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vol.34

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vol.34 2012 Jul.
vol.34 2012 Jul.
平和祈念公園より
まえがき
地域研究所が沖縄タイムス賞社会活動賞を受賞しました!
特別研究員寄稿
俊 武志 「イチャリバチョデー考」 沖縄移住で増える沖縄生まれの沖縄育ち
滝原 啓允 社会法原理と模合(モアイ)
矢島 大輔
国吉 まこも 尖閣諸島の呼び名―ユクンクバシマ・イーグンクバシマ―
宮良 安彦
石垣島の民話(標準語)解説
21.親を捨てる話 .22.野底マーペーの話
熊谷 フサ子 「絵羽模様の仮仕立て」と-気忙しい6月-
比嘉 光龍 「那覇市ハイサイ運動」は素晴らしいのだが その2
寄稿
緒方 修 書評『暮らしの質を測る』経済成長率を超える幸福度指標の提案
実践講座
■地域幸福論 講義一覧
■まちづくり実践演習
那覇浸水想定で避難支援ワークショップ
・・・繁多川公民館炊き出し実験に向け
地域共創センター
2012年度ジュニア研究支援 採択グループ決定
第3回 沖縄大学社会教養セミナー実施報告
土曜教養講座
【報告】第497回
第498回
沖縄学の未来-沖縄の歴史・文化・政治の情報発信-
刊行案内
『沖縄は、どこへ向かうのか』
ご案内
7/7 沖縄大学地研フォーラム シネウプソロ
所内雑記
まえがき
うれしいニュースが飛び込んできました。沖縄タイムス賞の受賞です。「市民講
座を継続し、広く学びの場を提供」として社会活動賞を頂くことになりました。
(地域研フォーラムは7月2日の授賞式のシーンを入れて、3日発行としました。)
土曜教養講座が11月3日には500回を迎えます。初代の宇井純所長以来、築き上げ
てきた実績が評価されました。
さて今年度も毎月のように東京出張が続いています。6月中旬には、霞ヶ関、虎
ノ門、国会と日本の権力が集中している地区を廻りました。霞ヶ関で地下鉄を降り
ると外務省前。早速ビラを渡されました。「世界中に広がる脅威の集団 急増 中
国人移民!!」、「東京都の尖閣取得を支持いたします」、歩いて虎ノ門方面へ向
う途中に大きなテントが張られていました。これは反原発を訴えるもので見たとこ
ろほとんどが前期高齢者(65歳以上)。その中に知人がいていつもニュースレター
を送ってくれます。最新号をご紹介します。
「東京電力に対する抗議の行動は株主総会の後も継続され、東電アクションのメン
バーなどが「あらためて東電解体」というスローガンをもとに夜の7時から東電に
向けた行動を展開した。(略)人々の声と行動による意志表示が霞ヶ関や国会を轟
かせる週末も近い。テントに出入りする人たちにも期待がうかがえる。テントの前
に黙々と座り込む人の横顔にもそれが見える日々である。(M/O)」
国会議事堂前で下りると、様々なグループが声を挙げています。道路の反対側か
らは「憲法9条を守れ」とスピーカーから聞こえてきます。議員会館へ向う途中で
渡されたビラ。「楽しく学ぼう政権交代民主党かるた あ ありえない!!与党の
くせに審議拒否 え えだのんは革マル派だった覚書・・」、「人権救済法案と自
治基本条例で外国人による「自治」が完成する」さらに「法輪功 FALUN GON」
「東京都庁で開催された、中共人権侵害写真展(一部)」。」参議院議員会館内で
は「暴排条例と暴対法改訂に意義あり6.14集会」ここには福島瑞穂社民党党首、糸
数慶子社会大衆党党首の姿もありました。
6月23日、沖縄。朝9時過ぎに対馬丸会館を通りかかるとエイサーとブラスバンド
隊が入口の階段を埋めていました。若い女性が造花のアクセサリーを配っています。
これも法輪功でした。中国共産党が目の敵にし、弾圧している宗教団体。中国がウィ
グルやチベットで行っていることはほとんど知られていません。原爆実験、人権抑
圧、宗教弾圧、法輪功に対してはひどい拷問、臓器摘出などが伝えられています。
中国は纏足、宦官などの伝統もあります。肉体を変形させることに鈍感なのかもし
れない、と思ってしまいます。じゃあ日本の切腹は何だ、と言われそうですが。中
国共産党は選挙で選ばれた民主的な政党ではありません。「中国4000年」の歴史に
おいて選挙でトップが選ばれたのは台湾のみ。かつては強権政治と批判された国が、
いまや民主国家となりました。中国は経済は発展しましたが、格差は広がり、人民
の不満は増すばかり。日本ももうかるから、といって無暗に中国に進出するのは考
え物です。結局は中国政府と共に、日本政府も信用を失います。いや既に震災後の
無策、原発再稼働で、十分信用は失墜しているのかもしれませんが。
6月29日(金)沖縄タイムス10面より
新崎元所長他、大勢の方がお祝いに駆けつけてくださいました。
ボンから絵葉書が届きました。
去る5月19日、土曜教養講座「世界の沖縄学」で講師を務めていただいたヨーゼ
フ・クライナー先生がお送りくださいました。ご紹介させていただきます。
6月11日
前略御免下さい。御地那覇で大変お世話になりましてから早々もう三週間が
たちました。御蔭様でとても楽しいかつ有益的なひと時を過ごすことができ
ました。あつくお礼申し上げます。東京に戻りました。
風邪を拗らせ、しばらくやすんだが、6月に入ってポーランドのかたいなか
(安い会議場をかりました)で「ヨーロッパ美術館・博物館で保管されてい
る日本仏教美術コレクションとヨーロッパの日本観の形成」という国際シン
ポを開催、ヨーロッパ各国から40人ほどの学芸員を集め、日本の美術史専門
家と討論していただきました。
御礼がこんなにおそくなりましたことを心からおわび申し上げます。
早々
J.クライナー
2012年7月
沖縄大学地域研究所
所長 緒方 修
特別研究員寄稿
vol.34
「イチャリバチョデー考」 沖縄移住で増える沖縄生まれの沖縄育ち
俊 武志
沖縄大学地域研究所特別研究員
「ヤボテン・・」とため息交じりに口を滑らした沖縄移住歴数年の県外からの奥
さん。「郷に入れば従わなければ・・」と返すと、冗談ですよとにごしたが、地元
人との間の取れない交わり方にイラついてつい本音が出たのだろう。親しくなりた
い一心からの問いかけは奥さんにしてみれば、他人の領域に踏込む無神経さに映っ
ているようだ。
ところで、「第五回世界のウチナーンチュ大会」で、南米のウチナーンチュのチ
ムグクルの厚さには全県民が感動したと思う。大会は内容・規模において他府県に
は真似出来ない最高のイベントで、フィナーレでは、セルラースタジアムが参加者
で埋り観衆はグランドにも溢れでた。入場できない人々もあったが、よくもまあこ
んなにビッグなイベントが沖縄でも出来るものだと感心した。
壇上のブラジルの与那嶺沖縄県人会長は盛んに「チムグクル」を力説していたが、
それは沖縄からの南米訪問団を出迎えるため、数日間バスを乗り継いで歓迎会場に
向かう同胞に読み取ることができよう。一方に、常に今生の別れが秘められている
チムグクルを感じ、一方に、日常生活を優先しがち面が見られるが如何だろうか。
また、テキサスから来た青年の主張やJICAが南米へ派遣している先生方の帰任報告
には考えさせられるものがあった。
県外出身の親を持つ若き先生は、沖縄で育って成人し就職し結婚し所帯持ったが、
会う人毎に生い立ちについての前口上を余儀なくされているようだ。また、テキサ
スの青年は、自分の国籍はアメリカだが、母親はウチナーンチュであり、自分もウ
チナーンチュだと思うし、そのことを誇りに思っていると述べていた。
思うに、沖縄姓にあらざればウチナーンチュにあらずと内心で線引きするのは、
ウチナーンチュ自らが自負するイチャレバチョーデー精神と矛盾してはいまいか。
一体、先の先生は何代目になれば、自己の立場を一々ことわることもなく出身を問
われることもなくなるのだろうか。今や、国内はおろか国外からの移住も増え、沖
縄生まれの沖縄育ちが増えている昨今、真の「守礼の邦」あるいは「イチャレバチョー
デー精神とは何か?」が私たち本家ウチナーンチュに問われてはいまいか。
他方、何処の国に在るウチナーンチュ社会にあっても、世代が変わるごとに現地
人との交わりが加速し、青い目のウチナーンチュが増加している。開拓の壮絶さを
知る一世や二世の方々は既に現役を離れ、複合文化にとけ込む後世へのチムグクル
の継承に頭を痛めており、その歯止め策をウチナーンチュ大会に期待しているよう
だ。そのような事情から、仲井真知事の次会開催宣言は、割れんばかりの歓声に包
まれ歓迎された。
ウチナーンチュが人を分け隔てなく受け入れ慮かる、底抜けに明るい社会が実現
するよう祈念したい。
特別研究員寄稿
vol.34
モアイ
社会法原理と模合
滝原 啓允
沖縄大学地域研究所特別研究員
初めて寄稿させていただきます。新規特別研究員の滝原啓允と申します。社会法
(労働法、社会保障法)が私の専門領域であります。専門領域の内にあっては、主
として労働者人格権に係る諸問題(職場いじめ、ハラスメントなど)を研究対象と
しておりますが、労働法・社会保障法を貫くべき社会法原理の探究につきましても、
強く関心を抱いております。
つまり、近代市民法の修正として定立されたのが社会法であり、それを貫く原理
が社会法原理となります。そして、社会法原理が照射されて生じたと考えられるの
が、憲法における社会権(生存権、労働基本権など)であり、あるいは労働法、社
会保障法などの社会法と考えられます。
そして、社会法原理的な発想に親近性を持つと思われるのが、沖縄における模合
であります。相互扶助的な側面を強く持つ模合は、社会保障の原初的形態を想起さ
せるものです。しかも模合は、現代沖縄社会においても広く行われており、まこと
に興味深いものとなっております。そのため、私といたしましては、地域研究所に
おける研究対象として、模合を選択したいと考えております。
すなわち、具体的には、
1.社会法原理と模合がいかなる親近性を持つかという分析
2.模合が実定法と抵触する場合についての考察
が2つの柱となりましょう。特に、2については、那覇地裁沖縄支部判決平成7.7.
