報告… 國吉和子…

ト・モ ダ ン ダ ンス の 舞 台 を実 際 に ご覧 に な っ た世
代 とな る が, ダ ンス の み な らず 当 時 の ア ー ト全 般
に わ た る広 い知 識 を背 景 と した ご 意見 を い た だ い
た。
2006年12月
第58回
舞踊学会
12月3日(日)シ
ンポ ジ ウ ム報 告
「きみの知 らないポス ト ・モダ ンダ ンス
-ダ ンス ラデ ィカルの時代 」
シ ン ポ ジ ウ ム は 先 ず, 1975年 に 初 め て ニ ュ ー
ヨー ク の ポ ス ト・モ ダ ン ダ ンス が 日本 に 紹 介 さ れ
た公 演 「Dance today 75」(1975年12月 パ ル コ劇 場,
第 一部: 13:00∼15:00
パ ネ ラ ー=前 田 圭 蔵 (株 ・カ ンバ セ ー シ ョン代 表
プ ロデ ュ ー サ ー)
司
進
東 京, 企 画=厚 木 凡 人)よ り抜 粋 さ れ たGrand
Union 出 演 シ ー ンの 記 録 映 像 を み る こ とか ら始
め られ た。 ポ ス ト・
モ ダ ンダ ンス とい う呼 名 がM.
カ ー ビー に よっ て 命 名 され た 同 年 に, す で に 日本
武 藤 大 祐 (東 京 大 学 大 学 院 舞 踊 評 論)
会=榎 本 了 壱 (株 ・ア タマ トテ ・イ ン ター
ナ シ ョナ ル 代 表, 京 都 造 形
芸 術 大 学教 授)
行=國 吉 和 子(早 稲 田 大 学)
に紹 介 され て い た わ け だ が, この 時 期 は1962年 ∼
67年 ニ ュ ー ヨー ク の ジ ャ ドソ ン教 会 を拠 点 と した
初 期 の 時代 は 過 ぎ, 1970年 か らス ター トした グ ラ
ン ド ・ユ ニ オ ンの 末 期 に あ た る。 ア メ リ カの ダ ン
ス研 究 で は ジ ャ ドソ ン教 会 派 とそ れ 以後 に登 場 し
た さ ら に新 しい グ ル ー プ は 区 別 して 語 られ るが,
今 回 の シ ンポ ジ ウ ムで は, 1960年 代 か ら70年 代
の アメ リ カ, ニ ュ ー ヨー ク を中 心 と し て興 り, 世
日本 で は ど ち ら も一括 し て ポ ス ト・モ ダ ン ダ ンス
と して 認 識 され て い る こ と, さ ら に カー ビー に よ
る 定 義 か ら は, ポ ス ト・
モ ダ ン ダ ンス が 当 時 の ポ
ス ト・モ ダ ニ ズ ム を 意 識 して付 け られ た 呼 称 か ど
界 の現 代 舞 踊 に 大 きな影 響 を与 え た, ポ ス ト・モ
ダ ン ダ ンス を と りあ げ た。 この 時 期 は ダ ンス のみ
な らず 芸 術 全 体 が 大 き な転 換 期 を迎 え た時 期 で も
あ り, ポス トモ ダ ンの視 点 は, 前 世 紀 モ ダ ニズ ム
の批 判 と して, 現 代 まで 続 く芸 術 状 況 を牽 引 した
うか は 疑 問 で あ る こ と, 従 っ て ポ ス トモ ダニ ズ ム
とポ ス ト・
モ ダ ン ダ ンス は 区 別 して 考 え るべ きだ
との 指 摘(武 藤)が あ っ た。 確 か に, 他 の 芸 術 た
とえ ば建 築 や 絵 画 で は, モ ダ ニ ズ ム とポ ス ト・
モ
ダ ニ ズ ム はわ か り易 く区 別 され て 認 識 され て い る
が, ダ ンス で は カー ビー の 定 義 を うけ て 改 め て 定
力 の支 点 に位 置 す る とい っ て も過 言 で は な い。 今
年(2006年)の
トリ シ ャ ・ブ ラ ウ ン来 日公 演 実 現
を き っか け と して, に わか に ポス ト ・モ ダ ンダ ン
ス再 考 の兆 しが見 られ る よ う に な っ た。
タ イ トル に示 した とお り, 現 在, コ ンテ ンポ ラ
リー ダ ンス を享 受 す る人 々 の多 くは, もはや ポ ス
ト・モ ダ ン ダ ンス を 実 際 に見 た こ との な い 世 代 と
