Untitled - 山形県立博物館

特別展
新種発見物語
山形県立博物館
2006
開催にあ た っ て
山形県では、 昭和53 年 に 大江 町の小学生が発見 し たヤマガタ ダイ カイ ギ、ユ
ウ を は じ め と し て、 多 く の 生 き物の新種が発見 さ れて い ま す。 未知 の 生 き 物
が ど の よ う に し て"新種" と な る の か、 発見に い た る 経緯か ら 調査の過程な ど を
開 催 に あた っ て
紹介いた し ます。
自 然 を こ よ な く 愛 し、 一 生 を か けて動植物な ど の調査や新種発見 に 大 き な
貢献 を な し た 山形県 に ゆ か り の あ る ナチ ュ ラ リ ス ト も そ の功績 と と も に 紹介
し ます。
最後 に、 本展を 開催す る に あ た り 、 ご協力 を賜 り ま し た 関係機関 ・ 各位 に
厚 く 御礼 を 申 し 上げます。
回
山形県立博物館長
松 浦
孝
一
目
I
次
新種 発 見 物語
1 . 新種 と な る ま で・・…・・…・・・…・・…・・…ー・・ 4
2 . ヤマガタダイ カ イ ギ、ユ ウ ……………… 6
3 . 新種 と し て記載 さ れた 山形県産化石… 1 2
4 動物一見虫 と 員 を 中心に一…・…・・…・・・ 1 4
1 ) 山形で見つかっ たチ ョ ウ 二題 …一 . 1 4
.
. 16
.…
2 ) 地 中 にす む昆虫た ち …… . . ・H・
3 ) 鳥や晴乳類の新種 は ど う か …・・・… 1 8
4 ) ま だま だ見つか る新種 …・・…ー・・… 20
5 ) 新種 発見の先 に あ る も の ………… 22
5 . ク モ 類・・…・・・…・・…・・…・・…・・・…・……・ー 2 4
6 . 植物の 発 見……………………………… 3 0
1 ) 本格的な調査が始 ま っ た 19 世紀末
. . . . .30
目
2 ) 2 0 世紀初頭 の研究…・・…………… . 33
3 ) 2 0 世紀後半 の調 査・…・…・・・…-・・・… 3 7
7欠
4 ) 最近 の発見…・・…・・…・・・…・…・・・・… 4 1
5 ) 雑種・…・…・・…・・・…・・…・・…・…・・・… 44
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鳥
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図
.
… . . . 46
6 ) 異名 と な っ た も の・・… . .…・…
7 . 冬虫夏 草…・…・………………………… 4 8
査
調
術
学
市
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4 6 8 0 2 4 6 8
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う源 元 嘉 大 慈 庄 三 郎
教
畑
清 石 鈴 錦 白
日 泉 藤 城 水 沢 木
小 加結
凡
例
1. 本書は、 平成18年度特別展「新種発見物語
やま
がたナチュラリストのあゆみ一J (7月8日�9月
17日)の図録である。
2. 本書は、 展示資料の掲載とともにタイプ標本の一
部を紹介した図録である。
3. 図版には、 資料の所蔵者、 提供者を記載した。
4
5.
6
図録に掲載されているのは展示資料の一部である。
I展示資料一覧」は、 本書とは別に発行する。
展示の都合 により、 図録掲載資料が展示されてい
ない場合がある。
7. 本書の編集、 執筆は吉田哉、 神保功、 八鍬拓司、
永幡嘉之が担当し、 写真は鈴木弘二および執筆者、
提供者等が撮影した。
I新種発見物置
1
.新種となるまで
古 く か ら 名前がつ け ら れ、 それが呼び名 と し て使われて き た。 日 本でつ け ら れた も の を和名 と い い、 日
本人に広 く通 用する名前である。 し か し、 和名は外国では適 用 し な い。 一方、 ヨ ー ロ ッ パで も 各国で名前
がつ け ら れたが、 18世紀中 ごろ世界 中 に通 用す る 生物への名前のつ け方が、 リ ン ネ に よ り 提案 さ れた。 そ
の後、 長い年月 を 経て検討が重ね ら れ 「国際動物命名規約J r国際植物命名規約J r国際細菌命名規約」 に
ま と め あげ ら れ、 今 日 に至 っ て い る。 一般に は学名 と言い、 生物の名前 と し て世界的に通 用する も ので あ
る。
日 本では明治維新後に 西洋 の文明が入 り 、 お も に ヨ ー ロ ッ パ人 に よ る 動植物の研究が さ か ん に お こ なわ
れた。 学名がな い も の に つ い て動物や植物それぞれの分野で記載がなさ れた。 その後、 日 本人 の研究者 も
徐々 に育ち、 1 9世紀末 に な り 日 本人 に よ る 新種 の記載が始 ま っ た。
新種発見物語
I
新種発見
る。 ま た、 菌類、 バ ク テ リ ア、 ウ イ ルス な どでは
生物 に学名がなか っ た時代、 新 し く 学名 を つ け
こ れ ま で記録 さ れた種 は ご く わずかで、 研究が進
る こ と が さ かん に お こ なわれた。 し か し、 それ ら
めば現在の種 数の何百倍何千倍 と な る こ と は間違
の 多 く に は各国に通 用す る 名 前がなか っ たわ けで
い な い。 視点 を変えてみれば、 簡単 に新種 を発見
はな く 、 新 し く 別 の名前をつけた と い う の が妥 当
で き る と い え る か も しれない。
か も しれない。
固
現在では、 普通 に 見 ら れ る 生物 の ほ と ん ど に学
どうする と新種になるか
名がつ け ら れて い る 。 日 本では さ ら に和名がつ け
新種 が発見 さ れた と い う ニ ュ ース を 聞 く こ と が
ら れて い る 。 それ ら に 当 て は ま ら な い 生物が見つ
あ る 。 正式 に新種 と 認め ら れ る の は、 国際命名規
か っ た こ と を 「新種 発見」 と 言 う のが良い のでは
約 に基づき、 世界 的に流通 す る印刷 物 と し て発表
な いだろ う か。
さ れた と き で あ る 。 こ こ ではその経過のl例を示
ま た、 新種 を発見 し た人はだれか と い う と、 採
してみたい。
集 し た人であ る と も い え る し、 研究の結果、 新種
1
採集さ れ標本 と な る
だ と見出 し た人であ る と も い え る 。
2
研究者に よ り 標本が調べ ら れ る
3
科や属が決 め ら れ る
4
同 じ属の世界 中 の種 を、 文献や標本で調べ る
5
こ れ ま で記載さ れて い る種 に あ ては ま ら な い
新種はどのくらいあるのか
新種 を見つ けよ う と し て も なかなか発見する こ
こ と を確認する
と はで き な い。 ヒ ト に身近な、 晴乳類はおおよそ
4,630種 、 鳥類はお よ そ 9,675種 が世界 中 で記録さ
6
れて い る。 これ ら は ほ と ん ど調べつ く さ れてお り 、
新種 を見つ け 出す こ と は困難 と い え よ う 。
し か し 、 すべての生物が調べつ く さ れた のか と
い う と そ う で は な い 。 た と えば昆虫類は現在1 00
国際命名規約 に基づき、 種 名、 記載文、 そ の
生物を表す図や写真な ど を準備 する
7
学術雑誌に投稿し、 掲載さ れる
こ こ ま で に い た る に は、 そ の 生物が属する仲 間
に つ い て十 分な知識が必 要であ る。
万種 近 く が記録 さ れて い る が、 実際に は800 万種
発表さ れて もその後長 く通 用 す る 名 前か と い う
以上がい る と推測 さ れて い る 。 700万の新種 が こ
と、 必 ず し も そ う ではない。 同 じ種 がすでに別の
れか ら 見つかる可能性があ る こ と にな る 。 こ れ ら
研究者 に よ り 記載さ れて い る 場合 が あ る 。 こ の場
の大部分は熱帯雨林 に 生息 し、 と く に研究の遅れ
合 、 あ と か ら 発表 さ れた も の は異名 と な り 、 使わ
て い る ハ チやハエの仲 間な どが多い と い われて い
れな い 名 前 と な る。
新種記載のしかた
動物、 植物、 細菌の各国際命名規約 に よ り 違い
が あ る が、 基本的 に は次の よ う に お こ なわれる。
記載に は、 基準 と な る 1 個体で あ る タ イ プ標本
(ホ ロ タ イ プ) に よ り お こ なわ れ る 。 そ の標本の
特徴 を記述 す る こ と が基本であ る。 第一 にその種
必ずホ ロ タ イ プの指定が必要であ る。
シンタイプ(syntγpe)
古 い時代 にホ ロ タ イ プの指定がな い こ と があ
る。 こ の場合の記載に使っ た複数の標本。
レクトタイプ(lectoty問)
シ ンタ イ プか ら 、 後の研究者が基準 と し て指
の標徴がある。 こ こ に は近縁 種 と の 区別点な どが
定 し た l つ の標本。
含 まれる。 植物で は ラ テ ン語で書 く こ と に な っ て
ネオタイプ(neotype)
い る が、 動物では と く に決 ま り はない。 記載の全
体 に い え る こ と は、 世界中 に通用する必要が あ る
ホ ロ タ イ プ、 シ ン タ イ プ、 レ ク ト タ イ プが紛
失 し た場合、 新 し く 基準 に選定 し た標本。
ので、 英語な ど の言 語で書 く こ と が望 ま し い。 ま
た、 記載だけで誰 も が種の 区別がで き る よ う に、
図や写真を掲載する こ と も重要になっ て い る。 複
タイプ産地について
タ イ プ標本が採集 さ れた場所 を い う 。
1 か所で
あ る のが普通で あ る。 シ ン タ イ プの場合は複数の
タ イ プ と して、 変異や雌雄の あ る 場合はそれぞれ
可能性があ る が、 レ ク ト タ イ プが指定さ れれば 1
につ い て記載する こ と も 大切で あ る。 採集地や採
か所になる。 パ ラ タ イ プはホ ロ タ イ プ以外の記載
集年月 日 、 採集者、 さ ら に タ イ プ標本の保管場所
に使われた標本だが、 命名の基準 と な る タ イ プで
な ど も重要で あ る 。
な く 、 こ の産地は タ イ プ産地ではない。
こ の展示会では、 タ イ プ産地を 「新種発見」 の
学名(種名)のつけかた
学名 に は科や 目 な ど の 名 前 も 含 ま れ る が、 種名
の こ と を さ す場合が多い。 こ こ で は種名 のっ けか
場所 と し た。 し か し、 タ イ プ標本を指定す る の は
研究者で あ り 、 記載に 用 い た標本の採集地すべて
が、 新種発見の場所 と い う 考え 方 も 成 り 立つ。
た に つ い て説明 し た い。
種名は属名 と種小名 の 2 つ か ら な る 。 亜種があ
学名(種名)の変更
る場合は続けて 3 つ の名前 と な り 、 植物では変種、
属が間違 っ て い た り 、 属が細分 さ れた り して、
品 種 と さ ら に続 く 場合があ る。 植物、 細菌では亜
別 の属名 に変わ る 場合があ る。 そ の場合、 種小名
種以下 にsubsp. な ど の階級 を 付 け て か ら 名 前 を
は新し い属の性 に一致 さ せ る 。
書 く こ と に な っ て い る。
種小名 の後に、 その命名者の名前 を 書 く 場合が
属名は古 く はギ リ シ ャ 語や ラ テ ン語 に語源を持
普通で あ る。 動物では さ ら に命名者の後に命名 年
つ も のが多い。 最近はい ろ い ろ な言 語 を ラ テ ン語
代 を書 く 場合 も あ る。 属名がの ち に変更さ れた場
化 さ せ、 男性、 女性、 中性の性を指定 した名前を
合、 動物 ・ 細 菌 と 植物では命名者の書き方に違い
用 い る こ と が多 く な っ た。 ま た、 種小名以下 は属
があ る。
名 の性 に合わせる こ と が必要で あ る。 形容詞 を使
う 場合は語尾変化に注意 し な ければな ら な い。
動物では、 た と えばThe ri dion at kayense S.
Saito か ら 、 Takayus at kayensis (S. Saito) に
Yoshida に よ り 転属 さ れ た が、 命名 者 を カ ッ コ
タイプ標本について
に入れて転属者の名前は書かない のが普通である。
新種は基準 と な る 標本 ( タ イ プ標本) に よ り 記
と こ ろ が 、 植 物 で は 、 A ht y rium oku boαnum
載 さ れ る 。 動物、 植物、 細菌 に よ り 扱いが異な る
Makino が、Depa ria oku boana (Makino) M.
場合が あ る が、 命名の基準 に な る 標本 に は次のよ
Kato に な っ た が、 命 名 者Makino を カ ッ コ に い
う な種類が あ る 。
れ、 転属 を お こ な っ たM. Kato の名前 を最後 に つ
ホロタイプ(holotγpe)
け る こ と にな っ て い る 。
記載に使っ た唯一の基準 と な る 標本。 現在は
I
新種発見物語
数の標本が得 ら れた場合、 ホ ロ タ イ プ以外を パ ラ
(吉田
哉)
回
2.ヤマガタダイカイギ、ュウ
学名lDussisirendewanaJ(ドシシーレン ・デワナ)、 和名「ヤマガタダイカイギ、ユウ」。 夏休み中の小
学生の偶然な発見をきっかけに緊急発掘され、 その後の研究によって海牛の進化の系統を明らかにする貴
重な新種の海牛化石として記載されました。 発見から28年。 いまだに同じ種の化石は確認されていません。
世界でたった1個体しか確認されていない、 山形県で発見され新種として記載された化石の代表的な標本
です。
大型動物化石の発見
新種発見物語
I
1978年(昭和53年)。 その年の夏は雨がとても
肋骨数10本と数個の脊椎骨の化石が確認されまし
少なく、 最上川も例年になく水かさが少なくなり、
た。 化石の含まれている地層は砂岩層で、 太古の
いたるところで河床の岩盤が現れ河原が広がって
時代に海底に堆積してできたものです。 当時の海
いました。 そんな暑く乾いた夏、 夏休み中だ、った
に住んでいた大きな動物というと「クジラJであ
大江町の小学生2人が、 大江町用地区を流れる最
ることが考えられました。
上川の河床の岩盤の中に大きな動物の骨のような
物を発見しました。
それにしても、 脊椎骨や肋骨の確認できるクジ
ラと推定される貴重な化石であることや、 渇水期
博物館にもその情報が寄せられ、 当時の地学担
のその時期でなければ水をかぶってしまい発掘は
当学芸員の高橋静雄氏を中心にさっそく現地調査
不可能であることなどから、 緊急に発掘作業を実
が行われました。 2メートル四方くらいの範囲に
施することになりました。
図
1 . 発掘作業時の化石産地全景(1978年(昭和53年) 8月30日)
例年 にな い渇水で広 く 川 床 の岩盤が露出 し た大江町用地区を 流れ る 最上 川 。 発掘作業を 行 っ た夕方の雷雨に よ る増水以
降、 化石を含ん で い た岩盤は水面下に 没 し 、 ほ と ん ど表面 に 現れるこ と がな く な っ た と い う 。
緊急の発掘作業
発掘作業が行われたのは1978年(昭和53年) 8
月30日のことでした。 地元の方や多くの関係者の
見守る中、 作業員6名、 博物館職員4名での発掘
作業でした。 大型 の削岩機を使って岩盤を削り、
化石を含んだ大きな岩石のブロックごとに発掘し
ました。 大きな物で重さ1トンにもなろうという
ブロックを多くの方々の協力を得て土そりとロー
フ。を使って運搬し、 ユニック車に引き上げました。
作業の途中には、 上流のダムから放水の連絡が
入ったり、 何度か激しい雷雨に見舞われたりして、
作業を中断せざるをえない時もありました。 しか
し、 作業は最後まで続けられ、 その日のうちに発
掘は完了し、 化石を含んだ岩石のブロックは翌日
当時、
日本国内では海牛化石の研究はほとんど
進んでいませんでした。 海牛化石として報告され
た例は、 長野県で発見された肋骨1点の記載があ
るのみでした。
そこで、 化石は、 山形大学教授の斎藤常正氏を
通じてアメリカの古生物学者に問い合わせられ、
I
新種発見物語
博物館に運びこまれました。
海牛化石の研究
最終的に海牛化石の世界的権威であるハワード大
学のドムニング氏に資料が送られました。 ドムニ
ング氏は、 太平洋の海牛化石の系統についての論
文をまとめたところであり、 山形県の招きに応じ
て1982年(昭和57年) に来県し, この化石の調査
にあたりました。
2 . 商IJ岩機による発掘作業
海牛化石の特徴
クジラではない!
化石を含んだ岩石のブロックはその後2か月ほ
ドムニング氏による調査の結果、 化石は確かに
海牛化石であるとともに
胸びれの中の指の骨や
ど自然乾燥されたのち、 クリーニング作業が開始
歯が比較的小さいことが明らかになりました。 こ
されました。
の特徴は、 ヒドロダマリス亜科という系列の海牛
その途中、 黒いエナメル質で岐合面(歯がかみ
合う面) かすり減っている歯が発見されました。
歯クジラの歯は全て犬歯のように先がとがった形
をしています。 臼歯のように暁合面がすり減って
いる歯をクジラは持っていないため、 化石がクジ
ラのものである可能性は低くなりました。 岐合面
がすり減っている歯は草食動物であることを示す
特徴です。 そして、 海で生活する草食の哨乳動物
である「海牛」 の化石である可能性が考えられる
ようになったのです。
4 . 頭骨のクリーニング作業
固
の進化の大きな特徴でした。 ヒドロダマリス亜科
Dussisiren deωα仰(ドシシーレン ・デワナ)と
の海牛は、 進化の過程において, 体を大型化させ
いう学名が与えられました。
ながら、 しだいに指の骨と歯を消失するという、
劇的な進化の道筋をたどりました。 ドムニング氏
ヤマガタダイ力イギュウの年代
は、 太平洋の海牛化石の系統について記した論文
ヤマガタダイカイギ、ユウの年 代 については、 発
のなかで, 進化の途中の縮小しつつある指と歯を
掘現場周辺の地域で同じ地層 が続いていると推定
もっ海牛がいたはずと 予言していたのです。 ヤマ
される場所から産出した 珪藻 化石によっておよそ
ガタダイカイギュウのもつ特徴は、 まさにその予
800万年前と推定されました。 しかし、 近年の地
言にあてはまるものでした。
質調査と 珪藻 化石による年代研究の結果によると、
そして化石は新種であることが確実と なり、
海午 化石の産出した地層 の 年 代 は、 およそ1,000
高橋氏、 ドムニング氏、 斎藤氏により1986年(昭
万年前までさかのぼる可能性が大きいと推定され
和 61年) に 新 種 の 記 載 論 文 が ま と め ら れ 、
ています。
(神保
功)
新種発見物語
I
図
5 ヤマガタダイカイギュウ全身骨格(複製)
体長 : 3.8m
実際に産出 し た 化石の部位の数は上半身を中心 と し た合計69点。 ヤ マ ガ タ ダイ カ イ ギ ュ ウ の直系の祖先 と さ れ る ジヨル ダ ン カ イ ギ ュ ウ
の骨格を参考に 1 80点の部位が復元 さ れ、 体長3.8メー ト ルの全身骨格が 組 ま れた 。 呼吸の た め に 水 面 に 上 が ろ う と す る 姿を イ メージ し
ている。
幅
大
最
附附
mm
du『
c口
内ζ
剛山
口
骨引
蓋 酢
M一政長
.大
6最
1 75mm
最大高
7 . 下顎骨
全長 : 294mm
9 . 左上顎第 1 -第3臼歯 (右上 か ら)
前の歯ほ ど校合面がす り 減 っ て 内 部の象牙質が露出し
て い る 。 歯が順番 に 前方へ移動 し、 奥の歯が 後か ら 新
し く 生え て く る 「歯の水平交換J を し て い た こ と を 示
している。
じようが〈
きゅうし
8 . 左 上顎第3臼歯
全 高 : 36.4mm 歯冠 最大高
1 1 .9mm
歯冠長 : 22.0mm
きょうつい
1 0. 第3-第 6 胸椎 ( 手 前から)
第3 胸椎 全 高 : 200mm 幅 : 204mm
幅
大
最
m川
mm
nD
00
内正
m川
口
骨伽
日甲 品
川肩
右長
大
刊最
信je-'
1 2.
最大長 : 296mm
最大幅
1 29mm
3 .新種として記載された山形県産化石
Palaeontological Society of Japan and Geological Survey of Japan, AIST (2 0 01-2 0 05) によ
ると、 新種として記載された山形県産化石は78種にのぼります。 分類別に見ると、 有孔虫類が4種、 二枚
貝類が28種、 十脚類(カニ・エビの仲間)が2種、 腕足類が1種、 生痕化石が1種、 植物化石が26種、 腹
足類(巻貝の仲間)が12種、 見虫類が1種、 魚類が2種、 日南乳類が1種となっています。 昭和10年代から
3 0年代に記載されたものが多く、 また、 産出地は庄内、 最上、 村山、 置賜の県内各地にわたってみられま
す。 これらの記録は、 これまでに多くの研究者の尽力により、 化石調査を含めた県内の地質の詳細な調査
がなされてきたことを示すものです。
新種発見物語
I
14. ウゼンハマグリ(殻長39mm)
Meretrix uzenensis Zinbo
13. ムラカワツキガイ(殻長25mm)
Lucinoma削urakawai Zinbo
ホロタイプ飯豊町西高峰 宇津峠層
記載 : 1973年 神保恵
後期中新世
ホロタイプ飯豊町西高峰 宇津峠層
記載 : 1973年 神保恵
後期中新世
固
15. ヤマガタタマガイ(殻長48mm)
Tectonatica janthostomoides ya問。!gatana Zinbo
ホロタイプ飯豊町西高峰
記載 : 1973年 神保恵
宇津峠層 後期中新世
16. ボンダツノオリイレ(殻長21mm)
TroPho吋opsis hondai Zinbo
ホロタイプ飯豊町西高峰
記載 : 1973年 神保恵
宇津峠層
後期中新世
お も な 引 用 ・ 参考文献
Ikeya, N., Hirano, H. & Ogasawara, K., 2001. The
Takahashi. S.. Doming. D. P.. & Saito. T.. 1986
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Dusisiren dewana n. sp. (Mammalia: Sirenia). a
described
new ancestor of St巴ller's Sea Cow from the
during
the
20th
Century.
Palaeontological Society of Japan, 500 pp.
Ikeya, N., Hirano, H. & Ogasawara, K.. 2002. The
databaseof Japanese fossil type specimens
described during the 20th Century (Part 2).
Palaeontological Society of Japan. 569 pp.
金森潤・丸山俊明. 1998. 山形盆地西縁に おける上部
中新統の層序と珪濃化石年代. 珪藻温度指数 に も
とづく中新世の海表水温の復元, 平成7・8・9年度
科学研究費補助金, 基盤研究(C)(2 ). 研究成果
:11-52.
報書
Palaeontological Society of Japan and Geological
Survey of Japan. AIST. 2001-2005. The database
Upper
Miocene
of
Yamagata
Prefecture.
northeastern Japan. Trans. Pros. Palaeont. Soc.
Japan. N. S.. 114: 296-321
山形県 立博物館.
83
19
ヤマガタダイカイギュウ発掘調
査報告書山形県立博物館, 山形76pp.
山形県 立博物館.
6
819
ヤマガタダイカイギュウ. 山形
県 立博物館, 山形.