11の事案もひとつの考察対象になり得ます。
不束者でありますが、どうか、皆様におかれましては、ご指導ご鞭撻の程、よろ
しくお願い申し上げます。
自己紹介:2000年東京都私立京華高等学校卒業、2004年早稲田大学法学部法律コー
ス卒業、2008年中央大学法務研究科法務専攻専門職学位課程修了、法務博士。中央
大学大学院法学研究科博士後期課程在学。法務研究科修了後、日本生命保険相互会
社本社勤務を経て、沖縄大学法経学部非常勤講師。単著として、『身近な疑問から
学ぶ労働法』あしざき書房(2011)。近時の論文として、「イギリスにおける職場
いじめ —ハラスメントからの保護法による救済—」季刊労働法235号150頁(2011)、
「トラック運輸業における労働時間制と過労運転の実情と課題 —実際の事案を踏
まえつつ—」法経学部紀要17号35頁(2012)。
特別研究員寄稿
vol.34
矢島 大輔
朝日新聞
沖縄大学地域研究所特別研究員
矢島大輔と申します。朝日新聞社の東京社会部で記者をしています。
最近では17年にわたって逃亡を続けていたオウム真理教の元信者、高橋克也容疑
者の追跡班に入り、2週間にわたって神奈川県内の潜伏先を訪ねました。警察です
ら居どころがつかめない男を追う取材は、雲をつかむようなもので、多くの目撃情
報に振り回されることになりました。結局、川崎市か横浜市内に潜伏しているとい
う見込みは外れ、高橋容疑者が逮捕された朝、東京都大田区の漫画喫茶に急行しま
した。もちろん、1千万円の報奨金には手が届きませんでした。
さて、私と沖縄の縁は大学時代にさかのぼります。2004年、所属していた憲法ゼ
ミの合宿で沖縄についてフィールドワークしました。沖縄の人びとの心のよりどこ
ろ、「ユタ」や「ノロ」といった民間の巫女について調べ、「医者半分、ユタ半分」
という言葉が示す近代医療と民間医療が共存する沖縄社会の懐の深さを知りました。
加えて、そうした精神文化が現代化の波にさらされていることにも考えさせられま
した。
そのときお世話になったのが、沖縄映像文化研究所の大重潤一郎氏、沖縄大学地
域研究所の須藤義人氏でした。お二人は「神の島」と呼ばれる沖縄の久高島でドキュ
メンタリー映画「久高オデッセイ」の撮影に取り組まれていました。毎晩泡盛を酌
み交わしながら、「先人が培ってきた叡智をおざなりにしてはいないか」「われわ
れ人間は、いかに生きるべきか」といった問いが、私に突きつけられたように思え
ました。お二人の人柄に魅了され、以来ほぼ毎年、沖縄を訪ねるようになりました。
2007年に朝日新聞社に入社し、5年間東北地方で働きました。東北人が受け継い
できた叡智を少しでも伝えようと、イタコという盲目の巫女、ナマハゲという来訪
神の仮面行事、マタギという山の信仰や高度な技術を持つ狩人の取材に精力を注ぎ
ました。そうした東北の土着の文化にふれるにつれ、沖縄との似たかおりを感じま
した。東日本大震災後、そうした叡智を生かす試みは、より切実なものになってき
ていると思えます。
このたび、沖縄大学地域研究所の特別研究員のお話をいただき、とても光栄に思っ
ています。ご指導をいただきながら、お力添えができれば幸いです。
特別研究員寄稿
vol.34
尖閣諸島の呼び名―ユクンクバシマ・イーグンクバシマ―
国吉 まこも
沖縄大学地域研究所特別研究員
6月末から八重山にお世話になる予定である。2009年から、尖閣諸島における
漁業、主に復帰前の状況について、御健在の海人古老の方々からお話をお聞きして
いる、今年もまた色々と楽しいお話をお聞き出来たら幸いである。八重山はきっと
暑いだろうなと考えながら、今年初めに伺った分の文字起こしをしているが、あま
りに具体的でかつ面白過ぎるため、フォーラムに投稿するには大幅な割愛が要るよ
うである。ので、今回の投稿は見送らざるを得ない。
と言うことなので、今回は別の話題、尖閣諸島の呼び名、海人の皆さんから聞き
取りをして行く中で、皆さんの口から語り出される、島々の呼称、筆者が今覚えて
いるものを連ねてみると、「クバシマ、クバジマ、コウビトウ、トリシマ、ユクン、
イシジマ、ナカノシマ、アコウ、セキビショウ、コウベアカ」等があるが、これら
の呼称が示す島々と、書籍を初めとした尖閣諸島に関する資料とでは、若干の違い
がある事に気付かされることが頻繁にある。この事について、少し書いてみたいと
思う。
沖縄大百科事典より尖閣諸島の項を見ると、
―石垣島の西北方、東シナ海に散在する無人の島嶼群、八重山では<イグンクバシ
マ>ともいう。(略)―
他の尖閣諸島に関する文献や記述にも、多くが同諸島は、八重山では「イグンク
バシマ」、沖縄本島では「ユクンクバシマ」と言い、「ユクン、イーグン」は魚釣
島、「クバシマ」は久場島と昔から地元では称されていた、と記されている。
尖閣諸島が日本国に領土編入されたのは1895年だが、それ以前より同諸島は東シ
ナ海を行き交う船の航路上の標識として知られていた。その代表的なものは琉球福
州間を航海する琉球中国間の朝貢、冊封船の航路である。冊封使の遺した記録にあ
る「釣魚台」「黄尾嶼」「赤尾嶼」等がいわゆる尖閣諸島であると言われている。
2009年冬、初めて与那国島久部良で、カジキ突き船による尖閣諸島における漁業
を、当地に住む古老の一人長浜一男さんから伺った時のことである、終戦後当時の
沖縄には漁船の数も少なく、海人の一部は被害の少なかった台湾に渡り、そこで台
湾人船主の所有するカジキ突き船に乗り込んで、尖閣諸島方面まで出漁したそうで
ある、当時の突き船には沖縄人船長と沖縄漁師が乗り込んだ船が多くあったそうだ。
尖閣諸島への出漁を伺った所、先ず台湾基隆から出帆したカジキ船はアジンコー
ト(彭花嶼)を目指した後、同諸島のクバジマを目指したと言う、さて、聞き取りの
特別研究員寄稿
vol.34
最中にクバジマクバジマと仰られるが、どうも現在言う所の久場島とは様相が異な
るようであり、島の状況や特徴を聞くうちに、これはどうやら魚釣島の事であると
気付いた。その後も、各地の海人古老の皆さんに聞き取りを行うと、「クバシマ」
を魚釣島と、沖縄本島、宮古、八重山の方々皆さん、そう称している。のみならず、
八重山において、「イーグン」という呼称を使用している方は見当たらなかった。
彼らの呼称が最近になって間違ったのではない、安易にそう捉えるのは全くの誤
りである。戦前の文献資料―明治23年(塙忠雄氏)、同26年(笹森儀助氏)、同33年
(黒岩恒氏、宮島幹之助氏)、同41年(東恩納寛惇氏、恒藤規隆氏)等の報告や記述を
見れば、当時においても尖閣諸島に関する呼称が、クバシマを魚釣島と認識して使
用していた状況が見受けられる。文献資料に見える尖閣諸島の名称と、実際に呼ば
れているそれとは、違いがある事が当時より認識されていたわけである。―歴史に
就きて考ふるときは、古来「ヨコン」の名によつて沖縄人に知られしものにして、
当時に在つては、久場島なる名称は、本島の東北なる黄尾嶼をさしたるものなりし
が、近年に至り、如何なる故にや、彼我称呼を互換し、黄尾嶼を「ヨコン」、本島
を久場島と唱ふるに至りたれば、今俄に改むるを欲せず、―1900年8月地学雑誌
「尖閣列島探験記事」黒岩恒。
(画像は1900年6月17日琉球新報記事「尖閣列
島談」黒岩恒より)
「クバシマ」が魚釣島を指すなら、「ユクン」は何島を言うのか?と皆さんは考
えるだろうか。海人の間では「ユクン」は久場島を指す、久場島の場合は他に「コ
ウビトウ」と言う呼称も使われている。他に、南小島は「トリシマ」、北小島は
「イシジマ、ナカノシマ」、大正島には「アコウ」「セキビショウ」「コウベアカ」
という呼称がある。
これらの呼称は各地の海人が彼らの先輩方から受け継いできたものである。宮古
伊良部島佐良浜出身の古老である奥原隆治さんは笑いながらこう仰った「あんた方
は魚釣島と言うけど、僕らは昔からこの島(※魚釣島である)をクバシマと呼んで来
たものだ。」、奥原さんは戦後の1950年冬頃、南小島でカツオ漁とカツオ節製造を
行ったカツオ漁船かもめ丸乗組員の一人である。カツオ漁は夏の間の漁であり、時
特別研究員寄稿
vol.34
期が終わると、当時の船主達はカ船を休ませていたが。冬の間も収入を得ようと、
考え出されたのが尖閣諸島への出漁と、トリシマ(南小島)でのカツオ節製造であっ
た。奥原さんは釣り手として参加したが、男工女工も乗り込み、彼らは島に数月滞
在し節を製したと言う。
尖閣諸島でのカツオ節製造を試みた者は宮古佐良浜だけでなく、1950年頃、同じ
宮古池間から宝山丸工場がクバシマ(魚釣島)南海岸で、八重山大川からは盛海丸が
クバシマ西海岸で、少し遅れて1958年頃宮古久松から進漁丸がトリシマ(南小島)海
岸で、冬季カツオ漁と節製造を試みている。
カジキ突き漁、カツオ釣り漁以外にも、沖縄本島糸満からはシジャー(ダツ)やト
ビウオの追い込み漁、沖縄各地からはマチ類等の深海底物の一本釣り漁、八重山や
宮古伊良部島からはスマカツオやサワラの大物を狙った曳縄漁、本島や八重山から
はアカジンミーバイ(スジアラ)やヒロサー(メガネモチノウオ)等大物狙いの電灯潜
り漁、等々が行われた。聞き取りを通して得られた、各島の呼称を地区ごとにまと
めると以下の様になる。
呼称表
魚釣島
久場島
南小島
北小島
大正島
本島
クバシ(ジ)マ ユクン
トリシマ
アコウ
宮古
クバシ(ジ)マ コウビトウ
トリシマ
ナカノシマ
セキビショウ、
アコウ
八重山
クバシ(ジ)マ
ユクン、
コウビトウ
トリシマ
イシジマ
セキビショウ、
コウベアカ
いわゆる尖閣諸島の名称とは、若干の違いがあることがお分かり頂けるであろう。
沖縄名、中国名が混在していて、紛らわしい様に思われるかも知れないが、彼らの
口から語り出される言葉は我々のそれより具体的で、特に混乱した様子などは見ら
れない、そりゃそうである、実際に経験を積んで来た方々の言葉なのだから。聞き
手、彼らの歴史、知識も経験も持たない筆者が単に混乱しているだけである。
以上、尖閣の島々の呼称について、海人の呼ぶそれと、一般的なそれとは違いが
ある事をおおまかに書いた。皆さんはどの様な感想をもつだろうか。「呼称が統一
されていないのはそれだけ、沖縄の人々と尖閣の関わりが曖昧ではないか、呼び名
さえ違うのだから」というひねくれ者や、「日本国が定めた正式な名前を使わない
とはけしからん」という歴史に対する愛も持ち得ない政治家もいるかも知れない。
日本国が尖閣諸島を領有して今年で117年目を迎えるが、これらの呼称は少なく
とも117年より長く、沖縄の海人らの間で使用され、そして受け継がれて来た呼び
名である。同諸島における海人の世界の歴史は、我々外部の者が有するそれより、
遙かに豊かである。
特別研究員寄稿
vol.34
1979年撮影の尖閣諸島南小島断崖にて
宮古伊良部島佐良浜には、毎年尖閣諸島へ出漁するカツオ船が2隻ある。喜翁丸
(船主漢那一浩さん)と八幸丸(久高明人さん)である。
2010年冬にお話いただいた聞き取りの一部を参考までに附記する。
漢那一浩さん:「漢」 久高明人さん:「久」 国吉:「М」 である。
久:ずっと前に、議会が避難港を作ってくれと要請したんですよ。ちょうどその頃
です。久場島じゃなくて黄尾島じゃないか。
漢:黄尾嶼は中国よみなんだ。久場島とよぶんだ。議会でもどっかの議員が久場島
を黄尾嶼と中国名で書いているのは不味いんじゃないかと言っていて、私はそ
れを聞いていて、ああそうだ、読み方が2つも3つもあったら困るねえと思って
久場島と言ってるんですよ。海図にも久場島と書いてあったり黄尾嶼とあった
りするんですよ。
久:アカオ(大正島)も赤尾嶼でしょ。またあれもなんか違うよね。
漢:だからあれは中国名で呼んでいるんですよね。私も全然分からなかったけど、
国会中継を聞いてると、ああそうだ違うなと思ってね。普通は私らがクバシマ
と言ったら魚釣島のことを言うんですよ。それが普通だった。
久:そう、クバシマは魚釣、黄尾島が久場島なんだよ。
М:黄尾嶼は八重山に行くとユクンと呼ばれています。結局呼び名にも歴史がある
んですね。
久:尖閣は中国の大陸ダナの上に乗ってる、中国の名前でも呼ばれている、ひょっ
として中国のものじゃないかとか思えてくる。
М:歴史的に欧州を中心にして、どこの国にも属さない無人島を我が国の領土であ
ると宣言して領有していった時代があるわけです。そういった中で日本では明
治維新が起こり、琉球は沖縄県になった。そこで沖縄県の周りにある誰のもの
でもない無人島を領有しようじゃないかという動きがあるわけです。尖閣の場
特別研究員寄稿
vol.34
合琉球に属したことのない無人島だけど、中国の名前で呼ばれている。これは
ひょっとすると中国の領土じゃないか、と言う話になる。ところが実際に調べ
たり漁業をしに行ったりしていて、どうやら中国の領土ではないとわかったわ
けです。それで領有を宣言した。ですから歴史的に中国名で呼ばれていたりも
するし、先島の人々が呼んでいた名前も残っている。魚釣島なんかは先島、宮
古八重山の方なんかはクバがいっぱい生えているからクバシマと呼んでいる。
南北小島には海鳥がたくさんいるからあれはトリシマと呼ぶ。そういった色々
な歴史がある。
漢:私らも最初はそのようにばっかり思っていたわけですね。魚釣島を見ても、
ああクバシマだ。ずっとそう呼んでいたわけです。
久:そう。
漢:トリシマ、南小島なんか本当に鳥がすごかったですよ、昔は。
久:今はもう鳥も少ないね。
漢:以前よりはずっと少なくなった。(後略)
特別研究員寄稿
vol.34
石垣島の民話(標準語)解説
2012年 宮良 安彦
この標準語民話は沖縄大学地域研究所の2011年9月から2012年7月までの同研究所
のホームページに特別寄稿として掲載したものである。
同研究所のホームページへの掲載は毎月2話柄ずつである。
この民話の本文の話柄名を記すと、つぎのようになる。
