい
う戦略をとった結果無料となったと考えられる。
このライブ中継の重要さと、それに伴う配信側の重い負担は「コンテンツ」としてのス
ポーツの特徴の一つといえるだろう。
また、この場合におけるコンテンツホルダーであるプロ野球チームについて考えたとき、
楽天はともかく、幅広く連携する方針をとっているソフトバンクにとって、ホークスとい
う存在はその方針に矛盾した存在ではないのかという疑問が生まれてくる。これは、プロ
- 43 -
野球、あるいはスポーツといったコンテンツが他の囲い込むべきでないコンテンツとは違
っているからなのだろうか。
プロ野球の場合、多くの人はある特定の 1 チーム、あるいは少数のチームを応援してい
る。ところが、例えばテレビ番組の場合、このテレビ局だから見るというよりもこの番組
が面白いから見るという視聴者の方が、一般的だと思われる。このような、特定のコンテ
ンツホルダーに対する強い忠誠心、これも「コンテンツ」としてのスポーツの特徴の一つ
と言えそうだ。
以上をまとめると、
①ライブで配信することの意味がとても大きいこと。
②コンテンツのユーザーの忠誠心が高いこと
の 2 点が「コンテンツ」としてのスポーツの特徴と言えそうだ。
5.結論―未来のスポーツ・チーム経営の形―
ここで、別のコンテンツとして音楽の例を出す。音楽コンテンツは多くのレコード会社
と提携した iTunes が一人勝ちに近い状況になっている。これと同じようなこと、つまり
ある一つの動画配信サービスにおいて 12 球団すべての試合を見られるといったことは実
現可能だろうか。こういった考え方は、『エコノミスト』04年11月30日号で広瀬一
郎氏が述べている、スポーツビジネスにおいては「ゲームにおける競合者」とは、生産に
おける協働関係を結んでいる「事業パートナー」であるという考え方にも合致するし、実
際にテレビでの中継においてはJリーグやアメリカの4大スポーツなどでも実施されて
いて、そのやり方は大まかにはリーグの統括団体が放映権を一括して管理し、そこから得
られる収入は各チームに均等に分けるといったものであるようだ。
- 44 -
¾
メモ用紙
- 45 -
5−8.第8発表者
小林乙彦
¾ 紹介
<略歴>
1983年
東京都北区に生まれる
2001年
都立小石川高等学校卒業
2002年
一橋大学商学部入学
卒業後はセブン・イレブン・ジャパンへ就職
<好きなスポーツ>
野球
サッカー
テニス
オーストラリアン・ルールズ・フットボール
<ゼミでの思い出>
毎週のゼミでこのメンバーで様々なことを学習できたことに満足していま
す。バタイユなど・・・。日々勉強です。
それ以外の特別なイベントで言えば、BBQ や新年会などでいただく岡本先
生の奥様のお料理はいつもとてもおいしかったです。
<発表会への意気込み>
私の卒業論文は、娯楽性を肯定する立場から、批評性が弱まることで娯楽性が増長した
という意見に反論しています。ですが、だからといって批評を否定するわけではなく、批
評と娯楽は両立すると考え、娯楽性を高めるためにも批評が大切であるという立場を取っ
ています。また、批評が必要なのはスポーツや娯楽などに限らないのはもちろんです。そ
こで、私の卒業論文にもぜひ皆様の批評を期待したいと思います。よろしくお願いします。
- 46 -
¾
配布資料
スポーツの芸能化、アスリートの芸能人化
1.スポーツの芸能化、アスリートの芸能人化とは
近年スポーツがテレビなどのメディアの中でバラエティ番組の1つとして扱われる機
会が増えている。例えば、「プロ野球珍プレー・好プレー」は珍プレーがより強調される
ようになり、
「ジャンク SPORTS」のようなアスリートのトーク番組も生まれた。あるい
は「ZONE」のようなドキュメンタリーもあった。逆にテレビタレントがスポーツ中継に
登場することも珍しくなくなってきた。デーモン小暮をゲスト解説に呼んだ「大相撲中継」
がその例だ。さらにモーグルの上村愛子やゴルフの宮里藍など企業 CM にアスリートが登
場することも多い。
このようにスポーツがメディアの中で数ある娯楽の1つとして語られ、両者が接近する
ことで境界が曖昧になる現状をスポーツの芸能化といい、こうした番組や CM にアスリー
トの側も自ら積極的に出演しようとすることをアスリートの芸能人化という。
中村はこのような現状をスポーツが笑いの対象になったと言い、「笑いをとるためにス
ポーツを材料としていることによって、スポーツによる人間形成への期待や信頼を稀薄化
し、教育機能を低下させ、さらに世界の人々が共通に認めている価値認識も貶めている」
と批判する(中村敏雄「商品化から芸能化へ」
『現代スポーツ評論6』創文企画)
。この背
景には笑いは失敗による個人の価値の低下を求めるものだという梅原の論がある。
しかし、笑いはそれだけのものではない。永井は笑いは現実が予想以上であれ、以下で
あれ予想外のときに起こるもので、予想が外れた不快を快に変えるものだという。永井は
この心の浄化作用をアリストテレスの言葉からカタルシスと名づける(永井俊哉「人はな
ぜ笑うのか」永井俊哉ドットコム論文編)。
さらにエリアスは「比較的、普遍で、規則正しく、節度のある自制がゆきわたり、強い
昇華的要求を備えている社会の場合、普通人間社会自体が生み出す抑圧の緊張に対抗する
機能をもつかなり多様な余暇活動が観察され、そのうちのひとつがスポーツなのである」
という。そしてこうした余暇活動は興奮の追及のためのものとして映画、絵画、ダンス、
フットボールなどを例に挙げる(N.エリアス『スポーツと文明化
興奮の探求』)
。カタル
シスはこの興奮の追及と同様のものであり、したがってスポーツとは本来的に、笑いを含
むカタルシスを求めるもので、その点でもともと芸能の1つであった。つまり芸能とはエ
リアスのいう余暇活動に相当するものである。
とすればこうした芸能への接近を批判するのは、スポーツを芸能の中で特別視し他を下
に見るという点で差別的ではないか。私はこのような余暇活動への帰還ともいうべきスポ
ーツの芸能化を肯定し、スポーツがそれを競技やプレーとして捉えるファンにも、ファッ
ションやドラマとして捉えるなど、時にミーハーといわれるようなファンにも、一緒に楽
しめるものとして発展していくことを期待する。
- 47 -
2.スポーツの芸能化とメディア
スポーツの芸能化は CM 利用にも見られるように、1970 年代以降の商業主義化の延長
として現われてくるのだが、それを助長し、スポーツの社会的価値の低下に一役買ったも
のとして、メディアを批判する者もいる。大野は「スポーツを、エンターテインメントと
してとらえることばかりに、日本のスポーツメディアは動いている。反面、ジャーナリズ
ムとしての批評精神を失ってきた」といい、「娯楽性ばかりを求めて、批評性が薄れた」
という(大野晃『現代スポーツ批判』)
。しかし、ここで本当に批評性と娯楽性は両立しな
いのか、そもそも一方が強まれば他方は弱まるというような相関があるのか、という疑問
が湧いてくる。
