『今昔物語集』の老女たち

『今昔物語集』の老女たち
瀬
戸
山
ひ
ろ
はなし
『 今昔物語集 』27巻−22「 猟師の母 、鬼となりて子を喰らはむとせる 語 」
この話を最初に読んだときは「なんと奇妙な作り話。母親が鬼になって、息
子 を 食 べ よ う と す る な ん て 。」 と 思 っ た も の です 。 鬼 子 母 神 の 話 な ど も子 供 を
喰う話として有名ですが、この話とはかなり事情が違います。それに最後のあ
たりで編者が 、
「 年をひどくとった親はみな鬼になるのだ 」と書いていたのも 、
どういうことか意味がよく分かりませんでした。しかし、この話を平安時代の
老人問題の話としてとらえるとすっきりします。27巻−22は次のような話
です。
山 中 で 力 を 合 わ せ て 鹿 を と る こ と を 仕事 と し て 暮 ら す 兄 弟 が いま し た 。( 仲
は 良 さ そ う で す 。) 9 月 の 月 の な い 夜 の こ と 、鹿 を 待 ち 伏 せ し て 向 か い合 う 木
もとどり
にそれぞれが登って待っていたところ 、兄の 髻 をつかんだ「 もの 」がいます 。
(「 も の 」 と い う の は 「 正 体 不 明 の も の 」 の 時に 、 こ の 時 代 よ く 使 わ れた 言 葉
で す 。) 兄 が 自 分 の 頭 の 上 を ま さ ぐ る と 「 よ く枯 れ て さ ら ぼ い た 人 の 手 」 が 、
髻をつかんで上に引っ張り上げようとしていることが分かりました。兄は隣の
木に登っていた弟に頼んで、自分の声を見当にして頭上に矢を射てもらうこと
に し ま す 。( 真 っ 暗 闇 な の に そ ん な こ と が で きる の か … た い し た 腕 前 です 。 弟
の実力を知っているからこそ兄は弟に頼んだのでしょう。ここの場面はいかに
も あ う ん の 呼 吸 を 好 む 武 士 時 代 の 到 来 を予 見 さ せ ま す 。) さ て 、 見 事 、弟 の 矢
は兄の頭をかすめて「もの」に当たった気配です。兄が髻の上をまさぐると、
なんと手首の部分から射切られた手がぶら下がっているではありませんか。し
かし二人は特に驚くでもなく、この「手」をもって家に帰ります。
家には年老いた母がいました 。彼女は壺屋に入れられて「 立ち居も安からぬ 」
状 態 、 つ ま り 今 で い う と こ ろ の 寝 た き り状 態 だ っ た の で す 。( 壺 屋 と いう の は
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壁で仕切られた独立した部屋か建物をいいます。兄と弟はこの壺屋を挟んで暮
ら し て い ま し た 。 つ ま り 三 人 は 別 居 で す 。) 二人 が 家 に 帰 る と 、 こ の 壺屋 か ら
呻 き 声 が し て い ま す 。「 お 母 さ ん 、 ど う し た んで す か 、 そ ん な に 呻 い て! 」 と
二人は聞きますが、返事がありません。母親は寝たきり状態ですから、普通な
らここで壺屋に入って行きそうなものですが、なぜか二人は入っては行きませ
ん。これはどうも母の世話を放棄していたかのような気配。
兄 弟 は 火 を と も し て 「 手 」 を 見 ま す 。( そ れま で は 真 っ 暗 で 「 手 」 がど う い
う 状 態 か 、 よ く は 分 か ら な か っ た の で すね 。)ひ と 目 見 て 「 母 の 手 に 似た り 」
で し た 。 納 得 が い か ず 、 よ く よ く 調 べ て見 る と ま さ し く 「 母 の 手」 で す 。( 若
いころはふっくらとした手、中年になってからは筋肉のついた働き者の手だっ
たでしょう。ほくろや傷の跡があったのかもしれません。母の手が枯れ木の如
く、しわしわになっていても識別できたということから、二人が母をずっと粗
末に扱っていた訳ではないことが分かります 。)
二人はここでようやく母のいる壺屋の戸を引きあけました。すると寝たきり
のはずの母親がむっくり起きあがって「 おのれらは∼ 」と言って掴み掛かって
