イギリス科ニューズレター No. 12 / April 2006 東京大学教養学部地域文化研究学科イギリス分科 〒1 5 3 -8 9 0 2 東京都目黒区駒場 3 -8 -1 (9 号館 3 2 3 号室) T e l /F a x 0 3 - 5 4 5 4 - 6 3 0 4 ( イ ギ リ ス 科 研 究 室 直 通 ) E - M a i l : br i t i s h @a s k . c . u - t o k y o . a c . j p H o m e P a ge : h t t p: //B r i t i s h - S e c t i o n . c . u - t o k y o . a c . j p 主 任 挨 拶 ― 三つのなぜ? ― 安西信一 この度、伝統あるイギリス科の 「主任」 なるものに 就任 して し ま い ました 。 なぜ 、 私 のような 研究者と しても 、 教育者 としてもうだ つ が 上 がらず 、 行政手腕 も 教養 もない 者が 主任 なのかと 、 訝 しがられる 方 も多 いでしょう 。 他 ならぬ 私自身、 最 も 疑問 に 感 じています 。 直接 の理由は 単純 です 。 他 のもっと 適当 な先生方 が 、 忙 しすぎるからです 。 駒場( だ けではないでしょうが ) の 教 育 研 究 環境は、一見よくなっているようで、 実 は 大変窮屈 になっています 。 予 算 縮小、 事務方 や 助手 の 人員削減、 そ れに 伴 う 雑事 の 激増、 授業や業績の (近視眼的)評価、 いわ ゆ る 学 生 の 学力低下 と 学生指導 の 重圧、 競争 的 外部資金 の 獲得(加 えて 今年 は イギ リス 科 の 場合引越 し )等々。 環境を 呪 うのは 自 らの 非力 を 際立たせるだ けでしょうが、それにしても忙しい。 そんな 中、 いかにも 間抜 け 面 の私に 白羽の矢が立ったわけです。 ではそもそもなぜ 、 私 は イギリ ス 科 にいるのでしょうか 。 私 は 美学 出 身 で 、 必 ずしも イギリス が専門でな く、英語に至ってはズブの素人です。 そんな 私 が イギリス を 研究 している 直接 の 理由 も 、 或 る意味単純です。 要 するに 偶然 です 。 私 は大学に入る 頃 から 、 庭園 や 環境が、 美学の中で まともに 取 り 上 げられないのが ず っ と 不満 でした 。 そこで 当時 ほとんど 未開 の 分野 だった 、 庭園 の美学のよ うなものを 考 えてみたいと 思 い 始 め た 。 けれどもこの 分野 の 文献 はほと んどなく 、 辛 うじて 見 つけた ドイツ の ヒルシュフェルト という 美 学 者 の 庭園論 は 、 実 は イギリス の受け売り とわかりました 。 そして 調 べて ゆ く うち 、 「 ガ ー デニング 」の国イギリ ス には 、 哲学的 な 庭園美学 とはいえ ないまでも 、 その 萌芽 のような 文 献 が 多数 あることを 知 りました 。 そこ で 偶々、 イギリス を 研究 するよう に なったのです。 とはいえ 、 環境 や 偶然 のせいにせ よ主任になった以上、私には次のもっ と 根本的 な 「 なぜ 」 に答える義務が 生 じてきたように 思 います ―― 自 ら にも 、 他者 にも 。 「なぜ今、 わざわ ざ日本でイギリスを研究するのか」、 という 疑問 です 。 これだけ 学問 の国 際的 な バリア ー が 低くなり、 留学も 容易 になっている 今日、 イギ リ ス 自 体 を 研究 したいなら 、 イギリス に行 く 方 がはるかに 手 っ 取 り早いでしょ う 。 我国 には 昔 から、 イギリスの暮 らしや文物を紹介する「イギリス物」 という ジャンル の 書物 があり 、 ブー ム の 波 はあるものの 、 いまだ 一定の 人気 を 誇 っています 。 しかしその 手 の 薀蓄 を 得 たいなら 、 わざわざ日本 で 「研究」 する 必要 などなく 、 イギ リス で 暮 らすだけで 十分、 否、 ずっ と 効果的 ではないか 。 実際、 近年 の イギリス 物 の 著者 は 研究者 とは限ら ず 、主婦だったり、(元)OL だった りします ( むろん 彼女 らを 蔑 みたい のではありませんが)。 なるほどこの 「 なぜ 」 には、 様々 な 答 えが 思 いつきます 。 私の場合な ら 、 イギリス 自体 は 目的 ではなく、 庭園美学 を 構築 する 手段 にすぎな い のだから 、 日本 で 研究 することに も 一定 の 意味 があるとか (因 みに 白状 すると 、 私 は イギリス の 庭よりも、 日本の庭の方が圧倒的に好きです)。 また 一般 には 、 完全 に イギリスの大 学 に 留学 してしまうには 様々 な 障害 があるとか 。 