ミンダナオとスールーへのアメリカの介入 オクタビオ・アビラニ・ディナンポ 一 重大な関心 一九四六年七月四日、フィリピンに独立を与えてから六〇年目、米国は再び致命的な引力によっ てミンダナオとスールーに引き付けられている。この「過去からの引力」は血なまぐさいと同時に、 欺瞞的な仕方で記録されているのだ。 なぜ欺瞞なのか。一八九八年一二月スペインは、アメリカに「フィリピン諸島」をまるごと売り 渡したからである。そのときミンダナオとスールーはそれぞれ主権国家であり、スペインはそれを 征服しようと、三世紀以上にもおよぶモロ・スペイン戦争を戦って、完全に失敗していたのである。 また血なまぐさくもある。モロ民族が米国による強制的な統合に抗議して今日まで戦っているから である。この戦いは、米国の占領期間中一九〇六年のダホ山と一九一三年のバグサク山における虐 殺で頂点に達し、現在まで続いている。 当時も現在も、ミンダナオ問題は、モロ民族がこの歴史的不正義を正すための抵抗を続けている という視点から理解されている。今日の評論家たちは一九六八年の「ジャビダの虐殺」こそがモロ 民族解放戦線(MNLF)創設の引き金となった唯一の要因としているが、「フラー・バングサ」、 「アガマ」(国・民族的アイデンティティ・イスラム)というモロ民族解放戦線の闘いのスローガ ンからすれば、今日の運動が過去から続いているものであることを誰でも容易に理解できるだろう。 いま米国は、これまでとはまったく違う理由でミンダナオとスールーに舞い戻ってきているが、 モロ民族は、この癒されていない過去にもとづいて、米国の再来をとらえるだろう。それは直線的 な反米感情ではない。むしろモロは、なぜ米国が祖国モロの不正な併合という明白な企みにやすや すと同意したのか、という思いを長年抱いてきたのである。 こうしたことから、ミンダナオとスールーでおこなわれたバリカタン演習がなぜ歓迎されなかっ たかが分かる。バリカタン演習は、たとえ目的は平和と開発だと約束されていようとも、その演習 がどれだけ自分たちの利益になるか説明を受けても、人びとはそれを米国の宝探しや石油探しのた めの芝居だとして信用しないのだ。 二 米国の再来 米国がミンダナオとスールーになぜ戻ってきたかについていろいろな疑惑が囁かれている。一般 に流布されているもっともな理由は、あの前代未聞の九・一一事件後に米国が推し進めている「対 テロ戦争」である。理論的には、フィリピンは、タリバン政権を倒すためのアフガン攻撃に続く米 国の「第二前線」なのだ。このタリバン政権は、米国が樹立を助けたものなのだが。 フィリピンのなかでも、特に、この「第二前線」の戦域になったのがミンダナオとスールーで、 一〇〇〇人以上の米特殊部隊・精鋭部隊・心理戦・宣伝戦部隊が、サンボアンガ市、バシラン島、 スールー州に展開された。二〇〇二年六月以来、米軍は、約四〇〇〇人のフィリピン軍と一緒に、 バシラン、タウィタウィ、パラワン、スールーで「バリカタン演習」をおこなってきたが、この演 習は、軍事用語では軍事シミュレーション演習だが、実際はアブ・サヤフ(ASG)の部隊に対す る実戦任務を指すと信じられている。 アブ・サヤフは、ロシアのアフガニスタン占領を挫折させるために、CIAが徴募や資金面で支 援したグループの残党である。タリバン政府樹立までは、CIAの工作員は最初は便宜上、オサ マ・ビン・ラディンとともに活動していたが、その関係はのちに悪化し、米国はタリバンの追い落 としを図り、それが九・一一攻撃を引き起こした。そして、現在の米国の「対テロ戦争」は、かつ ての同盟者を不倶戴天の敵に変えたのである。当然のことながら、こうした状況下では、国際的テ ロリズムという非難は、非難する者の立場を反映しているに過ぎないのだ。 アブ・サヤフとアルカイダは、米国とその有志同盟にとってはテロ組織かもしれないが、他の人 びとにとっては、解放戦線、解放運動であるかもしれないのである。スールーでは、数年続いたア ブ・サヤフに対する総攻撃の後も、この地方が困難な現状を切り抜けられる希望はすこしも見えな い。それどころか、米国が、ここでの地域的紛争状態をグローバルな反テロ意戦争に意図的に結び つけようと企てていると信じるに足りる根拠がある。 1 このような正当な疑惑が生じるのは、米国が、少しも証拠を示すことなく、アブ・サヤフをアル カイダとジェマ・イスラミヤに結びつけるというばかげたことをしているからだ。