141号 - カトリック高松教区

2011年3月27日(第141号)
発行所 カトリック高松司教区 広報委員会
〒760-0074 高松市桜町1-8-9
TEL 087-831-6659 FAX 087-833-1484
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WEB http://www.takamatsu.catholic.ne.jp/
カトリック
主な記事
高松教区報
東北関東大震災お見舞い
司教館の窓から、右近巡礼
司祭黙想会
ゆく人くる人、ひと、オペラ
ナバロ神父巡礼
医療のともしび、若い力
行事紹介
2面
3面
4面
2011年3月27日(第141号)
カトリック高松教区報
1
マ本部の指示を仰いで、日本の宣教
を考えることに疑問を呈している。
他方、「道」と日本の司教との関
係について、バチカンとの関係が微
春とはいえ、まだ風
咲かせるために、渾身
よりますと、この季の
が、ある染色家の話に
が冷たいこの頃です
の勧告があるとしても、「道」は引
きさがることはないであろうという
体に紅を溜めるそうで
妙であり、日本の教会がローマ教皇
に 抵 抗 し て い る 感 が あ る と 述 べ た り、
の特権のみを主張する対話はあり得
ないという事である。
本の司教たちの思う通りにはならな
いであろうといった論調も見出され
のりとしたうす紅色を
かなり厳しい口調で結んでいる。そ
かし、本当の対話が成立するには一
つの前提があるとも述べている。ま
二 〇 一 一 年 二 月 十 三 日 付 け カ ト リッ
る(福音と社会、二百五十四号)。
ネット上では賛否両論が交錯してい
てから私は桜の樹が好
れ は 自 ら を 振 り 返 る こ と な く 、 「 道」
ず「道」が日本教会に残した傷を認
めて、どのようにすれば日本教会に
ク 新 聞 「 意 見 異 見 私 見 」 欄 で は 「 道」
るが、やはり世界中で何らかの問題
きになりました。
は問題解決のために「道」と対話す
受け入れられるかを真剣に考えるこ
の責任者チームに対し東京教区岡田
大司教が具体的な提言を行ったが、
を起こしていることは確かである。
刷新のためには既成の組織を揺さぶ
る用意があるとの意思を表した。し
とだと。
カトリック新聞三月六日付けで目
その前に述べている言葉がある。
り、問題を提起したことは当然の成
溝部司教は一月二十日付けで新求道共同体「道」に関して年頭書簡を発表し
黒士門氏が『意見異見私見』欄で
ん。道の存在と活動は日本の教会、
「道」の主な問題として池長大司教 「『道』の過去三十年の活動の結果
の 説 明 を 二 つ に 要 約 し て 述 べ て い る。 は 決 し て 成 功 し て い る と は 言 え ま せ
り行きであると主張する「道」の論
調もある。その中で高松教区司教書
呼 び か け を 行 い 、 「 道 」 の 問 題 が ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ 注 目 さ れ て い る。
問題解決へ対話望む
で、日本カトリック司教協議会々長
池長潤大司教は、ここに至った経緯
と「本当の対話を望む」と題して
「道」の人々へ呼びかけている。そ
七日付けのカトリック新聞で相次い
二〇一一年一月十六日、二月二十
た。二〇一〇年十二月十三日のこと
である。
の活動の自粛を求めている。この書
簡の内容に関してキコ氏側から何の
回答もなく、突然日本の五人の司教
(一名欠席)がローマに呼び出され
「道」自身が考察と反省を
れによると日本のカトリック教会の
現役の全ての教区司教が全員署名し
ンミッションジャーナル・同記事全
の力を込めて、樹木全
す。そのために、ほん
樹木の姿全体にまとう
ようです。それを知っ
◆万物は密かに開花を
準備しているのです。
私たちも間もなく四旬
節です。祈りと沈黙の
うちに心の深部でイエ
ス様と出会い、個人的
に親密になり、復活祭
問題はあくまで高松教区という地方教
会の問題であり、高松教区で解決しな
とを待っていたのです」と溝部司教は
心 境 を 述 べ る 。 し か し 「 待 っ て い て も」
状況の改善は見られなかった。「この
ク新聞は「道」の問題について高松教
区の司祭、信徒の声として*独自の典
院設立が発表された頃から教区内でさ
ま ざ ま な 混 乱 と 対 立 が 続 い た 。 カ ト リッ
居浜、西条、松山などへ熱心な聖書研
究会として広がりを見せ始めた。九〇
年代になって「道」の教区立国際神学
教区での大きな動きとして「この問
題 が解 決し ない 限 り教 区 の一 致 はな い」
きた。
成活動、列福された結城了雪神父を顕
彰するシンポジウムを徳島で開催する
など着実に教区は明るさを取り戻して
◆教区のホームページ
ば幸いです。
訳 掲載予定)
桜の木は、満開の花を
