さんの報告をぜひお読み下さい。(PDFファイル)

沖 縄 ・ 辺 野古 に 行 って き ま した
私 は、3月 3日 から7日 まで 沖 縄 に行 きました。一 番 の目 的 は、普 天 間 基 地 の移 設 により、名
護 市 辺 野 古 地 区 に海 上 ヘ リポ ート基 地 を建 設 し 、併 設 する キャン プ・ シュワ ブと一 体 化 し、米
国 の戦 争 出 撃 巨 大 基 地 とな ることを、地 元 住 民 、オバァ、オジィ、海 人 が非 暴 力 で 反 対 し続 け
て いる活 動 に自分 もすこしで も参 加 したいとのおもいからで した。そして 、地 元 住民 オバァ、オジ
ィ、海 人 の反 対 の思 いを肌 身 で感 じたかったからで す。
3月 3日 は16時 過 ぎ に現 地 「 座 り込みテント」 に着きましたが、例 年 にな い寒 さ、冷 雨 のためか
人 影 はありませんで した。4日 は、7時 現 地 集 合 で 、挨 拶 もそこそこに漁 船で 、海 上 に建て られ
た調 査 用 の「 第 5ヤグ ラ」 に行 きました。ヤグ ラは単 管 ( 鉄 パイ プ) を継 ぎ 手 ( ク ラン プ) で 固 定 し
たもので す。現 地 の方 は「 ヤグラ」 のこと を「 たんかん」 と呼 びま す。ひかれた天 板 の隙 間 からき
れいな 辺 野 古 の海 に泳 ぐ魚 たちが見 られました。寒 さのため脚 が硬 直 ・ ケイレンし ました。5日
は終 日 「 座 り込 みテント」 にいました。土 曜 で 寒 さが著 しいため、テント村 で オジィ、オバァ、には
会 え ませんで した。全 国 か らテント村 に激 励 ・ 見 学 に 来 て いま した。6日 は、大 里 村 のうふ ざと
教 会 の礼 拝・ 愛 餐 会 に参 加 しました。教 会 のお勧 めで 佐 喜 眞美 術 館 に行きました。また、嘉 手
納 ロータリー近 くの「 道 の駅 」 屋 上 から嘉 手 納 基 地 の巨 大 さを実 感 しま した。沖 縄 国 際 大 学 の
米 ヘリコプタ ー墜 落 による黒 焼 けた校 舎 も見 学 しました。帰 路 、北 谷 町 のジャス コによりセール
で 裏 起 毛のトレーナーを買 い寒 さ対 策 をしました。7日 は沖 縄で 毎 回行 く糸 満市 の「平 和 の礎」
を散 策 ・ 買 物 後帰 京 しました。
1. 3月 3日 : 一 人 旅 は若 い頃 から好 きで した。自 分 との対 話 や深 く考え る時 間 を与 えて くれま
す。他 人 任 せで はな く自 分 で 計 画 を立 て ます。旅 先 で 様 々な 人 と初 めて 出 会 います。色 ん
な 思 いが湧 きます 。しか し、今 回 は辺 野 古 で のヘ リポ ート基 地 建 設 反 対 に参 加 すると いう
目 的 があり、い つもより緊 張 して いたのは事 実 で す。 初 日 の3月 3日 は木 曜 で 現 地 に着 い
たのは4時 過 ぎ で した。沖 縄 はこの時 期 には珍 しく、冷 雨 、寒 さが著 しく気 温 10度 を割 ると
ころも多 かったので す。「 座 り込 みテント」 には人 影 がな く、近 くで 防 衛 施 設 庁 に雇 われたガ
ードマ ンが海 を監 視 して いました。私 は、宿 にとった辺 野 古 の隣 の二 見 地 区 にある「 海 と風
の宿 」 に行 きました。オーナーは現 在 持病 治 療 のため入 院 中 。女 性従 業 員 のSさんが宿 の
シス テムを紹 介 してくれました。宿 には、反対 運 動 に長 期 間 参加 して いるMさんがいました。
明 日 の行 動 をともに して くれるとのこ とで 一 安 心 し ました。夕 食 代 ( 60 0円 ) を支 払 って も、
料 理 ・ 洗 い物の手 伝 いを自 然 にして いるところが面白 く、「 疑 似 家 族」 のような 雰 囲 気で した。
勿 論 、自 炊 で 干 渉 をしたくも、 されたくもな い人 は 気 まま にして いて も構 わな いので す 。「 自
分 の意 思 に従 って 」「 自 然 に」 「 ゆっくりと」 というのが、この宿 に感 じた私 のイメージで す。夜