さらに、アブ・ サヤフのトップを捕らえたり殺したりするための情報を提供したものには誰にでもFBIから高額 の報酬が約束されている。さらに、アブ・サヤフとジェマ・イスラミヤの居場所を突き止めるため に、イスラム法学者、教師、学生、地方自治体、NGO、いかさま革命家などの中から米国の手下 と情報提供者が雇われ、騒ぎが収まったあとで、秘密の口座から報酬が支払われている。 三 米軍再来のもくろみ 米国は、フィリピン国軍を訓練し、ミンダナオとスールーの人びとに医療を提供するという人道 的な気持ちからフィリピンに戻ってきたなどと考えるのは、知性を侮辱することになるだろう。軍 事演習と医療要員の養成が米国のグローバルな軍事行動のための代理軍を作り出すねらいでなされ ているのは明らかだ。おそらくこれは、フィリピン軍にとっては、かねてからの望みである軍近代 化を達成するために米国の軍事予算を引き出す手立てなのであろう。このことから、なぜフィリピ ン国軍が、米軍との混合編成から生じる不利益を我慢しているのかが説明できる。 たとえば、スールー州のパチクル、インダナン、マイムバン、タリパオなどの市では、米兵が、 フィリピン陸軍第四歩兵師団の第三三、三五歩兵大隊とフィリピン海兵隊の第九大隊に分散配置さ れている。つまり、二六〇〇人の将校と兵から成るフィリピン軍の三個ないし四個大隊が、約六〇 人の米特殊部隊に居場所と保護を与えていたということだ。なぜフィリピン軍が軍事作戦中、ア ブ・サヤフよりも米兵を頻繁に目にするのかが、このことから説明されよう。そして、なぜフィリ ピン軍の犠牲者が多いのかもこのことから推察できる。 スールーではまた、インフラ建設における優先順位は、(サイアシ、マイムブン、パランにおけ る)千トン級の荷揚げ能力のある波止場、広い道路、給水施設、発電施設など、軍事基地その他の 前方展開戦力を支えるネットワークの建設に置かれている。水深がフィリピンで二番目に大きいパ タ市における米海軍の活発な活動から、米軍がそこに軍事基地をつくる計画を持っていることは確 かであろう。スールーを経由すれば、米軍は、ジェマ・イスラミヤを口実に、パタからマレーシア とインドネシアへ容易に武力侵攻できるだろう。 加えて、米国は、フィリピン上院による一九九一年の米比軍事協定拒否以降にも、スールーの米 軍基地を使えるようになったことで、この地域と東南アジアへの自国の経済投資を容易に守ること ができるのである。特にスールーでは、米多国籍企業UNOCAL社が行っている石油探査はこれ で守られるわけだ。また、ある調査によると、リグアサン湿地の天然ガスは、三七〇億米ドルの価 値があり、この点でもスールーは米国の利益に奉仕しうるのである。 四 フィリピンでの米軍の恒久駐留 「バリカタン」と呼ばれる軍事演習のレトリックのさらなる先を想定してみよう。米軍が永久で はないにせよ長期にフィリピンに駐留する意図を持っていることは、米高官の「米軍は二〇〇二年 以降も軍事行動をおこなうだろう」という言葉からも確認できる。この言葉どおり、二〇〇二年六 月に一二〇〇人の米軍が参加して行われたバシランでのバリカタン演習以降、さらに多くの米軍が 配置され、頻繁に米比共同軍事演習がおこなわれてきたのである。 訪問協定では、米軍のフィリピン駐留は一時的なものとされているにもかかわらず、「バヤニハ ン(コミュニティ市民活動)」を実施するという名目で、米軍の駐留継続が正当化され、例外的に 「恒久」駐留が許されている。米軍は、訪問協定の裏をかき、ミンダナオとスールーで、恒久的で さらに強い米軍の存在を確保するための軍事作戦を加速することができたのだ。そのためにはア ブ・サヤフをアル・カイダに結びつけさえすればよかったのだ。 米軍がスールーに永久に居座ろうとしているという想定はそれほど突飛ではないのだ。米国の 「不朽の自由作戦」(Operation Enduring Freedom 九・一一以降のアメリカの戦争の正式名称) が国境を越えた反テロ総力戦だとされており、副大統領チェイニーはいみじくも「この戦争はわれ われの生きている間には終わらないかもしれない」と言っているのである。アメリカがフィリピン 大統領を使ってフィリピン上院を抑え込むことができたとすれば、スールー地方の卑屈な行政官を 屈服させることなど朝飯前である。事実、スールー地方の一七人の市長、第二地区の知事一人と議 2 員たちは、バリカタン・ゼロ演習に進んで協力した。私たちはそれを阻止できなかった。今年は、 そうした協力に批判的な人びとを「買収」して演習が実行されている。 