114 pp
山形県立博物館. 2000特別展図録大海牛・大鯨展ー海
で進化する晴乳類一. 山形県立博物館, 山形64 pp.
Zinbo N.. 1973. Fossil Mollusca from the UtsutOg
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Iide-machi.
Nishiokitama-gun.
Yamagata Prefecture. Japan. Science Reports
of Japanese fossil type specimens described
of
during the 20th Century (Web version) : http:/
(Geology). Special Vol. 6・157-162.
/www.aist.go必/RIODB/dform/FossilType/
the
Tohoku
University.
Second
(神保
series
功)
表1. 新種として記載された山形県産化石
学
類
名
分
CribroelPhidium kannonjiense
1
底生有孔虫類
Nonion nagasawaense
2
底生有孔虫類
3
浮遊性有孔虫類 Globorotalia adamantea
Angulus(Moerella) kagaym叩仰s!s
4
二枚貝類
Apolymetis(Leporimetis) niPponica
二枚貝類
5
Apolymetis(Lゆorimetis)ωkaii
6
二枚貝類
Clementia抑仰γacea
7
二枚貝類
Cultellus otukai
8
二枚貝類
Cultellus oyamensis
9
二枚貝類
CusPidaria (Cardio明i)la) beringensis
10
二枚貝類
。cli抑制1おuchii
11
二枚貝類
Glycymeris nozokiensis
12
二枚貝類
Liocyma minuta
二枚貝類
13
Lucina hanezawaensis
14
二枚貝類
Lucinoma押lurakawai
15
二枚貝類
Meretrix uzenensis
16
二枚貝類
11今a uzen仰s!s
17
二枚貝類
Nuωla (Acila) osaωa肘!sis
18
二枚貝類
Nuculana magarikawaensis
19
二枚貝類
P肝t la叫dia(Pa 刊 a
20
二枚貝類
mus si叫:m) takas側sis
Portlandia 地 (ME
�f!avoldia)
21
8
二枚貝類
3014 ia) aokii
Portlandia(Portl側della) hurukutiensis
22
二枚貝類
Portl側dia(Portl側della) lucidaefoγmls
23
二枚貝類
Serrかes Japomca
24
二枚貝類
Serrゆes t:γiangulaγis
25
二枚貝類
Stγiarca (Eotellacar)悦:tsukiensis
26
二枚員類
Tellina(Scissuli向。:) dispar
27
二枚貝類
Yoldia aokii
28
二枚貝類
Yoldia hurukutiensis
29
二枚貝類
Yoldia lucidaeformis
30
二枚貝類
E匂ldia yamagatana
31
二枚貝類
Macrocheira ginzanennsis
32
十脚類
Trachycarcinus huziokai
33
十脚類
Terebratulina zinboi
34
腕足類
35
Tosalorbis hataii
生痕化石
Abies honshuensis
36
大型植物化石
Betula uz四ens!s
37
大型植物化石
38
Caηa protojaponica
大型植物化石
Cinnamonum mioc四um
39
大型植物化石
40
Ci棚:amonu悦ogum側se
大型植物化石
41
Compωnia kidoi
大型植物化石
42
C併ylus takaminennsis
大型植物化石
43
Elaeagnus semiannulψorosa
大型植物化石
44
Eucommia japonica
大型植物化石
45
Ficoxylon angustiparenchymatosum
大型植物化石
46
Fγ'axinus takaminensis
大型植物化石
47
flex minusai
大型植物化石
48
Kummerowia pseudostriata
大型植物化石
49
Ligstru:棚tokunagai
大型植物化石
50
Liquidambar mioformasana
大型植物化石
51
Picea palaeomaximowiczii
大型植物化石
52
Pteγoca:ηa争γotoste抗:optera
大型植物化石
53
Quercus shimakurae
大型植物化石
54
Reevesia miocenica
大型植物化石
55
Salix ta初期inensis
大型植物化石
56
SaPindus tanaii
大型植物化石
57
S隅ilax minor
大型植物化石
58
Smilax trinervis
大型植物化石
59
Sorbus uzenensis
大型植物化石
60
Te門河口talia japonica
大型植物化石
61
Viburnum uzenennsis
大型植物化石
62
Miolepidocycli:叫Jap肌!ca
大型有孔虫類
63
A叫cist:γ01ゆ!s棚asudaeηsis
腹足類
64
Apollon sazanami
腹足類
65
Beringius magarikawaensis
腹足類
66
Buccinum mogamiense
腹足類
67
Globularia monstrousa
腹足類
68
Nepωnea nikkoensis
腹足類
69
Nucella j均i)lcineti saitoi
腹足類
70
Ocenebra aduncaρrotoadunca
腹足類
71
Rissoa magarika:加a叩sis
腹足類
72
Tectl側atica jantho蜘moides yamagatana
腹足類
73
Trichotropis hanezawaensis
腹足類
74
TroPhonopsis hondai
腹足類
75
Plateumaris kinugasana
昆虫類
76 脊椎動物(魚類) Gadus masudai
77 脊椎動物(魚類)
Pseudorho明bus sonei
78 章韮盈惣 (瞳乱醤) Dusisiren dewana
記載年
1963
1963
1963
1952
1952
1952
1952
1952
1883
1951
1937
1937
1973
1973
1937
1936
1937
1955
1935
1935
1935
1962
1962
1935
1935
1935
1937
1965
1951
1948
1960
1961
1961
1952
1931
1931
1954
1988
1952
1961
1939
1988
1974
1974
1974
1961
1956
1961
1991
1952
1988
1974
1931
1931
1964
1936
1964
1972
1937
1959
1937
1935
1956
1937
1959
1959
1937
1973
1937
1973
2001
1963
1964
1986
産 地
地層名
酒田市観音寺
観音寺層
舟形町長沢
草薙層
沼沢層
小国町沼沢
上郷層
鶴岡市大山
鶴岡市大山
上郷層(大山層)
上郷層(大山層)
鶴岡市大山
山形県
上郷層(大山層)
上郷層(大山層)
鶴岡市大山
鶴岡市大山
上郷層(大山層)
ガマヤジ層
山形県
山形県
上郷層(大山層)
及位層
真室川町及位
鮭川村曲川|
羽根沢層
羽根沢層
鮭川村羽根沢
飯豊町 字津沢
宇津峠層
飯豊町西高峰
宇津峠層
鮭川村居口
松沢層
観音寺層
酒田市君畑
鮭川村曲川|
羽根沢層
山形市高瀬
山寺層
古口層
山形県
山形県
古口層
古口層
山形県
鮭川層
鮭川村向居
真室川町安楽城 三盛層
上郷層
山形県
山形県
上郷層
古口層
戸沢村古口
戸沢村古口
古口層
古口層
戸沢村古口
鮭川村曲川
羽根沢層
尾花沢市銀山温泉銀山層
小国町赤芝
小困層群(沼沢層)
銀山層
尾花沢市玉野
萱困層
大江 町 左 沢
鶴岡市加茂
油戸層
鶴岡市加茂
油戸層
酒田市飛島ほか
小国町
小国町
小困層
折渡層
尾花沢市芦沢
高峰層
飯豊町高峰
酒田市飛島ほか
上郷層
鶴岡市草井谷
酒田市飛島沖
高峰層
飯豊町西高峰
小国町
今市層
小国町
今市層
今市層
小国町
上郷層
鶴岡市山口
鶴岡市湯田川
飯豊町手の子
高峰層
金山層群
舟形町堀内
鶴岡市五十川ほか
高峰層
飯豊町西高峰
小国町
今市層
小国町
小国町
温海層
鶴岡市三瀬
小困層
小国町
温海層
鶴岡市油戸
月 山沢層
西 川 町 月 山沢
升田(観音寺)層
酒田市升田
銀山層上の畑砂岩部層
尾花沢市玉野
羽根沢層
鮭川村曲川
古口層
戸沢村古口
滝の沢層
大蔵村
升困層
酒田市升田
銀山層上の畑砂岩部層
尾花沢市玉野
銀山層上の畑砂岩部層
尾花沢市玉野
羽根沢層
鮭川村曲川|
宇津峠層
飯豊町西高峰
羽根沢層
鮭川村羽根沢
字津峠層
飯豊町西高峰
高峰層
川西 町小 屋沢
鶴岡市加茂沖
小国町
本江E用
主謹星
Palaeontoklgical Society of Japan and Geological Survey of Japan, AIST
時 代
鮮新世
中期中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
鮮新世(後期中新世)
鮮新世(中新世)
中新世
中新世
鮮新世
鮮新世
鮮新世(中新世)
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世(鮮新世)
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
中新世
鮮新世(中新世)
中新世(中期中新世)
中新世(中期中新世)
前期中新世
中新世
前期中新世
前期中新世
中新世
中新世
中新世
鮮新世
後期中新世
前期~中期中新世
中期中新世
第三紀(前期~中期中新世)
後期中新世
中期中新世
中期中新世
中期中新世
中期中新世
前期~中期中新世
後期中新世
中期中新世
前期~中期中新世
後期中新世
中期中新世
中新世
中新世
前期中新世
前期~中期中新 世
前期中新世
前期~中期中新世
鮮新世
中新世
鮮新世(中新世)
中新世
中新世
鮮新世
中新世(中期中新世)
中新世
鮮新世(中新世)
中新世(後期中新世)
鮮新世(中新世)
中新世(後期中新世)
後期中新世
鮮新世?
中新世
i毒畠虫誼i主
(200 1 ・2005) を も と に作成
I
新
種
発
見
物
三五
ロロ
困
4.動物
-昆虫と員を中心に一
チョウカイクロマメゲンゴロウのように、 山形の地名がついた見虫がある。 シラハタリンゴカミキリや
クロサワツブミズムシのように、 山形県ゆかりの人の名前がついた虫もいる。 両生類や限虫類を山形県で
調べて回った人がいる。 月山にクマゲラ発見の夢を追う人がいる。 そうした山形ゆかりの動物たちを追っ
てみた。
1 ) 山形で 見つか っ た チョウ二題
新種発見物語
I
国
17. ミヤマシジミ(山形県東根市産、 永幡ほか, 2006より)
ミヤマシジミ
1947年8月下旬のある日、 東根市大堀の最上川
堤防を歩いていた白畑孝太郎は、 今まで県内で見
18. ミヤマシジミが発見された東根市の最上川
(永幡ほか,2006より)
山形県特産の亜種とされたのである。 しかし、 開
発などより生息地が分断され、 発見から10年を待
たずにこのミヤマシジミは絶滅してしまった。
つかっていなかったミヤマシジミらしきチョウを
その後、 少し研究が進み、 ミヤマシジミは宮城
採集した。 堤防に沿って生える、 コマツナギとい
県や新潟県、 福島県からも発見され、 山形県の亜
う草に発生しているようだ、った。 もっとも、 この
種は中部地方と連続的につながることが分かり、
仲間には似た種類がたくさんあり、 中国から朝鮮
必ずしも山形のものだけが飛び、離れて変わってい
半島にかけてもいくつかの種類が知られている。
るのではない、 ということが解明されてきた。 し
白畑は戦時中にこの仲間を中国でかなり採集して
かし、 ミヤマシジミは日本各地から急激に減少し、
いたこともあり、 近似種が非常に多いことを知っ
もう東北地方には数か所の生d息地しか残っていな
ていたため、 名前を調べるにあたっても慎重だ、っ
い。 河川敷の改修が進み、 堤防の草原は種子の吹
た。 早速それを京都大学の杉谷岩彦と、 九州大学
き付けで外来植物に変わり、 食草のコマツナギも
の白水隆に送ったところ、 間違いなくミヤマシジ
減少したためである。 当時、 まだ自然保護などと
ミだが、 これまで中部地方で見つかっていたもの
いう言葉は市民権を得ていなかった。 むしろ、 河
とは少し模様が違うという回答があり、 白水によっ
川敷の整備を求める陳情書が出されていた。 山形
て詳しく調べられることとなった。 その結果、 数
県のものは日本での北限にあたり、 分布の点でも
des
年 後 に こ の ミ ヤ マ シ ジ ミ に は Lycaei
重要だ、っただけに、 絶滅したのは非常に残念なこ
argyrognomon shirahataiという学名が与えられ、
とである。
のものは黒っぽく、 かなり斑紋が異なっている。
これも、 すぐに九州大学の白水隆に送られ、 翌年
に卵から育てた幼虫が羽化するのを待って、 学会
誌に論文を投稿した。 このチョウセンアカシジミ
には、
発 見 者 に ち な ん でCoreana raPhaelis
ohruiiという名前がつけられている。 その後チョ
ウセンアカシジミは、 県内では小国町や長井市、
川西町、 さらに新潟県の北部でも発見された。 山
形と新潟のものが特に色彩が変わっていたが、 発
見地である真室川町神ヶ沢では、 生息地が水田に
されたため、 食樹のトネリコが1本も残っておら
ず、 完全に絶滅してしまった。
種と亜種
これまでに知られていたものと同じ種類だけれど
19
チ ョ ウ セ ン ア カ シ ジ ミ ( 山 形県 川 西 町、 永幡 嘉 之)
も、 斑紋や形態が明らかに違うものは、 亜種とし
て区別されることがある。
山形で発見されたチョウに独自の学名がつけら
チョ ウセンアカシジミ
れたものとしては、 これらの2種類のほかに、 イ
196 0年の夏には、 新庄市昭和に萩野中学校の生
ギリス人 フエントンFentonが、 会津から出羽の
徒らを連れて、 自転車でチョウの採集に出かけた
米沢に抜ける途中の桧原峠で採集したシジミチョ
大類貞夫が、 真室川町神ヶ沢に入った湿地のまわ
ウの一種の標本にもとづき、 パトラ- Butler
りで、 思いがけずチョウセンアカシジミを発見し
が1882年に名前をつけたイバラシジミZephyrus
た。 当時、 このチョウはロシア ・韓国と、 飛び離
ibaraがある。 これは後になって、 日光で見つかっ
れて日本では岩手県のみに生息していることが知
ていたウラキンシジミと同じことが分かり、 今は
られていたが、 山形県にいるとは誰もが予想して
使われていない。
いなかった。 しかも、 ロシアや韓国のものと岩手
県のものは非常によく似ているのに対して、 山形
20. チ ョ ウ セ ン ア カ シ ジ ミ 山 形亜種 (ホ ロ タ イ プ、 大類
2005よ り )
I
新種発見物語
ミヤマシジミやチョウセンアカシジミのように、
2 1 . チ ョ ウ セ ン ア カ シ ジ ミ の発見地、 真室川 町 神ヶ 沢 の
現在 (永幡嘉之)
困
新種発見物語
I
困
22. 2005 年 に 西川 町で発見されたチ ビ ゴ ミ ム シの一種 (永幡嘉之)
チビゴミムシ
は重要視すべきでない場合がある。
山形県で発見された昆虫の新種のうち、 多くの
県内で最初にチビゴミムシの仲間が発見された
割合を占めるのが地下にすむチビゴミムシの仲間
のは、 飯豊山や吾妻山などの高所だ‘った。 ナガチ
だ。 古くより洞窟の中には、 目が退化したさまざ
ビゴミムシの仲間は石の下などでも見つかること
まな生物が住むことが知られてきたが、 鍾乳洞の
があり、 わず、かに複眼が残っているため、 地中へ
ような洞窟でなくとも、 鉱山の廃坑や試掘坑にも
の適応がそれほど強くないのだろう。 飯豊連峰、
おり、 さらには洞窟でなくとも水脈に近い岩石の
吾妻山、 月山、 鳥海山、 朝日連峰、 奥羽山系、 葉
すきまなど、
「地下浅層」と呼ばれる部分に住ん
山のいずれにも別の種類が生息しており、 また月
でいることが解明されるにしたがって、 各地で多
山や朝日連峰のように、 標高によって2種類ずつ
くの種類が発見されてきた。 これらの生物は、 飛
が知られている山もある。 さらに、 神室山系など
ぶ必要もないため麹が退化しており、 地下の水脈
未調査の山からは、 別の種類が見つかる可能性も
を伝うだけでは移動できる距離も限られるため、
残されている。 雪渓の脇や、 樹林帯の石の下で見
互いの交流がなくなり、 地域によって非常に多く
つかる。
の種類に分かれている。 外見では区別できないほ
次いで、 丘陵地からも、 完全に複眼が退化した
どによく似ているが、 交尾器の形が完全に異なる
メクラチビゴミムシのグループが相次いで発見さ
ため、 それぞれが別の種類で、 互いに交雑するこ
れた。 国立科学博物館の上野俊ーらが何度か来県
ともない。
して調査を進め、 白鷹山系、 真室川町、 小国町な
見虫は、 種類により交尾器の形が異なる。 交尾
どから相次いで新種が見つかったほか、 米沢市の
器は雌雄が出会って子孫を残すという重要な場面
草刈広ーも数種を発見している。 クサカリメクラ
に使われるため、 同じ種類の中では変異が少なく、
チビゴミムシTrechiama kusakariiは米沢市山
種の特徴が最も表れやすい部分だと考えられるた
梨沢でコウモリの調査の際に、 古い水路のトンネ
め、 分類の上で非常によく使われる。 それに対し
ルから見つかったもので、 数百メートル離れた隣
て、 色や形は外見から分かりやすいものの、 同じ
の綱木川からはヤナザワメク ラ チ ビ ゴ ミ ム シ
種類のなかでも変化することがあり、 分類の上で
Trechiama uncatusが発見されており、 種が分
化 し て い る こ と に驚 か さ れる。
現在、 山形県か ら は18種類のチビ ゴ ミ ム シの仲
間が見つ か っ て い る が、 調査が進めばさ ら に多 く
の種類が見つかる こ と が予想 さ れる。 2006年 5 6 月 にな っ て西川 町や長井市で発見 さ れた メ ク ラ
チ ビ ゴ ミ ム シ の 仲 間Trechiama sp. も 、 お そ ら
く 新種であ ろ う 。 こ う し た昆虫は、 日 常的 に 人 の
目 に触れる こ と はな い が、 世界中でそ こ だけ に し
か見 ら れな い特産種で あ る だけ に、 保全 を考え る
上 で も 重要なグル ー プで あ る 。 直接の 開発ばか り
23.
ヒ メ ク ロ オ サ ム シ ( 山 形 県 飯豊山 門 内 岳産 、 永 幡
蔵)
でな く 、 道路の開通で水脈が断たれた り 、 林の伐
採で乾燥が進ん だ り する こ と で も 絶滅 に つ ながる
可能性があ る こ と を忘れてはな ら な い。
I
新種発見物語
ヒメクロオサムシ
それに比べて、 飛ぶ こ と がで き る 昆虫は、 よ り
広い 範 囲 に生息 してお り 、 チ ョ ウ を例 に挙げれば、
山形県の特産種は知 ら れて い な いばか り か、 日 本
の特産種でさ え数種類 しか知 ら れて い な い。 ほ と
ん どが、 中 国や朝鮮半島、 サハ リ ン、 あ る いは東
南ア ジ ア と の共通種であ る。 オサム シは飛ぶ こ と
24. イ イ デナ ガチ ビ ゴ ミ ム シ ( 右 中 央の褐色の 個 体)
と 、 共 に見られる ゴ ミ ム シ ( 山 形県飯豊山 産、 永
幡蔵)
ができず、 歩 く こ と し か で き な い こ と で知 られる
が、 それぞれの種類の分布範囲 は 中部地方以北、
あ る い は北海道か ら 東北地方 と い う よ う に、 も う
少 し広い も のが多い。
ヒ メ ク ロ オサム シは北海道では普通 に見 ら れ る
が、 本州では東北地方の 高 い 山 に しか見 ら れず、
吾妻山 と飯豊連峰が分布の南限 に な っ て い る 。 県
内では飯豊 ・ 吾妻 ・ 蔵王 ・ 月 山 ・ 鳥海か ら 知 ら れ
て い る が、 本州 の も のが北海道の も の と 少 し 異な
る と い う ので、 最初 に発見さ れた鳥海山 の標本に
基づき、 Tomoca ra bus opaculus shi rahatai と 名
25. イ イ デナガチ ビ ゴミ ム シが生息す る 飯豊山 頂上部
(永幡嘉之)
づけ ら れた。
さ て、 ラ テ ン語でつけ ら れた世界共通の学名 に
も、 山形県の地名 を冠 し た も のがあ り 、 そのなか
で も 最 も 響 き の美 し い も の と して、 ガ ッ サ ンナガ
チ ビゴ ミ ム シTrechim 仰 montislunae と 、 ハ ヤ
マナガチ ビゴ ミ ム シTrechiama monti .ゆ
lii を、
ぜ ひ と も 紹介 し て お き た い 。 種 名 は そ れぞれ
ηw
ntis ( 山)
+
luna ( 月 ) と montis (山)
+
foli (葉) を 表 し 、 地名 を ラ テ ン語 に訳 し た も の
で、 こ の粋 な名前は上野俊一の 命名 によ る。
26
飛べな い 虫 と し て よく例に 挙げられ る マ イ マ イ カ
ブ リ ( 山 形県鶴岡市、 永幡嘉之)
固
3) 鳥や晴乳類の新種はどうか
幻のクマゲラ
昆虫の他に、動物では貝類でい くつかの新種が
見つかっている。 しかし、それ以外の噛乳類、鳥
類、両生類、開虫類、魚類などには、県内で発見
された新種というものは知 られていない。鳥類や
晴乳類は大型で種類数も少なく、固有種も乏しい
ことからもうなずけよう 。
8
0
3年に記した原色図
クマゲラは、小野蘭山が 1
に産地として「左沢」という地名が出てくる。江
戸時代にはクマゲラが日光付近まで、本州にも広
く生息していたことは事実だろう。しかし、学界
2
7. ヒダリマキマイマイ
で 「
発見J というためには、きちんとした証拠が
I
なければならない。「確かに見た」という話で、
新
たとえ力量のすく守
れた人で、あ っても、本当にそれ
発
種
が間違いのないものかどうかの検証ができないた
見
物
めである。山形県のクマゲラは、そうした点にお
言
日
ロ
五
姿を見たJ I
ねぐらを見た」
いて「声を聞いたJ I
という話はそれなりにあ っても、姿が撮影された
国
ことが一度もない。現時点では、噂はあるけれど
も未確認、という扱いにせざるを得ないのだ。ー
般的に、鳥の場合は写真、昆虫や魚類の場合は標
本が存在することが、客観的証拠となる。
発見の証拠となるもの
新種の発見には、いくつもの物語が生まれては
2
8 オオタキマイマイ
語り継がれてゆく 。例えば沖縄で発見されたヤン
バルクイナの場合にも、地元の人は以前から存在
を知っていたし、同じく沖縄で、見つか った日本最
大の甲虫であるヤンバルテナガコガネにしても、
先に 3度にわた って噂は流れていた。どちらも、
確実な証拠となる標本が採集された時、はじめて
「新種の発見」となったのである。
こうした著名な生き物が時にマスコミを賑わす
ため、新種の発見といえば、一般的にはさぞかし
劇的なものかと思われていることだろう。しかし、
小さな虫などの場合、採集した時点でもたいてい
は新種かどうかなど分からない。何年も経ってか
ら、専門家が顕微鏡を覗いていて新種の存在に気
づくことも多い。むしろ、誰も知らないところで
淡々と作業が進められていくものである。
2
9
. 卜ビシママイマイ
ヤマヒキガエル、 イバラ ト ミヨ
が西郷村 (現鶴岡市) で採集 し たオオタ キマイ マ
両生類では、 古 く 1938年に、 鳥海山の高所の ヒ
イ Euhad ra grata、 そ の 亜種 と し て 知 ら れ る ト
キガエルが小型で色 も特異な こ と か ら 、 ヤマ ヒ キ
ビ シ マ マ イ マ イ Euhad ra grata to bisimae を 挙
ガエル と 名 づけ ら れて区別 さ れた こ と があ っ た。
げてお き た い。 県内 にみ ら れる カ タ ツム リ のなか
同 じよ う な個体群は月 山 な どか ら も見つかっ たが、
で、 上か ら 見て殻の渦巻 き が右巻 き と 左巻 き の グ
その後の調査で、 ど こ か に境界がある のではな く 、
ループが い る。 左巻きで、 ご く 普通に見 ら れる種
山麓 に い る ア ズマ ヒ キガエルが山の高所 に な る ほ
類のひ と つ が ヒ ダ リ マキマイ マイ だが、 それによ
ど小型 に な る こ と が判明 し て、 今ではヤマ ヒ キガ
く 似た種類がい く つか い る 。 オオタ キマイ マイ は
エル と い う 名称 は使われていない。
左巻き の種類だが、 縞模様に地理的な変異がみ ら
魚類では特産種は知 ら れて い な いが、 東根市 ・
れ、 県内で も 場所 によ っ て変化する。 ト ビ シマ マ
天童市付 近 の イ バ ラ ト ミ ヨ が特殊であ る こ と は
イ マイ も オオタキマイ マイ の亜種 と さ れて い る が、
1933年当 時か ら 指摘 さ れてお り 、 特殊型 と 呼ばれ
そ の 由来な ど に ま だ不明な点は多い。
山形県は、 ほかに、 飛島で発見 さ れたヤマキサ
がな いため、 現在はイ バ ラ ト ミ ヨ の ひ と つ の 型 と
ゴWaldema ria japonica や コ ウ ニ ケ マ イ マ イ
さ れて い る。 こ う し た場合 に、 2 つ の種類が同種
Aegista conella、 米沢市 白布温泉で発見 さ れたマ
か別種かを判断する 手がか り は、 ひ と つ は 同 じ 場
ツ シ マ ク チ ミ ゾガイ Eost ro bilops nφponica、 さ
所 に い る か ど う か、 と い う こ と が あ る。 同 じ場所
ら に以下に挙げる種な ど多 く の種の タ イ プ産地 と
に両者がいて、 混 じ り あわずに別々 に暮 ら し て い
な っ た。
る と、 それは誰 の 目 に も別種であ り 、 ギ フ チ ョ ウ
Diplommatina uzenensis ウゼ ンゴマガイ
と ヒ メ ギフチ ョ ウ の 関係が例 と して分か り やすい。
MundiPhaedusa matusimai マ ツ シマギセル
一方で、 明瞭な境界がな く 、 連続的に変わる場合
Punctum rota クルマナタ ネガイ
に は、 それ ら は 同 種 と み な さ れる。 全国で色や形
Trochochlamys lioconus オオタ キ キ ビ
が様々 に変化する マ イ マイ カ ブ リ は、 北海道 と九
Pa rakaliella otakiana オオタ キ コ キ ビ
州 の も の を比べる と と て も 同 じ 種類 に は見えない
Pa rasitala ultimα ウ ゼ ン シ タ ラガイ
が、 中間では変異がすべて連続 し て い る 。
Bekkochlamys se renus ス カ シベ ッ コ ウ
イ バ ラ ト ミ ヨ のよ う に、 水系別 に飛び離れて分
Japanochlamys ce rasina ク リ イ ロベ ツ コ ウ
布 し てお り 、 境界を確か め る こ と も で き な い種類
Aegista celsa コ シタ カ オオベ ソ マイ マイ
は、 さ ら に判断が難 し い。 交雑 して、 子孫が問題
Aegista pannosa オオウケマイ マイ
な く で き る か ど う か、 つ ま り 雑種に生殖能力があ
Pisidium niPponense ニ ホ ン マ メ シ ジ ミ
る か ど う か と い う こ と が判断の 目 安 に さ れ ると と
も あ る し、 近年ではD N A の塩基配列の違 い を判
お も な動物関係引 用文献
断材料 に使 う こ と も 多い。 しか し、 D N A に し て
橋本賢助,1938. 山形県の淡水魚. 山形県教育, 574: 22・
も、 飽 く ま で も 目 安にすぎず、 最後には、 研究に
あ た っ た人聞が、 広 く 総合的に考えて判断 を下す
しかな い。
26.