1.ハツガネ(人名)のチブル(頭)石(2011年9月号 vol.24)
~ 10.ウーニトゥージィ(宇根通事)の話(2011年12月号 vol.27)
話柄1~10までの本文は、宮良安彦篇『標準語石垣村の民話』(1972年、白表紙本)
に収録されている石垣島石垣村の標準語の民話をもとにし、本文の一部を訂正した。
それぞれの本文のあとに宮良による解説をつけた。また、それぞれの民話には写真
やイラストをできる限り付した。
11.すずめの話(2012年1月号 vol.28)
~ 22.野底マーぺーの話(2012年7月号 vol.34)
話柄11~22までの民話は、筆者(宮良)の1970年代から現地石垣島での方言民話の
録音のなかの、現代語訳の部分である。
上述の話柄の本文は共通語で記述した。従って、標準語の文体と異なる方言の共
通語の部分があるが、それはあえて標準語に改めなかった。現代語の本文は鈴木重
幸著『日本語文法形態論』(むぎ書房)の文法論にもとづき、文節主義の方法で、記
述した。すなわち、助詞は名詞の一部だとし、名詞とくっつけて、記述した。また
助動詞は、動詞および形容詞の一部だとし、動詞および形容詞」にくっつけて、記
述した。解説は民話のもつ歴史性を考慮し、現代人に語りかけているのもが何なの
かを考慮して、記述した。本文に関連する図絵やイラストなどをできる限り入れる
ことにした。
特別研究員寄稿
vol.34
21.親を捨てる話
宮良 安彦
沖縄大学地域研究所特別研究員
■その1(おば捨ての説話)
昔 人間が 年を とると、何も ならないので、どこにも 逃げられないよう
な 山奥に 連れて 来て、捨てて 来いと いうような お上(かみ)からの 仰
せが あって、ある 家に 老人が おられて、その 老人も お連れ して 山
へ 行かせなければ ならない ことに なり、子は 泣きながら 親を おぶっ
て 山へ 入り、親は ただ 道の 左右に ある 木の 枝を 取っては 落と
し 落とし して、 とうとう 山奥へ 着きなさった。
さて それから 帰ろうと したところ 道迷いを しては ならないと 言って
道端で 木を 折って 置いた それを 頼りに して 山から 無事に 家に
帰れるのも、親の おかげであると 思ったので、親を また 山奥から 家へ
連れて 帰って 来、ほかの 人の 気の つかない 所へ 隠して おいて 養っ
て いた。
■その2(棄老国の説話)
さて お上(かみ)から いろいろな 難題が 出て来て
「灰の 綱を なって 来い。」と
言うような 話が あって、灰では 綱は なえない。と どうしたら、よいかと、
言って、自分の 親へ 言ったところ、
「それは 綱を なって、焼いたら、そのまま 綱の 形で 灰が 残るから、そ
れを 差し上げたら、いいのでは ありませんか。仰せの 答えは この通りです。」
と、言って、お上へ申し上げたところ、たいそう 褒められた。という 話で あ
りは するが、それは 八重山に そんな ことは なくて ある筈だと 思える
が、ほかから 出て いる筈だと、思えます。
(宮良安彦『石垣村の民話集』)
特別研究員寄稿
vol.34
解 説
この民話は1.おば捨ての説話と2.棄老(きろう)国の説話の2篇から成立して
いる。
前者は子が年取った親を山に捨てるが、親が子の帰路を案じて、木の枝を折って、
道しるべにして、そのため、子は親を連れて帰り、人に知られないようにかくまっ
て、共に生活したというものである。
後者は棄老国(きろうこく)に隣国から難題があり、その難題を棄老国でかくまっ
て、養っていた親がその難題を解決した。
以後、この国は敬老の国になったという。
日本の棄老の説話のモチーフは大陸からの移入だとされている。
すなわち、アメリカ・インディアンなどや古代インドのヒンズー教などにもある
という。
上記の八重山石垣村の2つの民話は、本文の話者の話にもあるように、沖縄本島
からの移入だと考えられる。
特別研究員寄稿
vol.34
22.野底マーぺーの話
――人頭税秘話・石に化成した女性の話――
昔 黒島から 野底村へ 人分を された 時、昔の 話で あるので、道で
分けて、この 道から どこは どこへ 行けと 言うような 話で あるので、
そこで 村へ 来たのは 道を 一つ 隔てた 所から 女達は、男と いうのは
道を 一つ 隔てて おり、あそこの 所の あった 所に 自分が 思い 焦が
れて いる 男は 一緒に ならなくて、野底村に 行って、その 男の ことを
思い出し、高い 所に 上がったなら、島が 見えると、思って、自分の 村の
後方に ある 高い 所の 石に 上がり、自分の 島を 見ようと したら、島
は 見も できない。しかし あちらの 所に 自分の 島は あると、言うよう
な ことで 毎日のように 山登りを して いたところ、ただ 石が あったか
ら、石を こんこんと 叩いて 割って みたり、さわっても みたり して い
たが、いくら 待っても 男は 見えない。
あまり 思い焦がれて、その 山の 頂で 死んだと 言うが、それが 変わっ
て 急に 石に なって、休んで いると 言い、それは 野底マーぺーと 今
言われている 石で ある。
こんな 話です。
(宮良安彦『石垣村の民話集』)
解 説
野底村は石垣島の北側の海岸近くにあった村である。この村は石垣島の川平村に
所属していた。この村は水が豊かで、土地も肥え、農作に適した土地であった。
時の政府は、1732年に八重山黒島(くろしま)の住民400余名を野底に強制移住さ
せ、の底村を創建した。
この民話は強制的に愛する男性と別れさせられて、石垣島の野底村に移住させら
れた女性の悲話である。
本文にもあるとおり、愛する男性と別れて、黒島から石垣島の野底村へ行かされ
た女性が、悲しみのあまり、野底岳に登って、愛する男性のいる黒島を眺めている
うちに、石になったという悲話である。
このような人頭税説話は人頭税の施行された先島(宮古・八重山)にのみ伝承され
ているものである。
この民話は、人間化石譚と人頭税説話の2つの説話の重なったものである。
特別研究員寄稿
vol.34
「絵羽模様の仮仕立て」と-気忙しい6月-
熊谷 フサ子
沖縄大学地域研究所特別研究員
最近の仕事現場から衣裳の仮仕立てについて特に気づいた点に触れてみた。
「絵羽模様」とは、衣裳の中で、縫い合わせることで一つの模様が出来上がること。
(例えば、衽布に花の一部分、身頃側に花の一部分が有り、縫い合わせて一つの花
になる。)
通常の訪問着には、「衽付け―脇縫い―背縫い」が
一連の絵羽付模様、衿―抱き―袖に絵羽模様がある。
縫い合わせて絵羽模様を表現することは、衣裳の格付
けのひとつでもあり、絵羽が多いほど格が上位の目安
でもある。
振袖衣裳等は、総絵羽模様が多く取り入れられてい
る例。
染織作家が、平面の一枚の布にデザイン・制作した
作品を、より解り易く立体に衣裳の形として仮に仕立
てることが「仮仕立て」、作品展等に用いられる。
(連続文様の小紋などでも、場合によっては、仮仕立
写真1 衽付け
てをすることで模様を引き立たせたり、染めむら、織
りミスなど、仮仕立てをすることで目立たせない手段
の一つにもなる。
絵羽付けされた反物(並幅物)には、袖、身頃、衽、
肩山などの送り標が付されている場合があるが、時に
は全く標の無い作品もある。
以下、反物に送り標のない場合の裁断を中心に、そ
の要点を記しておきましょう。
まず、「上前衽の柄」を探し、衽布を決める。
衽の柄を探すには、布幅の半分(半幅)に仕分けら
れて模様付けがされていること。通常、布幅の半分が
衽布、残り半幅が衿布になる。(共衿・衿にも柄付け
された作品も有)
② 次に「上前身頃の柄」を探し、片身頃布(左身頃
写真2 脇縫い
になる)を決める。
①の衽に合う柄を探し、衽と柄の続く・絵羽になる
柄を上前の身頃として標を付け、続けて、背縫い位置の標をつける。
②上前身頃の標の付け方は表面に糸で「裾―脇」をL字、背縫い位置は4~5㎝ほ
どの並縫いを付けるのも良し。
特別研究員寄稿
vol.34
③ 次に②の身頃の後身頃の背に合う「背縫い位置の
柄」を探し、もう片身頃を決める。
後身頃・背縫い位置の柄を合わせ、両身頃の裁断を
終える。
③ 両袖の柄を決める。
まず、右袖・外袖と後身頃との柄を合わせ、右袖を
決める。次に、左袖・内袖と前身頃の柄を合わせ、左
袖を決める。両袖、それぞれに袖付け側に内袖、の糸
標し・付け方は、並縫いで「袖山に―」、「内袖に/」
を付けるのも良し。
(布地に小さく⊿に切り、目印にする例があるが仕立
て換えには不適)
以上が、絵羽物の裁断、次に仮縫い順序の一例。
写真3
背縫い
仮縫いは上記の裁断順序で柄を合わせながら針目(1㎝程)を大きく、要所をしっ
かり留め、布を余りいじることなく、縫い位置だけを
持ち、手早く仕上げることが大切。
まず、上前衽付け→上前・左身頃脇縫い→背縫い→
下前・右身頃脇縫い→下前衽付け→衿下―裾―衿下の
折り代しまつ→衿付け→両袖つけ・袖口寸法位置に糸
留
*反物の耳端 が不揃いであったり、仕上がりに不都
合のある場合は、袖口、振り八つ口を伏せ縫いするの
が望ましいようだ。
*袖下の縫い合わせは、袖付けの後、左右の寸法が一
致する様に縫うか、仮縫い作品の目的に合わせて、い
きなり、「そべ糸」で「飾りしつけ」をするのも良し。
*いずれにしても、縫い手は、染織作家の「黒子役」
写真4 仕上り
の一言で表現できるでしょう。(写真1~4:筆者撮影)
*写真の衣裳・仮仕立ては、大城幸正氏の南風原絣で、緯糸でテーユイ・糸を左右
に調整しながら柄を織り出す技法、作品は、浦添美術館で7月10から始まる「沖縄
県伝統工芸展」に出品予定とのこと。
6月は「特別の月」
6月16日、「平和を祈念して・第五回琉球王朝禮
楽・奉納演奏」で「首里クェーナ保存会」の一員
として初めて参加させていただいた。
胴衣と裙の上に絣の内掛
特別研究員寄稿
vol.34
「旅歌」
だんじゅ嘉例吉や 選でさしみしぇる 「囃子 ウーリー」
御船の綱取れば 風やまとむ 「囃子 ウーリー」
平和祈念堂クェーナ「旅歌」
「平和の礎」へお参りも。
祖父・金城樽、父・金城輝榮、叔父・金城仁徳、姉・金城ハツヱが刻銘されてい
る。(写真・筆者撮影)
平和の礎・家族 4名
の名前が刻まれる
ここ数年、6月23日の慰霊の日の「平和行進」に参加してきた。しかし、今年は
所属団体の講習会と重なり、断念。
慰霊の日に講習会を企画した団体の責任者(63才)は「慰霊の日」には全く気が
つかなかった、と釈明(身内に犠牲者の無い人々にとって、慰霊の日は忘れ去られ
てしまうのでしょうか。)
23日の当日は、会場のてぃるるホールで参加者全員(200人余)で黙祷を捧げた
ことで気分が楽になった。
おわりに
6月の沖縄の新聞2社は、連日、先の大戦関連の記事を取り上げた。併せて不発弾、
解決しない基地問題、海の外では騒動、自爆テロの耐えない現状。
母の命日が6月4日。他界して丸3年、昨年の6月、母のタンスの引出し奥から一枚
の表彰状が出てきた。筆者が中学3年の時、拝受した表彰状だ。その内容には、時
の様子がうかがえ、敢えて記録として掲載した。まず、戸籍簿が戦争で消失したた
め、聞き取り調査で申告したようだ。名前が漢字とカタカナの違い、誕生日の申告:
姉は10日、母も10日、筆者・15日。??
特別研究員寄稿
次に、先の大戦を「大東亜戦」として記し、
発行年月日が、西暦で記載していること。(当
時・沖縄がアメリカの統治下であった証。)
家庭の事情で学校へもいけなかった母は、学
習好きの娘が心の支えであった、と姉は語って
くれた。
vol.34
特別研究員寄稿
vol.34
「那覇市ハイサイ運動」は素晴らしいのだが その2
比嘉 光龍
ウエルカルチャースクール
うちなーぐち講座講師
沖縄大学地域研究所特別研究員
「今日拝なびら」の日本語訳
前号からの続き。今年2012年4月から那覇市がうちなーぐち普及のため「ハイサ
イ運動」を始めたことは大賛成だが、「はいさい」「はいたい」と言う言葉を行政
が積極的に用いるのは考えものだと前号では述べた。では、それにかわる言葉は何
が良いか?私は「今日(ちゅー)拝(をぅが)なびら」というあいさつをお薦めし
たい。その理由を述べる前にまず、正確にこの言葉の意味を日本語で理解してもら
う必要があるだろう。それには、やはり「沖縄語辞典」(国立国語研究所編)を紐
解く必要がある。この辞典は私が今まで調査、研究してきた中で、うちなーぐちに
関する最高峰だと言えるので、何はともあれ、うちなーぐちの疑問を解くにはこれ
を基本にするのが良い。
「今日拝なびら」と言う言葉を調べようと思ったら「ちゅー」と「をぅがぬん」
の項目を見れば良い。まず、「今日(ちゅー。辞典ではCuuと表記)」の項目に
「こんにちは(目下へのあいさつ)。目上へはCuu ‘Uganabira.という。」とあり、
もう一つが「拝ぬん(をぅがぬん。’Uga=nuNと表記)」の項目に「Cuu ‘Uganabi
ra.こんにちは。目上に対する屋外でのあいさつ。」とある。さらに「挨拶(いぇー
さち。辞典では?eesaciと表記)」の項目にも「あいさつ。出会った人へのあいさ
つにも、cuu ‘uganabira.(こんにちは。目上へ)、cuu(こんにちは。目下へ)・・・」
とある。少し専門的なことになるが「声門閉鎖音」の「?」、「やわらかな声立て」
の「‘」は正確ではない。私のパソコンでは正確な表記ができないので、それに近
い表記で記した。上述したように「こんにちは」は「今日拝なびら」で良いのであ
る。さらに年下には「今日(ちゅー)」とだけあいさつをしても良いとある。日本
語で「おはようございます」を「今日拝なびら」に例えるならば、「おはようござ
います」は目上へ、目下には「おはよう」と使うような感じだと思ってもらえれば
良いだろう。しかし、この「今日拝なびら」に異論を唱える人も多い。
「今日拝なびら」はあいさつ言葉か?
