『かにの本』再考

関東学院大学文学部 紀要 第112号(2007)
『かにの本』再考
佐 藤 茂 樹
要 旨:
18世紀の教育家クリスティアン・ゴットヒルフ・ザルツマンの『かにの本』
にはイソップに想を得たといわれる扉絵とモットーが添えられている。しかし、
実際にオリジナルと対比してみると、そこにはふたつの変更を認めることがで
きる。ひとつは、生活圏とその中での言葉使用に基づいた〈静的〉=既得・共
有的な文化に、もうひとつは、著者が主体的に関わる時代思潮に基づいた〈動
的〉=形成的な文化に関連している。
当人には無自覚であったかもしれないこの変更に着目しながら、社会的なプ
ロセスとしての18世紀を考える視点と資料を得ていく。
キーワード:
ザルツマン、
『かにの本』
、啓蒙思想、異文化翻訳、18世紀、市民社会と家族
はじめに
今日『かにの本』として知られるクリスティアン・ゴットヒルフ・ザル
ツマン(1744−1811)の逆説的な子育ての指南書(にして同時代の教育に
対する痛切な告発の書)は、1780年の初版では別の書名で出版された。
『ま
ことに不合理な最近流行の児童教育法への手引き』1 )が当初のタイトルであ
る。ところが扉に添えられた「かにの親子」の絵がその内容と相俟って人々
の人気を呼び、いつの間にか上記の愛称で呼び習わされることになった。
そこで1792年の第三版からは、この愛称の方が正式な書名として記される
ようになった。ここまでは、よく知られた事情である。さらにその挿絵も、
元をただせばイソップの「蟹とその母」という寓話に遡るという。
「教えを
垂れるものは、まず自らの行為によってそれを示せ」という意の寓話で、
ザルツマンは自著の内容を象徴するものとして、後に触れるモットーとと
もにそれを扉に掲げた。
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本稿の著者は、以前『幼児の教育』に掲載した小論でこの事情に触れ、
「こうしてみると、『かにの本』というタイトルは、この本の内容とスタイ
ルを短い言葉に集約して、とてもしっくりくるものと納得されるのではな
いでしょうか」2 )と記した。ところで、そう記しながら、未解決のまま先送
りにしてしまったことがある。それは、あすなろ書房版 3 )の扉に「蟹」の
親子のイラストが描かれていたことに端を発する疑問である。タイトルの
「かに」に当たるドイツ語 Krebs は「ザリガニ」のはずではないか。しかし、
それだと今度はイソップとの間に齟齬を生じてしまう… さらにもうひと
つ。
「かにの親」は「父」ではなく「母」のはずではないか… ということで、
一度この書における「かに」の実態を書誌的な経緯と時代思潮との関連か
ら確定しておきたい。それが本稿執筆の動機である。
寓意と形象
それでは、まずイソップの寓話から検証しよう。岩波文庫版では、次の
ような話である。
蟹のお母さんがその息子に「横這いをしてはいけませんよ、また脇
腹をじめじめした岩にこすりつけてはなりませんよ。
」
〈と言いました〉
。
と、その息子は「お母さん、教えていらっしゃるあなたが真直ぐ歩い
て下さい、そうしたらあなたを見てそうなりたいと思うでしょう。
」と
言いました。
これは、人を非難するものは真直ぐ生き、また歩いて、そしてその
4)
時に同じようなことをおしえるのが至当だということです。
寓話の生命は、人間のある種の性格や行動を余計な説明なしに「ひとつ
の具体的な形象」を借りて一目瞭然に表出することにこそある。そして、
それが可能であるためには、寓意を仮託される生き物の実態がある点で際
立っており、それが聞き手・読み手に遍く知れ渡っていなければならない。
