PART4.グローバル企業からのスカウト そしてバドワイザーへ コカ・コーラの十年で、ぼくは国際社会どこでも生きていく自信を得た。 三十五になっていた。 その時の選択肢は、 コカ・コーラに残り、会社の経営を目指す、 社外に出て、日本にコカ・コーラのような会社をゼロからスタートさせる、 自分で起業する、 その三つだった。 コカ・コーラにいるのは安全な選択だ。コカ・コーラの中では追い風を受けて全てが順調、 これからどんどん大きい仕事が来る予感があった。でもぼくは、見えている可能性よりも、 まだ見えない可能性により魅力を感じた。コカ・コーラで自分が通用するなら、外の世界 でも通じる、その可能性に賭けてみたかった。自分で起業するのは、その後でもいい。 コカ・コーラのような会社でプロとして実績と信用が出来ると、外にも名前が知られるよ うになる。前の会社での評判は、次の新たなひきにつながる。 プロ経営者や専門職の人材市場では、若いうちに大きな仕事の経験を積めば、次により大 きな仕事が、自然と、向こうから飛び込んでくる。人よりも若い年で、より大きな責任の ある仕事をする、「時間」が鍵だ。大きな仕事の経験を、若い年令で持っている人間は数少 ないから、売り手市場になる。従って、自分のペースで良い仕事を選べるようになる。 次は、ゼロから始まる会社でスタートアップの勉強をしよう、そう思って、ぼくは日本に 来たばかりの RJR タバコインターナショナルの最初の日本人マネジャーになった。 日本のタバコ市場が解禁になって、キャメルとセーラムというタバコを日本に売り込むの が会社の使命。仕事は広告広報全般から、ブランド管理まで。社長はディック、背の高い イギリス人のジョンがマーケティング全部を見ていた。コカ・コーラと違って下には誰も いないから、何でも一人で外部のスタッフと協力しながら仕事をするのも新鮮だった。 ジョンとはとても気があった。ジョンは本社との連絡や予算管理に徹して、マーケティン グの実務を全部任せてくれた。月に一回はヨーロッパで会議があり、ボルネオで国際的な オフロードのイベントを成功させたり、仕事は面白く、やりがいがあった。 しかし問題も見えた。 キャメルが、期待に反して売れなかった。野性的な男のイメージ、本格的な味のタバコを、 日本人はあまり好まない、という事前リサーチの結果を、無視したことが、最大の原因。 キャメルをマルボロのような世界ブランドに育てるという本社の「世界戦略」が優先した。 全て本社ありき、マーケットより、本社の意向が社内政治を支配していた。 本社の論理で世界戦略などの「ドグマ」が決まると、それに迎合するデータだけ見て、ネ ガティブ情報は排除する。自分たちの、そうありたいという「欲目」が勝ち、 「科学的」 、 「論 理的」裏付けがその正当化と、ゴマすりに使われる。これは、企業から政府まで、国内の 論理が最優先する、アメリカの大きな組織に常について回る弊害だ。 そんなある日、突然本社から人事と法務担当の役員が来て、ディックのオフィスに入って いった。そうしたら、ディックが出てきて全員を会議室に呼び「今日、社長を解雇された」 とぼくたちに告げた。ハーバードを出たエリートの本人にも突然だったらしく、目が赤く 涙が溢れていた。解雇の理由はキャメルの日本での失敗の責任を取らされたことだ。 ディックが日本を去ってしばらく経ったころ、ジョンソンという知らない人から電話がか かってきた。ディックの友人だと言う。来日以来の付き合いで、二年前から、ディックに 君の話をいつも聞かされてきた、もうディックが日本にいないので義理も遠慮も無いから、 一度会ってみないか、という誘いの電話だった。 その次の日曜の昼、オークラのロビーでジョンソンに会った。 「お前は CV を持ってきたか」 と聞くから「俺は今仕事を探しているわけじゃない」というと、「分かった」と言って、ぼ くの生まれから学歴、職歴、年収まで、全部その場で聴き取って、勝手にぼくの CV を作っ てしまった。その間二時間ほど、ロビーで話しこんでお茶も何も出ない。 彼は、国籍はアメリカだけど中国系フィリピン生まれのジョンソン・レオンという人で、 二年前からバドワイザーを日本とアジア全域に本格的に売り出すため、日本に来ていた。 経済観念が発達して、ハイパーでよく喋る、せっかちだが知り合うととってもいい人だっ た。聴き取った CV ですぐに本社の OK を取り、次に会う時に条件を提示してきた。RJR の 30%アップ、アジアの全部を担当するマーケティングディレクターではどうかと聞かれた。 バドも、アメリカでは一番、世界一かもしれないけど、アジアではゼロに近い、俺に何を 期待するのかと聞くと、白い紙を出して「白紙だから、お前が好きな絵を描け」という。 その一言で、ぼくはバドワイザーの仕事をすることを決めた。
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