60代以上のいわゆる、うちなーぐち母語話者の方たちから、「『今日拝なびら』
という言葉は聞いたことがない」「こんなあいさつは昔はなかった」という人もお
り、首里生まれの方から「『今日拝なびら』と言う言葉は首里の言葉にはない」と
特別研究員寄稿
vol.34
言う人まであらわれた。これらの事を言われたのは、私が南風原文化センターにて
自主的にうちなーぐちサークルをやっていた時なので、かれこれ7、8年前のことだ。
その時はまだ、沖縄語辞典を買ったばかりできちんと読みこなせておらず、さらに、
他のうちなーぐちの文献などもきちんと読んでいない時期だった。そして、真喜志
康忠先生とはお会いしたばかりであり、私の現在のうちなーぐちの師匠である屋嘉
比さんとは、まだお会いしていない頃である。しかしながら、「御総様(ぐすーよー
と読む。皆様の意)今日拝なびら」と言うあいさつは、ラジオなどで良く耳にして
いた。それではこの言葉はどこから来たのだろうか?なぜ、「こんにちは」的な感
じで使っているのだろうか?否定的にいう人達の根拠は何なのか、それを調べてみ
た。そうしたら、その後色々なことが複合的に見えてきた。まずは、「沖縄県」が
強制的に設置されたことから説明しなければ「今日拝なびら」については語れない。
うちなーぐち撲滅運動
日本は1879(明治12)年に琉球王国を侵略し、強制的に「沖縄県」を設置した。
その翌年には日本語学校も設置し、琉球王国時代の公用語である「首里語」を徐々
に撲滅する方向で少しずつ、政治、教育、行政の場から締めだしていった。しかし、
「旧慣温存政策」もあり、明治も後半になるまでは、首里語も含めたおきなわ島の
言葉「うちなーぐち」を、ほとんどの人は日常で使用していたようである。ただし、
日本が日清戦争にて、1895(明治28)年にあの大国、清を打ち破り、その後、西洋
の大国であるロシアを日露戦争にて1905(明治38)年に打ち破ると、琉球人たちは、
これはいよいよ本格的に日本国民とならねばならないと覚悟を決めたようである。
日露戦争以後、沖縄社会はより日本化に拍車がかかって行き、それから忌まわしい
沖縄戦の終結する1945(昭和20)年まで、公的な場どころか家庭でも、日本語、日
本語と、沖縄県民はヒステリックに日本語のみがこの世の唯一の言語だと言わんば
かりの日本語強制運動を全県的に展開していった。その過剰なまでの運動は、大和
ん人(やまとぅんちゅ)には異常に見えたのであろう。日本の侵略戦争が常軌を逸
していたのと同じく、その沖縄県の推し進めるヒステリックな日本語強制運動によ
り自身の言語である、琉球諸語の否定に対して物申すと言いだしたのは、うちなー
んちゅではなく、日本民芸協会の柳宗悦(やなぎむねよし)という大和ん人であっ
た。それが世に言う「方言論争」というものだが、そもそも「方言」という言葉自
体が問題であり、この名称も「うちなーぐち論争」などと改めなければならないだ
ろう。
「今日拝なびら」はあいさつ言葉に最適
「今日拝なびら」という言葉は立派なあいさつ言葉であり、沖縄語辞典にも「目
上に対する屋外でのあいさつ」とあるように家の内ではなく外での言葉、つまり、
公的な場で使うあいさつだったのである。しかし、上述した沖縄県になってからの
歴史に見るように、戦前、特に昭和に入ってからは公的な場どころか家庭でも「琉
特別研究員寄稿
vol.34
球諸語撲滅運動」に繋がる、「日本語強制運動」が激化して行った。「琉球諸語」
を公の場で使うなどもってのほかであり、もし使えば非国民として受け取られ、ス
パイ扱いされてしまう時代だったのである。
昭和はそうであったが明治の終わり頃までは、沖縄学の父と言われる伊波普猷は、
うちなーぐちで講演をしていた事もあったようで、彼のように公人として名を馳せ
た学識者が公的な場で、うちなーぐちを使っていたという事実を鑑みると、うちなー
んちゅは公的にもうちなーぐちを使えていたと言えるだろう。そう考えると「今日
拝なびら」というあいさつも明治の終わりまでは使われていたと考えられる。それ
では大正時代から急に公の場で使われなくなったのであろうか?私のうちなーぐち
の師匠である屋嘉比さんに聞いてみた。そうしたら、「たんめー達(たー)や使
(ちか)とーみしぇーたんよ(おじいさん達は使っていましたよ)」との証言を得
た。屋嘉比さんは大正6年に首里金城町の士族の家庭にお生まれになった。証言か
らすると、首里金城町では少なくとも大正期頃までは使っていたと言えよう。その
後、もしかしたら昭和の初めころまで、公の場でもうちなーぐちは使えたのかもし
れないが、昭和16年から、日本が世界を相手に戦争を始めた頃は、公私ともにうち
なーぐちを使うとスパイ扱いされるという滅茶苦茶な時代に突入していくのだった。
ここで上述した「今日拝なびら」と言う言葉を聞いたこともない、もしくはそん
な言葉は首里にはないと言った方々だが、考えてみるとほとんどが昭和生まれの方
だった。昭和という時代は上述したように、うちなーぐちは公的な場どころか私的
な場でも使うのをはばかれる時代だったのである。一方、沖縄語辞典を著した明治
23年生まれの島袋盛敏氏の青少年期はというと明治時代である。青少年期どころか、
島袋氏が大人になってもまだ明治の時代は続いている。そういう時代で生きてきた
島袋氏にとって「今日拝なびら」という言葉は公的な場では当たり前のあいさつで
あり、また島袋氏自身も使っていたのだろうと推測できる。「はいさい」「はいた
い」は前号でも述べた通り、日本語にあえて訳すのならば「やあ」もしくは「どう
も」くらいの軽いあいさつなので、行政で用いるのは適切ではないだろう。それよ
りも「今日拝なびら」ならば「こんにちは」と目上に使えるきちんとした敬語なの
で、行政で使える素晴らしいあいさつだと力説したい。また「ハイサイ運動」とし
て展開している那覇市だが、その名称も「うちなーぐち推進運動」などと言う方が
適切ではないだろうか。
那覇市・宜野湾市・南風原町の3市町共同運営のWeb Site「Okinavita」に
私の短編うちなーぐち講義の動画が掲載されており、そちらのサイトも
ぜひご覧あれ。
http://www.okinavita.jp/?module=CMS&folder_id=30
寄稿
書評
vol.34
『暮らしの質を測る』
経済成長率を超える幸福度指標の提案
緒方 修
沖縄大学地域研究所
この本は一般社団法人金融財政事情 研究会
(きんざい)から4月20日に刊行されたスティグ
リッツ委員会の報告書である。この委員会は200
8年初めにフランス大統領ニコラ・サルコジによっ
て任命された。委員はジョセフ・スティグリッ
ツ(コロンビア大学教授)、アマティア・セン
(ハーバード大学教授)などノーベル経済学者5
人をふくむ24人。ここではサルコジ大統領の前
文、著者による序文、要約をご紹介する。
余談だが、2011年にパリを訪問した時に、学
生街(サン・ジェルマン・デ・プレ)の大きな
本屋でこの報告書を探した。2010年に出ている
はずのこの本の存在を店員が知らなかった。そ
れでは、とブータンのGNH(グロス・ナショナル・
ハピネス)についての本が無いか尋ねた。「ブー
タン?アフリカの国かな?」という返事。しょ
うがなくエミール・アランの幸福論」を買って帰ったことがある。ちなみにこの
「スティグリッツ報告書」(通称)は今ではフランスの全公務員の必読書になって
いる。
前文
「私には強い確信がある。それは、経済業績を計測する手法を変えない限り、われ
われの行動は変わらないだろう、という確信である。」(サルコジ大統領)
彼は、変革することが必要だ、と強調している。自分の知識を確信している知識
人と、自分の人生経験とデータが伝えるお話がまったく一致しない市民たちの間の
「深淵」。つまり我々はだまされていると信じ込むこと。民主主義にとってこれほ
ど危険なことはない。「われわれは数字崇拝をつくりだし、いまではその虜になっ
ている。われわれがしてしまったことによるとんでもない結果が、いま襲いかかっ
てきている。」
こうした危機感から委員会が創られた。
寄稿
vol.34
序文
委員会の目標は「GDPの、経済業績と社会進歩を測る指標としての限界を明らか
にし、もっと妥当な姿を描き出すのに必要な追加的情報を検討するとともに、最適
のやり方でこの調査結果を発表して、GDPに変わる計測手段をつくり、可能性につ
いて評価を行うことにあった。」
GDPは増大しているが、人々は貧しくなった、と感じる社会がある。政府は生活
が良くなった、何故なら・・と数字を羅列する。結果は、人々の政府不信が増すだ
けだ。平均所得と中位所得のズレが大きくなれば、不平等が拡大していることにな
る。ではそれを是正するには?政策を立てる前に、こうした現実を計測する手法は
あるのか。序文では、グローバル化が進んだことに対する批判の一つとして、共同
社会の意識が弱まり、幸福度が低下した例が挙げられている。この委員会が提起し
た問題は活発な話し合いを呼び起した。
2009年、韓国釜山で開催された第3回経済協力開発機構OECD世界フォーラムにお
いて、参加者たちは社会進歩をよりよく計測することが「ビジョンを樹立し」「暮
らしを改善する」うえでも、重要な役割をいかに演じられるかを討論したのである。
要約
われわれは暮らしの測り方を間違えている―なぜGDPの合計はあわないのか
「フランスとイギリスでは、国民の3分の1しか統計を信用しなくなっている。
(略)交通渋滞は、ガソリン消費をふやすのでGDPを増大させるかもしれないが、
暮らしの質を向上させたりしない。さらに、もし市民が大気の質を心配しており、
大気汚染度が高まっているならば、大気汚染を無視するような統計は、人びとの幸
福度に何が起きているかを正確に評価していない。」こうした経済的、社会的変数
と人びとの実際に感じる大きなズレがまず指摘される。その上で、12の勧告が提示
される。ここでは最初の4項目を紹介する。
勧告1 物質的な幸福度を調査する際、生産よりも消費と所得をみていくべきであ
る。
「GDPと幸福度を混合して一つにすると、人びとの豊かさを間違って示す指標が
生まれ、それによって間違った政策決定がなされるおそれがある。」ある程度所得
が増えると、幸福度は上がるがそれ以上になると関係ない場合が多い。所得が下がっ
て生産が上がる場合もあれば、その逆もありうる。
勧告2 家計の視点を重視せよ。
「家計の視点を導入すると、政府に支払う税金、政府から受け取る社会的給付や
家計から金融機関に流れていくローンの金利支払など、部門間の支払が視野に入っ
てくる。」統計は役所がまとめる。個々の家庭の収入・支出、さらには勤務時間や
通勤時間、買い物に便利な店や快適な公園があるかどうか、安全かどうか、等も幸
福度向上に大きな役割を果たすだろう。ヘリコプターが飛びまわる危険な基地周辺
は、環境劣悪。家計は健全でも幸福度はかなり下になる。
寄稿
vol.34
勧告3 財産wealthとともに所得、消費を検討せよ。
「所得と消費は生活水準を評価する際にぜひ必要だが、結局のところ、それらは
財産に関する情報と結びつけないと計算できない。いまの消費のために財産を取り
崩す家計は、それによって現在の幸福度を高めながら、将来の幸福を犠牲にしてい
る。」年金生活の高齢者たちは将来に不安をかかえながら生活している。インフレ
が昂進したら、消費税が上がったら、医療費が増えたら・・物質的な財産とともに
これまでに築きあげた精神的財産をも取り崩しながら生活している、と言って良い。
家族も(もし順調に行っていれば)大きな財産となる。これは幸福度に大きく関係
するが、計測は難しいのではないか。
勧告4 所得、消費及び資産の、分配をもっと重視せよ。
「平均所得は増加しても、その分配は各グループ間で不平等に行われ、他の人び
とより相対的に貧困になる家計がいくつか生じるかもしれない。このため、所得、
消費および資産の平均値は、その分配状態を示す指標を添えて行うべきである。」
金持ちと貧乏人の所得を足して2で割っても、現状は把握できない。「中位消費
(所得あるいは資産)の方が平均消費(所得あるいは資産)よりも、「典型的な」
個人や家計になにが起きているかをよく表す。」
以下は省略するが、この要約(12の勧告)を横に置いて、調査そして政策立案を
するならばはるかに良い社会が実現する、と期待出来る。
実践講座
報告
■地域幸福論
地域研究所が主催している講義「地域幸福論」では、様々な分野で地域に根
ざした活動をしている方を講師に招き、沖縄の現状と課題、地域の活性化や地
域の幸福について考えています。10回の講義が終わり講義も終盤に差し掛かっ
ています。どのようなレポートが作成されるか受講生の視点が楽しみです。以
下受講生の感想を紹介します。
受講生の感想
1、人は誰かの役に立ってるんだなと気付いたとき、初めて本当に心から幸せ
や喜びを感じるのだなと思いました。(社会福祉活動をテーマにした講義の感
想)
2、一番興味があったことは自分かを中心に考えるのではなく、他文化も評価
することが大切、という考え方です。これは私達の人間関係にも似たものであ
ると思いました。貴重なお話をありがとうございました。(異文化理解をテー
マにした講義の感想)
3、変化することと苦の見方を知り、沖縄の人は苦の見方が自然と出来ている
のかなと思いました。「なんくるないさ精神」とちょっと似ているかなって思っ
たりしました。(仏教思想から幸福を考える講義の感想)
5月26日
講義風景
6月9日
講義風景
6月16日 講義風景