は、泡 盛 を飲 みながら、同 宿 した者 が自然 に語 らい交 流 します。ウクレレや三 線 が流れてき
ます。
2. 3月 4日 : 前 夜 泡 盛 を飲 み過ぎ て しまい、携 帯 のアラームで も目 覚 めぬ私 をMさんが起 こし
て くれました。ご飯、みそ汁、納 豆 、イカの塩辛 を掻 き込 み私のレンタカーで辺 野 古 に行きま
した。遅 くて も7時 集 合 で す。Mさんに言 われたとおり、ウエット・ ス ーツ、ライフジ ャケット、ブ
ーツ を着 込 み漁 港 に集 合 。沖 縄 平 和 連 絡 会 、ヘリ ポート基 地 反 対 協 議 会 のリ ーダーから
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今 日 の行 動 提 起・ 諸 注 意 の発 言 がありました。初 めて 参 加 する私の自 己 紹 介 を、「 千葉 か
らきた I.で す。仕 事 先 の社 長 は反 動 の石 原 慎 太郎 で す。前 々から現 地 に来たいと願 って
いました」 と挨 拶 しま した。私 は「 ゴン助 」 という漁 船 に乗 り込 みま した。船 長 は20歳 すぎ の
Sさんで す。H Pもあるようで す。「 第 5ヤグラ」 は初 めて の参 加者 が行 く定番 で す。辺 野古 漁
港 から見 て 右 端 にあり、毎 日 くる防 衛 施 設 庁 側 の監 視 船( 漁 船 をチャータ ーしたもので す)
が最 後 にくるヤグラで す。すで に、監 視 船 が回 ったヤグラからト ランシ ーバーで 、作 業 船 ( 建
設 会 社 のチャー ター した漁 船 で す) や監 視 船 が何 をしに来 た か情 報 が入 りま す。 ヤグ ラに
着 き、風 よけ兼 ス ローガンの書 かれたムシロを張 りま した。一 息 ついて 「 第 5ヤグ ラ」 に登 る
仲 間 6人 の自 己 紹 介 をしました。私 以 外 は長 期 に現地 で 反対 活 動 をされて いる方 々で した。
挨 拶 後 、 一 人 の仲 間 から 、「 初 めて の 人 は 船 に乗 船 して いる のが ル ール だっ た ん じゃな
い?」 という提 起 がりました。これは初 心 者 の安 全 を守 るた めの好 意 からの発 言 で した。そ
れに対 して 、後 で 分 かったので すが、 クリス チャンで 大 学 教 授 をさ れて いる方 が、「 そういう
ルールは確 かにあった。こうしましょう。相手 側 の船 が来 たら I.さんは船 に移 ってもらうとい
うことで 良 いかな ?」 という折 衷 案 に落 ち着 きました。海 上 ヤグラはとにかく強 風 で 例 年 にな
い寒 さで じっと して いることがで きませんで した。私 は十 分 な 保 温 対 策 をして こな かったため、
ウエット・ ス ーツの上 からレインパ ーカー・ ライフ ジャケット を着 て いて も、ガタガタ と震 え て い
ました。頭 がボッー とする位 で した。太 陽 の当 たるヤグ ラの端 に寝 ころび、心 の中 で 「 イエス
の苦 しみはこんな もので はな かった。神 様 私 を支 え て 下 さい」 と思 わ ず叫 び ました。脚 が硬
直 しツッテしまいま したが自 分 で 黙 って 脚 の親 指 を引 っ張 り回 復 。仲 間 に迷 惑 を掛 けたくな
いという思 いで した。曇 って おり海 の美 しさが半 減 して いま したが、それで も、ヤグ ラの天 板
の隙 間 から辺 野 古 の海は海 底 まで見 え ました。この辺野 古 -大 浦 湾 に巨 大 基 地 を作 る理
由 が理 解 で きません。巨 大 戦 争 出 撃 基 地 建 設 のためにを美 しい海 を埋 め立 て て 良 いので
しょうか?この海 の恵 みで 暮 らして きた地 元 住 民 オバァ、オジィ、海 人 の生 活 を破 壊 して 良
いので しょうか?私 の税 金 がこのような 基 地 建 設 計 画 に使 われて いるこ とは嫌 で す。国 民
は納 税 者 として 基 地 建 設 計 画 に反 対 すべきで はな いか?娘 のメールの題 名 にあった「 ジュ