それによると「道」は司教への従順
社会とうまく協調出来ていないので
す。日本での『道』には、或る期間
司教への従順を度ごとに伝える教皇
より、自分たちのグループの組織を
優先させていること。日本教会の優
活動を停止して考察と反省を行って
簡と一司祭の体験手記がネット上で
大きな反響を呼んでいる。(ジャパ
たが、カトリック新聞が同書簡について報道。その後、カトリック司教協議会
先課題というより、自分たちの宣教
いただき、その上で日本の教会と対
話して頂く事が必要ではないかと私
会長の池長潤大司教、岡田武夫大司教が相次いで同紙に「道」について意見や
氏宛てに二〇一〇年六月十八日付け
方法を絶対視して、それを日本に持
ち込もうとしていることだと。池長
は考えています」。「道」の指導者
が日本の教会の指導者ではなくロー
その経過の中で、日本の司教たち
人たちもいる。また、問題は今後日
で書簡を送り、日本における「道」
大司教は「道」の指導者たちはこれ
らの事柄を真剣に考えて貰いたいと
て 「 道 」 の 創 始 者 キ コ ・ ア ル グ エ ジョ
帰国後、司教は教区の司祭や信徒た
ちから報告を求められ、「今後どうす
いといけません」と決意を表す。
結論として、こじれた教区の再生と
礼 に も と ず く 土 曜 日 ご と に 行 う 感 謝 の と 言 わ れ て い た 神 学 院 問 題 に も 着 手 し、
祭儀による小教区での混乱、*自分た 何度もローマへ足を運び、バチカン高
ち の 命 令 系 統 を 何 よ り も 優 先 す る た め 、官 と の 折 衝 を 続 け 、 閉 鎖 へ 向 け た 道 筋
に向けてイエス様の光
るのか」を問われ、「知られず、知ら
せず」の態度はよくないとの忠告を受
けた。
一致のため、「道」の活動を中止。そ
して「いま」が「振り出し」に戻るよ
い時期だと判断したとする。教区民す
教様の今年にかける決
ない」とあります。司
て後戻りをしてはなら
ち上がっている。決し
教会をつくるために立
「今、教区は一致した
ら」を拝読しますと、
けの「司教館の窓か
で去年十二月二十日付
をまとうことが出来れ
溝部司教は一月二十日付けで「新求
道共同体『道』 に関して」と 題する年
また『日本の司教がローマに呼ばれ
年頭書簡
頭司教書簡を発 表した。その 中で司教
は教区内で問題になっ ている「道 」に
対し、「 (バチカン)特使が 訪れて結
論を出すまで、 活動を一切し ないでく
ださい」と命じた。
べてが司教に従い、司教を中心にとも
に考える時間を持つためだ。
この方針について「動きを抑えよう
意がひしひしと伝わっ
てまいります。
◆私が最近始めた連句
では、「一歩もあとに
帰る心なし」との心得
を芭蕉が教えていま
す。教会と連句に直接
が、心意気は同じよう
の関係はありません
高松教区は今、三年をかけて教区の
一致と再生をめざして司教を中心にす
向かって一人ひとりが
丸尾
修
と祈っています。
ことが出来ますように
会をつくり上げていく
力を尽くして一つの教
◆目標を定め、それに
に思われます。
まず教区を動かす両輪となる司祭評
議会、宣教司牧評議会を設置。広報、
べての教区民がともに参加する宣教大
会開催に向けて歩んでいる。今こそあ
らゆるわだかまりを捨てて教区のすべ
態勢をスター トさせ、司祭 の一致、信 ての信徒は司教に 従って力を結 集して
徒 の 一 致 を 促 進 す る 組 織 作 り を 進 め た 。教 区 づ く り に 専 心 す る 時 。 「 教 区 民 の
また溝部司教は青少年活動の活性化を 誰一人も、高松教区をつくるという責
典礼、青少年宣教、生涯養成等の様々
な教区委員会を設置して活動できる態
勢を整えた。また教区四県に協力司牧
たい十字架を担って歩み始められた。
混乱や対立の中で二〇〇四年着任し
た溝部司教は 「聖霊のもた らす一致」
をかかげ教区の一致をめざすという重
を付けた。二〇〇八年六月には神学院
閉 鎖 が 決 ま り 、 翌 年 三 月 廃 校 と な っ た。
語学力の優れた溝部司教でなければ
できなかったことであり、その苦労は
た』ということで、ネット上に世界中
からの反響もあり、「この問題は高松
教区または日本の教会だけの問題では
司教と共に教区の再生と一致を
振り返り考える時
教区内では許さない」とし、「今は自
分たちのグループ作りに奔走する時で
とする運動や組織があるとするなら、
「道」の活動中止
なく、ことの重大さを考え、皆様にき
ちんと報告し教区の方針を伝えねば」
と司教は今回の決定に至った経過を述
べる。また帰国後に駐日教皇大使と五
人の司教が会談を持ち、特使が来るま
では「各司教は『道』の扱いについて
はなく、教区にどのように奉仕できる
かを考える時」だと呼びかける。そし
て、 この呼びかけは 「道」の 人々を排
除するものではなく、本当の対話を持
している。
目指して「若者と聖書」講座を四県で
