お茶っこ広場(大槌)に参加して 宮本雅行 3.11 以来、被災地に向けて何

お茶っこ広場(大槌)に参加して
宮本雅行
3.11 以来、被災地に向けて何かできないだろうかと悶々とする日々が続いていました。そ
んな中、8 月に日本協会 3 役で東北 3 県を回ることになりました。福島・宮城・岩手それぞ
れの地の被災状況は、衝撃的でした。改めて今回の自然災害・人災(原発)の被害の深刻
さを思い知らされたものです。そんな中で、思い至ったのが「全国銘菓お茶っこ広場」で
した。
私は、縁あって大槌での活動を中心に進めてきました。大槌では 7 月末をもって被災者の
全てが避難所を出て仮設住宅に移っておられました。雑魚寝に近い避難所と比べて、個々
人のプライバシーが確保できる仮設住宅は、復興への大きな一歩のはずでした。ところが、
仮設住宅に入ることによって、被災者がバラバラになってしまうという側面もあったので
す。悲しみやつらさや希望をシェアすることができなくなった被災者の中には、孤独に苦
しみせっかく助かった命を自ら絶ってしまう人が出たのです。
ネイチャーゲームリーダーであり、自らも被災者であり、文字通り九死に一生を得られた
臼澤さんは、自らの命が救われた意味を自らに問いかけました。そして被災者を支えるた
めに命を救われたのだ、被災者の全てが仮設を出て未来へむかって進めるようにすること
が自分に与えられた使命であると自覚されたとおっしゃいます。
そんな臼澤さんは、仮設住宅の近くに被災者が日常的に集うことのできる場として「まご
ころの郷」を作られました。広場にブルーシートの屋根を張り、手作りの机やいすを用意
して、毎日お茶やお菓子を提供しておられました。日本協会のお茶っこは、そのような継
続した営みの一端をささやかながら担うことにしたのです。
夏から秋、そして冬を迎えるようになると、露天での集まりは難しくなり日常的な郷の運
営は難しくなりましたが、集会所を使って私たちのお茶っこは継続することとなりました。
回数が重なるにつれて常連さんができます。常連さんは私たちのお茶っこを楽しみにされ
ていて、初めての人に声をかけて連れてきてくださいます。そして、忘れずにまた来てく
れたと喜んで頂きます。全国の仲間が忘れていないことは全国から寄せられたお菓子が物
語っています。
復興の主体はあくまでも被災された方々です。臼澤さんもそのことをよく理解されていま
す。与えられるのではなく、作り出す。自らが、新しい大槌を作り出す。自立への取り組
みを着実に重ねられています。私たちの活動はその営みを見届けること、忘れていない事
つながっている事を示し、勇気づけることなのだろうと思います。
年末に年賀状を書きながら、大槌の人たちに出していいものかどうか迷いました。厳しい
状況だからこそ勇気づけたいと思いました。一方でどの方も家族や親族を亡くされている
わけですから、喪に服されているのだからと出しませんでした。ところが、被災者の方か
ら、新年の挨拶状が来たのです。「おめでとう」の言葉は使われていませんでしたが「あり
がとう」の文字が輝いていました。「ありがとう」の言葉がどんなに嬉しかったことか。続
けてきてよかったなと思います。続けて行きたいと思います。