なぜISは「十字軍」を引用するのか?

なぜISは「十字軍」を引用するのか?
2015.12.10.
位野花 靖雄
11 月 13 日パリで同時多発テロが発生し、多くの犠牲者が出ました。翌日過激派集団IS
が犯行声明を発表し、
「十字軍・フランスのパリへの攻撃」だと表明しました。
二か月前の9月、ロシアがシリアの反アサド勢力への空爆を決定し
た時、アサド政権の退陣を主張してきたサウジアラビアのイスラーム
宗教指導者グループが、ロシアを「オーソドックス(ロシア正教会)
十字軍の来襲」として非難声明を出しました。
フセイン・イラク大統領も、米軍が軍事侵攻を開始すると、
「十字軍
が来襲した」との表現を使って非難しましたし、パレスチナのハマス
は、フセインへの攻撃は「全イスラームに対する新しい十字軍による攻撃」であるとして、
アラブ市民に蜂起を呼びかけました。
十字軍は今から1000年ほども前の出来事です。日本でいえば、鎌倉幕府が開かれた
ころの話です。なぜそんな昔の出来事を引用して非難するのでしょうか?キリスト教世界
では、十字軍は正義の軍隊との肯定的な意味合いが強いと理解されているようですが・・・
アラブの誇張表現
アラブの人々は自分が主張したいことが、如何に深刻・重要であるかを伝えるために、
具体的な事象とか場所名とかを比較に引用して、誇張的に表現する傾向があります。
例えば、うろうろして迅速な行動ができない状況を表現するのに、
「モーセの民よりも
さまよっている」といいます。
ご承知のように、モーセは3000年以上前にエジプトにいるイスラエルの民を率いてエ
ジプトを出て、神から約束されたカナンの地に入るまで、40年間荒野をさまよったと伝
えられています。モーセの行動を比較の例として引用して、行動が遅いことを言い表そう
としているのです。
これに比べれば、十字軍の話などは1000年前の出来事ですから、それほど昔の話で
はないといえます。
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米国・フランス・ロシアなどの自分達への攻撃は、
「十字軍が行った行為に匹敵する悪行・
蛮行である」と主張したいために十字軍を比較に出していると推察されるのですが、はた
して十字軍は、それ程の悪行・蛮行をしたのでしょうか?十字軍の歴史を短く振り返って
みたいと思います。
十字軍のエルサレム占領
1099年十字軍遠征隊はエルサレムを占領し、その後約 10
0年近くの間、聖地を支配することになるのですが、エルサレム
に入城する時、十字軍兵士がとった残虐な行為と狂信的政策は、
この地域のイスラーム教徒を震撼させるものでした。
エルサレム旧市街遠望
古文書は次のように十字軍の振る舞いを伝えています:
「十字軍が市内に入ってきたため、多くのイスラーム教徒はモスクに逃げ込んだが、十字
軍兵士は容赦なく襲い掛かり、片っ端から殺し始めた。人々は塔や城塁から飛び降りさせ
たれたり、生きながら焼かれたりした。男女の死体や切り刻まれた子供の手足が広場や街
路に散乱し、虐殺が終わった時には血が兵士の膝を浸し、馬のあぶみにも達するほどであ
った」
この結果、エルサレムに住んでいたイスラーム教徒約7万人はほぼ全員殺されました。
聖地奪回との名の下で残忍非道な行いがおこなわれ、イスラーム教徒は根絶やしとなり、
エルサレムはキリスト教徒により独占されることになったのです。
聖地エルサレム
エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖都であることは良く知られている
ところですが、十字軍が派遣されるころのエルサレムは、宗教間の緊張的関係はまったく
なく、ギリシャ正教、ローマ・カソリック教会、イスラーム、各種分離派キリスト教会が、
それぞれ信仰の自由を保証され、自由な宗教活動が行われていました。宗教的平和共存が
何の束縛もなく行われていたのです。
写真:左から 嘆きの壁(ユダヤ教)・聖墳墓教会(キリスト教)・岩のドーム(イスラーム教)の各聖地。
聖墳墓教会では、ローマ・カソリック教会・ギリシャ正教・アルメニア教会など6つの宗派が、
祭壇を分け合って共同使用している。
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ビザンツ帝国のアレキシオスの治世になると、トルコ軍の圧力が強くなり、これに耐え
きれなくなったビザンツ帝国は、ローマ教皇に救いを求め援軍を要請
しました。確かに、エルサレムへの巡礼路が切断されることは時折あ
ったようですが、聖地エルサレムでは前述したようにそれぞれの宗教
が自由な宗教活動を行っていたのです。
聖地奪還を呼びかけるウルバヌス 2 世:中世写本より
ビザンツ帝国の要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は宗教会議を開き、
「神はいまわ
しい民族を根絶やしにするように勧告されておられる」として、十字軍の派遣を決定する
のです。そして、平和的共存が行われていたエルサレムを血の海にしてしまったのです。
イスラームの聖地を残酷で理不尽に奪い取った十字軍の行為は、ア
ラブ・イスラームの人々にとっては拭い切れない・許すことができな
い出来事として、記憶に残っているようです。
十字軍の砦・シナイ半島
ISもフセインも、攻撃を仕掛けてくる西側の軍事侵攻を非難するために、アラブの人々
なら誰でも知っている十字軍(当時のフランク人)の残忍非道な行いを引用し、人々の記
憶を覚醒させ、理解と支持を得ようとしているのだと思われます。
日本も例外ではありません。10 月バングラデシュで日本人技術者が射殺された際、ISは
「十字軍の一員である日本人を殺害した」と主張しています。
十字軍に関連して忘れてはならないのは、アラブの英雄サラフディーンです。
不世出の英雄
エルサレムをキリスト教徒から奪還することに成功したのは、クルド人のサラフディー
ン(サラディン)でした。
サラフディーンは、十字軍の残酷さとは対照的に緩やかな条件で十字軍の降伏を受け入
れました。開城後もキリスト教徒を寛容に受け入れ居住を許すと共に、降伏した十字軍兵
士に対しては食料を与え警備をつけてキリスト教支配地域に送り返したと伝えられていま
す。エルサレムを去る者には、個人的財宝の持ち出しを許し,孤児や寡婦には援助金を与
えたともいわれています。
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日々の生活は華美を嫌い非常に質素な暮らしを送り、亡くなった時には 1 枚の金貨と四十
数枚の銀貨しか残っていなかったとのエピソードが伝えられています。
イスラームの人々は、彼を文武の誉れが高い偉大なる英雄・賢者であるとして尊敬し誇
りに思っています。自国の政治指導者の名前を知らなくても、サラフディーンは知ってい
るほどアラブの人々の間では、不世出の英雄として絶大なる人気があります。
彼の出身地は、現在のイラク・バグダードの北方100kmにある寒村ティクリートで
すが、あのフセイン大統領も同じティクリート出身なのは、歴史の皮肉でしょうか・・・
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(イスラーム地区)
(キリスト教徒地区)
聖墳墓教会
岩のドーム
嘆きの壁
(ユダヤ人地区)
(アルメニア人地区)
(エルサレム旧市街略図)