13 第二章 通過儀礼―婚礼― 本章では、通過儀礼のうち、筆者が江蘇省

第二章
通過儀礼―婚礼―
本章では、
通過儀礼のうち、
筆者が江蘇省で調査を行うことができた婚礼についてみる。
1、婚礼の展開
本節では、華北の3地域の婚礼がどのように展開されるかという過程をみて、伝統期と
現代の民俗の比較や、都市と農村の民俗比較、そして伝統期・計画経済期・市場経済期と
いう時代の違いにも着目し、考察を行う。
なお、ここでは陝西の事例として、2010 年に行われた農民の婚礼を取り上げる項がある
が、ここでこの事例に登場する人物を簡単に説明する。
ハオさん…永強さんの父。当時 44 歳。農業を営みながら、村長を務めていた。
永強さん…ハオさんの長男。当時 25 歳。20 歳の頃は出稼ぎをしていたが、その後父親
の跡を継いで農業を営むこととなった。
劉さん…永強さんと結婚する花嫁。永強さんと同い年で、20km程離れた違う村出身。
以上を踏まえ、内容を見ていく。
1)縁組まで
①縁談の相談
陝西・永強さんと劉佳さんの事例
縁談をすすめるには媒酌人が不可欠である。通常は、男性の側から媒酌人に依頼して結
婚相手を探してもらうのが一般的だが、年齢やその他の家庭事情などで、女性の方から積
極的に結婚相手を探してもらいたいというケースも少なくない。
“ 地下无水不成河,天下
无媒不成亲”すなわち「媒酌人がいないと、女性の方は絶対に見合いをしない」という諺
があるように、農村地域では男性側から申し込むのが現在でも一般的であるが、都市部で
はこのような慣習は徐々に守られなくなっている。
②縁談の申し込み
人柄の良さ、家の素性、それぞれの家庭内にわきが臭など遺伝性のある要素がないかな
どの諸条件を全て満たすと、正式な縁談の依頼にすすむ。
まず男女双方がスナップ写真を数枚用意し、写真をみて判断した後に交際の意思を相手
に伝える。双方とも交際の意思がある場合は、媒酌人に伝えて男性方が見合いをセッティ
ングし、交際がスタートする。
陝北地方の慣習では、見合いに行く際に、数十元(日本円で 10 元は約 160 円)の礼金を
男性側が持っていく。女性側に交際の意思がある場合はそのお金を受け取るが、その意思
がなければ受け取らない。これがこの地域の一般的な慣習である。しかし、永強さんの見
合いは正式な見合いのプロセスを経ることなく、略式で交際が始まった。永強さんと同じ
く北宋塔村に住んでいる友人の奥さんの故郷であり、20km ほど離れた大庄河村の劉佳さん
を紹介してもらった。同村の友人や後の媒酌人を通して家庭事情と本人の条件を相手に伝
えてもらい、劉佳さんが北宋塔村に遊びに行った時に二人が直接面会した。双方とも積極
的な交際の意思があったため、出会った後に媒酌人を正式に依頼した。ある村人は、本来
なら慣習通りに媒酌人を同行させて女性の家を訪ねる必要があると述べた。それは、直接
訪問して女性の方の容貌を確認することが重要であり、女性方の家族も男性の容貌を確認
し、さらに話の内容と言葉遣いで男性の性格や社交能力を確かめるためである。
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この地方の慣習では、女性の方に交際の意思があると、男性に麺類を食べさせる。これ
は麺類がまっすぐで滑らかな形をしていることから、これから順調に事がすすむようにと
いう願いがある。また逆の場合はゆでたまごを食べさせる。これは「どけ、拒否する」と
いう意味である。たまごが円形をしていることから、ボールのように蹴るイメージから来
たものらしい。しかし近年の見合いでは基本的に麺類を食べさせるようだ。
③新郎家の家風確認・縁談の受け入れ
