- 1 - 主の御名をみだりに使ってはいけない。 名前は本当に大切なもの

主の御名をみだりに使ってはいけない。
○
名前は本当に大切なものです。名前はとても大切な物だからです。
先週富士見台教会に実習に来たことのある、旧姓中川せきな先生、今は久保せきな先生
から赤ちゃんの誕生のお知らせを頂きました。愛実(あみ)ちゃんと名前となったと記さ
れ、ヨハネの福音書、ホセア書から名前の由来が記されていました。
あみちゃんが大きくなった時に、あみちゃんの名前はヨハネの福音書とホセア書からと
ったとても大切な名前なんだよ。わたしの民
という意味があるんだよ。と聞くことでし
ょう。嬉しそうにしている子どもの顔が想像できます。
○
今日は私たちが幸せになる 10 の教えの 3 つめです。
主の御名をみだりに唱えるなんて、そんなことありえないでしょ。ということです。
詩篇 23 篇の最初のところを
ヘブル語で語ります。これは私がヘブル語を学んだとき
に一番最初に暗記した聖書野箇所です。
アドナイ
うのは
主
ロイ
・・・・
ということばが出てきましたでしょう。このアドナイとい
という意味です。しかしヘブル語の聖書には
てきます。私が聞いて覚えた詩篇 23 篇は
していたものです。今もユダヤ人は
アドナイ
ヤハウェーということばがで
イスラエルの国営放送、アナウンサーが録音
聖なる名前
ヤハウェーという文字がでてきますと、
ということばに言い換えて読むのです。
竿代照夫先生がケニアの宣教師だったときに、ユダヤ人のご家族のところにいって、ヘ
ブル語を習ったそうです。聖書を声に出して読んでいるとき、
ヤーウェーということば
をそのまま読んでしまったら、首を大きく振って、だめだめと注意されたそうです。
そのくらいヤーウェーという名前を大切にされ、みだりに使うことがないようにしてい
るのです。
私たちはユダヤ人ではありません。
ヤーウェーというお名前をみだりに使うなんかあり得ない。その言葉に100%同意し
ます。敬虔な思いをもって
さて、ヤーウェー
ヤーウェーという名前を用いましょう。
と言うお名前について最初に話をします。
・なぜヤーウェーなのか。
文語訳聖書や英語の古い訳、欽定訳聖書ですとエホバと書かれています。
エホバとヤーウェーとは随分違う呼び名ですね。
鍵のことばが
アドナイは
アドナイ
adonai
という
主ということばです。
です。
ヤーウェというお名前は
YHWH
という4つの子音からなっています。ヘブル語
の聖書には母音は本来かかれてありません。読む人が推測して読んでいました。
先の 4 つのことば
が来たとき、ユダヤ人は
そのおことばの読みはいわないで
アドナイということばに置きかえたり、
次のことばを言っていたりしたそうです。
聖なるお名前なので、ユダヤ人達も本来何と呼んでいたのかは分かりませんし、分か
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っても発音することはありません。
では、なぜ
YHWH
エホバということばが生まれたのでしょうか。
に
アドナイの
YaHoWaH(i) から
母音
Yahova
daoaiを
これでヤホバ
→
エホバ
という名前ではないかと
推測したわけです。 a は e の発音も含まれます、またヘブル語の w の発音はvも含まれ
るのです。
それで
エホバ
ではないかということになったのです。
ハレルヤと言うことばは良く知られています、このヤ
というのは
ヤハウェーなる
神様をほめたたえるという意味です。
ヤハ
ということばは分かっている神様の聖なる名の一部です。
とうことはエホバ
ではないく
後藤さんという牧師が
た。
ごとう
と ごーとう
ヤハウェー
ヤーウェー
だったろうということなのです。
とエホバについて
こんな事を話していまし
は大違いと言う事を話していました。
ですので、今はエホバというのは正しい発音ではなく、ヤハウェーが恐らく正しい発
音だったというのです。
私たちはヤーウェーなる神様を信じています。
ヤーウェーは父、子、聖霊のご人
格が含まれているお名前です。
少し長くなりましたが、神様の正確な発音はエホバではなく
ヤハ-ウェだということ
を話しました。
ただ、文語訳で慣れている方で、沢山の聖書の箇所を読んでおられるもいらっしゃいま
す。大切なのは、現在ではエホバではなく、ヤハウェーだということ以上に、神様がその
おことばを自分に語りかけて下さっているという
神が私に神のことばを語ってくださっ
たという感謝の気持ちです。神様はたといヘブル語でなくても、ギリシャ語で無くても、
敬虔に訳されたことばを読む私たちに働いてくださって、神様の奥義を示してくださるの