イギリス 以外 のこ と を 十分学 びつつ イギリス を 学 ぶには 、 日本 にいるのが 効率的 だとか 。 母 国 語 での 思考 や 討論 の方が、 いっそう 深 く 批判的 だとか 。 イギリス に埋没 せず 、 日本 で 距離 を置き、 批判と比 較 の 視点 を 確保 しておく 方がよいと か 。 しかも 日本 には 、 ユニークで重 要なイギリス研究の伝統がある等々。 しかし 少 なくとも 私 には、 どうし ても 違和感 が 残 ってしまう 。 それは もしかすると 、 イギリス を 含 む 西欧 に 対 する 、 近代日本 の コンプレック ス への 違和感 かもしれません 。 或 い はもっと 直裁 に 、 西洋中心主義 の イ デオロギ ー への 違和感 という 方 がい いでしょうか 。 さらに 私 の 場合、 イ ギリス 科 の 長 く 栄 えある伝統の重み に 耐 えかね 、 そこから 逃避 したいと いう 心理 が 、 違和感 として 発現して いるのかもしれません 。 た だ 、 や け くそついでに 開 き 直 ってしまう と 、 この 「 なぜ 」 の 答 えを探し続けるこ とは 、 イギリス 科 に 属する者の、 永 遠の課題ではないかとも思うのです。 この 疑問 を 、 制度的 な 問題として片 付 けることは 容易 でしょう 。 たと え ば 私 の 場合、 日本 にいなければ、 イ ギリス に 関 する 知識 の 落差という文 化資本 を 元手 に 、 糊口 を凌ぐのが難 しいとか 。 しかしそれでは 実 も ふ た もない 。 日本 で イギリス を 研究する という 、 相当 に 不条理 な 場に身を置 いてしまった 以上、 その 不条 理 を 糧 に 生 きる 。 これが 目下、 私の提出で きる 唯一 もっともらしい 答 えで す 。 とはいえさらに 、 なぜそれ が も っ と もらしいのかと 問 われれば 、 不 条 理 にも 主任 になってしまった 私 に は そ んな 答 えがふさわしいとい う 、 擬 似 的な条理を持ち出す他はなく、結局、 最初 の 「 なぜ 」 へと 悪循環してしま うのですが。 映画の「ユートピア」から ― ニュージーランド映画の現在 ― 中尾まさみ 去 る5月 12∼ 14 日、 東京六本木 で 日本 では 初 の 「 ニュージーランド 映画祭」 が 開催 された 。 ニュ ージー ランド 映画 が 日本 で 上映 されるチャ ンス は 、 まだまだ 限 られている。 比 較的話題 になったのは 、 「 ピア ノ ・ レッスン 」 と 「 クジラ の 島の少女」 くらいだろうか 。 だが 、 前者 は 厳密 には オ ー ストラリア 映画 だし、 後者 も ドイツ との 共同製作 で 、 先日立ち 寄 った レンタル ・ ビデオ ・ ショップ では 、 「 ヨ ー ロッパ その他」と分類 されていた。 とは 言 っても 、 私たちは、 ニュー ジ ー ランド の 映画人 たちには 予想以 上 に 出会 っている 。 例えば、 「ジュ ラシック・パーク」のサム・ニール、 「グラディエーター」や「ビューティ フル ・ マインド 」 の ラッセル・ クロ ウ はいずれも ニュ ー ジ ー ランド出身 の 俳優 だし 、 「ロード・ オブ・ ザ・ リング 」「 キング ・ コング 」 のピー タ ー ・ ジャクソン 監督 は、 今やもっ とも 有名 な ニュ ー ジ ーランド人の一 人 だろう 。 映画界 の 才能が、 こうし て ハリウッド へと 流出 すること は 、 自国 の 映画産業 の 貧困 を 物語ると嘆 くべきなのかも知れない。実際、ニュー ジ ー ランド の 映画館 で 上映される映 画 の 多 くは ハリウッド 製だし、 そう した 映画 を 見 て 育 った俳優や監督志 望 の 若者 が 、 彼地 を目指すのも不思 議 はない。俳優養成の学校には、 「 アメリカ 英語」 という 科目 が 設け られている。 またここ 数年 の 、 ロケ 地としての ニュ ー ジ ー ランド の人気は、 目を瞠 るものがある 。 しかも 驚 くべき こ と は 、 それがありとあらゆる 場 所 に 姿 を 変 えるということだ 。 「 ロ ード・ オブ ・ ザ ・ リング 」の中つ国、 ナル ニアや「キング・コング」のスカル・ アイランド のような ファン タ ジ ー の 舞台もさることながら、シルヴィア・ プラス と テッド ・ ヒュ ー ズの結婚生 活 を 描 いた 「 シルヴィア 」でダニー ディンのオタゴ大学は 50 年代のハー バ ー ド 大学 に変身し、 「ラスト・ サ ムライ 」 に 至 っては 、 タラナキ山を 富士 にみたてて 明治 の 日本 を 出現さ せている 。 ロケ に 行 けない 場所は、 ファンタジ ー 空間 ばかりでは な い 。 