法務通訳翻訳の世界―その多様性と将来性 JAIS

JAIS
実践報告
法務通訳翻訳の世界―その多様性と将来性
渡辺 由紀子
(大阪外国語大学大学院)
In recent years, as the number of crimes related to non-Japanese speaking people in Japan
is increasing, the importance of judicial interpreters and translators is growing. Court
interpreting and police interpreting are gradually being recognized as the kinds of
judicial practice among the pubic, but most people are not aware that there are also a
variety of interpreting and translation services in the Ministry of Justice. This paper
shows the diversity of such needs that are necessary for the major sectors of the Ministry
such as Public Prosecutors’ Office, Correction Bureau, Rehabilitation Bureau, Human
Rights Protection Office, and Immigration Bureau. The administration of these
institutions is closely related with each other. Therefore, this study focuses on the
demand for and the actual conditions of the scenes of interpreting and translation
services in the Ministry and points out relevant issues.
1.
はじめに-「法務通訳翻訳」とは
「法務通訳翻訳」という言葉を聞いたことがある、という人は現在どれくらいいる
のだろうか。
実際のところ、司法通訳、法廷通訳あるいは捜査通訳という言葉なら知っているけ
れども法務通訳翻訳は初めて聞いた、という人がほとんどだろう。法廷、警察などで
の通訳翻訳は、司法通訳翻訳に含まれる領域として、さまざまな書籍や雑誌に登場し、
一般的にも認知されつつある。しかし、
「法務通訳翻訳」という言葉自体は、それらの
文献の中で目にすることはない。実は、
「法務通訳翻訳」とは、大阪外国語大学で、警
察、法廷、弁護の活動と並び、検察を含む法務省の業務に関する通訳翻訳の科目「法
務通訳翻訳のための基礎」を開講するにあたり生まれた言葉であるからだ。
この言葉や類似した言葉が世の中に存在するのかどうか、試しにインターネットで
検索してみた。その結果、「法務通訳翻訳」そのものは見つけることができず、また、
WATANABE Yukiko, “Interpreting and Translation in Japan’s Ministry of Justice: Diversity and Potentials.”
I n t e r p r e t a t i o n S t u d i e s , N o . 3 , D e c e mb e r 2 0 0 3 , p a g e s 1 2 2 - 1 3 5 .
(c) 2003 by the Japan Association for Interpretation Studies
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「法務通訳」も皆無だったが、
「法務翻訳」としては、ビジネス関連の契約書や法律関
係書類の翻訳業務、官公庁への提出書類や特許関連文書の翻訳を指していた。しかし、
業界でさえ認識にばらつきがあり、いまだその言葉自体が統一されているとはいえな
い。
そこで、ここでは「法務通訳翻訳」という言葉を「法務省関連の業務で必要とされ
る通訳翻訳である」と定義して用いることにする。通訳と翻訳を一体化させているの
は、実際の業務では通訳と同時に、例えば関連文書の翻訳、あるいはサイト・トラン
スレーションの形態での業務も必要とされているからである。法務通訳翻訳業務の現
場には、検察庁における捜査手続きだけでなく、矯正施設、更生保護機関、人権擁護
相談窓口、入国管理機関などがある。さらに法務省の研究・研修機関である法務総合
研究所の業務も含まれている。
以下に、それらの現場の機構、法務通訳翻訳業務のニーズと実態、問題点について
述べる。
2.