イスラムは、九〇年代はじめにはいくつかの「脅威」の一つとして悪魔呼ばわりされていたが、 一九九九年を境に、米政府はイスラム原理主義を明確に新たな脅威と名指しするようになった。今 日、今日、このでっち上げは、モロ民族解放戦線、モロ・イスラム解放戦線、アブ・サヤフなど、 あらゆる解放運動にテロ組織という刻印を押すことで支えられている。ということは、フィリピン では、「君が共産主義者でないのなら、テロリストに違いない」ということになるのである。この ことで米軍は、いわゆる共産党集落とかテロリスト集落とかへの空爆を正当化するのだ。 五 現実の戦闘行動 もし米軍がフィリピンに恒久的に駐留するとなると、かならず国境を越えた実際の戦闘に巻き込 まれることになる可能性は否定しようがない。完全装備の米軍特殊部隊が、戦場でアブ・サヤフを 追い回すとは考えられない。では彼らはファッション・ショーのために来ているのか。現実問題と して、ミンダナオとスールーへの米国の介入は、単なる軍事演習から本格的掃討作戦へと軌道修正 されてきている。こうして、米艦エセックスでは供給し切れない物資の貯蔵庫がすでに陸上に建設 されているのである。 米軍をフィリピンに恒久的に居座らせる企みは、ランド・コーポレーションが作成した計画の中 で提案されている。カリルザード1が率いるチームによって作られたこの計画は、フィリピンに展開 される米軍を「頻繁に交代させる」ことが必要だといっている。そうすることで、「インフラを改 善」し、「有事の際に迅速に作戦を始められる」ように軍事施設を「暖めておく」ことができるか らだという。二〇〇五年一一月に起きたモロ民族解放戦線とフィリピン軍の全面戦争の間に、パタ、 パラン、マイムブン、サイアシで、インフラ建設が進められていた。当局は否定しているが、これ は米軍が戦闘に参加したはっきりしたケースであった。 この戦闘では、マンガリスとインダナンで、三隻のゴムボートに乗った米軍部隊や、米兵を乗せ た三台の「ハマー」トラックが目撃されている。今年、モロ・イスラム解放戦線が、チヌーク型ヘ リコプターを銃撃し、あわやヘリコプターは墜落するところだったが、これらのことは、米軍が実 戦に参加していることを示す証拠だ。また、二〇〇六年八月、アブ・サヤフの奇襲で米兵が負傷し たことは、かれらが最前線にいることの何よりの証拠である。私たち自身も、二〇〇六年一一月五 日に、米特殊部隊が第三三歩兵大隊とともにアブ・サヤフを捜索していたところを目撃した。 二〇〇三年三月はじめ、米軍到着が報じられるさなかに、プトル司令官(アブ・サヤフのリーダ ー)はこう聞いたという「アメリカにも墓地はあるのかね」。部下の一人が「ありますよ」と答え ると、プトルはこう言ったそうだ。「ならば米兵も戦場で死んでもらう。来ればよい。ダフ山で倒 れた祖父の敵を討ちやすくなる」。 冷たく否定しても意味はない。そのようなことをすれば、真実を奪われたとして、モロ民族はさ らに激怒するだろう。 六 アブ・サヤフー反乱分子、山賊、それともテロリスト? 今年はじめに私たちがおこなった調査で、アブ・サヤフはモロ民族解放戦線の残党を加えつつ、 抵抗運動として活動を始めたことが明らかになった。アブ・サヤフは、モロ民族解放戦線は、一九 七六年にトリポリ協定に調印したときに革命的であることをやめたと見ており、このことはまた、 アブ・サヤフが活動を始めたときに、なぜその中心的な指導者たちが、モロ民族解放戦線の古参の 戦士だったかの説明にもなる。アブ・サヤフは、モロ民族解放戦線がイスラム諸国会議が提案した 自治への道を歩み出したとき、自分たちこそ分離路線の継承者であるというイメージを打ち出した のである。 しかしながら、その後、アブ・サヤフは、山賊行為にを行うようになった。この転換は、武器・ 物資・増加する戦闘員の生活費などの資金を十分に蓄えるためという名目でなされている。アブ・ サヤフが政府工作員、身代金目的の犯罪組織、暴力的企業家による侵入を受けやすくなったのは、 1 Zalmay Khalilzad は米国政府でアフガニスタン出身でムスリムの唯一の高官、二〇〇五年 米国駐イラク 大使、二〇〇六年米国国連大使に任命された。 3 こうした蛮行が頂点に達した時期であった。アブ・サヤフに対する大衆的な支持基盤が衰弱したの も、この時であった。こうした事情で、現在のアブ・サヤフを何らかのカテゴリーに分類するのは、 難しい。 