実践講座 1207_2
開講日
4月14日(土)
テーマ
防災のまちづくり
担当講師
稲垣 暁氏(沖縄大学地域研究
所特別研究員)
高橋 年男氏(沖縄県精神障害
4月21日(土)
沖縄における精神保健の現状
4月28日(土)
沖縄における病弱教育の歴史研究
嘉数 睦氏(沖縄大学大学院現
代沖縄研究科2011年度修了)
5月12日(土)
「日雇い労働者の街、横浜寿町に
おける『心病む』人々と共に歩む
働きについて」益巌氏を招いて
西尾 敦史氏(沖縄大学人文学
部福祉文化学科准教授)
5月19日(土)
土曜教養講座「私の沖縄研究50年」
ヨゼフ・クライナー博士
5月26日(土)
多文化社会を生きるスリランカ
ディリープ・チャンドララー
ル(沖縄大学国際コミュニケー
6月2日(土)
スリランカ文化におけるつながり
の概念とその実態
6月9日(土)
仏教から探る3.11後の生き方
6月16日(土)
今を生きる
稲葉 耶季氏( 名護簡易裁
判所判事)
6月30日(土)
離島研究・実践促進プロジェクト
応募者プレゼンテーション
同プロジェクト応募学生
(沖縄大学地域研究所)
7月7日(土)
久高島留学センターの実践活動
(仮)
坂本 清治氏( 久高島留学
センター)
者福祉会連合会事務局長、普天
間爆音訴訟団事務局長)
ション学科教授)
7月14日(土)
7月21日(土)
土曜教養講座「沖縄学の未来―沖
縄の歴史・文化・政治の情報発信
―」
シンクタンクからみる沖縄におけ
る起業
儀間 真貴子氏(沖縄大学大学
院現代沖縄研究科2011年度修了)
木下 全雄氏(高野山真言宗
三宝庵住職)
県内外大学
所
沖 縄関係研究
比嘉 明彦氏( 海邦総研研
究員)
7月28日(土)
起業事例~インターネットビジネ
ス
瑞慶覧 達成氏(T-RANKING
代表、2010年度本学卒業生)
8月4日(土)
地域幸福論構築に向けての考察
桜井国俊(沖縄 大学国際コ
ミュニケーション学科教授)
実践講座 1207_3
■まちづくり実践演習
那覇浸水想定で避難支援ワークショップ ・・・繁多川公民館炊き出し実験に向け
去る6月16日、那覇市繁多川公民館で、繁多川公民館と沖縄大学まちづくり実
践ゼミが合同で「2000人でシンメーナービで豚汁を」という社会実験を行いま
した。
繁多川公民館が講座のひとつとして防災をテーマに、地域住民による炊き出
し実践を通じて住民の災害に対する意識の向上や地域のつながりを強くしよう
という試みで企画したものに、「地域の食」や「防災」に取り組んでいる〈ま
ちづくり実践演習〉が協働することになりました。実施前に2回、繁多川地域
のみなさんや公民館、相談センター、保育園、地域外のまちづくり協議会や那
覇市社協などのみなさんにお越しいただいて、シンメーナベ炊き出しに向けた
ワークショップを行いました。シンメーナベを使う意味、炊き出しの意義や効
果、実際に那覇で災害が起こったことを想定して人の確保や水や食材の具体的
な調達、この社会実験で予想される課題や期待する成果など、4チームに分か
れて戦略を立てました。
また、ワークショップと社会実験に関わることで、災害時にリーダーシップ
をとれる人を育てることも大きな目的です。
実際に那覇市の沿岸部に災害が起こり、大勢の避難者が高台を目指したとき、
高台の公的機関や住民はどう動くべきなのか。もしかしたら自分たちも被災し
ているかもしれない中で、どう共助を行うのかを実践で学び、本番(実際の災
害時)に少しでもたくさんの人が救われるよう適切な動き方を考えるのが目的
です。また、災害経験やボランティア経験の少ない人が「臨機応変に、動きな
がら考える」「マニュアル対応ではなく、個別対応で臨む」「ベストを尽くす」
という災害ボランティアの鉄則を学ぶ機会でもあります。そのため、失敗と検
証、修正のプロセスを重視します。
〈ワークショップ第1回〉
ワークショップ第1回は、6月2日に沖縄大学で行いました。参加したのは、
・繁多川あたいぐゎープロジェクト
・ゆいまーる松川相談センター
・相談センターいしだ
・シルバーピア相談センター
・与儀小学校区まちづくり協議会
・繁多川公民館
・那覇市社会福祉協議会
・タイムス住宅新聞記者
・CORe;防災研究班(沖縄国際大学学生・OG)
・はいさいボーサイCAFE(自主講座「現場学」)・真和志高校(生徒)
・沖縄大学地域共創まちづくり実践演習ゼミ生
実践講座 1207_4
のみなさん。地域のかたがたが大勢来てくださったことで、学生たちも普段よ
り気合が入っているよう。教室には大きなシンメーナベが持ち込まれ、機運を
盛り上げていした。
繁多川公民館(NPO法人なはまちづくりネット)の南さんから炊き出しの趣旨
説明を行った後、4グループに分かれてスライドによるレク「生きることは食
べること」を行いました。
シンメーナベが戦後の沖縄を支えたこと、阪神淡路大震災でわかった炊き出
しの意義や効用などを学びました。
初めにグループ内で自己紹介を兼ねて簡単にアイスブレーク(①名前と所属
②今住んでいるところ ③好きな沖縄料理)を行い、まずは今回の災害想定
をグループ内で読み合わせました。
那覇が震度6強の地震と7mの津波に襲われたとして、宮城県の石巻高校と
虻田中学校での事例を参考にしながら阪神淡路大震災での倒壊状況を組み込み、
那覇なりの被害状況を簡単に想定してみました。
災害想定(真和志地区の住民支援・物資拠点を繁多川公民館に置く設定で)
201X年6月15日 真和志地区
14:46
沖縄本島近海でM7.3の地震発生、那覇市震度6強、沖縄県沿岸に大津波警報発令。
古い民家や老朽アパートが倒壊、道路が亀裂陥没、倒壊家屋により路地封鎖。
折からの梅雨末期の大雨で地盤が緩み、急傾斜地崩落や地滑り多発、液状化現
象。広い範囲で停電、断水、ガス漏れ多発、道路・通信寸断などライフライン
壊滅。
15:30
津波到来、那覇市内で推定潮位6~7m(アメリカ・カトリーナ災害と同潮位)。
海岸から県庁周辺、久茂地、牧志、国道507号近辺は浸水と流出物により破壊。
ガーブ川、安里川を遡上した津波が与儀公園、栄町市場周辺まで浸水させる。
住宅密集地や商店街区域で火災発生、消防車と水利が間に合わず燃え広がる。
流出物が壺屋、大道まで押し寄せる。新都心の那覇市消防本部に災害対策本部
設置。
16:00
浸水地域から避難住民が神原、与儀、大道・松川小、真和志中に詰めかける。
収容避難所の上間小学校は背後の急傾斜地崩落とともに倒壊、住民は入れない
状況。
17:00
津波被害の大きい国際通り以西からの負傷者や高齢者が続々と寄宮、松川に。
実践講座 1207_5
日本赤十字病院、セントラル病院は負傷者や遺体であふれる。泉崎の県庁、那
覇市役所とも1階浸水で孤立判明。那覇市民会館が遺体安置所に。
20:00
330号線、507号線近隣の学校はどこも1000~2000人の避難者であふれる。
高台の学校を目指し徒歩移動する避難者多数。ただし安里川、久茂地川の橋は
流出。要介護者、病弱者、障がい者、妊婦など高台の小中学校に運び込まれる。
道路の大半は倒壊物で通行不能。大道~首里、三原~繁多川、与儀~識名は大
渋滞。小中学生の保護者への引き渡しほぼ終了。保護者のない児童多数、その
まま学校に。330号以西は食べるものが全くない。以東でもコンビニ、スーパー
機能せず。
6月16日
6:00
浸水域のうち、水が引き始めた地域で孤立していた学校から高台に避難者が移
動。
9:00
浸水地域から、330号線以東の小学校に続々と避難者が詰めかける。
石田中学校、識名小学校の体育館を開放。首里高グラウンドが救援ヘリポート
に。新都心の災害対策本部は遠く、市役所は浸水被害のため、真和志地区と連
携できず。真和志庁舎は危険なため、繁多川公民館に真和志地区住民支援中間
拠点化を打診。沖大に真和志地区学生災害ボランティアセンター本部設置、情
報班・救援班が出動。
10:00
繁多川公民館が真和志地区の中間支援拠点に。近隣から野菜や井戸水、資材提
供。繁多川公民館、首里地区に後方支援拠点を要請、沖工・沖大を前線基地と
して連携。また与儀小・大道小を真和志地区の最前線基地(情報収集・公開拠
点)として連携。
11:00
繁多川公民館、浸水地域からの避難民および近隣の倒壊住宅民に炊き出し開始。
繁多川公民館に沖大ボランティアセンターのブランチを設置し、近隣の情報収
集と配食・給水情報を広報。
久茂地にある那覇市役所は1階が水没、新都心の那覇市消防本部に災害対策
本部が置かれているものの情報インフラや道路の寸断で連携がとれず市内各所
で公助は期待できない状況。首里が物資集積地になると想定し、繁多川公民館
実践講座 1207_6
は真和志地域の中間支援拠点として、公民館スタッフおよび地域住民、ボラン
ティアによる地域災害対策本部として動き始める設定です。日中のことなので
私は沖縄大学で在学生を中心に災害ボランティアセンターを始動させながら、
繁多川公民館の南さんと連携して公民館をボラセンのブランチとして活動する
というシナリオです。
意外にリアルだったので、参加者ばかりか公民館スタッフも驚くとともに、
いつにない緊張感を漂わせていました。「具体的な地名が入ると非常に身近な
ものに感じられ、災害の怖さを実感しますね」と参加者。
続いて、地図上で浸水想定した地域を色で塗りつぶし、那覇市の町別人口表
を見ながら被災者数を書きこんでいく作業を行いました。
表は2012.3現在で、左から町名・ 世帯数/人口です
●58号線以西・・・浸水3m以上と想定
通堂町 ― ―
西1丁目 774 / 1,423
西2丁目 480 / 886
西3丁目 652 / 1,396
東町 498 / 874
辻1丁目 774 / 1,519
辻2丁目 548 / 894
辻3丁目 ― ―
若狭1丁目 433 / 920
若狭2丁目 622 / 1,367
若狭3丁目 1,100 / 2,450
久米1丁目 680 / 1,406
久米2丁目 871 / 1,693
浸水域を地図に書き込む
松山1丁目 544 / 1,026
松山2丁目 552 / 1,049
前島3丁目 600 / 1,115
計 9128 / 18018
●国際通り以西・・・浸水2m以上と想定
旭町 83 / 186
久茂地1丁目 54 / 111
久茂地2丁目 610 / 1,076
久茂地3丁目 308 / 623
泉崎1丁目 647 / 1,297
実践講座 1207_7
泉崎2丁目 853 /
牧志1丁目 722 /
牧志2丁目 974 /
安里1丁目 292 /
前島1丁目 576 /
前島2丁目 917 /
計 6036 / 11852
1,816
1,412
1,866
503
1,172
1,790
●ひめゆり通り以西・・・浸水1mと想定
牧志3丁目 1,185 / 2,071
安里2丁目 458 / 846
松尾1丁目 729 / 1,497
松尾2丁目 1,337 / 2,601
壺屋1丁目 1,144 / 2,207
計 4,853 / 9,222
●浸水域境界地区・・・浸水被害なしと想定
字大道 1,522 / 3,229
松川1丁目 680 / 1,554
松川2丁目 732 / 1,526
松川3丁目 1,031 / 2,289
三原1丁目 1,048 / 2,263
三原2丁目 1,360 / 3,030
三原3丁目 784 / 1,869
壺屋2丁目 1,087 / 2,219
寄宮1丁目 778 / 1,740
寄宮2丁目 1,268 / 2,691
寄宮3丁目 814 / 1,756
浸水域での被災者数、高台への避難者数を推計する
計 11,104 / 24,166
●繁多川公民館周辺(半径1km)・・・浸水被害なし、公民館に多数の住民が
避難する可能性
繁多川1丁目 1,225 / 2,964
繁多川2丁目 802 / 1,901
繁多川3丁目 701 / 1,739
繁多川4丁目 706 / 1,798
繁多川5丁目 824 / 2,054
識名1丁目 1,079 / 2,530
識名2丁目 414 / 1,007
実践講座 1207_8
識名3丁目 979 / 2,396
識名4丁目 268 / 708
字真地 1,441 / 3,776
計 8,439 / 20,873
●漫湖沿岸・・・浸水2m以上と想定
壺川1丁目 694 / 1,496
壺川2丁目 621 / 1,405
壺川3丁目 501 / 1,018
古波蔵3丁目 1,385 / 3,242
古波蔵4丁目 371 / 761
字国場 4,844 / 11,353
字仲井真 1,626 / 4,158
計 10042 / 23433
この数字を地図に書き込み、被災者や高台への避難する人の状況をイメージ
しました。
今度は、グループ内で今回の社会実験での環境や資源の確認を行いました。
●資源:建物、シンメーナベ、具材、食器、火、井戸水、ボランティア30人
●危機:停電、断水(想定)、災害時炊き出し経験者がいない
●可能性:地域のつながり
●脅威:ふもとの浸水被害地域からの避難者が増えつつある。何人になるか不
明
メンバーで共有した後、指示内容に応じてグループディスカッションとワー
クに入りました。
①災害時、炊き出しの役割
この災害想定で繁多川公民館が炊き出しをするにあたり、必要な対応や
役割は何か?スタッフは、どう役割分担するか?
②リスクマネジメント
この社会実験を行うにあたり、想定される課題や困難は何か?
③災害時だからこそ、沖縄らしさや地域の知恵を
災害時だからこそ、沖縄の食文化や地域文化をどう生かすか?