伝統期の北京においては、縁談が進むと花嫁の家族がそろって相手の家を見に来て、新
郎家の家風を確認する。新郎が独立の居を構えず、大家族の一員として生活する過去の社
会にあっては、これは重要なしきたりだった。次に花嫁の家から、娘を引き合わせたいと
招待するが、これは盛り場や劇場などで行うこともある。これが済むと、固めの印として
記念品を赤い袱紗に包んで、新郎の家から先方に届ける。これは指輪や金銀で作った如意
のひな型を巾着に入れたりして贈る。この儀式を「小定(xiaoding)」という。贈り物は破
ることのできない約束を象徴するもので、後に花嫁の嫁入り道具とともに、花婿の家に返
すことになっている。
一方、陝西においても、縁談の申し込み後、女性方の家庭内部で話し合いをして、娘を
嫁せるかどうかを決める。積極的な結論が出た場合、媒酌人の紹介によって男性の父親が
女性方の家族を訪問し、親同士が挨拶する。この時、花嫁の欲しいものなどを聞いておく。
また、訪問時に女性方の出す条件を聞き、その後家族で相談し、2週間ほど後に再び訪問
して会食し、相談の結果を伝える。この式は現地では「言彩礼」と言われる。永強さんの
場合完全に略式で行われ、2つをまとめて一回で済ませた。ハオさんは後に、一回で千元
以上(日本円で約 16000 円)かかるため、節約できるように略式で済ませたかったという
本音を語った。
④結納・結婚の申し込み
縁談がうまくいくと、北京・陝西どちらにおいても、婚礼の日取りを決める。北京にお
いては、まず式を挙げる月が決まる。これは花嫁の都合で「小日子(xiaorizi)」
(およその
日取り)を知らせてくる。これに従い、易者が吉日を決定し、紅い大きな紙を綴った通書
を作る。この通書が花嫁の家に伝達されることを「通信(tongxin)」(または過礼(guoli)、
大定(dading))と言い、この時たくさんの結納の品が贈られる。
陝西の場合、日取りを決める前に正式な縁談の取り決めが行われる。約束した条件を実
現させて、婿方から嫁方へ結納品が送られる。この儀式や結納品は「彩礼」 と呼ばれる。
また、嫁方からの返礼として、電気製品、布団セットなどを新婚夫婦に贈る。永強さんた
ちの場合、洗濯機、電気ポット、布団セットなどを受け取った。この結納式において嫁方
が全て納得して受け入れると、その場で酒を飲みながら結婚式の日取りを相談する。結婚
式縁起が良い日に行われなければならないため、事前に八卦を見てもらう。一般的には、
旧暦の3,6,9が付いている日が良いと考えられる。結果、2010 年1月 17 日(旧暦 12
月3日)に日取りが決定した。
2)式の準備から結婚式まで
①布団づくり
陝西では、この地域の慣習として、新婚夫婦にはシルクの綿入れ布団を4セット用意
する必要がある。これは花嫁の母親が、裁縫が上手な村人や親戚などの協力を得ながら作
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成する。
また山東における新婦の主な嫁入り道具では、陝西同様、布団のほか、家具、衣服、布
団、装飾・化粧用品の4つを準備する。道具の多い少ないは布団の数量で見て、少なくと
も3組、多ければ10組用意する。新婦が持ってきた衣服と布団は、生涯を通して使用さ
れ、息子・孫たちも母親や祖母が嫁入りの際に持ってきたものを使うという光景はよくあ
るそうだ。
②婚礼とお色直しの衣装準備
陝西では、
婚礼とお色直しの衣装を準備する。陝北地方の冬はかなり寒い日が続くため、
綿入れの洋服を準備しないといけない。村人によると、村では裁縫が上手な人が少なくな
ったため、町で既製品を購入することが多くなった。永強さんの場合も、延安で市販のも
のを購入した。
