【中世 9 キリスト教世界の動揺】 1.十字軍 2.教皇権の衰退 ※西ヨーロッパの拡大 11~14 世紀…西ヨーロッパ封建社会の安定と成長の時代。温和な気候・三圃制の普及・農業技術の進歩(犂・ 水車の改良)→農業生産の増大 →人口の飛躍的増加→西ヨーロッパ世界の拡大 修道院を中心にした開墾運動 オランダの干拓,エルベ川以東への東方植民,イベリア半島の国土回復運動,巡礼の流行 十字軍…最大規模の拡大 1.十字軍 動機 A) イスラーム勢力の伸長 ・7C 以降 エルサレムがイスラーム世界の支配下に入る ・11C~ セルジューク・トルコが大帝国を建設し,エルサレムを占領→キリスト教徒を迫害, ビザンツ帝国を圧迫 経過 B) ビザンツからの救援要請 ・ローマ教皇…異教徒勢力を追いやるとともに,教皇権の拡大をねらう。国王・諸侯・騎士 は領土獲得の野心や冒険心を持つ。 ・イタリア商人は東方貿易路の開拓をめざす。 C) クレルモン宗教会議(1095) 教皇ウルバヌス 2 世 聖地回復の軍をおこすことを提唱 第 1 回(1096~99)陸路でエルサレムを占領 エルサレム王国建設 →1187 滅亡 第 2 回(1147~49)ドイツ(神聖ローマ),フランス軍 陸路聖地に向かうが失敗 第 3 回(1189~92)ドイツ,フランス,イギリスの三国王の遠征 アイユーブ朝のサラディンと交戦 失敗 第 4 回(1202~04)教皇インノケンティウス 3 世が提唱 ヴェネツィア商人の要求でコンスタンティノープルを占領→ラテン帝国を建設 1212 少年十字軍 第 5 回(1228~29)ドイツのフリードリヒ 2 世 エルサレムを一時奪回 第 6 回(1248~54)フランス王ルイ 9 世 エジプトに遠征 第 7 回(1270) ルイ 9 世 アフリカ上陸後 病死 結果 A) 教皇権の盛衰 教皇の権威高まり,13C 頃 絶頂→失敗が続き,権威は失墜した。 教皇庁はこの間腐敗していた B) 諸侯・騎士が戦死や戦費調達などで没落したが,国王は王権を強化し,中央集権を進める。 C) 遠隔地商業が発達,都市が繁栄→荘園経済の崩壊や農奴解放を促す。 D) 東西文化の交流,イスラーム文化やビザンツ文化に接触 2.教皇権の衰退 インノケンティ A) ヨーロッパの政治的状況は激変 ウス 3 世以後 ・ ドイツ(神聖ローマ)の皇帝権が急速に衰退…フランス王権が台頭 ・ 東方…ラテン帝国消滅(1261),イェルサレム王国消滅(1291)→十字軍の成果を失う ・ 西方…イングランドに下院の基(1265),フランドルがフランスから独立(1302) ・ イタリアの諸都市の対立(ギベリンとゲルフ) 十字軍の失敗・王権の強化・教会内部の腐敗 B) ボニファティウス 8 世…才気あふれる人物だったが教会改革者とはなれず。対立する 領主らに破門をいいわたす…徹底的な弾圧 アナーニ事件(1302) フランスのフィリップ 4 世と対立…パミエ司教任命問題と聖 職者への課税問題で衝突。教皇は教皇権の優越を主張し,破門と過信の忠誠義務介助 を行おうとする→フランス王が教皇をアナーニで捕える。 →フランス王は教皇庁をアヴィニヨンに移す(1309~76)=「教皇のバビロン捕囚」…ア ヴィニョン幽囚 大分裂(シスマ) ・教皇がローマに帰還(1377) しかし,アヴィニョンにも教皇が擁立(1378~1417) ↓ 当時形成期にあった国民国家もまたその国益に応じて,どちらかにつく状況が生まれたた め,キリスト教世界そのものが四分五裂に。 異端の出現 A) 南フランスのアルビジョワ派が広がる。 B) 教会批判の始まり ウィクリフ (英)…14 世紀後半,聖書こそ信仰の中心と主張し,教会を批判, みずから聖書を英訳。 フス(ベーメン)…15 世紀初め,ウィクリフの説に共鳴して教会の改革を主張 ↓ C) 教会の対応 ・当時プラハ大学を中心に広く読まれ影響力があったウィクリフの著書の所有と,教 会外でのあらゆる説教を禁止する教書を発令。フスはこれに批判し破門。 コンスタンツ公 ・神聖ローマ皇帝ジギスムントが召集(1414~18) 会議 教皇至上主義を確認し,シスマを終結させる。同時にフスの火刑(1415)→ベーメンのチェ コ人が反乱=フス戦争が起こる(10 年以上も) ・教皇権はかつての勢いを失い,16 世紀の宗教改革につながる ★ 【中世⑨ キリスト教世界の動揺】 1.