批評とは、物事の是非、善悪、正邪などを指摘して、自分の評価を述べることであるが、
その目的は物事を改善することである。つまり批評は「肯定」のための「否定」であり、
物事がより「肯定」されるものになることに貢献するためのものである。そして、批評を
行うために大切なことは社会のため、人々のためということだ。玉木は「世の中が良くな
るためにジャーナリズムは存在しているのであって、批評や批判をするのも、社会が豊か
になり、みんなが幸せになるためです。この基準を忘れると、批判のための批判、批評の
ための批評に陥ります」という(玉木正之『スポーツジャーナリズムを語る』)
。批評によ
って得られた改善点を「肯定」するかは人々が決めるということであり、スポーツ批評に
おいてはこの人々とはスポーツファンということになる。
こうした批評ができない原因として、メディアがスポーツの主催者になっていることが
挙げられる。メディアがスポーツを主催することを玉木は「啓蒙というジャーナリズムの
行為のもっとも安易な方法」と評し、その結果生まれた負の要素として「批評や批判とい
うもうひとつのジャーナリズムの役割ができなくなった」ことを挙げている(玉木正之『ス
ポーツジャーナリズムを語る』)。しかし、本当に主催者には批評はできないのだろうか。
主催者は自ら主催するイベントをよりよいものに改善する努力をしなければならない。
よりよいものとは言い換えればより「肯定」されるものということだ。そして批評はそれ
に貢献するものであり、メディアは批評をするものである。とすれば、主催者であるメデ
ィアは自己批評を通して自分のイベントを改善すべきだ。メディアが主催者だから批評が
できないというが、メディアが主催者だからこそ批評をしなければならない。
3.事例を批評
批評によりスポーツイベントはより「肯定」されるものへと改善されると述べてきた。
ここでは 2 つのスポーツイベントを取り上げて実際に批評を試みる。
まずは FIVB グランド・チャンピオンズ・カップ 2005 だ。これはジャニーズ事務所の
アイドルグループ、KAT-TUN が応援プロデューサーとしてこの大会を盛り上げていた。
- 48 -
今回はこの女子大会2日目を観てきた。
会場に到着した頃にはポーランド対ブラジルの試合が行われていた。しかし、会場内の
展示スペース、グラチャン館は試合中から混雑していた。ここには KAT-TUN が命名した
という選手のキャッチコピーなどが展示されていた。また、日本戦前のオープニングイベ
ントでは、中学生ブラスバンドによる演奏があったが、曲はバレーボールアニメのテーマ
曲と、もう1つはバレーボールとは関係ない KAT-TUN が出演したドラマの主題歌であっ
た。さらに KAT-TUN が登場したが、6人のメンバーのうち2人しかいない。
こうした演出はジャニーズのコンサートでもできることであり、バレーボールである必
要は必ずしもない。演出がバレーボールを見せる方向に働いておらず、バレーボールとシ
ョーを同時開催することはできてもバレーボールをショー化することにはならない。両者
が真に融合するためにはタレントがバレーボールを見たことのない人たちのガイド役に
なることが求められるが、KAT-TUN はそれを果たしているとはいえないだろう。これで
はバレーボールをみたいファンから「ジャニーズは何をしに来ているんだ」という批判が
出るのも当然であり、バレーファンとジャニーズファンが混在しながらも一緒に楽しめな
いままになってしまう。
次は、マリア・シャラポワ・ジャパンツアー2005 だ。シャラポワはテニスのトッププ
レーヤーであると同時にファッションのデザインなどにも興味を持ち、そうした面からも
注目されるが、このイベントもシャラポワによるデザインのバッグとアクセサリーのファ
ッションショーから「ジャンク SPORTS」の公開収録も兼ねた他の競技の選手達とのエ
キシビションマッチ、杉山愛との真剣勝負のエキシビションマッチを含むものだった。
最初のファッションショーと公開収録までは会場もリラックスした雰囲気で進み、普段
テニスを見ない人たちも楽しみやすいものだったが、最後の杉山とのエキシビションにな
ると会場の空気が変わる。司会もフラッシュ撮影を禁止するなど真剣勝負を煽り、観客も
無言のままポイントが入ると拍手だけが起こるというテニス独特の雰囲気だ。こうした雰
囲気は普段テニスを観ずにファッションリーダーや CM タレントとしてのシャラポワが
好きで来場した人たちには窮屈だったかもしれない。こうした人たちに世界最高峰のプレ
ーを見せてあげることも大切だが、こうしたイベントだからこそそれぞれ思い思いに楽し
む見方を提示することもできたのではないか。
これら 2 つから考えると、現在見られる芸能化したスポーツイベントは、プレーの部分
と演出の部分でバランスを欠いているようだ。例えばグラチャンは演出に傾きすぎており、
シャラポワ・ツアーは真剣なプレーの部分が強調されてしまっている。しかし、批評はそ
の不具合を指摘し、改善を促すことができる。主催者であるメディアにはこうした批評に
よりイベントをより「肯定」されるものに改善していってもらうことを期待したい。
- 49 -
4.自己批評
メディアは自分のイベントについて自己批評すべきだと述べた手前、自分の卒論につい
ても自己批評すべきであろう。
まず笑いとカタルシス、興奮の追及について、ここはもともとバタイユの至高性という
論を用いて説明できるのではないかと考えていた部分であった。しかし、これは彼が至高
なものと対置して有用なものと呼ぶ経済活動一般や商業的利用を否定するものであり、さ
らに至高性の極端な現われである蕩尽という概念において、資本主義経済の発展した現代
においては現実と折り合いをつけることができず、その点を乗り越えられなかった。
また、メディアについて、新聞やテレビなど特徴の異なるものを一括りにメディアとし
ていることに問題がある。その特徴の中には批評がしやすいもの、娯楽を強調しやすいも
のなどあるだろうが、そうした点を明らかにできれば、メディアの中の役割分担なども提
言できたのではないか。
さらに事例の取材に対する準備として、見に行った時点では何を書くかはっきりしてお
らず、見えたものから書くという形式になってしまった。先に何を書くかをはっきりさせ
てから見れば、もっと他に見えたこともあったのではないか。
- 50 -
¾
メモ用紙
- 51 -
5−9. 第9発表者
山本 康平
<略歴>
□昭和 57 6月5日 生誕
8 歳から地元の野球チームに入る。監督が実
家の隣の新聞配達店主だったので、かわいがら
れる。
□平成7年 横浜市立東永谷中学校入学
野球部は 3 年間で公式戦 1 勝。現在中日で活
躍する石井投手と対戦しノーヒットノーラン
をやられる。
□ 平成 10 年 神奈川県立緑ヶ丘高校入学
友達に誘われ硬式テニスを始めるも、一向に
うまくならず。試合は唯一引退試合に出場。ス
トレート負け。
□平成 13 年 一橋大学商学部入学
