第18回 姉妹都市親善訪問団派遣報告書

第18回
姉妹都市親善訪問団派遣報告書
随行:小野市国際交流協会
【日
程】
【団
員】
【随
行】
副会長
中村圭一
平成21年3月27日(金)∼4月5日(日)(10日間)
小林由佳(団長)
井上広大
井上浩明
藤本拓也
成岡隆介
住本映美
室谷琴乃
閹橋茉央
岩本将和
中尾亮太
中村圭一
【担当旅行社】株式会社
いざ出発!
ハロートラベル
市役所前にて
サンフランシスコ,ツインピークスにて
【行 程】
3 月 27 日(金)
13:20
小野市役所発
∼
15:30 関空着
ユナイテッド航空のカウンターで、荷物を預け搭乗手続きをした。その後、見送りの方々とお別れし、
手荷物・ボディチェックも無事通過。
17時50分、予定より5分早く、UA886便は約9時間半のフライトに入った。順調に飛行し、
現地時間27日午前11時に、サンフランシスコ空港に到着する入国審査・税関通過も問題なく、全員
アメリカの土を踏んだ。
出口を出ると、現地添乗員の河合マミさんが出迎えてくれた。早速バスに乗り込み、サンフランシス
コ見学に向かった。まず、ツインピークスと言う見晴らしの良い丘に案内をして貰って、サンフランシ
スコ湾や市内を展望し、記念撮影。今日は、結構暑くこんなのは珍しいようだ。この辺のお家にはほと
んどエアコンがないらしく、年中涼しいらしい。道沿いには、カリフォルニアポピンと言う黄色い花が
綺麗に咲いている。
昼食は、フィッシャマンズワーフ近くの、3番埠頭にあるレストランでカニ料理をいただく。次に、
ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を見学した。この橋は、1998 年に瀬戸大橋と姉妹橋を結んでいる。
その後、坂道を行くケーブルカーも見ながらチャイナタウンを車窓見学し、16時には Hilton Hotel
にチェックインした。ケーブルカーは、140年前に馬車に代わってでき、当時は8路線もあったが、
今は3路線になっている。
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各自、部屋で一休みして、アメリカ上陸の雰囲気を噛みしめた。19時、Hotel のレストランで、夕
食をいただく。メニューは、野菜サラダ・パン・チキンのソテー・デザート・コーヒーetc、まずまず・・
美味しい。明朝7:50集合の約束をして、・・・おやすみなさい。
あこがれの街
San fransisco
3 月 28 日(土)晴
7時半までに、各自 Hotel のレストランで、バイキングの朝食を済ませた。コーヒーやジュースは手
際よくサービスしてくれた。スーツケースは部屋に置いたまま、枕元に$1を置いて、迎えに来てく
れた河合さんと、8時に Hotel をバスで出発。昨日と同じ運転手さんで加藤さん。
今日は、約200km南下し、モントレーとカーメルを目指し空港を左に見ながらルート101号
を走る。ハイウエーの速度制限は(65)とあるが、これはマイルなので104km/hになる。ア
メリカは、このように単位が違うことが多く、温度も70°もあると言う具合である。これは、我々
の温度で約21∼22℃であるが、簡単に変換するには、華氏温度―30して1/2、あと+1∼2℃
で大体合う。
サンタクララからサンホセに入った。シリコンバレーも近く、このあたりは土地も高いので、2階
建ての住宅が目立つ。この辺りは野菜農園も多い。アンティチョークを多く栽培している、カストロ
フィークと言うところで休憩。その後、ルート156号に入りモントレーを目指した。
モントレーは、シーライオン・ラッコ・アザラシやイルカなどが、多く生息していることで有名な
