週刊新社会(改題)第 981 号号外(1988 年1月 18 日第三種郵便物許可) 地域特集(安城市政版) 安城市議会議員 石川つばさ通信 2016 年 8 月 9 日号 号外 市政レポート 平和祭を開催 7 月 30 日(土)、31 日(日)に安城市文化センターにて「第 16 回やろまいか みんなの平和祭 2016」 が開催されました。原爆パネルなどの展示、線体験者の語り部、戦場カメラマンの石川文洋さんの 講演などが実施されました。 この催しは、西三河地域の有 志による実行委員会が毎年夏に 開催するもので、実行委員会所 有のパネルの他、安城市や平和 団体から借り受けた物品などを 展示しています。 今年のメインは戦場カメラマ ンの 石川文洋 さんによる講演 で、写真をスライドに映しなが ら話をされました。以下、印象 的な言葉を綴っていきたいと思 います。 展示室の様子 「ジャーナリズムは反権力でなければならない」 権力者にとって戦争は「見せたくない」対象であることは想像に難くありません。文洋さん曰く、 ベトナム戦争時は比較的自由に撮影や報道ができたそうです。そうした報道が、反戦意識の高揚に 繋がったと分析されました。ただ、その反動から、戦争報道はその後、随分制約を受けることとな ってしまったようです。 国などの権力から提供された情報のみを流し、許可された部分のみを撮影するのでは自ずと「キ レイな所」しか伝えることはできません。権力が嫌がる部分を写してこそ意義があるという考えは 大いに賛同できるものでした。 「死体は慣れる」 スライドに映し出される写真の中には、衝撃的なものも多々見受けられました。その一つに、兵 士の写真がありました。この写真に写っているのは銃を持った兵士 5 人と、その足元に転がる 4 体 の死体。兵士の顔には笑みが浮かんでいます。 「死体と笑顔」という異様なコントラストは、何とも 言い難い違和感を抱かされます。 この写真が映し出された際に、文洋さんが口にされた言葉は印象的でした。 「私は怖がりなので、交通事故で轢かれた人に目を向けたいと思わない。しかし、戦地では日常的 に死体があり、慣れてはいけないのかもしれないが慣れてしまう。死体の横で弁当を食べることも できてしまう。」 これは恐らく、文洋さんだけではないはずです。警察官の様に、死体に接する機会のある職に就 く人も、最初は強い抵抗があると聞きます。とはいえ、任務のために慣れる者と、死に至らしめる こと自体を任務とする者の間にはやはり一段あるように感じます。その一段の表れが、違和感に満 ちた笑顔であったように感じます。 「一人一人は良い人」 戦場となれば蛮行を行う軍人ですが、文洋さんがともに行動した時の印象は全く異なっていて、 一人一人を見ればいい人間だったそうです。当然と言えば当然で、悪い意味での「立場が人を作る」 なのかもしれません。そうであればこそ、良い人に蛮行を強いる戦争という環境を生まない・近づ けないことが重要と改めて認識させられます。 すぐさま戦争が起きることなどない という人がいます。その気持ちはわからなくもありません。 しかし、いよいよ戦争が近づいた時、その流れを本当に止められるでしょうか?良い人を野蛮な軍 人に変えてしまうように、戦争が近づけば平時と同じ思考回路で物事を判断することは極めて難し くなります。よしんば、自分自身は平静さを失わなかったとしても取り巻く環境が変わり、とても 反戦など訴えることのできない空気になっているかもしれません。平時にすらできない反戦を、戦 時体制が近づいてからできるはずがありません。 平和が失われる時というのは、加速度的に進んでしまうものではないでしょうか。 「ここまでなら大丈夫」と思っていたら、知らぬ間に引き返すことのできない蟻地獄にハマってい たということにならない様、キナ臭さを感じるものには早い段階で異論を唱え、距離を置くことが 重要ではないでしょうか。そうしたことを改めて考えさせられる講演であったと思います。 石川翼事務所 446-0072 安城市住吉町荒曽根 1-245 アワーズビル 2F 南 電話 0566-98-6932 メール [email protected] 編集:石川つばさを支援する会
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