ゴンきたぞー」 が守 られるように私 ので きることは何 で すか?平 和 を守 るために「 私 は行 きま
す...」 という応 答 がいつかの礼 拝で あったな。クリス チャンやその求 道 者 は「 正義 や平 和」
を守 る使 命 があるんだよな ?等 々寒 さに震え ながら考え ていました。
午 前 中 、作 業 船・ 監 視船 が「第 5ヤグラ」 にも来 ました。作 業 船 の建設 会 社( サンコーコンサ
ルティング) の代 表 が、「 ヤグラのクラン プの腐 食 したもの を取 り替 え たい」 とお願 いに来 まし
た。これは事 前に仲 間 内で 連 絡 を取 り合 い受 け入 れることにな りました。海 の上で は、船 同
士 をロ ー プで 横 付 け しな ければな りませ ん。ロー プ渡 しな ど当 然 協 力 し ます。 気 にな って い
たのは、監 視船 に名 を名 乗 らない人 々が、ビデオ・ カメラ撮 影 やメモを撮 っているので す。防
衛 施 設 庁 +公 安 関 係の人 々で す。文字 どおりの「 監 視」 で す。
昼 食 は担 当 漁船 が各 ヤグラを巡 回 して 弁 当 を配 ります。オマケに付 いた足 が指の太 さ位 あ
る大 きな イカ焼 きを食 べま した。こんな 昼 食 は私 には初 めて で したが感 慨 深 いもので した。
一 つだけ失 敗 がありました。弁 当 のプラス チックの蓋 を風 で 飛 ばされ海 に落 として しまいまし
た。仲 間 が一 瞬 「 アッ」 と声 を出 しました。海 上 を見 回 しましたがもう見 つかりません。漁 場で
ある辺 野 古 の“ 美 ら海 ” を海 上 で も漁 港 で も汚 して はいけな いので す。空 腹 で そこまで 考 え
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が及 ばぬ私で したが、仲 間 はそれ以 上 私 には何 も言 いませんで した。後 は自 分で 考 える事
だからで す。何 のためにヤグ ラに来 て いるのか。基 地 建 設 計 画 反 対 には当 然 環 境 破 壊 反
対 も含 むので す。本 当 に「 辺 野 古の“美 ら海“ ご免 な さい」で した。こうした活動 に参 加 するた
めには、①体 調 や衣類 調 節な どの自 己 管 理 ができること。②当 たり前で すが身 勝手 な行 動
は特 に海 の上で は許 されません。事 故 につな がります。③環 境 を汚 さな い配 慮ができること。
この3つは最 低限 の鉄 則で す。
午 後 も寒 さに震 え て いま した。また作 業 船 ・ 監 視 船 が「 第 5 ヤグ ラ」 にも来 ました。今 度 は、
「 パイプ( 単 管 ) と夜 間 用 赤 色 灯 の電 池 を交 換 したい」 との希 望 で した。パ イ プ交 換 は回 答
で きな い。希望 は聴 いた。夜 間 用赤 色 灯 の電池 交 換 は応 じる事 にしました。建 設 会 社側 は、
「 パイプ交 換 を強 行 はしな い。強 行 はしな いというのは、“ やらな い” という意 味で はな い。」 と
言 いました。私 は考 え ました。確 かにパイ プは腐 食 すれば ヤグ ラの上 で の活 動 は危 険 で す。
しかし、地 元 住 民 、オバァ、オ ジィ、海 人 の了 解 がな いのにヘリポート基 地 建 設 のために調
査 用 ヤグラを建 て たのは防 衛施 設 庁 、在 日米 軍で す。ヤグラが腐 食 して 壊 れ、機 能 を果 た
せな くて もその責任 は防 衛 施設 庁 、在 日 米軍 及 び日 本 政 府 にあります。地 元 住民 、オバァ、
オジィ、海 人 、ヤグ ラの上 で 基 地 建 設 を監 視 し、反 対 行 動 をして いる私 たちにはありません。
基 地 建 設 を断 念 し、辺 野 古 の“ ちゅら海 “ を汚 さぬようにヤグ ラを自 主 撤 去 するのが彼 らの
執 るべき最 良 の道 な ので す。作 業 船 の乗 組 員 は沖 縄 の人 々で す。彼 らも本 心 は「 基 地 建
設 はしたくな い」 のかもしれません。ただ働 き給 料 を得 るために建 設 会 社 で 働 いて いるので