永幡嘉之, 2006. 忘れ去られた最初の混棲地. 月 刊むし,
422: 38-45.
永幡嘉之, 2006. 歩く昆虫学者. 山 形新聞夕刊連載.
永幡嘉之・矢後勝也・武田隆,2006. 小田島村・追憶の
ミヤマシジミ. Butterflies, 42: 4・15.
オオタキマイマイ
員の仲間は移動力が低い こ と も あ り 、 地域でさ
ま ざ ま な特産種が知 ら れて い る 。 山形県 に も、 明
治時代後期 に貝類の調査を行っ た大滝五百太の活
躍に始ま り 、 山形大学の鈴木庄一郎 ら によ っ て調
査が進め ら れて き た。 代表的な も の と して、 大滝
大津高, 2005. 腰巻きバッタ. 山形昆虫同好会会誌, 2:
大津高(編) , 1991. 山 形県陸産淡水産動物目録. 山 形県
動物環境調査会, 山 形. 358 pp.
大類貞夫, 2005. 新庄・巌上のチョウ今昔. 山 形昆虫同
好会会誌,2: 107-115.
鈴木庄一郎, 1969 山形県飛島の貝類. 山 形大学紀要5.
I
新種発見物語
て き た。 し か し、 別種か ど う か を判断す る決 め手
国
4 ) ま だ ま だ 見つかる新種
ハネ力クシ類
ゆく 。 ハ ネ カ ク シの分類が専門で、 東京農業大学
の昆虫学研究室を長年率 い て き た渡辺泰明は、 両
親の郷里が山形であ る こ とか ら 本県 と の縁 が深く 、
近 年で も 、 新種の発見は相次いでいる。 例えば、
特に立川 町 (現庄内町) 立谷沢や温海町 (現鶴岡
ハ ネカ ク シ の よ う に膨大な種類をふく むグ ループ
市) で精度 の高 い調査を続け る かたわ ら で、 見出
の場合、 調べれば調べ る ほ ど新 し い種類が増えて
し た いく つ も の新種を 自 ら 記載 し て い る。
コルリクワガタ
こ う し た地道な研究 に よ り 、 そ の地域の 自 然の
しく みが解明 さ れてゆく 一方で、 セ ンセ ー シ ョ ナ
ルな話題 を集め る 種類 も い る 。 例 えば、 ブナ林 に
生 息 し 、 青く輝く コ ル リ ク ワ ガ タPla yce
t rus
acu tic ollis は、 長い間ル リ ク ワガタ と混同 さ れて
お り 、 そ の存在は知 ら れて い なか っ た。 1 969年に
I
新種発見物語
国立科学博物館の黒揮良 彦がその存在に気づいて
全国 の標本を集め、 大英博物館に保存 さ れる標本
と と も に あわせて検討 し た結果、 新種 と し て記載
さ れた。 そ の 際 に は山形県 (飯豊山温身平・吾妻
山若女平) の標本 も使われて い る 。 タイ プ産地は
群馬県の法師 温泉 と さ れたが、 山形県 も 発見地の
ひ と つ であ る こ と に は違 い な い。 黒海 は少年時代
図
を米沢市で過 ご し、 旧制 山形高校 に在籍 し た こ と
か ら 、 山形県の見虫相 の解明 に非常 に 大 き な役割
を果た し てお り 、 自 身で数多く の タ マム シ の新種
を記載 し た 際に、 山形県産の標本 も頻繁 に使われ
た。 黒揮が中学生時代に米沢市近郊 で採集 し、 新
種ではな い か と気づい て い た も の の 中 に は、 シナ
30.
コ ル リ ク ワ ガ タ ( 山 形 県吾 妻 山 、 永幡, 2005 よ り )
ノ キ チ ビ タ マ ム シTrachys au r抑制 や ズ ミ チ ビ
タ マ ム シTrachys toringoi が あ る 。 さ ら に、 甲
虫類の採集では非凡 な 腕前 を みせ、 体 長 1 .5 ミ リ
の クロ サ ワ ツ ブ ミ ズム シDe el vea ku rosa wai を
摩耶山で採集 し て い る の を は じ め と して、 実に多
く の 甲虫を 山形県か ら 記録 し た。
シラハタリン ゴ力ミキリと
シラハタネクイハムシ
酒 田市で警官 と し て勤務す る 傍 ら で昆虫の調査
を続けた 白畑孝太郎は、 膨大な採集品を整理 し て
は、 同定 の不能な も の を専門家に送っ たため、 彼
31.
コ ル リ ク ワ ガ タ が晃られ る 6 月 初旬の飯豊山 (永幡
嘉 之)
の採集品か ら は多く の新種が見出 さ れた。 学名 に
白畑の名 を留め る も の は数多いが、 代表的な も の
に シ ラ ハ タ リ ン ゴカ ミ キ リObe rea shi raha at i が
あ る。 酒 田市の 自 宅か ら す ぐの林昌寺 に出かけた
際に、 キ ンギ ン ボ ク の葉 を食べて い る 数頭を見出
し た も ので、 岐車 県在住であ っ た カ ミ キ リ ム シ の
専門家で あ る 大林一夫 に よ っ て新種 と し て記載さ
れた。
ネ クイ ハム シ と い う 仲間がい る。 水辺のスゲ、 類
な と、 の水草 を食べ、 成虫は葉や花に集 ま る が、 幼
虫は7水k 中で
も つ。 水中で植物の根 に差 し込んだ、呼吸 管か ら 、
酸素 を吸 収 し て呼吸 する。 色 と り ど り で美 し いと
と か ら同好者の問での人気は非常 に 高 い。 ス ゲハ
ム シ と い う 種類は県内の水辺で ごく 普通に見 ら れ
32.
る が、 月 山志津でそれに似た別 の種類が混 じ っ て
シ ラ ハ タ リ ン ゴカ ミ キ リ
之)
( 山 形県米沢市、 永幡 嘉
い る の を見出 した。 その別種は木元新作 に よ っ て
I
新種発見物語
シ ラ ハ タ ネ ク イ ハ ム シPla et uma ris shi raha at i
と して記載さ れ、 その後、 関東 ・ 東北地方か ら 北
海道、 さ ら に はロ シア か ら も確認 さ れて い る 。 ス
ゲハム シ と酷 似 し て い る が、 両種 を並べ比較すれ
ば区別で き る。 その後、 県内では志津・ 朝 日 村湯
殿 山な ど 月 山南面か ら 確認 さ れて い る ほか、 寒河
江 市の葉山山系か ら も知 ら れ る が、 奥羽山系や鳥
圏
海山、 朝 日 山系 の大井沢な どでは調査 さ れてはい
る も の の全く 発見 さ れてお ら ず、 近 い産地は吾妻
山 の福島県側や、 秋田県田沢湖 ま で飛び離れる 。
分布の点で も 非常 に興味深い種であ る 。
チ ョ ウ力イ クロマメゲ ン ゴロウ
1 990年代に、 全国的にゲ ン ゴロ ウ類の研究が盛
ん に な っ た時期があ っ た。 その折に、 鳥海山か ら
池田都志也 に よ っ てチ ョ ウ カイ クロ マ メ ゲ ンゴロ
ウPla at m bus ike dai が発見 さ れ、 ス ウ ェ ーデ、 ン
33. 各地 に見られるスゲハ ム シ (永幡嘉之)
ネ ク イ ハム シの仲間は水辺の花 に も 集 ま る 。
の Nillson に よ っ て新種 と し て記載さ れた。 ゲ
ンゴロ ウ の よ う な解明度 が高い と思われていた種
類で も なお新種が発見 さ れた こ と は、 全国の研究
者・ 同好者 に驚 き を も た ら し た。 そ の後、 秋田県
と岩手県か ら 確認さ れて い る が、 現在の と こ ろ 東
北地方か ら 知 ら れて い る のみで あ る 。
34
5 ) 新種発見の 先にある も の
調べるテ ーマは無限
動植物の調査 を続けて い る と 話す と 、 「新種見
つ け た こ と が あ る んですか ? J と 問われる こ と が
多い。 それが一般の 人 に と っ ては も っ と も 分か り
やすい 「成果J なのだろ う 。
こ こ ま で、 山形県で発見 さ れた昆虫や員 と、 そ
れを発見 した人々 の歴史を た ど っ て き た。 最後に、
動植物の調査を進めて ゆ く に あ た っ て必要な視点
に触れてお き た い。
春の女神と して名 高いギフチ ョ ウ・ ヒ メギ、フ チ ョ
ウ は、 岐阜県での名 和靖 に よ る発見 (1 883年) ば
新種発見物語
I
か り が取 り 上げ ら れる こ と が多いが、 日 本 にギフ
チ ョ ウ Lueh doポa jap onica と ヒ メ ギ フ チ ョ ウ
Lueh dorfia puzi loi の 2 種が い る と 分か つ て き た
と き に、 果た し てそれ ら が同 じ場所 に い る のか、
すみわけて い る のか と い う こ と は、 なかなか解明
35. ギ フ チ ョ ウ ( 山 形県鮭川村、 永幡嘉之)
さ れて い なかっ た。 1937年に 山形県鮭川村で伊東
巌 に よ っ て両種の混棲が確か め ら れ、 同 じ こ ろ 川
図
合修二に よ っ て大石田町の ど こ か (詳細は不明)
で も 混棲状態が確認さ れて、 初めて 「分布の境界
付近 に は混棲地があ り 、 両種は基本的に棲み分け
て い る」 と い う こ と が分か つ て き た。 そ の後、 多
く の 人 に よ っ て詳 し い調査が行われ、 ギ フ チ ョ ウ
の食草 と して広 く 利用 さ れて い る ウスバサイ シ ン、
コ シ ノ カ ン ア オイ の他に、 ミ チ ノ ク サイ シ ン と い
う 特殊な カ ン ア オイ を食べて い る 場所があ る こ と
も 大類貞夫に よ っ て確認さ れた。 ミ チ ノ ク サイ シ
36
ギ フ チ ョ ウ が水 田 脇 を 舞 う 特 異 な生息地 ( 山 形県
鮭川村、 永幡. 2006よ り )
37.
ミ チ ノ ク サ イ シ ン に産まれたギ フ チ ョ ウ の卵 (山
形県鮭川村、 永幡. 2006よ り )
ン を食べるギ フ チ ョ ウ は、 現在の と こ ろ 山形県最
上地方の 3 地点で し か確認 さ れて い な いが、 その
う ち 1 ヶ所はすで に 開発 に よ り 消滅 し て い る 。 こ
の よ う に、 新種の発見 に続き、 「 ど の よ う な分布
を し て い て、 ど の よ う な生活を し て い る のか、 何
を食べ、 いつ羽化 し 、 幼虫は何 日 ぐ ら い で踊にな
る のか、 そ う し た習性に地域差はあ る のか」 な ど、
調べる テーマは無限 に あ る。
消えゆく虫だち
t s は、
マー ク オサム シ Limn ocara bus cra ht ra u
明治時代 に 日 本を訪れたイ ギ リ ス 人の ジ ョ ー ジ ・
ルイ ス が諏訪湖畔で採集 し、 ベー ツ に よ り 新種 と
して記載 さ れた も のであ る。 そ の後、 長野県では
採集さ れて い な い。 日 本人 に よ っ てマー ク オサム
シの 生息が確認 さ れたのは1932年の こ と で、 山形
県宮生村 (現上山市) 下生居 に お い て鈴木 (後の
白畑) 孝太郎 に よ っ て採集 さ れ、 大阪の福貴正三
に よ っ て報 じ ら れたのが最初であ る。 それに続き、
10年の う ち に青 森県八戸市、 津軽半島、 山形県米
沢市周 辺 と 発見が続き、 東北地方の低湿地に生息
するオサム シであ る こ と、 北海道にはいない こ と、
大陸 と の共通種であ る こ と な どが確かめ ら れた の
で あ る 。 新種ではなかっ たが、 山形県での発見は
日 本のマー ク オサム シの研究史 を た ど る 上で、 新
種の発見 と並ぶ重要な意味を持っ て い る 。
その後マーク オサムシは、 山形県内では東根市、
たが、 2003年か ら 2005年にかけての調査ではわず
38
県 内 では絶滅 に 瀕 し て い る マ ー ク オ サ ム シ ( 山 形
県大石 田 町、 永幡嘉之)
か 2 か所 に 生息 し て い た のみで、 かつ て広く 分布
し て い た全域でほぼ絶滅状態で あ る こ と が明 ら か
になっ た。 今の 自 然環境 を知 る た め に は、 こ の よ
I
新種発見物語
酒 田市、 南 陽市、 山形市、 遊佐町か ら も確認さ れ
う に以前か ら 知 ら れて い る種類の変化 を調べる こ
と が、 非常に大き な意味を も っ て い る 。 マー ク オ
サム シ と 同様に、 県内全域の低湿地 に普通 に 生息
し て い た マイ コ ア カ ネ と い う ア カ ト ンボ も、 多く
の場所で絶滅 し て し ま い、 数か所 に しか残っ て い
な い。 こ の よ う に、 現在は、 調査が進ん で新種の
発見は少なく な っ た反面、 絶滅 して消えよ う と し
ている種類が室速に増えてきている。 山形県の レ ッ
ド デー タ ブ、 ツ ク では、 絶滅 し た見虫 と し て ミ ヤマ
シ ジ ミ 1 種 し か挙げ ら れて い な いが、 こ れは少 し
39. か つ て マ ー ク オ サ ム シ が生 息 し た 最上 川 の 河 川 敷
( 山 形県 酒 田 市 、 永幡 嘉 之)
で も 再発見の可能性があ る も の を安易に絶滅 と 判
断 し な い よ う に慎重に選ん だためで、 実際に はオ
オ ウ ラギ ン ヒ ョ ウ モ ン、 チ ャ マダラセセ リ な ど も
絶滅 し て久 し い。
新種の発見 に は確か に夢があ る。 しか し、 それ
と 同時に、 変化 し て ゆく も の ・ 消 え て ゆく も の を
し っ か り と 調べる こ と が、 本 当 に 自 然を理解する
こ と につながっ て ゆく 。 新種の発見は、 そ う し た
調査の と き に結果 と し てお ま けの よ う に つ い て き
た も ので、 調査を続けた人び と に は も っ と 大 き な
目標があ っ た こ と を忘れてはな ら な い だろ う 。
40
激減 し た マ イ コ ア カ ネ ( 山 形 県 村 山 市、 永幡, 2006
より)
(永幡嘉之, 八鍬拓司)
図
5 . ク モ類
山 形県産の標本 に よ り 新種 と し て記載 し た の は、 岸 田 ( 1 9 1 0) に よ る コ モ リ グ モ科 の 2 種 に 始 ま る o
S. Saito ( 1 939) では, 東北地方の ク モ類 を取 り 上げた論文の なかで、 1 3新種を含む多数の記録が残 さ れ
て い る。 そ の後、 県内 の研究者で あ る 興津伸二、 錦三郎お よ び吉田哉や県外の研究者の採集に よ る 標本 に
も と づいて数編の記載がな さ れた。 こ こ で取 り 上げた種はすべて文献で確認 し た も ので あ る 。 こ の ほかに
も 山形県 に関係する種 があ る か も しれない。
こ こ で取 り 上げる の は、 現在有効な学名 を持ち 一般 に広く 知 ら れて い る 種であ る。 ホ ロ タイ プ、 シ ン タ
イ プ、 ネオタイ プの産地が山形県の も の を 取 り 上げ、 発表年代順 と し た。 ま た、 正体不明の ま ま残 さ れて
い る 種が 6 種あ る。
コ オニグ モモ ド キ ( コ ガネグ モ科)
Pr,仰 ous miutus (S. Saito, 1 939)
日 本国 内 に広く 分布する 種であ る。 北部
I
新種発見物語
の 山地に多く み ら れ、 中 国や韓国か ら も 記
録があ る 。
ホ ロ タイ プ : ♀ , 高湯 (山形市蔵王温泉
と 考 え ら れ る ) , 3-VII- 1 934, 河野広道採
集, 紛失.
ヤマ ト フ ト パ ワ シグ モ ( ワ シグ モ科)
園
O d,仰t odrassus h on doensis (S. Saito, 1939)
41
エグ チグ モ科の も と に記載さ れた。 長年
スジブ ト コ モ リ グモ (緒方清人)
正体不明 の ま ま残されてきた。 追手門学院
ス ジブ ト コ モ リ グ モ ( コ モ リ グ モ科)
大学加村隆英に よ り ワ シグ モ科の フ ト パ ワ
A lopec osa vi rgata (Kishida, 1 9 10)
シグ モ属に転属 さ れ、 再記載がお こ なわれ
本種は 山形県 に お け る 初めて の記録であ
た。
ホ ロ タイ プ : ♂ , 高湯, 3-VII-1 934, 河
る 。 現在は 日 本か ら 広く 知 ら れて い る 。
「博物之友」 の編者は 「本文の 2 新種は他
野広道採集, 紛失.
にて学会 に発表せ ら る る 由 なれば本誌の主
義に反する も蕊に載せる事にな り し者な り 」
と の注があ る。 し か し 、 他に発表 さ れた こ
と はなく 。 「博物之友J 74号の記載 を 、 新
種記載 と みな し て い る 。
記載を し た岸田久吉は、 日 本人 と し て ク
モ類を本格的に研究 し た初めての人で あ る。
新種 と 認め た ク モ は多数あ る が、 未記載の
ま ま残 さ れ た も のが多い。
シンタイ プ : 1 ♀ 1 ♂, 米沢市南松土手,
1 7-V- 1 9 1 0, 吉田貞次採集, 紛失.
42
コ オ ニグモモ ド キ (緒方清人)
イ プ : 2 ♀ , 高湯お よ び吾妻山, 3, 4-VII-1 934,
河野広道採集, 紛失.
キ ヨ ヒ メ グ モ ( ヒ メ グ モ科)
Achaea ranea oculψ rominentis CS. Saito, 1939)
原記載ではホ ラ ヒ メ グ モ属 と して記載 さ れ、 デ
メ キ リ グ モ と い う 和名がつ け ら れていたが、 長年
正体不明の ま ま 残 さ れて き た。 一方、 キ ヨ ヒ メ グ
モ は学名がつ け ら れて い な い ま ま広く 知 ら れて き
た。 吉田哉は、 両種が同 じ も のであ る こ と を見 出
し、 ツ リ ガネ ヒ メ グ モ属 に転属 し 再記載 し た。
ホロ タイ プの採集者であ る太 田喜八郎は酒 田市
在住で、 庄内地方で ク モ類の採集や観察を し た。
S. Saito ( 1 9 39) では多数の標本が使われて い る。
し て い る。 荘 内博物学会研究録第4 輯に 「く も の
糸 と そ の 巣」 と い う 解説 を 1 8 ペ ー ジ に わ た り 掲
43. タ カ ユ ヒ メ グモ (緒方清人)
載 し て い る。
ホロ タイ プ : ♂, 酒 田市横道町, 1 8-VIII-1 935,
タ カユ ヒ メ グ モ ( ヒ メ グ モ科)
太田喜八郎採集, 紛失.