ところ。モントレー・ベイ・水族館が人気のあるところと言うことなので、特別メニューで見学する
ことにした。入場も列をなすほどである。約1時間40分、自由行動でそれぞれ見学をした。(1年
程前に改修された)
モントレーのフィシャマンズワーフにあるシーフードレストランで昼食。このモントレーは、ヨット
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やボート・カヌーなども多く、マリンスポーツのメッカのようだ。
パシフィック・グローブの17マイルロード(有料)に向かい、海沿いでリスと戯れ、砂浜で緊張
をほぐす。このルートには、名門のゴルフコースもある。
カーメルへ向かう。この町は、かつてクリントイーストウッドが市長をして有名になった街である
が、4,000人の人口に対して、店が1万軒もあり画廊も多く、自然にとけ込むような街作りを目
指しているとのこと。帰りは、ルート1号を北上して Hilton Hotel に17時40分に到着した。
19時の夕食まで、しばらく休憩や、近くに買い物に出たり、自由行動とした。全員揃って、歩い
て5分ほどのところにある、中華料理レストランに、まだ明るい街の風景を見ながら、向かった。
中華料理のフルコースである。美味しくいただく。その後、もう少し買い物をしたいと言うので、
皆でまとまって行いた。歩道には、物乞いをする人達もいた。
21時にホテルに戻り、明日は7時半にモーニングコール、それと、リンゼイでの歓迎会の出し物
を考えることを約束して、各部屋に分かれる。
モントレー
水族館,
海・・・映画のワンシーン?
3 月 29 日(日)晴
朝食は、昨日同様に、レストランで各自でバイキングを、美味しくいただいた。8時半にロビー
に荷物を全部持って集合し、バスに積み込む。 皆、顔色も良く快調のようだ。いよいよ、リンゼ
イに向けて出発だ。
8時50分、Hotel を出発し、ベイブリッジを渡って一路東へ。ベイブリッジは、サンフランからオ
ークランドまで、約13kmあるが1935年の完成で古くなり、今、新しいのが建設中である。
しばらく走って、小林団長を中心に、今夜の歓迎会での出し物を皆に相談し練習した。全員で「ふる
さと」を合唱し、ピアノがあれば藤本君が弾くことになった。
ダブリンを通過した頃、丘の上に沢山の風力発電が見えてくる。約6,000基あるとのこと。この
町は、エコに古くから取り組んでいる。いよいよルート99号に入り南下する。リポンのあたり、この
辺はアーモンド畑が多い。しばらく走って10時半頃、レストエリアで休憩する。ここには、トイレの
他、自動販売機もあるが、日本のような派手やかさはない。販売マシーンの感じであった。
アイスクリームを、1個$1.5で買う。カリフォルニア州は、人口3,700万人で、アメリカで
人口が一番多い州であるが、今、ベビーブームで、昨年はここ50年で一番出生率が多かったとのこと。
11時45分頃、フレズノを通過するが、サンフランシスコとロスアンジェルスは車で約7時間、飛
行機で約1時間、ちょうど東京∼神戸間位の距離であるが、その中心がこのフレズノである。
12時45分、ルート99号から分かれてリンゼイに向かい、マクドナルドの駐車場に到着する。加
来さんとロバート委員長が、待っていてくれた。
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ホストファミリーの方々も、次々と迎えに来てくれる。それぞれ18時の再会を約束して分かれる。
私も、グレイグさんの車に乗せて貰って、彼の家 Tuley へ連れて行って貰う。大きな綺麗な家だ。
リンゼイ
到着!