す。誰 も、沖 縄人 同 士で 争 いたいと思 う人 はいな いはずで す。
作 業 船 ・ 監視 船 が帰 ったことを確 認 して 、ヤグラからの撤 収 準 備 を開 始 し、連 絡 により辺 野
古 漁 港 に帰 ることにな りました。今 日 の ヤグ ラで の活 動 が終 了 しま した。漁 港 に戻 るとオジ
ィ、オバァが岸 壁から大 きく手 を振 って 待って くれて いました。海 上 ・ ヤグラで の活 動はオジィ、
オバァたちの“ 座 り込 み” 行 動 と連 動 したもので す。座 り込 みは間 もな く365日 を迎 え ます。
各 ヤグラから戻 った仲 間 が座 り込 みテントに集 まり活 動 報告 を行 い、情 勢 分析 や反 対活 動
から地 元 に戻る仲 間や学 生 の紹 介 をしました。
テントのなかで 平 良牧 師 のご両 親 と対 面 しました。お父 様 が昼に食 べたイカがまだあるから
「 食 べて 行 きな さい」 と言 いイカを焼 いて 下 さいました。お母 様 は、「 三・ 一 教 会 から派 遣 され
て きたの?」 と質 問 されたので 、「 いいえ 、私 個人 で 来 ました。」 と答 え ました。お母 様 は、「 こ
の反 対 活 動 には多 くのクリス チャンが参 加 して いるのよ」 と教 え て くれました。私 は、熟 慮 し
な いで「 辺 野 古で “ 青空 礼 拝 ”ができますネ?」な どと呑 気 な ことを言 って しまいました。別 れ
際 、「 また辺 野 古 に来 ます」 と言 い、お二 人 と握 手 をしました。( これは私の最 近 のクセで す。
信 頼 し合 え る人 々とは握 手 をして 、「 あな たに会えて 良 かったで す」 と実 感 を込 めたいからで
す。) 別 のヤグラに行 って いた同 宿 のMさんは、「 今 晩 は、学 生 が関 西 の大学 に戻 るのでそ
のお別 れ会 を山 の中 の別 荘 で するので そちらに行 き泊 まる」 とのことで 、一 人 で 宿 に戻 りま
した。「 海 と風 の宿 」 で は約束 で 私 が夕 食 を作 り従 業 員 の方 と二 人 で 食べました。野 菜 のト
マ ト煮 と焼 肉 レタス とお餅 のサラダで す。お餅 は、冷 凍 して あったものを「 イカの切 り身 」 と間
違 え て しまったので す。沖 縄 のお餅 は「 粉 もち」 と言 って 米 粉 で 作 ったもので した。湯 煎 をし
て も形 が崩 れず、食 べるまで 「 イカ」 だと思 って いたので す。「 ベジタリアンには良 い夕 食 メニ
お
か
ら
ューだね」 とか言 いな がら食 べました。夕食 後 宿 の隣 りに住 む「 ゆきオバァ」が雪 花 菜 を持 っ
3
て きて くれて 、しばし談 笑 しました。子 どもたちはみんな 島 を出 て 一 人 暮 らしで す。夕 食 も少
し味 見 をして 貰 いま した。楽 し い一 時 で した。また連 泊 組 と大 学 生 3人 とで 泡 盛 を飲 み まし
た。外 は雨で 明日 も寒 い沖 縄 にな るだろうな~と思 いながら床 に就 きました。
3. 3 月 5日 : 今 日 も沖 縄 は寒 い一 日で した。土 、日 は緊 迫 して いな ければ、基 本 的 には海 上
で の反 対 行 動 はありません。「 座 り込 みテント」 に少 し遅 れて宿 から向 かいました。寒 さに震
え な がら、テント内で 談 笑 したり、布 きれに、基 地 建 設 反 対 や戦 争 反 対 、平 和 を守 ろうと言
った趣 旨 を書 き込み、米 軍 基地 や「 座 り込 みテント」のフェンス に張 る人 々、疲 れて ゴザを掛
け布 団 にして 寝 ころぶ人 、寒 さに耐 え ようとお菓 子 や暖 かいコー ヒーで 暖 をとる人 と様 々で
した。一 見 のんび りして いま すが、「 座 り込 みテント」 に詰 めて いることは、基 地 建 設 反 対 の
意 思 を貫 き、表 現 すること。いつ、土 、日 とはいえ 、防 衛施 設 庁 側 が行動 するか分 かりませ
ん。監 視 をする必 要 が ありま す。寒 い辺 野 古 で す 。オバァ、オ ジィが座 り込 んだら風 邪 をひ