アフガニスタン戦争で兵士の募集を手伝った報酬として、国際救援復興組織のジャマル・カリフ ァから受け取った一〇〇〇万ペソさえも、いまではテロリスト資金に区分されている。アブ・サヤ フと国際救援復興組織とのこの一回きりの接触は、ジャマル・カリファがオサマ・ビン・ラディン の義理の兄弟であるというだけで、いまではアブ・サヤフとアル・カイダとの公式の結びつきの証 拠とされている。当然これはアブ・サヤフをめぐる謎を深めることになる。 米国の宣伝は、アブ・サヤフのネットワークがミンダナオとスールー中に広がっているかのよう に描きだすだけでなく、アブ・サヤフのアル・カイダとの結びつきを強調することにも成功してい る。そしてアブ・サヤフ、アルカイダ、ジェマ・イスラミヤが存在している場所に米軍が駐留する ことを正当化している。たとえケリー国務次官補が件の結びつきを否定したとしても、それはこう いうお話しなのである「一九九五年、一九九六年にまでさかのぼれば、アブ・サヤフは、アル・カ イダと同じものである。しかし私はかれらが最近接触したという証拠を知らない」。 それでもなお、(少なくともスールーの)アブ・サヤフは、設立当初の目的どおり、抵抗運動に なりつつある。運動を傷つけていた要因は、すべてでないにせよほとんどが、内部から、あるいは 別な形で取り除かれている。その運動がバングサ・モロ(モロ民族の祖国)の旗を掲げた宣伝を続 けることによって、いつかは、これまで悪評をかっていたアブ・サヤフとは違うことを理解しても らえるようになるだろう。 七 結論 フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスのハーバート・ドセナは、スールーを訪れ、調査報 道のスタイルで、ミンダナオとスールーでのアメリカの介入を記録した。かれは自分の疑問に答え を見つけただけでなく、長編のビデオ・ドキュメンタリーを作ることができた。この報告は、彼の これまでの論点を裏打ちするだけでなく、多くの新しい論点を引き出している。そしてこのドキュ メンタリーは、米軍がミンダナオとスールー全土に展開していることを、合理的疑いの余地なく証 明したと言えよう。米軍は訓練だけでなく、戦闘のためにも存在している。米軍はこの地を去るつ もりはない。アブ・サヤフやジェマ・イスラミアがいるからではなく、米国の国益のために永久に 居座るつもりなのである。 米国の介入は、現在では、解放戦線に対する秘密の戦争を行い、同時に、隠密活動によって受け 入れ国を弱体化させ、必要ならばその政府を転覆させ、従属的な政府にとりかえるという戦略に移 っていると考えられる。 しかし、いま私たちが憂慮するのは、米国がどんな口実を使ってフィリピンに介入しているかで はない。アブ・サヤフも他のどんな武装グループも自分で自分の面倒は見ることができる。それよ り、米国とパワーを争う中国や北朝鮮、それから、米国の反テロ戦争に怒る他の国ぐにからの巻き 返しや報復の動きのほうが心配なのだ。やってもいない犯罪のせいで標的になるという感覚である。 むしろ、アンクル・サムのために死んでゆく動物の感覚である。 他方で、私たちを元気づけてくれるのは、過去アメリカ帝国がやって来て、大量の「野蛮人」虐 殺を行ったときも、モロ民族は必死に戦い、そして生き残ったということである。今、アメリカは 再び戻ってきて、おそらく再びモロの人びとを大量に殺すかもしれない。しかし、昔との違いは、 モロはもはや「野蛮人」ではなく、生き残るばかりか、昔の借りも返すだろうということだ。 最後に、私たちは東京で開かれるこの会議に際して、アメリカに対して明瞭なメッセージを送り たい。超大国は栄え、そして滅ぶ。ベトナムと、そしてイラクを忘れてはならない。 ---------------------------------------------オクタビオ・アビラニ・ディナンポ:ミンダナオ州立大学教授。大学で教鞭をとりながら、ミ ンダナオ民衆議会共同議長、ザンボアンガ・バシラン・スールー・タウィタウィ平和提唱者連 合議長などを務め、ミンダナオ、スールーにおける米軍介入に反対する活動を続けている。最 近 で は 、 Focus on the Global South が 、 ス ー ル ー に お け る 米 軍 介 入 の 実 態 を ま と め た”Unconventional Warfare”の取材調査にも協力している。 4
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