石井 絵梨加 さん

優秀賞
『地団駄は島根で踏め』
わぐり たかし著
国際教養学部国際教養学科
一年
石井 絵梨加
「急がば回れ」という言葉は東海道五十三次、お江戸日本橋から五十二番目、草津宿の
界隈で生まれた、と言われても一瞬、戸惑う。言葉に出生場所があるの? 特定できるの?
ホント!
驚いていると「ごたごた」「らちがあかない」「ひとりずもう」「ごり押し」も、
わかっているのだぞ、と畳みかけてくる。信じられない。それって、やばくない?
と思
ったら、その「やばい」の出生場所も特定されていた。東京都中央区小伝馬町。江戸時代
の牢屋敷跡だという。
わぐりたかしさんの「地団駄は島根で踏め」は驚きに満ちた本だ。わぐりさんは、テレ
ビマンとして世界遺産から南極大陸まで地球を飛び回ってきた人で、
「語源ハンター」の肩
書きも持つ。日常会話で使う言葉にゆかりのある場所や地域があれば「語源遺産」と定め
ている。語源となるきっかけは、土地の習俗や祭祀、伝説あるいは土地の人、モノ、事件
だったりするという。本書の徹底した現場取材から生まれるライブ感はたまらない。
わぐりさんが本書で取り上げているのは27個の言葉。まず、最初に示した「急がば回
れ」と「やばい」を説明しよう。
「急がば回れ」は東海道五十三次、草津界隈の生まれ。歌川広重の浮世絵にも実際に旅
人が脇道に行こうとしている絵が描かれている。近道である脇道を通ると琵琶湖にぶつか
るが、船に乗れば、比良山との気温差で生じる風によって進路が阻まれたり、運が悪けれ
ば憐れ湖底に沈むことになる。命がけの近道であった。そこで「急がば回れ」の語源とな
る和歌が誕生した。
「武士の
やばせの船は早くとも
いそがば廻れ
瀬田の長橋」。これ
が全国に知れ渡ったのである。
「急がば回れ」をなめてはいけない。
「やばい」。小伝馬町の牢屋敷は「厄場(やば)」と呼ばれた江戸時代の死刑執行場所の
ことだという。これは本当に「やばい」場所。私たち今の若者は「すばらしい」
「おいしい」
「かっこういい」の意味で使うことが多いが、ここで亡くなった吉田松陰先生に怒られそ
うだ。
本書が取り上げている言葉を私なりに分類して紹介していこう。
まず、人物特定型。人の名前から言葉ができているのが共通項。具体的にはまず「ごた
ごた」
。これの出生地は神奈川県鎌倉市建長寺。語源は鎌倉時代に中国からやってきた「兀
庵和尚(ごったんおしょう)」が口うるさく理屈っぽい論議をしたことから、「また兀庵が
何か言っているよ、ごったん、ごったん。
」から、やがて「ごたごた」になったという。
「も
とのもくあみ」の語源も同じである。大病を患っていた大和の国の筒井順昭の死後、影武
者として殿様生活を送ることになった「木阿弥」という人物からだという。筒井家の新し
い体制が整い、順昭の死が発表されるまで木阿弥は影武者として見事に大役を果たした。
このことが「もとのもくあみ」の語源である。
次に動作表現型。人が行っている姿を語源としているという特徴があるように思える。
「地団駄を踏む」は島根県奥出雲で「もののけ姫」にも出てきた、たたら製鉄の現場でふ
いごのことを地踏鞴(じだたら)といい、それを踏んでいる姿が悔しがって地面を激しく
踏む姿に似ていることから言葉が「じだたら」、
「じだた」、
「じだんだ」と変化して、
「地団
駄を踏む」となった。
「あいづちを打つ」は、もとは鍛冶用語で、京都府で生まれた。
「相槌」とは、刀鍛冶が
槌を振るって真っ赤に焼けた鉄を鍛えるとき、向かい合った弟子が交互に槌を振り下ろす
こと。リズミカルに相打ちを打って初めていい仕事ができる。そのことから、相手の言葉
にタイミングよくうなずいたりすることを「あいづちを打つ」というようになった。
語源ということを意識して読み進めると、いかにも「出生の秘密」がありそうな言葉も
見えてくる。例えば「大黒柱」
「関の山」「お払い箱」。大黒柱は、奈良県の「大極殿」が語
源である。
「大極殿」という名称は、古代中国で宇宙の中心とされていた太極星からきてい
る。つまり大黒柱は一家の大黒柱、一国の大黒柱を超えて宇宙そのものを支える重要な柱
ともいえる。そして、大極殿にある 44 本の柱すべてが大黒柱だという。
「関の山」の出生地は三重県関町。セキは関町、ヤマは山車の意味。町内の100㍍ご
とに一基の山車があったが、年に一度の祭り以外、普段山車をしまっておく大きな車庫、
山車蔵も必要だし、スペース的にも財政的にもこれ以上増やすことは難しいことから、限
度いっぱい、関の山だ、という語源説である。
「関の山」は、関宿の山車の「サイズ」と「数」
の問題だった。
一方、
「どろぼう」のように、全くの普通名詞で、そもそも出生地があるなどと思えない
ものもある。ちなみに愛知県の三河の土呂で起きた一向一揆が語源である。土呂の本宗寺
などの寺院に立てこもった一揆衆が、米穀などを盗み取るなどといった事件が起こったた
め、徳川家康は対立した彼らを「土呂坊」と呼んでいた。そのことが転じ、
「どろぼう」と
いう言葉が生まれた。
さらに、
「へなちょこ」
「のろま」
「チンタラ」などという人の性格を表す分類もある。そ
れぞれ説明すると、
「へなちょこ」の語源は、神田明神・男坂の名料亭「開花楼」である。
「へな」という粘り気のある土で作られた、洒落た楽焼風の「ちょこ」にお酒を注いだら、
酒が猪口に吸い込まれてしまったことから、「外見ばかりが立派で役に立たないこと」と、
明治時代の新聞記者、野崎佐文とその仲間たちが作った言葉である。
「のろま」は、
「のろま人形」という野呂松勘兵衛が操る道化人形のことだという。「チ
ンタラ」は、鹿児島県の焼酎の伝統的な蒸留法の「チンタラ蒸留機」からきている。鹿児
島弁で「チンチン」は、
「ゆっくり」という意味だという。焦って加熱すると焼酎が焦げて
臭くなってしまう。だから、焦らずチンチンゆっくりと作業して、ゆっくりとタラタラた
れ落ちるのを待つ。そのことが「チンタラ」のそもそもの由来らしい。
この本を非常に「納得感」の高い本にしている理由を書き忘れていた。写真だ。
「ここが
『急がば回れ』が生まれたT字路」や「『どろぼう』発祥の地、土呂御坊」などは、有無を
言わせぬものがある。
さて、最後に私の一番のお気に入りを。「つつがなく」だ。まさかこの語源が「ツツガム
シ」
、最悪死に至る病気、ツツガムシ病の病原体を持つ虫が語源だったなんて。
わぐりさんは「
『いまどき語源なんて、わざわざ旅に出なくても、インターネットで調べ
ればすぐにわかる』と、ネット情報を鵜呑みにしたり、過信している人も少なからずいる」
と書いている。これには耳が痛い。語源に限らず日頃の勉強で私は、自らの頭や手足を使
わず、お手軽なネットに頼り切っている。調べたつもり、知っているつもりで、実は何も
わかっていなかったと後で、地団駄を千葉で踏まないようにしなければ。