義 した小 林 進 に よる もの を み て も, ミニ マ ル な 動
作, 技 術 よ りコ ンセ プ トの 重視 即 興 性, 遊 戯 性
の指 摘 な ど動 きの特 徴 が もっ ぱ ら指 摘 され て い る
な っ た とは い え, お よそ40年 前 に行 な わ れ た様 々
な試 み を今, 改 め て照 射 す る こ とに よ っ て, 現 代
の ダ ンス の可 能性 を考 え て ゆ こ う とす る機 運 が 生
じて い る こ とは確 か で あ る。 特 に今 回 は, ボス 寄
・モ ダ ンダ ンス が 日本 で は どの よ う に受 け とめ ら
(榎本)。
現 在, コ ンテ ンポ ラ リー ダ ンス の 中 に は, 一 見
ポ ス ト・モ ダ ンダ ンス が 示 して い た よ う な特 徴 を
見 る こ との で き る舞 台 が あ る が, モ ダ ン ダ ンス
の 存 在 を 意 識 して 考 え られ た 動 き で は な い わ け
で, これ は 当 時 と異 な る と ころ。 当 時 は 反 体 制 の
流 れ が あ って, 対 抗 す る対 象 が は っ き りして い た
が, 現 在 で は 反体 制 の 身振 りを す る こ とが か え っ
て, 体 制 に 貢 献 す る こ と に な っ て し ま っ て い る
れ た か, そ の後 の コ ンテ ンポ ラ リー ダ ンス と どの
よう な 関連 が 考 え られ る か等 につ い て意 見 を交 わ
す初 め て の場 とな っ た。
パ ネ ラ ー に は若 い世 代 を代 表 して前 田, 武 藤 両
氏 をお 願 い した。 前 田氏 は, 1980年 代 初 頭 か らダ
ンス に 出会 い, そ の後 プ ロ デ ュ ーサ ー と して海 外
の ダ ンス カ ンパ ニ ー の招 聰 を手 が け て こ られ た。
欧米 の最 新 の傾 向 を ご報 告 い た だ く と と もに, ポ
ス ト ・モ ダ ンダ ンス の ヨー ロ ッパ 諸 国へ の影 響 と,
ロ ー ザ ス を は じめ とす る ヌ ー ベ ル ・ダ ンス か ら コ
ンテ ンポ ラ リー ダ ンス に至 る展 開 につ い て所 感 を
交 え な が ら, お話 しい た だい た。 一 方, 舞踊 研 究 ・
評論 の武 藤 大 祐 氏 は1990年 代 半 ばか らダ ンス に興
味 を 持 た れ, 特 に ポ ス ト・
モ ダ ンダ ンス に 関 し て
は2000年 以 降 か ら調 査 研 究 を され てい る。 ニ ュ ー
ヨー ク留 学 中 は もっ ぱ ら映 像 資 料 で 当 時 の舞 台 に
触 れ, 2006年 に帰 国 され た ばか りで あ る。 司 会 を
お願 い した榎 本 了壱 氏 が 唯 一, 日本 にお け る ボス
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(武藤)。1960年 代 は 芸術 で も身体 に対 す る意 識 が
変 っ て きた 時 代 だ っ た とい う こ と も背 景 に あ り,
ダ ンス は 完 成 した ま とま りの 良 い, ダ ン シー な作
品 とい う よ りも, む しろ動 きの も との 身体 に対 す
る興 味 や 疑 問 が 表面 化 して きた 時代 とい え る の で
は な い か, だ か ら 自分 の 身体 に立 ち戻 る とい うス
タ ンス が 出 て きた(國 吉)。 そ う した傾 向 は美 術
で は早 い 時 期 か らみ られ, ハ プ ニ ング な ど時代 を
象 徴 す る 表 現 に な っ た が, 20年 も経 つ とそ の 意 識
は心 理 的, 病 気 の よ うな もの を表 わ す傾 向 に 陥 っ
て い っ た。 ダ ンス で も同様 の こ とが い え る の で は
な い か(榎 本)。 で も, 例 え ば現 在, ヨー ロ ッパ
で は ポ ス ト・
モ ダ ンダ ンス の 再 評 価 が 盛 ん に行 な