60分のグループワークを経て、チーム別のプレゼンに。
次ページのようなグループ報告がなされました。
実践講座 1207_9
〈ワークショップ第2回〉
ワークショップ第2回は、6月9日
に繁多川公民館で行いました。参加
したのは、
・繁多川自治会
・いしだ丘保育園
・地域相談センター
・繁多川公民館
・与儀小学校区まちづくり協議会
・那覇市協働大使
・CORe; 防災研究班(沖縄国際
大学学生・OG)
・那覇市職員
・タイムス住宅新聞記者
・はいさいボーサイCAFE(自主講座「現場学」)
・沖縄大学地域共創まちづくり実践演習ゼミ生
のみなさん。初めての顔ぶれもあり、前回のふりかえりとしてスライドによる
実践講座 1207_10
レク「生きることは食べること」を再放送。この日は炊き出しマネジメントと
して地域の水の活用もテーマにしているので、災害時の水について具体的に触
れました。
4グループに別れ、ディスカッションとワークを開始。今回は次のような指示
のもとに、議論と立案が行われました。
①断水時、炊き出し用の水の調達
断水している。井戸水と公民館のペットボトル備蓄水40リットル(2L×20)し
かない。前回割り出した被災者数を元に繁多川に避難してくる人数を最大2000
人と設定した。必要な水の量と運搬人数、資材数を計算し、各井戸から調達す
る計画を立てよ。貴重な水を無駄にしないよう、再利用システムも考えよ。
②地域つながりを生かした炊き出し用の食材調達
近隣スーパーの被害は軽微。本社と連絡不通の中、店長の英断で野菜の買い入
れが可能になった。あたいぐゎーも無事。2000食を用意するための食材調達と
調理の作業計画を立てよ。
③社会実験のゴール(想定される課題と、生み出したい成果は何か?)
今回の社会実験を通じて、想定される課題と生み出したい成果は何か?
まず、断水状況下で炊き出しに必要な水の量と調達方法、運搬や人員につい
て考えました。繁多川地区は井戸がけっこうあり、地域で守られています。そ
の水の場所について各班の情報担当が繁多川自治会長さんに取材を行い、水の
調達方法について議論しました。
各グループの情報担当が繁多川自治会長の
波平さんのもとに集まり、井戸に関する情
報を収集
ついで、近隣スーパーやあたいぐゎー(家庭菜園)からの食材調達に関する
作戦を立てました。
グループによっては保育園や相談センターといった地域の子供たち、高齢者
実践講座 1207_11
の施設のスタッフが参加されており、災害時あるいは避難者支援を行う立場に
なったときにどういう協力体制で行うかを話し合いました。
16日に行う炊き出し社会実験当日に想定される課題と、本番(災害時)ある
いは今後の地域での活動のために得て起きたい成果やでーたについて議論し、
まとめ最後にグループ別発表を行いました。
実践講座 1207_12
16日に繁多川公民館で行った社会実験「シンメーナービで2000人で豚汁」。
シンメーナベ3枚で300食を作る作業からスタート。
2週間のワークショップから入った学生他30人を中心に、ボランティア参加者
と一体となって実験が進められました。
実際の大災害を想定したワークショップで「自分たちは何のためにこの実験
をするのか」を30人がよく理解し、課題が出てもその都度臨機応変に個別対応
で臨むことを意識して動けました。炊き出しも予定より30分早く配食ができま
した。
また、数多くの課題や対応例をサンプリングでき、30日に沖縄大学でのゼミ
で地域の方と一緒に検証することになっています。
琉球新報に様子が掲載されまし
た。
地域共創センター
報告
■2012年度 ジュニア研究支援
5月7日~6月4日にかけて募集していたジュニア研究支援は、今年度も多数の
お申し込みをいただきました。ありがとうございました。
選定審査会で慎重に検討した結果、下記グループに助成金を交付することが
決定されました。今回、採択されなかったグループも素晴らしい研究計画を寄
せていただきました。皆さんが今後とも研究活動に意欲的に取り組まれること
を願っています。
研究グループ名
研究テーマ
龍郷町立大勝小学校
アマミノクロウサギ班
どうすればアマミノクロウサギを守るこ
とができるだろうか
龍郷町立大勝小学校
奄美大島のクワガタを守るにはどうすれ
ばよいだろうか
大宜味村立喜如嘉小学校
リュウキュウヨシゴイ追っかけ隊
喜如嘉ターブクの野鳥観察
―身近な自然を考える―
沖縄県立開邦高等学校
Team KOKABU
オキナワコカブト(Eophileurus chinensis okinawanus)を用いた
甲虫類の生活環のモデル化について
沖縄県立辺土名高等学校
環境科 サイエンス部
奥間川・比地川水系における水生生物調
査Ⅴ ~グマガトビケラの生活史について
~
河川班
パート5
沖縄県立宮古高等学校
ミヤココウトウガッコウ
宮古島の固有種ミヤコマドボタルの分布
と生態に関する調査
沖縄県立伊良部高等学校
自然クラブ
伊良部島におけるオキナワキリギリスの
分布調査
石垣市立
魚湧く白保の海とサンゴを調べ、守ろう
白保小学校
沖縄県立八重山高等学校
生物部
石垣島におけるヤシガニの研究Ⅴ
~保護条例制定をめざしてPart2~
沖縄県立八重山商工高等学校
生物部
アンパルに生息するシレナシジミ研究Ⅴ
~幼生の生態と分散の解明とノコギリ
ガザミとの共進化について~
共創セン ター 1207_2
■第3回 沖縄大学社会教養セミナー
2012年6月28日、第3回沖縄大学社会教養セミナーが開催されました。この講
座は本学教員が専門分野や教育について、同窓生、父母、市民に向けて語るも
のであり、講座の後にはささやかな懇親会も開催しております。
第3回目の講師は浅野誠氏(客員教授)と桜井国俊氏(国際コミュニケーショ
ン学科教授)、参加者は51名。浅野氏の講演ではワークショップ形式を取り入
れ、参加者が沖縄の教育について話し合いました。そして、浅野氏は社会状況
と教育の関連について指摘し、「人生おこし」は「沖縄おこし」であることを
語りました。桜井氏は、ご自身の専門である環境アセスメントについて丁寧に
分かりやすく語り、沖縄の環境アセスメントの問題点と未来の責任は現在を生
きる我々にあることを指摘しました。
次回は7月26日(木)18時30分~ 同窓会館にて開催します。
講師と内容は、上地幸市氏(国際コミュニケーション学科教授)「地域共創
の教育を考える」、山代寛氏 (福祉文化学科教授)「禁煙の科学」です。皆様
のご来場をお待ちしております。
【日時】2012年6月28日(木)18:30~20:30
【場所】沖縄大学 本館 同窓会館
【講師】浅野誠 氏(客員教授)
桜井国俊氏(国際コミュニケーション学科教授)
【司会】横山正見氏(地域研究所)
【参加人数】51名
●「環境アセスメント」について無知だった私でもわかりやすく、だからこん
なにも問題になっているんだと感じた。「沖縄おこし・人生おこしの教育」で
は、教育の仕方で今後の日本の経済や自然環境、また日本の立ち位置も変わっ
てくるので、教育は人類にとってかかすことのできない学問だと思いました。
この様な素晴らしい講座を受講出来て、また一つ成長出来るきっかけができま
した。ありがとうございました。(女性 一般)
●浅野先生の文科省の教育方針が大きく変わることは、何を目指しているのか
明確ではないような気がする。少子化の流れとも関わっているのか、国体が今
後50年後どうなるのか全く予想がつかない事への危機感なのか、考えさせられ
る良いお話でした。
桜井先生の環境アセス本当に良く分かりました。身近な問題として絶えず関心
を持っていますが、沖縄という地において差別的対応は戦前戦後、未だに変わ
らない。国策を強いている国(政府)に対し、強い憤りを感じます。有難うご
ざいました。(男性 同窓生)
共創セン ター 1207_3
●浅野先生のお話は、初めて聞きましたが、とても楽しかったです。私も現在
大学で学んでいますが、一番苦手なのが「自分の意見を述べよ」といったよう
な課題です。今回は参加者で討論をしましたが、今の若者と違い、自分の意見
を言える人たちばかりだったので、とても良い刺激になりました。
桜井先生のお話も、講義を受けたことがありますが、アセスについて、市民の
参加がどれだけ重要なのか、ということを毎回考えさせられます。とても貴重
な時間でした。ありがとうございました。(女性 沖大生)
●浅野先生、桜井先生、2人とも自分の考えを持って伝えることの大切さを理解
することが出来るお話でした。桜井先生の自分の意見を言う、「物言う市民を
作る」ための教育、そのためには、浅野先生の言う、自分の考えを持つ学生作
り。
2人の先生の意見が1つの線で結ばれたような気がして、楽しい教養セミナーで
した。(男性 一般)
●楽しく受講することができました。今日はありがとうございました。沖縄の
島の環境が壊れないことを願う一人です。子や孫の時代までも、おだやかな沖
縄・世界であってほしいです。心から祈っています。(女性 同窓生)
●国の教育問題は新聞等に報道されても最後まで読んで理解できるものではな
い。浅野先生の講演は大変勉強になりました。環境アセス、現在進行中の基地
移設の問題をこまかく説明して頂き、関心が高まりました。色々な問題点(環
境)は沖縄に集中しているように思う。絶対に辺野古へはNOをつきつけなけれ
ばならない。(男性 一般)
●浅野教授の沖縄の教育についての話は面白かった。フィンランドの教育法を
参考に、沖縄がこれからどのように変化していくべきなのか。知識をつめこむ
テストのための勉強などではなく、知識を有効に利用するために自らの頭を使っ
て考えていく勉強が必要であるという考えは面白く思えた。フィンランドのグ
ループをつくり、テーマにそって調べて勉強していく方法はスペシャリストを
育てるもののように思える。(男性 学生)
●浅野先生の「沖縄おこし・人生おこしの教育」教育について3つに分けて興味
深いセミナーでした。自ら問題意識を持って主張することの大事さを学びまし
た。学問を知識から創意工夫の知恵を出して個性を開花し、独自性を備える一
人一人へ。
桜井先生の「環境アセスメントとは何か」についてとても分かり易く、又、今
問題である辺野古の基地建設など、良く理解できました。未来のためにも、ア
セスについて意見を主張出来るようになりたい。(男性 同窓生)
共創セン ター 12074
●本日(今回)も興味深い話でした。もっと時間があると良いですね。今後の
楽しみにしております。同時に、それぞれの「書」をひもといてみたい。(男
性 同窓生)
●浅野誠先生のお話は、とても興味深い点が数多くありました。話の始めに出
たOECDの規定から沖縄の教育が「先進国型」「独自型」「発展途上国」のどち
らかについて考えることになった時、私は「発展途上国」の立場を取りました。
なぜなら沖縄はまだ基礎学力の面に対しても本土と比較しがちな傾向にあると
考えた事と、沖縄県自体が、教育の方針について中途半端な立場にあると考え
たからです。
桜井先生のアセスメントの話で初めてアセス法の手順を知ることができました。
個人的にジュゴンの話には疑問が残ったので、今度個人的に調べて先生に質問
をしに行きたいと思います。(女性 学生)
●沖縄おこし・人生おこしの教育については、本当にこれからの教育システム
を考えるとき大変すばらしいお話でした。もっと聴講したいくらいであった。
桜井先生の環境アセスメントについてもその重要性、その意義等よく理解でき
たような気がした。沖縄の一つ一つの事例について日米両政府の思惑がよく見
えるような気がしてならない。(男性 一般)
●浅野誠さんのお話はユーモアがあり、とても関心をもって話が聴くことがで
きた。浅野さんのような考えや先生が増えると社会が良い方向に向かうと感じ
た。社会問題は教育によってほとんどが改善されると考える。むしろ教育以外
に方法はあるのかと思うくらい日々考えています。桜井先生の話は、講義でも
聞いたことのあるものもいくつかあったが、改めてアセス評価の不当さを感じ
た。(男性 学生)
●浅野先生のユニークな講演は興味深く、設問は沖縄の教育を考える上で、新
しい視点を提示してくれた。桜井先生の環境アセスメントを体系的に学ぶ良き
機会だった。沖縄の直面しているテーマに則して考える良き機会であった。
(男性 一般)
●今日は桜井先生の授業大変勉強になりました。アセスメント法もよく理解で
きたように思います。先生のような方々が沖縄の先頭になって、よい沖縄に導
いて行けたらと思いました。これからも先生のますますのご活動期待します。
ありがとうございました。(男性 同窓生)
●沖縄の教育・沖縄の環境アセスに関して、初めて問題意識を感じました。今
後ニュースなど、気をつけて見ていきたいと思いました。(女性 一般)
共創セン ター 1207_5
●浅野先生、ユニークな教育方法、人材教育等、楽しく聞かせて頂きました。
桜井先生、アセスは住民として意見を言うことで自分達の環境を守ることがで
きることを知りました。沖縄県が2件のワーストアセス大賞は本当に情けないこ
とだと思います。もっと県民が自分達の環境アセスを大切にしたい。(女性
同窓生)
●遅刻してすみません。企業が求める人材像がどのような人物なのかという点
で何かヒントがあるのかなぁと注視して聴いてました。激動の時代で、僕より
1つ年上の中学教師が自殺し、ショックで、今の世の中が厳しさを増してきて
いるのを僕も実感します。
浅野教授の授業も、桜井教授も勉強になりました。職業訓練でeco検定に合格し
たので、環境アセスの中身については、関心があり、知ることができて、良かっ
たです。ありがとうございます。(男性 一般)