Takayus takayensis CS. Saito, 1 939)
図
本種は1 939年に、 北海道大学農学部動物学教室
ほ か に 疑 問 種 と し て、 ジ ュ ウ ジ ド ヨ ウ グ モ
の驚藤三郎が東北の ク モ を取 り 上げた論文のなか
Meta reticul oi des C酒 田 市光 ヶ 丘) 、 サカ タ フ クロ
で新種 と し て発表 し た ク モであ る。 産地は高湯お
グ モ Clu bi ona sakatensis C酒 田市) 、 ク モガ タ ハ
よび吾妻山で、 雌 2 頭を も と に記載さ れた。 採集
エ ト リ Ballus jap onicus C I 日 西 田 川 郡栄村、 現庄
地を示す地図では蔵王山 と蔵王温泉の位置にある。
内町) 、 ケム リ ハ ラ ダカ グ モ Ce ratinella ルm俳m
南村山郡 と の記述 も あ る こ と か ら 、 吾妻山は蔵王
(酒 田 市光 ヶ 丘) 、 ア シナガマルグ モPachygnatha
山 の間違い の可能性が大 き い。 採集者の河野広道
rotun da C酒 田市) な どが あ る 。
は北海道大学農学部見虫学教室に所属 し て い た。
低山帯か ら 亜高 山帯近く ま で の 山地に見 ら れ、
低木に不規則網を張る造網性 の ク モ で あ る 。 平地
で見 ら れる こ と は ほ と ん ど な い。 分布は北海道か
ら 九州 ま で と広く 、 韓国や中国で も 記録 さ れて い
る。 ヒロ ハ ヒ メ グ モやパ ラ ギ ヒ メ グ モ に近 い種で
あ る が、 本種は 山地に多く 見 ら れる。
こ れ ま で ヒ メ グ モ属 と し て扱われて き たが、 吉
田哉は本種 を タイ プ種 と し て タ カ ユ ヒ メ グ モ属 を
新 し い 属 と して記載 し た。 原記載のタイ プ標本は
紛失 し た と考え ら れる ので、 蔵王温泉産の雌を新
た に ネ オ タイ プに指定 し た。
ネ オ タイ プ : ♀ ,
山 形市蔵王温泉,
1 976, 吉 田 哉採集, 国 立科学博物館蔵,
I
新種発見物語
酒 田市学務課長の と き、 荘内博物学会の副会長を
l l-VIIIシンタ
44. キ ヨ ヒ メ グモ (緒方清人)
会手記
d
r
y
行
g
24
、
入
V
幽
ぬ
続
h
v
仙
持
堅
d
大阪市立大学大井良次が 日 本のサ ラ グモ類を ま
と め た論文で、 本種 と ト ガ リ ア カ ム ネグモ、 フ タ
ス ジサ ラ グモが山形県を タ イ プ産地 と して記載さ
れた。 後 に フ タ ス ジサ ラ グモ は異名 と な る。 標本
は大井良次の手元に置かれて いたが、 死後国立科
学博物館に移さ れた。
ホ ロ タイ プ : ♂, 旧東田川郡羽黒町 (現鶴岡市) ,
2 1 -YI-1 952, 興津伸二採集, 国立科学博物館蔵
ト ガ リ ア カ ム ネグモ (サ ラ グモ科)
Umme ilafa e rig on oi des (Oi, 1 960)
南陽市の ク モ類研究家の錦三郎が白竜湖周辺で
採集 し た ク モで あ る 。 「雪迎え」 に 関係する種の
新種発見物語
I
45. Oi ( 1 960) よ り
左 図 版の 左 上 が ト ガ リ ア カ ム ネ グモ、 右 図 版の左上がハ シ グ 口
ナ ン キ ングモ。
l つで あ る 。
シ ン タ イ プ : 3 ♀ l ♂ , 南 陽市赤湯, 30-XII1 958, 錦三郎採集, 国立科学博物館蔵
ク ワガ タ ア リ グモ (ハエ ト リ グモ科)
M.シ rma rachne jap onica Yaginuma, 1 967
ア リ に似る こ と か ら ア リ グモ と い う 。 日 本では
3 番 目 の種 と し て記載さ れた。
図
ホ ロ タイ プ : ♂, 旧東田川郡羽黒町 (現鶴岡市) ,
26-Y- 1 9 5 1 , 興津伸二採集, 日 本蜘妹学会蔵
46. ハ シ グ ロ ナ ン キ ングモ と ト ガ リ ア カ ム ネグモ ( タ イ プ標本、
国 立科学博物館蔵)
ハ シグ ロ ナ ンキ ングモ (サラ グモ科)
Nese rig one nig ri et rmin orum (Oi, 1960)
ホ ロ タ イ プの採集者興津伸二は鶴岡市の出身で、
大学卒業後農林省 に入 り 全国各地の農業試験場 に
勤務 し た。 県内では庄内地方 を 中 心 に ク モ類の研
究をお こ な い、 本種の ほか ク ワガタ ア リ グモ の タ
イ プ標本を採集 し た。
47. ク ワ ガ タ ア リ グモ (緒方清人)
ウゼンマ シ ラ グモ (マ シ ラ グモ科)
ク リ コ ホ ラ ヒ メ グモ (ホラ ヒ メ グモ科)
Fa cl i elp tone at ,ゆ
t cea Yaginuma, 1 972
Nes itcus ku riko Yaginuma, 1972
1967年 5 月 1 5 日 付け の 山形新聞では 「米沢市万
栗子洞 に ち な む種小名および和名がつ け ら れた。
世地内 の “黒松沢洞窟" の本格的な調査が、 地元
ホ ラ ヒ メ グモ 属 と し ては 山形県では じ め て の記録
の栗子凝灰岩洞窟総合調査班の手で14 日 か ら は じ
と な っ た。
ま っ た。 こ の 日 は ヒ ナ マ シ ラ グモ属の珍種 も見つ
ホ ロ タ イ プ : ♂, 米沢市万世町黒松栗子洞, 1 6-
か る な ど、 ク モ の宝庫であ る こ と が確認さ れた。 」
VI-1967, 錦三郎 ・ 清水大典採集,
と の記事が あ る 。 調査員 と して、 当 時川 西町立吉
蔵
日 本蜘峠学会
島小校長錦三郎、 米沢市立博物館学芸員清水大典
な ど の名 前 も 記 さ れて い る。
シ ミ ズサ ラ グモ (サ ラ グモ科)
ホ ロ タ イ プの採集月 日 を見る と、 本種の 5 月 14
日 を は じ め、 ク リ コ ホ ラ ヒ メ グモ の 6 月 1 6 日 、
シ ミ ズサ ラ グモ の 8 月 6 日 と な り 、 少な く と も
3 回の調査をお こ な っ て い る こ と がわかる。
米沢市の冬虫夏草研究家 と して知 ら れ て い る 清
水大典 に ち なむ種小名お よ び、和名 で あ る。
ホ ロ タ イ プ : ♂, 米沢市万世町黒松粟子洞, 6VIII-1 967, 清水大典採集, 日 本蜘蝶学会蔵.
沼健夫は、 本種の ほかク リ コ ホ ラ ヒ メ グモ と シ ミ
ズサ ラ グモ を新種 と し、 カ ネ コ ト タ テグモ、 サ ン
ロ ウ ド ヨ ウグモ、 ニ シキサ ラ グモな ど も記録 し た。
ニ シキサ ラ グモは富士山溶岩洞穴の こ う も り 穴か
I
新種発見物語
調査か ら 5 年後の 1 972年に追手門学院大学八木
O re one it des shimizui CYaginuma, 1 972)
ら 採集 さ れた標本がタ イ プ標本 と し て 3 月 に別 に
記載さ れて い る。
圏
ホ ロ タ イ プ : ♂, 米沢市万世町黒松栗子洞 (通
称黒松沢洞窟) , 14-V-1967, 錦三郎採集, 日 本蜘
妹学会蔵.
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lleleraþðll(/ !orâ向la (l(,\IISCU ) ;.J γ ν タ カ ク モ
Photo : Saburo NI$HtK!
49. 八木沼 ( 1 972) よ り
栗子洞の調査で採集 さ れた ク モ
は、 1 972年 に な っ て報告 さ れた。
ヨ シダフ ク ロ グモ ( フ ク ロ グモ科)
Cu
l bi ona y oshi dai Hayashi, 1 989
山形県総合学術調査会第九次調査御所山の折に、
翁 山 の尾花沢市か ら の登山道で採集 し た。 こ の標
本 を も と に群馬県の蜘妹類研究家で フ ク ロ グモ類
の専円で あ る 林俊夫が新種 と し て記載 し た。 種小
名 お よ び和名 に吉田哉の名前が使われて い る 。 フ
ク ロ グモ 属 の ク モは、 現在では 日 本か ら 56種記
録 さ れて い る が、 20 年 ほ ど 前 ま で は多数の未記
載種が残 さ れて いた。
ホ ロ タ イ プ : ♂, 尾花沢市翁 山, 20-IX- 1 986,
50
オ バ コ ヤチグモ と マ サ カ リ ヤチグモ ( タ イ プ標本、 国 立科
学博物館蔵)
マヤフ ク ロ グモ ( フ ク ロ グモ科)
新種発見物語
I
図
吉田哉採集, 日 本蜘昧学会蔵.
Cu
l bi ona maya Hayashi et Yoshida, 1 9 9 1
オパコ ヤチグモ (ガケ ジグモ科)
C oe lotes obako Nishikawa, 1 983
ヤチグモ類の専門家追手門学院大学西川喜朗が
東北地方の種を研究 し た と き に記載さ れた。 秋に
山形県総合学術調査会第十次調査摩耶山で発見
し た。 摩耶山 の東側の 旧 朝 日 村 と 西側 の 旧 温海町
で採集 さ れて い る 。 林俊夫 と 吉 田哉の共著で新種
と し て記載 し た種で あ る 。
な っ てか ら 成体 と な る。 本種は庄内地方北部か ら
「摩耶 山 の調査」 では、 圧内南部地域の海岸か
秋田県にか けて記録 さ れて い る 。 同 じ研究で採集
ら 摩耶 山一帯の 山岳地域にかけて の調査 を実施 し
さ れたマサカ リ ヤチグモはパ ラ タ イ プ に 旧 西 田 川
た。 現在の鶴岡市の全域を含む地域で あ る。 ク モ
郡温海町 (現鶴岡市) 産の雌が用 い ら れ て い る 。
類では本種が新種 と な っ た ほか、 ヤマガタ ナ ミ ハ
ホ ロ タ イ プ : ♂ , 旧 飽海郡八幡町鳥海 山 1,220
1 ,300
m
alt. (現酒田市) , 29-VIII-1 982, 西川喜
朗採集, 国立科学博物館蔵
グモが後 日 新種 と し て記載さ れ る こ と につながっ
ている。
ホ ロ タ イ プ : ♂, 旧 西田川郡温海町関川 (現鶴
岡市) , 4-V-1 989, 吉田哉採集, 日 本蜘妹学会蔵
ヤマガタ ホ ラ ヒ メ グモ (ホラ ヒ メ グモ科)
Nes itcus yamaga et nsis Yoshida, 1 989
山形県総合学術調査会第九次調査で発見 し た。
東根市牛居川上流の川岸 の、 大 き な石組みの間で
採集 した。 当 時採集 に 同 行 し た陸産貝類担 当 の 本
木康夫が調査 し て いた場所で吉田哉が偶然発見 し
た ク モで あ る 。 ホ ラ ヒ メ グモ属は暗い と こ ろ を好
む性質があ り 、 多 く は洞穴の中で発見 さ れて い る 。
本種は洞穴外 で の 採集で あ る 。 1 988年以来採集
を し て いな いが、 タ イ プ産地一帯 に 目 につかない
で生息 し て い る と考え ら れ る 。 山形県では、 ホ ラ
ヒ メ グモ属 と し て、 ク リ コ ホ ラ ヒ メ グモ に次 ぐ 2
番 目 の記録になる。
ホ ロ タ イ プ : ♂ , 東根市牛居 川 上流, 22-V1 988, 吉田哉採集,
日 本蜘妹学会蔵
5 1 . 山 形県総合学術調査会報告書 「 御所山J r摩耶 山 」 と 記載論
文
た。 こ れ ま で調査が遅れて い る 仲間であ る 。 山形
県では 8 月 か ら 初秋 こ ろ に成体 に な る 。 ホ ロ タ イ
プの採集者野嶋宏一は大阪市在住であ る。
ホ ロ タ イ プ : ♂, 米沢市白布峠, 28-VIII-1 995,
野嶋宏一採集, 国立科学博物館蔵.
山 形 県人 に ち な む ク モ
上記の ほか に、 次の種名や和名 に県人の名前が
使われて い る。 学名 の後に タ イ プ産地を記 し た。
吉田貞次 : ウゼ ン コ モ リ グモ ( コ モ リ グモ科)
Troch osα j oshi danα (Kishida, 1 9 10)
52. ヤ マ ガ タ ホ ラ ヒ メ グモ ( タ イ プ標本、
会蔵)
日 本蜘 妹 学
米沢市
興津伸二 : オキツハ ネグモ ( タ マ ゴグモ科)
Orches it仰 oki sui
t Oi, 1 958
錦
東京都
三郎 : ニ シキサ ラ グモ (サ ラ グモ科)
山梨県
黒揮良彦 : ク ロ サ ワ フ ク ロ グモ ( フ ク ロ グモ科)
Cu
l bi o仰 ku rosa wai Ono, 1 986
1>2,\UIof'l'lω締官...
叩 山 い同州 ... 鈍 ゆ 附 叫 刷叩4山�Ml…i 阿
'w句刷陶r
輔、蜘 ω 例府側れ憎鵬弘即刻、m “ b.... "f
曲 剛 一瞬 I山山崎山町四}
53
ザオ ウ マ ジ ナ イ ケ シ グモ と 記載論文 (ホ ロ タ イ プ、
国 立科学博物館蔵)
長野県
池田博明 : ハ コ ネ フ ク ロ グモ ( フ ク ロ グモ科)
Cu
l bi ona ike dai Ono, 1 992
吉田
神奈川県
哉 : ヨ シダ ミ ジ ングモ ( ヒ メ グモ科)
Lasae ola y oshi dai (Ono, 1 9 9 1 )
北海道
図
ヨ シダ ヒ シガタ グモ ( ヒ メ グモ科)
EPisinus y oshi dai Okuma, 1 9 94
台湾
タ カ ラ ジマ ウ ズグモ ( ウズグモ科)
ザオ ウ マ ジナイ ケ シグモ (サ ラ グモ科)
Nipp on otusuku ra spinige r H.Saito et Ono,
2001
著者の 1 人斎藤博は山梨県増穂町に在住で、 サ
Oc ton oba y oshi dai Tanikawa, 2006
宝島
さ ら に、 山形県 に 関係あ る属が2 つ あ る 。
蔵王温泉 : タ カ ユ ヒ メ グモ属 ( ヒ メ グモ科)
Takayus Yoshida, 2 0 0 1
ラ グモ科の分類の専門家で あ る 。 国立科学博物館
吉田慶二 : ホ シ ヒ メ グモ属 ( ヒ メ グモ科)
小野展嗣 と と も にサ ラ グモ科の新種を記載 したな
Keijia Yoshida, 20 0 1
か の l 種が蔵王山産で あ る。
ホ ロ タ イ プ : ♂ , 山形市蔵王山, 28-V1983,
A. D. Blest採集, 国立科学博物館蔵.
お も な 引 用 文献
岸田久吉, 1910
日 本産の ど く く も 類 に 就て (1). 博物
之友, 74: 99・101.
Oi, R., 1960. Linyphiid spiders of Japan. Journ
ヤマガタ ナ ミ ハグモ (ナ ミ ハ グモ科)
Cy baeus y oshi dai Ihara, 2004
山形県総合学術調査会第十次調査で初め て 旧 温
海町側の摩耶山で採集さ れた。 その後、 旧朝 日 村、
米沢市さ ら に岩手県 と宮城県で採集 さ れた。 ナ ミ
Inst. Poly., Osaka City Univ., (D), 11: 137-244,
pls. 1-26.
Saito, S., 1939. On the spiders from Tohoku
(northern
most part of the main island),
Japan. Saito Ho-on Kai Muss Res. Bull., 18: 1
91. pl. 1.
八木沼健夫, 1972. 凝灰岩洞窟の 真正蜘妹類一山形県 東
ハグモ類は地表性で しか も変化に富む仲間であ る。
子洞 ・ 大 滝洞 ー . 追手 門 学 院 大学文学部紀要, 6 :
東北地方の大型お よび中型の ナ ミ ハグモ属 を記載
87-107.
し た広島市の井原庸に よ っ て こ の名前がつ け ら れ
I
新種発見物語
Ta ranucnus nishikii Yaginuma, 1 972
(吉田
哉)
6 . 植物 の 発見
山形県か ら こ れ ま で 1 50種以上の種、 亜種、 変種、 品種な どが記載 さ れて い る 。 し か し、 その後の研究
ですで に記載 さ れて い る種の異名 と さ れた も の も 多い。 ま た、 こ れか ら研究が進む こ と に よ り 、 こ こ に取
り 上げた も のが別 の名 前 に変わ る 可能J性 も あ る 。
こ こ で取 り 上げる 新種は25種 8 変種 お よ び雑種と し て の 6 種で、 さ ら に 異名 と考え ら れ る 4 点 を紹介
する。 こ の なかで、 飯豊山、 蔵王山、 鳥海山がタイ フ。産地 と な っ て い る も の の一部は、 山形県側でない場
合があ る。 基本的 に年代順 に 取 り 上げた。 和名 の後の年代は記載さ れた年を 表 し て い る。
1 ) 本格 的 な 調査が始 ま っ た 1 9世紀末
山形県の植物の記録は江戸時代か ら あ る が、 学術的な研究 と し て発表さ れた の は 1 9世紀末に な っ てか ら
であ る。 1 887年に採集 さ れ1890年矢田部良吉 に よ り 記載さ れた ヒ ナザク ラ は、 その代表で あ ろ う 。 一方、
新種発見物語
I
フ ラ ンス 人のFaurieは 日 本各地で植物 を採集 し た。 山形県で も 各地で採集 し て い る。
図
54.
ヒ ナ ザ ク ラ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学植物園蔵)
55
ヒ ナザ ク ラ (東京大学植物園蔵)
ヒ ナザク ラ (サク ラ ソ ウ科) 1890年
Prima nか'p onica Yatabe
1 887年に東京大学の矢田部 良吉一行が山形県で
植物の調査を し た際に鳥海山お よび月 山で採集 し
た。 鳥海山 の標本 を タ イ プ と し て い る。 亜高山帯
か ら 高 山帯の雪田 の融雪地や湿地 に生え る 小型の
多年草で高 さ 7 - 1 5cmほ ど に な る 。 東京大学に は
鳥海山の標本が 2 枚の台紙に貼 ら れ、 月 山 の標本
が l 枚の台紙に貼 ら れ保管 さ れて い る 。 採集者に
56.
ヒ ナザ ク ラ
矢田部良吉 と 大久保三郎の 2 人の名前があ る。
57. イ ブキゼ リ モ ド キ (吉田悟)
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59. ア ズ マ ガ ヤ (高橋信弥)
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I
新種発見物語
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58. カ ニ ツ リ ノ ガ リ ヤ ス ( ア イ ソ タ イ プ、 京都大学総
合博物館蔵)
60. オ オ ヒ メ ワ ラ ビ (パラ タ イ プ、 東京大学植物園 蔵)
イ ブキゼ リ モ ド キ (セ リ 科) 1 866年
オオ ヒ メ ワ ラ ビ (オシダ科) 1 899年
Ti ilngia h olope at u
l m (Maxim.) Kitagawa
Depa ria oku boana (Makino) M. Kato
飯豊山で東京大学松村任三な ど に よ り 採集 さ れ
山形県に関係 の あ る シダ植物の新種はオオ ヒ メ
た。 標本 を ロ シ ア のMaximowicz に 送 り 、 1 866
ワ ラ ビのみで あ る 。 山形市の 山寺で大久保三郎が
年に新種 と し て記載さ れた。 こ の こ ろ は、 日 本人
1 890年 7 月 14 日 に採集 し た。 後で貼 ら れた ラ ベル
が新種を記載 し て い なか っ た。
に はパ ラ タ イ プ と記述 さ れて い る 。
カ ニ ツ リ ノ ガ リ ヤス (イ ネ科) 1 899年
ア ズマガヤ (イ ネ科) 1 904年
Ca al magros its fau riei Hack.
めs trix longe-a ris at at (Hack.) Honda
1897 年 9 月 28 日 にFaurie が 月 山 で採集 し た標
吾妻山で 中原源治が1903年 に採集 し た標本に基
本が京都大学に保管さ れて い る 。 タ イ プ標本の控
づいて変種 と し て記載さ れた。 その後1930年に本
え と考え ら れる。
田正次 に よ り 種 と し て扱われて い る 。
キ
J
4
y弘
義
新種発見物語
I
63. ミ ヤ マ ウ スユ キ ソ ウ (京都大学総合博物館蔵 )
ミ ヤマ ウ ス ユキ ソ ウ (キ ク 科) 1 909年
Le on top odium fau riei (Beauv.) Hand.-Mazz.
図
鳥海山でFaurieが1888年 7 月 1 5 日 に鳥海山で
採集 し た標本 に も と づい て、 ス イ ス のBeauverd
がエーデルワイ ス の亜種 と して記載 し た。 その後、
種 と し て扱われて い る 。 京都大学に は、 その控え
61
ミ ヤ マ ウ スユ キ ソ ウ ( ア イ ソ タ イ プ、 京都大学総
合博物館蔵)
の標本が保管 さ れて い る 。 月 山 と飯豊山で採集さ
れた標本が、 別 の台紙か ら 切 り 取 ら れ、
1 枚の台
紙 に ま と め ら れ保管 さ れて い る 。
Faurieは 1 87 3 年宣教師 と し て 日 本 に 来てか ら 、
1 9 1 5 年台湾で死去す る ま で42 年 間 に わ た り 、
日
本各地で採集をお こ な っ た。 標本は来 日 後初期に
はそ の ほ と ん どが ヨ ー ロ ッ パへ送 ら れたが、 後 に
は 中井猛之進や小泉源ーな ど 日 本の研究者へ も 提
供 さ れる よ う に な っ た。 ヨ ー ロ ッ パへ送 ら れた標
本は 日 本の植物の研究に使われ、 現在で も パ リ の
博物館な ど に保管 さ れて い る。 採集品か ら 新種 と
さ れ た も のは700を数え る 。 死後な お 日 本 に残さ
れた標本 6 万点は、 神戸市の岡崎忠雄 に よ り 遺族
か ら 購入 さ れ、 その後京都大学へ寄贈さ れた。 山
形県で も 各地で採集をお こ な っ て い る。 多 く は 月
山、 鳥海山、 飯豊山、 蔵王な ど の 山地であ る が、
62. ミ ヤ マ ウ スユキ ソ ウ
庄内や山形な どの記録 も 見 ら れ る 。
2 ) 2 0世紀初 頭の研究
フ ラ ンス 人や ロ シ ア 人な ど に よ り 記載さ れて き た植物が、 日 本人 中心の研究に移っ た の が20世紀初頭で
あ る。 米沢市出身で京都帝国大学の植物分類学初代教授 と な っ た小泉源ーは 山形県の植物 に つ い て も 詳 し
く 研究 し て い る。 ま た、 県内の研究者 と し て、 加藤元助、 結城嘉美な どが活躍 を は じ め た時期で も あ る。
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64. マ ルパ コ ゴメ グサ ( ホ ロ タ イ プ、 東京大学植物園
蔵)
新種発見物語
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I
65. ア ズマ レ イ ジ ン ソ ウ (大高滋)
ア ズマ レイ ジ ン ソ ウ ( キ ン ポ ウ ゲ科) 1 9 1 3年
Ac oni u
t m ρ et rocau el Koidzumi
ト リ カ ブ ト 属 レイ ジ ン ソ ウ亜属に属する種で、
原記載 に は吾妻山 の家形一切経火山の麓、 李平松
川 の渓問で採集 さ れた と あ る。 タ イ プ標本は現在
の と こ ろ 所在不明であ る。
オ オ ヒ ゲカ リ ヤス (イ ネ科) 1 9 1 0年
Ca al mag ros its longise at Hack.
var. longe-a ris at at (Takeda) Ohwi
鳥海山 で 1 908年 に 採集 さ れた。 ヒ ゲカ リ ヤ ス
の変種と して記載さ れた。
オ ク チ ョ ウ ジザク ラ (バ ラ手ヰ) 1 9 1 3年
Ce rasus ape at al (Siebold et Zucc.) Ohle
var. ρi losa (Koidzumi) H. Ohba
小泉源ーがバ ラ 科の研究 を ま と め た も の に記載
さ れて い る 。 こ れが学位論文 と な っ た。 産地は米
マルパ コ ゴ メ グサ (ゴマ ノ ハグサ科) 1 9 1 2 年
EuPh rasia insψtis Wettst.
var. nummu al ria (N叫司i) Yamazaki
原記載 に は磐梯山の記述 も あ る が、 標本 に は飯
豊山 と あ る 。 タ イ プ産地が ど こ かは明確に さ れて
い な い。 現在は飯豊山 に 分布する こ と が知 ら れて
い る。
沢市内 と考え ら れ る が明確ではな い。
こ れ ま で カ ス ミ ザク ラ も 小泉源ーの記載 と さ れ
て き たが、 最近別 の学名 に変わ っ て い る 。 小泉の
カ ス ミ ザ ク ラ は、 タ イ プ産地が東置賜郡 和 田 村
(現高畠町) で あ る 。
図
68. ミ ヤ マ キ タ ア ザ ミ (吉田悟)
66. ナ ンブタ カ ネ ア ザ ミ
新種発見物語
I
園
叫、~
初〈-一毛
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川 町 山j
v4,〆.l,...... 川耐 ム ー
67. ナ ンブタ カ ネ ア ザ ミ (京都大学総合博物館蔵)
69.