また、近年披露宴の途中で、花嫁が伝統的な中国式の衣装からウェディングドレスに着
替える「お色直し」をするようになり、このための衣装も準備された。
③新居の用意と家具・電気製品の購入計画
陝西では、新婚夫婦の新居は婿方で用意し、婿方居住の慣習がある。永強さんの父は、
主な収入を農業に頼っており、多いとは言えないため、家族で相談し、今まで永強さんの
両親が愛用してきた南向きの家を再び改築し、
新居として提供することに決めた。
両親は、
元々倉庫として使ってきた本宅の隣にある西向きの小さな家屋に引っ越した。
また、新居用の家具は、市販のソファ(1 , 200 元)、タンス(1 , 800 元)などを新調
し、家電は、ハオさんの二女が電気屋で働いているため、従業員割引で安く調達したが、
それでも冷蔵庫、ホームシアターなどで合計 12 , 000 元かかった。
④新婚用の写真撮影
永強さん夫妻の場合、延安市内の写真館に依頼して作成した。合計 3 , 000 元で、結婚
式当日の花嫁の化粧などが含まれている。
⑤当日のスタッフへの依頼
陝西では、結婚式の日取りが決定すると、村人たちの家を訪ね歩き、式当日仕事を手伝
ってもらうよう合意を取り付ける。また、永強さんと両親の親戚や知人・友人などをリス
トアップし、招待状の作成・発送を行う。
まず式用食器セットの準備について、従来は村人を一軒一軒訪ねまわり、鍋、食器、テ
ーブル、椅子などを借りる約束を取り付ける必要があった。しかし近年は、北宋塔村の属
する高橋郷に儀礼用の食器セットをレンタルする業者があり、ハオさんの場合も1日 60
元で借用することになった。
そして、村で式を行う場合は宿泊場所がないため、親しい村人に頼んで当日に何名まで
宿泊可能かを確認し、協力を取り付ける。足りない布団セットやシーツなどを事前に準備
するのは、主に母親の仕事である。
式のおよそ1ヶ月前になると、当日のスタッフを家に招いて式の進行・料理・演出など
の詳細を相談する。この時は、酒を振る舞いながらの集まりとなる。目的と主な打ち合わ
せ内容は、
・年長者や媒酌人の助言により、花嫁の迎え役(後述)のメンバーを決めること
・当日の具体的なスケジュールを決めること
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・世話役の方々へのお礼とお願いの気持ちを事前に表すこと
・ 料理長の腕を確かめること
などである。これらの準備がすべて万端であれば、式の1週間ほど前にはいよいよ結婚式
の直前準備に入ることになる。
3)婚礼当日
①車・楽隊の準備
陝西の事例では、結婚式当日の朝7時半頃、事前に車を依頼したハオさんの弟の友人た
ちが村に到着した。ハオさんの弟の人脈により、ランドローバーやアウディなどの高級車
8台が用意された。車の到着後すぐに、若い人たちが車の飾り物を準備した。
続いて楽隊の準備に関して、陝北地方では、結婚式の際にチャルメラ、太鼓、銅鑼など
一式の楽隊と民謡歌手に依頼し、披露宴の盛り上げをする。花嫁を実家の村に迎えに出発
する時間になると、まずチャルメラを発し、爆竹を鳴り響かせながら、迎えに行くチーム
が出発する。
今回の場合、迎えに行く行進メンバーは、お叔父さん夫妻、お姉さん夫妻と手伝い役(道
案内や爆竹担当など)として、従兄弟たちの数人やカメラマンが同行した。こうしてまず、
花嫁の実家で盛大な披露宴が行われた。
②花嫁の家でのイベント
北京の事例では、娶親太太の後、四人の使者が馬車で花嫁の家に到着すると、門がぴっ
たりと閉じている。ここから門を挟んで駆け引きが繰り広げられる。内側には花嫁の家の
客から選ばれた男性数人と子供たちがいる。新郎の家の代表者たちが、どうか門を開ける
