産業と技術の歴史 第10回 コンピュータの発明 2009年6月26日 国際環境経営学部 大谷卓史 目次 前回課題について コンピュータの発明 本日の課題 前回課題について バベッジの解析機関および、ハーバード・マ ークIは、現代のコンピュータとどこが違うだろ うか?前回までのノートを参考にして、あなた の意見を書いてみよう。 ヒント:現代のコンピュータは次の特徴がある。 二進数の採用 プログラム内蔵方式 逐次処理 条件分岐とループによるプログラミング 前回課題について 現代のコンピュータは、①数の内部表現への二進数の採用、②プログラ ム内蔵方式、③逐次処理の3点の特徴がある。また、プログラミングには 、ループと条件分岐が必須である。 バベッジの解析機関は、歯車機構を基本とした機械式計算機だったもの の、演算を行うミル(mill)と計算の途中結果を記憶するストア(store)か ら構成されていた。演算部と記憶部が分離していることは、現代のコンピ ュータに類似している。また、ループと条件分岐の基本的な制御が組み 込まれていた点は、現代のプログラミングを予見するものだった。それゆ えに、解析機関は現代のコンピュータの原型であると呼ばれることも多い 。 しかしながら、解析機関は数を10進数によって表現していたうえ、計算や 命令の手順を記憶する機能は想定されていなかったので、現代のコンピ ュータとは大きくアーキテクチャが異なる。なお、解析機関の桁上げ予測 機構に近い計算結果を予測して計算を実行する手法は、現代のコンピュ ータにも存在する(たとえば、投機・・)。 前回課題について 一方、エイケンのハーバード・マークIは、継電器を使用する電気機械式 計算機で、紙テープによって与えられた一連の命令によって自動計算を はじめて大規模に実装した点で重要である。 しかしながら、10進数による内部表現に加えて、紙テープによる命令は 内部に記憶されることはなかった。また、プログラミングにおいては、紙テ ープを物理的にループさせることで同じ命令を繰り返すループの概念は あったものの、条件分岐はできなかった。この点で、バベッジのコンピュ ータよりも後退していたと評価することもできるだろう。 コンピュータの発明 アタナソフとベリーの計算機 ENIAC フォン・ノイマンとEDVAC報告書 誰がコンピュータを発明したのか? アタナソフとベリーの計算機 ジョン・アタナソフ(1903-1995) 物理学者。 1930年代、アイオワ州立大学物理学・数学講師。 1939年、デジタル自動計算機を完成。 1942年∼1945年 戦時研究に従事。 1952年∼ 技術企業を経営。 1960年代、スペリーランドvsハネウェル裁判で脚光。 アタナソフとベリーの計算機 開発の経緯 1930年代半ば、アタナソフ、連立一次方程式を解ける自動 計算機を構想。 最初はアナログ計算機を計画。その後、多数の変数をもつ大規模な 方程式を高速に解くため、電子工学の利用を着想。 大学院生のクリフォード・ベリーを助手として作業を開始。 1937年、アタナソフ、真空管を使うデジタル自動計算機の構 想をまとめる。 ある夜計算機のことを考えながらイリノイ州までドライブ。道路わきの 食堂で酒を頼んで、真空管を使うデジタル自動計算機に関する考え をまとめたと伝えられる。 1939年終わり、アタナソフ、計算機のプロトタイプを完成。 アタナソフとベリーの計算機 基本仕様とアーキテクチャ 演算部と記憶部の分離。 演算基本回路:真空管を素子とする論理回路。 加算器の仕様:30ビットの2進計算。 記憶部の仕様:コンデンサを円周上に配置、ブラシでデータ の読み書きを実行。電荷として変数の計数や計算の途中結 果を記憶。ジョギング操作。 ジョギング:時間が経過してコンデンサの電荷が少なくなるともう一度 書き込みを行う操作のこと。 加算と減算だけで実行できるガウスの消去法によって、一次 連立方程式を解く。 アタナソフとベリーの計算機 モークリとの出会い ジョン・モークリ(1907-1980) 物理学者。 1933-1941年 アーシナス大学物 理学教授。 当時、太陽活動の天候への影響 をデジタル計算機で解析すること に関心。 1941年、アタナソフを訪問。 1941年、ペンシルヴァニア大学へ 移動。 1942-1946年 ENIAC開発。 1944-1946年 EDVAC開発。 1946年 コンピュータ企業をエッ カートとともに設立。 ENIACのプリントアウトを調べるモークリ(右)と エッカート。1946年の新聞記事より。 写真は米国政府によるもの。 アタナソフとベリーの計算機 モークリとの出会い 1940年12月、アタナソフ、米国科学振興協会 (AAAS)の会合で、モークリと邂逅。 モークリ、太陽活動が天候に及ぼす影響を調査するため 、真空管かネオン管を使用するデジタル計算機を構想。 しかし、電気工学の知識がないため、自力で真空管回路 を組み立てることができなかった。 1941年6月、モークリ、アタナソフを訪問し、 計算機を見学。 アタナソフに執拗に質問(アタナソフの妻は悪印象)、いっ しょに計算機の保守作業や操作を実施、デジタル回路に 関する知見を得たと考えられる。 