わ れ て い る が, グ ル ー プ の な か に は 実 際 に 当 時 の
ニ ュ ー ヨー ク の ポ ス ト ・モ ダ ン ダ ンス を再 現 す る
第二 部: 15:00∼16:30
ゲ ス ト=厚 木 凡 人(舞 踊 家)
司
会=國 吉 和 子
よ うな作 業 を とお して, 確 実 に 自分 の作 品 の転 機
と して い る振 付 家 が い る。 そ こで 問 わ れ て い る 点
は, 表 現 の主 体 ・客 体 の 認 識 身体 の 部位 が どれ
だ け統 一 され て い る の か な ど問題 で あ り, この あ
た りにか つ て の ポ ス ト・
モ ダ ン ダ ンス と現 在 の コ
ンテ ンポ ラ リー ダ ンス の 問題 意識 が 重 な る と ころ
な の で は な い だ ろ うか(武 藤)。
5年 程 前, フ ラ ンス の モ ンペ リエ ・ダ ンス ・フェ
ス テ ィバ ル で 開 か れ た シ ン ポ ジ ウ ム で は, バ ネ
ラ ー に ジ ェ ロ ー ム ・ベ ル, ア ラ ン ・ビュ フ ァー ル,
ポ リス ・シ ャ ル マ ッツ らが参 加 した の だ が, 1970
年 代 の ア メ リ カ の ポ ス ト・モ ダ ン ダ ンス とM.カ
ニ ングハ ムが 大 き く取 り上 げ られ て い た。1960年
代 に はP.バ
ウ シ ュ, 1980年 代 初 頭 に は ロ ー ザ ス
の ア ンヌ ・テ レサ=ド ゥ ・ケ ー ス マ イ ケ ル らが
ニ ュ ー ヨー ク の ダ ンス ・シ ー ン に 身 を置 き, トリ
シ ャ ・ブ ラ ウ ンや ル シ ンダ ・チ ャイ ル ズ らか らの
さ ま ざ ま な影 響 を う け て い る(前 田)。
M.カ
ニ ングハ ム は1964年 に初 来 日 して い る が,
そ の 頃す で に彼 の カ ンパ ニ ー の若 手 か らは批 判 が
起 こ っ てい た(榎 本), とい う見 解 に対 して, T.
ブ ラ ウ ンは 当時, とに か く 自由 に活 動 で きる場 を
求 め て, ジ ャ ドソ ン教 会 派 に加 わ り, ダ ンス 創 作
上 の基 本 的 な意 味 を追 求 し, そ の流 れ の 中 でS.
フ ォ ル テ ィやA.ハ
ル プ リ ン との 出会 いが あ っ た
(前 田)。お 互 い の 関 連 につ い て は, や は りJ.ケ ー
ジ の存 在 は大 き く, 彼 のチ ャ ンス オペ レー シ ョ ン
第一 部 に引 き続 い て, ゲス トとの 対 談 形 式 で 行
な わ れ た。 厚 木 氏 は伊 藤 道 郎, 石 井 み ど りに師 事,
舞 踊 家 振 付 家 と して1960年 代 にデ ビ ュー, 1966
年 か ら2年 間 ニ ュー ヨー ク に留 学 し た後, 1970年
代 「噛 む 」 「裂 記 号 シ リー ズ 」 等 発 表, 日本 の ポ
ス ト ・モ ダ ンダ ンス の 先 端 とな る活 動 を展 開 され
た。 先 ず は フ ル ブ ラ イ ト留 学 当 時 の お 話 を発 端 に,
ア メ リカ で見 聞, 吸 収 され た もの, さ らに帰 国 後
に発 表 され た諸 作 品 につ い て 記 録 映 像 を試 写 しな
が らお話 しい た だい た。
当時 ニ ュー ヨー クで はT.ブ
ラ ウ ン, S.フ オ
ル テ ィ らジ ャ ドソ ン教 会 を中 心 とす るニ ュー ダ ン
ス と呼 ばれ た 人 々が 活 躍 して い た が, 彼 らの 試 み
を ま さ に全 身 で 体 験 した 厚 木 氏 は, そ れ まで 体得
した バ レエ を基 盤 と した 技 術 と は正 反 対 の 考 え
方 に 出会 い, た い へ ん な 衝 撃 を受 け た。 と 同 時
に, 身 体 とい う素 材 と真 っ向 か ら対 時 す る こ との
魅 力 に 開眼 され た とい う。 肉体 を砂 の よ うな 物 質
と等 価 に意 識 させ て し ま う 「裂 記 号 」(1975), 単