法務省の機構について
法務通訳翻訳の各現場について概観するに先立ち、まず法務省という国家の行政機
関の構成と機能について、同省大臣官房秘書課広報室編集の『法務省 2002 年(平成
14 年度版)』に基づき説明する。
法務省は、法務大臣を長とし、大臣官房のほか、民事局、刑事局、矯正局、保護局、
人権擁護局、入国管理局の 6 局体制から構成されている。同省における大きな特徴は、
検察庁が 6 局体制とは別に置かれ、同省の「特別の機関」と位置付けられていること
である。東京・霞が関にある法務省庁舎は、ネオ・ドイツバロック様式の赤レンガ棟
が有名であるが、その奥に法務省の実質的な機能を持つ近代高層建築がそびえている。
そこは、北側の「法務ゾーン」と南側の「検察ゾーン」とに機能が二分されており、
法務省における検察庁の特殊性を象徴的に示しているといえる。法務大臣は、法務省
の長として「検察に関する事項」を含む法務省の所管事務を分担管理する責任を負っ
ており、それは法務・検察と称されている。法務省庁舎内の機能二分によって示され
るように、法務省と検察庁は互いに独立しており、法務行政については法務大臣を最
高責任者とする法務省が、個々の事件処理に関しては、検事総長をトップとする検察
庁が当たっている。
検察庁は検察官の行う業務を統括するところで、最高検察庁を頂点に、東京、大阪、
名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の全国 8 カ所の高等検察庁、県庁所在地と北
海道 4 カ所の計 50 カ所の地方検察庁、主要市区町 438 カ所の区検察庁から構成されて
いる。
次に、法務省の大臣官房と主要 6 局について順に説明する。まず大臣官房は、各局
の独立性の強い法務省において、法務行政を円滑に運営するための総合調整的な役割
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を果たしている。主な業務としては、国を当事者とする民事訴訟、行政省庁を当事者
とする行政訴訟などの争訟事件の処理、司法制度に関する調査研究や法令案の作成、
法令・判例や法務に関する資料の収集、整備、編さん、刊行などがある。
民事局は、登記、戸籍、国籍、供託、公証、司法書士、土地家屋調査士に関する事
務、さらに民法、商法、民事訴訟法など民事基本法令の制定、改廃に関する法令案の
作成などの立法に関する事務を行っている。これらは、いずれも国民の生活に関連の
深い業務であり、最近の社会・経済情勢を反映して複雑化し、取り扱い件数も増加傾
向にある。
刑事局は、検察庁をバックアップする役割がある。検察権の行使についての指揮監
督に関する事務、検察庁の組織・運営に関する企画・立案、国際捜査共助や犯罪人の
引渡しに関する事務などを行っている。
矯正局は職員数において最大で、法務省定員の約 4 割を占めている。刑務所、少年
刑務所、拘置所、少年院、少年鑑別所、婦人補導院の 6 矯正施設の保安警備、作業、
教育、医療、衛生など被収容者に対する処遇が適正に行われているかどうかを指導・
監督している。
保護局は、矯正施設に収容されている人の仮釈放などに関する事務、仮釈放になっ
た人、保護観察付き執行猶予になった人、保護観察に付された少年などに対する保護
観察事務、恩赦や犯罪予防活動に関する事務などを行っている。ほかにも、5 万人の
保護司を含む民間ボランティア 20 万人が活動している。
人権擁護局は、日本国憲法が掲げる基本的人権の尊重を国民に普及するため、連合
国総司令部(GHQ)の指示で設置された。人権侵犯事件の調査・処理、人権相談、人
権尊重思想の啓発活動、法律扶助に関する事務を行っているが、過去には日本の人権
状況を反映し「日本一小さな局」といわれてきた経緯もある(渡辺 2001, p. 131)。人
権擁護局の下部機関として、全国 8 カ所の法務局に人権擁護部が、全国 42 カ所の地方
法務局に人権擁護課が設けられている。さらにその下には支局が全国 284 カ所にあり、
人権擁護の仕事を行っている。
入国管理局は、外国人や日本人の出入国審査をはじめ、日本に在留する外国人の管
理、外国人の退去強制、難民の認定や外国人登録に関する事務を行っている。施設等
機関として入国者収容所(大村・東日本・西日本入国管理センターの 3 カ所)、実施機
関として、地方入国管理局 8 カ所、支局 5 カ所、出張所・支局出張所 84 カ所が設置さ
れている。
法務省には、法務総合研究所という研究・研修機関があり、総務企画部など 5 部門
から成る。中でも大阪市福島区の大阪中之島合同庁舎を拠点に置く国際協力部は、ア
ジア諸国を中心とする開発途上国に対する法整備支援を行うため、2001 年 4 月に新設
された。日本国内に業務の目が向けられている他部局と異なり、海外に向けて日本の
法制度を発信する役割を担っている。
124
3.
