銃・野蛮人・キリスト教 大航海時代は日本にも届く たんけんか きゅうせかい しんせかい で き ご と クリスタファー・コロンブス探検家が 1492 年に旧世界から新世界に渡った出来事は有名です。しか せいふくしゃ しょうにん し、コロンブスが来る前とコロンブスが来た後、西ヨーロッパからたくさんの探検家や征服者や 商 人 こうかい おも こうしんりょう りょうど さが が世界中を航海していました。主に金、香 辛 料 、貿易や領土を探していました。この時は、英語で 「The Age of Discovery or The Age of Exploration」と言います。日本語で大航海時代と言います。 とうちゃく そのヨーロッパ人は日本にも 到 着 しました。シルク・ロードやイタリアのマルコ・ポーロから日本 についての話がヨーロッパまでよく伝わりました。その話の中で日本には金や銀がいっぱいあると言う うわさ じっさい 噂 がよくあったそうです。実際にコロンブスの本当の目的地は日本でしたが、初めてヨーロッパ人が とうたつ しょうせん たねがしま 日本に到達したのは 1543 年でした。ポルトガルからの 商 船 で、九州の南にある種子島に到達した。 せっけん の この商船には、貿易するためにタバコや石鹸が乗せられていました。しかし、何よりも商船に乗って はったつ いた大切な物は銃でした。商船のポルトガル人は、ヨーロッパで一番発達した銃を持って行きました。 だいみょう ちほう しはいしゃ 種子島の 大 名 (日本の地方の支配者)はポルトガル人から銃を2本買いました。そして、買ってから、 一年後、日本内では、同じような銃が作られていました。 しかた ないせん 銃は日本の戦争の仕方を変えました。銃が日本に届いた時に日本では内戦(civil war)が多かったで せんごく ぶ し さむらい かたな す。戦国時代だと呼ばれた時代でした。ポルトガルから来た銃の前に、日本の武士( 侍 )は 刀 や ゆみや 弓矢を使って戦いました。でも、少しずつその銃は日本での戦いで使われました。戦国時代だった日本 ちから ほ しょうぐん では、戦いが多くて、 力 や領土が欲しい大名や 将 軍 は銃の有利な点が欲しくなりました。だれよりも お だ のぶなが ちゅうもん しょうり けっきょく ぎじゅつ 織田信長は 500 台の銃を 注 文 して、戦争で使って、よく勝利しました。 結 局 、織田信長は色々な技術 とういつ やストラテジーでも、銃でも日本を統一しようとしました。 こうかん こうりゅう おもしろ 1543 年からは、物の交換より人間の 交 流 の方が面白かったかもしれません。まず、そのときまで日 きんぱつ あかげ めずら かみ 本人は金髪・赤毛や青い目の人間を見たことはなかった。 珍 しい色の髪の毛や目よりポルトガルやオ はな おどろ ランダ人の高い鼻に日本人は 驚 かせられたそうです。 マナーや文化の違いでは、日本人もヨーロッパ人も驚かせられました。その時代ヨーロッパ人は手で はし もくげき 食べました。箸で食べていた日本人は手で食べることを目撃したら、気持ち悪かったそうです。毎日体 あら ふ ろ しゅうかん を洗って、お風呂に入る 習 慣 は、ほとんど体を洗わないヨーロッパ人を驚かせました。すぐそのヨー やばんじん ロッパ人は、日本人の立場から「野蛮人」と呼ばれました。 ポルトガル人が持ってきたカトリック教も日本に影響を与えました。その時代のカトリック教の せんきょうし ねっしん なら 宣教師は、熱心に日本語を習って、どうしても自分の宗教を広めようとしたと言われています。始めか はんたい らキリスト教に反対だった大名もいました。時間がたったら、キリスト教を信じ始めた大名もいました。 キリスト教はたまに争いの原因になりました。そして、ある大名はヨーロッパの言語と日本語ができる 宣教師を使って、他のヨーロッパ人と貿易したりしました。 とくがわいえやす しょうぐん え ど 17 世紀の始めころに徳川家康という 将 軍 (military leader)は、日本を統一して、首都を江戸(現在 いどう さこく せいど の東京)に移動しました。それから、鎖国という制度が始まりました。鎖国の制度では、外国人(つま きんし り→野蛮人)が日本に入る事も、日本人が外国(野蛮人の国)に行く事も禁止になりました。その制度 は、250 年間以上続きました。
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