そこでイソップの寓話に目を戻すと、まず「蟹は横這いが習性である」と
いう前提を除外すれば寓意の効果は成り立たないことがわかる。というこ
とは、当時のギリシアの聞き手は、蟹をよく知っていたということになる。
時代はイソップより下るが、アリストパネスの喜劇『平和』にも「決して
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蟹をまっすぐに歩ませることはできぬこと」5 )という譬えが見られるほどで
ある。イソップは、そうした土壌があればこそ安んじてこの寓話の主に蟹
を採用することができた。「人を非難するものは真直ぐ生き、また歩いて、
そしてその時に同じようなことをおしえるのが至当だということです」と
いう後置教訓は、受容者が作者と同一のイメージを共有でき、前段の譬え
が無理なく脳裏に浸透するからこそ生きるのである。
これを踏まえてザルツマンの著書に目を転じよう。
皆さんの目にあまる子どものその欠点や悪癖が、皆さん自身でつけさ
せたものだったとしたらならば、どういうことになるでしょうか。…
…皆さんのほうであらかじめある欠点を与えておきながら、やがて子
どもがそれをうまく覚えたからといって、そのために子どもに罰を加
6)
えようというのは残酷ではないでしょうか。
序文からの一節である。親と子の「不合理」な関係の一面を突いたこの
言葉は、確かにイソップの寓話と呼応している。これを読んだだけでも、
引用した寓話がザルツマンの書の扉の「かにの親子」の絵にインスピレー
ションを与えたという経緯には充分に納得がいく。それどころか、譬えの
効果から言えば、まさに(ザリガニではなく)蟹であることが重要なので
はないか。親蟹が変えようのない「横這い」を子どもに伝えておきながら、
それを正せという矛盾と無理を説くからこそ、ザルツマンの書の意図を象
徴するのである。「ザリガニ」は、横這いはしない。「ザリガニ」なら、意
図した寓意は十全には成立しないのではないか、それとも「ザリガニ」に
も「横這い」に相当する何らかの特性がその言語を使用する人々にとって
周知のものとして備わっているのだろうか。
その検討に移る前に、ここでイソップそのものは「蟹」で間違いないの
かという点に傍証を得ておきたい。本稿の著者には、もとよりギリシア語
原典まで遡って検証する力はない。そこで他のヨーロッパ近代語の翻訳に
助けを借りることにするが、
「オックスフォード世界の古典」版の英訳では
Crab という語が充てられている 7 )。私たちの知る「蟹」である。そして母
蟹の言葉も、「My son, why do you walk in a crooked line when you should
be walking straight ahead?」と訳されている。やはり、
「蟹」の顕著な特性が
先の寓意と不可分だという結論を得てよいだろう。
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Krebs やはり「ザリガニ」か?
イソップに登場するのは私たちのよく知る「蟹」であることを確認した
上で、ザルツマンの書名にある Krebs の検討に移ろう。
「どちらか」という
問題は、扉絵の現物さえ見れば決着がつくのだが、後年の比較的入手の容
易な版はこの扉絵を掲載していない。さらに、本人の了承を得ない版が一
人歩きしてしまった事情も加わり、書誌的に信頼できる版に辿り着くには
困難を要した。ようやく辿り着いた1792年の第三版の扉絵には、果たして
親ザリガニを前にした 3 匹の子ザリガニが描かれてある。ザルツマンの「か
にの親子」とは紛れもなく「ザリガニの親子」なのである。1780年の初版
は、残念ながら未だ目にする機会を得ないが、《Krebsbüchlein》というタ