150 年前 の 日本 の風景を、 今の日本 で 実際 に 撮影 するのは 至難 の業だろ う。本物より本物らしい風景。ニュー ジ ー ランド は 、 いわば 映画の中にの み 存在 する ユ ー トピア (=どこでも ない土地)を提供しているのだ。 そのことは 、 実 は ニュ ージーラン ド 映画人 の 海外流出 と 関係 がある。 ピ ー タ ー ・ ジャクソン 監督のみなら ず 、 「 シルヴィア 」 の クリスティー ン ・ ジェフス 監督 も ニュ ージーラン ド 人 であり 、 「 ラスト・ サムライ」 の 製作 にも ニュ ー ジ ーランドを代表 する監督の一人、ヴィンセント・ウォー ド が 入 っているのだ 。 海外 で映画の 作 り 手 となった ニュ ー ジーランド人 が 、 自国 の 風景 を 透明化してそれら の 映画 に 忍 び 込 ませているというわ けだ。 こうして 海外 を 経由 することで 力 をつけた ニュ ー ジ ー ランド 映画人が ロケ を 積極的 に 自国 に招致し、 それ に 伴 って 特撮技術 の 提供 などにも評 価 を 得 るようになって 、 ニュ ージー ランド 映画界 はかつてない 勢 い を 手 にした 。 映画祭 の 開催 も、 そのひと つの 表 れである 。 と 同時に、 彼らは 今、 ある 岐路 に 立 たされているよ う に 見 える 。 つまり 、 自国をいかに描 いてゆくか 、 というその 方法 に つ い てである。 映画祭の目玉商品「リバー・クイー ン 」は、美しい自然を背景に、19 世 紀半 ばの マオリ と イギリス 軍 の抗争 を 壮大 に 描 いたが 、 そこには明らか に ハリウッド 映画 の 文法 と、 海外の 市場 に 向 けた 分 かりやすさと 独自性 ( エキゾティシズム と 言 っては 言 い 過 ぎか ) を 旨 として 再構築された自 国のイメージ(「本物」のニュージー ランド ) の 発信 が 意図 されているよ うに感じられた。 一方、 フィジ ー からの 移民三世 代 の 心情 を大家族の一日に集約した 「No. 2」や、繊細な心理描写で小さ な 町 の 閉塞的 な 空気 を肌に感じさせ た「父の私室で」は、等身大のニュー ジーランドの姿を凝視しようとする、 この 国本来 の 映画 の 成熟 を示してい たように 思 う。 もっとも「No.2」の 主役、フィジー人の家長のおばあちゃ んをみごとに 演 じたのは 、 ハリ ウ ッ ド からやってきた アフリカ 系 ア メ リ カ 人 の ベテラン 女優 ルビー・ ディー だったのだが。 イギリス科研究室移転のお知らせ 去る 3 月末、イギリス科研究室は、 従来 の 8 号館 317 号室から、 9 号館 の 320 & 323 号室(ふた部屋)に、 一時的に移転致しました。これは、8 号館の改修工事に伴う仮住まいです。 来年 の 3 月 には 、 再び 8 号館に戻る 予定となっております。 11 月のホームカミングデイご参加 の 折 には 是非、 この 今年度限定 のイ ギリス 科研究室(仮) にお 越 し く だ さい。 訃報 イギリス科 15 期生 (1967 年 3 月 卒業) の 岩崎慧蔵 さん が 、 2005 年 1月6日、 脳髄膜炎 により 逝 去 さ れ ました。 戒 名 :賢光院慧月良智居士 菩提寺:栃木県藤岡町 曹洞宗 繁桂寺 (はんけいじ Tel / Fax 0282-62-2139) お 寺 へのお 墓参 りは 自由にできま すが 、 ご 遺族 への 弔問 や電話などは お 控 えください ( ご 遺族 のご意思で す)。 イギリス科遠足!! 6 月 25 日(日)、イギリス科の皆 で遠足に行きましょう!! 今回 のイギリス科分科旅行は、 24 ∼ 25 日の一泊で、三浦海岸で行われ ますが 、その流れで、25 日の日曜日 に 、 城 ケ 島∼油壷 の 小遠足を計画し ております 。 ご 参加 の 方は、 お手数 です が [email protected] までご 一報下 さい 。 詳細 をご 連絡致 します。 2006 年度イギリス科カレンダー 5 月 進学ガイダンス 6 月 第 1 回卒論中間発表会(24 日) 分科旅行(24∼25 日) 卒論題目提出(30 日) 10 月 進学ガイダンス 博論題目届提出(12-20 日)* 11 月 ホームカミングデイ 第 2 回卒論中間発表会 内定生歓迎会 修論題目届提出(8-16 日) 博論提出(17-30 日)* 卒論最終題目提出(30 日) 12 月 修論提出(13-21 日) 1 月 卒論提出(16 日 15 時締切) 1 月末∼2 月初 卒論最終発表会 3 月 卒業式・卒業パーティ *在学 3 年以内の提出者にのみ適用。 それ以外は随時受付。
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