18時からの歓迎会に、少し早くコミュニティセンターに到着する。次々到着した。皆の顔を見なが
ら、様子を尋ねる。心配はなさそうだ。
皆、ホストファミリーと一緒にテーブルについて、ロバート委員長のアナウンスで歓迎会が始まった。
アメリカ国歌の斉唱があり、続いてホストファミリー毎に、その代表が紹介の挨拶をしていく。全部で、
10ファミリーだ。その後、皆さんが持ち寄った料理を取りに行き、歓談が始まった。
そして、しばらくして我々11名が舞台に上がり、一人一人つたない英語で挨拶をするが、6∼70
人の皆さんは、一生懸命に聞いてくれる。最後には、出し物の「ふるさと」を、藤本君のピアノ伴奏に
合わせて、3番まで歌い大きな拍手をいただいた。
その後、リンゼイ高校の生徒達10人が、先生の指揮でいろんな歌を、歌って歓迎してくれた。最後
には「さくらさくら」を日本語で、歌ってくれた。
19時過ぎに、ロバート委員長の終わりの挨拶があり、歓迎会は盛大の内、終了した。いよいよ、リ
ンゼイでの生活が始まる。
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3 月 30 日(月)晴
朝8時、それぞれホストファミリーに、集合場所のスイートブライァー噴水前に送ってもらって集合
する。少し肌寒いが、皆元気そうだ。ロバート委員長・加来さんも来てくれて、3台の車に分乗して1
番の訪問先、ガーヴィ中学校へ向かう。
すでに、玄関先で先生方、代表の生徒達が待っていてくれ、笑顔で迎えてくれた。図書室に通され、
コーヒーやジュースやクッキーをいただきながら、プロジェクターを使って学校のことを、ていねいに
いろいろ説明してくださった。我々一人一人に、お土産までいただいた。
この部屋に入る前、玄関先のショーケースに小野市から送った幾多の絵画が、ていねいに展示してい
るのを発見した。その後、教室を見学し椅子に座って授業に参加させて貰った。休憩時間には、皆が集
まる講堂で、一緒にジュースやクッキーもいただいた。生徒達も笑顔で寄って来て、いろいろと話しか
けてくれる。
次は、広いグランドで、体育の授業をしている先生のもとで、ソフトボールやサッカーやバスケット
ボールを、その生徒達と一緒にさせて貰った。
お昼には、給食のセミバイキングを、美味しくいただく。そして、昼からの教室をもう一つ見せてい
ただいたあと、先生方皆さんにお礼を言って、次の場所に移動する。先生に、メンバー一人一人「将来
の夢は?」と尋ねられ、皆それなりに英語で自分の夢を答えていた。
市役所前に移動し、春風になびくこいのぼりの前で、記念撮影を行う。我々の訪問を市民の皆さん知
らせるために、揚げてくれているとのこと。
その後、ロバート委員長の案内で近くにある「壁画」や新しくなった「図書館」を見学し、スポーツ
センターへ移動する。ここは以前、オレンジの加工工場だったのを、2年程前に改装しバスケットコー
ト・サッカーコート、トレーニングジム・クライミング壁・サーフィンウエーブ、それにゲームセンタ
ーなど大人も子供も一杯楽しめる施設である。我々も会員証を作ってもらった。少し離れたところにあ
る建設中のプールも見学し、16時には市役所前にホストファミリーに、迎えにきてもらう。
今日の夕食は、18時からお昼に見学したスポーツセンターで、ピザパーティである。子供達は、少
し早く到着しここで、サッカーをさせてもらった。
ピザパーティには、市長さんも出席いただき、小野からのお土産をお渡しし、リンゼイからも小野市
長へと、新企画のオレンジの縫いぐるみ(第1号)を団長へいただいた。
美味しいピザとサラダをいただきながら、約1時間歓談し子供達同士は、マシンガンゲームをさせて
もらって楽しんだ。
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3 月 31 日(火)晴
8時にスイートブライァー噴水前に集合し、3台の車に分乗してリンカーン小学校へ向かう。ゆった