ラクロス部に入部。本当に楽しかった。これ
からも現役生を応援していくのが楽しみ。
<好きなスポーツ>
ラクロス、サッカー、野球、フィギュアスケート
<ゼミでの思い出>
3年生のときゼミ生が二人だった。毎回先生と3人で濃いゼミができたのはい
い思い出。
今年は参加できなかったが、去年の新年会で先生の奥様が特性パエリアを差し
入れしてくれた。ものすごくおいしかった。
<発表会への意気込み>
問題設定から結論まで自分でやりぬくことの大変さを初めて味わった。この場
が与えられていなかったら、たぶん相当手を抜いてしまったのではないかと思
う。本当に感謝します。
- 52 -
¾
配布資料
「スポーツ・ジャーナリズム
−新聞はスポーツの
遊び
を伝えているか−」
1.緒言
私は部活動(ラクロス)をやっていたときにメンタル的な部分を養うために、メディア
上で語られているトップ・アスリートの言説や彼らの哲学、物の考え方を追い、それを学
ぼうと努めた。そこで語られていた事柄は、
「勝つことが全て」
「点にこだわる」など競争
意識のかなり強い内容だったと感じた。当時は、それが一番大切な価値観だと考え、何も
疑問をもたずに受け入れていた。しかし今振り返ってみて、スポーツをする上で一番大切
なことは果たして「試合(競争)に勝つこと」なのだろうか。その価値観を持つことで、
スポーツを楽しめるのだろうか、という疑問が湧いている。現役時代は、確かにすべての
行動は試合に勝つためのものであった。そのような経験から得たものの大きさも認識して
いる。ただ「勝利」にこだわりすぎるあまり、ラクロスそれ自体の面白さを見失う経験を
何度もしていたように思う。そして、メディアがスポーツを語る上で「勝利」を重視しす
ぎる報道をしていたら、視聴者や読者は「勝利」があたかも絶対的な価値観であるような
錯覚に陥ってします可能性があると思う。それではメディアはスポーツの面白さを伝えて
いることにはならないのではないか。それが本論の問題関心のきっかけである。
2.本論のテーマ及び目的
本論の目的は、昨今にみられるスポーツ・ジャーナリズムへの批判(商業主義、スター
選手への過度な報道、サッカーなどの特定競技の集中的報道など)を念頭に置き、スポー
ツ・ジャーナリズムが何を伝えるべきなのかを考察することにある。付言しておくべきな
のは、スポーツ・ジャーナリズム全体の理想的な方向付けを示したり、その報道姿勢を正
そうとしたりという遠大な論文ではないということだ。もっと局地的なものであり、「緒
言」でも述べたとおり、競技スポーツをメディアが報じるにあたって、その本質的な部分
である「勝ち負け」をどのような形で報道しているのかを探ることが目的である。
ジャーナリズムにしろ、スポーツにしろ、その言葉の意味や本質的な目的などは、かな
り深く、それ自体を研究対象にしてもなかなか明らかに出来ないようなものである。その
ため、本論においてはジャーナリズムの定義や、スポーツの本質的な意義などをかなり狭
く捉えた上で議論していることをご了解いただきたい。
以上のような認識に立ち本論のテーマを以下の3つに定める。
① はたして新聞記事には、
「勝利」を重視した記事がどの程度見られるのかを調べる。
② 上記にてスポーツの
面白さ
という言葉を使ったが、それはいったい何なのかを考
察する。
③ 2で考察した
面白さ
が新聞記事に見られるのかを調べる。
- 53 -
①および③では新聞記事の分析をする。それにあたって材料として第82回箱根駅伝の
記事(読売新聞 2006 年 1 月3,4日)を使用することにした。
3.新聞記事に「勝利第一」主義が見られるか。
この分析に関しては「勝利」した大学や個人にスポットをあてた記事がどの程度の割合
(全体に対して)見られるのかを計算することで、新聞が「勝利」を重視しているかどう
かを判断することにした。
<分析方法>
第 82 回箱根駅伝の記事は、1 月3日の新聞のスポーツ欄2ページ(20,21 面)、1 月 4
日の 1 面の一部、2 面の一部、社会欄(31)面の一部、及びスポーツ欄の 2 ページ(16,17
面)に掲載。記事の見出しの数は全部で 24 本あった。
記事は大まかに大学自体にスポットを当てた記事と、個人にスポットをあてた記事の二
つに大別される。大学にスポットを当てた記事数は全部で 17 本、個人にスポットを当て
た記事数は全部で7本(合計 24 本)である。
そこで、大学にスポットを当てた記事のうち、往・復・総合優勝、シード権争いに関す
る記事が 17 本のうちどれだけの割合か、また個人にスポットを当てた記事のうち、区間
賞に関する記事が7本のうちどれだけの割合かを調べる。
<分析結果>
大学に関する記事全体のうち、往・復・総合優勝、シード権争いに関する記事の割合 61%
(小数点 1 位以下四捨五入)あった。また事前評価で「優勝候補」といわれている大学(駒
沢、日本、中央)が優勝争いにどう関ったかという記事を含めると割合は 78%に上がる。
一方個人に関する記事全体のうち、区間賞に関する記事の割合は 83%であった。
これらの計算は記事の見出し数ベースでの数値であるが、上記の記事はその他の記事に
比べて一つ一つの記事量が圧倒的に多い。そのため記事量ベースの数値はさらに高くなる。
<分析結果より>
たしかに割合として「勝利」にスポットをあてた記事は多い。新聞が「勝利」を重視し
た価値観で記事を書いていることが伺える。このことから「勝利」が一番大切な価値観で
あるととらえられてしまう可能性は大きいのではないか。
4.スポーツの
面白さ
とは何か
スポーツ・ジャーナリズムがスポーツの 面白さ を伝えるとして、それが何なのかを
一義的に規定することは不可能だ。スポーツを行う目的は千差万別であり、そこからどの
ような面白みを感じ取っているかは各々による。しかし、スポーツを行う目的がどうであ
れその根底にはホイジンガやカイヨワが言うところの 遊び の要素が欠かせないのでは
ないか(この
遊び”の要素の説明は末を参照)
。
- 54 -
永島(1974)は、スポーツを好意的に受け止め、自ら主体的にスポーツに関っていくた
めには 遊び の要素が不可欠だと言う。たしかに何かに強制されたりしたなかでやるス
ポーツなど面白くもなんともない。そこでカイヨワが分類した 遊び の要素、すなわち
アゴン、アレア、ミミクリ、イリンクスを 面白さ として念頭におき、その中で競技ス
ポーツの「勝利」と関連するところからアゴンを本論におけるスポーツの 面白さ と規
定する。ここで付言すべきはアゴンと「勝利」は必ずしも矛盾しないことだ。しかしアゴ
ンの喜びの源泉が純粋に自分の実力が他人より抜き出ていることから来る。決して、「勝
利」に対するモチベーションが大学の代表意識からのプレッシャーや、誰々のためといっ
たものではないことだ。つまり
5.新聞記事に
遊び
遊び
は完全な主体性が求められている。
の要素は見られるか
<分析方法>
アゴンは勝利に対する選手の態度がいかに語られているかが重要な要素となる。そこで