イトルが第三版から現行のものになった史実を顧慮すれば、その原因とな
った扉絵が差し替えられたとは考えがたい。やはり、当初からこの通り「ザ
リガニ」の親子が描かれて、それが読者に親しまれて愛称になり、やがて
正式なタイトルにまでなったと考えるのが自然である。ザルツマンがイソ
ップの寓話に喚起されて扉絵とモットーを自著に掲げたという経緯に誤り
がないとしたら、イソップからザルツマンへの過程のどこかで「蟹」は「ザ
リガニ」に入れ替わったわけである。では、どのような背景で入れ替わっ
たのか。イソップの寓話では「蟹」と「横這い」という形象と寓意の組み
合わせは他では得がたい整合性を示している。それを損なう危険を冒して、
「ザリガニ」に代える背景にはどのような干渉力が働いているのか。ザルツ
マンが読者とイメージの共有を期待できる土壌とはどのようなものなのか。
その手がかりを18世紀の語義を伝える代表的な辞典に求めてみよう。ま
ずカンペの辞典 8 )で Krebs を引くと、
「身体は硬い殻に被われ、尾は幾つか
の節に分かれおり」
、
「目の下には 4 本の触覚がある」と記されている。
「尾」
と「触覚」の存在は、まさしく私たちの知る「ザリガニ」である。食する
部分は「はさみ」と「尾」の肉だという。
「蟹」は、主に「脚」の肉を食べ
る。この点からも、Krebs は「ザリガニ」である。なお、「尾(Schwanz)」
の形状によってさらに亜種に分けられ、Krabbe(私たちが「かに」という
言葉で通常イメージする「蟹」)もそのひとつであるとも付されているが、
辞典の記述の濃淡に従えば、それは専門的分類に踏み込んだ言及で、この
語の第一義すなわち一般的イメージではないと判断してよかろう。次に
Krabbe の方を引いてみると、
「はさみを持たない小さな丸い海の Krebs、大
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きな蜘蛛に似ている」と記されている。定義のベースに Krebs を用いてい
ることから見ても、Krebs あっての Krabbe であって、生物学上の分類はと
もあれ、今日の私たちとはイメージの優先順位が逆である。
「はさみを持た
ない」というくだりには、首をひねってしまう。ましてや「蜘蛛」を引き
合いに出しての説明も、身近に見慣れた(もしくは、食べ慣れた)対象の
説明とはかけ離れた印象を免れない。
これに同じく同時代のアーデルングの辞典 9 )の記述を加えても、18世紀
の大方のドイツ人が慣れ親しんでいるのは Krebsであり、その生態も私た
ちが「ザリガニ」として知るものだということになる。このことは、黄道
十二宮の巨蟹宮の図像伝統を考え合わせれば、さらに裏打ちされる。世界
的にこの宮の図像には「蟹」と「ザリガニ」の両者が混在するが 10)、ドイ
ツではもっぱら「ザリガニ」をもって描かれているからである。ザルツマ
ン(もしくは、彼に先立つイソップの翻訳者)はその土壌の上に立って何
の抵抗もなくイソップの「蟹」を「ザリガニ」として受容し、その絵を描
いたということになる。
「横這い」はどこへ?
蟹の「横這い」という動作上の特性こそイソップの寓話に生命を与える
ものである、と繰り返し述べてきた。そして「蟹」を前提にすればこそ、
ザルツマンの著書もそれによって象徴的な「要約」を得ることができる、
とも述べた。では、ザリガニに代わったことで、寓意と形象の整合性はど
のように変化したのか。
この点を知る資料として、レクラム文庫版(刊行者序の日付は、1894年)
には書名の経緯を語るザルツマン自身の言葉が引用されている。それは、
彼自身が編纂していた Der Bote aus Thüringen(