継続して開くなどの他、日常の信徒養
任 を 逃 れ る こ と は で き な い 」 の だ か ら。
一 九 七 〇 年 代 に 高 松 で 始 ま っ た 「 道」
の活動は、八〇年代に入り、今治、新
つための前提条件であり、彼らが積極
的に教区の活動に参加することを希望
たは会計が不 明瞭。など教 区で起こっ
ている現状を 指摘する。( 一月三十日
付)
この決定は「道」に対する司教の大
きな方針転換となっ た。この ことはそ
うせずには おれない状況が生 じたから
だっ た。 昨年末 、溝部司教は 日本の三
人の司教とともにロ ーマに呼ばれ 、教
皇や国務長官ら高官 と「道」 について
の話し合いを持っ た。会議の 詳細は司
教書簡には書か れていないが、 席上高
官たちは「日本 の司教たちがそろ って
『道』の活動を禁止することは大きな
問題だ」と述べ たという。さ らに問題
解決のため 特使を派遣する方 針が示さ
れた。
「私はこれまで『道』の問題はなる
べく静かに、あまり公にせず解決した
は自由であり、一任されている」とい
うことで合意した。
に関しては 地方教会の責任者 である司
教に権限があり、『 道』をど うしても
いと努めてきま した。『 道』の人々が
自ら自粛して司教に協力してくれるこ
教皇特使は二〇〇三年にも同じ問題
で四国を訪れて おり、これで 二度目と
なる。日本の司 教たちは「教 区の規律
受け入れな ければならないと いう理屈
は成り立たない」と強調した。
並大抵のことではなかったはずだ。こ
れで問題は鎮静化に向かっていたと思
われていた。しかし、昨年末にローマ
に 呼 ば れ 特 使 の 派 遣 が 示 さ れ た と い う。
この状況へ対応した溝部司教の「道」
の活動への決定も教区の平和を取り戻
そうとする重たい決断だった。
一般信徒と別行動をとるため教会の中
に二つの組織がある*日本文化や風土
を無視した楽器や大声で歌う葬儀の独
特の典礼様式。* 「道」へ の献金、ま
司教の重大な決断
池長・岡田大司教呼びかけ
地震、津波で大きな被害
救援の義援金募ります
仙台教区も大き な 被害
教区司祭評議会と宣教司牧評議会
司教書簡の全面支持を決議
高松教区長溝部脩司教の新求道共同体 道
「 の
」 問題に
対応する年頭司教書簡発表に当たり、高松教区司祭評
議会と宣教司牧評議会は書簡への全面的支持を決議し
た。これはとりもなおさず司教の教区司牧の両輪とし
て司教を支える歩みがより確かなものになったことを
針 で あ る 。 協 力 宣 教 を 実 施 す る た め に は、
公会議の教えであり、日本教会の基本方
教を推進している。これは第二バチカン
わる問題でもあろう。今、教区は協力宣
だけでなく、全ての司祭、信徒にもかか
ころが問題なのだという。それは「道」
教区の一致を妨げる運動になっていると
めたともいえよう。教区の重大な問題について信徒も口を開き、意見を述べ教区
の歴史にピリオドを打つ。ここにきてようやく信徒としての教区への責任に目覚
司教司祭に任せるといった或る意味、信徒としての責任を放棄してきたこれまで
理解が曖昧であったともいえる。教区の大事なことは
脱却は容易ではなく、宣教司牧評議会組織についての
れまでの信徒組織であった信徒使徒職協議会像からの
力宣教司牧態勢を敷いて六年が経過した。その間、こ
司祭、修道者、信徒が共に福音宣教司牧に当たる協
裏 づけ るも のと なっ た。
小 教 区 の 壁 を 乗 り 越 え な け れ ば な ら な い。
教区の一致と再生はそういう意味ではやっと緒に着いたところだともいえる。
民 全体 で考 え、 解決 して いか ねば との 思い が育 って きた 結果 だ。
し、しっかり話し合ってどんな教会をつ
そして 道
「 の
」 問 題 は こ れ を 避 け て は 決 し て 一 致 と 再 生に は 辿 り つ け な い 課 題 で も
あ る。
また今年は教区の現状をより希望と喜びに満ちたものとするために三年をかけ
三月五日、六日に拡大宣教司牧評議会が開催され、教区の一致と再生へ向かっ
て 歩ん だ集 大成 であ る秋 の 宣
「 教大 会 を
」 迎え る年 でも ある 。
教会のあり方をもう一度しっかりと見直
ての活発な意見交換がなされた。これもこれからの教区の姿を先取りしたものと
言 えよ う。
し、真に福音的な教会づくりを真剣に考
とができたのは、恵みと言ってもいい。
に、教会のあり方をあらためて見直すこ
事だ。「道」の人びとの問題をきっかけ
くるかという共通の理解を持つことが大
司祭間に緊密な連絡と信頼関係が必要だ
題が及んだ。「道」が問題なのでなく、
司祭評議会で新求道共同体「道」に話
司教のひとりごと
東北関東大震災で被災された皆様へ
お見舞い申し上げます。
える 時が 来て いる 。
高 松 ・ 広 島 教 区 司祭 合 同 黙 想 会
神との出会いを求めて