よう丁寧に申し出ると、内側からいろいろな要求が持ち出される。まず外の楽士たちに曲
を指定し数曲演奏させるが、まだ扉は開かない。そこで新郎家は外から様々な賄賂をやる
と決めた。門の下から茶の入った小さな紙包みを押し込むと、子供たちが奪い合い、次に
お金を入れた紙包みを押し込むと、再び子供たちが奪い合う。こうして徐々にお互いの感
情がとけあったところで、外の者がこんなめでたい日にぐずぐずしているのは良くないと
いうことを鄭重に述べ、やっと門が開き、新郎家は子供たちに小銭をまき散らしながら、
中庭へ進む。
このように、新婦を簡単に新郎へ引き渡すまいとし、新婦側から様々な注文がなされる
が、新郎側はその要求に応え、新婦側を満足させなければならない。相手を満足させるこ
とができなければ、新婦を引き渡してもらえない。
陝西の事例では、この地域の農村部の慣習に従い、来客には酒とともにトマトソースな
どをかけたうどんが振る舞われる。この時、新婚夫婦は来客に酒を注ぎながら、挨拶をす
る。宴会では、ゲームで新婚夫婦にキスをさせたりする余興もある。迎え役は別の場所を
提供されて接待を受ける。同じ年代の親戚についてもらい、親戚同士で酒を飲みながら談
笑する。
宴会終了後、新婚夫婦は婿方の家に戻る時間となる。その前には、嫁方の家族全員で記
念写真を撮る。また、媒酌人には感謝の意をこめて慰労品の贈呈式を行う。贈り物のやり
とりの場合、媒酌人と嫁方の父がお互いに何度も固辞し、勧める側とけんかかと思われる
ほどの押し回答をする。タバコ1カートン、酒2本、革靴1足、現金 400 元程度を用意す
るのが現地の習慣だが、媒酌人は最終的に革靴とタバコ、酒だけを受け取った。これは、
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その任務が商売ではないことを示すために現金は絶対に受け取らないというマナーに基づ
く。また、革靴を贈るのは、両家の縁結びのために奔走したことに対する感謝の意を表す
ためである。
出発前、花嫁は中国式のドレスからウェディングドレスに着替え、マントウに囲まれて
座る。この儀式は、早く子供が生まれるようにという意味を持っている。村を出る時、花
嫁の出発を惜しみ、儀礼的に花嫁の従兄弟たちが花嫁を引き留める。
③嫁取りの行列
北京の事例では、花嫁は易者の定めた縁起のいい時刻に、両親に別れを告げて新郎の家
からさしむけられた紅い轎に乗り、同じく緑の轎に乗った介添えの婦人に伴われ、出発す
る。この時山東では、新婦が花轎に乗るようラッパが催促する音楽を奏で、新婦は父母に
叩頭し、両親に別れの挨拶をする。新婦が花轎に乗るのを送るのは、彼女の兄弟の役だが、
もしいなければ、伯父か叔父の従兄弟、あるいは養子に来た兄弟が代わりに行う。
行列は儀仗を整え、音楽を演奏して街を行く。花嫁の家から選ばれた四人の客が、馬車
に乗り先方の家まで見送る。大勢の人夫が、儀仗兵のように虎、龍、鳳凰の旗を持ち、長
い柄の斧(昔の武器に似せて作ったもので、金のまき絵がほどこしてある)や、馬のあぶ
み、金の瓜を付けたものをかつぐ。水牛の角を薄く削って張った提燈を十二対、長い柄の
先に付け、人夫がもってゆく。楽隊がそれぞれの楽器を持って続く。
昔の婚礼は、夜陰にまぎれて花嫁を略奪するために行列を作っていたため、提燈はその
名残を示すものと考えられる。花嫁が到着する頃、新郎は家に戻り、洞房(新郎新婦の部
屋)で待っている。
④新居到着後のイベント
北京の事例では、花轎が新郎家に到着した後、中庭に火を起こした火鉢を置き、その上
を花嫁を乗せた轎をかついで通る。これは魔除けのためである。山東では、花轎が地面に
降ろされると、若い女性が新婦を助けて轎から降ろす。新婦の歩みに従って、4人の少女