法務通訳翻訳業務のニーズと実態、その課題について
法務省の機構を大まかに説明したところで、実際、各現場には法務通訳翻訳のどの
ような需要や実態があり、また関係者はどのような課題を抱えているのかについて話
を進めていく。
3.1
捜査の現場(検察庁)
検察庁における捜査通訳翻訳は、法廷や警察での業務と並び文献に登場する機会も
多く、比較的馴染みがある業務ではないかと思う。
捜査通訳翻訳とは、警察官や検察官が弁解録取書や供述調書を作成するための通訳
翻訳の業務だが、ここでは検察の業務に限って説明する。刑事訴訟法第 204 条によれ
ば、検察官は、逮捕された被疑者の送致を受け、48 時間以内に勾留の請求をするか、
または公訴の提起を裁判官に対して行うかどうかを決定しなければならない。勾留が
認められると 10 日ないし 20 日間は身柄拘束が可能である。
一般の外国人の取調べは、刑事訴訟法上の特別の制限はなく、基本的には日本人に
よる犯罪と同様の捜査が行われるが、被疑者が外国籍であることから、身上確認の方
法、被疑事実についての確認、領事機関への通報や弁護人選任権の告知など、特有の
手続きもある(司法研修所検察教官室 2001, p. 272)。検察官はまず、逮捕された事実に
ついて被疑者から弁解することがないかどうか、あればその弁解内容について通訳人
を介して聞き、そのうえで、その供述内容を同席の立会検察事務官に口授して調書化
(いわゆる弁解録取書)する。次に、通訳人が弁解録取書をその場で通訳し、それに
より検察官は、被疑者にその録取した内容と自分が供述した内容との間に間違いがな
いかどうかを確認させる。供述調書作成では、被疑者が逮捕された事実について事情
を聞いていくが、1回で終わることはあまりなく、難しい事件になると何回も取調べ
が繰り返されることがある。また、警察で似たような調書が作成されていても、裁判
所では検察官の調書のほうがとりわけ信頼性が高いと判断されているようだ。そのた
め、自白している事件でも公判廷で争われた場合に備えて検察官も取り調べて調書を
作成するので、検察官による取調べは普通のことであり、その場合には通訳人が不可
欠となる。
また、検察官は起訴状、冒頭陳述要旨、証拠等カード、論告要旨などの文書を用意
する。これらを事前に入手して翻訳をし、公判においてはその外国語で読み上げるの
がいわゆる法廷通訳人である。
『平成 14 年度版犯罪白書』
(p. 66)によると、1999(平成 11)年から 2001(平成
13)年までの来日外国人被疑事件の国籍等別検察庁新規受理人員は増加傾向にある。
この 3 年間を通じて最も多いのは中国であり、アジア地域の国籍が 8 割以上と大部分
を占めている。
このことからも示されるように、通訳言語の中心は中国語、韓国語、フィリピノ語
125
をはじめとするアジア諸国の言語である。検察庁の中で通訳人確保を担当しているの
は、刑事部の国際捜査担当である。例えば大阪地検の場合、2003(平成 15)年 4 月
現在で 39 言語、延べ 260 人の通訳人を確保している。登録手続は特に基準がなく、
面接で行われる。
検察庁で通訳人を利用する場合は、取調べ時間を厳守して通訳人をいたずらに待た
せるようなことはしない、通訳人に対する危害の恐れを除去する、通訳人に日本の刑
事手続き等に対する理解を深めてもらう、などの点についても配慮すべき点としてい
る。また、検察庁では、1994 年 6 月から検察ネットワークを利用した「通訳人名簿
データシステム」が供用されている(司法研修所検察教官室 2001, p. 274)。
中には、警察や法廷で通訳する人が通訳すれば効率的で、多数の通訳人がいらない
と考える人がいるかもしれない。しかし、法律の世界では、警察捜査での通訳人、検
察捜査での通訳人、法廷での通訳人は、それぞれ別人が担当することが望ましいとさ
れている。少なくとも警察・検察の捜査通訳と法廷通訳は別々である必要があり、そ
のように運用されている。被疑者にしてみれば、警察で話せなかったこと、あるいは
違うことを検察や法廷で話したいという場合もある。後で変えた供述内容が嘘の場合
もあれば真実の場合もあるだろう。同じ通訳人だと、前に話したことの影響力が残っ
ているために思うように話せない、ということにもなりかねないからである。
通訳人を確保していると言っても、少数言語の場合は、事件の規模によって人材が
