千葉県所在の戦争遺跡 明治期から陸軍は習志野原(主と して船橋市)に騎兵、佐倉に歩兵、 国府台や下志津原に砲兵の部隊 が駐屯 明治末~大正期から千葉、津田沼 に鉄道連隊、千葉、松戸に軍の学 校等が移転(千葉:歩兵学校、松戸:工兵 柏 松戸 国府台 佐倉 銚子 八街 千葉 下志津 誉田 学校) 東京湾沿岸には明治期から東京 湾要塞(陸軍)があり、後に館山、 木更津に海軍航空隊が開隊 太平洋戦争末期には九十九里、南 房総に本土決戦基地 ⇒ 千葉県は東京に近く、海に面し、 はやくから軍隊の駐屯や軍施設が 多く、戦争遺跡も多い 印旛 習志野 横芝 東金 陸軍 館山 海軍 1 千葉県の旧軍航空基地 海軍は渡洋爆撃などの 基地(木更津)も保有 陸軍は柏陸軍飛行場も 含め、防空戦隊が主体 柏 松戸 百里原、筑波、霞ヶ浦 (海軍) 水戸第一、第二(陸軍)他 米軍の首都圏への侵入路 銚子 印旛 八街 横芝 下志津 誉田 調布、成増、所沢(陸軍) 東金 横須賀、厚木(海軍) 陸軍 館山 海軍 2 柏陸軍飛行場と関連遺構 柏陸軍飛行場を中心に 各地に戦争遺跡あり 秋水地下燃料庫 高射砲連隊 陸軍病院 日立軍需工場 藤ヶ谷陸軍飛行場 等 3 「首都防衛」の柏陸軍飛行場 陸軍東部第105部隊 第3飛行場大隊と各飛行戦隊とで構成 柏陸軍飛行場は、調布、成増、松戸、印旛などと同様、 首都東京と京浜工業地帯を防衛するための拠点 戦後米軍に接収され、トムリンソン 通信基地 →1979年全面返還 屠龍 鐘馗 柏陸軍飛行場の位置付けと組織 昭和13年(1938)11月、陸軍飛行第5戦隊が立川から移転 当時の戦隊長:近藤兼利大佐、保有機:当初九五式戦闘機、九七式戦闘機 →昭和17年(1942)3月より、二式複座戦闘機(二式複戦)「屠龍」 昭和18年(1943) ジャワへ移動、その後は飛行第1戦隊、第18戦隊、第70戦隊が柏へ 柏飛行場は、松戸、成増、調布等と共に、昭和19年(1944)末 以降激しくなった米軍の空襲に対する、防空戦闘の基地 → 「首都防衛」の飛行場 <終戦時の柏飛行場の組織> 陸軍航空総軍 司令官:河辺正三大将 第1航空軍 安田武雄中将 第10飛行師団(天翔師団) 近藤兼利中将 立川陸軍航空廠 飛行第70戦隊 第3飛行場大隊 柏分廠 坂戸篤行少佐 堤袈裟市少佐 田邊収四郎大佐 他に航空審査部特兵部特兵隊(荒蒔義次少佐)が秋水の実験 5 柏陸軍飛行場の遺構 営門、航空廠柏分廠本部、工場の一部、ガス庫等 航空廠 柏分廠本部 営門 ガス庫 掩体壕 → 新たに6基を見つける 6 航空教育隊 陸軍東部第102部隊 正式には陸軍第4航空教育隊 昭和20年(1945年)の戦争末期に多くの兵を擁し、多いときには一万名も の兵員が南北600m、東西400mほど敷地で軍隊生活 特幹教育も実施 *陸軍特別幹部候補生 :航空、船舶等の分野で、 下士官の早期養成を目的に制度化 現状金属工業団地 ←かつて部隊本部、兵舎、格納庫などが存在 現在は公園に移された営門 7 ロケット戦闘機「秋水」 B29などの迎撃のため、局地戦闘に活躍できるロケット戦闘機を太平洋 戦争末期に、陸海軍共同で開発(ドイツのメッサーシュミットMe163がモデル) → エンジンは陸軍(松本)、機体は海軍(横須賀・追浜) 実務:三菱重工 陸軍は柏に秋水を配備することを想定、陸軍航空審査部特兵隊(秋水の 実験部隊) を柏飛行場に配置 特兵隊隊長:荒蒔義次少佐(法栄寺が隊の宿舎) 「特呂」エンジン 離陸後車輪を落とし、ソリで着陸 戦後接収を恐れ追浜に埋められた秋水を復元 (三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所) 8 柏にある秋水関連遺構 液体燃料の甲液は過酸化水素が金属をも溶かす強酸性のため、取り扱 