が轎の前に2枚の赤いじゅうたんを敷き、新婦はその上を歩いていく。新婦が轎から降り
て地面に足を付けないのは、初めて嫁ぐ娘の貞潔を象徴しており、再婚の女性の場合、直
接新房に案内する。北京では、轎が戸口にぴったり横づけになり、しきいに金のまき絵の
鞍が置かれ、花嫁はこれをまたいで部屋に入る。新婦が部屋に入る際、新郎は弓を手にし
て、戸口から鏃のない3本の矢を射る。これも、そこに潜んでいるかもしれない悪魔を追
い払うためである。山東でも同様に、敷居を通る時は敷居の上に1つの馬の鞍が乗せられ
ており、新婦はそれを跨いでいく。これは、
「鞍(an)」は「安(an)」に音通し、
「四季平安」
(年中無事)を意味し、
「鞍子(anzi)」は「安子(anzi)」に通じて、
「早生貴子」
(早く子供
が生まれる)の意味を持つ。新婦は中庭の中央に立ち、天地を拝して「洞房」に入るのを
待つ。
陝西の事例では、
花嫁が婿方の村に到着すると、新郎の親戚や友人たちが出迎えをかね、
途中でゲームなどをして新婚夫婦と遊ぶ。これは陝北地域の慣習で、これからの生活上の
困難に対して夫婦への激励を示す。村に入ると集まった村人や来客が出迎える。新居に戻
った新婚夫婦は、まず髪の毛を結ぶ儀礼を行う。これもこの地域の慣習で、これからの生
活を夫婦ともに頑張ってゆくとの願いがある。この式の最中は、他の人、特に若い女の子
は絶対に入ってはいけない。もし式の途中に女性が中に入ってしまうと、夫婦に女の子が
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生まれてくるという信仰があるためである。これは男児偏重の意識が今も残っていること
を示すものである。
この儀式が行われている頃、
庭では楽隊の演奏が始終鳴り響いており、
来客にトマトソースをかけた紅いうどんが振る舞われる。
⑤婿方での披露宴
陝西の事例では、結婚式の翌日に花婿の家で親戚や友人たちをもてなすことになる。普
段の村には商店などはないが、朝の9 時頃から占いや移動式の小売屋が次々と村に訪ねに
来る。午前中の新婚夫婦の役目は、花婿の紹介で身内の親戚たちを花嫁に紹介する。親戚
は花嫁にお祝いを贈り、花嫁は返礼として普段使えるような小品を贈る(この時は、肌着
を贈った)
。贈り物の準備は花婿の母親がしてくれる。その後、親族全員を紹介してから皆
で記念写真を撮る。
その後、
来客が次々と到着すると、
まずは定番であるトマトソースのうどんを振る舞う。
楽隊の演奏が高いボリュームで宴会の始終鳴き響き、本格的に宴会が始まる。来客はまず
祝儀記載を行い、宴会に入る。地元の来客たちは歌を楽しんでいるようであった。歌手の
歌は一曲ごとの注文式で、1曲 10 元で来客の注文に応じて歌を披露し、4時間で 100 曲
以上を歌った。
以上で結婚式が全て終了する。新郎新婦が、今回の結婚式で最も走り回った両親や媒酌
人などにお礼をし、父親の方からも媒酌人に対して、前日のように喧嘩のような慰労品贈
呈式を行った。この婚礼では、211 戸(世帯)が宴会に参加し、祝儀は合計で二万二千四
百四十元(日本円で約35万円)集まった。
⑥拝礼
北京の事例では新婦が送親太太、娶親太太に付き添われ、新郎のところに行き、一緒に
天地を拝し、
「合卺(ごうきん)の礼」を挙げる。そして翌朝夫婦そろって祖先を拝し、父
母・親戚・知友に挨拶をする。これを「雙礼」という。更に三日目に、新婦は家廟に参拝
する。部屋には紙に刷った天地神の像が設けられ、線香があげられている。花嫁は「宝瓶」
と呼ばれる中に五穀を入れたまき絵の花瓶を渡され、それを抱いて新郎の側に歩み寄る。
そこで二人は一緒に天地神の前に跪き、三度叩頭する。これを「拝天地(拝堂)