上記の分析と同じ手法で、大学関連の記事(17 本)から往・復・総合優勝の記事を、個人
関連の記事(7 本)から区間賞の記事をピックアップし、さらに選手の態度を探るためそ
れらの記事の 「」 の部分すなわち会話の部分を抜き出す。この手法で抜き出した会話の
部分からアゴンの要素が見られるかを分析する。すなわち、その勝利が「大学のため」
「た
すきをつなげたかった」「親のため」ではなく、純粋に自分の実力が認められたという言
説で語られているかどうかを調べる。
<分析結果>
アゴンの要素が認められたのは 1 月 3 日 21 面に掲載された村上選手(順大・4 区区間
賞)の「中国・昆明で 1 週間の緊急高地合宿を敢行し」を受けての「きつい練習が自信に
なった」ことによる区間賞獲得、という言説以外にはなかった。その他はステレオタイプ
な「たすきをつなげたくて・・・」などで語られたり、そもそもアゴンの要素として受け取
れるかどうか判断できない記事が大半であった。
<分析結果より>
新聞記事にはアゴンの要素が見られる記事は少なかった。それは「勝った」→「うれし
い」だけでは記事にならず、その前後をいろいろなドラマなどで肉付けしてこそ記事にあ
るという新聞の特徴が現れているからだと考えられる。
またアゴンの要素が記事に含まれているか判断しかねる記事が圧倒的だったように、そ
もそも記事というのは読者によって受け取り方が様々であることから、一概にその記事が
どのような言説で語られているかを規定できないという問題が浮かび上がった。
- 55 -
6.結論と課題
たしかに「勝利」を重視した記事が全体(箱根駅伝に関するもの)のうち割合がかなり
高いことは分かった。しかしそれがすなわち問題とはならず、スポーツ・ジャーナリズム
が伝えるべきと規定した 遊び の要素の一つであるアゴンは「勝利」と矛盾はしていな
い。しかし 遊び というのは純粋な主体性が必要であり、勝利に対する喜びはその主体
性を保持してこそアゴンであるわけだ。
それを踏まえたうえで、アゴンの要素が新聞記事に見られるかを調べたところ、そうし
た要素を含んだ記事はほとんど見受けられなかった。というより判断しかねる記事がかな
り多かった。
以上のことから、本論の問題点と今後の課題としては、まず一つに新聞記事の読み取り
は読者如何に関るので、自分が新聞記事を分析するだけでは結論を出すのに限界があるこ
とが分かった。そこで読者がどう読み取っているかなどの読者アンケートが不可欠である。
また、メディアというのは各々特性というものがあり、それを考慮すれば同じ箱根駅伝
を題材にするにしろ、多様なメディア(新聞、TV、ラジオなど)を幅広く分析する必要
があると感じた。
最後に、そもそも、表現の難しさを乗り越えてまでスポーツ・ジャーナリズムが 遊び
の要素の一つであるアゴンを伝える必要があるのかといった議論がかなり曖昧なまま議
論を進めたのが問題であった。
<参考資料>
カイヨワの分類した
遊び
の要素
アゴン:一定の分野(速さ、忍耐力、記憶力、技、器用さなど)の自分の、あるいは自分
たちの優秀性を人に認められたいという欲望にもとづく範疇。
アレア:意思を放棄し、運命に身を委ねることで幸運を得ようとする欲望にもとづく範疇。
ミミクリ:人格を一時的に忘れ、偽装し、捨て去り、別の人格をよそおい、あるいは他者
になることによって、解放の喜びを味わおうとする喜びにもとづく範疇。
イリンクス:一時的に近くの安定を破壊し、明晰であるはずの意識をいわば官能的なパニ
ック状態におとしいれようとする欲望にもとづく範疇。
<主要参考文献>
永島惇正、
「プレイ論による体育科学習指導論の試み−スポーツ学習指導を中心として−」
『体育とスポーツ集団の社会学』、体育社会学研究会、1974
そのほかの参考文献に関しては、当日の発表で報告する。
- 56 -
¾
メモ用紙
- 57 -
5−10.第10発表者
柿沼信行
¾ 紹介
<略歴>
1983年
埼玉県熊谷市に生まれる
2002年
埼玉県立熊谷高等学校卒業
2002年
一橋大学社会学部入学
卒業後はコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドへ就
職
<好きなスポーツ>
モトクロス、スノーボード
見るスポーツとしては、モータースポーツ全般、ラグビー
<ゼミでの思い出>
ゼミが始まって最初のイベントであったソフトボール大会
<発表会への意気込み>
早川ゼミで学んだ約 2 年間の集大成として、がんばります。
- 58 -
¾
配布資料
「問題」
・「石橋をたたいても渡らない」と揶揄されるほど保守的なイメージが強いトヨタが年間
数百億円を投資する必要があり、ギャンブルのように不確定要素の強い F1 に 2002 年か
ら参戦を始めたこと。
「問い」
・トヨタはモータースポーツにどういったビジネス的価値を見出しているのだろうか。
「結論」
・単に品質の良いプレミアムカーであるレクサスに「物語」を与えるためのF1参戦
・「物語」はお金という価値では換算できないので、年間数百億円を投資することもやむ
をえない
・ 自動車メーカーとしてブランドを名乗るのであれば、F1の参戦は最低条件→なぜな
らばF1は自動車最大の文化であり、F1に参戦することでその自動車文化の発展に
寄与したことになる
- 59 -
表1
日時
2005 年度 F1開催国とトヨタ車販売台数
開催国(初開催年)
サーキット
03 年 度 ト ヨ タ 03 年度
車販売台数
シェア
2005.03.06
オーストラリア( 85)
メルボルン
113621 台
12,5%
2005.03.20
マレーシア( 99)
セパン
39959 台
10,7%
2005.04.03
バーレーン( 04)
サヒール
8700 台
?%
2005.04.24
サンマリノ( 81)
イモラ
2005.05.08
スペイン( 51)
バルセロナ
43900 台
2,6%
2005.05.22
モナコ( 50)
モナコ
2005.05.29
ヨーロッパ( 50)
ニュルブルクリンク
2005.06.12
カナダ( 67)
モントリオール
165000 台
10,2%
2005.06.19
アメリカ( 59)
インディアナポリス
1866300 台
11,0%
2005.07.03
フランス( 50)
マクニール
73300 台
3,0%
2005.07.10
イギリス( 50)
シルバーストーン
133800 台
4,5%
2005.07.24
ドイツ( 51)
ホッケンハイム
106100 台
3,0%
2005.07.31
ハンガリー( 86)
ハンガロリンク
12100 台
5,8%
2005.08.21
トルコ( 05)
イスタンブール
16900 台
4,9%
2005.09.04
イタリア( 50)
モンツァ
125400 台
5,0%
2005.09.11
ベルギー( 50)
スパフランコルシャン
31800 台
6,1%
2005.09.25
ブラジル( 73)
サンパウロ
42700 台