いが難しい → 専用の置場所、容器(陶器、ガラス瓶)が必要 リスク分散のため、柏飛行場から離れた花野井等に地下燃料貯蔵庫造成 運搬はタンク車 燃料貯蔵庫の出入口 地表面に出たヒューム管 むき出しになった燃料貯蔵庫 (C) 森湖城 9 最近見つかった柏の秋水関連遺構 十余二の柏飛行場跡周辺に小規模な秋水の地下燃料貯蔵庫5基が発見 される 台地の上にヒューム管(内径2m×厚0.15m×長さ2.5m)を8つ連結、 作業用スペースをL字形に接続し、覆土した簡単なもの 棚に薬液瓶を置いて格納 約20m 内径2m 約8m(作業用スペース) 燃料貯蔵庫の内部 燃料貯蔵庫の上(マウンド) 10 秋水燃料貯蔵庫(花野井)の分布 花野井、大室の台地端に分布 (地上露出のものは花野井交番裏) 11 柏周辺戦争遺跡 高射砲第二連隊跡 柏市根戸 富勢中学校そば 営門(元の場所ではない) 馬糧庫 東部第83部隊(歩兵) 第14部隊(工兵)が 後に移動 12 柏周辺戦争遺跡 現在は陸自柏高射教育訓練場 射撃場跡 昔の射撃場跡の姿 (当会役員小柳氏撮影) 13 柏周辺戦争遺跡 柏陸軍病院 柏陸軍病院全職員(昭和15年1月) 前列中央が病院長の佐々倉操軍医中佐 写真は「歴史アルバムかしわ」柏市教育委員会より 14 (左)現在の柏病院と玄関脇の灯篭 柏周辺戦争遺跡 松戸飛行場跡 松戸陸軍飛行場(元は逓信省中央航空機乗員養成所) 昭和15年(1940)開設 飛行第70、53、18戦隊 格納庫は東洋一といわれた 印旛飛行場跡 現在は、陸自松戸駐屯地、住宅地、 工業団地などになっている 昭和16年(1941)開設 印旛陸軍飛行場(元は逓信省印旛地方航空機乗員 養成所) 飛行第23戦隊の初代戦隊長 藤田重郎 少佐は来襲したグラマンと交戦、戦死 無蓋掩体壕 15 柏周辺戦争遺跡 国府台赤レンガ倉庫 市川市の国府台は、明治期に陸軍教導団が設置されて以来、主に野砲 兵の部隊が駐屯し、「砲兵の町」となった。 千葉県血清研究所が使用していた建物で、明治期に陸軍が作った赤レン ガ倉庫が現存する。発見された棟札には「起工明治三十六年三月六日 竣成仝三十六年三月三十一日」とあるが、それは修繕でそれ以前の建設 の可能性がある。 赤レンガ倉庫 名札に「使役兵」の字が 16 柏周辺戦争遺跡 陸軍工兵学校跡 松戸相模台一帯が陸軍工兵学校跡(現:松戸中央公園、聖徳大学、松戸 一中、など) 大正8年(1919)12月開校し、工兵幹部の養成にあたった 現存する隊門、歩哨舎 全般的な戦術、工兵用法と①築城、②坑道、③交通(架橋、不整地通過)、 ④渡河、⑤機械化作業の各分野について、実兵指揮と連動した教育 八柱演習場の石碑 陸軍工兵学校地図 油脂庫か(換気孔がある) 境界標石 17 房総の戦跡 木更津海軍航空隊跡 木更津海軍航空隊(現:陸自木更津航空隊、海自補給処、航空自衛隊) 昭和11年(1936)開隊 重慶など渡洋爆撃等 格納庫(現在海自で使用) 海軍707航空隊の飛行場 (現:陸上自衛隊の飛行場) 慰安所は木更津の六軒町 (慰安所が六軒、軍の主導 で建てられた)にあった 防空壕(現:陸自) 市街地道路も変更された 18 房総の戦跡 館山海軍航空隊跡 館山海軍航空隊(現:海自館山基地など) 国旗掲揚台と 本部庁舎は旧軍 のもの 現存する掩体壕 赤山地下壕 滑走路跡はあり(Gメン75の撮影がされた) 19 房総の戦跡 特攻兵器基地跡 房総半島南部の館山市洲崎、勝浦市鵜原には震洋の基地跡 (格納壕ほか)がある 南房総市下滝田などには、桜花のカタパルトの跡もあり、特 攻兵器基地跡もいくつか房総半島に残る 桜花 震洋 20
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