不足することがある。特に最近の犯罪は、国籍が多様化しているうえに、凶悪化、集
団化、地方拡散化の傾向がみられる。そのため、外国人ひとりを捕まえても、集団化
しているので処分が難しく、処罰が軽い結果に終わることもある。ときどき、集団密
航として何十人、何百人と捕まったという報道がみられるが、そのような事態には、
それ相応の人数の通訳が必要になると考えると、想像を絶することである。また、一
般に外国人は否認する傾向が強く、自らの余罪も仲間の犯罪もいっさいしゃべらない
ことも多くあると言われている。これらのことから、原則的には外国人一人の単純な
事件でも 3 人の通訳が必要になるということになる。さらに、共犯事件あるいは組織
的な事件ともなると、ますます多数の通訳人が必要である。以上のことを考慮すると、
外国人の組織犯罪の解明に向けて、今後も捜査通訳人に頼る部分がさらに広がると言
えるだろう。
3.2
矯正の現場(矯正施設等)
矯正施設には、前述の通り 6 種類の施設が 295 庁あり、そのうち刑務所、少年刑務
所、拘置所の行刑施設は、1996(平成 8)年ごろから被収容者が増加し続け、すでに
ほとんどの行刑施設が収容定員を大幅に超えている(鴨下 2003)。
そのような状況下で、外国人の増加は最近の収容増の特徴にもなっている。行刑施
設一日平均収容人員のうち、外国人に関しては 1991(平成 3)年は 342 人だったが、
126
2002(平成 14)年末には 3915 人と約 11.5 倍に膨らんだ。日本語の話せない、ある
いは十分に通じない外国人受刑者は、
「F 級」といって日本人とは異なる処遇を必要と
する者として収容分類される。男性の場合は主として東京の府中刑務所か大阪・堺市
にある大阪刑務所に収容され、女性は栃木刑務所や和歌山刑務所に収容される。ちな
みに、大阪刑務所の F 級受刑者は 411 人、27 言語 40 カ国に及ぶ。
これらの刑務所には国際対策室という部署がある。そこには国際専門官が配置され
ており、領事館関係機関との連絡調整や被収容者あての手紙の翻訳、同時通訳システ
ムによる面会の実施などを含む外国人被収容者の処遇に当たっている。国際専門官は
ハローワークなどで公募しているが、募集枠自体が小さいという。この職とは別枠で、
F 級対応の刑務官の募集もあり、大阪刑務所の刑務官は韓国語、英語、中国語、ペル
シャ語、スペイン語、タイ語に対応している。
行刑施設における外国人の処遇上の問題として、一般に外国人は宗教、食事、医療
などについての権利意識が強く、処遇に対する不満が多いこと、規律違反行為を職員
に現認されても否認すること、作業賞与金に執着し刑務作業に就業することを強く求
めること、仮釈放に関心が高いこと、などが矯正施設関係者により指摘されている。
もちろん、外国人受刑者の立場からすれば、習慣などの相違のため、普通に主張して
いることが誤解を招いてしまった可能性もある。そのような不必要なトラブルを解消
する意味でも、通訳人の存在意義があると思われる。
また、2002 年 6 月に「国際受刑者移送法」が制定されたが、外国人受刑者の多く
を占める中国人、イラン人は、それぞれの国が国際受刑者移送条約に加盟していない
ため、収容緩和に有効な手段とはならないことも問題となっている。また、この条約
においては、受刑者の捜査、裁判記録を全部翻訳して移送の必要性を判断することに
なるので、この時点でも翻訳業務が発生することになる。
さらに、大阪刑務所によると、外国人受刑者は覚せい剤の運び屋や殺人などの重犯
罪に関わった場合が多いので、刑期の平均が 5 年くらいと日本人受刑者より長く、平
均年齢も日本人受刑者が 46 歳であるのに対して 36 歳と若いのだという。釈放後は本
国に強制送還される者がほとんどなので、彼らの社会復帰処遇をどのように実施して
いくかも大きな課題となっている。
各国間の生活水準の格差も、外国人受刑者の諸問題に反映している。矯正関係者に
よれば、日本の刑務所や拘置所は本国で普通に暮らすよりも待遇が良いので、外国人
は日本で罪を重ね自分の国には帰りたがらないことさえあるという。その結果、矯正
施設の収容人員が飽和状態となる一因になる。これも、矯正関係者側からみた分析か
もしれないが、本国の刑務所の実情を考慮すると現実的な見解であると言える。
3.3
更生保護、保護観察の現場(保護観察所)
矯正施設の収容者が仮釈放になったり、少年が家庭裁判所から保護観察の言い渡し