りした敷地である。玄関先では、校長先生始め多くの先生方が、笑顔で出迎えてくれる。始めにクッキ
ーやフルーツをいただきながら説明を聞き、児童達が待っていてくれるところで、歓迎の歌を披露して
くれる。何人かは、先生が準備してくれた「着物」を着ている子供もいる。日本の歌も、上手に歌って
くれた。熱烈歓迎である。
その後、各教室を沢山見せてくれた。児童達は皆愛想良く、あいさつをしてくれる。教室は、2部屋
が連なった平屋建てで、余裕を持って配置されている。教室内は、四方に掲示物が多く、その分窓は高
窓しかないのが、日本と違っていた。
終わりのあいさつのとき、ロバート委員長が、「日本と同じところ・違うところ」を、皆に教えて欲
しいと言われ、それぞれまとめて書き出して(日本語で)渡した。お土産にカリフォルニアの本とオレ
ンジを全員がもらった。
11時20分頃、次の訪問先、リンゼイ高校に到着した。校長先生始め、先生方がやはり玄関先で、
出迎えてくれた。ミーティングをするための教室に通され、校長先生(若い)のお話しを聞き、お土
産をもらっている内、案内の手伝いをしてくれる生徒たち(見たことのある生徒も多い)も集合し、2
班に分かれて各教室の見学をさせてもらう。(6∼7教室)
お昼は、広いグランドにピザ・水が届けられて、そこで校長先生と一緒にいただく。その後、サッカ
ー場で生徒達と、校長先生も一緒に汗を流した。どの学校も、すごく好意的ですべてを自由に見せてく
れた。児童・生徒数も1教室30人位で、余裕を感じられた。もうすぐ春休みが、1週間程あるらしい。
次は、町はずれにあるオレンジアイスクリーム店に行き、美味しいアイスクリームをいただき少し休
憩をした。この後、大きなスーパー「WAL MART」に連れてもらって、16時にはマクドナルドの駐
車場に届けてもらった。今夜の夕食は、それぞれホストファミリーでいただいた。
4 月 1 日(水)晴
今日は、ランチボックスを持って、ホストファミリーや町の人達も一緒にヨセミテ公園へピクニック。
8時に、マクドナルドの駐車場に集合し、大型バスに26人が乗って出発した。途中で一度休憩しなが
ら、お昼頃ヨセミテ公園に到着する。結構観光客も来ていた。早速、それぞれ用意して貰ったランチを、
大きな自然の中でいただく。木々も岩も、そして滝も、すべてが大きい。足元に可愛いリスが寄ってく
る。ランチのあとは、ガイド役のおじさんにつれられて、ハイキングをし、いろいろと説明もしていた
だく。滝も、今が一番水量も多く、良い時に来ることができたと教えてくれた。
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帰路、19時頃フレズノで、中華料理の夕食をいただく。加来さんも、このレストランに来てくれた。
今日は、遅い解散であったが、21時半頃マクドナルドの駐車場に着き、各ホスト家庭に帰った。楽し
い一日だった。
4 月2日(木)晴
8時に、スイートプライァー噴水前に集合し、リンゼイ最後のプログラムに、ロバート委員長と一緒
に、3台の車で出発する。その前に、一人のお母さん(タンゼンドさん)が、マクドナルドのドーナッツ
を買いに行ってくれて、それぞれ1個ずついただいた。
ユニバーシティ・カリフォルニアの農場を見学する。担当者のお話を聞き、170エーカーの広さを
有し、オレンジの研究をしている。そして、地元のオレンジ農家の相談に乗っているとのこと。日本に
もマンドリンオレンジやサツマミカンがあるが、これは甘くて美味しい。種なしにすることも合わせて、
研究中であるとのこと。
心配事もないわけではなく、ウイルス対策を研究している。それを運んでくる虫の対策も大変だ。
君たちは、将来の基礎になる人だから、科学者になったり、大統領になったり、N01を目指しなさい、
と励ましをいただいた。
その後、市内に戻り、昼食にメキシカン料理をいただく。タコスなど少々辛かったが、メキシコ飲料
と共に美味しくいただく。次は、オレンジの加工工場を見学した。初めに説明を聞き、工場の中に入り