アタナソフとベリーの計算機 開発の終焉 1942年、アタナソフは計算機研究を中断→ 機械は試作機のまま。 アタナソフ、海軍に召集され、戦時研究のために ワシントンに向かう。 ベリー、就職してカリフォルニア州に移転。 アタナソフとモークリとの交流はその後も継続 。アタナソフ自身は計算機研究への関心を持 続させる。 コンピュータの発明 アタナソフとベリーの計算機 ENIAC フォン・ノイマンとEDVAC報告書 誰がコンピュータを発明したのか? ENIAC 開発の経緯(1) 1941年夏、モークリ、ペンシルバニア大学ムーア・ スクールの夏季講習を受講。その後、同校に就職。 戦争に備えて、物理学者・数学者を技術者として育成す るプログラム(ESMWT)。すでに、欧州では戦争が開始。 米国陸軍弾道研究所(BRL)、ムーアスクールの微分解 析機を使用して、弾道表整備を実施。 電気工学者プレスパート・エッカート(1919-1995)との交 友開始。 同じころ、ムーア・スクール、弾道計算のための人間コン ピュータの訓練を実施。 1941年12月、米国、第二次世界大戦に参戦。 ENIAC プレスパート・エッカート(1919-1995) 1942-1946年 ENIAC開発 ENIACの設計・製作を実質的に担当。 複雑で巨大なシステムを構築するため、さまざまな技 術的工夫を案出。 「コンピュータ時代のブルネル」(キャンベル=ケリー、 アスプレイ) 1944-1946年 EDVAC開発 技術的中心。 1946年、モークリとともにコンピュータ企業を設立 。 ENIAC 開発の経緯(2) 1942年8月、モークリ、「高速真空管装置の計算へ の利用」というメモを作成。 弾道表作成には膨大な計算が必要。ムーア・スクールで は200名の人間コンピュータを雇用。 弾道計算を効率化するため、真空管によるデジタル計算 機構想の概略を整理。 1943年4月、モークリとエッカート、「電子差分解析 機」の企画書を陸軍に提出。 BRLが採用、「プロジェクトPX」と名づける。 1944年、「解析機の基本設計が完了。 自動計算機の名前は、ENIAC(電子自動数値統合・計算 機)に変更。 ENIAC アーキテクチャと基本仕様 重量:約27トン 大きさ:2.6m×0.9m×26m アーキテクチャ:多数の微分解析機の並列接続。 素子:約1万8000本の真空管。 基本回路:カウンタ(累算器)。演算部と記憶部の一 体化。 計算はソロバンのように実行。 プログラム:配線の物理的組み替え。 内部の数値表現:10進数。 ENIAC ENIACに数値を入力するゴールドスタイン大 尉(後述)。 ENIAC 開発の経緯(3) 1945年11月、ENIAC完成。 当初目的の弾道計算に加えて、水爆の設計など にも利用。 ENIACは、最初のプログラム可能な汎用デジタ ル電子計算機。 ENIACを汎用デジタル計算機にするアイデア は、数学者フォン・ノイマンによるもの。 コンピュータの発明 アタナソフとベリーの計算機 ENIAC フォン・ノイマンとEDVAC報告書 誰がコンピュータを発明したのか? フォン・ノイマンとEDVAC報告書 ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957) ハンガリー出身の天才数学者・科学者。 量子力学の数学的基礎、コンピュータ開発、ゲー ム理論などの研究で知られる。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 フォン・ノイマンとENIACの出会い 1944年初夏、ハーマン・H.ゴールドスタイン 大尉、アバディーン駅でフォン・ノイマンと邂逅 。 メリーランド州アバディーン駅は、BRLの最寄駅。 ゴールドスタインは、BRL所属、ENIAC計画を採 用した技術将校。 当時、フォン・ノイマンはマンハッタン計画の顧問 。原爆の爆縮に必要な複雑な計算を実行する計 算機を探していた。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 ENIACからEDVACへ 1944年8月、フォン・ノイマン、ENIACを見学。 フォン・ノイマン、ENIACの論理設計の問題を指 摘。 ① ② ③ 複雑な偏微分方程式を解くには記憶容量が不足。 10進数を採用するために記憶容量の割には回路が複雑で真 空管の本数が多過ぎる。 配線を変えなければならないのでプログラムをやり直すのにき わめて時間がかかる。 フォン・ノイマン、ENIACグループの顧問に就 任。「プロジェクトPY」開始。 後継計算機は、EDVAC(電子離散可変自動コン ピュータ)と呼ばれる。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 EDVACの開発 記憶容量不足への対応→水銀遅延線の採用。 水銀遅延線:水銀を満たした水槽。音響パルスで数字を表現。 音は5フィートの水槽を往約1ミリ秒かけて往復。 1パルスを1マイクロ秒とすれば、約1ミリ秒の遅れを使って1000個の 水銀遅延線の採用や、仕様を現 数字を記憶可能。 実的なものにするなど、EDVAC 複雑すぎる回路への対応→2進数の採用 開発には、エッカートの貢献がき 真空管の本数を削減。