2016年第3期第7課 イエスは人々の幸福を願われた 8月13日 A 失われた者を愛する(ニネべにおけるヨナ) ヨナからイエス様まで 800 年間の歴史があります。二人の使命者は二つの 都 市(ニネべとエルサレム)を前にして説いていました。 両者を比較して みま しょう。 — ヨナ: (a) ニネべに行くことを望まなかった。 (ヨナ 1:3) (b) ニネべの人たちの悔い改めに不服であった。 (ヨナ 1:4) (c) 失われた者達を愛さず、彼らの滅びを望んだ。 (ヨナ 4:2-3) — イエス様: (a) エルサレムに行くことを望まれた。 (ルカ 9:51) (b) 悔い改めようとしないエルサレムを嘆いた。 (ルカ 13:34; 19:41-44) (c) 失われた者達を愛し、彼らを滅びから救うために死なれた。(エペソ 5:2) 神の恵みにより、私たちもイエス様が失われた者に示されたのと同じ態度を 示せますように。 B 無条件に愛する(「とにかく」の原理) 私達は誰かを愛し助けることを拒む言い訳を多く持っている かもしれないが、 すべてにも関わらず私たちは召されている。 そのように愛することで、私たちは実際に神の愛を私たちのうちに表しているの です。 C 常に愛する(愛は必ず). イエス様はこの地上でのご生涯で、常に愛を示されました。彼は神様の品性を 反映され (ヨハネ第 1 の手紙 4:8)、私達に愛の模範を示されました。 神の内に留まるもの達は彼の愛に永遠に留まっていなければならない。 私たちの生活のうちに見出されるキリストの愛ほど人々をより力強く真理に 導くものはない。 D さらにさらに愛する(二度目の接触) あるクリスチャン達は、他の人々を「木のように」しか 見ることができません。 彼らは、他の人々を、愛することのできない物として見ているために彼らの 必要を見ることが出来ません。 彼らは全てをより鮮明に見えるようになるためにイエス様の2度目の接触を 必要としています。そうして彼らもイエス様のように他者を愛することが 出来るようになるのです。 E 皆を愛する(他者中心の教会) 私たちは自分の事ばかり考えることを避けるように言われています。私たちは、 たとえぎこちなく感じることがあっても、いつでも他人を喜んで 助けなければ なりません。 もし私たちがイエス・キリストにあるのと同じ思いを私たちのうちにもつことが 出来るのなら、私たちはキリストのうように無条件に愛することが出来るの です。私達の心地よさは構わず、他の人々の益を追求するのです。
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