北海道トラピストに集う
第二 回
溝部脩司教を団長と
する『高山右近列福祈
願公式巡礼』マニラコー
スが二月二日から六日
まで行われた。巡礼に
は溝部司教のほか京都
教区の大塚喜直司教、
四人の司祭、シスター、
信徒ら総勢八十八人。
高松教区から十三人が
二日にマニラ入り、
参加 した 。
さっそく市内の城壁都
市を訪れ、右近が住んだ場所、埋葬された教会跡などを散
策して右近をしのんだ。そのあと世界遺産でもあるサン・
とともに花束を捧げた。式には軍隊の兵士が整
列、音楽隊が日本の楽曲を演奏する中で華やか
福を 祈る 実り 多き 巡礼 の旅 は終 わっ た。
トニーニョ教会でミサを捧げ、高山右近の足跡をしのび列
五日は半数の人がセブ島まで足を伸ばし、比最古のサン
のお 父さ んの 冥福 を祈 り海 へ花 束が 投げ られ た。
ラ湾クルーズではここで戦死した今泉芳純さん(郡中教会)
が持ってきたマリア像を安置してミサを捧げた。夜のマニ
黙想のひと時を過ごした。サント・ドミンゴ教会では右近
である高山右近の生き方に学びましょうと呼びかけ静かな
した人』『為政者として弱い人、貧しい人に光を当てた人』
『一夫一婦制を守り、孫たちには信仰を伝え家庭を大切に
た誠実に生きた人』『金に執着しない潔癖に生きた人』
地を訪れた。溝部司教は巡礼者を前に『決して裏切らなかっ
四日には右近の骨が埋葬されているケソン市の聖職者墓
た。 夜の レセ プシ ョン では 日比 の交 流も あっ た。
に行われた。市長からは溝部司教に友好の市の鍵が渡され
高山右近列福祈願巡礼団
アウ グス チン 教会 で列 福を 祈り なが らミ サに あず かっ た。
三日は『公式行事』が続いた。マニラ大聖堂
と彼をたたえた。この後市内にある右近像の前
に来 た と こ ろ。 彼 は 最後 ま で 主 に従 っ て 生 き た』
ク教会のロサレス枢機卿は『ここは右近が祈り
で右近祭記念ミサに参列。司式した比カトリッ
埋葬地で右近の生涯を静かに黙想
で献花式があり、溝部司教がリム・マニラ市長
右近像の前で
東北地方を中心に3月11日大地震が発生し、それに続く大津波
の襲来で日本の史上かつてない壊滅的な被害となりました。死者、
行方不明者は更に増えています。その上、福島原子力発電所も大き
な影響を受け放射線漏れも起こっています。高松教区の信徒たちも
未曾有の被害の大きさに驚きを感じ、心を痛めています。特に被害
地の仙台教区(宮城、福島、岩手、青森)の司祭、修道者、信徒の
皆様には兄弟としての心からのお見舞いの気持ちを表したいと思い
ます。溝部司教はさっそく教区民に「救援に立ち上がる時」ですと
訴えています。
特に被害が大きかった仙台教区は溝部司教の前任地であ
りました。当時仙台教区現役の司教でありながら、高松教
区の事情により転任して頂いた経緯があります。そのため
に仙台教区は2年もの空位状態となりました。「今こそ、キ
リストにおける兄弟として仙台教区の救援に立ち上がると
きです」と溝部司教は呼び掛けています。それが同教区への
恩返しを具体的に示すことだと思います。
高松教区では被災した仙台教区の為にも支援金を募りま
す。たくさんの方が出来るだけのお気持ちを寄せて下さる
ようにお願いします。また、教区内の学校、幼稚園などの
教育施設へも支援金を募っています。カトリック教育に携
わる人たちも、今こそ兄弟としての連帯感を示すために具
体的に行動することは大切だと勧めています。
津波によって家族もろとも押し流された被災地の現状は余りにも
悲惨で、安否のわからない親族を捜し求めて悲嘆にくれる人たちも
います。瓦礫となった家屋や木材、車や船体、様々な家財道具や建
築資材など、積重なった漂流物の撤去も続いていますが、テレビ画
面に映る被災状況を見る時、現状回復はおろか復旧、復興までには
気の遠くなるような時を要するように思え、見ている私たちでも絶
望感さえ覚えてしまいます。そんな中で寝具もなく、寒さに震え、
飢えと渇きを訴えておられる沢山の被災者の皆様の心の傷はますま
す深くなっておられることでしょう。加えて、大きな揺れを伴う震
度5もの頻繁な余震に怯える毎日が続いています。
カトリック教会は今まさに回心の時である四旬節を歩んでいます。
苦しみのキリストと共に被災者の方々の哀しみ、苦しみに寄り添い
ながら、高松教区民の私たちも、出来るだけの精一杯の支援の輪を
広げていきたいと思っています。
(高松教区広報委員会)
今回も広島教区の司祭方と2月21日~26日まで函館厳律シ
トー・男子トラピスト修道院で、基本的に午前3時45分読書課か
ら始まるトラピストの祈りのスケジュールを共にし、吉元大修道院長
の講話から“神との出会い”を求めながら大きな恵みの時を過ごした。
2
2011年3月27日(第141号)
カトリック高松教区報
少年使節のオペラ
桜 町 教 会 で上 演
二月六日、司教
座聖堂桜町教会で
オペラ「忘れられ
た少年」(遣欧少