故障リスクを低減。 わめて大きい。 プログラムの効率化→プログラム内蔵方式の採用。 基本回路に論理回路を採用。 演算部と記憶部を分離。 記憶部にプログラムも格納し、必要に応じて記憶したプログラムを書 き換える。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 EDVAC報告書(1) 1945年6月30日、フォン・ノイマン、「EDVACに関す る報告書第一草稿」(EDVAC報告書)を作成。 ENIACグループ24名に回覧。 著者名は、フォン・ノイマンのみ。 アーキテクチャ説明のために、コンピュータの内部命令と 、内部命令を使ったソートとマージのプログラムも掲載(フ ォン・ノイマンの作成したもの) フォン・ノイマンとEDVAC報告書 EDVAC報告書(2) EDVAC報告書、グループメンバーから外部へと公 開→EDVAC報告書に記述されたコンピュータは、「 フォン・ノイマン型コンピュータ」と称される。 フォン・ノイマンの論理的・理論的説明が、現代のコンピュ ータの原理を明確化。 報告書の著者名がフォン・ノイマンのみ。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 現代のコンピュータの誕生(1) 1946年2月16日、ENIAC外部に公開。 1946年7月8日∼8月31日、ムーア・スクール ・レクチャー実施。 講師は、モークリ、エッカート、ゴールドスタイン、 バークスなどのENIAC開発者に加えて、フォン・ ノイマン、エイケンが担当。 受講者は、米国内外の若い科学者・技術者。 EDVACは当初機密扱いだったため、講義の主 要内容はENIACに関するもの。講習終わり近く になって機密解除となり、資料を投射して説明。 資料は受講者が作成したノートのみ。 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 現代のコンピュータの誕生(2) 1948年6月21日、マンチェスター大学、最初 のプログラム内蔵方式コンピュータを完成。 戦時中暗号解読機研究を行っていたマックス・ニ ューマンが指導。 F.C. ウィリアムズ、ブラウン管(CRT)の記憶装置 を発案。 「マンチェスター・ベイビー・コンピュータ」 フォン・ノイマンとEDVAC報告書 現代のコンピュータの誕生(2) 1949年5月6日、ケンブリッジ大学、EDSAC を完成。最初のプログラムを読み込む。 モーリス・ウィルクス、1946年夏、ムーア・スクールレクチ ャーに参加。ウィルスクスは戦時中レーダー研究に従事。 1946年10月、ケンブリッジに帰還。大学の補助金を受け てコンピュータ開発を開始。 CRTではなく水銀遅延線を記憶装置に採用→EDSAC( 電子遅延線自動計算機) 1947年2月までに、水銀遅延線を完成。 1949年春、ほぼEDSACを完成。 EDSACの仕様:3000本の真空管、32個の水銀遅延線、 テレタイプ装置による入出力、消費電力30kW。 コンピュータの発明 アタナソフとベリーの計算機 ENIAC フォン・ノイマンとEDVAC報告書 誰がコンピュータを発明したのか? 誰がコンピュータを 発明したのか? アタナソフ説 モークリはアタナソフのアイデアを奪ったに過ぎ ない・・・バークス夫妻、モレンホフの説。 1960年代、スペリーランドvsハネウェル裁判 →ENIAC特許を無効と判断。 エッカート、モークリ説 アタナソフの計算機のENIACへの影響は一部に すぎない・・・セルージの説。 ENIAC裁判は先取権を争うものではない。ABC という名称は裁判を有利に運ぶために案出され た・・・マッカートニー説。 誰がコンピュータを 発明したのか? アタナソフの計算機は、ENIACよりも確かに 先進的な面があった。 実用的な真空管回路の採用。 演算部と記憶部の分離。 2進数の採用。 しかし、モークリー、エッカート、フォン・ノイマ ンが現代のコンピュータの発明者である。 用途を限定しない汎用計算機(フォン・ノイマン)。 プログラム内蔵方式(モークリ、エッカート、フォン ・ノイマン)の思想。 ENIACからEDVACへ 簡単なまとめ ENIACの改良によって、EDVACの構想が誕生。 EDVAC構想の起源 真空管によるデジタル回路・・・アタナソフの計算機に由 来。 2進数によるデジタル論理回路による演算・・・クロード・シ ャノン(1916-2001)の1930年代の研究。 プログラム内蔵式・・・モークリとエッカート、フォン・ノイマ ンら。 水銀遅延線と音響パルス・・・戦時中レーダー研究の中で 発展→逐次処理。 本日の課題 次の2つの質問に答えてください。 ENIACのどのような問題点を改良する中で、現 代のコンピュータ(フォン・ノイマン型コンピュータ) の特徴が生まれたか説明しなさい。 なぜモークリとエッカート、フォン・ノイマンが現代 のコンピュータの発明者であるといえるのか説明 しなさい。また、それにもかかわらず、なぜ「フォン ・ノイマン型コンピュータ」と呼ばれるようになった かをあわせて説明しなさい。
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