ナ ンブタ カ ネ アザ ミ (キ ク 科) 1 9 1 2年
ミ ヤマキタ アザミ (キ ク 科) 1 9 1 5 年
Ci rsium nam buense Nakai
Saussu rea f ranche iti Koidzumi
ミ ヤ マ キ タ ア ザ ミ ( ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博
物館蔵)
東京大学の 中 井猛之進 に よ り 、 月 山 の Faurie
朝 日 岳 で 1 907年 8 月 2 日 に 小泉源ー に よ り 採
の標本や飯豊山の標本を も と に記載さ れた。 こ れ
集 さ れた。 山形県 と秋田県な ど に分布する。 高 山
ら は シ ン タ イ プ と考え ら れる。 ナ ンブ と い う 名前
帯の草地 に 生 え る 多年草で5 0 一 70cmほ ど に なる。
がつ い て い る が山形県が分布 の 中 心であ る。
表示はないが、 写真の標本がホ ロ タ イ プ と 考え ら
れる。
コ バナ ノ コ ウ モ リ ソ ウ (キク科) 1 9 1 5 年
Pa raseneci o has at at (L.) H. Koyama
var. ch okaiensis (Kudo) H. Koyama
鳥海山 を タ イ プ産地 とする。
72
70. チ ョ ウ カ イ ア ザ ミ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博
物館蔵)
ウ ゴア ザ ミ
チ ョ ウ カ イ アザミ (キク科) 1 9 3 1 年
Ci rsium ch okaiense Kitamura
オニアザミ に似る鳥海山特産の大型 の アザ ミ で
あ る。 小泉源ー採集の標本を も と に、 京都大学の
植物分類学 2 代 目 の教授 と な る 北村四郎 に よ り 記
載さ れた。 山形県で記載 さ れたアザミ は数種あ る
が、 そ の 中 で も古 く か ら 知 ら れた も ので、 山形県
を代表する種の 1 つ と い え よ う 。
ウ ゴアザミ (キ ク 科) 1 932年
Ci rsium ug oense Nakai
鳥海山で佐藤正己が採集 し た標本 を も と に新種
と し て発表 さ れた。 鳥海山の秋田県側 と考え ら れ
ている。 現在、 月 山か ら も 多 く 確認さ れて い る が、
人為的に移さ れた可能性があ る と いわれて い る 。
Faurie の標本に は見 ら れな い種で あ る 。
71. チ ョ ウ カ イ アザミ
新種発見物語
I
困
ゅ 距週
区迅
新種発見物語
I
73
ミ ヤ マ ト リ カ ブ 卜 ( レ ク ト タ イ プ、 東京大学総合
研究博物館蔵)
75
ヒ 口 ハ ツ リ シ ュ ス ラ ン (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総
合研究博物館蔵)
図
74. ミ ヤ マ ト リ カ ブ ト (吉田悟)
ミ ヤマ ト リ カ ブ ト (キンポウゲ科) 1 9 1 7年
76. タ カ ネ マ ツ ム シ ソ ウ (吉田悟)
Ac oni u
t m nψ'p oni,ωm Nakai
日 本海側山地に分布す る 高 山性の種で、 石川県
白 山か ら 月 山 にか けて分布する。 飯豊山 の標本が
レ ク ト タ イ プ に 指 定 さ れた。 中原源治やFaurie
ハ カ マギボ ウ シ (ユ リ 科) 1 939年
H os at hel oni oides F. Maekawa
産地に羽前 と あ る が、 詳 し く は不明で あ る 。
の標本 も 記載に使われて い る。
タ カ ネ マ ツ ム シ ソ ウ (マ ツ ム シ ソ ウ 科) 1 940年
ヒ ロ ハ ツ リ シ ュ ス ラ ン ( ラ ン科) 1 935年
G oodye ra ρendula Maxim.
var. brachYPhylla F. Maekawa
飯 豊 山 で結城嘉美が1933年 8 月 7 日 に 採集 し
た。 東北北部な どでは生息が確認 さ れて い る が、
山形県では絶滅 し た可能性があ る。
Sca bi osa jap onica Miq. var. alPina Takeda
飯 豊 山 で 中 原源治が1904年 8 月 8 日 に採集 し
た標本を も と に新変種 と し て発表さ れた。 飯豊 と
朝 日 の裸地や草の少ない と こ ろ に生える。 高さ2030cmの多年草であ る。
3 ) 2 0世紀後 半 の 調 査
第 2 次世界大戦が始 ま る と 植物の研究 も 停滞 し た。 しか し、 戦後研究活動 も 復活 し た。 東根市出身の国
立科学博物館奥山春季な どの調査 に よ り 、 新種や新変種の発見、 記載が多 く な さ れた。 県内の研究者の活
動 も 活発 に お こ なわれる よ う に な っ た。
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イ イデ リ ン ド ウ
新種発見物語
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イ イ デ リ ン ド ウ ( ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研究
博物館蔵)
イ イ デ リ ン ド ウ ( リ ン ド ウ科) 1 947年
Gen itana niPp onica Maxim
79.
コ ベ ンケ イ ソ ウ (ホ ロ タ イ プ、 国 立 科学博物館蔵)
var. robus at H. Hara
原寛が ミ ヤマ リ ン ド ウ の変種 と し て発表 し た も
ので、 ミ ヤマ リ ン ド ウ に く ら べて茎葉が強壮で、
コ ベ ンケイ ソ ウ (ベ ンケイ ソ ウ 科) 1 949年
Se dum okuyamae Ohwi
花が大き く 花冠裂片 と副片 と の差が 目 立つ。 ま た、
1 946年 9 月 20 日 東根市沼沢で奥山春季が採集 し、
ミ ヤマ リ ン ド ウ は高山草原で湿性の と こ ろ を好む
大井次三郎 に よ り 記載 さ れた。 奥山、 大井 と も に
の に対 し て、 本種は砂磯地 に多 く 、 すみ分けてい
国立科学博物館 に勤務 し、 植物の分類 に関する論
る。 イ イ デ リ ン ド ウ は飯豊連峰の特産で あ る。
文を多数発表 し た。
82. ウ セ、 ン ト リ カ ブ 卜
80. ホ ナ ガ ク マヤナギ (大高滋)
、
も
新種発見物語
I
醐剛
I'ror. Y叩lta(.l'r.,,,, Uun)
It tb.・ 山 ,nHy o f 刷田. '山田町田一同
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8 1 . ホ ナ ガ ク マ ヤ ナ ギ (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館
蔵)
83.
ウ ゼ ン ト リ カ ブ ト ( ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館
蔵)
ウ ゼ ン ト リ カ ブ ト (キンポウゲ科) 1 953年
Aconi u
t m okuyamae Nakai
ホナガク マヤナギ ( ク ロ ウ メ モ ド キ科) 1 9 5 1 年
Be rchemiα ol nge:γαcemosα Okuyama
山形市瀧山北西斜面で奥山春季1931 年 9 月 1 3 日
に採集 し た標本 に よ り 、 中井猛之進 に よ り 記載 さ
1 93 5 年銀 山 温泉で奥 山 春季が採集 し 、 新種 と
れた。 中 井は東京大学を退職後、 国立科学博物館
し て記載さ れた。 同 じ と き に採集さ れた も の に オ
の館長 と な っ た。 その こ ろ の記載であ る 。 山形県
ク ノ フ ウ リ ン ウ メ モ ド キ が あ り 1 9 5 8 年 に 新変種
を は じ め奥羽山脈南部、 と く に 西側に広 く 分布す
と さ れたが、 最近 フ ウ リ ン ウ メ モ ド キ の異名 と さ
る種であ る。 い く つか異名 と な っ た も のがあ る が、
れて い る。
1987年国立科学博物館 門 田裕一の ト リ カ ブ ト 亜
属の再検討 に よ り 、 こ の 名前が採用 さ れた。
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86. ヤ マ ス カ シ ユ リ
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84. ガ ッ サ ンチ ド リ (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館蔵)
新種発見物語
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ド ウ モ ン ワ ニ グチ ソ ウ ( ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博
物館蔵)
87. ヤ マ ス カ シ ユ リ ( ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研究
博物館蔵)
ガ ッ サ ンチ ド リ ( ラ ン科) 1 953年
Pla at n ht e ra ophη di oi des Fr. Schm.
var. uzenensis Ohwi
1959年山形市愛宕山で採集 さ れ、 東京で栽培 し
た後1962年 6 月 1 4 日 に標本 と さ れた。
月 山で結城嘉美が1 932年 8 月 2 日 に採集 し た。
20年後に新変種 と し て記載さ れた。 個体数が少な
く 絶滅が心配 さ れる種で あ る。
ド ウモ ン ワ ニグチ ソ ウ (ユ リ 科) 1 970年
Polyg ona u
t m dom onense Satake
冬虫夏草の研究で知 られる 清水大典が、 小国町
ヤマス カ シユ リ (ユ リ 科) 1 963年
片洞門で採集 し た標本 に も と づい て、 佐竹義輔 に
Li ilum macu al u
t m Thumb.
よ り 新種 と し て記載さ れた。
var. m on itc ola H. Hara
新種発見物語
I
88.
ウ エ ツ ア ザ ミ ( ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博物館
蔵)
89
ウ エ ツ ア ザ ミ ( ア イ ソ タ イ プ、 国 立科学博物館蔵)
国
F仙・
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国 制4係
先 (I.... '.tl寝泊凶。
90. ウ エ ツ ア ザ ミ
91.
ウ エツ アザミ (キ ク 科) 1 983年
ヒ ロ ハ キ ク ザキイ チゲ ( キ ン ポ ウ ゲ科) 1994年
Ci rsium ue st uense Kitamura
Anem one pseu do-a ltaica H. Hara
ヒ ロ ハ キ ク ザ キ イ チ ゲ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総
合研究博物館蔵)
var. kα tonis H. Ohba
1 9 5 1 年 1 0 月 1 6 日 旧温海町小岩川住吉神社で加藤
元助が採集 し た も の を、 北村四郎に よ り 新種 と し
1967年か ら は じ ま っ た飛島の山形県総合学術調
て加藤の死後に発表さ れた。 以前はカガ ノ アザミ
査で確認さ れ、 キ ク ザキイ チゲの大型の も の と さ
と 同定 さ れて き た も のである。 京都大学 と 国立科
れた。 そ の後、 加藤信英は1 993年開花生品 を東京
学博物館に 閉 じ と き に採 ら れた標本があ る。 本県
大学大場秀章 に送 り 、 翌年新変種 と して記載 さ れ
お よ び新潟県の 日 本海側 に見 ら れる。
た。
4 ) 最近 の 発見
こ こ で と り あげた の は、 国立科学博物館の 門 田裕ーに よ り 1 999年以降に記載さ れた も ので あ る 。 県内の
研究者か ら の標本が送 ら れた の が こ の発見の き っ か け に な っ た。 ト リ カ ブ ト や アザ ミ の仲間は種の 区別が
難 し く 、 最近各地で新種が報告 さ れて い る 。
94
I
ガ ッ サ ン ト リ カ ブ 卜 (高橋信弥)
新種発見物語
92. イ イ デ ト リ カ ブ ト (高橋信弥)
園
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93. イ イ デ ト リ カ ブ ト (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館
蔵)
95. ガ ッ サ ン ト リ カ ブ ト (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物
館蔵)
イ イ デ ト リ カ ブ ト (キ ン ポ ウ ゲ科) 1999年
ガ ッ サ ン ト リ カ ブ ト ( キ ン ポ ウ ゲ科) 2003年
Ac oni u
t m ii dem on at num Kadota, Kita et
Ac oni itum gassanense Kadota et S. Kato
Ueda
西川町志津月 山石跳沢で2 002年 8 月 3 1 日 に採集
飯豊連峰梶川 尾根五郎清水 で 1 995 年 9 月 6 日
さ れた標本を も と に新種 と し て記載 し た。 その後
に採集 し た標本を も と に新種 と さ れた。 飯豊山 の
朝 日 岳や吾妻山で も確認さ れた。 月 山で は、 山頂
ほか月 山な どで も確認 さ れて い る 。 ト リ カ ブ ト の
に近い横道では ミ ヤマ ト リ カ ブ ト が、 石跳沢付近
仲間は種の 区別が難 し く 、 花や葉の形態な ど細部
では本種やイ イ デ ト リ カ ブ ト 、 さ ら に低い と こ ろ
で区別 さ れる。
ではオク ト リ カ ブ ト が見 ら れる。
96
ク ロ ブシ ヒ ョ ウ タ ン ボ ク (高橋信弥)
I
新種発見物語
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97
国
ク ロ ブ シ ヒ ョ ウ タ ン ボ ク ( ホ ロ タ イ プ、 国 立科学
博物館蔵)
98. ウ ゼ ン ベ ニ バ ナ ヒ ョ ウ タ ンボ ク (高橋信弥)
ク ロ ブ シ ヒ ョ ウ タ ン ボ ク (スイ カ ズ ラ 科)
200 1 年
L onice ra ku robushiensis Kadota
ウゼンベニバナ ヒ ョ ウ タ ンボ ク (ス イ カ ズ ラ 科)
'ヲL.o>ゼ,ンi<tr.Jペェ…パ令ヒョウ山・,:,� p(.厳no拘}
200 1 年
E豆留置
L onice ra uzenensis Kadota
いずれ も県内の研究者であ る 高橋信弥や加藤信
英な ど に よ り 、 以前か ら 採集 さ れて き た。 門田裕
ー に よ り 新種 と し て発表さ れた。 ク ロ ブ シ ヒ ョ ウ
タ ンボ ク は東根市黒伏山、 ウゼンベニバナ ヒ ョ ウ
タ ンボ ク は高畠町小湯山 を タ イ プ産地 と して い る。
70974rl
99.
ウ ゼ ン ベ ニバ ナ ヒ ョ ウ タ ン ボ ク (ホ ロ タ イ プ、 国
立科学博物館蔵)
100. ザオ ウ ア ザ ミ
102. ウ ゼ ン ア ザ ミ
新種発見物語
I
国
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1 0 1 . ザオ ウ ア ザ ミ (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館蔵)
1 03. ウ ゼ ン ア ザ ミ (ホ ロ タ イ プ、 国 立科学博物館蔵)
ザオウ アザ ミ (キ ク 科) 1 999年
ウゼンアザミ (キク科) 2005年
Ci rsium zaω oense Kadota
Ci rsium uzenense Kadota
蔵王連峰の亜高山帯か ら 高 山帯に多 く 見 ら れ る
山形県内の200mか ら 500m程度の高地に分布す
種であ る 。 結城嘉美は ミ ネアザミ と 同定 し、 古 く
る。 こ れ ま で、 ハナマキアザミ と 同定 さ れて き た
か ら 知 ら れて いた。 門 田裕一は新種 と 認め、 パ ラ
も の の 多 く は、 本種に あ た る よ う であ る。 ま た、
ダイ ス十字路片貝沼付近の標本を も と に新種 と し
カガノ アザミ に 同定された も の の一部も含まれる。
て記載 し た。
昨年 旧 八幡町産の標本を も と に新種 と し て発表 さ
れた。 山形市、 東根市、 朝 日 町な ど の県内や新潟
県、 宮城県の一部 に も 分布する。
5) 雑
種
雑種を ま と め てみた。 記載さ れた と き は新種 と さ れ、 その後の研究で雑種であ る こ と がわか っ て き た も
の も あ る。
1 05. ザオ ウ スゲ ( ア イ ソ タ イ プ、 京都大学総合博物館
蔵)
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- 新種発見物語
1 04. ザオ ウ スゲ (高橋信弥)
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106
オ ク タ ヌ キ ラ ン (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博物
館蔵)
1 07
ア イ ノ コ カ ン ガ レ イ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合
博物館蔵)
ザオ ウ ス ゲ (カ ヤ ツ リ グサ科) 1 905年
ホカ リ ヒ ゴ ク サ ( カ ヤ ツ リ グサ科) 1 956年
Ca rex
Ca rex
X
kattaeana Kuek.
X
h oka riensis T. Koyama
Faurie の標本 に よ り 記載 さ れた。 現在は コ タ
鶴 岡市母狩 山 で加藤元助が 1 9 53 年 7 月 l 日 に
ヌ キ ラ ン と ミ ヤマ ク ロ ス ゲの雑種 と考え ら れて い
採集 し た も の で あ る 。 小山錨太郎 に よ り 記載さ れ
る 。 蔵王の刈田岳がタ イ プ産地で あ る 。
た。 エナ シ ヒ ゴク サ と ヒ メ シ ラ ス ゲの雑種。
オ ク タ ヌ キ ラ ン (カ ヤ ツ リ グサ科) 1 9 1 6年
ア イ ノ コ カ ンガ レイ (カ ヤ ツ リ グサ科) 1 958年
Ca rex
Sci rpus
X
uzenensis Koidzumi
X
uzenensis Ohwi
米沢市成島 山 で 1 9 1 6 年 5 月 小泉源ー に よ り 採
村 山 市 の 湯沢沼 で 1 935年 8 月 9 日 奥 山春季が
集 さ れた。 タ ヌ キ ラ ン と タ ニガ ワ ス ゲの雑種 と 考
採集 し、 大井次三郎が記載 し た。 カ ンガ レイ と ヒ
え ら れる。
メ ホタ ルイ の雑種。
1 09
ユ ウ キ シダ レ (ホ ロ タ イ プ、 東 北大 学植物 園記念
館蔵)
108. ユ ウ キ シダ レ (東 北 大学植物園)
新種発見物語
I
国
1 1 0. シ ンエ イ ザ ク ラ (鈴 木 暁)
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ユ ウ キ シダ レ (ヤナギ科) 1 950年
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yuhkii Kimura
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シダレヤナギ と シ ロ ヤナギの雑種で、 タ イ プは
米沢市内 に あ っ た米沢工業試験場の道沿 い に 自 生
していたヤナギの中の 1 本で あ る 。 当 時高 さ 1 2m、
111
シ ンエ イ ザ ク ラ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研究
博物館蔵)
幹径1 5cm程度の雌木で、 昭和40年 こ ろ ま では健在
シ ンエイ ザク ラ (パラ科) 1 998年
で あ っ たが、 そ の後姿 を消 し て し ま っ た。
Ce rasus
X
ka tonis H. Ohba
図108のユウ キ シ ダ レ は東北大学植物 園 に あ り 、
ミ ヤマザク ラ と オオヤマザク ラ の雑種。 同 じ属
宮城県登米産の株か ら 挿 し木 し た も のであ る。 本
の 中 で、 節 を異にする雑種 と して珍 し い存在であ
雑種は東北や北海道な ど寒い地方 に多 く 見 ら れる
る。 鶴岡市の加藤信英 に ち なむ学名 お よ び和名が
と いわれて い る。
つ け ら れて い る 。 上山市三吉山 に 自 生 し て い る 。
6 ) 異名 と な っ た も の
異名 と さ れた種に つ い て は、 研究者 に よ り 見解が異な る 場合があ る 。 今後さ ら に変更 に な る 可能性があ
る。 こ こ で は ‘Flora of Japan" な ど に よ り 4 種を紹介す る。
新種発見物語
I
図
1 12
チ ョ ウ カ イ フ スマ
1 14. イ ワ オ ト ギ リ
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1 1 3. チ ョ ウ カ イ フ ス マ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研
究博物館蔵)
1 1 5. イ ワ オ ト ギ リ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研究博
物館蔵)
チ ョ ウ カ イ フ ス マ (ナデ シ コ 科) 1 8 9 1 年
イ ワ オ ト ギ リ (オ ト ギ リ ソ ウ科) 1 938年
(A rena ria me rckioi des Maxim.)
1 887年谷 田部良吉一行に よ り 鳥海山頂で採集さ
(局'Pe ri,ωm senanense Maxim.
subsp. mu itloi des (R. Keller) Robson)
れた。 谷 田部はすで に 1 888年に発表さ れた北海道
亜高 山帯か ら 高山帯の草地や岩礁地 に 生 え る 多
雌阿寒岳産の メ ア カ ン フ ス マ に近い こ と がわ か っ
年草。 高 さ 1 0 - 20cmになる。 こ れま では、 蔵王山
て いたが、 違いが認め ら れる と し 新種 と し て発表
で木村陽二郎が1 936年 7 月 16 日 に採集 し た標本を
し た。 最近は異名 と し て扱われて い る 。
も と に記載さ れた種名が使われて き た。
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1 1 7. タ カ ユ イ ヌ ノ ヒ ゲ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博
物館蔵)
1 1 6.