年使節を題材にし
たもの)が上演さ
れ、百五十人余り
お世話になりました
このたび、大分教区に
異動することになりまし
た。
もう六年間が過ぎてい
ました。この六年間、高
松教区のみなさまには大
変お世話になりました。多分、たくさんの方々にご迷
惑もかけました。お許しください。
讃岐うどんがだんだん美味しくなり、今では大好き
になっております。高松教区が、そして四国が大好き
になった徴だと思っています。高松教区に骨を埋めて
もよいかな、とも思いましたが、勝手にできないのが
この世界です。次の任務に大きな恐れを抱いて、しり
込みをしています。お祈りください。
この六年間、長崎では体験できない、いろいろなこ
とを体験しました。厨房にも立てるようになりました
し、特に仏教のお坊さんたちと仲良しになれたのは、
大分は、瀬戸内を囲んで隣人同志です。小さな教会
四国ならではのことだったと思います。
同士、手を取り合えば力になると思います。よろしく
お願いします。
陽子
浜口末男
高砂
長崎教区司祭
徳島教会
五年前の三月二十二日の雨の中、
高松空港に到着しました。住んでい
れている姿勢ではないかと感じまし
は、はじめて直接教会の仕事をしま
ずっと学校で使徒職をしてきた私
た。
した。教会の様々の面を体験しなが
るうちに分かりましたが高松では雨
が本当に恵みです。その恵みをたっ
ら、真の交わりと一致がどれほど大
に全力を注ぐ溝部司教の司牧者の心
ぷり受けて高松での生活が始まりま
に身近に触れ、痛いほどその苦しみ
した。そして恵みいっぱいの五年間
一番目の恵みは教区の皆様との出
を目の当たりにしました。ずっと教
切かを痛切に感じました。そのこと
会いです。仕事上四国四県に行くチャ
区の一致のために祈ってきましたし
でした。
ンスに恵まれ、今原稿を書いている
いところに任命をいただいた
会の支部の中で四国に一番近
めてもの慰めは、CND修道
れるのはとても辛いです。せ
に帰りますがやはり四国を離
任地でした。懐かしいところ
八七年までの日本での最初の
卒業した一九六七年から一九
の北九州です。日本語学校を
新しい任地は二十四年ぶり
これからも祈ります。
うちにもたくさんの方の顔が浮かん
できます。本当に出会えてよかっ
たです。そして仏教の強い四国の
地でこん
なに強く
信仰を貫
いていく
皆さんに
感銘を受
け、私の
もうひとつの恵みは四国の雰囲
信仰生活も豊かになりました。
四国に寄らせていただきたいと思っ
気 です 。 私 も島 育ち で す。 十五 年 前、 こ と で す 。 チ ャ ン ス が あ れ ば 、 ま た
カナダの他の州と橋でやっと繋がっ
ています。
e-mail
[email protected]
℡093・871・1166
ノートルダム修道院
北九州市戸畑区仙水町5─2
804─0015
新しい住所
たところです。その時までは天候に
大きく影響されるフェリーに頼って
いました。そういうこともあって、
四国に親近感を覚えたのかも知れま
せん。そして初めて司教館に出勤し
た日の乗り合いバスの運転手さんを
始め、たくさんの方の親切と暖かさ
を体験しました。お遍路さんを歓迎
することからきた、全ての人に開か
た。しかし迫害は日増しに激しくな
ナバロ神父は語学力に優れ日本語が
島 原 で 火 あ ぶ り の 刑 に よ り 殉 教 し た。
一六二一年有馬で捕らわれ、翌年
抜いた生涯だった。
り、一六一二年に家康の禁教令、一
辺)を拠点に教えを広めるため働い
四年には追放令が出された。高山右
上手だったし、日本の文化をよく知
者ナバロ神父の生涯に学ぶことを始
道後教会ではこの地で宣教した福
り大切にした。穏やかで高潔な人柄
良着を着て草履を履き見つからぬよ
めようとしている。これを機にナバ
ナバロ神父は追放される船に乗ら
近もこのときマニラへ追放された。
う夜間に移動した。ミサをたて、聖
ロ神父の足跡をたどる『溝部司教様
は誰からも慕われた。そして一八六
体を授け、告解を聞き、説教をし、
と行く巡礼の旅』を五月二十五日~
七年『日本二〇五福者殉教者』の一
洗礼を授けた。司祭がいなければキ
二十七日の日程で計画している。皆
ず潜伏。キリシタンのいる地区から
リシタンたちは哀れな迷える羊の群
さん、どうぞご参加ください。参加
人として福者に上げられた。
れになってしまうからだ。命をかけ
希 望 者 は 旅 行 社 ス テ ラ コ ー ポ レ ー ショ
地区へ苦難の多い旅を続け、信仰を
た苦しい活動の毎日だった。日本で
守るよう励ました。変装し農民の野
の苦悩に満ちた三十四年間、ひたす
ン ( 東 京 0 3 ・ 3 4 0 7 ・ 1 2 1 8)
修
ら日本の信徒のために自分を捧げつ
ださい。
丸尾
まで。詳細は下の広告欄をご参照く
道後教会
くし、神様から託された役割を果し
5月に「溝部司教様と行く巡礼の旅」
動、主に豊後の府内(今の大分市周
その後ナバロ神父は九州各地で活
た。