いたり体 調 を壊 します。オバァ、オジィの休 息 日 が必 要 で す。10時 半 位 に、軽 トラで お弁 当
を売 りに来 ます。早 々 、私 も35 0~4 00円 位 の弁 当 から品 定 めをして 買 いました。腹 を空
かした足 の不 自 由な 仲 間 のTさんは、買 って すぐに食 べて しまいました。そして 、食 べ終 わっ
たTさんが、「 1日 1回は海 に出な いと気 分 がしゃんとしな い。○○ジィの船で 海 に出 よう!定
員 3人 まで 」 と急 な 発 言 があ り、即 座 に私 は手 を挙 げ、 5人 で 漁 船 に乗 り 込 み、T さんの操
船 で 辺 野 古 の沖 合 に向かいました。「 目 指 すは東 島 !ここは夏 のキャンプには最 高 !」 とT
さんが紹 介 して くれました。波 の浸 食で 島 にはいくつもの洞 窟 が海 にせり出 して いました。私
たちの急 な 海 上ツアーに、防 衛 施 設 庁 の監 視 船 がすぐに反 応 し、監 視 し出 しま した。Tさん
の案 内 で 、“ キャンプ・ シュワ ブ” を海 上 から見 るこ とがで きました。「 あそこの赤 い屋 根 が見
え るで しょ。あれは、思 いやり予 算で 作 られた海兵 隊 の福 利 厚 生 施設 な んで すよ」 「米 国 国
旗 、『 日 本 国 旗 』 が半 旗 にな って いるで しょう。“ キャンプ・ シュワ ブ“ から イ ラクに派 遣 された
海 兵 隊 に死 者が出 たから、半 旗 にな って いるんで すよ」 「 グランドのような 芝生 が見え ますね。
あれは、24時 間 、パラシュート訓 練 やヘリコ プタ ーが急 襲 訓 練 をで きる施 設 な んで すよ。極
東 で は唯 一 の訓 練 場 所 かな 」 と、Tさんの 案 内 は止 みませ ん。辺 野 古 漁 港 の岸 壁 から、こ
の芝 生 で の急襲 訓 練 が見 られるとのことで す。そう言 うときは、漁 をすることが禁 止 されると
のことで した。 まさ に、陸 も海 も米 軍 基 地 の沖 縄 を突 きつ けられま した。船 を追 って 小 魚 が
空 を飛 び ます。ジ ュゴンの来 る美 ら海 辺 野 古 ~大 浦 湾 と キャン プ・ シュワ ブは繋 がって いま
す。辺 野 古 に海 上 ヘリポート基 地 がで きると、巨 大な 戦 争 出 撃 基 地 にな って しまいます。ま
た、私 たちの税 金が、あのような 米 軍 の福 利 厚 生施 設 や将校 用 ログハウス に使 われて いま
す。沖 縄 在 日 米 軍 の基 地 運 営 に使 われて いるので す 。何 か、そういう戦 争 や戦 争 準 備 の
ために私 たちの税 金 が使 われるのは拒 否 したい。そんな 納 税 者 として の意 識 をかき立 て ら
れました。ツアーを終 え 、「 座 り込 みテント」 に戻 り、先 程 買った弁 当 を食 べました。陸 に上 が
ると、海 上 の方 が暖 かったと感 じま した。そうで す。希 な 寒 波 のため、海 水 温 の方 が暖 かな
位 だったので す。午 後 からは、本 土 か らの大 学 生 グル ー プや労 働 組 合 の人 々、沖 縄 の都
市 に住 む方 々で 久 しぶ りに来 た という女 性 たち等 が「 座 り込 みテント」 を訪 れ、 ヘリ基 地 反
対 協 議 会 のリーダーたちが、辺 野古 のたたかいの歴史 と意 義 を熱 く語 って いました。それで
も、例 年 にな い冷 雨 は止 みませ ん。ある平 和 運 動 家 の老 紳 士 が言 って い ました。「 確 かに
寒 い。だけどたたかって いる私 たちには” 涼 しい“ と思 え ば良 いのだ。」 と述 べて いました。な
4
る程 と思 いましたが、本 当 に陸 の上 は寒い辺 野 古で した。16時 過ぎ に、今日 の座 り込みの
まとめをし、「 座 り込 みテント」 内 を整 理 整 頓 し、持 ち帰 るものをトラックに積 み込 み解 散 しま
した。昨 日 宿 に帰 らな かったMさんと「 海 と風 の宿 」 に戻 りました。今 日 も私 が夕 食 を作 る!