127
を受けたりすると、助言や指導を行いながら日本国内での社会復帰を援助する役割を
保護観察所が担当する。仮釈放や保護観察を含めたこの更生保護という仕事は、高等
裁判所の管轄区域ごとに全国 8 カ所に設置されている地方更生保護委員会と、各地方
裁判所所在地に設置されている保護観察所で行われている。更生保護に主に従事する
のは、心理学、教育学などの専門知識を持つ保護観察官と、地域の実情に通じている
民間篤志家の保護司である。どちらも国家公務員だが、保護司の場合は法務大臣から
委嘱された無給・非常勤の立場となる。双方が協力し、保護観察を受けている人と接
触を保ち、生活状況を把握した上で、立ち直りに必要な指導や、家族関係、就学・就
職などの調整を図り、問題解決のための助言に当たっている。
実際のところ、矯正施設を出た外国人は大半が強制退去となり、日本に残留する人
たちはわずかである。しかし、近年の外国人犯罪件数の増加を反映し、日本に残留す
る外国人の数は少ないながらも増加傾向にある。中国残留孤児や南米日系移民の子孫、
ベトナムのボートピープルやその子弟などのケースもある。保護観察下にある外国人
に対しては、保護観察の法律的な枠組みや遵守事項などを理解してもらう必要がある。
そのため、保護観察官や保護司を補佐する通訳人のニーズが発生することになる。
大阪保護観察所管内では、1998 年度から 2003 年 7 月までに通訳依頼のあった外国
語は、韓国語、中国語、ポルトガル語、スペイン語、ベトナム語だった。その発生件
数は、年度によってばらつきがあるが、少ない年度(1998 年度、2001 年度)で 4 件、
多い年度で 15 件(2002 年度)となっている。通訳の依頼者のほとんどは、家庭裁判
所で保護観察に付された少年である。仮出獄者や刑務所受刑者の引受人がいる年もあ
るが、多くは保護観察下にある本人やその親が、簡単な日常会話が理解できる程度で、
日本語能力が十分でないため、法律関係用語が理解しにくく通訳を依頼した、という
ケースである。そのため保護観察における通訳は、家庭裁判所の通訳人でかつ同郷の
人物に依頼する場合が多くなる。
日本における保護観察は伝統的な価値規範に基づいているため、外国人にとっては
言葉や文化の壁が厚く、同化しにくい大きな要因となることがある。例えば、大阪保
護観察所によれば、18 歳の少年と日系ブラジル人の母親どちらも日本語が話せないケ
ースがあった。言葉が通じないので、日常の世話を保護司に依頼することは難しく、
保護観察官が直接その親子を担当したという。しかし、観察官の場合は地域に密着し
た保護司とは異なり、時々しか指導ができないため、親子の生活から言葉や文化差の
問題を十分に解消することは困難だった。
保護観察に関わる通訳人は、日本の法律的な枠組みを正確に相手に伝えることと同
時に、相手の国について精通していなければならない。大阪保護観察所は、今後の課
題として、通訳依頼への迅速な対応と通訳翻訳人名簿の作成・維持を挙げている。
3.4
人権擁護の現場(人権擁護部)
128
以上までのところで、捜査、矯正、更生保護の現場で外国人の問題が年々深刻にな
ってきている状況について述べた。次に、それらの現場とも関わりの深い人権擁護の
現場について話を進める。
日本では、近年の急速な国際化に伴い、言語、宗教、習慣などの違いから、在日外
国人をめぐるさまざまな人権問題が発生している。身近な事例で言えば、家主や仲介
業者の意向により外国人にはアパートやマンションに入居させないという差別的取り
扱いが行われたり、公衆浴場において外国人の入浴マナーが悪いとして一律に外国人
の入浴を拒否したり、外国人について根拠のない噂が広まるといった問題である。ま
た、1998 年 8 月、北朝鮮がミサイルの発射実験をしたとされる事件で、在日朝鮮人
児童・生徒に対する脅迫、暴行等が相次いで発生し、同様の嫌がらせは今もなお続い
ている。
法務省人権擁護局の下部機関である法務局人権擁護部では、
「 外国人のための人権相
談所」を東京、大阪、神戸、名古屋、広島、福岡、高松、松山に設置しており、各国
語の通訳翻訳で対応している。人権相談所が開設される日時や通訳言語は、各地によ
って異なる。例えば、大阪法務局人権相談室では、英語による相談を毎月第 1、第 3
水曜の午後 1 時から 4 時、中国語による相談を毎週水曜日の午後 1 時から 4 時に受け