主として、オレンジのパッキングの流れ作業を見学する。日本向けのパッキングケースもあり、親しみ
を感じる。この時間になると、結構暑い。朝は涼しいのだけれど・・。この後、トレーラーハウスの工
場に行く前に、トレーラーハウスの団地を見学に行く。運んできて設置するだけでいいように、電気・
水関係のジョイントが整っている。
4∼500万円で建てられ、その後税金もいらないらしい。その近くにある、加来さんの亡くなられ
たご主人の、メモリアル公園も案内してもらった。生前のいろんなボランティアに対しての、ご褒美と
のこと。13時頃、チャンピオンモーターハウス工場に到着。防塵メガネを貸して貰って、最初に説明
を聞き、工場内を案内していただく。広い工場であるが、作業をしている人はあまり目に付かない。家
の大きさは、4m×15m位のが一番多く作られているが、3m×4m位の小さいのもあるとのこと。
日本では、このサイズかなあと思った。
説明を聞きながら、歩いて見て行く内にトレーラーは、だんだんと完成していく。最後に、出荷間近
の完成品も中に入って見せて貰ったが、う∼んすごい!こんなの欲しいなあ、と誰かから声が漏れてい
た。
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しかし、日本ではこんな大きな長いものは、道路を運べないなあと思った。モービルハウスは、一
般の家と作り方が逆で、中から外へ作っていくとのこと。
次は、チーズ工場の見学。広い大きな牧場を持った農場である。乳牛も一杯。1日に9100頭か
ら自動的に搾乳しているとのこと。見せてもらったが、すごい!一周7分の円盤状のスペースに自分
から入り、搾乳器を付けてもらう。じーっと廻って、搾乳器を外して貰って、自分からそのスペース
から出て行く。学習しているのだな、と感心していたが、どうも搾乳をしてもらうと気分が良くなる
らしいとのこと。チーズの試食もいただいたが、子供達にはきつい味のようだった。
いよいよ最後。次は、めずらしいアルパカを飼育している農家を訪問する。ここには、新聞記者の
方も待機していてくれ、我々を取材してくれた。
アルパカは50頭ほど飼っており、年に一回毛皮を刈り取って出荷しているとのこと。ちょうど、
その散髪が終わって間がない体をしていた。羊の毛は、油分が多くべとべとしているが、アルパカは
さらっとしていると、そのサンプルもいただいた。エサやりもさせてもらって、人なつっこい。そん
な様子を記者の方にカメラに収めてもらい、インタビューも受けて、明日の新聞に載せるからと先に
帰られた。
16時に、マクドナルドの駐車場で、各ホストファミリーに迎えてもらい、最後の夜の別れを惜し
んだ。スーツケースのパッキング、23kgをオーバーしないようにと、念押しもして別れた。
4 月 3 日(金)晴 リンゼイとお別れロスアンジェルスへ
10時に、マクドナルドの駐車場に集合。それぞれ荷物を一杯持って、ホストファミリーの皆さんに
連れられて集まってきた。ロバート委員長さんから、一人一人新聞をいただく。写真も一緒に大きくの
せてもらっていた。ロスアンジェルスから来るバスが遅れている。その分それぞれ5日間の別れを惜し
んでいる。20分遅れでバスも到着し、ロバート委員長・加来さん他の皆さんにも、丁寧にお礼を言っ
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てお別れし、大型バスに乗った。
10時半、バスは出発。窓から手を振り、最後のあいさつ。お世話になりました。バスは、一路ルー
ト99号を南下する。添乗員は、高山さん。
12時半頃、ルート5号に入り、風景も変わってくる。カリフォルニア州は、自然災害として火事(自
然の山火事)と地震の多いところである。このあたり(Gorman)には、活断層もあるとのこと。
13時半頃、バレンシアに着き、ランチタイムとなる。日本食レストラン「YAMATO」で、鉄板焼肉定
