回〝社会を 明 る く す る 運 動 〟 所や、遊んでいた場所が跡形もなく無 ついこの前までサッカーをしていた場 町に行きました。町の風景を見ると、 ができる大切さを強く教えて貰いまし た。いとこや友達から当たり前のこと ができない姿をとても悲しく感じまし いる人が、当たり前の生活を送ること 作文コンテスト最優秀作品紹介 回﹁ 社 会 を 明 る く す る 運 動 ﹂ 第 弁論大会にあわせて行われた作文 コンテストの最優秀作品を紹介し ます 。 ︵原文掲載︶ 敬 ( 称略 ) くなっていました。ショックで呆然と た。 四月、熊本を大きな地震が襲いまし た。その時僕は、当たり前の事が当た かもしれないと考えました。揺れが収 か、学校の友達に二度と会えなくなる サッカーができなくなるのではない 込んでいました。それを聞き、自分が ず、満足な食事もとれずにかなり落ち ました。いとこは、お風呂にも入れ 中や外、駐車場で避難生活をされてい 大切に生きることだと思います。 跡であること。そして、今この一瞬を 謝すること。一つの命があることは奇 は、当たり前のことが出来ることに感 第 中学生の部 ﹁奇跡﹂ なりました。 り前にできること、命があることは奇 まっても、僕の心臓はドキドキしてい 長洲中学校 二年 跡だと感じました。そして、この瞬間 ました。﹁生きていてよかった。﹂と思 いとこは避難所にいました。避難所 たくさんの被害を受けた熊本地震か に行くと、たくさんの人たちが建物の ら私たちが学ばなければならないこと を大切に生きていかねばならないと強 何もできなかったことをとても悔しく それを自分に置き換えるならば、大 好きなサッカーが出来ることや家族や 恐 怖 の あ ま り 泣 き 出 す 人 も い ま し た。 ラウンドを襲いました。友達の中には 立っていられないほどの強い揺れがグ 線が切れ、 青い光が空に放たれました。 面が踊り始めました。一瞬のうちに電 していると、 ﹁グラグラ、ドーン﹂ と地 地震があった日は、サッカークラブ の練習で熊本市内にいました。練習を 気が使えなくなり、食料がない状態で 聞かされました。水が出なくなり、電 どい状態になってしまったという話を の連絡では、家や地区全体がさらにひ しかし、その二日後の大きな地震の後 に行き、何とかきれいになりました。 した。一度目の地震の後、母が片付け が倒れ、家はひどい状態になっていま 区でした。一度目の地震では全ての物 とだったと実感しました。すぐ身近に 実は当たり前のことではない幸せなこ とや、当たり前に生活していることが がっていました。学校に行っているこ に行っていることをすごくうらやまし とはそれしか思いつきませんでした。 もらうことにしました。僕にできるこ た。そこで、僕は家のお風呂に入って 皆さんは、今この瞬間を大切に生き 僕のいとこは、益城町に住んでいま また、サッカークラブの友達も生活 ていますか。 す。益城町の中でも一番被害のある地 が苦しいと連絡を何度ももらいまし それが僕にできる、僕がしなければな し、感謝を忘れずに生きていきます。 ら話していました。そして、僕が学校 これからは、被災地の方の思いや頑 張りを受け止め、今この一瞬を大切に 友達は、﹁学校に行きたい。﹂と心か らない第一歩だと思います。 ら生きていくことだと思います。 を無駄にせずに、命の重みを感じなが 震で助かった命なのだから、一瞬一瞬 きることだと思います。また、この地 感謝することであり、毎日を大切に生 と思います。 クラスの仲間と楽しく過ごせることに 生まれて初めて、 ﹁死ぬかも⋮﹂ という した。そこで、水と食料を届けに益城 と言ったそうです。 しく揺れました。何が起こったのかわ その時わたしは家族でテレビを観て いました。突然、家中がガタガタと激 の専門の方など、たくさんの人たちが 方、ボランティアの方、いろんな分野 に、自衛隊の方や消防士の方、警察の しくなりました。でも、それと同時 よ。