3,0%
2005.10.09
日本( 87)
鈴鹿
2305635 台
44,4%
2005.10.16
中国( 04)
上海
163163 台
1,2%
(『トヨタの概況 2005』を基に柿沼が作成)
- 60 -
表2 ヨーロッパにおける日本自動車メーカー各社の販売台数(EU(15)+EFTA(3))
トヨタ
日
産
三
菱
マツダ
ホンダ
スズキ
その他
日本計
総需要
1999 年
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
2004 年
551,738
609,900
609,878
688,057
738,554
791,693
(3.2%)
(3.6%)
(3.6%)
(4.2%)
(4.5%)
(4.7%)
483,389
496,266
445,534
424,591
481,710
465,879
(2.8%)
(2.9%)
(2.6%)
(2.6%)
(3.0%)
(2.8%)
250,610
230,878
188,624
173,006
171,585
171,130
(1.5%)
(1.4%)
(1.1%)
(1.0%)
(1.1%)
(1.0%)
227,150
194,922
151,185
166,923
213,740
251,658
(1.3%)
(1.1%)
(0.9%)
(1.0%)
(1.3%)
(1.5%)
216,028
189,182
158,884
182,704
194,478
218,868
(1.3%)
(1.1%)
(0.9%)
(1.1%)
(1.2%)
(1.3%)
153,907
156,111
169,084
165,855
186,290
(0.9%)
(0.9%)
(1.0%)
(1.0%)
(1.1%)
292,474
94,773
72,347
67,249
74,147
83,309
(1.7%)
(0.6%)
(0.4%)
(0.4%)
(0.5%)
(0.5%)
2,021,389
1,969,828
1,782,563
1,871,614
2,040,069
2,168,827
(11.7%)
(11.5%)
(10.4%)
(11.3%)
(12.5%) (12.9%)
n.a.
17,265,782 17,059,403 17,069,718 16,556,100 16,320,011 16,807,582
(出典:自動車産業関連リンク集
http://www1.harenet.ne.jp/~noriaki/link82.html)
- 61 -
5−11.第11発表者
神山
敦吏
¾ 紹介
<略歴>
1982年
東京に生まれる
1994年
開成中学校入学
ハンドボールに出会う
2000年
開成高等学校卒業
同年
一橋大学商学部入学
卒業後はアサヒビールへ就職
<好きなスポーツ>
・ハンドボール:中学1年生から始め,昨年まで体育会ハンドボール部に所属
・サッカー,バスケット,アメフト:海外の試合をテレビ観戦.ファンタステ
ィックなプレーが好き.
<ゼミでの思い出>
多摩川の川原でやった BBQ.網やテーブル,炭などゼロから準備したこと
や,岡本先生の奥様に作っていただいた料理がとてもおいしかった事が印象的
でした.もちろん,昨年夏の宮古島ゼミ合宿も楽しかった.
<発表会への意気込み>
私はハンドボールが好きです.そして,沖縄が好きです.2度の訪沖,現地
調査を通して,この二つがもっと好きになりました.今回の発表を通して,日
本ではまだまだマイナースポーツであるハンドボール,最近は観光地として注
目されている沖縄への興味を喚起できたらと思います.
¾
配布資料
- 62 -
「沖縄のハンドボールはなぜ強いのか
∼地方のチームが強いワケ∼」
1.はじめに
日本では、スポーツごとにメッカが存在する。代表的なものに、
「野球といえば甲子園」
「サッカーといえば静岡」
「ラグビーといえば花園(大阪)
」などがあるが、そこにもうひ
とつメッカが加わろうとしている。
「ハンドボールといえば沖縄」である。
近年、沖縄はハンドボールの全国大会でよい成績を収め、2004 年には沖縄県浦添市が
「ハンドボール王国都市宣言」をするに至った。しかし、ハンドボールというスポーツは
日本にはプロリーグもなく、テレビや雑誌などのマスメディアに取り上げられることはほ
とんどない。日本においては非常にマイナーである。なぜ沖縄がハンドボールというマイ
ナースポーツと結びついたのかはなはだ不思議である。
そこで、沖縄の強さを究明することで 沖縄 という地域と ハンドボール というス
ポーツとの関係を調べようと思った。
〔問い〕なぜ沖縄のハンドボールは強いのか
2.本当に強いのか
では、沖縄が実際どの程度強いのかを検証する。まず、全国大会での成績だが、以下の
表の通り 1965 年(沖縄県ハンド協会創設)以降、各カテゴリーで全国制覇を計 45 回も
達成している(P3 表参照)。平成 5 年以降の成績(中・高の全国大会)では沖縄 19 回、
愛知 17 回、大阪 14 回と、やはりトップの結果を残した。
また、世代ごとの日本代表に多数の選手を輩出している。男子では各世代合計で 66 名
の代表選手がいるが、沖縄からはその 6 分の 1 にあたる 11 名が選出され、県別でトップ。
1965 年の沖縄県ハンドボール協会設立から、非常に速いスピードで普及・発展してき
た。
20
18
19
17
16
14
12
10
8
14
7
5
6
4
沖縄
愛知
大阪
富山
熊本
2
0
沖縄
愛知
大阪
富山
熊本
平成 5 年以降の中学・高校での全国大会の優勝回数(男子+女子)
- 63 -
3.強さの秘密
2 度にわたる訪沖、関係者へのインタビューなどによる現地調査をふまえ、沖縄が強く
なりえた背景を解明していく。
沖縄は他県に比べチーム数が多く(P4 表参照)、ハンドボールが盛んに行われているこ
とや、地元メディアでも盛んに取り上げられていることから、沖縄県ではハンドボールも
他の競技と同じくらいメジャーである。「インターハイ予選の決勝戦は平日にもかかわら
ず満員」とは、人気振りをよく表している。試合観戦が容易という点では、沖縄が狭く、
自動車が交通手段の基本であることも関係している。
早ければ小学校低学年からハンドボールを始める子供たちは、中・高と高いレベルでハ
ンドを継続、県外の大学に行っても教員になるなどして沖縄に帰り、指導者として沖縄ハ
ンドに貢献していく。近年はこの循環が一般的になり、沖縄ハンド界出身の指導者が増え、
指導者同士の交流が容易になった。受け持つ子供の情報も自然と共有され、意図せずして
一環指導が可能となった。
小学生チームが多数存在し、狭い地域で切磋琢磨することで高いレベルを維持している。
それを父母会という保護者の組織が様々な面でサポートしていて、クラブが長く継続して
いる。
4.父母会
父母会とは、クラブの両親が組織する保護者の会である。チームの活動を補助するだけ