食をいただく。ここには、回転寿司もあり松竹梅もあり、日本ムード満点の店である。アメリカでは、
回転寿司の衛生許可が最近出たらしい。大きな鉄板(ステンレス風)の上で、割烹着のお兄さんが肉やマシ
ュマロや野菜を焼いて、それぞれに小分けをしてくれる。味噌汁もスプーン付きだけど美味しい。ご飯
が特に美味しかった。「ご飯、うまい!」と思わず声が出ていた。皆、満足してバスに乗った。
ここから、サンタモニカまで約40分。だけど、片側4∼5車線のルート5号が結構、車が多かった。
その車のほとんどが1人乗りの車のようだ。町に近づくにつれて、トラフィック対策で一番左の車線を、
2人以上乗車の専用車線にして優遇している。バスは、その車線を走った。
ルート405号に入り、サンタモニカへ向かうが、渋滞気味。車が多い。ラッシュアワーでは、もっ
と大変の様。シュワルツネッガーが知事になってから、第1・3金曜日を休日にしたので、今はラッシ
ュアワーではないのだが、すごく混んでいた。
ルート10号から、サンタモニカに入る。アメリカで有名な道路、ルート66号ここサンタモニカが
終点である。15時、バスを止めて、海をバックに記念撮影をして、次のところに移動する。
ロスアンジェルスは、昔、砂漠地帯だったが、今は緑も多い。だけど、砂漠の気候は変えられなく、
気温も朝晩12℃、日中は25℃、11∼3月は雨期になるが、雨量も350ml位しかないとのこと。
ハリウッドアイランドへ入る。このあたり、住宅ゾーンだがバスの便が悪く、だから車が多く家族の
人数だけ車がある。人口1,200万人に対し、1,100万台の車が登録されている。
このあたりは、ダイハードやプリティウーマンの撮影が行われたところと聞きながら、ハリウッドに
着く。下車して、先日「おくりびと」の受賞会場となったチャイニーズシアターなどを見学する。歩道
の星形に3000名以上の名前があるとか、シアター前の手形・足形などを見学するが、大勢の人が行
き来している。皆、はぐれないように。続いて、ロスアンジェルス発祥の地、ウォディラ街を見学した。
記念撮影をして、しばらく出店で買い物をした。
このあと、ロジャーススタジアムも見学したかったが、渋滞がひどく時間がなくなったので、ホテル
に向かった。今夜のホテル、KYOTO GRAND HOTEL に17時50分、到着。
バスから荷物を降ろし、添乗員の高山さんに、スーツケースの重さを量ってもらう。23kgより重
いと超過料金を払わないといけない。だから、2個に分けるようにした方がよいとのこと。何人かは、
分けるバッグがないので、近くのリトルトウキョウにバッグを買いに行った。そうでない者も、買い物
に行く。もっと賑わっているかと思ったが、少し閑散としていた。日本食のスーパーなどもあったが、
昔と状況が変わってきて、現地の日本人も余り寄らなくなったようだ。
19時から、ホテル内のレストランで夕食をいただく。ステーキ定食を、10日間最後の夜、わいわ
いと歓談しながら、美味しくいただく。皆、満足した顔をしていた。
明日の朝は、5時にモーニングコール。6時に荷物と弁当を持って出発だ。パスポートも確認するこ
となどの連絡をして、もう今夜は外に出ないようにと伝えて、ごちそうさまをして各自、部屋に戻った。
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4 月 4 日(土)晴
6時にチェックアウトをしてホテルを出発。バスはライトを点けてロスアンジェルス空港へ向かった。
空港に着くまでにおにぎり弁当を食べしまうように指示し、荷物を少なくする。6時20分には、空港
に到着した。早朝なのに結構賑わっていた。高山さんと搭乗手続きをし、スーツケースをそれぞれあず
ける。昨夜の計量の甲斐あって、ほとんどパスし関空まで届くように手配できた。
その後、列に並び手荷物とボディチェック。人が多く時間がかかったが、靴を脱ぎベルトも外し、上
着も脱いでチェック。全員無事に通過しやれやれ。ここで高山さんと、手を振って別れた。ありがとう。
次は、出国審査。