宣 言 をして 朝 、宿 を出 たので すが、従 業 員のSさんが、シチューを作 って いました。Mさんと、
「 寒 かったから夕 食 は豚汁 にしよう」 と、帰 路 、「共 同 売 店」 で島 豆 腐 や豚 肉 を買 い込 みまし
たが、「 シチューも洋 食 の豚 汁 と思え ばいいか?」 という事 にな りました。我 を張 らな いこと。”
大 体 で・ ・・ 良 い意味 で いい加 減で “ 沖縄 風 の「 テーゲー」 の感 覚で いれば、不 満 や争 いをす
ることもありません。ただ、島 豆 腐 は、同 宿 の プロのマ ジシャンのU 君 の手 を借 りて 、予 定 と
おり” 揚 げ出 し豆 腐 “ がで き、また沖 縄 産 の野 菜 と買 った豚 肉 で 炒 め物 もで き、今 夕 は5人
で 少 し豪 華な 夕 食 とな りました。結 果 ”○“正 解で した。
夕 食 後 は、近 所 の三 線 の師 匠が訪 れて くれました。それは、私 が“ 本 物 の三線 ” が欲 しいと
前 夜 言 い出 したからで す。そのた め、泡 盛 の時 間 は、師 匠 が三 線 のイロハ を講 義 すること
にな りました。結 局 三 線 を私 は買 いま した。師 匠 の ライ ブCDつきで す。これから、教 本 を探
し、時 間 があったら三 線 の練 習 をします。本 当 に私 に時 間 があるかどうか分 かりませんが。
夜 が更 け、寒 さが身 体 にこたえ たのか、そして 、明 日は大 里 村 に行 くため、早 めに休 みまし
た。
4. 3月 6 日 : 今 日 は宿 を出 ます。朝 、従 業 員 のSさんと別 れを惜 しみつつ、「 お互 い元 気 にね」
と言 い、車 のナビ を大 里 村 の“ うふ ざと教 会 ” に合 わせま した。沖 縄 自 動 車 道 を南 下 。1時
間 以 上 かかり教 会 に着 き、10時 からの礼 拝 に間 に合 いました。礼 拝 の牧師 の言 葉 は忘 れ
て しまいま した。ただ、牧 師 がマ イク を使 いお話 し をし 、賛 美 をするた め、私 の座 った隣 りに
ス ピ ー カ ーが あるた め、音 響 が ビュ ンビ ュン 響 きま し た。「 な んて パ ワフ ルな 教 会 な ん だろ
う?」 といのがファース トインプレッションで した。辺 野 古 にいるときの牧 師 はいつも黒 のウエ
ット・ ス ーツに包 まれて おり、誰 かが「 あれはトドだよね?」 (内 緒 で す)と言 って いましたが、教
会 で は、何 か、米 国 の黒 人 教 会 の牧 師 さんのようで 、やっぱり熱 い方 だな と感 じま した。ゴ
ス ペルでも歌 い出 したら、本 当 に米 国 の黒 人 教会 のようで す。それはそれで 、私 には、実 は
すごく感 動 的 で した。辺 野 古 のことを十 分 に知 らずに3日 間 過 ごし ました。とて も緊 張 した3
日 間 だったので す。で も、礼 拝で 牧 師 が、「 こんな 至 らな い私 たちを神 様 はゆるして 下 さって
います。愛 して 下 さって いま す。.....」 と話 されると、緊 張 の糸 が切 れて 、私 の目 頭 は熱
くな りました。「 辺 野 古 もうふざと教 会 も来 て 良 かった。恐 れや心 配 を越 えて 来て みて良 かっ
た。」 そう心 から思え たからで した。病 身 で 入 院 して いる母 のこともいつも頭 から離 れません
で した。で も、心 を決 めて 沖 縄 に来 て 正 解 だったので す。珍 しい寒 い3月 の沖 縄 もな かな か
体 験 できるもので はありませんで した。礼 拝 後 、愛 餐 会 を教 会 の食 堂兼 キッチンで 食 べまし
た。韓 国 へ教 会 で行 ったお土 産 らしく、韓 国 産 の海産 物 が沢 山 ありました。“ おで ん” もあっ
たし“ しぐれ” という本 土 から届 いたアサリの佃煮 も絶 品で した。ヤグラの上 で 出会 ったクリス
チャンの教 授 も礼 拝 、愛 餐 会 にきて おり、前 週 アメリカに滞 在 して いたときのカルフォルニア
のチョコレートも美 味 しかったで す。正 直 言 うとみんな 美 味 しくて 何 を食 べたか覚え て いな い