﹂ のに、反対に元気をもらった気がした ちが元気をあげないといけなかった 言 葉 を か け て く れ て ね。 本 当 は 私 た されていたのに、私たちにあたたかい らいに壊れてしまって、大変な思いを ﹁どちらの方も、自分の家は住めないぐ と何度も頭を下げられたそうです。 ありがたいです。﹂ ます。 ういうお手紙はとっても嬉しいと思い た。もしわたしが被災していたら、そ 懸命文面を考え、絵なども書きまし 先生を少しでも元気づけようと、一生 のお手紙を書きました。わたしはその 聞きました。そこで、クラスで励まし らっしゃった先生が被害にあわれたと 次に、二つ目はお手紙です。今回の また、あるご夫婦からは、 ﹁遠くからご苦労様です。助かります。 地 震 で 、 去 年 ま で わ た し の 学 校 に い からず、わたしはテーブルの下に隠れ 協力して、励ましのコメントや物資の とお母さんは話してくれました。 災している方々一人ひとりに声をか 行きました。益城町総合体育館で、被 わたしのお母さんは歯科衛生士をし 長い時間が過ぎ、ようやく揺れがお ていますが、先日益城町に支援活動に さまった後は、家族でニュースを見ま いつきました。 も、子どもにもできる二つのことを思 ティアに行くことはできません。で わたしはまだ子どもなので、ボラン わたしはその話を聞いて、自分にも 何かできないだろうかと考えました。 が見せてくれた思いやりの気持ちで 災された方を助けるために、多くの方 たしが一番大切だと思ったことは、被 いかなければならないと思います。わ それでも私たちはこの地震から学んで 井上 日暖 ︵建浜︶ ました。お母さんはテレビを押さえて 提供などの救助活動を行っている姿を した。あんなに真剣にニュースを見た け、お口のことや、他に困っているこ の思いやりの気持ちを持つことができ た。それはとても悲しいことですが、 のは初めてでした。 まず一つ目は、募金です。この前お と、足りないものなどはないか、聞い 父さんとセブンイレブンに行ったと れば、誰かが嫌な気持ちになること いる時にもまた起こりました。それか 族とお話をした時のことです。お母さ そこで、びっくりすることがあった らしばらくはまた揺れるのではないか と言っていました。それは、あるご家 と毎日心配でした。こんな大きな地震 を経験したのは初めてでした。 んが、 もっともっとひどかったそうです。わ ましたが、益城町や熊本市内の方は ﹁わたしたちよりももっと困っている なんとその人は、 と言って歯磨き粉を渡そうとしたら、 力がたくさん集まれば大きな力になる とりの力はとっても小さくても、その ないのかもしれません。でも、一人ひ しかすると、百円ぐらいでは何もでき きたいと思います。 らも自分にできることで支援をしてい りの気持ちを大切にしながら、これか いらっしゃいます。わたしは、思いや わたしの百円が、困っている人たち 今回の地震のために、まだまだたい にどう役立つのかはわかりません。も へんな思いをされている方はたくさん たしは、テレビでたくさんの家や道や 人にあげてください。﹂ ﹁歯磨き粉使ってください。﹂ 橋が壊れている映像を見て、とても悲 この﹁熊本地震﹂では、わたしたち の住む長洲町でもあんなに激しく揺れ す。いつもの生活の中で、みんながこ き、熊本地震の募金箱が置いてありま も、けんかになることもないと思いま 四月十四日に起こったこの﹁熊本地 震﹂は、次の日の夜中、わたしが寝て した。わたしは自分のお小遣いの中か す。 て回ったそうです。 ら百円募金しました。 清里小学校 六年 いました。いつまでこの揺れは続くの 見て、とても感動しました。 ﹁熊本地震﹂でたくさんの被害が出 て、たくさんの方が犠牲になりまし だろうととても不安でした。 ﹁地震から学んだこと﹂ 小学生の部 恐ろしさで体が震えました。明日から 思い、情けなくなりました。 いました。 福田 大耀 ︵駅通︶ 66 く感じました。 66
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