か ら 長 崎 ・ 平 戸 へ 逃 れ ね ば な ら な かっ
秀吉の伴天連追放令が出され、道後
にも慣れて『これから』という時に
道へ導くために懸命に働いた。土地
人々とふれあい、彼らを真の救いの
道後に来たナバロ神父たちは熱心に
一五八七年に宣教の最適地として
の旅』が計画されている。
め五月には『溝部司教様と行く巡礼
られた。ナバロ神父の生涯に学ぶた
父はその後長崎で殉教し福者に上げ
四国で初めて道後に教会を建てた
殉教者・福者ナバロ神父
四国に初めて教会が建てられたの
はどこかご存知だろうか。今から四
百二十数年前のキリシタン時代、松
山市の道後にイタリア人宣教師ペト
ロ・パウロ・ナバロ神父らがやって
きて教会、司祭館を建て、宣教した
のが四国の教会の始まりだった。神
『溝 部司 教 様 と 行く 巡 礼 の旅 』パン フ レ ット
出会えてよかった
の観客が四人の少
年使節の物語に見
入った。
昨年七月東京オ
ペラ協会の石多エ
ドワード氏から、
桜町司教座聖堂で
上演したい旨打診
があり、桜町小教区評議会で検討した結果、
協力することになった。会場の提供だけでは
なく、出演の依頼もあり、桜町教会・番町教
会あわせ信徒十数人も出演したほか、一週間
かけて聖堂にステージを設営したスタッフな
ど多くの協力を得て、無事上演することがで
長谷川聖
『花遊び教室』で指導する城民枝さん
菜の 花 や 天草 へ飛 ぶ 旅ご ころ
復活 祭 渚 を走 る 子の 素足
柳の 芽 し ずか に人 の 狂ひ ゆく
カ トリッ ク教会 に接
し 始めた 懐かし い高
松 教区へ 戻って 嬉し
私はパブロです
いです。私はここで、
一 人一人 に対す る神
私の名 前はパ ブロで すが、 日本 語で
様 の働き に気付 き、
パ ウロで す。使 徒パウ ロの名 前を 使っ
神 様の光 に導か れて
て 、その 手本に 従って 彼の保 護の 下に
皆 様と共 に歩ん で行
歩んで行きたいです。名字はセコです。
こうと思っています。
日 本人の 名字み たいで すね。 日本 で今
イエ ス様は 私たち の牧者 、私た ち の
ま で、み んなに パウロ と呼ば れて いま
力、私 たちの 光、私 たちの 慰めで す 。
した。宜しくお願いします。
日本を 離れて からほ とんど 四年 が過 その経 験を深 め、そ の認識 を成長 さ せ
ぎ て私の 日本語 の能力 は衰え てし まい ていた だきた いです 。四国 に居る 皆 様
ま した。 だから せめて しばら くの 間、 や私た ちに近 付く人 々の為 に福音 に な
るよう に、皆 様と共 に、そ してイ エ ス
私の片言の日本語を我慢して下さい。
日本語 を勉強 し始め て、日 本に ある 様と共に頑張りたいです。
ひといき
桜町教会
道後教会の信徒ホールでは毎月一回、女性た
ちが集まり花遊びを楽しんでいる。指導をして
いるのは同教会の城民枝さん(62歳)。『教
会へ来たことのない人にも来てもらいたい』と
昨年から『花遊び教室』を始めた。今では毎回
20数人が集まるほどになった。
カップなどの小さな容器にバラやさまざまな花
を生けて、小さなかわいいフラワーアレンジメ
皆さん 初めまして
ントの作品を作り上
げる。家庭ではテー
しろ た み え
ブルなどに飾って花
城 民枝さん のある生活を楽しめ
る。教室には教会の隣の幼稚園のお母さんたち
や信徒らが集まり『とても楽しい』とおしゃべ
りをしながら作品作りに取り組んでいる。
城さんは夫の転勤で花の豊富なオランダに住
んだこともあり、そこでアートとして花を生け
る人々と出会った。そんな経験をもとに『花で
遊ぶことがきっかけとなって教会へもっと人が
来て親しんでくれれば』と教室の開講に踏み切っ
た。その意図どおり参加者は幼稚園のお母さん
たちとそのOBがほとんどを占める。ワンコイ
ンという受講料も参加しやすい。
城さんは『自分が楽しませてもらっているだ
けなんですよ』と笑うが、準備のための花の買
い付けなど前日から車を走らせたり手間は大変
なもの。そんな苦労をいとわず指導を続けてい
る。道後教会では多くの人が教会へ来てくれる
ような「開かれた教会」を目指しており、城さ
んはその一翼を担っている。
道後教会 丸尾 修
愛媛 道後教会
ちょっと
きた。
教会で楽しく花遊び
ひと
2011年3月27日(第141号)
カトリック高松教区報
3
日のミサ後に保護者会を開いている。神父様か
ら子どもの信仰教育についてお話を聞いたり、
行事の打ち合わせなどであるが、今年最初の集
まりでは、恒例のイースタ・テアトロのスケジュー
桜町教会学校では大体、月に一回「子どもの
町 聖 母 幼 稚 園 の 卒 園 生 を 対 象 に 行 わ れ て き た が、
活発な意見交換が行われた。特に土曜学校は桜
秘跡について、そして土曜学校のことについて
「感謝 の歌を 歌お う!」
桜町教 会学校