き た の で す 。( 時 は 真 夜 中 、 九 月 の 下 旬 の 月 の無 い 夜 の 頃 で 、 母 の 部 屋は 真 っ
暗なのです。さぞ驚いたでしょうね 。)
彼 ら は 、「 こ れ は 御 手 か ! 」 と 言 っ て 、 こ の手 を 母 の い る 壺 屋 に 投 げ込 ん で
戸を閉めて去っていきます。そして「 其の後、其の母、幾ばくなくして死にけ
り 」ということになりました。死んだ母のそばに寄って見たところ、確かに母
は手首から先が射切られていたので、あの頭をつかんだ「 もの 」の正体はこの
母だったということが確かになりました。ここをよく読むと、息子たちは母が
死んで初めてそばに寄って行ったということが分かります。
このあとには「 此は、母が痛う老いて鬼に成りて、子を食はむとて付きて山
おや
に行きたる也けり。然れば、人の祖の年痛う老いたるは、必ず鬼に成りて、此
す
く子をも食はむと為る也けり。」と編者の感想が述べてあります。
先にも述べましたが、私はこの「人の祖の年痛う(ひどく)老いたるは、必
ず鬼に成りて 」という言葉にこだわってしまいました 。
「 人の祖の 」ですから 、
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この母だけが特別だったのではありません。誰でも親となって年を「ひどく」
とったら鬼になる、というのですから他人ごとではありません。
この時代「ひどく」年をとるというのはというのは、何歳ぐらいからをさし
たのでしょうか?『源氏物語』の中で、光源氏は四十歳で長寿のお祝いをして
も ら っ て い ま す 。( 若 菜 上 ) こ れ は 「 算 賀 」 とい っ て 、 四 十 か ら 始 め て、 十 歳
長ずるごとに祝う儀式なのだそうです。貴族の世界でも、四十を無事に迎えら
れたらおめでたい、というぐらいだから、庶民の世界ではもっと早く<死>を
迎えていたことでしょう。平安時代の人々の寿命はいったいどのくらいだった
のか、手っ取り早くインターネットで調べてみることにしました。
多くは四十からせいぜい五十歳までが寿命だったという説をとっていまし
た 。「 平 均 」 寿 命 と な る と 乳 児 死 亡 率 の 高 か った 時 代 な の で も っ と 寿 命は 短 く
なると 思い ます 。その 中で 、 Yahoo! の「知恵袋 」に根拠の 一つとして 、平安時
代の天皇、二十九代の平均没年が載っていましたのでここに紹介します。
平城天皇51歳、嵯峨天皇57歳、淳和天皇55歳、仁明天皇41歳、文徳
天皇31歳……以下、没年齢だけを書き出します。31歳、82歳、58歳、
65歳 、46歳 、30歳 、42歳 、62歳 、33歳 、41歳 、32歳 、42歳 、
29歳 、37歳 、44歳 、40歳 、77歳 、29歳 、54歳 、46歳 、17歳 、
66歳、23歳、13歳
という具合です。
これを平均すると四十四歳くらいになります。ちなみに紫の上は四十一歳、
光源氏は五十三歳くらいで亡くなるという設定です。確かに「四十歳過ぎたら
おめでとう!」と言いたい気持ちが分かりますね。皇族・貴族のような経済状
態のよい人々でさえこうですから 、庶民の命はもう少し短かったと思われます 。
栄養状態が悪い、不衛生であるなど、いったん病気になったら即、<死>を意
味したでのでしょう。流行病は別として、肺結核・脚気・皮膚病で死んだ例が
多かったとも聞きました。栄養状態が悪かったということが想像できます。冒
頭の 、山の中で暮らしていた猟師一家のような人々は 、事故に遭う確率も高く 、
もっともっと短命だったでしょう。この時代、庶民が「 痛く年をとる 」姿とい
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うのはきわめて珍しかったのではないかと思います 。つまり「 痛く( ひどく )」
年をとるまでに、多くの人々は若いままに、病や事故で死んでしまっていたの
です。現代のように、長寿の末<老衰で亡くなる>ということはほとんどなか
ったのではないでしょうか。いったん寝付いたら、あっという間になくなるこ
とが多かったと考えられます。