です。
ヱホバは我が牧者なり
われ乏しきことあらじ
ヱホバは我を緑の野にふさせ
いこひの水濱(みぎは)にともなひたもう
ヱホバはわが霊魂をいかし名(みな)のゆゑもて我をただしき路にみちびき給ふ
詩篇二三
どんなにか多くの方がこの文語の聖書野箇所で励まされ、勇気つけられた事でしょうか。
聖霊がその方の心に働いてくださったからです。
神様のお名前をみだりに使うとうことはどんなことでしょうか。
逆に神様のお名前を正しく使うということはどんなことでしょうか。
そのお名前にふさわしい、愛と尊敬、感謝を持って使うとことでしょう。
南極の昭和基地、隊員の中に結婚してまもなくでしょう
昭和基地に派遣された人がい
ました。
待ちに待った手紙が彼のところにも届きました。
その手紙をみて
彼だけでは無く
そこにいただれもが
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心打たれたのです。
なんて書いてあったでしょうか。
最初の頁
たった三文字。
あ、な、た
奥さんの愛、ご主人への尊敬、感謝、そして無事を祈り、一日も早く会いたいという切
なる思い。
あ、な、た
私たちが神様に対して
そのお名前を使うときに、愛、尊敬、感謝をもって語りかける
としたら、それは神様が喜ばれることです。
同じあなたです。責めるようなあなたもあれば、疑いが含まれているあなた
さげすんだようなあなたもあります。同じあなたも違うのです。
日本語では無い表現ですが、
なんてこった
というときに
こんちくしょうというときに
Oh my ○○!
イエス様のお名前を
使うひともいます。
これは典型的に神様の御名をみだりに使っていることばです。
オーマイ
○○
というのを子どもが使うことがあります。テレビの影響です。意味も
分からずにテレビで使っていたからいうのでしょう。
ここにいる私たちは、英語圏の人達が
なんてこった、こんちくしょう、と言う時に神
様の名前を使うようなことはしません。こんちくしょう
ということばもご自分で使うこ
とはないでしょう。
だから、この
神様の御名をみだりに使うということは自分には関係がないのかという
とそうではありません。
どのくらい親しく神様とお交わりをし、愛、尊敬、感謝をもって神様と言っているか、
思っているかが大切です。
○
イエス様のところに、自分の息子が悪霊につかれて苦しんでいる父親が来ました。
彼は弟子達の所に行って、悪霊が出て行くようにお願いしたのですが、弟子達にはできま
せんでした。そこで弟子達の師であるイエス様の所にきたのです。
父親は弟子達にはできなかったこと、そしてイエス様に対して「もし、できるのなら」
とお願いをしたのです。イエス様はすぐに父親のことばに反応されます。「もし、できる
のならというのか」父親の心の中にはこのイエスもできないかもしれない。できなかった
ら失望するから、余りにも失望しないように、安全策として「もしできるのなら」と言っ
たのです。父親はイエス様が空気を読んで、とんでもないことを言ってしまったとすぐに
分かって、「ごめんなさい。不信仰な私を許してください」と叫びました。
そしてイエス様は彼の息子がいつ頃から苦しんでいるのかを聞かれて、小さいころからと
父親が言ったことばを受け止め、悪霊を追いだしてくださり、息子を直してくださったの
です。
この父親は
イエス様という名前を使っていませんが、もしイエス様、できるなら私の
息子を直してください。
って
と言っていたら、そのイエス様は
不信仰、疑い深い思いでも
イエス様という名前を使っていたことでしょう。
たとい、イエス様とか神様とか
ヤーウェーという言葉を使っていなくても、その態度で
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神様の御名をみだりにつかっているのと同じような、不信仰、不敬虔な態度になることも
あるのです。
もし神様を心から愛し、尊敬し、感謝をしていたら、
神様の御名をみだりに使う等あ
り得ないことです。
○
本当の神さまはあなたのことを愛しておられます。いつも見守っていて下さいます。
空の鳥を見て見ましょう。だれがあの鳥を養っているのでしょうか。神さまです。
野の花を見てみましょう。だれがあの花を着飾って下さるのでしょうか。神さまです。
神さまは余りに偉大な方なので、ある人は恐いというイメージを持っています。悪いこ
とをしたら、罰せられる、罰を与える方だと思っています。
人と人との関係でも、大切なのは信頼です。相手のことを悪い人、恐い人と思っている
と良い関係は作れません。相手は悪い人でも恐い人でもないのに勝手に思っているのです