ミサ」を捧げている。朗読、時には答唄詩編も
ル、また三月のお別れ遠足、子どものゆるしの
子どもが歌う。青年のバンドもあり、この日の
が出来た。勿論その前
曲をきれいに歌うこと
アレルヤ!」といった
されて」や「アーメン・
歌を歌った。「主に愛
側で聖体拝領の感謝の
子どもたちが祭壇の右
聖体をいただいてから、
のこどものミサではご
が、一月十六日(日)
仰に倣いたいとの思いでホームス
を計画中である。長崎の方々の信
のための「長崎巡礼 2泊3日」
遠足に替えて四年生以上の小学生
ている。また今年は従来のお別れ
に触れる機会としていきたいと願っ
しでも神様の愛を知り、みことば
ねて実現していき、子供たちが少
た。これは今後また話し合いを重
が出されたのはうれしいことであっ
り、協力の可能性についても意見
み、積極的な意見を出してくださ
母さんたちが本当に真剣に取り組
今後どのように充実させていくかについて、お
にギター伴奏の青年
タカマツキョウクホウ
前号のパズルの正解は
さや、幸せになかなか気付けずに
場所 桜町司教座聖堂
日時 五月二十二日十五時三十分
場所 カタリナ大学講堂
0120-770-315
ミサは大変元気である。まだまだ改善していく
(高松塾の青年)に練
ティも予定されている。(実施日
すぐに仲良くなり、二日間をとも
いました。これからはこの幸せに
編集後記
修(愛媛地区)
高松教区では司教書簡が発表
され本教区報で詳しく解説して
います。また東北では巨大地震
と津波の為に多くの尊い命と財
産が奪われました。心よりお見
舞い申し上げます。これを機に
教区ホームページにおいて教区
の様々な情報を発信できるよう
に努めたいところです。
百 四 十 号 紙 上 「 教 区 民 の 集 い」
記事で文責者三氏の氏名が漏れ
ていました。
・生田久美子(徳島地区)
・丸尾
育子(香川地区)
お 詫 び と ご 報 告 を 申 し 上 げ ま す。
連絡先(事務局)
ところは残されている
習してもらった。初め
三月二十六日~二十八日の予定)
続である。クリスマス会、キャンプには大勢の
教会学校の課題の一つは国際部
て会衆に向かって歌っ
参加があるが、月に二回の英語ミサ前の教会学
の子どもたちの教会学校参加の継
これからも続けて行きたい。きっと自信も身に
校への参加はいろいろな事情で参加継続が難し
たので、子どもたちは
つけ、大人の方がたにも喜んでいただき、何よ
緊張気味であったが、
りも子どもたちがご聖体拝領の意味と感謝を学
いと思われる.国際部の方との緊密な連絡とと
「我々は戦いに備える必
要がある」
2010年11月13日付
―ニューヨークタイムズ紙―
一粒会パイプオルガンコンサート
カトリック中央協議会広報推薦映画
演奏者 キム・ユンファン
日時 五月二十一日十九時
に過ごせたことがうれしかったで
感謝し、いつも忘れないように過
教会学校リーダー
す。このつどいの間、私は何をし
桜町教会
協力くださる方々を切に願っている。
もに教会学校の内容充実研究が必要である.ご
んで欲しいと願っている。
また教会学校保護者会も毎月一回開かれてい
る。勿論今までもお母さんたちはキャンプやク
リスマス会など色々とお手伝いをしてきてくだ
[エクソシストの真実]
ごしていきたいです。
感じないような親近感を感じまし
た。同じ神様を信じる私たちは見
えない糸でつながっているような
気がして、神様の家族とはこんな
このつどいを通して、私の「い
ものなのかなあと思いました。
ちばん大切なこと」は、 仲
「 間がい
「エク ソ シ ス ト 」 と は
カト リ ッ ク 教 会 の 「悪 魔
祓い師」の事。
2010年11月市民の高ま
る要求に応え、司教たち
が招集された。その要求
とは“悪魔祓い”である。
・日向
院内保育園開設
前号パズルの答え
映画紹介
ていても、学校の友達との間では
さったが三年ほど前から毎月定期的に一回、主
島田悠祈
「中高 生の集い」に
参 加して
江ノ口教会
十 二 月 十 一 日 と 十 二 日 の 二 日 間、
高知県の「ほっと平山」に、教区
の中高生二十人が集まって、「い
ちばん大切なこと」について考え
る だ
」 と気付きました。クラスの仲
ました。
神父様のお話を聞いて分かち合
それが当たり前すぎて、その大切
間に囲まれて生きています。でも
ります。私は当たり前のように仲
仲間としか味わえない気持ちがあ
過ごす時間は貴重で、それぞれの
族という仲間。それぞれの仲間と
間、部活の仲間、教会の仲間、家
い を し た り 、 歌 を う た っ た り 、 ゲー
ムをしたりしました。ゲームや歌
の時は皆で盛り上がり、分かち合
い の 時 は 真 剣 に 考 え た り 意 見 を 言っ
たりしました。夜のフリータイム
では、皆それぞれたくさんの人と
話し、和気あいあいと過ごしまし
た。私は、初めて出会った仲間と
お待ちしています。
聖ドミニコ宣教修道女会
ご連絡を
随時募集中です!
