平成26年度 洋野町立大野小学校 《発行日:平成26年 5月19日》 校報 № 15 運動会で踊る って ??? いよいよ今週末に迫った運動会に向けての練習も、仕上げとまとめの時期に入りました。 今年も全校で踊る「ナニャドヤラ」は、今年から『北奥羽ナニャドヤラ・街頭流し踊り』にも 参加する事もあり、練習時における子ども達の本気度も高いように見受けられます。 さて、この「ナニャドヤラ」は、ここ大野地区だけでなく、旧種市町は勿論、久慈市や八戸 市、二戸市、青森県田子町などでも踊られています。本校の久慈や八戸、二戸市、田子の出身 の本校職員も、お盆には「ナニャドヤラ」を踊ったそうです。 昨年度の街頭流し踊りをみて、その踊りの違いから「大野地区」の踊り方と「八戸・階上 地区」の踊り方、それに「二戸・田子地区の踊り方」と、3つの踊り(流派)に分類できると、 勝手に思いながら、観ていました。 今、学校では8月の街頭流し踊りに向けての、子どもの実態調査を行っている最中です。 踊りはもちろんのこと、太鼓や唄についても子ども達に挑戦させてみたいものです。 そこで 子ども達に「たいこ」や「唄」を教えてくれる人はいませんか? 可能な人は、学校へお知らせください。 まだ、練習日なども未定ではありますが… (教えてくれそうな人を知っているという情報でも良いです。) ここ大野は「ナニャドヤラ」の北奥羽大会まで開催する程の盛んな地でありますので、釈迦 に説法となりますが、「ナニャドヤラ」の由来について紹介します。 (昨年度とほぼ同じ内容であり、またまたにわか勉強ですが…) 1.「ナニャドヤラ」の由来について この踊りの由来については、諸説あり決定的なものはありませんが、次の説が有名です。 ①「ヘブライ語」説 ⇒ 青森県旧戸来村(現青森県新郷村)にキリストの墓があると いう伝説との関連が大きい説です。 ②「農民の衰歌」説 ⇒ 柳田国男博士が大正十年頃に旧種市町の小子内にあった旅館 「清光舘」に宿泊した時に、そこから見た哀愁を帯びた盆踊り に魅了され、その時の様子を大正十五年に発刊した「清光館哀 史」の中で、農民の衰歌ではないかと紹介しています。 ③「仏の供養」説 ⇒ お盆に踊られるために言われている説です。 その他に「三戸説」や「恋愛歌説」、「大和民族の進軍歌説」、「凶作に対する嘆声説」など 多数の説があります。 説が多い程謎に満ちており、興味がどんどん湧いてくる踊りである事には間違いがないです ね。 2.「ナニャドヤラ」の歌詞について この踊りは、旧南部藩のうち、旧八戸藩やその影響が強かった糠部地方(五戸や三戸など)と そこに隣接する旧八戸藩以外の地域(岩泉町の門地区などが該当します)を中心とした踊りで あったことが、伝承されている歌詞からも容易に想像ができます。 私の前任校である岩泉町立国見小学校は、旧盛岡藩に属していた 土地ですが、「ナニャドヤラ」(あの辺りでは『十二足』という名で 呼ばれています。 )が踊られています。隣接する葛巻町馬淵地区 (旧八戸藩)の影響が大きかったと想像されます。 ちなみに、岩泉町では国見地区だけが「ナニャドヤラ」(『十二足』) を踊っており、他の地区では旧盛岡藩の代表的な踊りである 岩泉町・門地区の『十二足』の様子 「さんさ踊り」が主流となっています。 【あちこちに伝承されている、ナニャドヤラと十二足の歌詞の比較】 ◇ 十二足の歌詞の例① ⇒〈提供者:岩泉町国境地区の中村ヤスさん〉 「踊り踊るなら前より後ろ 後ろ姿は誰も見る」 「お月様さえ夜遊びなさる まして若い衆 むりがない」 「お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで」… 等など、全部で25番まで歌詞がありました。 ◇ 十二足の歌詞の例② ⇒〈提供者:岩泉町議会・副議長の遠藤さん〉 学区民運動会で歌う 「踊りゃ出てくるお庭が狭い お庭広げろ(アリャ) 音頭様」 中村ヤスさん 「踊りおどらば姿態よく踊れ 姿態のよい娘を(アリャ)嫁にとる」 (平成24年5月) 「お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の(アリャ)生えるまで」… 等など、全部で18番まで歌詞がありました。 ◇ ナニャドヤラの歌詞の例① ⇒〈提供者:元軽米町立長倉小学校長の工藤 享さん〉 「甚句踊りの始まる時は へらも杓子も出て踊れ」 「江刈葛巻ァ粟飯稗飯 喉にからまる乾菜汁」 北奥羽ナニャドヤラ大会 「夜明けカラスは夜に惚れてなく 私は貴男に惚れてなく」 の審査員も務めています。 「お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで」… 等など、全部で200を超える歌詞がありました。 大野地区には、それぞれの地区に特有のナニャドヤラが今でも残されています。 大事にしたい文化・民俗ですね。このような踊りを子ども達に伝えて行くのも、私たち大人の 責務だと感じています。『ナニャドヤラ』は、秋田の西馬音内盆踊り、富山県のおわら風の 盆踊りに並ぶ、誇るべき踊りであると考えています。 地域・保護者の皆さん、24日の運動会では全員で踊りましょう!仮装も大歓迎ですよ! … 余談… 当時の八戸藩と盛岡藩の藩境であった葛巻町馬淵と岩泉町国境には 本来あるべきはずの藩境を示す『柵』がなかったそうです。 馬淵と国境以外の藩境には、柵や土塁があったそうです。 (県立博物館・佐々木主任専門学芸員さんの証言) 八戸市図書館に現存している「南部藩領古地図」をみても、確かにその場所の明確な境は 描かれていません。その事からも、当時の住民たちは、かなり自由に八戸藩と盛岡藩を行き 来していた事が想像されますし、この踊りを通して、当時の人々の交流の広さや深さがわか る出来事ですね。 なお、この踊りのルーツ候補地の1つでもある、青森県旧戸来村(現新郷村)で踊られて いるナニャドヤラは、ゆったりとした踊りで、太鼓による伴奏リズムもつかないそうです。
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