」という。
山東の事例では、この天地を拝する儀式が婚礼のクライマックスとされる。新郎新婦は
並んで立ち、新郎は三拝する。1度目は南天に対して行う。この1拝で南天門を開けるこ
とができ、天庭の縁起の神(喜神)を引出し、新郎新婦に福を賜ると伝えられている。続
いて2度目は高堂の父母に対し行い、結婚後も両親に孝養を尽くすことを表す。3度目は
夫婦の愛情、今後の約束を表すもので、新郎新婦が互いに拝する。
⑦交杯の式・その他の儀式
北京の事例では拝礼に続き交杯の式が行われる。花嫁が部屋の隅で、新郎が旧式のはか
りの棒で花嫁の頭巾をとり、ここで初めて二人が顔を見合わせる。二人の介添えが赤い糸
で結びあわせた二つの瓶子と、同じく赤い糸で結んだ二つの盃をとり酒を注ぐ。それを新
郎新婦に渡し、二人が一口飲んだ後、杯を取り替え、再び無言で口をつける。
山東の事例では、
「歃血(しょうけつ)
」「新婦が糸巻台を抱く」「箒投げ」の3つの儀式
をする。
「歃血」とは、一匹の雄鶏の鶏冠を爪で破り、その血を取って新郎新婦の拳に塗る。
古代は新郎新婦の腕の皮を破り、両人の腕を寄せ合わせ、鮮血を融合させた。続く「新婦
が糸巻台を抱く」という儀式は、上に「秤」
(さおばかり)をしたものを小さな男の子から
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新婦に手渡し、新婦はそれを懐に抱く。古代、新婦が抱いたものは「如意」だったが、
「如
意」は本来宮廷の妃や女官たちの装飾品なので、民間の結婚ではこの「如意」の2字の意
味を取った。近代になると、
「如意」は糸巻台に替えられた。そして「箒投げ」の儀式は、
管家(婚礼の儀式を司り、婚礼の順序を整える)により、箒が投げられる。投げた箒が上
を向いていれば第一子が女の子であることを示し、逆なら男の子であることを示す。
4)婚礼儀式の終了
北京の事例では婚礼の儀式が終了するまで 1 か月を要するが、山東の場合、婚礼は三日
間に渡り行われ、新郎新婦は夫婦になる。北京では婚礼の翌朝、花嫁の母親が馬車で迎え
に来る。これを回門という。新夫婦は揃って出かけ、親戚や友人と盛大な宴会を開き、日
暮れ前までには戻る。3日目には「倒宝瓶」という儀式がある。これは、夫婦が例の花瓶
の中の五穀や元宝などを膝の上にあけて、両家の繁栄を祈る。続いて15日目には、花嫁
は実家を訪ねるが、この日も日暮れ前に帰る。そして1か月後、花嫁は母親に迎えられ、
初めてゆっくり里帰りをする。これを「住対月(zhuduiyue)」といい、これで婚礼の儀式が
終了する。
2、婚礼民俗の意味
次に、婚礼に登場する事物の起源と意味をみる。
1)如意
「如意」とは、長い柄の先端に手指の形をした頭
部がつくという、孫の手と同様の器物で、僧侶の持
ち物の一つである。
「意のままになる」ということか
ら、この漢名が付けられた。後には威儀を正す儀礼
具あるいは仏前での供養具として用いられ、頭部の
形が雲形をしたものも出現した10。如意は古代イン
ドで使用され、背中をかくなどする実用具であった。
仏教伝来に伴って中国へも伝わり、結婚後の男耕女織、
資料11 如意
倹約してまかなうことを表す。婚礼の展開でもあったように、山東では如意の代わりに布
を織る時に糸巻に使う木の台の上に
「秤」
(さおばかり)をさしたものを用いる。
「秤」
(cheng)
は「称」
(cheng)と同音で、
「称心如意」
(意のままになる)ことを意味する(資料11)。
2)通書
これは結婚式の正式な通知で、紅い大きな紙を折
って小冊子にしたもので、同じ紅い大きな封筒の中
に入っている。冊子にも封筒にも龍と鳳凰の図柄が
金箔で印刷されている。正式書類として、作法に則