ので す。ここで も、隣 りに座 った牧 師がパワフルに食 べ、喋 って いました。何 か元 気 を貰 い食
べて いるような 妙 な 気持 ちにな りました。13時 近 くに教 会 を出 て 、「 ここに行 ったらエエヨ」 と
いう関 西 系 の女 性 の紹 介 して くれた、宜 野 湾 市 の佐 喜 眞 美 術 館 、個々には丸 木 位 里 、俊
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夫 妻 の描 かれた、沖 縄 戦 自 決 の絵 が大 キャンバス に描 かれて いました。嘉 手 納 の道 の駅
の屋 上 も紹 介 されました。屋 上 から米 軍 の巨 大な 輸 送 機 や長 い滑 走 路 、広 大 な 基 地が一
ち ゃ たん
望 で きます。その後 、北 谷 のジャス コで 買 い物 をし、沖 縄 国 際 大 学の昨 年 の米軍 ヘリコプタ
ー墜 落 現 場 に行 きました。校 舎 は黒 く焼 けただれたままで す。現 在 、大 学 の理 事 会 側 がこ
の現 場 の撤 去 に動 いて いるとの事 で した。撤 去 するにして も“ 保 存” の形 をとること。この事
件 を2度 と起 こ させな いものとして 保 存 することは最 低 条 件 で す。私 は、何 度 もカメラのシャ
ッターを押 しました。夕 闇 が落 ちた頃 私 は、国 際 通 りの“ 公 設 市 場” のいつも行 くエプロンや
テー ブルクロス を売 るおばちゃんの所 に行 き、母 が世 話 にな って いる病 院 の受 け持 ち看 護
師 さんに プレ ゼントするため、はやりの“ ちゅらさ んエ プロン” を価 格 交 渉 して 買 いま した。夕
食 は、公 設 市 場 2階の“ツバメ食堂 ” に行きました。ここのオーナーは台 湾 出身 のマ マで す。
マ マ に、「 覚 え て いますか?また来 ま した。一 人 な んで すが席 はあ りま すか?」 と話 したら、
相 席 を作 って くれました。料 理 を頼 むと一 人 で は食 べ切 れません。向 かい席 の愛 知 県 から
きた初 老 の夫 婦 に春 巻 きを差 し上 げたり、隣 の女 子 大 生 風 の岡 山 から来 た二 人 連 れから、
お粥 を貰 ったりで 、沖 縄 の旅 は面 白 いな 、気 取 ったところはな いし、気 楽 で 。食 事 も見 知 ら
ぬ人 と分 け合 って 食 べるな んて 、本 土 じゃ絶 対 あり得 な いな アー とか思 い ました。その後 、
今 日 の宿 で あるビジネス ホテルに向 かいました。早 く休 みましたが、 どうも狭 い部 屋 は窮 屈
で 、夜 中に3度 程 眼 を覚 まし、朝 を迎え ました。朝 は暫 くぶりの朝 日 に迎え られました。
5. 3月 7日 :
今 夕 沖 縄 を発 ち ます。今 日 の目 指 すと ころは、“ ひめゆりの塔 ” 中 の資 料 館 は以 前 来 たの
で 今 回 は省 略 。お金 も心 寂 しいので 。外 の乙 女 たちが自 決 したという洞 窟 を上 からで すが
写 真 に収 めました。ここは観 光 の定 番 にな って います。次 に、沖 縄 に行 ったら必 ず行 くのが
“ 平 和 の礎 ”で す。太 田県 政 の時代 に作 られたもので 、沖縄 戦 で亡 くな った沖 縄 民 間 人、旧
日 本 軍 、これに従 軍 させられた、台 湾、韓 国 、朝鮮 人 民 共和 国 、米 軍、英 国 の戦没 者 全て
の名 が沢 山の沢 山 の墓 石 に刻 まれて います。私の見 た限 り、沖 縄の民 間 人の方 の戦没 者
が多 いな ーという印 象 で した。沖 縄 の民 間 人 の人々は、旧 日 本 軍 の命 令で 自 決 したり、降
参 の白 旗 を揚 げられ ず米 軍 に殺 戮 されたので す。「 沖 縄 は平 和 を覚 え 、拡 げるために尊 い
沢 山 の犠 牲 者 が出 たんだな 。戦 争 は許 されません。集 団 的 人 殺 しで す。誰 も喜 びません。
イ エス 様 は嘆 くで しょう.. ..」 等 と思 い シ ャッ ター を切 り まし た。歩 き疲 れ 、木 陰 で 食 べた