純 な一 連 の 動 き を過 酷 に反 復 させ た 「裂 記 号2」
(「Dance today 75」 上 演 作 品, 1975), 反 復 しな
が ら動 きの 緩 急 や ア クセ ン トの 変化 を試 み た 「立
つ 」(NHK番 組), 10の 動 き を さ ま ざ ま に 組 み合
わせ を変 えて ダ ンス を創 っ た 「10モー シ ョンズ 」
(1980), ダ ン サ ー に 鏡 を 持 た せ 鏡 面 に写 る像 と
客 席, 周 囲 の ス ペ ー ス との 関 係 だ け で 作 ら れ た
「Distance」(1977)の 映 像 を鑑 賞 した。 情 緒 や イ
メー ジの 介 入 を絶 ち, ダ ンサ ー の 肉 体 に物 理 的 な
を ダ ンス に適 応 した の が カ ニ ングハ ム で あ り, 一
方, ダ ンス と名 づ け られ る前 の ピュ ア ー な 身体 を
取 り戻 そ う と した のがA.ハ
ル プ リ ン とい え る の
で は な い か。 そ して, 西 海 岸 の ヒ ッ ピー 的 な メ ン
タ リテ ィーが モ ダ ニズ ム 的 な先 行 す る世 代 の ア ー
制 限 を課 す こ と に よ って 開 か れ る 肉 体 の 諸 相 は,
極 め て テ ン シ ョンの 高 い 時 空 間 を創 りだ して い る。
フ レー ズ の 反 復 は特 に ミニ マ リズ ム を意 識 した わ
トに対 す る コ ンテ キス トと融 合 した のが ジ ャ ドソ
ン派 だ っ た とい え る の で は な い だ ろ うか(武 藤)。
以 上 が 当 日話 し合 わ れ た概 要 だ が, 当初 目標 と
して い た ポ ス ト・
モ ダ ン ダ ンス と 日本 の コ ンテ ン
ポ ラ リー ダ ンス との 関係 につ い て, 具 体 的 な デ ィ
ス カ ッシ ョ ンに入 る た め に は時 間 が足 りなか っ た。
しか し, こ れ まで ポ ス ト・
モ ダ ン ダ ン ス と して 了
解 さ れ て い た事 柄 に は訂 正 す べ き とこ ろが 指 摘 さ
れ た こ と, ま た, 今 回 の話 し合 い に よっ て, 1960
年 代 に ポス ト・
モ ダ ン ダ ンス が 試 み た こ と, 提 起
した 問題 が, 現 在 の ダ ンス シ ー ンに とっ て検 証 す
べ き示 唆 深 い領 域 で あ る こ とを確 認 で きた こ とは,
今 回 の シ ンポ ジ ウ ムの 成 果 で あ っ た。
けで は な く, また, 床 に対 す る 動 きの 多 用 も単 に
動 きそ れ 自体 が 要 求 した もの で あ っ て 意 味 が あ る
わ けで ない。 この よ うな厚 木氏 の 方 法 論 を, 舞 踊
評 論 家 の 故 市 川 雅 は 「肉 体 の 空 無化 」 と呼 び, ほ
とん ど同 時 期 に 日本 に登 場 した 暗 黒 舞 踏 の 土 方 巽
と対 照 させ, 日本 に お け る ポ ス ト・モ ダ ンダ ンス
と して 位 置 づ け て い る。 また, 肉体 を空 無 化 す る
にせ よ, 日常 的 な ゆ る い 身体, あ るい は タス ク を
こ なす 作 業 す る身体 に せ よ, ダ ンス に 対 す る ダ ン
サ ー の セ ンス, 優 れ た 資 質 が もっ と も問 われ る こ
とだ と厚 木 氏 が 断 言 され た こ とは 興 味 深 か った。
最 後 に, 今 回 の シ ンポ ジ ウム の た め に 「Dance
today 75」(東 京, パ ル コ劇 場 公 演)の 記 録 映 像
の 一 部 コ ピー を許 可 して くだ さっ た 同 作 品 の 出 演
者 な ら び にニ ュ ー ヨー ク 市 立 図 書館 ダ ンス コ レ ク
シ ョン に感 謝 し ます。
(以 上
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報 告: 國 吉)