って相手の家に渡される。結婚式の日取りや、それ
を先方に通達する日取りを記した正式の通知書まで
が入っており、花嫁が花轎を乗り降りするのに最も
縁起の良い時刻、迷信的な性質の条項も記してあ
る。婚姻手続きによる認可制が中国に導入される
資料12 現代の婚約証明書
前、この通書は婚姻証明書の役割も果たしていた(資料12)。
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3)結納の品
結納の品の起源は西周期にまで遡る。この時代に婚姻制度が完成した。当時は納采、問
名、納吉、納幣、請期、親迎の六礼の過程を経る必要があり、このうちの納幣とは、新郎
家が別の人を通して新婦家に贈り物をすること、つまり結納を指す。西周の六礼は中国古
代の婚姻制度の発展に大きな影響を与え、以後の時代の婚礼で、必ずしもこの全てが行わ
れるわけでないが、唐代には、六礼の核心は結納となり、女性が男性の贈り物を受け取る
ということが、結婚を受け入れる
という意味となった11。
結納の品の一例としては、金銀
の装身具一式や純白のガチョウな
どがある。前者は特有の飾り付け
が施してあるガラスケースに入っ
ている。後者は贈呈の数日前に買
い、桃色に染めておく。鳴き声で
両隣の家にお祝
資料13 結納の品のガチョウ(左)、資料14 龍鳳もち(右)
い事があると知
れ渡る。これは数百年も前の風習の名残で、初めは花婿の狩りの腕を示すため、野生の雁
を用いた12。その他大量の酒、龍鳳餅 100 個、真赤に熟した大きなリンゴなどがある(資
料13、14)
。
4)花轎
「花轎」とは、婚礼当日花婿が花嫁を迎えに行った際、花嫁が花婿の家に行く際に乗る、
鮮やかな飾りが施された非常に華麗な乗り物である。婚礼用の調度品を貸す店から一つは
紅、他の二つは緑に塗った計三台が届けられる。いずれも龍、鳳凰、牡丹などの模様があ
しらわれており、紅色のものに花嫁が、緑色のものには、花婿や付添いの者が乗る。轎と
いう交通機関が出現し、正式に書物に記載された記録が、唐末から五代十国時代に既に存
在した13。これ以前の婚礼は、官民に関わら
ず馬車か人がかごを担ぎ花嫁を迎えに行った。
このような風習は北宋の時代まで踏襲された。
しかし、この時代に輿に乗れるのは、皇帝な
ど特別な身分の者だけであった。民間の婚礼
で、馬車が花轎に取って代わったのは、宋の
高宗が臨安に南下後で、その後全国に広がっ
ていったとされる(資料15)。
以上で見てきたことから、
婚礼民俗の起源に関して、
資料15 花轎
以下のことがわかる。古代インドから伝わった如意を
はじめ、結納の品は西周期から伝承されており、早いもので約 2000 年、遅いものでも約
1000 年の間伝承してきた。
以上本章では、婚礼の展開を見た上で、民俗の起源と意味を見た。
まず婚礼の展開としては、相手を探し、縁談の申し込みをする。それが新婦家に受け入れ
20
られると結納・結婚の申し込みに入る。婚礼の儀式の中には駆け引きの際、新婦側が抵抗
する場面がある。そして嫁取りの行列が新郎家に到着すると、拝礼をし、交杯の式を行う。
この展開から、新郎家は婚礼を盛大に行って、新婦を招き入れる喜びを表し、新婦は両親
に別れの挨拶を告げ、新しい家族の一員になる覚悟を決めるということが分かった。
そして婚礼の起源からは、如意は古代インドから用いられ、
「思いのまま」になることを
願っていたことや、結納の品は西周から用いられ、
「嫁」をもらう代わりに「結納の品」を
渡していたことが分かった。
以上から第二章のまとめとして、次のことが言える。
まず婚姻とはもともと一対の男女と双方が属する家、親族集団、地域社会を結びつけ、