し か し 中 に は、 劣 悪 な 環 境 で も 細 々 と介 護 を 受 け な が ら 、「 立 ち 居 も安 か ら
ぬ 」<寝たきり状態>で生きながらえた人々もあったはずです。この猟師の母
もその一人だったのではないでしょうか。衛生用品・介護用品のない時代、介
護がどんなに大変だったかは、在宅介護の経験がある私でも想像を超えていま
す。ひたすら、<死>に向かって行くしかない人たち。猟師の母親のように壺
屋に入れてもらっていたのはまだましな方で、普通は死にそうになったら、路
上や山中に放置されたと聞いたことがあります。その人たちの外見はみんな
「 鬼 」のように見えたのではないか、食べ物も十分与えられず放置された人た
ちは、飢えのあまり鬼になって子供を食おう、というような気持ちになってい
たかもしれ ません。あ の『餓鬼草 紙』を思い浮 かべてくだ さい。これは 12 世
紀後半に制作された絵巻ですが、飢えた人が鬼になって人の排泄物をむさぼり
ご
ざ
食 う 姿 で 描 か れ て い ま す 。( こ の 草 紙 に は 路 上の 茣 蓙 の 上 に 置 き 捨 て られ た 女
の病人の姿も描かれています 。)
猟師の母が「おのれらは∼」と言って、死にものぐるいで襲いかかってきた
気持ちも理解できます。この言葉には棄てられた媼の恨みや絶望が感じられる
のです。
ただ、この兄弟が非人間的ではなかったという証拠はあります。この事件の
後、死んだ母を「 葬してけり 」と書いてありますから、ちゃんとお弔いをして
あげたわけです。平安時代、庶民は墓を作ることは許されず、死ねば普通は河
原 か 山 に 裸 で 放 置 さ れ て い ま し た 。 で す か ら 「 葬 す 」 る の は 親 へ の 特別 な 愛
情からと思われます。また、仏教に帰依している編者としては、これは感心な
行為であるとして、書きとどめておきたかったのでしょう。
次に、猟師の母以外に老いた人々が『今昔物語集』ではどのように描かれて
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いるか、特に女性の場合で探してみました。平安時代の結婚は男性優位にでき
ていましたから、年老いた女性はどうやって老後を生き、死を迎えたのでしょ
うか。気になります。
ま ず 思 い つ く の が 「 姥 捨 て 」 の 伝 説 です 。『今 昔 物 語 集 』 の 世 界 に もあ る か
な ? と 斜 め 読 み を し て み た と こ ろ 、 次 の 3 0 巻 − 9 と 3 1 巻 − 3 0 が見 つ か
りました。
お ば す て や ま
30巻−9「 信濃の国の 夷母棄 捨山の語 」
信濃の国、更科郡の男が親同様に、姨(おば=伯母)を扶養していました。
かが
おば
しかし「 老い屈まりて 」いるのに姑ぶる 姨 を、忌み嫌った妻にしょっちゅう責
め立てられます。やむなく八月十五夜に、山寺で法会があるので連れて行って
あげようとだまし、 姨 を山に捨てて逃げました。しかし山から帰った後、美し
い月を見て いるうちに 後悔の念に かられて 姨を 連れ戻すことにしたのでした。
こ の 老 女 の 様 子 は 「 姨 い と 痛 く 老 い て 腰 は 二 重 に て 居 た り 」 と 描 かれ て い
ます。やはり「いと痛く老いて」ですから、優に七十、八十は超えていたので
はないでしょうか。介護が必要だったのでしょう。今昔の編者はこの男の行動
を ほ め て 、「( 妻 の 言 い た い ま ま に さ せ て 、 つ ま ら な い 心 を 起 こ し て は い け な
い 。) 今も然ることは有りぬべし。」と締めくくっています。
と り べ の
31巻−30「 尾張の守(
)鳥部野にして人をいだす語 」
なにがし
尾張の守 某 の身内に歌人として知られた奥ゆかしい女がいました。子供は
2,3人いましたが、だれ一人面倒を見てくれず「 年老いて衰え 」た女は尼に
なりました。やがて尾張の守からも見放され、仕方なく長男に養われることに
けしき
なりました。しかし暮らしぶりは困窮し病気になり、とうとう「 気色不覚 」つ
まり意識不明の重体になりました。すると長男は、母を家で死なすまいと追い