付けている。また広島法務局内人権相談室では、英語、ポルトガル語、スペイン語、
タガログ語による相談を毎月第 2 金曜日に受け付けている(法務省人権擁護局 2002:
pp. 31-32)。つまり、それだけ通訳翻訳のニーズがあるということである。
在日外国人に対する人権擁護で深刻なのは、不法残留の場合である。当事者が不法
就労者の場合はパスポートを取り上げられていることが多く、また日本で出産した場
合や病気の場合にも、難しい状況に陥る。相談所の職員は公務員なので通報義務はあ
るが、不法残留や入管問題に関しては、犯罪に関わっている場合は別として、通報し
ないという取り扱いである。しかし、外国人に対する差別感情が今だに色濃い日本社
会で、どれだけの在日外国人の人権が擁護されているのか、日本の将来を考えると国
まかせにばかりはできない問題である。
3.5
出入国管理及び難民認定の現場(入国管理局)
人権擁護の問題は、出入国管理行政にも大きく関わっている。両者の結びつきには、
難民認定数が少ないために起こる「日本は難民鎖国だ」という国内外の批判や、入管
施設に収容された外国人の問題の報道などが背景となっている。このような現状の中
で、入管行政における通訳翻訳業務がどのような役割を負っているか、また期待され
るかについて述べる。
入国管理局によると、外国人入国者(再入国者を含む)数は、2002(平成 14)年
に 577 万 1975 人で、過去最高を更新中である。国籍別でみると、上位 5 カ国は、韓
国、中国(台湾)、アメリカ、中国、イギリスとなっている。地域別では、アジア地域
129
の入国者数は 367 万 4574 人で、入国者全体の 63.7 パーセントを占め、以下、北米地
域、ヨーロッパ地域、オセアニア地域、南米地域、アフリカ地域の順となっている。
出入国管理行政の主な業務に、外国人の上陸申請に対する「上陸審査」がある。そ
の時点では、入国審査官が外国人のパスポートやビザを確認し、上陸後の活動が在留
資格に適合するか、滞在期間は相当かなどが審査される。もし、そこで条件が一つで
も欠けていれば、
「上陸のための条件に適合しないと思われる外国人」と見なされ、さ
らに「上陸審判」が行われる。これは細かな事情聴取を行う業務であり、
「上陸条件に
適合しない外国人」と認定されると、退去命令が出される。
「上陸審判」では、特別審
理官による口頭審理やインタビューが行われるため、通訳・翻訳業務が必要となる。
中には、係官、外国人、通訳人の 3 者通訳が電話によって行われる場合もあり、アメ
リカやオーストラリアでも同じシステムが取られている。争いが複雑な場合は、刑事
手続と同じく供述録取を行うこともある。その際の調書には、通訳人の署名も必要で
ある。
出国の際も、入国の時と同様に審査官による審査が行われる。ただ、強制送還の扱
いを受けている者の場合は、送還前に退去強制手続きを経て退去強制令書が発付され
る。その時点においても、通訳翻訳業務が必要な場合がある。
入国管理局によると、2002 年の上陸拒否数は 9133 人で、前年に比べ 1267 人
(12.2%)減少した。国籍別でみると、韓国が第一位で全体の 26.9 パーセントを占め
ている。次いで中国、中国(台湾)、タイ、インドネシア、コロンビア、ペルーの順に
続いている。この順位を参考にしても、上陸審判の通訳翻訳業務の言語別ニーズをつ
かむことができるかと思う。また、ペルシャ語、ウルドゥー語の需要も高いのだとい
う。
続いて、難民認定業務について述べる。外国人が難民認定申請を行うと、地方入国
管理局などがそれを受理し、難民調査官による事実の調査が始まる。その際、当事者
である外国人への事情聴取が行われるが、人権関連の微妙な問題を扱うので、外国語
のできる職員であったとしても必ず通訳を付けることになっている。また、難民認定
手続きには翻訳のニーズが発生する。各国情勢についての報告、アムネスティ・イン
ターナショナルやアメリカ国務省の人権レポートなどの書類や、上申書、陳述書の翻
訳がある。これらは、難民認定の調査を行う上で非常に重要な資料となる。
外国人が前述のような正規の上陸手続きを取らず、不法に入国、残留した場合、
入国管理局において退去強制手続きが取られる。以前は、不法入国・滞在中の外国人
は不法就労が目的というのがパターン化していたが、最近は犯罪目的の来日も目立つ
ようになった。容疑者に対しては入国警備官による違反調査が行われ、その際に意思