上記一対の家、親族集団、地域社会の間の構成員の供出と獲得を行うという性質を持って
いるということである。その上で、その婚姻を執り行う。婚礼民俗が持つ要素としては、
以下の3点が挙げられる。
① 通過儀礼のうちの慶事
まず多幸を祈願するため、見合いで麺を用いたり、八掛で縁起のいい日にちや時間を選
び、紅い通書や紅い轎を用い、
「鞍」の発音を「四季平安」
「早生貴子」にかけ合わせたり、
「如意」を用いる。
そして慶事の気勢や雰囲気を高めるために、爆竹、楽隊を用い盛大な披露宴を行い、大
勢の人々を嫁取りの行列に行かせる。そして、癖邪のため火鉢を跨ぎ、弓を射る。
② 一対の男女と双方が属する家、親族集団、地域社会を結びつける
村(親戚・知人・友人)の互酬的人間関係として、村人に婚礼の手伝いや、招待客の宿
泊場所提供を依頼したり、嫁を迎えに行くメンバーを村人や親戚で構成するほか、友人に
媒酌人となってもらう。
③ 上記一対の家~親族集団~地域社会の間の構成員の供出と獲得
これは家、親族集団、地域社会の存続のために行われる。そのために伝統期は「包辧婚
姻」という制度があった。新婦が新郎家の家族となる際には駆け引きや、新婦家により新
婦を引き留めることが行われる。開歎情とは、日本における婚礼で花嫁が親に送るメッセ
ージのようなものである。新婦が両親に叩頭し別れの挨拶、実家を去ることを悲しみ、父
母の養育の恩に対する感謝を示す。また拝礼では、祖先への挨拶と、新郎の父母への挨拶
を示す。
続いて伝統期、計画経済期、市場経済導入期の婚礼を比較し、考察を行う。
現代まで継承されてきた継承要素としては、
「伝宗接代」の観念と貞潔を重視する点が挙
げられ、男児を偏重する儀式や貞潔(婚前に性交渉がないこと)を示す儀式があった。ま
た上記の要素のうち、多幸を祈願、慶事の気勢・雰囲気を高める、癖邪、村(親戚・知人・
友人)の互酬的人間関係、新婦が新郎家の家族となる、開歎情、祖先への報告、新郎の父
母への感謝もこれに属する。
次に伝統期には見られなかった新要素として、包辧婚姻(男女当事者双方の自発的な意
思によらない婚姻)の禁止と、婚礼の豪華・贅沢化がある。伝統期、計画経済期、市場経
済導入期の三つの時点で大きく異なるのは、資本経済導入後の、婚礼の豪華・贅沢化であ
る。婚礼の際の贈り物で比較すると、伝統期の結納品はガチョウ、金銀の装身具一式など
であり、計画経済期の嫁入り道具では布団、家具、衣服、装飾品、化粧品となるが、市場
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経済期の結納品には金のイヤリング、ネックレスなど3万元程度が贈られ、その違いが顕
著に表れている。しかし山東の事例と、北京の事例のどちらにも鞍をまたぐ儀式があり、
3地域で共通の内容が見られる。
【資料出典】
資料11 山田真史『東方中国語辞典』東方書店、2004 年、1111 頁
資料12 丁秀山『中国の冠婚葬祭』東方書店、1988 年、208 頁
資料13 下中弘『北京風俗図譜1』平凡社、1964 年、67 頁
資料14 同上、66 頁
10
尾崎雄二郎、竺沙雅章、戸川芳郎『中国文化史大字典』大修館書店、2013 年、985、986
頁参照
11 「中国法律网」http://news.9ask.cn/hyjt/tjzs/201011/925832.shtml、2014 年 6 月 26
日現在、要約
12 羅信耀『北京風俗大全―城壁と胡同の市民生活誌』平凡社、1988 年、440 頁参照
13 完颜绍元、郭永生『中国风俗图像解说』上海书店出版社、1999 年、157 頁参照
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