『テューリンゲン便り』くら
いの意味か)紙 11)に掲載された対話体のもので、長くなるが引用箇所の全
文を再現してみよう( W は聞き手、 B は報告者)。
W:ああ、やっとわかりました。著者が人々に訴えたいのは、言ってみ
れば、我が子が病弱だったり無作法だったりしたら、その親自身に罪
があるのだ、ということなのですね。
B :おっしゃる通りです。それがそもそもの彼の考えなのです。聞くた
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びに感心したので、人々が読めるように出版しました。すると、多く
の人が私の手を握って感謝の意を表してくれたのです。
W:しかし、いったいなぜ《Krebsbüchlein》という書名なのでしょうか。
B :その理由は、親と子の Krebs の絵が載っているからなのです。
W:では、その Krebs が描かれた由来とは。
B :そこなんです。親の Krebs があるとき子どもたちに言ったというの
b
b
b
b
b
b
b
です、後退りしながら歩いてはいけない、と。そう言いながら、自分
b
b
b
b
b
b
b
自身は後退りしながら歩いているんですがね。
12)
W:そうですか!それで分かりました。
(強調は、本稿の著者による)
「後退りする」という習性は、蟹の横這いほど今日の私たちには知られて
はいないが、確かに「ザリガニ」の動作の一特徴である。蟹がザリガニに
置き換わっても、イソップの寓意に対応する動作は何とか確保されたとい
うことになろうか。後退りしかできないわけではないから、ザリガニでは
イソップの寓意の明証性にははるかに及ばない、と感じてしまうのは、両
者を比較する目で見比べた者の判断かもしれない。逆の言い方をすれば、
ザリガニには馴染んでいるがイソップのオリジナルに通じていない読者に
は、ザリガニで充分に意は尽くせるのだろう。ましてや、蟹の認知度が「大
きな蜘蛛」程度だとしたら、その絵を扉に掲げたところで、とうていタイ
トルを変更させるほどの愛称とはなり得なかったのではなかろうか。
ドイツ人には、今日でも、私たち日本人のように家庭の食卓で「蟹」を
囲む食習慣はない。卑近な経験を語ると、1990年代の初頭、ミュンヘンの
有名な市場内の魚専門の店では、蟹かまぼこをマヨネーズで和えたものが
ジャパニーズ・カクテルの名で売られていた。自分たちには馴染みのない
蟹の日本風珍味という売りなのだが、
「蟹かまぼこ」の存在など知る由もな
いので、本物の蟹の身を用いたサラダと人々は思っていたわけである。そ
れほど一般のドイツ人は、
「蟹」の実態を知らない。それに比べれば、ザリ
ガニはずっと身近なものなのだろう。同じ頃、ワイマールで茹でたザリガ
ニの剥き身を食べた覚えがある。ごく普通の料理の一品としてである。そ
んな経験に照らしてみても、
「蟹」と「ザリガニ」の交代は、生活文化の干
渉の自然の所産であることがわかる。たとえその交代が自覚的・意図的で
あったにせよ、そのような意図が働いてしまうところが自然なのである。
入れ替えたのは、ザルツマン自身か、それともイソップの翻訳者か、それ
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はもう問う必要はないだろう。いずれにせよ、寓意の整合性が確保できて
いれば、あえて人々の既存のイメージや語感を逆なでしてまでも
b b b b b b b
b b b b b b b
《Krabbenbüchlein》と冒険する必要はない。《Krabbenbüchlein》では、
読者の愛称となるには語呂も面でも不具合なのである。
かにの親は、「父」か「母」か?