ミ ヤ マ ヒ ナ ホ シ ク サ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合
博物館蔵)
こ の ほか、 こ れ ま で の研究でデワ ノ ト ネ リ コ
Fraxinus s et n ocaゆa Koidzumi、
ミ ヤマ ヒ ナホ シ ク サ (ホ シ ク サ科) 1 930年
(E ri ocau lon at kae Koidzumi)
京都大学 に あ る Faurie採集の標本 を 、 大井次
ト ビヒマカン
ゾ ウ Heme roca llis exa lta at Stout な ど は 品 種 と
考え ら れ、
デワ ノ ハゴロモナナカマ ド
A ri os orbus uzenensお Koidzumi、
ト ビ シマナ シ
三郎が新種 と し て記載 し た。 1897年 9 月 28 日 に 月
Py rus insu al ris Koidzumi、 ウ ラ ジ ロ ハ ナ ヒ リ
山 の海抜1 500m地点で採集さ れた と あ る 。 タ イ プ
ノ キ Leuc oth oe grayana Maxim. var. glaucina
標本に は、 ア ズマ ホ シ ク サ (P. 55. 図 136) の異
Koidzumi 、 オ ク ノ フ ウ リ ン ウ メ モ ド キ flex
名 と の表示がある。 ミ ヤマ ヒ ナホ シ ク サの記録は
genicu al at Maxim. var. gla bra Okuyama な ど
各地か ら あ る が、 ア ズマ ホ シ ク サは吾妻山か ら の
多 く の種は異名 と な っ た。
みで あ る 。
タ カ ユイ ヌ ノ ヒ ゲ ( ホ シ ク サ科) 1939年
(E ri ocau lon mique ilanum Koern.)
1 93 1 年 9 月 1 3 日 蔵王温泉への途 中 の 同志平の湿
地で加藤元助が採集 し た。 標本を佐竹義輔 に 同定
を依頼 し 、 そ の結果イ ヌ ノ ヒ ゲ の新変種が生 ま れ
た。 同志平は戦時 中 に 開 墾 さ れ今は全 く 環境が一
変 し て絶滅 し た と いわれて い る 。 イ ヌ ノ ヒ ゲ と は
穂の色以外 に明瞭な区別点がない。 タ イ プ標本に
はイ ヌ ノ ヒ ゲの異名 と の表示が あ る 。
新種発見物語
I
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お も な参考文献
Iwatsuki. K. et al. (ed.). 1 993-2006. Flora of Japan.
Kodansha. Tokyo. IIa 550 PP. IIb 3 2 1 PP. IIc
328 PP. IIIa 489 PP. IIIb 1 8 1 pp.
大井次三郎 ・ 北川 政夫. 1 992 新 日 本植物誌顕花編改訂
版 至文社, 東京 1 7 1 6 PP
山形県野生植物調査研究会 (編) . 2004. レ ッ ドデー タ ブ ッ
ク や ま がた絶滅危慎野生植物 一 維管束植物 ー . 山形
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結城嘉美. 1 9 7 8 山 形 県 を Type locality と す る 植物.
フ ロ ラ 山形. 34: 1 - 1 3.
結城嘉美. 1 992. 新 版 山 形 県 の 植物誌 新 版 山 形 県 の 植
物誌刊行委 員会, 山形. 491 pp.
(吉田
哉)
国
7 . 冬虫夏草
冬虫夏草 と い う 名 前は、 古 く 中国でお こ り 、 虫草 と も いわれて い る。 夏は植物 と な り 実を結び、 冬 は虫
と な っ て動 き まわ る と い う 考え か ら 名づけ ら れた。 分類上は菌類の 1 グループで、 子嚢菌類のバ ッ カ ク キ
ン 目 パ ッ カ ク キ ン科に属する。 寄主 と し て知 ら れて い る の は、 セ ミ 、
ト ンボ、 コ ウ チ ュ ウ な ど の昆虫類や
ク モ類 さ ら に一部の菌類や顕花植物 も あ る。
研究の遅れて い る分野であ る が、 世界的な冬虫夏草研究者であ る米沢市の清水大典 に よ り 数多 く の種類
が記録 さ れ る よ う に な っ た。 国立科学博物館の小林義雄 と と も に記載論文を発表 し た。 山形県で発見 さ れ
た新種 も数多 く 掲載 さ れて い る。 こ れ以外 に も、 新種 と確認 してか ら 記載 さ れずに残さ れた も のが多数あ
る。 こ れ ら の種は 「原色冬虫夏草図鑑 な ど 3 冊の図鑑 と して残 さ れて い る。 彩色の原図は清水 自 身に よ っ
て描かれた も ので あ る 。
こ こ に掲載する標本お よび原図は、 故清水大典氏の ご家族お よ び 日 本冬虫夏草の会山形支部所蔵の も の
であ る 。 ご好意によ り 掲載 さ せて い ただいた。
新種発見物語
I
国
1 1 8. ト ビ シ マ セ ミ タ ケ
ア ブ ラ ゼ ミ 、 ミ ン ミ ン ゼ ミ 、 ヒ グ ラ シな ど の 幼 虫 に 生
じ る 。 飛 島 で 渡 部 正ー に よ り 初 めて採集 さ れた。 現在
で は各地で確認 さ れて い る 。
1 1 9. ア リ ヤ ド リ タ ン ポ タ ケ
腐 木 楼の ア リ の胸 部 に 生 じ る 。 朝 日 鉱泉で採集。
1 20. シ ロ ネハ ナ ヤ ス リ タ ケ
ツ チ ダ ン ゴキ ン に 生 じ る 。 エ ゾP ハ ナ ヤ ス リ タ ケ と ハ ナ
ヤ ス リ タ ケの雑種説が あ る 。
121. エ リ ア シ タ ンポタケ
ツ チ ダ ン ゴ キ ン に生 じ る 。 米沢市で採集 さ れた。
新種発見物語
I
図
み
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1 22 イ モ ム シハナヤ ス リ タ ケ
ガ の 幼 虫 の 背面 ま た は胸 部 に 生 じ る 。 ホ ロ タ イ プは秩
父だが、 パ ラ タ イ プ に 山 形 県産の標本が使われて い る 。
1 23. マ ル ミ ノ コ ガネ ム シ タ ケ
甲 虫の幼虫の頭部ま たは胸部に生 じ る 。 小国町を タ イ
プ産地 と す る が、 比較 的 一般 に見 ら れ る 。
彩色原 図
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すべて清水大典に よ っ て描かれた も ので、 奇主や子実体の質 ま で感 じ ら れる細密な図であ る。
新種発見物語
I
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1 24. ウ スイ ロ ヒ メ フ ト バ リ タ ケ (清水大典原図)
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1 25. ナ ガ ホ ソ ケ ン ガ タ ム シ タ ケ (清水大奥原図)
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1 26. ア サ ヒ コ メ ツ キ ム シ タ ケ (�青水大典原図)
イ マ ア7" -2 ワ 今キ ツ フタ ケ
品sr. Co/e中te-:.CI sp.L出'.UJJe努 景tlKφj.tþllJ. Da.t 叩 14. /982_ ifæJI-;tt. r込1.
No 7:'"γ /,9
1 27
D'S!''''J川
イ マ ガ ミ ク チ キ ツ ブ タ ケ (清水大典原図)
線
画
彩色の 図 を 描 く 前の下絵。 正確 に墨 を入れ ら れた完成品 と も い え る。 周 り に は、 特徴を記載 し た ほか、
その と き の 出来事の記述 も 見 ら れる。 こ れ ま で公表 さ れて い な い 図で あ る。
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1 29 ク モ ノ キ イ ロ ツブタ ケ (清水大典原図)
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1 28. ク モ ノ コ ウ ラ ツブタ ケ (清水大典原図)
ト ル ビエ ラ属の種は ク モ類やカ イ ガ ラ ム シ な ど に 多 く
見 ら れ る 。 タ イ プ産地は朝 日 岳。
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1 30 サ ン ゴク モ タ ケ (清水大奥原図)
米 沢 市 を タ イ プ産地 と い て い る 。 隣 県 で も 確 認 さ れ て
いる。
1 3 1 . ト ル ピエ ラ ク モ タ ケ (清水大典原図)
ま だ 種名 がつ い て い な い。
新種発見物語
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1 32. キ ビ ノ ム シ タ ケモ ド キ (清水大典原図)
鶴 岡 市 の 気比神社で渡部正ー に よ り 採集 さ れた 。 ユ リ
科 の ヤ マ ガ シ ュ ウ やサル ト リ イ バ ラ の 果 実 に寄生す る 。
国立科学博物館の冬虫夏草
小林義雄 ・ 清水大典 に よ り 記載 さ れたタ イ プ標
本は国立科学博物館 に保管 さ れて い る。 ほ と ん ど
は、 菌類の液浸標本室に保管 さ れて い る と の こ と
で あ る。 ホルマ リ ン にパ ラ フ ィ ン を浮かせ蒸発を
防ぎ、 コ ル ク 栓の管 ビ ン に 入 っ て い る。 保管の改
善 ・ 整理を近々 お こ な う と の こ と で、 今後資料 と
し て の利用が可能 に な る と 思われる。
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1 33. キ ビ ノ ム シ タ ケ モ ド キ (清水大典原図)
下絵 と 同 じ も の を あ ら わ し て い る が、 左右対称 に 描 か
れて い る 。
お も な参考文献
Kobayasi, Y. & Shimizu, D. 1 978-1983. Cordyceps
species from Japan 1 -6. B叫1. Natn. Sci. Mus.,
Ser. B, 4: 43-63, 6: 77-96, 6: 1 2 3 - 1 45, 8: 79・9 1 ,
8: 1 1 1 - 1 23. 9: 1 - 2 1
Kobayasi, Y. & Shimizu, D. 1 982. Monograph of
the genus Torrubiella. Bul1. Natn. Sci. Mus., Ser.
B. 8: 43-78.
小林義雄 ・ 清水大典, 1 983. 冬 虫夏 草 菌 図 譜. 保育社 ,
大 阪 280 pp.
清水大典, 1 994 原色冬虫夏草図鑑 誠文堂新光社, 東
京. 3 8 1 pp
山 形 県 で発 見 さ れた冬虫夏草
山形県で発見さ れた新種 を ま と めて表 2 に記述
し た。 不完全な と こ ろ も あ る が、 多数記録 さ れて
い る こ と がわかる 。 こ の ほか に未記載種 も 多数残
さ れて い る 。
清水大典, 1 997 カ ラ ー 版冬虫夏草 図鑑. 家 の 光協会 ,
東京 448 pp.
(吉田
哉)
表 2 . 山 形県 を タ イ プ産地 と す る 冬虫夏草
No.
種
名
和
名
タ イ プ産地
記載年
(寄主 . カ メ ム シ 目 )
Cordyceps toriharamontana Kobayasi
タ ン ボ エ ゾゼ ミ タ ケ
朝日岳
1 963
2
Coγdyceps imaga例iana Kobayasi et Shimizu
ウスイ ロセ ミ タケ
戸沢村
1 98 3
3
Coγdyceps ramosopulvinata Kobayasi et Shimizu
ト ビ シマセ ミ タ ケ
飛島
1 98 3
4
Cordyceps coccidiicola Kobayasi et Shimizu
カ イ ガラム シツブタケ
川西 町
1 978
5
Cordyceps yahagiana Kobayasi et Shimizu
サキブ ト カ イ ガ ラ ム シ タ ケ
真室川 町
1 980
6
Cordyceps prolifica f. terminalis Kobayasi
ヒ メ ハダカセ ミ タ ケ
米沢市
1 96 3
7
Hirsutella coccidiicola Kobayasi et Shimizu
カイガラム シコナタケ
米沢市
1 978
8
Torrubiella supeゲïcialis Kobayasi et Shimizu
カ イ ガ ラ ム シキ イ ロ ツ ブ タ ケ
真室川 町
1980
(寄主 . チ ョ ウ 目 )
9
Cordycφs sulfurea Kobayasi et Shimizu
コ ガネ イ モ ム シ タ ケ
米沢市
1 983
10
Cordyceps rosea Kobayasi et Shimizu
ウスアカシャ ク ト リ ム シタケ
米沢市
1 983
11
Cordyceps kusanagiensis Kobayasi et Shimizu
ク サナギ ヒ メ タ ンポ タ ケ
戸沢村
1 983
ハ ネ カ ク シヤ ド リ タ ケ
戸沢村
1 982
(寄主 . コ ウ チ ュ ウ 目 )
12
Cordycψs staPhylinidaecola Kobayasi e t Shimizu
13
Cordycψ's albida Kobayasi et Shimizu
コ メ ツキソ ロ ヒ メ タ ンポ タ ケ
鶴岡市
14
Cordyceps ge抑iculata Kobayasi et Shimizu
ク チキ ム シ コ ガ ネ ツ ブタ ケ
米沢市
1 980
15
Cordycψs carabidiicola Kobayasi et Shimizu
ウスイ ロ ヒ メ フ トバ リ タケ
朝 日 鉱泉
1 980
16
Cordyceps obliquiordinata Kobayasi et Shimizu
ナガホ ソ ケ ンガ タ ム シ タ ケ
(ケ ンガタ コ ガ ネ ム シ タ ケ)
真室川 町
1 982
17
Cordycψs atrovirens Kobayasi et Shimizu
ミ ド リ ク チキ ム シ タ ケ
小国町
1 978
18
Cora砂ceps ko何向oana Kobayasi et Shimizu
マ ル ミ ノ コ ガネ ム シ タ ケ
小国町
1 980
I
華万
種
発
見
ヰ拘
量
回五
口
(寄主 : ハチ 目 )
19
Cor,のceps elongatostramata Kobayasi et Shimizu
ツ キ ヌ キハ リ タ ケ
米沢市
1 983
20
Cordyceps myrnecogena Kobayasi et Shimizu
ア リ ヤ ド リ タ ンポ タ ケ
湯殿山
1 978
(寄主 : ハエ 目 )
21
Cordyceps discoideocapitata Kobayasi et Shimizu
フ ト ク ビハ エ ヤ ド リ タ ケ
山 万伐峠
1 982
22
Cor,のceps ovoideoperitheciata Kobayasi 巴t Shimizu
ア ブヤ ド リ タ ケ
戸沢村
1 982
23
Cor,のceps coccidioperitheciaω Kobayasi et Shimizu
ア カ ミ ノ オグ ラ ク モ タ ケ
山万伐峠
1 982
24
Cor,のceps nelunboides Kobayasi et Shimizu
ハス ノ ミ ク モ タ ケ
真室川 町
1 976
25
Cordyceps ρseudonelunboides Kobayasi et Shimizu
ツ キ ダ シス ノ ミ ク モ タ ケ
真室川 町
1 982
26
Torrubiella mammillata Kobayasi et Shimizu
ウ ス キマ ル ミ ク モ タ ケ
米沢市
1982
4寄主 : ク モ 目 )
27
Torrubiella neofusiformis Kobayasi et Shimizu
ク モ ノ コ ウ ラ ツブタケ
朝日岳
1 982
28
Torrubiella 1,仰igissima Kobayasi et Shimizu
ツ キダ シ マガ ミ ク モ タ ケ
朝日岳
1 982
29
Torrubiella globoso-stφitata Kobayasi et Shimizu
ク モ ノ エツキツブタケ
真室川 町
1 982
30
Torrubiella globosa Kobayasi et Shimizu
ク モ ノ オオ ト ガ リ ツ ブ タ ケ
真室川 町
1 982
31
Torrubiella ell砂soidea Kobayasi et Shimizu
ク モ ノ モモガタ ツ ブ タ ケ
小国町
1 982
32
Torrubiella rosea Kobayasi et Shimizu
サンゴク モタケ
米沢市
1 982
33
Torrubiella minutissima Kobayasi et Shimizu
コ ゴメ ク モ タ ケ
米沢市
1 982
34
Torrubiella ar��hnφlila σohanston) Mains
f. alba Kobayasi et Shimizu
シ ロ ミ ノ ハ ナグモ タ ケ
朝 日岳
1 976
35
Cordyceps jezoenosides Kobayasi
シ ロ ネハナヤス リ タ ケ
米沢市
1 960
36
Cordyceps valvatost;ψitata Kobayasi
エ リ ア シ タ ンポ タ ケ
米沢市
1 960
37
Cordyceps delicatostipotaω Kobayasi
ヒ メ タ ンポタケ
朝日岳
1 960
38
Cordyceps ophioglossoides (Fr.) Link f. cugoides Kobaasi
シ ロ ハ ナヤ ス リ タ ケ
米沢市
1960
39
Shimizuo間Iyces kibiana Kobayasi et Shimizu
キ ビ ノ ム シタ ケ モ ド キ
鶴岡市
1 984
(寄主 : ツ チダ ン ゴキ ン)
(寄主 : 顕花植物)
圏
E
ナテ黒 ラ リ ス トのあゆみ
泉 源
な ど を発見 し 自 ら 記載 し た。 出身地の米沢市周辺
を は じ め 、 朝 日 岳、 鳥海山、 飛島な ど 山形県産の
標本を も と に記載 し た も の も多数ある。 異名 となっ
た も の も多いが、 ア ズマ レイ ジ ン ソ ウ、 ミ ヤマキ
タ アザミ 、 オ ク チ ョ ウ ジザク ラ な ど多 く の種、 変
種、 品種が現在で も使われて い る 。 採集 し た標本
は現在で も 活用 さ れて い る 。 1 9 1 5 年 こ ろ 以前 の
も の は東京大学に、 それ以後の も のは京都大学に
保管さ れて い る 。
本文で紹介 し た種以外で、 山形県内で命名 し た
ナ チ ュラ リ スト のあ ゆ み
E
園
植物の一部に次の よ う な も のが あ る 。
デワ ノ ハ ゴ ロ モナナカマ ド (バ ラ 科)
A ri os orbus uzenensis Koidzumi
カ ス ミ ザ、 ク ラ (パ ラ 科)
Prunus jamasaku ra Sieb.
var. ve recun da Koidzumi
1 883年1 1 月
米沢市 に 生 まれる
ハマイ ブキボ ウ フ ウ (セ リ 科)
1905年 9 月
札幌農学校林学科卒業
Sese il ugoensis Koidzumi
1908年 7 月
東京帝国大学理科大学卒業
ケ ナ シ ミ ヤ マ シ シ ウ ド (セ リ 科)
1916年 4 月
理学博士
Ange ilca ma st umu rae Yabe
1 9 1 9年 9 月
京都帝国大学助教授
1 936年 3 月
京都帝国大学教授
1 943年1 1 月
1 953年1 2 月
同
退職
米沢市で逝去
var. gla bra Koidzumi
ウ ラ ジ ロ ハ ナ ヒ リ ノ キ ( ツ ツ ジ科)
Leuc oth oe glaucina Koidzumi
マルパカ ク ミ ス ノ キ ( ツ ツ ジ科)
Vaccinium m otosukeanum Koidzumi
デワ ノ ト ネ リ コ (モ ク セ イ 科)
米沢中学校か ら 札幌農学校へ進み、 そ の後東京
F raxinus s et n ocarpa Koidzumi
帝国大学生物学科専科生 と して植物学を勉強する。
オ ク ノ ハマイ ボ タ (モ ク セ イ 科)
卒業後、 東京帝国大学の助手 と な り 植物学の研究
Ligus trum yuhkianum Koidzumi
に専念する こ と と なる。 191 6年に 「 日 本パ ラ 科植
ヒ ロ ハオオカ モ メ ヅル (ガガイ モ科)
物考」 に よ り 理学博士の学位を取得。 1 9 1 9年 に京
Cynanchum ma st u danum Koidzumi
都帝国大学助教授 と な り そ の後教授 と な る。 理学
オニル リ ト ラ ノ オ (ゴマ ノ ハ グサ科)
部に植物学教室 を 開 設 し 植物分類学お よ び東亜植
Ve ronica su bincan ove u
l itna Koidzumi
物地理学を講義する。 1 925年か ら 2 年間イ ギ リ ス、
ウ ラ ジ ロ イ タ ヤ (カエデ、科)
ス ウ ェ ーデ、 ン、 ア メ リ カ に留学 して学識を深めた。
Ace r pic u
t m Thumb. var. glaucum Koidzumi
大学では植物学者の北村四郎、 大井次三郎、 田川
オ ク キ タ アザ ミ (キ ク 科)
基次な ど多 く の後進を育て、 日 本の植物分類学発
Saussu rea rei dei Herd. var. jap onica Koidzumi
展に大き く 寄与 した。 ま た、 弟の小泉秀雄は山 と
ア サ ヒ ササ (タ ケ科)
植物の研究ひ と 筋 に 生 き抜き、 大雪山の父 と も 呼
Sasa asahim on at na Koi,也u凶
ばれて い る。
全国各地で植物 を採集 し、 多 く の新種、 新変種
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1 35. 母たか と 小泉源1 925年 こ ろ の 写真。
E
ナ チ ュラ リ ス ト のあ ゆ み
1 37 植物分類地理 一 創刊号 と 還暦記念 号 ー
植 物 学 の 雑誌 と し て 小 泉 源 ー が 中 心 と な っ て 1 932年 創
刊 し た 。 編集は京都大学でお こ な っ て いた。
圏
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1 36. ア ズマ ホ シ ク サ (ホ ロ タ イ プ、 東京大学総合研究
博物館蔵)
Eriocaulo河 takae Koidzumi
吾 妻 山 の 福 島 県 側 、 高 山 火 山 の 山 腹で 小 泉 源 ー に よ り
採集 さ れ た も の を 、 1 9 1 3年 に 自 ら 新 種 と し て 記載 し た。
種小名 は母 「た か」 に ち な む 名 前であ る 。
1 38. ツ ク シ ガ ヤ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合博物館蔵)
Chikusichloa aquatica Koidzumi
熊 本県球磨郡 人 吉 盆地 の 大 村で採集 さ れた も の を 、 小
泉源ーは、 1924年 に 新属 新 種 と し て記載 し た 。 そ の 後 、
九州 か ら 遠 く 離 れ た 小 泉 の 地元で あ る 山 形 県 で 発 見 さ
れ る こ と と な る 。 さ ら に近畿地方 お よ び遠 く 中 国 と 分
布が確認 さ れ て い る が、 隔 離 分布 を 示 す 興 味 深 い 種 で
ある。
部 に 寄贈 さ れ保管、 そ の 後2002 年 に 9,000点 ほ ど
加 藤 元 助
が本館 に 移 さ れた。 別 の標本約1,100点が手書き
の 目 録 と と も に余 目 町 (現庄内町) 立図書館 に寄
贈 さ れて い る。
1933年に採集 し た ツ ク シガヤな ど多 く の植物 に
関 し て、 本県に お け る 新発見 を さ れて い る 。 ツ ク
シガヤは九州、 近畿、 山形県 と 隔離分布をする特
異な種 と して知 ら れて い る 。 標本は年代が古 く 貴
重な も の が多 く 、 ま た、 山形県の記録 と し て ほか
に確認 さ れて いな い も の も数点 あ る 。
加藤が採集 さ れ た も ので新種 と な っ た も の は次
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
E
困
の と お り で あ る 。 現在 も 使われて い る も の は、 ウ
エツアザミ 、 雑種と してホカ リ ヒ ゴク サ の 2 つで
ある。
マルパカ ウ ミ ス ノ キ ( ツ ツ ジ科)
Vaccinium m otosukeanum Koidzumi
1 885年 4 月
東田川郡廻舘村 に 生 ま れ る
モ ト ス ケオ ト ギ リ (オ ト ギ リ ソ ウ科)
1 904年 3 月
山形県立庄内農学校卒業
fかpe ricum m otosukeanum H. Koidzumi
1908年 3 月
盛岡高等農林学校農学科卒業
タ カ ユイ ヌ ノ ヒ ゲ (ホシク サ科)
1909年1 1 月
山形県立村山農学校教諭
E ri ocau lon mique ilanum Koer.
