馬の話:ヒラックス(岩たぬき)の仲間は馬の先祖か? この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。蟻は力のな い種族だが、夏のうちに食糧を確保する。岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間 に設ける。(箴言 30:24-26) ウマは野生のウマもいますが、多くは家畜馬として多方面に亘って人間の生活に関わ ってきています。移動や輸送の助け手になり、また破傷風の抗毒素の生産に使われ、そ の毛、皮、骨なども様々に利用され、さらに乗馬を楽しむ人々や走る姿に楽しみを見出 す人々の友としても、人間とは親しい関係にあります。ところが、一方で、十九世紀後 半以降、ウマの系統図が進化の「重要な証拠」として、大きな役割を負わされてしまい ました。 オーストラリアを除く全大陸で収集されたおびただしい化石が、多くの研究者により 方々で検討され、組み合わされたりした後に、ダーウィンの友人トマス・ハクスリーに よって系統図が提案されて、ウマの進化の物語が作り上げられました。それ以後、多少 の差違はあるものの本質的には類似の見事な「系統図」が、進化の証拠として教科書に 示されています。 ここに示した図はそれを模写したものです が、進化の四段階とされるものを、同じ縮 尺で描いた姿・形と蹄の様子です。体のサ イズが左から右へと順次大きくなっていま す。一番左の小さな動物が、約五千万年前 のウマの祖先とされたヒラコテリウムで、 蹄は4本、次いで約三千万年前のメソヒップスで、蹄は3本、次に約二千万年前のメリ キップス、そして最後が現在のウマ、エクウスで蹄は1本です。メリキップスの次にプ リオヒップス(前肢・後肢共に蹄は1本)が描かれていることもあります。実に明解で 漸進的な進化の過程の証拠のようにも見え、実際そのように人々は信じてきました。そ して今なお、そのように中高生に教えられています。 ウマの祖先とされたヒラコテリウムは、1841 年、優秀な古生物学者リチャード・オー ウェン(恐竜という単語を作った人)によって発見されました。彼はこの動物とウマと の間に何の関係も見出さず、むしろヒラックス(岩だぬき)に似ているので、ヒラコテ リウムという名前を付けました。この動物は馬科の特徴は備えておらず、身体の大きさ は体高 25~50 センチと幅があり、背中は弓状にかなり曲がり、尾は長くて太く(ウマ の尾は先端に毛の束が付いているだけで、尾は長くはない)、身体の後部が高く、ほと んどウサギのような外観をしていると判断されました。ところが、後に進化論的発想を する古生物学者によって、この動物はエオヒップス(黎明馬、ウマの始祖の意味)と呼 ばれるようにもなりました。 ちなみに、ヒラックスという名前は大抵の辞書に出ていて、「アフリカ・アラビア・シ リア地方に住むウサギほどの大きさで、蹄を持つ臆病な哺乳類」「齧歯類様の動物で植 物を食べ、岩場や木の中に棲む」などと書かれています。聖書・箴言に、「強くないが 賢い」と書かれた岩だぬき(hyrax)であり、レビ記などにも記載されています。 進化論者のジェラルド・カーカットは、「ヒラコテリウムがウマの祖先かどうかは明ら かではない」と言い、進化論者であるジョージ・シンプソンは「ヒラコテリウムは直接 の祖先を持たず、同時期・始新世にヨーロッパと北アメリカで突如として出現したのは、 生命の歴史における劇的、且つ神秘的な逸話」と述べています。生物学者、ヘリバート・ ニルソンは、「ウマの系統樹は、教科書の中でのみ、すっきりとした一定方向の進化を 見せている」と言っています。 その他、ウマの化石記録に関して大きな間隙があり、様々な見解があり、複雑に入り組 んでいます。ヒラコテリウムをはじめとして、これらの古代馬は決して同じ地層から出 土したものではなく、地理的に遠く離れて発掘された化石同士を、「この種からこの種 へと進化した」という、暗黙の了解の下に並べたに過ぎないということです。 次回以降に、この「進化系統図」の流れ、蹄、歯、腓骨のことなどについて、話を進め たいと思います。 参考文献: 「創造」Vol.3, No.4(1999); 「馬と進化」 (G.G.シンプソン/どうぶつ社) ;チャート式「新生物ⅠB・Ⅱ」 (小 林弘著/数研出版)(2002);「創造論の世界」(久保有政著/徳間書店)
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