●浅野先生の沖縄おこし、教育の在り方、沖縄の未来のため考えさせる、自分
の考えを主張する人間育成、とても考えさせられました。ありがとうございま
す。桜井先生、7世代先のことを考え、判断し決断すること、未来を考えるた
めに今、我々が生きることを考えさせられました。ありがとうございます。両
先生の話、もっと時間が欲しかった。又、機会を作ってください。(男性 同
窓生)
●環境アセスメントの講座、大変参考になりました。沖縄のアセスは、問題が
多いのに、もっとじっくり考えることが必要と思われます。(男性 一般)
●もの言う市民の重要性を学んだ。どう育てるのかさらに重い課題だ。(男性
一般)
●浅野誠先生の沖縄おこし・教育改善といった話で、独自の発想を充実・発展
させていくためには、答えが限られたテストをするよりも自分の思ったり、感
じた意見を自由に答えさせるもの、正解のないテストをした方が良いと思いま
す。
しかし、今の日本・沖縄の社会は決められた社会の中でしか行動も出来ない世
の中なので、一人一人が独自の意見に基づいた行動の出来る世の中が必要とな
るのではないか、とも思いました。
桜井国俊先生の環境アセスメントに関する話では米軍基地に対する日本政府・
米軍関係者のアセス法の手順の段階での問題点・住民による環境アセスの対応
参加などについてのものでした。環境アセスメントのことをもっと知ってもら
い、地域住民が参加しやすくする、活動の幅を拡大するなどといったことが必
要なのだと知りました。(男性 学生)
共創セン ター 1207_6
●今日は浅野誠さん、桜井国俊先生の話を聞いて今後の沖縄をどうしていった
らいいかを学びました。浅野さんは、沖縄おこしの教育、人生おこしの教育の
話をし、日本の学生は自分の考えを持つ自己表現が足りないんじゃないかとい
うことを学びました。
桜井先生の話では、環境アセスメントとは何かということについて学びました。
環境基準はそこに住む人が自分達で決めるべきだと思いました。(男性 学生)
●今日のセミナーを受講して浅野先生と桜井先生の話を聞き、教育に関しても
環境問題のことに関しても、自分で考えて、自分で発言していく人材をこれか
らの沖縄の人に求められているなと感じました。
今回環境アセスメントについて興味があって聞いていて、環境問題に対して住
民はもっと積極的に参加して意見していく必要性を感じました。もっと環境ア
セスメントについて勉強していきたいです。(女性 学生)
●浅野先生のお話では、沖縄の教育が発展途上、先進国、沖縄独自かと三つに
分かれて討論したのが色々な経験のある方の考えを聞くことができたので勉強
になりました。環境アセスメントについて知識が無いので、あまり分かりませ
んでしたが、アセス法の手順など、市民がちゃんと知っておかないといけない
ことだと思いました。(女性 学生)
●教育について、独自の教育法の改革の必要性があるのではないかと常に思っ
ていたので、受講して良かった。環境について自分の無知が恥ずかしいと思い
ました。今後は環境アセスメント論を受講して真剣に、沖縄の環境について考
えて子孫のために勉強していきたいと思います。(女性 一般)
●浅野教授の「主体的な学び」というのはとても共感できる内容であり、主体
的に学んでいこうと思いました。桜井教授のお話は難しかったですが、環境ア
セスメントについて少し理解することができました。(男性 学生)
●日本の学力問題、具体的に分かりやすく説明して下さいまして、ありがとう
ございます。環境アセスメントは身近なことでこれからも機会あるごとに勉強
したいと思います。
沖縄の美しい自然を守ることと、一方では普天間飛行場の早期撤退、矛盾があ
り、複雑な思いです。(女性 同窓生)
●浅野先生のお話はとても面白かったです。中学・高校の時に先生と出会って
いたらどんなに良かったかと思いました。ありがとうございました。桜井先生
のお話は大変勉強になりました。色々沖縄の環境について考えさせられました。
ありがとうございました。(女性 同窓生)
共創セン ター 1207_7
●沖縄大学社会教養セミナーに参加し、学び知る楽しさを得ました。生活環境
が表現と大きくかけ離れており、多少のとまどいもありました。次回の講座へ
は時間の許す限り参加したいと思いました。(女性 一般)
●浅野教授の分かりやすい講義に現実感があり、これからの沖縄の子供たちの
未来が分かってきた等、反省大いにあり。桜井教授の沖縄のアセスメントのこ
れからの未来の沖縄の最も大事な点は多いに沖縄の人々の心を響かせる問題点。
我々は声を大にして、100年後の沖縄を見つめる必要を痛感せずにはいられませ
ん。有難うございました。評議委員の一員でございます。(女性 同窓生)
●浅野先生、桜井先生、お二人方とも時機に即した内容のご講話でした。貴重
な話を学ぶことができました。ありがとうございました。(女性 一般)
●よりよく長寿のための知識の吸収になりました。(男性 同窓生)
●環境アセスのこと初めて理解できました。市民として知らなければいけない
ことなのに今初めて問題の所在がわかりました。県知事の仕事と思っていたと
ころに市民性が育ってないことに気づきました。
浅野先生の話を聞きたかったのですが、時間に遅れて残念。次の機会設定を願
うところです。(女性 同窓生)
土曜教養講座
第497回
第468回沖縄大学土曜教養講座
沖縄における平和教育の課題と展望
【日時】2012年6月24日(日)14:30~17:00
【場所】沖縄大学同窓会館
【主催】沖縄大学地域研究所
【共催】日本平和学会
【聴講料】300円
【プログラム】
第1部 記念講演「沖縄の平和と子ども」
加藤 彰彦氏(沖縄大学学長)
第2部 シンポジウム
基調講演「沖縄平和教育の新地平」 高島 伸欽氏(琉球大学)
パネルディスカッション 司会 里井洋一氏(琉球大学)
パネリスト 北上田 源氏(アメラジアンスクール沖縄)
〃
普天間 朝佳氏(ひめゆり平和祈念資料館)
〃
宮城 晴美氏(沖縄大学)
要旨
第一部 記念講演「沖縄の平和と子ども」
加藤彰彦(沖縄大学学長)
私たちは、自分で判断し、その結果がどうなるか、ということまで考えて仕事を
する。しかし、戦争を一つの仕事と捉えると、軍人や軍隊は、自分で判断して行動
してはならない。国家や政府の命令に従う、という流れの中に組み込まれてしまう。
戦争はなぜ、終わらないのか、続くのか。受験戦争、就職戦争、という言葉がある
ように、私たちの日常生活の中に、戦争の論理が深く染み込んでしまっているので
はないか。沖縄の歴史を見ると、薩摩の侵攻、琉球処分、戦後のアメリカ軍占領を
経て、独自の文化や歴史がどんどん奪われていくこと、これが近代化だったのでは
ないかと思う。復帰前、米軍による伊江島真謝地区の土地収奪や宮森小学校への米
軍ジェット機墜落炎上事故などが起こった。復帰後の今も、基地の危険や爆音被害
の中で暮らす現実がある。平和を考える時に重要なことは、戦争と反対の極にある。
一つは、自分自身で考え、判断する。そして自分が本当に思っていることが言えて、
一緒にみんなと語り合える。それが保障されるということが、平和の前提ではない
か。もう一つは地域の文化というものも大事にしなければいけない。平和の論理を
守り、それを積み上げていけば、戦争にはならない。ここに平和教育の根本がある
と思う。
土曜教養講座
第二部 シンポジウム「沖縄平和教育の新地平」
第497回
司会 里井洋一(琉球大学)
基調報告①「日本の戦後史を変えつつある沖縄への期待―教材開発などの体験から
得たものを中心にー」
高嶋伸欽(琉球大学)
平和教育、民主主義を目指す教育の基本には三項目あります。まず、小・中・高
校、それぞれ生徒の知的な関心、能力、判断力に合わせた中身を提供しなければい
けない。二番目に厳密な事実に基づいた中身で構成されるべきである。三番目に、
戦争そのものにテーマを絞り込むのではなく、人道主義を高めるような議論にすべ
きである。サンフランシスコ講和条約により、沖縄は国連憲章も、日本国憲法も適
用されない、無権利状態に置かれたが、市民運動で復帰を果たした。今、憲法は押
し付けられたものであり、改定は当然である、と言われているが、沖縄にとって憲
法は素手で勝ち取ったものであり、押し付けではない。沖縄が日本の歴史を変えつ
つある。復帰前後からの沖縄の取り組みという観点から平和教育の見直しをお願い
したい。
基調報告②「平和教育に欠落するジェンダーの視点。―沖縄戦下の日本軍『慰安婦』
問題と『集団自決』を通して」
宮城晴美(沖縄大学)
1993年の調査では、戦時中、沖縄に延べ約130か所の慰安所が置かれたことがわ
かっている。座間味村には、日本軍の将兵約1000名が配備され、朝鮮人の「慰安婦」
が連れて来られた。そこには淑女が淫売を差別するという階層差別があり、さらに
朝鮮人という民族差別がある。住民は日本兵から、敵につかまると女は強姦して殺
される、「慰安婦」にされると自決を促された。戦後も、米軍支配の中で、レイプ
事件は後を絶たなかった。また、「慰安婦」だった人や「集団自決」で生き残った
人たちは、ずっとトラウマを抱えている。戦争が一旦始まってしまうと、その被害
が継続していくということを、平和学習の中で、触れていかなければいけない。
基調報告③「ひめゆり平和祈念資料館 次世代の取り組み」 普天間朝佳(ひめゆ
り平和祈念資料館)
ひめゆり平和祈念資料館は、戦争体験者であるひめゆり同窓会によって設立され、
「証言員」と呼ばれるひめゆり学徒生存者によって運営されてきた。来館者の感想
で多いのは、戦争の実相を初めて知った、平和の大切さ、命の大切さを認識したと
いうことである。資料館が来館者に戦争体験と出合わせたということになるのでは
ないか。資料館の最大の特徴に、体験者である証言員と次世代職員が一緒に仕事を
していることがある。その共同作業の場が、戦争体験の継承の場になっているので
はないか。体験者の証言は沖縄の平和教育に非常に貢献しているが、それを今後、
誰が引き継いでいくのか。今、資料館では、次世代の職員が証言員とともに館内説
明に当たっている。また、講話やワークショップへの取り組みを始めている。
基調報告④「平和学習の『学び手』が『創り手』になるまでー『参加型学習の三段
階』を手がかりに」
北上田源(琉球大学非常勤講師/アメラジアン・スクー
ル・イン・沖縄日本語教員)
土曜教養講座
第497回
「参加型学習の三段階」という枠組みから、私自身の平和学習に対する意識を見
ると、それは受動的、能動的、創造的というプロセスで変化をしている。第一段階
では大学の講義を受講して、興味本位で平和ガイドの活動を始めていく。第二段階
に進むと、平和学習にコーディネートとして関わっているのだという意識が芽生え
てくる。第三段階では、学生ガイドの窓口役を務めている。この時期には、「生徒
とともに学ぶ・考える」という平和学習を創る、ということをかなり強く意識して
いる。私自身の経験を振り返って、戦争体験の継承には、平和学習の「創り手」を
育成することが重要であり、その「創り手」を育成するための受け皿となり、その
参加を支える組織(集団)が必要であることを再確認した。
感想(会場アンケートより)
●私は小・中・高にわたって、毎年平和学習を学んできたが、全然身になっていな
いし、沖縄を理解していると言えない。大学生になり、友達の枠も増え、本土の人
と話す機会がでてくるようになった。語っていくうちに、「自分って沖縄について
何も語れていない。伝えられていない」という想いが強くなる。そしてこれは、私
だけではないと思う。沖縄の若者ほとんどに言えることで、沖縄の歴史、文化に関
心がうすく、理解が乏しい。私はこの意識を自分も含め、変えていかなければいけ
ないと思う。今日講話を聴いてまずは自分から沖縄について学ぼうと、そして、い
つか後世にしっかり沖縄の真実を伝えられるようになりたい。そう思いました。
(20代男性)
●第2部より参加しました。高嶋先生の話は、速い中にも、私のような一般市民や
教育に関わる方々についても今後の沖縄や世界への平和教育への方向性を解りやす
く説明され良かった。戦後生まれの60代の私達さえも沖縄における戦前後の史実に
ついて深く学んだ事がなく、今、平和活動に関心をよせ行動化の中にあり本日参加
しました。ぜひ家庭においても県内、小・中・高・大学と一貫した教育を徹底させ、
これからの世代が沖縄を中心に平和の(核・軍隊のないウチナーを)教育の場として
発展させてゆけるよう、平和国連会議、教育地として残っていけるよう願う。沖縄
より日本の政治を変えると言う課題で基地や平和、人権、政治など、いろいろから
めて学習する中で私達市民一人一人が自己の問題を全ての人類の問題として考えら
れる人間に育成される事を強く感じるとともにメディアも事実を賛成反対意見も平
等中立に出して欲しい。新聞離れした今日の多くの人々の今後も危惧する。(60代
女性)
●加藤先生の講演にあった通り、「希望」と「夢」の島にしていきたいと思います。
大切なお話しをありがとございます。(40代男性)
●北上田さんのデータをもとにした分析が大変面白かったです。(50代男性)
土曜教養講座
第497回
●途中からの参加で講演をお聞き出来なかったので残念です。レジュメから見ても
鋭い指摘だと思いました。それぞれのパネリストが自分の立っている所を掘り下げ
ていることに感心しました。「希望をつくる島」にしなければいけないと思います
が、最近のニュースを見ると怒りや悔しさでいっぱいになります。歴史に翻弄され
る沖縄。自分ごとでない本土。巨大な米のミリタリーネットワーク…に対して平和