ところで、イソップの寓話に登場するのは「蟹とその母」である。岩波
文庫版でもオックスフォード版でも、子どもに教えを垂れているのは「母
親」なのである。ところが、ザルツマンがその扉絵の下に掲げたモットー
は、「Faciam, mi papule, si te idem facientem prius videro(お父さん、まず
お父さんがしてみせてくださるなら、わたしもそうします)
」13)である。
「蟹
とその父」という異伝があればともあれ、
「母」をたまたま「父」と読み違
える可能性は少ないだろう。確信的に置き換えたのでなく、いつのまにか
ザルツマンの頭の中で「母」が「父」に入れ替わったのだとしたら、なお
さら事は重大である。蟹とザリガニの交代が既存の共通感覚と語彙体系の
所産であるとしたら、こちらは社会的価値の形成に関わるディスクールの
干渉が予感されるからである。
まず、絵の詳細をたどり直してみよう。全体を二分割する具合に、向か
って左側には三匹の子ザリガニ、右側には親ザリガニが配されている。は
さみのある両手を八の字に開いて子に向かい合った親の姿は、確かに子に
教えを説いている印象を与える。さらに印象的なのは、親の大きさである。
三匹の子を合わせたほどの大きさに描かれた父ザリガニは、いかにも確信
に満ちて存在感にあふれ、見るからにまだひ弱でひとり立ちできない三匹
に対して一匹にしていわば画面上のシンメトリーを形成するほどなのであ
る。この絵だけを見る限り、はたしてイソップの寓話の底意がすぐに人々
の念頭に浮かぶだろうか。ここからはむしろ、偉大な存在である父を前に
して恭順に未知の世界への心得を聞く子どもたちの姿を受け取る人が多い
のではなかろうか。親の思い込みや思慮の足りなさが子どもを損なってし
まう愚をただす書にもかかわらず、絵に描かれた親と子の関係が正しよう
もなく悲惨な姿であったなら、この書を歓迎した読者たちもあえて愛着を
込めて「かにの本」とは呼ばなかったであろう。逆説的なこの書のスタイ
ルにもかかわらず、またイソップ本来の風刺と皮肉にもかかわらず、この
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絵もモットーも、逆説なしに、範を示す父とそれに倣う子の関係をどこと
なく漂わせているのである。では、あらためてなぜ父なのか。
その答えは、ザルツマンを同時代の児童書と並べてみるときにより鮮明
に現れてくるのではないだろうか。クリスティアン・フェリクス・ヴァイ
セの『児童の友』およびその後の数々の『新児童の友』、ザルツマン同様、
デッサウの汎愛学舎に一時期身を置いたカンペの『ロビンソン・ジュニア』
… こうした一連の書に共通するのは、まず〈家族〉という舞台である。18
世紀の市民社会は、新しい形の家族の成立と軌を一にしている。親と子の
二世代の血縁を核とする小家族制である。それは、職場と住居の分離を最
大の特徴とし、外部の職場へ出勤して収入をもたらす父と就労から解放さ
れてもっぱら家庭を快適な私的生活の場として整える母という家庭内の役
割分化の誕生でもあった。この新しい家族の誕生とともに、子どもの教育
という課題が、市民社会の将来と密接に結びついた階級的プログラムとし
て登場する。貴族や職人と比べていわば生得の階級的アイデンティティを
持たない市民階級にとって、たゆまぬ教育によって無形の獲得成果を後継
世代に引き継ぐことこそ、唯一無二のアイデンティティの支えであったか
らである。
〈家族〉は、まさにそうした使命を展開する物語の舞台として啓
蒙の児童書に共通の枠を与えた。そして、この舞台の中心に位置するのが
父なのである。子どもたちは折に触れて様々な見聞をし、父を囲んで感じ
たこと考えたことを語り合い、父に導かれながら後継世代として必要な知
見や判断をひとつひとつ身につける。ライナー・ヴィルトは、そのような
〈父〉の姿と役割を、 1 )知識の仲介者
2 )正しい思考の仲介者
3 )正
しい行動の仲介者、として特徴付けている 。こうした父のクローズ・アッ
14)
プ化は、形成途上という当時の市民社会の状態と父性の本質とが相俟った
ゆえの現象と考えられる。「〈父性〉とは、男が生まれつき備えている属性
ではなく、何かに打ち勝って獲得するもの。だからこそ、それは子どもに
ルールや行動規範といった〈社会的〉な役割を教える存在となる」15)とは、
ある現代作家の慧眼である。
「打ち勝って獲得する」自己形成が市民階級の
エマンツィパツィオンという大枠と同心円的に重なった時代ゆえに、〈父〉
像を優先的価値観として受け入れる素地が生じたのである。そして、個人
的な父の姿の背後には社会の合意としての〈父〉が控え、内在化した規範=
超自我として現実のひとりの父の言動を超えて社会の潜在的な命令規範と
なって働くことになる。
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ザルツマン自身、シュネッペンタールに創設した学校では、自分を〈お
とうさん〉と呼びかけさせていたという。この背景を前にしたとき、「母」
を「父」に代えることは、自覚の有無は別として、いや自覚がなかったら
なお一層、
「蟹」と「ザリガニ」の場合よりも大きく時代の言説=啓蒙の綱
領の干渉を受けている証しではなかろうか。その意味で、この入れ替えに
は、その内容にも増してこの書における啓蒙の刻印を明確に見て取ること
ができるのではないだろうか。
(この稿続く)
註
1 )このタイトルの訳語は村井実による。初版は、Anweisung zu einer zwar nicht
vernunftigen, aber doch modischen Erziehung der Kinder. Erfurt 1780. 第二版
は、Anweisung zu einer unvernünftigen Erziehung der Kinder. Neue umgearbeitete und vermehrte Auflage. Frankfurt und Leipzig 1789.