“ 紅 芋 入 りブルーシーアイス クリーム” 美 味 しかったで す。
その後 、三 線 を買 って お金 のな くな った私 は、市内 に戻 り那 覇郵 便 局で お金 を降 ろして から、
また那 覇 の街 中 に戻 り、“ ユ ニオン” というス ーパーマ ーケットに向 か いま した。理 由 は、沖
縄 土 産 は沖 縄 のス ーパーで 買うのが一 番 と言うことを覚 え たからで す。沖 縄 の人 が普段 食
べて いる食 材 が、沖 縄の価 格 ( ?)で 売 って いるからで す。黒 砂 糖 も泡 盛 も土 産 店 より安 い。
“ 輸 入 食 品 、お菓子 が買え る” ので す。ユニオンの他 にも、ス ーパーはあります。田 舎 にある
「 共 同 売店 」で 買 い物 をするのもお勧 めで す。
と言 うことで 、長 いことおつき合 い有 り難 うご ざいま した。その後 、私 は、那 覇 16時 50分 発
ANA132便 に乗 り、美 しい夕 闇 、眼下 の島々を見 な がら羽 田 に向かいました。
飛 行 機 の座 席 で 慌 ただし い沖 縄 の5 日 間 を振 り返 りま した。そ して 思 いま した。「 今 、私 が
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持 って いる全て のものから解き離 れて いいという覚 悟 があったら、沖縄 で 平和 活 動 を、基 地
建 設 反 対 運 動 を行 い、沖 縄 の教 会 で 求 道 を続 け、また時 間 を見 つけて 沖 縄 の海 と愛 し合
いたいナ.....」 等 と思 いうたた寝 をしました。
メインで ある辺 野 古 で のヘリ基 地 建 設 反 対 運 動 への少 しの参 加 。とて も心 を揺 り動 かされ
ました。辺 野 古 の人 々の、共 感 する全 国 の人 々のたたかいにより、米 国 、小 泉 首 相 、町 村
外 相 らが、「 辺 野 古にこだわらな い」 等 と言 い出 しました。アメリカでの所 謂 、“ ジュゴン裁 判”
で 、ジュゴンを稀 少 動 物 として 保 護 すべき対 象 かどうか争 われましたが、「 ジュゴンは守 られ
るべきだ」 との判 決 が出 ま した。他 方 、名 護 市 長 は、い まだにヘリ基 地 建 設 受 け入 れの当
初 からの方 針 を変え て いません。防 衛 施 設 庁も同 様 。2月 には、ヘリ基 地建 設 促 進 派の集
会 が久 しぶりに持 たれま した。で も辺 野 古 のたたかいは、今 日 も、明 日 も、明 後 日 も 、その
先 も、現 地 で 、国 会 前で 、全 国 のあちこちでたたかわれて います。愛 香 牧 師 が言 って いまし
た。「 唯一 負 けな い方 法はたたかい続 けることで す」( ニュアンス) 私 も現 地 に赴きそう思 いま
した。辺 野 古 で オジィ、オバァ、海 人 とともにたたかって いるクリス チャンも沢 山 とは言 いませ
んが確 かにいます。たたかい続 けるとは、現地 に行 くことも、カンパをすることも、心 の中で 、
「 軍 事 基 地 建 設 には反 対で す」 と祈 ることも、ジュゴンや沖 縄 の自 然 を守 りたいと願 うことも、
願 いや祈 りを手 紙 や垂 れ幕 に書 き、送 ることもで もきます。沢 山 のたたかい方 があ ります。
自 分 ので きる行 動 が沢 山 集 まれば、現 地の最 前 線 で たたかって いる人 々に勇 気 や愛 を送
ることがで きるで しょう。三 ・ 一 教 会 で で きる、辺 野 古 で のヘリ基 地 建 設 反 対 運 動 とは何 か
を考 え ませ んか?そうした私 たちの行 動 に、神 様 も イエス 様 も賛 成 して 下 さる と思 い ます。
正 義 と平 和 を守 るために、「 私は行 きます」 と。どんな 行き方 があるのか、行き方 について 話
して みませんか?今 私 はそう思 います。
2005年 3月 13日
M.I.
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