から、一方的に関係を悪くしているのです。
神さまは愛に満ち満ちた方です。どのくらい愛に満ちているかというと、ご自分のひと
り子イエス様をこの世に遣わしてくださるほどです。どうして御子イエス様を遣わしてく
ださったかというと、神さまから離れている人を救ってくださるためです。あるクリスチ
ャンはせっかく神さまを信じているのに、神さまが恐い方、自分は良い子でいなければい
けないと勝手に思って自由の無い人がいます。イエス様はその人を自由にし、いつも喜び、
絶えず祈り、すべての事について感謝することができるようにしてくださいます。ハレル
ヤ。
イエス様はまことの神様、父のことを、天のお父様と呼ばれました。
皆さんが小さいこどものころ
私は
「とうちゃん」でした。
が父親のことを
お父ちゃん、
お父さんの事を何と呼んでいたでしょうか。
今でしたら
パパ
「パパ」でしょう。イスラエルの子ども
と呼ぶときには
れは、親しい呼び名、愛と信頼が含まれた呼び方が
イエス様は父なる神様のことを
祈り過ごされたときに、
「アバ
アバ
父
アバ
アバ
と呼びました。それはそ
です。
と仰いました。ゲッセマネで最後の夜を
父よ」と言っています。それはイエス様が父なる神様
のことをどんなにか親しく思っているかが分かります。
私たちは
父なる神様のことを
イエス様のことを
聖霊様のことを
愛を持って
天にいます私たちの父よ。と親しく呼ぶ事ができます。
イエス様と呼ぶ事ができます。
聖霊なる神様と親しく語りかけることができます。
私たちが「愛する神様」というときには、父、子、聖霊を含んだ唯一の神さまに向かっ
て言っているのです。
恐い方ではありません。愛の溢れるお方です。
私たちが間違った方向に行ったらそちらは違うよとと教えてくださいます。
失敗したら、立ち直れるように励まして下さいます。
聖書にこうかかれています。
わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。
これは神さまへの信仰があるならばという条件があります。
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神さまはあなたのことを決して離さず、捨てることはありません。
私たちが山を行く時にも、谷をいくときにも、たとえ死の陰と呼ばれる、孤独で恐ろし
い所を歩むようなときも
神さまはともにいてくださいます。
わたしのためにイエス様が十字架にかかってくださったのです。どうして、神さまのこ
とを恐い方と思えるでしょうか。どうして神さまの名前をみだりに使う事がありえるでし
ょうか。あり得ないことです。
わたしたちは今日神さまの名前をみだりに使うことはあり得ないということを学びまし
た。そのみだりにというのは、愛、信頼、尊敬もなくつかったり、さげすんだり、悪い意
味で使ったりするということです。
ある方が電話で相談されました。
「先生、主の御名をみだりに使ってはいけない。と書いてありますから、イエス様とか
父なる神様とか聖霊様とか
使う事自体がいけないことではないでしょうか。イエス様の
お名前によってお祈りしますというのも
みだりに使うことにならないでしょうか」
というものでした。
愛と信頼と尊敬をもって神さまの名前を使うことは、神さまが喜ばれることです。
ですから、心から、
アバ父よ、イエス様、聖霊様、
愛する神様と
神さまの名前を
お呼びしましょう。
親しいある先生が教会員のおばあちゃんの話をしてくださいました。
教会に行くのには
大きな交差点を通らなければなりません。おばあちゃんの足はとて
もゆっくりで歩幅は狭いのです。時間の間に渡りきることが大変です。大変でも礼拝に出
たいのです。
あるときそのおばあちゃんが「先生、私は先生のようなお祈りはできませ
んが、私もお祈りしています」というので「どんなお祈りですか」と聞くと、「先生
あ
の交差点を渡るのは私にはとても大変。だから渡る前に、『イエス様、この交差点を渡る
ことができますように。』と祈ります。
渡り終えたら、『イエス様、ありがとう。渡る
ことができました』と祈るんです」と言うのです。先生は「○○姉妹、それこそ本当のお
祈りですよ」と言ったそうです。
交差点を渡るのに、自分を信頼して祈っていてくれる
おばあちゃん。イエス様はどん
なに嬉しいことでしょうか。
皆さん、大きいことでも、小さいことでも、神さまを意識しましょう。そして神さまの
御名を呼び、お祈りをしましょう。神さまと愛の交わりの中にいる私たちが神さまの御名
を心から感謝し、語りかけましょう。
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