1 930年 5 月
山形県立上山農学校長
var. α trosepa u
l m Satake
1 933年 4 月
山形県立小松農学校長
ホカ リ ヒ ゴ ク サ (カヤツ リ グサ科)
1 943年 4 月
山形県立庄内農学校長
C匂 rex h oka riensis T. Koyama
1 946年 7 月
1 976年 4 月
同
退職
米沢市で逝去
ウ エ ツ アザ ミ (キ ク 科)
Ci rsium ue st uense Kitamura
盛岡高等農林学校の学生時代に植物分類学を学
んでか ら 終生 こ れ を つ づけ、 と く に 山形県の フ ロ
ラ の 開拓に ははか り 知れな い 多 く の業績を残さ れ
た。 兵役を終えた1 909年に村山農学校教諭 と な り 、
その後山形県内の植 物を本格的に調査す る こ と と
な る 。 1930年か ら 1946年 ま で、 上 山、 小松、 庄内
農学校の各校長 と し て実業教育 に も大 き な功績を
残 し た。
小泉源ー を は じ め 多 く の植物学者 と の交流 も あ
り 、 ま た、 国立科学博物館のお し葉展に も毎回出
展さ れた。 先生の標本によ り 新種 と さ れた も のや、
山形県か ら 新 し く 見つか っ た種 も 多 い。 し か し、
著書 ・ 論文に類する も の は全 く 残 さ れなか っ た と
い っ て も よ く 、 形あ る も の と しては 「お しば標本」
だけで あ る。 こ の標本は 1 968年秋に山形大学農学
1 40. 庄 内 町立 図書館への寄贈 目 録
標 本 の大部分 は 山 形大学農学部へ寄贈 さ れたが、 約 1 , 1 00点 は
地元の 旧 余 目 町 立 図 書館へ寄贈 さ れた。 こ こ に は、 手 書 き の
植物 目 録が 4 冊添え ら れて い る 。
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141. ツ ク シ ガヤ
143. マルバカ ク ミ ス ノ キ (京都大学総合博物館蔵)
1 934 年 に 新種 と し て 記 載 さ れ た 。 学 名 は Vaccinium
motosukeanum と い い、 種小名 は 加 藤 元 助 に ち な む も の
で あ る 。 現在 で は ウ ス ノ キ の異名 と さ れて い る 。
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品宮習い.
ヤ" 門ラドl:t
1 42 ツ ク シ ガ ヤ (京都大学総合博物館蔵)
ツ ク シ と は 筑紫 の こ と で 、 最初 に熊本県で採集 さ れ た
も の で あ る 。 加 藤 元 助 は 西 置 賜 郡 川 西 町 を 流れ る 黒 川
に か か る 馬 場 橋 の 下 で 本種 を 採集 し 、 1 934 年 に 京 都 大
学 へ 同 定 を 依頼 し た 。 九 州 か ら 遠 く 離 れ た 本 県 で確認
さ れた こ と は 非常 に興味深 い こ と で あ る 。
144. 論文 「 採集 者 の 参 考 と し てJ
論文 と し て 残 さ れた も の は ほ と ん ど な い 。 こ こ で は 、
「置賜 博物 6 巻 1 号 」 に書かれた 1 文 を 紹介 す る 。
ナ チ ュラ リ スト のあ ゆ み
E
圏
結 城 嘉 美
先駆けて本県の フ ロ ラ が明 ら か に な っ た の は、 結
城の見識 に負 う と こ ろ が非常に大き い。
山形県総合学術調査会では朝 日 連峰か ら 植物班
幹事、 実行委員 と し て参加、 最後の摩耶 山 ま です
べての調査に かかわ ら れた。 山形県の ほ と ん ど の
地域で調査がお こ なわれた こ と は、 フ ロ ラ の解明
に 大 い に貢献 し た と い え よ う 。 残 し たお し 葉標本
1 7,500余点は 「結城嘉美 コ レ ク シ ョ ン」 と し て本
館に保管 さ れて い る。
結城嘉美が採集 し た標本 に よ り 、 新種や新変種
等 と して記載 さ れた も の は次の と お り で あ る 。 こ
ナ チ ュラ リ ス卜 のあ ゆ み
H
困
の 中で、 ヒ ロ ハ ツ リ シ ュ ス ラ ン とガ ッ サ ンチ ド リ
は現在 も使われ、 ユ ウ キ シ ダ レ は雑種 と し て有効
な名前であ る。
ユ ウ キ シ ダ レ (ヤナギ科)
Salix yuhkii Kimura
1904年 3 月
村山市 に 生 まれる
オ ク ノ ハマイ ボタ (モ ク セ イ 科)
1925年 4 月
山形県立山形中学校教諭
Ligus trum yuhkianum Koidzum
1936年 1 2 月
フ ロ ラ 山形を主宰
オ オ ミ ミ ド ウ ナ (キ ク 科)
1946年 4 月
山形県立楯岡高等学校長
Cacalia ai dzuensis Koidzumi
1959年 4 月
山形市教育委員会教育長
var yuhkii Kitamura
1959年 7 月
山形県総合学術調査会
植物班実行委員
コ ア カ ア シタ ンポポ (キ ク 科)
Ta raxacum yuhkii H. Koidzumi
1971年 4 月
山形県立博物館長 (初代館長)
ヒ ロ ハ ツ リ シ ュ ス ラ ン ( ラ ン科)
1 996年 1 2 月
山形市で逝去
G oodye ra pen dula Maxim.
var. brachYPhylla F. Maekawa
ガ ッ サ ンチ ド リ ( ラ ン科)
村山農学校時代に、 加藤元助よ り 植物 を学び、
その後終生植物の研究 を続け る こ と にな る 。 1 925
Pla at n ht e ra ophry di oi des Fr. Schm.
var. uzenensis Ohwi
年よ り 長年山形中学校で博物学の授業 を担当 し な
が ら 、 県内 の植物の調査をお こ な う 。 こ の間 フ ロ
ラ 山形を主宰 し県内の植物研究者 と の交流を深め
る。 さ ら に、 小泉源一、 中井猛之進、 木村有香、
大井次三郎な ど、 多 く の植物学者 と交流を持っ た。
植物 を 愛 し 野外での観察を大切 に し、 植物の生態
や変異に細やかな注意を払 う こ と を守 り 続け ら れ
た。 と く に近年、 植物の進化な どで大き な進歩が
あ っ たが、 それ ら に は あ ま り 深入 り せずに分類の
本道を最後 ま で押 し通 し た。
山形県の植物の 目 録 を 1 934年よ り 3 回 にわた り
ま と め、 そ の 間 も フ ロ ラ 山形に追加 し て報告 をお
こ な い、 新 し い知見を 常に発表 し続けた。 各県 に
146. 著書の 数 々
1 47. フ ロ ラ 山 形 ( 雑誌 ) ー 創刊 当 時 一
1936 年結城 嘉 美 の 主 宰 に よ り 創 刊 さ れた 。 現在 も 続 い
て発行 さ れて い る 。
創 刊 当 時 は 手 書 き の 謄 写 版で 印刷 さ れ、 自 ら 印刷 し 同
好 の 研 究 者 に 配 ら れた 。 現在 で は オ フ セ ッ ト 印刷 と し
て、 1 年 に 1 号の 発行 と な っ て い る 。 結 城 嘉 美 の 個 人
的 な 組 織 で あ っ た 「 フ ロ ラ 山 形」 は、 結城 の 没後 も 新
し い 組 織 と し て 山 形 県 内 植 物研 究 者 の 中 心 的 な 存 在 と
し て歩み を 続 け て い る 。
1 49. ユ ウ キ シダ レ の原 木
米 沢 市 で 1 949年 9 月 撮 影 。 現在 、 原 木 はな く な っ た。
シ ダ レ ヤ ナ ギ と シ ロ ヤ ナ ギの 雑 種で、 霞 城 公 園 に も 本
雑 種が見 ら れ る 。
ナ チ ュラ リ スト のあ ゆ み
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図
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148. オ ク ノ ハマ イ ボ タ (ホ ロ タ イ プ、 京都大学総合 1専
物館蔵)
1 934年 に飛島産の標本を も と に 新種 と し て記載 さ れた。
学 名 は L忽ustrum yuhkianum と い い 、 種 小 名 は 結城 嘉
美 に ち な む も の で あ る 。 現在 で は 、 ミ ヤ マ イ ボ タ の 異
名 と されている。
1 50. ユ ウ キ シ ダ レ (ホ ロ タ イ プ、 東 北 大学植物 園記 念
館蔵)
東北 大 の 木村有香 が採集 し 記 載 し た 。 学 名 お よ び 和 名
は 結城 嘉 美 に 献 名 し た 。 東 北 大 学植物 園 で は 原木 か ら
挿 し 木 し た株 は 高 木 と な っ た 後 に 枯死 し 、 さ ら に 挿 し
木 し た 鉢 植えの 株 が あ る 。
,同
2重E
ほ と ん どが公表 さ れな い ま ま に な っ て い る 。
水 大 典
冬虫夏草の研究で多 く の論文を発表、 図鑑も 3
回出版 し て い る 。 新種記載 に つ い て は国立科学博
物館の小林義雄 と と も に多数お こ な っ た。 ま だ記
載 さ れずに残さ れた も の も 多数あ る。 冬虫夏草以
外でも、 キ ノ コ 、 山菜、 果実酒な ど の著書 を 出版
す る な ど多 く の成果 を あげて い る 。 それ ら の利用
に つ い て全国で調査 し、 自 ら の実践 に基づき普及
活動を精力的にお こ な っ た。 ま た、 秩父岳連理事
長を歴任。 全 日 本山岳連盟結成に尽力す る な ど卓
越 し た活動 を し た。
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
E
園
先生は多 く の新種を記載 したが、 一方で先生に
ち な む 学名 と し て、 ユ リ 科 の ヤ マ カ シ ュ ウ を 奇
主 と す る 冬 虫 夏 草 の 属 名 に Shimizuomyces が
あ る 。 そ の ほか、 植物や ク モ類 の 種 小 名 に も
shimizuana や shimizui が見 ら れる。
1915年12月
埼玉県 に 生 まれる
1 936年
東京大学小石川植物園勤務
1940年 4 月
満州大陸科学院植物研究室勤務
1947年
埼玉県椎茸農協連椎茸試験場勤務
1951年 l 月
服部植物研究所勤務 を経て
米沢市立博物館学芸員
1 968年 1 1 月
斎藤茂吉文化賞受賞
1998年 8 月
米沢市で逝去
1 9 1 5年埼玉県 に 生 まれる。 1 932年 に樫井欽一氏
よ り セ ミ タ ケ の標本を初めて入手 し た の を き っ か
け に、 冬虫夏草の研究 を は じ め る。 1940年満州国
大陸科学院植物研究室 に勤務。 戦後、 服部植物研
1 52. 著書の数 々
究所な ど を経て、 米沢市立博物館 に勤務す る こ と
に な る 。 以後、 米沢市の職員 と し て博物館、 植物
園、 図書館な ど に勤め る かたわ ら 、 冬虫夏草の研
究を進める。 山形県を は じ め、 全国各地 さ ら に台
湾、 ニ ュ ーギ、ニア、 オース ト ラ リ ア な どで調査を
情". ..叫4"'�,....・ 恥_←.4 〆
お こ な っ た。 学術図 も 多 く 描かれてお り 、 その細
密で正確な こ と は神技 と 絶賛されて い る。 と く に、
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町一ケ
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晴純一モ
ケ岬一ク
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ク四一巳
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リ宇一川
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になる。 キ ノ コ や ラ ン も数多 く 彩色図 を描いたが、
ぷ 一四
2 - 3 枚 の 図 を 描 い て い る ので、 全部で相 当 な数
そ
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れる。 カ ラ ー版冬虫夏草図鑑に は338種が取 り 上
げ ら れて い る 。 使われた も の以外 に も l 種 に つ き
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冬虫夏草の原色図は寄主や子実体の質 ま で感 じ ら
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1 55. サ ンチ ュ ウ ム シ タ ケモ ド キ
顕花植物 に 寄 生 す る 冬 虫 夏草で あ る 。 属 名 は清 水 大典
に ち な む Shimizuomyces が使われて い る 。
1 56. 朝 日 新聞 ( 1 97 1 年 8 月 1 7 日 )
西 表 島 で の 調 査 を 報 じ る 記 事。 冬 虫 夏草 に 関 す る 記 事 は何度か新
聞 に 掲 載 さ れた 。 標 本 は 自 ら 採集 し た も の も 多 い が、 西 表島 の 採
集 に も 同 行 し た 米 沢 市 の 鈴 木 安夫な ど、 冬 虫 夏 草 に 興 味 を 持 つ 多
く の 人の標本が清水大典の手元 に集 ま っ て き た。
ムザ
叶
1 54. ツ ブ ノ セ ミ タ ケ
子 実 体 の 長 さ が 1 m に も な る も の で 、 こ れ ま で採集 さ
れた も の の 中 で最長 と い わ れて い る 。
圃
了
了
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ナ チ ュラ リ スト のあ ゆ み
E
融措桝制持 "7..s:mT 1:弘:F
1 57. チチブフ ジ ウ ツギ (清水大典原図)
学 名 を Buddleja shimizuana と � \ い 、 種 小 名 は清 水 大
典 に ち な む。 現 在 は Buddleja davidii の 異 名 と さ れ て
いる。
石 沢 慈 鳥
れた。 小 さ な時か ら 身の周 り の鳥や昆虫に 人一倍
興味持っ た少年で、 あ っ た。
旧制 山形中学校 (今の 山形東高校) か ら 東京農
業大学に進学する。
下の写真は20歳の 時 に 山形の 自 宅で撮影 さ れた
写真で あ る が、 多数の鳥のは く 製 と と も に魚類の
液浸標本な ど も見る こ と がで き る。 大学在学中か
ら 鳥ばか り ではな く 、 自 然界の多 く こ と に興味を
も ち 、 研究 を行っ て い た こ と が う かが え る 。
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
E
1 899年
東村山郡長崎町 に 生 ま れ る
1 9 12年
旧制 山形中学校に入学
1925年
東京農業大学を卒業 し、 林野庁鳥獣調
査室に勤務
園
1940年
英文 『原色 日 本産鳥卵図説』 完成
1950"-'5 1 年
1953年
1 956年
『原色野鳥ガイ ド』 上下巻』
『鳥の生活』
完成
完成
こ の こ ろ か ら 灯台 にぶつかつ て死んだ
1 60. 山 形 の 自 宅で研究 を し て い る様子
鳥につ い て の研究 を は じ め る
『 日 本昆虫生態圃鑑』 完成
東京農業大学を卒業後、 林野庁の鳥獣調査室に
1 960年
林野庁を退職
勤務 し、 本格的に 日 本の野鳥の研究を行 う こ と と
1 967年
逝去
な っ た。 林野庁 に勤めた昭和 の始め頃は 日 本で野
鳥の研究が始 ま っ たばか り で‘ あ っ たが、 身の周 り
石沢慈鳥 i 本 名 石沢
健司
の鳥の研究か ら 日 本アルプス にすむ ラ イ チ ョ ウ の
は
長崎町 (現中 山
町) の 当 時 と し ては非常に裕福な地主 の 家 に 生 ま
生態や行動、 富士山麓 に お け る 鳥類の 生態調査な
ど多 く の研究業績 を あげて い っ た。
鳥その も のだけではな く 、 卵、 鳥巣 ま で研究の
幅 を 広げ、 1 940 年 に は小林桂助 と 共著で英文の
『原色 日 本産鳥卵図説』 を完成 さ せ、 国内外の鳥
類の研究者か ら 高 い評価を う け る。
一方では、 研究者向けの書籍や研究論文だけで
な く 、 1950年か ら 5 1 年 に かけて刊行 さ れた 『原色
野鳥ガイ ド
上下巻』 は、 カ ラ ーで出版された図
鑑の中では比較的安価で、 多 く の鳥類愛好家 に愛
用 さ れた。
全国各地の灯台 にぶつか っ て死んだ、衝死鳥 を集
め、 様々 な渡 り 鳥につ いて渡 り の時期や コ ース に
ついて明 ら か に し、 1956年にその成果を発表 し た。
その後は、 膨大な衝死鳥か ら 得 ら れたデー タ を も
1 6 1 . rr原色 日 本産鳥卵 図説』 な ど の著作
と に個 々 の鳥の渡 り に つ い てだけでな く 灯台が渡
り 鳥 に与え る影響につ いて も 発表 し て い る 。
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
E
162. 井の頭公 園 で昆虫の写真を 撮 る 石沢慈鳥
1 960年に林野庁 を退職 し た あ と も、 鳥 に つ い て
慈鳥 と 自 ら 名乗っ て いた こ と も あ る のだろ う が、
の研究 を続け、 1 962年 に 日 本鳥学会よ り 学会賞を
氏の研究につ いては鳥類 に つ い て取 り 上げ ら れる
授与さ れる。 ま た、 多 く の子 ど も た ち に野鳥を始
こ と が多 い。 一方では、 昆虫に つ い ての研究 も仕
め と し た身の周 り の 自 然環境に興味を持っ て も ら
事の合間 を見つ けて行っ て いた。
う た め に 、 テ レ ビや ラ ジオな ど の放送番組の シナ
1956年に刊行 さ れた 『 日 本昆虫生態圃鑑』 の あ
リ オの製作な ど も数多 く 手がけた。
とがき には、 「私は少年時代か ら 昆虫が好きであっ
1967年に死去 し た後、 氏の収集 した鳥類の剥製、
た。 幸か不幸か、 野鳥の研究を職業 ょ する よ う に
鳥卵、 鳥巣の コ レ ク シ ョ ン は、 現在山形県立博物
な っ たけれ ど も、 昆虫の趣味を捨てる に し のびず、
館に寄贈 さ れて い る。
暇をみては昆虫の研究に無脚 (ぶ り ょ う )
を慰め て き た。 20数年前か ら は庭に昆虫
の食餌植物を植え、 見虫 こ と に蝶蛾類 の
生活史 を観察 し、 その う えその生態を観
察 し て き た。 」 と あ る 。 鳥類研究の 余暇
で行っ て き た趣味の見虫の研究で、 見虫
の生態図鑑を発行 して し ま う こ と か ら も、
い か に 自 然に対 し て深い洞察力 を も っ て
接 していたがう かがい知る こ と がで き る。
1 63. 石 沢 コ レ ク シ ョ ンの一部
(八鍬拓司)
圏
鈴 木 庄 一郎
師範学校の 2 年生 に な っ た と き に、 橋本賢助、
梅本八郎 の両氏 と と も に庄内地方の野生生物の調
査 に参加する。 こ の こ と が、 庄一郎を 生物学への
道 を進ませる と と も に、 山形の員や海の生き物の
研究を続け さ せ る こ と と な っ た。
山形師範学校を卒業後、 広島高等師範学校、 広
島文理科大学 と進学する。 広島高等師範学校で微
生物の研究を していた池田嘉平 と 出会っ た こ と が、
微生物の研究をお こ な う き っ か け と な っ た。
1944年に 山形師範学校教授 と し て山形に戻 っ た
後も微生物の研究 を続けた。 研究に適 し た微生物
ナ チ ュラ リ ス ト のあ ゆ み
E
園
を探 し て い る なかで、 山形市の西蔵王 に あ る三本
木沼よ り 小 さ な赤い微生物 を発見する。 よ く 調べ
て み る と 、 新種の微生物 と い う こ と がわ か り 、
l
( B elPha risma un du lαれS
「ベニ ミ ズケム シ
jap onicus Suzuki) J と 名 前 を 付けて発表 し た。
19 10年
西田川郡念珠関村鼠 ヶ 関 に 生 まれる
ベニ ミ ズ、ケム シ を使 っ た研究は、 顕微鏡を見なが
1 925年
山形県師範学校本科第一部に入学
ら 針よ り も 細 い メ ス を使っ てお こ な い、 体のつ く
1 930年
西 田 川郡温海町温海尋常高等小学校の教
り を一つ一つ調べて い く も の であ っ た。 こ れ ら ベ
員となる
ニ ミ ズ、ケム シを つ か っ た研究の成果は、 ア メ リ カ
1931年 広島高等師範学校理科第三部 に入学
のス タ ン フ ォ ー ド 大学のギー ス 博士 と と も に記 し
1 937年
岡 山県女子師範学校、 岡山高等女学校の
た 『ブ レ フ ァ リ ス マ』 に ま と め ら れ、 現在で も 世
教員 と な る
界中 の微生物の研究する 学者や学生の参考書 と し
1938年 広島文理科大学 生物学科に入学
1944年
山形師範学校教授 と な る
1 956年 微生物ブレ フ ァ リ ス マの研究で理学博士
となる
1961年
山形大学教育学部附属 中学校長 と な る
1 973年
山形大学教育学部長 と な る
1 979年
山形県海産無脊椎動物 を 出版
1985年 逝去
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Bleplwrüma uruJIl!ml6
lJa・ Leen thc objecl of nJlluy im'cltigatio崎
川ce thc lint J.岡山1山。11 o{ Sr(l;i (1867).
But there aft $Orue di町時
T,anCI(!・ hehn:en the apeciC8 originø.lly reporl・.1 (,y STO:.', antl the form・
念珠関村鼠 ヶ 関 (現在の鶴岡市温海町) の漁師
の 長男 と し て 生 まれた鈴木庄一郎は、 小学校卒業
ま で美 し い鼠 ヶ 関 の海岸を遊び場 と して育っ た。
小学校卒業後 も勉強を続けた い と い う 庄一郎 に対
し て、 両親は 山形師範学校への進学を認め る。
師範学校の 1 年生 の 3 月 に終わ り に、 漁に出か
o{ B. lllldllhws idenlilí吋 hy other I're..iOU8 Îm'ωtiglltOl"8.
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The IHittr h:ul occn rcllring Ih同e c!oaeJy reJllteJ but dífferent form8
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勺由。f 111CII1, found in ):'onczawa city. precise
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[)ther, fou'nd in Yamllglltll city. IIß:rees iu the
Ihll behllvior of the maçronucleus
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ィr.l:I):, C....同時 {白12). M∞町 ('24). 5TOLTt
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けた父が嵐 に あ い、 遭難 し て し ま う 。 こ の ま ま学
dωr VIITilltion.