十字軍 2.教皇権の衰退 ※西ヨーロッパの拡大 11~14 世紀…西ヨーロッパ封建社会の安定と成長の時代。温和な気候・三圃制の普及・農業技術の進歩(犂・ 水車の改良)→農業生産の増大 →人口の飛躍的増加→西ヨーロッパ世界の拡大 修道院を中心にした開墾運動 オランダの干拓,エルベ川以東への東方植民,イベリア半島の国土回復運動,巡礼の流行 十字軍…最大規模の拡大 1.十字軍 動機 A) イスラーム勢力の伸長 ・7C 以降 エルサレムがイスラーム世界の支配下に入る ・11C~ セルジューク・トルコが大帝国を建設し,エルサレムを占領→キリスト教徒を迫害, ビザンツ帝国を圧迫 経過 B) ビザンツからの救援要請 ・ローマ教皇…異教徒勢力を追いやるとともに,教皇権の拡大をねらう。国王・諸侯・騎士 は領土獲得の野心や冒険心を持つ。 ・イタリア商人は東方貿易路の開拓をめざす。 C) [ ]宗教会議(1095) 教皇ウルバヌス 2 世 聖地回復の軍をおこすことを 提唱 第 1 回(1096~99)陸路でエルサレムを占領 [ ]王国建設 →1187 滅亡 第 2 回(1147~49)ドイツ(神聖ローマ),フランス軍 陸路聖地に向かうが失敗 第 3 回(1189~92)ドイツ,フランス,イギリスの三国王の遠征 アイユーブ朝のサラディンと交戦 失敗 第 4 回(1202~04)教皇[ ]が提唱 ヴェネツィア商人の要求でコンスタンティノープルを占領→ラテン帝国を建 設 1212 少年十字軍 第 5 回(1228~29)ドイツのフリードリヒ 2 世 エルサレムを一時奪回 第 6 回(1248~54)フランス王ルイ 9 世 エジプトに遠征 第 7 回(1270) ルイ 9 世 アフリカ上陸後 病死 結果 A) 教皇権の盛衰 教皇の権威高まり,13C 頃 絶頂→失敗が続き,権威は失墜した。 教皇庁はこの間腐敗していた B) 諸侯・騎士が戦死や戦費調達などで没落したが,国王は王権を強化し,中央集権を進める。 C) 遠隔地商業が発達,都市が繁栄→荘園経済の崩壊や農奴解放を促す。 D) 東西文化の交流,イスラーム文化やビザンツ文化に接触 2.教皇権の衰退 インノケンティ A) ヨーロッパの政治的状況は激変 ウス 3 世以後 ・ ドイツ(神聖ローマ)の皇帝権が急速に衰退…フランス王権が台頭 ・ 東方…ラテン帝国消滅(1261),イェルサレム王国消滅(1291)→十字軍の成果を失う ・ 西方…イングランドに下院の基(1265),フランドルがフランスから独立(1302) ・ イタリアの諸都市の対立(ギベリンとゲルフ) 十字軍の失敗・王権の強化・教会内部の腐敗 B) [ ]…才気あふれる人物だったが教会改革者とはなれず。対立 する領主らに破門をいいわたす…徹底的な弾圧 [ ]事件(1302) フランスのフィリップ4世と対立…パミエ司教任命 問題と聖職者への課税問題で衝突。教皇は教皇権の優越を主張し,破門と過信の忠誠 義務介助を行おうとする→フランス王が教皇をアナーニで捕える。 →フランス王は教皇庁を[ ]に移す(1309~76)=「教皇のバビロン捕 囚」…アヴィニョン幽囚 大分裂(シスマ) ・教皇がローマに帰還(1377) しかし,アヴィニョンにも教皇が擁立(1378~1417) ↓ 当時形成期にあった国民国家もまたその国益に応じて,どちらかにつく状況が生まれたた め,キリスト教世界そのものが四分五裂に。 異端の出現 A) 南フランスのアルビジョワ派が広がる。 B) 教会批判の始まり [ ] (英)…14 世紀後半,聖書こそ信仰の中心と主張し,教会を批判, みずから聖書を英訳。 [ ] (ベーメン)…15 世紀初め,ウィクリフの説に共鳴して教会の改革を主張 ↓ C) 教会の対応 ・当時プラハ大学を中心に広く読まれ影響力があったウィクリフの著書の所有と,教 会外でのあらゆる説教を禁止する教書を発令。フスはこれに批判し破門。 [ ] ・神聖ローマ皇帝ジギスムントが召集(1414~18) 公会議 教皇至上主義を確認し,シスマを終結させる。同時にフスの火刑(1415)→ベーメンのチェ コ人が反乱=[ ]戦争が起こる(10 年以上も) ・教皇権はかつての勢いを失い,16 世紀の宗教改革につながる ★
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