でなく、全国大会参加の際の遠征費を捻出するなど資金面でも強い支援をしている。父母
を巻き込むことでハンドボールを介した家族の結束、父母同士の結束が強まり、チームの
結束につながる。家族全員でハンドボールを見る、プレイすることで、ハンドボールを楽
しむ環境ができあがった。コーチを選出するなど、クラブ存続にも影響している。チーム
を地域に結びつける橋渡し的存在。
5.まとめ
父母会は、選手(子供)にとって強力な後援者であり、指導者にとっては運営を補助す
るサポーターであり、地域とチームを結びつける存在でもある。父母会が沖縄のハンドボ
ールの強さに大きく関係している。今回は沖縄の事例を取り上げ、それを調査することで
終わってしまったが、今後、他地域のハンドボール活動との比較をすることで、強い地域
のスポーツへの取り組み方が浮き彫りとなる可能性もある。
※以下にはパワーポイントの説明を補足する図表を示します
- 64 -
- 65 -
全国のハンドボールクラブ数上位 12 都道府県
順位
都道府県名
チーム数
人口比順
人口
人口比
1 沖縄県
184
1,318,220
0.00013958
2 岩手県
111
1,416,180
0.00007838
3 岐阜県
141
2,107,700
0.00006690
4 熊本県
124
1,859,344
0.00006669
5 愛知県
464
7,043,300
0.00006588
6 神奈川県
264
8,489,974
0.00003110
7 兵庫県
149
5,550,574
0.00002684
8 北海道
138
5,683,062
0.00002428
9 東京都
289
12,064,101
0.00002396
10 埼玉県
153
6,938,006
0.00002205
11 千葉県
126
5,926,285
0.00002126
12 大阪府
171
8,805,081
0.00001942
(樫山祐子: ハンドボールのメッカ
沖縄を考察する ,筑波大学大学院修士論文)
全国のハンドボールクラブ数上位 35 地域のうち人口比順上位 14 地域
順位
都道府県
郡・市
クラブ数
人口
人口比
1 沖縄県
浦添市
48
102,734
0.0004672
2 富山県
氷見市
23
56,680
0.0004058
3 宮崎県
小林市
16
40,346
0.0003966
4 山口県
徳山市
24
104,672
0.0002293
5 岩手県
花巻市
15
72,995
0.0002055
6 福井県
福井市
50
252,274
0.0001982
7 和歌山県
那賀郡
22
119,348
0.0001843
8 岐阜県
大垣市
27
150,246
0.0001797
9 熊本県
下益城郡
15
83,970
0.0001786
10 岩手県
盛岡市
51
288,843
0.0001766
11 沖縄県
島尻郡
21
131,847
0.0001593
12 愛知県
海部郡
25
192,338
0.0001300
13 沖縄県
中頭郡
16
144,691
0.0001106
14 沖縄県
那覇市
31
301,032
0.0001030
(樫山祐子: ハンドボールのメッカ
沖縄を考察する ,筑波大学大学院修士論文)
- 66 -
¾
メモ用紙
- 67 -
5−12.第12発表者
¾ 紹介
林
浩司
<略歴>
1983年
兵庫県西宮市に生まれる
2002年
私立駒場東邦高等学校卒業
陸上競技部所属
2002年
一橋大学商学部入学
体育会男子ラクロス部所属
卒業後は三井物産へ就職
<好きなスポーツ>
ラクロス、バスケットボール、アメリカンフットボール
<ゼミでの思い出>
1.
3 年次、ゼミプロジェクトとして、男子ラクロス部と共同集客プロジェ
クトを進めたこと。結果的に集客が成功したのもうれしかったし、それぞ
れのゼミメンバーのいいところ、わるいところも見えておもしろかった。
2.
3 年次、北海道へのゼミ研修旅行。札幌ドーム内を視察して、芝グラウ
ンドのスタジアム内⇔スタジアム外の移動システムに感心した。
3.
個性豊かなメンバーがお互いの個性を前面に出していたこと。特に印
象に残っているのは新藤君がわざと安藤君をイライラさせて楽しんでいた
こと(笑)。
<発表会への意気込み>
いままでずっとゼミ生として、ラクロス部員として模索し続けたものですので、
思いをこめてがんばります。
- 68 -
¾
配布資料
資料1.一橋大学体育会男子ラクロス部データ
„
創部:1990 年(創部 16 年)
„
部員数:103 名、うち選手 90 名、スタッフ 13 名、コーチ他 9 名
„
所属:関東学生 1 部リーグ
„
練習形態:早朝練習。AM7:15∼AM10:30,以降は自主練習。
„
沿革
・ 1990 年
:アメリカでラクロスに出会った藤井智朗が、仲間 3 人でチーム結成
・ 1992 年
:リーグ戦参戦開始
・ 1995 年
:体育会昇格(部員 30 名)
・ 1998 年
:関東学生リーグ 1 部昇格
・ 99∼03 年:関東学生リーグ 1 部:ブロック 3 位(5 年連続)
・ 04 年
:関東学生リーグ 1 部 B ブロック:4 勝 1 敗(2 位)で悲願のプレーオフ進
出
・ 05 年
:関東学生リーグ 1 部 B ブロック
→4 勝 1 敗により、ブロック 2 位→2 年連続 2 度目のプレーオフ進出
準決勝(FINAL4)
:慶應義塾大学
:2-7
敗戦
資料 2.外部資源が体育会スポーツの競争力の向上を助ける仕組み
成績、結果
外部の
競争力
資源
- 69 -
環境
人材
資金
練習方法
組織
メンタル
内部での努力
資源増加
- 70 -
- 71 -
¾
メモ用紙
- 72 -
5−13.第13発表者
¾ 紹介
杉本
達朗
<略歴>1982 年、大阪府藤井寺市生まれ。小学校時代
は、自宅から 1 キロのところにあった、今はなき近鉄バフ
ァローズの本拠地・藤井寺球場に、週一のペースで通う。
基本的に近鉄は嫌いでしたが、球場は子供の遊び場として
は最適でしたし、カクテル光線に照らされた、ブライアン
のホームランは綺麗でした。そこで、大阪・河内特有の強
烈な野次に出会い、現在の口の悪さは、この時代に身につ
いたものだと思います。中学、高校は兵庫県私立灘中学・
高校で6年間を過ごす。勉強ではお荷物的な存在だったので、スポーツで存在感を示そう
と、サッカー部の活動にのめり込む。その結果予想通り、親公認のもと浪人し、一橋大学
経済学部に入学。またもや、サッカー部、早川ゼミに入り現在に至る。
<好きなスポーツ>
当然サッカーですが、最近は海外サッカーよりJリーグの方に興味が移ってきています。
しかし種目は何であれ、選手が一生懸命にプレーしているスポーツは全部好きです。種目
が違うだけで、選手のその試合・瞬間にかける気持ちは同じだと思うので。
<ゼミでの思い出>
単一の出来事というわけではないですが、個性的な人・色々な部活に所属するゼミテン