出 し ま し た 。( 当 時 、 死 体 は 穢 ら わ し い も の と し て 忌 み 嫌 わ れ て い ま し た 。)
そこでこの老女は、従者を連れて清水あたりの昔の友達を頼って行きますが、
そこでも迷惑がって家に入れてくれません。やむなく彼女は鳥部野に行き、ひ
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っ そ り と 土 の 上 に む し ろ を 敷 い て 横 に なっ た そ う で す 。( 鳥 部 野 は 船 岡山 と 並
ぶ風葬の地として有名 。)
今 昔 の 編 者 は こ の 後 、「 気 の 毒 す ぎ て 書 く 気 に な ら な い ほ ど だ 。」 と 結 ん で
います 。子も 、夫らしき人も 、友人も介護が必要な人を見捨てたという話です 。
あの羅生門で頼る人がなく死んだ婦人のことが連想されます。また、あの『餓
鬼草紙』に描かれた婦人を思い浮かべてしまいます。
今ひとつ『今昔物語集』が仏教説話としてスタートしたことを物語る例を思
い出しました。
あ
19巻−27「 河辺にすむ僧、洪水に値ひて子を棄て母を助けたる語 」
昔々、淀川が氾濫し僧の子供が流されてしまいました。色白の可愛い5,6
歳の子供です。父である僧は泳いでこの子を助け岸に戻ろうとしたところ、目
の前を年老いた母が流されていきます。そこで子供の手を離し、代わりに母親
を助けたのです。僧の妻は「 只、独り有りて白玉と思つる我が子を殺して、朽
ち木の様なる媼の今日明日死ぬべきをばいかに思て取り上げつるぞ 」と責めま
す。僧は「自分の命があれば子供はまたもうけることができる。母は今死に別
れ た ら 二 度 と 会 う こ と は で き な い 。」 と 妻 を 説得 し ま す が 、 妻 は ひ た すら 泣 き
叫び、許さなかったということです。
この後は、仏が僧の心がけに感じ、無事子供も助かった、めでたしめでたし
と終わっています。これは仏の御利益を説く話のために登場した老婆ですが、
「 朽ち木の様なる媼 」という表現を見ると、老女にとって厳しい現実が感じ取
られます。
『今昔物語集』の中でこういう悲惨な老後を描かれているのは、特に女性で
あるという点が少し気になります。捨てられるのはいつも老女であるというこ
と。年をとった男が失敗をして笑われたり馬鹿にされたりという話はありまし
た が 、 男 が 捨 て ら れ た 話 は 見 つ か り ま せん 。(そ う い え ば 老 女 と い う 言い 方 は
あっても「老男」という言葉がないのは不思議… 。)
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結婚の幸も不幸も通ってくる男のあり方次第、という時代です。この時代、
男に比べて老女はより悲惨な生活に陥ったのではないかと想像されます。貴族
の世界でもそれはあり得ることだったのでしょう。女三宮の行く末を朱雀帝が
あれほど気にし、無理矢理光源氏に押しつけた(源氏は紫の上に気兼ねをしな
がら正妻として迎える)のもなるほどと頷けます。こんな女にとって厳しい世
の中、生きていこうとするなら羅生門の中に居て女主人の髪の毛を抜いて生計
を立てていた老女のようになるしかないのでしょう。これもまさに「鬼」のよ
うな存在です。実際目撃した男は、はじめはこの媼を「鬼」と間違えていまし
たね。
私も早、還暦を迎え、もう5年すると年金受給者の仲間入りです。気分はま
だまだ若いのですが、ここに描かれていた老人の姿はとても他人事とは思えま
せ ん で し た 。 長 い 介 護 の 果 て の 家 庭 内 悲劇 が 繰 り 返 さ れ て い る 現代 、「親 は ひ
どく年老いて皆鬼になる」と 1,000 年も前の人が書いていた、というこの恐る
べき事実に、粛然とせざるを得ません。長生きの果てが不幸にならないような
社会を築かなくては、と改めて思う今日この頃です。
(2008年1月7日)
参
考
文
「平安時代の信仰と生活」
「 今昔物語集四 」
献
山中裕・鈴木一雄編
日本古典文学全集
-7-
至文堂(平成6年発行)
小学館( 昭和51年発行 )