疎通や証拠収集のために通訳人が必要となる。
日本における不法残留者数は、2003 年 1 月現在で 22 万 552 人である。不法残留者
数のピークは 1993 年の 29 万 8646 人で、その後一貫して減少傾向にあるが、依然と
130
して高い状態が続いている。不法残留者を国籍別でみると、上位 5 カ国は韓国、フィ
リピン、中国、タイ、マレーシアの順となっている。退去強制手続きを取ったものの、
ただちに退去強制のできない外国人は収容センターへ移送され、本国へ強制送還され
る日を待つことになる。
収容センターでの日常生活においても通訳の必要性が発生する。それは外国人の人
権を擁護する上でも、施設関係者との間の誤解を回避する上でも重要な役割となる。
例えば、病気などで外国人が医療関係者との意思疎通を図るとき、職員が通訳をして
も正確に通訳をしているかどうか、被収容者にとっては明らかではない場合がある。
そこで、トラブル防止のため、同室の収容者に通訳を頼んだり、外部のエージェント
に依頼したりする。また、長期の収容者は、本国の家族に手紙を出して連絡を取るの
で、その翻訳が必要となる。その業務すべてを職員でこなすことは難しく、民間に委
託している。大阪・茨木市の西日本入国管理センターでは、手紙を出す収容者の半分
以上は中国人だが、ペルシャ語の需要も増えているという。
以上のような現状から、入管の現場で活動する通訳翻訳人には、外国人と入管関係
者のコミュニケーションを円滑に進める役割だけでなく、高い人権意識が求められる
といえる。
3.6
国際協力の現場(法務総合研究所)
以上のような日本における法務通訳翻訳の業務を踏まえた上で、次に海外へ向け
た業務について述べる。
日本の出入国管理行政にも見られるように、現代社会は交通手段や通信技術の発達
により、国際間における人の往来が活発になった。人的交流とともに、大量の資本、
製品、情報などがビジネスを始めとした目的で世界中を飛び交っている。このような
社会で、法制度は一国の内部だけでなく、その国と関係を持つ国々や人々に影響を及
ぼしている。不十分で信用のない法制度しかない国家は、産業や経済の発展が難しく
なるからだ。
多くの開発途上国は、市場経済の導入に合わせた法制度が満足に整備されていない
ものの、人的・物的資源が十分ではないため、独力で迅速かつ適切な法整備を行うこ
とが困難な状態にある。そこで、国際機関や先進国が法整備を手助けすることが求め
られているのである。
日本は、世界第二の経済大国として、国際社会で積極的な貢献が期待されている。
日本は 19 世紀半ばまで中国文化の影響を受けた独自の法制度を持っていた。しかし、
明治維新以降、欧米が期待する近代的法制の整備を迫られ、欧米から専門家を招き、
また留学生を派遣して欧米の制度を学び、日本の社会・文化に合わせて近代的な法制
度をつくり上げてきた。近隣の開発途上国に対する法整備支援において、日本は欧米
諸国とは異なる法文化であること、百年以上にわたって仏、独、米、英などの主要な
131
法文化を研究し取り入れてきた経験を持ち、他のアジア諸国と類似した文化であるこ
とを大きな特徴としている(法務省法務総合研究所国際協力部 2002)。
法整備支援の活動は、先に述べたように国際協力部が推進している。具体的には、
支援対象国の法曹関係者を日本に招いての研修、支援対象国の現地セミナーへの講師
派遣、法律案の起草支援、現地へのアドバイザー型専門家の派遣などがある。これら
法整備支援の中でも、研修などの際に通訳業務が必要となる。
法整備支援における業務には、これまでに述べてきた法務通訳翻訳や法廷通訳とは
異なる独自の特色がある。まず、対象となるのが被疑者などの事件関係者ではなく、
司法関係者であることである。そのため日常会話ではなく、専門用語を中心に扱うこ
とになる。また、捜査・法廷通訳が事実中心の事案解明であるのに対して、法整備支
援での通訳は各国の法に対する概念や思想を伝え、相互理解を導き出すことを本質と
している。さらに、司法・法律の特質は他分野と比較して視覚に訴えられないという
難しさがある。以上のことから、思想の世界を扱う法整備支援の通訳は、法廷通訳、
捜査通訳よりも学術度、抽象度において高度な能力が求められると言える。また、通
訳翻訳人としてのプロ精神とともに、支援対象国の求める基準に合致させようと努め
るボランティア精神が期待されている。
4.