のネットワークを作り上げよう !!!ありがとうございました。お疲れ様でした。
●恥ずかしながら、沖縄戦について初めて知ることが多々あった。沖縄でも慰安婦
問題があったり、戦後伊江島での土地収用法による強制収用など、私のように過去
の沖縄を知らない若者はまだまだたくさんいるだろうなとも感じた。これからの沖
縄をつくるのは未来ある子ども達だし、過去の沖縄をしった上でないと、これから
の沖縄はつくれないと思う。本日の議題は沖縄県全体として考えていかなければな
らないと感じた。(20代男性)
●加藤氏:戦争の論理と平和の論理の問題の立て方に基づいた提案は重要だと思い
ました。特に日常生活の中に「戦争の論理」がしみついているので「あきらめ」を
植え付ける。「平和の論理」こそが共に話し合いによって主体的に人権や民主主義
をつくることにつながる―つまり希望につながる(をつくる)という提案が、それこ
そ希望をつくるはなしでした。(60代女性)
●ありがとうございました。うまく表現できませんが、「沖縄における平和教育の
課題と展望」のテーマに対し、おこがましいですが学校教育の中に、特に小学校、
中学校から明治(1868年)から、昭和64年(1989年)までの歴史教育(日本史、沖縄史、
地域史)を教育課程に編成し、日本国憲法(特に主権在民)のもとでの<教育を受ける
権利>が平和教育につながるのではないでしょうか。昨日、今日の諸先生方の研究
発表、資料、本当にありがとうございました。(60代女性)
●非常に内容の濃いシンポでした。いかんせん、4人の方の報告の中身が良いのに、
時間が足りなかったのは残念です。普天間さんの次世代につなぐひめゆりの取り組
みのお話しは、非常によかったです。この問題は平和教育に取り組む者として、しっ
かり考えなければならないと実感しました。普天間さんと北上田さんのお話しを絡
み合わせて深めることができればよかった。(50代女性)
●今日は、平和教育のあり方、継承のあり方など様々なことを考えさせられた。ま
た、私の無知に驚いたと同時に、沖縄で生まれて育っているのにも関わらず、戦後、
沖縄が復帰するまでに至った経緯など、何も知らない事をとても恥ずかしく思った。
今日が平和を考える入口になったかと思いました。復帰40年が経った今、戦争を体
験し、語り継ぐ事ができる方が高齢化し、減少していく中で、これから学校教育の
中で、地域の中で、社会の中でどのように平和教育を展開していけるのか考え、模
索していき実行させていくい事が大切だと感じた。(20代女性)
土曜教養講座
第497回
●平和と戦争の間には明確に線引きできる「何か」があると思っていました。でも、
どの線を踏み越えたら戦争になるのか考えるべきだと思うようになりました。子供
の教育環境がこのまま悪くなれば戦争につながるのではないか?性差別をそのまま
にすれば暴力は止まず。そのような社会は戦争も止められないのではないか?そん
な事を考えると実は今の日本は一線を越えて、戦争状態へと進もうとしているので
はないかと思いました。(40代男性)
●今日の「沖縄における平和教育の課題と展望」というテーマは、とても重要で大
切だと考える。やはり、子ども達が平和教育は退屈だとの声があり、それに対する
取り組みを検討すべき!なぜマンネリ化しているのか?もっとその中身を検討すべ
きだと思う。それで今後の平和教育の課題と展望が見えてくるのではないか。この
テーマのさらなる討論を期待する。(60代男性)
●現場で日夜がんばっている方々の話を聞けてとても感動しました。絶え間ない努
力しか道をつくる術はないと思いました。祈るだけでは絶対に平和は来ないと私は
思っていて、子ども達に「平和を祈ります」という感想で終わらせないためにどう
したら良いのかと考えていましたが、一人称化という大きなヒントを得られました。
(20代女性)
●報告者の3名の方が、ご自身の現場でやってこられたことがコンパクトに聞けて
勉強になりました。北上田さんの「自分にできる方法は何か?」という問いは、私
も多くの「次世代」が持っているものだと思い、北上田さんは自分なりに、今でき
ることを実践されているということに今日改めて元気をもらいました。(30代女性)
●高嶋先生の言っていた「沖縄の平和教育のマンネリ」というのは、自分が体験し
てきた分実感があった。中学、高校の頃、すでに知っていた内容を聞かされ、自分
はあまり集中していなかった。しかし、大学で学ぶ内容は知らない内容、専門的な
知識が多くあり意欲がわくようなものがあった。それを考えると、子どもの成長に
合わせた内容・専門性にしていくというのは大事だと思う。(20代男性)
●色々な立場の方々のお話しを聴き、様々な見方で平和教育について考えることが
できた。証言者、体験者も高齢になってくる中で次世代の平和教育はどう行ってい
くのかをみんなで考えていかなければならないと感じた。(20代女性)
●憲法を教えているものとして、高嶋先生のご講演は胸に響くものでした。憲法の
意味、憲法を平和と人権の観点から教えるということの意義を改めて考えさせられ
ました。(40代女性)
●すべて心に迫る、事実に基づいた強い力を持つものでした。特に、高嶋先生、宮
城先生のご講演が心に刻みこまれました。(40代男性)
土曜教養講座
第497回
●沖縄で実際に活動されている方々のお話しを伺いたいと思い、この部会に参加し
ました。沖縄の皆さんの経験を語り継ぎ、理解を広め、深めていくためのご努力に
改めて感銘をうけました。それと同時に自分が知らない事、気づいていなかったこ
とがまだまだあること(当然ですが…)を思い知らされました。沖縄でこうしたシン
ポジウムに参加できたことを大切に活かしていきたいと思います。(50代女性)
●加藤氏、高嶋氏のお話しが、深みがありました。次回は是非「平和教育のマンネ
リ化」や「平和教育への嫌悪感」といった問題点などにしぼって開催していただけ
れば幸いです。(30代女性)
●宮城先生のご報告がとても興味深かったです。研究と教育、両者共に重要だと改
めて感じました。(50代)
●私は糸満市の出身で、慰霊の日が近くなるとか、8月15日の終戦記念日の時には、
戦争の事実や歴史を風化させないために、式典や講演会へ参加してきました。戦後
67年が経ち、実際の戦争体験者の話を徐々に聴かなくなっているような気もします。
若い世代が本当に戦争の事実をこれからの世代に継いでいけるか考えていかなけれ
ばならないです。今日、この場に参加している同世代は、圧倒的に少ないと思いま
す。同大学の学生の参加も少ないのではないでしょうか?加藤学長のお話しや、シ
ンポジウムのプレゼンを行ってくれた先生方、とても貴重なお話しをしているので、
これをさらに若い世代へ伝えていくのも教育者の使命であるのではないでしょうか?
(20代男性)
●「23日にやるの?」と思っていましたが、やはり1日ずらしてよかったです。平
和学会とのコラボとのこと、もっと広く広報がされたらよかったですね。研究者と
平和ガイドは両立すると思いますが、どうですか。若手の研究者、はたしてそんな
にいるでしょうか。(50代女性)
土曜教養講座
第498回
土曜教養講座
第498回
第498回沖縄大学土曜教養講座
土曜教養講座500回記念〈復帰40年〉シリーズ
『沖縄学の未来―沖縄の歴史・文化・政治の情報発信―』
【日 時】2012年7月14日(日)14:00~17:00
【場 所】沖縄大学3号館101教室
【報告者】波照間 永吉氏 (県立芸術大学 付属研究所)
田名 真之氏
(沖縄国際大学 南島文化研究所)
小川 寿美子氏 (名桜大学 総合研究所)
藤田 陽子氏
(琉球大学 国際沖縄研究所)
金井 創氏
(沖縄キリスト教学院 国際平和文化交流センター)
勝方=稲福 恵子氏(早稲田大学 琉球・沖縄研究所)
屋嘉 宗彦氏
(法政大学 沖縄文化)
【主 催】沖縄大学地域研究所
【聴講料】300円(予約不要)
New
Publications
沖縄大学地域研究所叢書 第28巻(地域研究所ブックレット13)
「ジャパン・フォーカス」フォーラム
沖縄は、
どこへ向かうのか
沖縄・生物多様性市民ネットワーク 編集
お問合:沖縄大学地域研究所
電話:098-832-5599
定価:500円
※本書は2010年12月19日、沖縄大学
にて行われた第471回沖縄大学土曜教
養講座の様子を記録編集したもので
す。
目
次
ブックレット発刊にあたって
はじめに
フォーラム
セッション1
COP10以後の沖縄-「生物多様性」に市民はどう取り組むのか
セッション2
「9・7」以降の沖縄-「尖閣諸島問題」を沖縄から問い直す
セッション3
「11・28」以後の沖縄-知事選後の沖縄はどこへ向かうのか
閉会挨拶
ご案内
ご案内
思いました。
7月もどうぞよろしくお願いします。
所内雑記
vol.34
地域貢献部門
名城 菜々子
地域共創センター
横山 正見
担当している「障がい原論Ⅰ」とい
う授業で、地域で自立生活をしている
筋ジストロフィーの方を訪ねました。
話は退院と自立生活について、に及び
「地域での生活に憧れたから、親を無
視してまで病院を出ました。要はどう
生きたいのかなのです」とゆっくり丁
寧に話してくださいました。この方の
自立生活への強い意志とともに、地域
に自立生活を支える環境があることも
重要だと感じました。
困難のある人の「どう生きたいのか」
を軸にすると、地域や福祉がよく見え
てくるものです。この視点には敏感で
ありたいもの。そして、僕も「どう生
きたいのか」を大切にしたいと改めて
去る6月24日(日)に第497回土曜教
養講座「沖縄における平和教育の課題
と展望」が開催されました。本講座は
日本平和学会との共催で、他の分科会
と併せて参加される来場者の方々が多
く見られ、来場者は104名を数えまし
た。里井洋一氏(琉球大学)司会進行
の 下 、 第 1 部 で は加 藤 彰 彦学 長 よ り
「沖縄の平和と子ども」についての記
念講演を頂き、第2部ではシンポジウ
ム「沖縄平和教育の新地平」と題して
高嶋伸欣氏(琉球大学)より基調講演
を頂き、以下宮城晴美氏(沖縄大学)
より「平和教育に欠落するジェンダー
の視点―沖縄戦下の日本軍『慰安婦』
問題と『集団自決』を通して―」に関
する報告、普天間朝佳氏(ひめゆり平
和祈念資料館)より「ひめゆり平和祈
念資料館 次世代継承の取り組み」に
関する報告、北上田源氏(アメラジア
ン スクール沖縄)より「平和学習の
『学び手』が『創り手』になるまで―
『参加型学習の三段階』を手がかりに」
と題してご自分の経験を基にした発表
がなされました。平和教育がテーマと
いうこともあり、会場には教育関係者
の方々も多数お見えになり、質疑応答
の時間には「平和教育のマンネリ化を
感じている。その解決が今後の課題だ
と思う。」等、活発な意見交換がなさ
れました。次回の土曜教養講座は7月1
4日(土)開催予定、第498回「沖縄学
の未来―沖縄の歴史・文化・政治の情
報発信―」と題して、沖縄学を研究し
ている県内外の各研究機関の所長や代
表者を講師にお招きして、各機関で行っ
ている研究等についてお話しして頂く
予定です。皆様のご来場を心よりお待
ち致しております。
声をかけようとした中学生。杖で察知
したので障害物にぶつかることはなかっ
たけれど、心配そうに見つめる彼の様
子に感激しました。
「人に良いことをされる」のはもち
ろん嬉しいことですが、「人が良いこ
とをするのを目撃する」のも嬉しいも
のですね。
事務
山城 基乃
【最近うれしかったこと】
この度、地域研究所は沖縄タイムス
賞社会活動賞受賞することになりまし
た。
講師の皆さん、来場者の皆さん、関
係者の皆さんに支えられ、継続するこ
とができた土曜教養講座。名誉ある賞
をいただくことを、大変光栄に思いま
す。これまで支えて下さった多くの皆
様、そして今回このような機会を下さっ
た皆様に心より感謝申し上げます。今
まで以上に皆さまの期待に応えられる
よう努力していきたいと思います。今
後とも、ご支援ご協力賜わりますよう
よろしくお願いいたします。
個人的にうれしかったことと言えば・・・
大学バス停前の掲示板にポスターを
貼っていると見知らぬ女子高生に声を
かけられました。「あなたがいつも貼っ
てくれてるんですか、暑いのにご苦労
様です。」大した事をしているつもり
はないのですが、その一言はとても嬉
しかったです。
他にも・・・
停車して道を譲ってくれた車に深々
と礼をした小学生。
目の不自由な方が障害物にぶつかり
そうになった時、「危ないですよ」と
事務
仲宗根 礼子
学生の頃、平和教育に辟易気味だっ
た覚えがある。小学生の頃から戦争の
写真集をみて、何度もお年寄りの話を
聞いた。学校でも必ず誰かが戦争をテー
マに作文を書いていた。すっかり知り
尽くしたつもりの沖縄戦だったが、時
が経って守られていた側から責任をもっ
て守る立場になってからは、一つのエ
ピソードに対しても見方がまるで変わ
り、より身近に感じる。
証言を聞くと、まるで疑似体験をし
ているかのように当時の湿気と高温と
で眩暈を感じる。テレビの中ですっか
り年老いたかつての若者の一言一言に
喉が震える。だんだんとセピア色になっ
ていくような6月の慰霊祭に、焦りを
感じる。
平和教育がマンネリ化している、確
かにそうなのかもしれない。けれども、
それが真実ならばマンネリでも良いの
ではないかと思う。
人の命を奪う戦争がなぜいけないの
か、理由を述べる必要もない。人間と
して大事なことを、当たり前のことを
社会全体で感じ、伝えてゆけたらよい
と思う。
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