に出会えたのが一番の思い出です。特に、ラクロス部・アメフト部という関東大学スポー
ツ界の第一線で活動する部に所属するゼミテンには大きな影響を受けました。二年生まで
は自分の所属するサッカー部を客観的に見れず、その結果問題点などもそれほど意識して
いなかったですが、彼らの部活に対する意識の高さや、洗練された部活運営などの話は刺
激的で、サッカー部を運営するうえでも非常に参考になりました。早川ゼミに所属してい
なければ、サッカー部しか知らない井の中の蛙で終わったかもしれません・・
<発表会への意気込み>
早川先生の最後の発表会ですし、院生の中村さんをはじめ沢山の方がこの発表会にむけて
尽力されているなか、迷惑をかけっぱなしですが、ぜひ先生のご退官に花を添えられるよ
うに頑張りたいです。
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¾
配布資料
脱甲子園主義
∼生涯スポーツ社会をめざして∼
<主張>
日本のスポーツ少年は小・中・高を通して、チーム、そしてトーナメント形式
の大会というピラミッド型の強化・選別に組み込まれており、各個人の要求・
欲求に応じたスポーツ環境を享受できていない。
<論文の動機>
かなり私的な話になりますが、私の所属するサッカー部は昨年、秋季リーグ戦
を制し昇格を果たしました。もちろん喜びもありましたが、どちらかというと
「素直には喜べない」という気持ちの方が大きかったのが事実です。私自身は
試合に出ることはなかったですが、それが理由ではありません。
サッカー部には 40 人強の部員がいますが、そのうち公式戦に出場できるのは
毎試合最高でも 18 人であり(しかもその顔触れは大体固定されている)、半数
以上の選手は応援・試合会場の準備・審判業務等にまわります。試合に出ない
メンバーはこれらの役割を本当に良くこなしてくれました。しかし、そのよう
な後輩達に、公式戦以外のところで十二分に「サッカーをする環境」を提供で
きたとは思えませんでした。練習・練習試合を通して、レギュラーに比べると
何かしらの我慢を強いてきたというのが実情であり、それが優勝を素直には喜
べなかった理由です。彼らは、間違いなく「サッカーがしたくて」入部してき
たのですから。
このように、公式戦にみなが出れる訳ではないという当然の事実があったとし
ても、その中で全員の満足度を最大限高められずに手にした優勝は何を意味し
ているのだろうか(もちろん下級生も皆喜んではいたのだが)。そもそも、全
員が満足する環境なんて絶対につくれないのだろうか?これが、今回の論文を
書こうと思った大きな動機です。
<要約>
第二次世界大戦以前は、スポーツは一部のスポーツエリートと富裕層のために
存在していた様なものであり、「庶民は体操」という構図が一般的でした。し
かし戦後、各国で経済成長が進むと国民のスポーツ要求が高まり、それに答え
るように、欧州各国は生涯スポーツ政策を推し進めました。西ドイツの「ゴー
ルデンプラン」や北欧の「トリム運動」などです。スポーツの競技性だけでな
く、人々の心・生活を「豊かに」する力、社会の人々をつなぐ力に各国が気づ
きだしたのです。スポーツは公共物と認識されるようになったのです。そして、
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ユネスコは 1978 年、
「体育・スポーツ国際憲章」で「体育・スポーツの実践は
すべての人にとって基本的な権利である」と宣言されるにいたりました。
一方日本はというと、1961 年にスポーツ振興法を公布し国民スポーツの普及
に取り組みだした。が、それは本質的にスポーツの公共性を重視したものでは
なく、どちらかというと「日本スポーツの競技力向上」の一環に位置づけられ
ていました。
しかし、少子・高齢化社会を目前に控え、日本もようやく 1989 年、文部省体
育局に生涯スポーツ課をもうけ、「誰もが、いつでも、どこでも」スポーツに
参加できる社会作りをめざしました。その集大成ともいえる事業が現在盛んに
言われている「地域型総合スポーツクラブ」の建設・普及です。
定期的にスポーツをする人口は徐々に増えてきていますが、現在のところその
割合はヨーロッパ・北米諸国にくらべ数段低く、スポーツが日常生活に溶け込
んでいるとはまだ言えません。また、成人では、スポーツクラブへの加入希望
者より、加入を希望しない者の方が圧倒的に多いのも事実です。これらの理由
はいくつか考えられ、スポーツ施設が充実していないからという理由も挙げら
れるでしょう。しかし私は、その最大の理由は、子供の時期に適切なスポーツ
環境に身を置いていないからではないかと考えます。10 歳から 15 歳くらいま
での体験が、生涯に渡るスポーツへの意識・態度に大きな影響を与えると考え
られているからです。この年といえば、本格的に部活動に打ち込みだす時期で
す。総合スポーツクラブの存在がいつ自分たちの日常となるか分かりません。
民間・公営スポーツ施設も急に増えたりするものではないでしょう。現状とし
ては学校の部活動が、大部分の生徒にとってスポーツをする上で重要な存在で
あり、今後もそうであり続けると思います。だからこそ、部活動が一人一人に
とって充実した場となることが大事ではないでしょうか。
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¾
メモ用紙
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5−14.第14発表者
涌田 龍治
¾ 紹介
<略歴>
1976 年生まれ
兵庫県西宮市出身
1995 年
2000 年
2002年
マギー審司に似ている
と言われます
私立甲陽学院高等学校卒業
一橋大学社会学部卒業
一橋大学大学院商学研究科
修士課程修了
2005年 一橋大学大学院商学研究科
博士後期課程単位取得
現在 同研究科在学中
<早川武彦先生との思い出>
「涌田です」
「おっおっ、どうぞ」――
研究室のドアをノックすると先生はそうおっしゃりながら、パソコン画面から私に目を
向けてくださる。所狭しと積まれた新刊書籍、様々な機関からの封筒、そして大量の紙。
私が先生に初めてお会いしたのは、1997 年の講義『スポーツ産業論』を受講していた
冬の時期だった。「受講生が関心を向けたテーマを基盤にグループワークを行う」という
スタイルを当時から採っていた、その講義で、私は「囲碁や将棋がスポーツであるのか」
をテーマにして、囲碁・将棋欄が新聞の何面に位置付いているのかを調べていた。半年と
いう短い期間内に全ての新聞を長期にわたって調べることは困難であるのでヒントを欲
しいと訪れた研究室は、当時も最近も冒頭に述べたとおりだった。
「テーマは面白いから、まずは一紙を5年ごとに探索的に調べてみれば…」先生はそう
おっしゃった。その瞬間から私は、先生の下で研究者を志したいと希望するようになった。
当時の私にとって「体育教師」は、生徒や学生を煽って高い技能を伸ばす厳しいイメー