まとめ ―「法務通訳翻訳」の将来性をめぐって
ここまで、法務省関連の業務で必要とされるさまざまな通訳翻訳を概観してきた。
一言で「法務通訳翻訳」と言っても、そこには多様な世界が存在している。そして法
務省という大きな枠組みの中で、それらの業務は互いに深い関連性を持っている。そ
して、そのいずれもが被疑者や関係者の人権に関わっていると同時に、国つまり法務
省という機構や職務上から、外部に対して漏らしてはいけない個人情報などの秘密に
も容易に接する立場にある。
したがって、それら多様な通訳翻訳業務の中で一貫して求められている資質は、や
はり他分野の司法通訳翻訳と同様、中立性、正確性、そして守秘義務である。さらに
法務通訳翻訳の場合は、例えば入国管理局には出入国管理及び難民認定法があるよう
に、各現場に直結する法律の概要を知り、専門用語を理解することが必要である。
これらの点を法務通訳翻訳人の「知性」の面で要求される資質とすると、外国人と
法務関係者とをつなぐコミュニケーション能力は「人間性」の面で求められる資質で
あると思う。特に、法務を含む司法の現場は、他分野の通訳翻訳業務と比べて深刻な
問題を扱うので、緊迫する場面が多い。日本語を話すことができない外国人は、意思
疎通で制約を伴う上、日本の刑事手続きなどに関する知識を十分に持っていないとい
う不安感からパニックに陥ってしまうこともある。そのような無用な混乱を避け、業
務をスムーズに遂行できる雰囲気を創り出すためには、言葉を駆使して人間同士を結
ぶ通訳翻訳人の人柄や個性など、人間的な力量にかかる部分が大きいのではないだろ
132
うか。ただし、このような資質は、上記で述べた中立性、正確性、守秘義務を踏まえ
た上で求められるものだろう。
本稿では、法務省の主な 6 つの役割を中心に通訳翻訳業務について述べてきたが、
国際化の進展に伴い、今後は法務省と他省庁とが連携した業務も視野に入れていく可
能性も考えられる。例えば、入国管理局は外務省と連絡を取りつつ難民認定の事実調
査に当たっている。また、最近増加の激しい外国人による麻薬取締法違反などの事件
については、検察庁が厚生省の麻薬取調官と協調し、事件解決に当たらなければなら
ない。そして、日本列島と諸外国とをつなぐ海を管理しているのは海上保安庁である。
また、法務総合研究所の法整備支援は国際協力事業団との連携により実施されている。
これらのことを考えると、法務通訳翻訳の領域はさらに広がっていくのかもしれない。
大阪外国語大学は、1997 年度に日本で初めて大学院レベルでの「司法通訳翻訳論」
を開講し、2003 年度にはさらに専門化した「法務通訳翻訳のための基礎」を 4 月か
ら 8 月まで開講した。法務省各現場の方を講師に招いたリレー形式の講義は、「官学
連携」の先駆けとも言えると思う。日本のグローバル化を背景に、法務通訳翻訳の需
要は質、数ともに、ますます高まっていくだろう。このようなニーズに対応するため
に、大学などさらに多くの高等教育機関が教育・訓練プログラムを実施し、高度専門
職業人となりうる人材養成に努めることが急務である。
*
謝辞:本稿を執筆するにあたって、各方面の先生方からさまざまなご教示、多大なご援助
を受けました。大阪外国語大学で 2003(平成 15)年度に教鞭をとられた法務省・検察庁
関係者の専門的なアドバイスを始め、指導教官の熱心なご指導、ゼミ生からの貴重な資
料・情報提供などがありました。この場を借りて、深くお礼申し上げます。
著者紹介: 渡辺由紀子(Watanabe, Yukiko)。慶応義塾大学文学部卒業後、5 年間の地方
新聞社編集局勤務などを経て現在に至る。大阪外国語大学言語社会研究科博士前期課程在
学中。E-mail: [email protected]
【参考文献およびウェブサイト】
鴨下守孝(2003)「受刑者処遇の現状と課題」『矯正講座第 24 号』(2003)pp. 49-70.
鴨下守孝「受刑者処遇の国際化」
(2002)森下忠ほか編『日本刑事法の理論と展望』
(下巻)
信山社 pp. 155-178.
菊池和典(1994)『日英対訳 少年保護事件の手引き(主要法令・用語付)』日本加除出版
黒木忠正編(2001)『入管法・外登法用語事典』日本加除出版(2001)
司法研究所検察教官室編(2001)『検察講義案(平成 12 年版)』法曹会
133
出入国管理法令研究会編(2002)
『注解・判例 出入国管理・外国人登録実務六法』日本加
除出版
藤永幸治編(2001)『国際・外国人犯罪』(シリーズ捜査実務全書 15)東京法令出版
法務省ウェブサイト http://www.moj.go.jp/
法務省人権擁護局(2002)『人権の擁護』pp. 31-32.
法務省大臣官房司法法制部編『出入国管理統計年報』(各年版)財務省印刷局
法務省大臣官房秘書課広報室編(2002)『法務省 2002 年(平成 14 年度版)』法務省
法務省保護局編(2001)
『わかりやすい更生保護便覧』
(ひまわりブックス)日本更正保護
協会
法務省法務総合研究所(2002)
『研究部報告
第 13 号』
(「外国人保護観察対象者に係る処
遇上の問題点と対応策」)
法務省法務総合研究所国際協力部編(2002)『法整備支援
顔の見える国際協力』法務省
法務総合研究所
法務省法務総合研究所編『平成 14 年度版犯罪白書-暴力的色彩の強い犯罪の現状と動向』
渡辺文幸『新官庁情報ハンドブック 法務省』(2001)インターメディア出版
134
資料:法務省の機構
出典:法務省 HP より転載