高知聖母幼稚園
海の星幼稚園
看護師・准看護師
鳴門聖母幼稚園
阿南聖母幼稚園
神を観想し、
その実りを人々に伝えよ
私たちは、自分を創造しようとするこどもを
まなび、護りましょう
教 区 ス ケ ジ ュ ー ル
医療のともしび(25)
4月
3日(日)四旬節第4主日
4日(月)<山下悟師 命日>
8日(金)合同臨時司祭評議会・宣教司牧評議会13:00
10日(日)四旬節第5主日
17日(日)受難の祝日(枝の祝日)「世界青年の日」
20日(水)受難の水曜日 11:00聖香油祝別ミサ
21日(木)聖木曜日
22日(金)聖金曜日(大・小斎)「聖地献金」
23日(土)聖土曜日
24日(日)復活の主日
29日(金)昭和の日
「東北地方太平洋沖地震」
のお願い
高松教区でも救援義援金を募っています。
多くの方のご協力をお願い致します。
郵便振込
振込番号:01650-7-13208
加入者名:カトリック高松司教区
尚、通信欄に必ず「地震津波救援金」と明記して
下さい。
1000円札をだし「タクシー・・」という。聞け
ば「池袋へ・・」と回答。家に帰ろうとか、家族とい
信徒の宣教的責任
う言葉をむけると背を向けた。命の危険が予測された
ため、救急車を呼んだ。丁重な救急隊員の応対に感銘
年の始め、筆者は例年通り、東京の自宅(愛媛県八
をうけた。かつて別の署の救急隊員に都度怒鳴られた
幡浜と東京)で子供らと正月を祝い、これも例年通り
ことを思い出した。その間、第1発見者と第2の青年
2日には2002年から始めた池袋ホームレス無料医
も歩み寄り心配してくれた。青年の一人は氏名も告げ
療相談に向かった。この医療相談は、有志カトリック
なかったが、この二人の真剣でさわやかな目を思い出
医師と看護師で「カトリック池袋医療班」を組織し、
し、年頭からすがすがしい気持ちになった。
薬品管理や衣類支援に信者サポートを得、フランシス
2010年8月坂出市で行われたカトリック医師会
コ会日本管区や東京教区城北協力体および下井草共同
主催医療関連学生セミナーで、8年間の医療相談の経
体、さらにビモンタントなどから援助をえている。そ
緯を報告した(2010年9月15日カトリック新聞)。
して東京都NPO法人地球と隣のはっぴい空間池袋、
これまでの筆者らの調査からホームレスは家族との絆
通称「てのはし」(代表森川、2010年10月31
が薄い人ほど絶望感が強く、抑うつに陥りやすい。し
日カトリック新聞道の司牧研修会記事参照)の第2・
かし、多くが上手に対人関係を築き、仕事上の問題を
第4土曜日の炊き出し時の医療相談部門に協力してい
解決することが苦手なため、職と住と食を失い路上に
る。年末年始は出稼ぎ労働者の多くが路上にでるため、
出ることになった。ホームレスの約3割は軽度知的障
その方々の支援を行うべく、「てのはし」は24時間
害がある(2010年末、森川ら調査)。それでも中
の越冬活動を行い、医療相談は1週間毎日行っている。
には仲間を作り、誇りを失わず、高い幸福感を維持す
筆者は2日午後、食事配布や相談をその夕方に行う
る人もいる。どんな苦境にあっても人は幸福に生きる
東池袋中央公園へ急いだ。東池袋1丁目8番地付近で
力があるのだとわかる。
道端に仰向けに倒れている老人と傍に立つ青年に出会っ
貧困や挫折にある方々への奉仕は聖職者に依存して
た。 家族 では ない 青年 が 不安 げな 様 子だ った ので 、
きた感がある。今日、豊かになった日本人にとって、
「大丈夫ですか」と声をかけた。老人は顔面と末梢は
身近にいるこれらの方々へのまなざしと行動は信徒の
蒼白、意識が朦朧とし声かけにも応答できない。うな
宣教的責任ではないだろうか。
りながら身もだえして、脈もとらせない。
香川大学 清水裕子(東京板橋・愛媛八幡浜教会)
4
2011年3月27日(第141号)
カトリック高松教区報