ジであった。しかし、先生は私の関心をほめてくださった。講義のテーマは『スポーツ産
業論』であるのに。そのことに私は大いに驚き、そして、素直に喜んだ。
それから9年あまりにわたって、私はスポーツ産業に関心を抱き続けている。人に紹介
するときには、「『スポーツ産業論』を専攻しています」というよりも「『早川武彦先生』
の下で勉強しています」という方が、通りがいい。これも現在の私を支え続けている。
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¾
配布資料
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¾ メモ用紙
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6. 早川先生&早川ゼミのご紹介
早 川
武 彦 教 授
略 歴
1942 年 東京都に生まれる
年
月
学
1966
3
東京教育大学体育学部卒業
1966
4
東京教育大学体育学部研究科修士課程入学
1968
3
東京教育大学体育学部研究科修士課程修了
年
月
1967
7
和光大学助手に就任
1975
4
一橋大学商学部助教授
1985
4
一橋大学商学部教授
2000
4
一橋大学大学院商学研究科 教授 配置換え
職
歴
歴
主 な 研 究 テ ー マ
スポーツ(構造・機能・価値)の歴史的・社会的究明、スポーツ産業論の理論構築、スポーツ・メディア論研究
翻訳
Rene Moustard 著『フランスのスポーツ運動』
著書・編著
出版社名
出版年
青木書店
1987
出版社名
出版年
分担執筆:スポーツの概念
不昧堂出版
1986
責任編集:国民運動文化の創造
大修館書店
1989
分担執筆:スポーツは誰のために
大修館書店
1995
地球時代のスポーツと人間
創文企画
1995
グローバル化するスポーツとメディア、ビジネス
創文企画
2006
【早川ゼミのご紹介】
早川ゼミについて改めてここでご説明差し上げるまでもないと思われますので、早川ゼ
ミの今後について簡単に触れたいと思います。来年度も大学に残るゼミ生は博士課程の学
生が1人、修士課程の学生が3人、学部学生が2人となっております。しかし、早川武彦
先生は本年度をもってご退職なさいます。そこで、彼らは来年度から早川先生とは別の先
生のゼミに所属し、スポーツの研究を核にしつつもそれぞれが論文の指導を受けることに
なる予定です。まだまだこれからも早川先生の教えは引き継がれて行くでしょう。
(文責:中村英仁 早川ゼミ HP:http://obata.misc.hit-u.ac.jp/~hayakawa/05top.htm)
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7. 岡本先生&岡本ゼミのご紹介
岡 本 純 也 先生 略歴
1968 年東京都に生まれ、幼少期より埼玉県富士見市で育つ。
年
月
学
1991
3
横浜国立大学教育学部 卒業
1991
4
横浜国立大学大学院教育学研究科修士課程 入学
1994
3
横浜国立大学大学院教育学研究科修士課程 修了
1995
4
一橋大学大学院社会学研究科後期博士課程 入学
1998
3
一橋大学大学院社会学研究科後期博士課程 修了
年
月
1994
4
横浜国立大学 教育学部 非常勤講師 (∼1995.3)
1997
4
中央大学 理工学部 非常勤講師 (∼1999.3)
1998
10
一橋大学 教養教育研究機構 非常勤講師 (∼1998.12)
1998
12
一橋大学 商学部 講師
2000
4
一橋大学 大学院 商学研究科 講師 配置換え
2003
4
一橋大学 大学院 商学研究科 助教授
職
歴
歴
主な研究テーマ
スポーツ産業論、身体文化論
著書・編著
出版社名
出版年
共著図書:沖縄全島エイサーまつり実行委員会編『エイサー360 度−
那覇出版社
1998
歴史と現在−』
論文
出版年
「スポーツの近代化と民俗舞踊の近代化」一橋大学スポーツ科学研究室研究年報
1999
「実践教育における正統的周辺参加」 一橋大学スポーツ科学研究室研究年報
2000
共同執筆者:成瀬璋,青木清隆,加納樹里,柳井宗一郎「大学運動部に関する調査・研
1999
究(第 1 報)」中央大学保健体育研究所紀要 第 17 号
「グローバル化時代の文化政策--権限委譲後のスコットランドの事例」
2003
「大学スポーツが抱える今日的問題」一橋大学スポーツ科学研究室研究年報
2004
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【岡本ゼミとは】
岡本ゼミの研究テーマはスポーツ産業論です。ゼミには四年生と三年生をあわせて、15
人が在籍しています。今年は夏学期に「新スポーツ・マーケティング」
(広瀬一郎著)、冬
学期には「スポーツ倫理の探求」(近藤良享著)を輪読し、メディアとスポーツの関係、
ドーピング問題、芸能とスポーツの関係についてなどを議論しました。
また夏期長期休暇には、ゼミのメンバー全員で、沖縄県宮古島に赴きました。現地では、
毎年開かれているトライアスロンがどのように地域に貢献しているか、オリックスの宮古
島キャンプにおける経済効果、沖縄県を中心に行われている沖縄角力がどのような認識の
もとで行われているかなどを調査しました。
現在、三年生は張厚泉教授(中国・東華大学副学院長)を迎えて行う国際ゼミに向けて、
準備を整えています。2008 年北京夏季五輪と 2010 年上海万博という二つの国際規模のイ
ベントを開催する中国社会に対して提言をすることが目的です。同規模のイベントとして
2002 年サッカー日韓 W 杯と 2004 年愛知万博について考察していますが、発表は英語で
行われるため慣れない翻訳作業に四苦八苦しつつ充実感を感じています。
(文責:3 年古川・帰山)
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8. レストラン等お食事場所のご案内
① 中国料理
長江菜館
予算 840∼1575 円くらい
② 松屋(牛丼、豚丼等)
③ マクドナルド
④ 吉野家(豚丼、カレー丼等)
⑤ 大魚菜(魚料理)
予算
1000∼2,000 円くらい
⑥ 韓国料理
予算
740∼1000 円くらい
たんぽぽ
⑦ ケンタッキーフライドチキン
⑧ ぶぶか(ラーメン、油そば)
⑨ モスバーガー、ビルディ
⑩ バーミヤン(中華レストラン)
⑪ 千成寿司
予算
1300∼5000 円くらい
⑫ フェルミエール(フランス料理)予算 2,000∼3500 円くらい
中国料理レストラン
シャトーセリジェ
⑬ レ・トワ・フレール(フランス料理)
予算 2,000∼3,000 円くらい
予算 2000∼4000 円くらい
☆ごく一部を紹介いたしました。参考になさってください。
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