船旅の旅行医学 - 日本旅行医学会

船旅の旅行医学
Dr.Nebojša Nikolić
International Maritime Health Association
外洋での航海では、地上ではほとんど想定されることのない様々なリスクが伴います。船員の罹病率
および死亡率は、陸上の職業のそれらより高く、リスクの高い業種であると長い間考えられてきまし
た。今日、250 万人と推定される船員にとって、大きな医療問題の 1 つは、事故や重い病気に遭った
際、船上医師による治療を直接受けることができないということです。国際的な規約では、医師の資
格を持つ者の乗船が必要とされる船舶は、100 人以上が乗船し、3 日間以上の国際航行または十分な
医療設備を備えた寄港地から 1 日半以上の航行を行う場合に限られています。
長距離の移動には、ジェット機による短時間での旅行が標準的になってきてはいるものの、現在でも
多くの人々がフェリーなどの船便を利用します。クルーズ船の乗客は年間 1,000 万人にのぼり、この
数十年間での増加率は 1,000%を超えています。クルーズ業界は、乗客が比較的短期間で様々な異文
化を楽しめるように、様々な国の港を訪れる観光旅行をプロモートしています。クルーズの平均的な
期間は 7 日間で、3~5 の港に寄港します。クルージングのほかにも、多数の旅行者が数時間~3 日間
程度のフェリーでの移動をしています。現在、ごく少数の例外を除いて、商業船やフェリーには医師
は乗船しませんが、大型クルーズ船には原則として船医が乗船し、多くの乗客の様々な症状の診療に
あたっています。一般に、クルーズ船の船上で見られる病気の種類は、陸上と変わりません。陸上と
の違いは、船内の人口密度が高いことと、クルーや乗客が様々な国から乗船してくることです。この
2 つの点は、クルーズ船内における、ある種の病気の伝染にとって重要な意味を持っています。クル
ーズ船では、消化器や呼吸器疾患の集団感染症がたびたび起きていたため、病気の早期発見とそのコ
ントロールをし、船内の衛生状態を改善し、高い衛生レベルを維持するためのプログラムが導入され
ました。クルーズはシニア層に人気が高く、また近年では人工透析患者や癌患者を対象とした特別な
クルーズもあることから、病気やケガの発生率は平均より高くなる場合もあります。クルーズ船の船
医は、1 日あたり乗客 900 人につき 1 件の危険な可能性のある症状、または 1 ヵ月あたり乗客 1,000 人
につき 6 件の重篤な事故を診ています。
クルーズ船は基本的に各国から隔離された状態にあり、陸上と同じレベルの医療が受けられると考え
るべきではありません。クルーズ船の国際的な医療基準は定められていませんが、幸いなことにクル
ーズ船の多くは、American College of Emergency Physicians(ACEP、米国救急医学会)やInternational
Council of Cruise Lines(ICCL、国際クルーズ船協議会)によるガイダンスに従って、医療設備やスタ
ッフを備えています。これらのクルーズ船では、乗客に適切な救急医療を船上で1日24時間いつでも
提供することができます。現在、ほとんどの大型船舶には優れた設備がありますが、船内の医療セン
ターには、手術室、CTスキャナー、MRI、血液バンクはありません。一般的には1~2名の医師と2~4
名の看護師が乗船し、診察室、レントゲン室、簡単な検査室があります。これらのおかげで、重篤な
疾患や損傷の患者を、最寄りの適切な陸上の医療施設へと円滑に搬送することができます。
商業船の船員であってもクルーズ船の乗客であっても、最も不安に感じるのは海外で救急医療を受け
ることです。船旅を含むすべての海外旅行者にとって、大きな問題となるのは、適切な質の医療を合
理的な費用で受けられるかどうかです。自国であれば、旅行者は自分で選んだ医師の診察を受けるこ
とができますが、海外の寄港地では事実上、医師の選択は船の所有者やクルーズ船会社に委ねられる
ため、どのような医療が受けられるかは、選択される病院や医師のレベルにかかっています。そのた
め、患者は受診する医師の能力や経験、代替案を自分で調べることができず、その医師を信頼するこ
とができないまま治療を受けるという事態も起こります。船会社による医師の選択は、必ずしも医療
の質的判断によらない場合もあります。その結果、寄港地の病院やクリニックが診断や治療に必要な
設備を備えていなかったり、治療を行う医師が環境的な負荷など船上での状況や特定の必要性に不慣
れであったりする場合、患者は、最適なレベルに満たない治療を受けることになる可能性もあります。
近年のクルーズ船は医療設備を備えており、クルーズ船会社は乗客に十分なレベルの医療を提供する
ための多大な努力をしていますが、船旅での健康リスクがなくなったわけではありません。クルーズ
に参加する乗客の多くは、無理のない計画を立て、旅行の前後や旅行中にいくつかの注意事項を守る
ことによって、健康リスクを最小限に抑えることができます。寄港地と船舶の関係者は、病気の発生
を抑制し阻止することによって共通の利益が得られるという理由から、公衆衛生部門とクルーズ業界
が協力することによって、相互に有益な関係が築けるでしょう。