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ut' IInd I>ehavior
After theSè eXllmillß
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校を続け る か ど う か迷 う が、 母の勧め も あ り 、 師
咽ify 1hem in 10 1hree oew ・ubepecies
範学校 を続け る こ と にな っ た。
1 1 1
叫 ohservutioua hll\"e be柑 cultur<<l i n
凹iOI1 of etrllw or Je1tuω 泊。culated
1 65. ベ ニ ミ ズ ケ ム シ (Blepharisma undulans japonicω
Suzuki) の記載論文よ り
ま た、 当 時あ ま り 調査 さ れていなかっ た川や沼
し て も優れた成果を 多 く 残 し て い る。 小学校や 中
にすむ淡水の貝や陸に棲んで い る 貝 (お も に カ タ
学校の理科の教員の実験の 良 き 手 引 書 と な り う る
ツム リ の仲間など) も教え子達 と い っ し ょ に調査 ・
「魚の解剖教材 に つ い て」 や 「観察材料 と し て の
研究をお こなっ た。 長年にわた る研究のおかげで、
二枚貝 につ いて」 な ど を 山形大学教育学部附属 中
山形県内 に棲む淡水、 陸生の員 に つ い てはかな り
学校研究紀要に発表 し た。 ど ち ら も 詳細な 図 を も
の こ と があ き ら か になっ た。
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れて い る 。
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る代容htJ生 <<である, 背面 払 地 色が褐色信い し 附補色で
庖恥ニ扱&の円形覆肢があヲ
測にはカゴメカ スぺの呼名があ る. 飽白に. え る ド いう意味であ,ぅ. 駒鎗のつη悦中央にはす、
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ðl;;・'"敏がみられる. .買d簡は金体が蝋r人だ灰色. 尾鑑WU画。こ 遊んでいる"は縫が3羽l, 重で
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町触している耐酎帽の千向 よ う にぞ川ザ
した彫のもの)のようで あるか
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カスペ ,,,曲
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ガふ,r "{_" イ よ り U捜U同時に槍u. a::子句泊wのL'Æ砂j(軍事感情}でとれるのはすべてニの筏織とL、
1 68. 『庄 内弁が語る海の動物風土記』 よ り
理科の教員は、 生命の起源であ る海の こ と も知っ
海の生き物 に つ い て の研究は、 病気で入 院 し て
ておかな ければな ら な い と い う 考えか ら 、 毎年夏
か ら も続け ら れた。 病床でま と め ら れた原稿は、
休みに は学生達 と 庄内の海に出かけ、 臨海実習 を
氏の死後、 い っ し ょ に研究 を し て いた教え子たち
行っ た。 学生達に海の 生 き 物 に つ い て教 え る か た
よ っ て 『圧内弁が語る海の動物風土記』 に ま と め
わ ら で、 自 身で も 海の生物について も研究を続け、
ら れた。
大学を退官 し た後の1979年に 山形県の海の無脊椎
研究の課程で収集 し た膨大な数の貝類を始め と
動物を ま と め た、 『山形県海産無脊椎動物』 を ま
する 資料は 山形県立博物館 に寄贈さ れ、 そ の後の
と めた。
研究活動に活用 さ れて い る 。
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1 67. � 山 形県海産無脊椎動 物』 よ り
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微生物の研究だけではな く 、 教育学部の教授 と
1 69
県 立博物館 に寄贈 さ れた貝類の標 本
(八鍬拓司)
園
錦
が空を飛ぶ現象 「雪迎え」 と し て古 く か ら 観察さ
郎
れて き た。 し か し、 こ れがク モ の 糸 に よ る こ と を
見出 し た の は錦三郎である。 その後、 た く みな文
章を用 い 「雪迎えJ r飛行グモJ r浮遊する虫たち」
な ど ク モや身近な 自 然 に関する数々 の著書を表 し
た。 また、 歌人 と し て も 「黄金時代J な ど数篇の
歌集 を 出版 し て い る。
- 1 997年 5 月 9 日 の 山形新聞 (抜粋) に は言卜報
を受けて次の よ う に書かれて い る
晩秋、 小春 日 和 の こ ろ 、 糸の浮力でク モが青空
にのぼっ て い く 「雪迎え」 。 ク モ の生態 を研究 し
ナ チ ュラ リ ス 卜 の あ ゆ み
E
園
な が ら 数々 の エ ッ セ イ を書かれてき た錦三郎 さ ん
が若葉の季節に、 急に旅立たれた。 昭和46年か ら
始 ま っ た本紙連載の 「ふる さ と の 自 然J に25年余
にわたっ て随筆を寄せ、 柔 ら かな文章で展開する
身近な 自 然は読者をひきつ けた。 エ ッ セイ ス ト と
1914年1 1 月
南村山郡本沢村に生まれる
して の顔だけでな く 、 動植物の研究家、 南陽市史
1 936年 3 月
山形県師範学校専攻科卒業
編 さ ん に携わ る郷土史家、 ア ラ ラギ派歌人 と し て
1 936年 4 月
梨郷村梨郷尋常小学校訓導
も有名だ、っ た。 ま た音楽に も 親 し み、 カ メ ラ も プ
以後、 県内小 ・ 中学校の教員
ロ級の腕前で あ っ た。 南陽市立赤湯中学校の校歌
1 938年
「雪迎え」 の研究 を は じ め る
は錦 さ ん の作調で あ る。 昭和26年同校の国語の先
1 963年 4 月
川 西町立朴沢小学校長
生だ、っ た錦さ んが歌詞公募 に作品 を寄せ、 名 前 を
1 964年 2 月
「蜘昧百態」 自 費出版
伏せた審査会で49点のなかか ら 選ばれた。 「桜ゆ
日 本エ ッ セイ ス ト ク ラ ブ賞受賞
たか に咲き きそ う 」 で始 ま る 校歌は、 烏帽子山千
南陽市立漆山小学校長 を最後に教職
本桜のJ情景だ、 っ た に違 い な い。
1973年 3 月
(吉田
哉)
を退く
1997年 5 月
逝去
師範学校を卒業後梨郷尋常小学校に赴任。 以後、
赤湯 に 在住す る 。 1 938 年 白 竜湖 周 辺で見 ら れ る
「雪迎 え」 と い う 現象に注 目 し研究 を 始 め る 。
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'-
れは 「 ク モが糸 に乗っ て空中分散をお こ な う こ と
であ る」 と見出 し た の は 1 9 5 1 年 に な っ てか ら であ
る 。 「採集 と飼育j に掲載 し た観察記 を き っ か け
に、 ク モ類の研究者 と のかかわ り がは じ ま っ た。
日 本蜘妹学会 に入会 し、 会誌や大会での発表 も数
多 く お こ な っ た。 1 9 8 1 年 に は蜘妹学会の大会を実
行委員長 と し て赤湯で開催 し た。
ク モ の空 中分散を観察 し記録 し た 「蜘昧百態」
は 日 本エ ッ セイ ス ト ク ラ ブ賞を受賞 し た。 白 竜湖
周辺では こ の現象を、 雪を迎え る 季節 に 白 い も の
1 7 1 . 著書の 数 々
日 本 エ ッ セ イ ス 卜 ク ラ ブ賞 を 受 賞 し た 「蜘 妹百態」 を は じ め
と し て 、 「 雪 迎 え 」 や ク モ に 関 す る 著書が数 多 く あ る 。 さ ら
に 、 歌 人 と し て 多 く の 短 歌 を 詠み、 ま と め た 歌 集 も 数篇 に の
ぼる。
き
襲
警制悦
JL史
認
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1 74. 山 形新聞 ( 1 972 年 7 月 27 日 )
新種二 シ キ サ ラ グモ を 伝 え る 記事。 米沢市の
栗子洞で最初 に採集 し た ク モ で あ る 。 ホ ロ タ
イ プと パ ラ タ イ プは富 士 山 の洞窟で採集さ れ、
菓子洞の標本 も記載に用 い ら れて い る 。
ト ガ リ ア カ ム ネ グ モ や ウ ゼ ン マ シ ラ グモ な ど
も 錦 三郎がは じ め て採集 し 新種 と な っ た。 と
く に 卜 ガ リ ア カ ム ネ グ モ は 白 竜湖で採集 し た
ク モで、 「 雪迎えJ か ら 生 ま れた新種で あ る 。
1 73. 。矢 口 プ ロ 「 雪迎えJ ( 矢 口 高 雄 「 自 薦傑作 集」 よ り )
漫画 に も 「 雪迎え」 が登場 し た 。 同 書 の 「あ と が き 」 に は
つ ぎ の よ う に書かれて い る 。
作 品 を 描 く に 当 た っ て、 錦
三郎先 生 に は何度 も デ ン ワ で お 話 を 伺 い 、 多大の ご指導を
得て完成 さ せた作品で し た が、 そ の 錦 先 生が さ き ごろ 他界
さ れて し ま っ た の です。 謹んで ご冥福 を お祈 り 申 し よ げ る
と 共 に、 本書がで き ま し た ら 、 ま ず初 版 の 一 冊 を 霊 前 に 捧
げ た い と 存 じ ま す。 "
1 75. ニ シ キ サ ラグモ (タ イ プ標本、 国 立科学博物館 ・
日 本蜘妹学会蔵)
富 士 山 の 洞 窟 で 見 つ か っ た 標 本 が ホ 口 タ イ プ と さ れた
が、 米沢市の菓子洞で採集 さ れたのが初めてであ る 。
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172 雪迎え (写真集 白 竜湖 ・ 大谷地よ り )
1 99 1 年 に 発 行 さ れ た 写 真集で、 昭 和 30年代 の 大谷地の 開 拓 と 農 作
業風景、 失 わ れ た 自 然 と し て の 白 竜湖 の 植物、 昭 和 26年 か ら 記録
し た 「雪迎え」 の 写真か ら な る 。 三 男 厚 の 雪 迎え の 写 真 も あ わ せ て
載せ ら れ て い る 。
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白 畑孝太郎 と
か を詳細に踏査 し た。 白 畑の興味は、 どの よ う に
山 形県総合学術調査会
して分布が成 り 立っ たのかを考え る こ とへと向かっ
て いた。 さ ら に、 大正時代か ら の あ ま り に激変 し
た 自 然環境のなかで、 ギ フ チ ョ ウ属が本来の分布
を維持で き な い こ と に心を痛め、 保護を求め る 多
く の文章を残 し て い る 。
ト ン ボ類の調査
県内 の主要な池や湿地を踏査 し、 全県の ト ンボ
の 目 録 を作 り 上げた。 なかで も ア カ ネ属 (アカ ト
ンボ) への興味が深 く 、 多 く の標本を残 し て い る 。
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
E
図
秋に大陸か ら 飛来する タ イ リ ク ア キ ア カ ネ ・ オナ
ガ ア カ ネ と い う 種類の存在 を 明 ら か に し た の も 白
畑だ、っ た。 ま た、 新潟県の低湿地に 生息する い く
つ か の種類が山形の庄内平野に は生息 し て い な い
こ と、 それは低地の沼が残 さ れて い な い か ら で あ
る こ と を確かめ て い る 。 例えばオオキ ト ンボ、 オ
1 76. 白 畑孝太郎 (永幡, 2006 よ り )
オセス ジイ ト ト ンボ、 オオモ ノ サ シ ト ンボな どで
あ る 。 ま た、 マダラ ヤ ンマ は 白畑が確認 し たが、
1914年 南村山郡宮生村宮脇 に 生 ま れ る
酒田市では1950年代に絶滅 してお り 、 も し 白畑の
1935年
確認がなければ、 山形県に本来生息 し て い た の か
警察官 と な り 酒田市に赴任する
1939�1946年
二度の応召 で 中 国大陸に渡る
1969年
山形県警を退職、 県立博物館嘱託 と な る
1 980年
66歳で逝去
ど う か も 不明の ま ま だっ た こ と にな る 。
保護への取 り 組み
1970年代 に な っ て、 小園地方で、 ウ ス パ シ ロ チ ョ
ウ の黒化が著 し い産地がダム の建設で水没する 際
白 畑孝太郎
に、 付近の ワ ラ ビ園 に移植する こ と を黒揮 と と も
独学で山形県の昆虫相解明 を志 し、 多 く の調査
に試みて い る 。 こ の よ う な取 り 組みは、 日 本では
を重ねた。 白畑の業績は、 ①全昆虫を扱っ た分野
最 も 早い時期に実施 さ れた も の の ひ と つだ、っ た。
の広さ 、 ② 自 身で 困難な も の は多 く の専門家 に 同
定を依頼 し た こ と に よ る 正確 さ 、 ③生物地理をつ
ね に考慮に入れた論考、 ④保全に 関 し て早 く か ら
言及 し、 実践 し て き た こ と 、 な ど に代表 さ れ る 。
常に全国の 同好者 と連絡を と り 、 学会 に参加 し て
動向を把握 し つつ、 県内で見虫 目 録の完成 を 目 指
し、 生物地理の分野 と 関連づけなが ら の報文 を書
き続けた。 特 に ト ンボ類、 ギ フ チ ョ ウ属 に 関 し て
の調査に重点を置いていた。
ギ フ チ ョ ウ 属の調査
山形県 に は ギ フ チ ョ ウ と ヒ メ ギ フ チ ョ ウ の2種
が い る 。 それぞれが ど の よ う に棲み分けて い る の
1 77.
白 畑 が採集 し た70 年 以上前の ト ン ボ類 (永幡, 2006よ
り)
白 畑 と 交流の あ っ た、 山形県の見虫相の解明 に
環境の撮影
1 970年代にな り 、 白畑はカ メ ラ を首か ら 提げて
もつは「
歩 く よ う に な る 。 撮影 し た の は専 ら 雑木林、 田畑
あ た っ た主要な人物を、 思い つ く ま ま に列挙する
と下記の よ う に な る 。
と い っ た環境ばか り であ る が、 詳細 に解説が書き
込 まれた写真 に よ り 、 1 970年代の各種の昆虫の 生
黒津良彦
息環境 と、 それが失われて ゆ く 過程 を た ど る こ と
東京都生まれ、 米沢市に育ち、 旧制山形高校理
ができ、 資料的価値は極めて 高 い も のであ る 。 た
科に在籍。 後に 国立科学博物館動物研究部長。 世
だ、 撮影 し た 白畑本人の脳裏 に は、 大正時代の農
界 の タ マ ム シの分類を手が け る かたわ ら 、 山形県
耕地の風景 と の比較がつねに描かれていたはずで、
の昆虫相解明に大き な役割を果た し た。 旧 制米沢
急激な悪化ばか り が重な る 自 然環境を 前 に、 暗潜
中学校在学中か ら 頭角 を表 し、 マーク オサム シや
た る 気持ち が続いて い た に違 い な い。
オニホ ソ コ パネ カ ミ キ リ 、 オオル リ ハム シな ど を
毘虫目録の作成
に先鞭を つ け る 。 そ の後、 実家の あ る会津若松市
白畑は、 同定に誤 り を含んだ 目 録な ど に は手厳
に在住 し、 白畑 と共に、 会津 と 山形 と で昆虫相 の
し か っ た。 自 身が作成す る 目 録で も 同 定 に は細心
解明の度合 い を競っ た。 国立科学博物館に入っ て
の注意を払い、 多 く を専門家に依頼 し て いた。 し
か ら は、 専門の タ マム シ のみな ら ず、 甲 虫、 チ ョ
たがっ て、 山形県の昆虫 目 録 を つ く る と い う 作業
ウ、 ガな ど幅広い分野を手がけ、 日 本の昆虫学に
は、 新たな発見が次々 と加わ る ま ま にその機会 を
一時代 を築いた。 ま た、 若き 日 の 山形県の昆虫の
失っ て し ま い、 結局、 白畑が他界 し た と き に総合
分布調査 に始 ま っ た、 生物地理学の分野への興味
学術調査 「最上川」 のなか に黒揮良彦 ・ 菊地賢治
も 、 そ の後世界へ と広がっ て ゆ き 、 多 く の論考を
と の共著で ま と め た 「山形県産昆虫 目 録」 ま で、
残 している。
形 にな る こ とはなか っ た の で あ る 。
伊東 農
標本の行方
自畑の標本は、 多 く の専門家 に送 ら れて い たた
最上郡新庄町 (現新庄市) 生 ま れ。 新庄中学校
在学中か ら 頭角 を表 し、 葛麓昆虫同好会を主宰、
め に、 全国の博物館や大学に数多 く が送 ら れて い
そ の後東京での虫友会設立に参画。 小蛾類の研究
る 。 ま た、 自 宅 に も 数万点の標本が残 り 、 目 下、
を 志 し て いたが、 すべての見虫類 に 明 る く 、 飛島
永幡に よ り 同定 と 整理が進め ら れて い る。
の調査 に先鞭をつ けた一人で も あ る。 全国 に先が
けて、 鮭川村でギ フ チ ョ ウ 属の混生地発見の き っ
か け をつ く り 、 あ る い は新庄市で東北地方初記録
と な る マダ ラ ナニ ワ ト ンボを発見 し た。 山形県の
昆虫文献 目 録、 ギ ンヤ ンマ の麹の面積 と 飛朔力の
検討、 勤務地であ っ た牡鹿半島の蝶蛾 目 録な ど の
報文作成 に も 着手 し て い たが、 それ ら は未完の ま
ま、 陸軍 に召集さ れ軍事演習 中 に事故で死去。 23
歳の、 あ ま り にt惜 し まれる 死だ、っ た。
工藤藤太郎
戦前、 白 畑 ・ 伊東 ・ 黒津 ら と 同時代に、 村山地
方での見虫の方言な ど を 記録 し、 全国誌に登場 し
1 78
白 畑 が 生 ま れ て 初 め て 採集 し た ヒ メ ギ フ チ ョ ウ
(永幡. 2006よ り )
たが、 若 く し て病没 し た。 その早すぎた死は悼ま
れた。
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ナ チ ュラ リ ス ト のあ ゆ み
相次いで発見、 十代の終わ り 頃に は飯豊山の調査
園
木俣 繁
ガの調査を手がけ、 膨大な種類 を擁する県内の
ガの基礎資料を作成 し た。 白畑の後を受け、 県立
博物館 に嘱託 と し て勤務す る 傍 ら 、 県内の見虫の
文献を ま と め、 目 録作成の基礎資料の整理に尽力
し た。 常に全国の学界の動向 を把握 し なが ら 、 県
内 の 自 身の フ ィ ール ド での調査に徹す る 姿勢は、
白畑 と共通する も の がある。
大類貞夫
1 79. 酒 田 市 の 白 畑 の 書斎 (永幡, 2006よ り )
ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
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植物お よび昆虫の両分野で活躍 し たが、 新庄盆
地でのチ ョ ウセ ンア カ シジ ミ 、 チ ャ マダラセセ リ 、
オ オ ウ ラギ ン ヒ ョ ウ モ ン、 ハ ヤ シ ミ ド リ シ ジ ミ な
ど の確認、 ギ フ チ ョ ウ属の調査な どで多 く の発見
川合市郎
を重ねた。 チ ョ ウ類で県内未記録種が相次いで見
戦後ま も な く 、 県内各地、 特 に 山岳地の調査に
つかる と い う のは、 大類の時代がおそ ら く 最後だ、っ
先鞭を つ け る 。 白鷹山地の湖沼群で ト ンボの調査
ただろ う 。 ミ チ ノ ク サイ シ ン を食べるギ フ チ ョ ウ
を最初 に行っ た の を は じ め 、 見虫類全般 に つ い て
が県内 に い る こ と を確認 し た の も、 大類で あ る 。
精力的な調査 を進めた。
板垣輝彦
南陽市 に在住 し、 置賜地方を 中心 に昆虫相の調
査 に あ た る 。 1950年代 に 白 竜湖でマー ク オサム シ
の多産を確認 し た こ と で も知 ら れ る 。 興味はやは
り 広 く 、 全分野の標本 を残 し て い る 。
小倉住夫
1 960年か ら 2 年間、 陸上 自 衛隊神町駐屯地 に勤
務。 山形県に在住 し た期間は短いが、 大石田町川
前のギフ チ ョ ウ ・ ヒ メ ギ フ チ ョ ウ混棲地の発見を
は じ め、 カ ミ キ リ ム シ、 オサム シ、 それに種々 の
1 80.
白 畑が採集 し た ア カ ハ ネバ ッ タ (永幡, 2006 よ り )
チ ョ ウ の生態な ど、 鋭 い観察眼を活か し 、 実に多
く の新たな知見を 山形県の昆虫研究の歴史に刻ん
だ。 そ の活躍は特筆 さ れ る 。
加藤和彦
戦時中 に疎開で来県 し、 その ま ま 白鷹町で終生
を過ごした。 特に、 白鷹町を中心に した地域のチ ョ
ウ類と、 白鷹山地の ト ンボ類の調査は精度が高 い。
ま た、 デー タ の付 さ れた写真や膨大な蔵書な ど、
所蔵する 資料の豊富さ では群 を抜いていた。
1 8 1 . 山 形 県総合学術調査の折の高橋多蔵 (右) と 白 畑
(大津, 2003よ り )
白畑は昆虫類全般の膨大な標本を残 し て い る。 総
合学術調査会の折に残さ れた標本に は、 大津の採
集 し た鳥や噛乳類の剥製、 高橋の採集 し た昆虫類
な ど も含まれて い る 。
お も な参考文 献
永幡嘉之. 2006. 歩 く 昆虫学者, 白 畑孝太郎 の 生涯. 山
形新聞夕刊連載
大津高. 2003. 山形県の両生類研究史. 両生類誌. 1 1: 112
(永幡嘉之)
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ナ チ ュラ リ ス ト の あ ゆ み
1 82. 白 畑 が大 石 田 町 黒 滝で採集 し た ギ フ チ ョ ウ (永橋,
2006 よ り )
山形県総合学術調査会
山形県の 自 然環境の調査を進め る た め、 総合的
に各分野の専門家を集めて調査を実施 し よ う と い
う 機運が生 まれた の は 1 959年の こ と であ っ た。 戦
前の樺太庁博物館で、 海鳥の研究で活躍 し た高橋
多蔵が、 戦後に郷里に戻っ て県内 の博物館建設に
尽力 し て い たが、 そ の た め に は基礎資料が必要だ
183. 白 畑が愛用 し た 図鑑 (永幡. 2006よ り )
と い う 話に な り 、 まず調査会 の ほ う が先に組織さ
れたのであ る。 当初は 山形新聞 ・ 山形放送 ・ 山形
交通 ・ 山形県 ・ 調査地域の市町村な どが資金面 を
負担 し た。
総合学術調査会は まず朝 日 連峰、 次いで、吾妻山、
飯豊連峰、 鳥海山 ・ 飛島、 出羽三山、 神室山 ・ 加
無山、 最上川 と続いた。 自 然分野では、 高橋多蔵 ・
大津高 ・ 白 畑孝太郎が、 調査仲間 と し て頻繁 に連
れ立っ て歩いた。 見虫分野では、 白 畑 と と も に黒
揮良彦が関わ っ て い る 。 白畑は1980年に、 最上川
の調査が終了する 前 に他界 し たが、 そ の後は蔵王
連峰、 御所山、 摩耶山 と続き、 1 992年に散会 し た。
1 84 白 畑 が採集 し た タ ガ メ (永幡, 2006よ り )
現在 県 内 で は絶滅 し て い る 。
山形県の 自 然研究のなかで特筆さ れる こ と に、
こ の高橋 ・ 大津 ・ 白畑の連携が あ る 。 各人それぞ
れが膨大な知識を擁 し、 個人で も 調査活動は行 う
こ と がで き たが、 彼 ら はそ の 先 を見据え て い た。
自 身の調査 し た こ と を後世で活かせ る よ う な仕組
みづ く り に多 く の情熱をかた む け、 それが総合学
術調査会の仕事 に つながっ て い っ たわけである。
高橋は鳥類 を 中心に、 動物全般の調査を手がけ、
大津は専門の両生類の みな ら ず全動物 に 明 る く 、
1 85. r 山 形県総合学術 調査会」 報告書
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資料 提供 ・ 展示 協 力 者 (敬称略)
資
料
提
供
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追手門学院大学
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京都大学総合博物館
大高
庄内町立図書館
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東京大学総合研究博物館
緒方清人
東京大学大学院理学系研究科附属植物園
桶舎富士子
東北大学植物園
佐藤育子
国立科学博物館
佐藤誠二
日 本蜘株学会
清水よ し
日 本冬虫夏草の会山形支部
鈴木直秀
フ ロ ラ 山形
鈴木真利子
矢 口 プ ロ ダク シ ョ ン
高橋信弥
山形県立庄内農業高等学校
錦
滋
啓
吉田
悟
園
特別展
新種発見物語
平成 1 8年 7 月 8 日
編
集
ー や ま がたナチュ ラ リ ス ト の あ ゆ み 一
発行
山形県立博物館
干 9 9 0 ー 0826
電話
発 行 者
印
刷
山 形市霞城町 1 番 8 号
023 - 645 - 1 1 1 1
山形県立博物館
館長 松浦孝一
寒河江印刷株式会社
Discoveries of New Species 叩d Naturalists of Yamagata Prefecture
(Þ 2∞6 by Yamagata Prefectural Museum