2 )拙著「18世紀ドイツの子どもの本¼ ――クリスティアン・ゴットヒルフ・ザ
ルツマン『かにの本』――」日本幼稚園協会『幼児の教育』第104巻第 9 号
2005年、25−6 頁。
3 )ザルツマン原著・村井実訳著『かにの本 子どもを悪くする手びき』あすな
ろ書房 1997年(第23刷)
4 )岩波文庫『イソップ寓話集』山本光雄訳 1995年第68刷(1942年初版、1974
年第30刷改版)、123頁。底本は、 É sope fables, texte etabli et par É mil
Chambry, Paris 1927.
5 )アリストパネス「平和」第1083詩行、(高津春繁訳『ギリシア喜劇全集』¿
所収)人文書院 昭和36年初版(51年重版)、412頁。
6 )Salzmann, Christian Gotthilf: Krebsb ü chlein oder Anweisung zu einer
unvernünftigen Erziehung der Kinder. Dritte rechtmäßige, umgearbeitete, vermehrte und verbesserte Auflage. Erfurt 1792, S.VIIIf. 前掲のあすなろ書房版で
は、7 頁。訳文は、同書の村井実による。
7 )Aesop’
s Fabels. Transrated with an Introduction and Notes by Laura Gibbs
(Oxford World’
s Classics).Oxford University Press 2002, p. 174.
8 )Campe, Joachim Heinrich: Wörterbuch der Deutschen Sprache. Zweiter Teil.
Braunschweig 1808(Nachdruck 1969)
, S.1042(Krebs)und S.1025(Krabbe).
9 )Adelung, Johann Christoph: Grammatisch-kritisches Wö rterbuch der
Hochdeutschen Mundart mit best ä ndiger Vergleichung der ü brigen
Mundarten, besonders aber der Oberdeutschen. Zweite vermehrte und
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verbesserte Ausgabe. Zweiter Teil. Leipzig 1796(Nachdruck 1990), S.1736
(Krabbe)und S.1764(Krebs).
10)「ザリガニ」の形象で描かれた例としてはアルブレヒト・デューラーの「天
球図」
(1515頃)
、一方の「蟹」の形象で描かれた例としてはランブール兄弟
による「ベリー公のいとも華麗なる時祷書」
(1412−4 )などを参照のこと。
11)Salzmann, Christian Gotthilf(Hrsg.): Der Bote aus Thüringen. 1788年から
1816年にかけてSchnepfenthalで刊行された民衆啓蒙のための週刊新聞。記事
の大半はザルツマン自身の筆による。
12)Salzmann, Christian Gotthilf: Krebsb ü chlein oder Anweisung zu einer
unvernünftigen Erziehung der Kinder. Mit Einleitung und Anmerkungen von
Ernst Schreck. o. J. Leipzig(Reclams Universal Bibliothek Nr. 3251, 3252),
S.4f.
13)註 3 )の書の扉。図版参照のこと。
14)Wild, Reiner(Hrsg.): Geschichte der deutschen Kinder- und Jugendliteratur.
Stuttgart 1990, S. 69.
15)中村うさぎ『壊れたおねえさんは、好きですか』文春文庫 2007年、45頁。
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《1792年刊行の第三版扉絵》
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