「我々11人のグループです。
」と伝え難なく通過できた。そして、72ゲートを確
認して、しばし自由行動とした。
7時50分に、ユナイテッド航空 UA889便の搭乗が始まり、座席に着く。8時30分に離陸し、サ
ンフランシスコまで約1時間のフライトであった。あっと言う間に9時30分。サンフランシスコ空港
に到着。
次は、国際線 OSAKA 行きのゲート N0 をチェックしなければいけない。電光掲示板で100番を確認
し、とりあえずそこを目指して歩く。結構遠い。やっと確認でき、30分ほどの自由時間ができ、それ
ぞれ最後の買い物をした。加来さんに、やっとサンフランシスコ空港、大阪行きゲートに着きました、
とお礼も兼ねて電話をする。皆様にもどうぞよろしく、も忘れずに伝えた。
11時、ユナイテッド航空 UA885便の搭乗開始。ほぼ満席、すべて搭乗は終わったのに、なかなか
動かないなと思っていると、
「11時半頃に30分ほど出発が遅れる。
」とアナウンスがあったが、それ
よりも遅れて、やっと12時20分に離陸できた。
約1時間後、昼食が出る。チキン定食である。その後、19時頃にはおやつにクッキーとコーヒーな
どが出た。そして、22時50分、日本時間に直して14時50分、軽食の焼きうどんを運んでもらっ
た。窓の外はずーと明るく、夜のないまま日本に近づいている。少しは寝られたかな?と言う感じであ
る。
4 月 5 日(日)晴
15時50分、予定より30分遅れて、関空に無事到着した。やっと日本に、全員無事帰って来た。
やれやれと思いつつ、
「まとまってついて来いよ。」と合図をしてシャトルに乗りながら、入国審査に向
かう。パスポートと税関申告書を示し、
「11人のグループです。」と伝える。全員、難なくパスし、1
番のターンテーブルに向かい、自分のスーツケースを取った。最後の税関も、まとまって申告書を渡し、
ノーチェックで通過できた。出口を出て、会長や出迎えの皆さんのお顔を拝見し、無事に帰って来られ
たと安堵した。記念撮影をして、$に両替をして、バスに揺られて小野に向かった。
19時15分、小野市役所に無事、全員到着。お疲れ様でした。
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【姉妹都市交流についての随行意見】
やはり、36年の継続はすごいな、と実感した。リンゼイに着いて、マクドナルドの駐車場、こんな
ところで大丈夫かな?大事な子供達を預けられるのかな?と思っていると、加来さんの姿が見え、ロバ
ート委員長の笑顔が見え、そして、次々とホストファミリーの皆さんが現れ、歓待してくれた。
ここまで送ってくれた現地添乗員の河合さんも、「こう言うボランティアのホストファミリーが、一
番いいですね。子供達、いい体験ができますよ。」と、感心していた。
ホストファミリーの対応や、歓迎会にしろ、毎日のプログラムにしろ、かなり綿密な打ち合わせがさ
れているなと場面場面で強く感じられた。
学校訪問での、みんなへのプレゼントなども、これ日本ではできないなあ、と思いながらいただいて
来た。
その学校訪問のときなども、昨年小野市に来た子供達が、積極的に案内役をしてくれる姿が目につい
た。会社や農園などを見学した折りも、子供達だからと手を抜かず、ていねいに説明をしてくれて恐縮
した。
人数的には、これくらいが適切かな、と思った。特に、サンフランシスコやロスアンジェルスなどの、
大きな都市での移動には、気を遣うことが多い。
帰途の、ロスアンジェルスでは、正味半日の滞在しかない。これは、翌日のことを考えたりすれば、
リンゼイからそのまま、サンフランシスコに戻った方がいいのかなあと思った。航空便が、ロスアンジ
ェルス発、関空行きがあればいいのだが、とも思いつつ。
こう言う体験は、子供達の世界観を変えてしまう、すばらしプログラムだと思う。いつまでも続くこ
とを願いたい。
【リンゼイ市でのステイ先】
小林由佳(団長)→
Lorena Maldonado
井上広大
→
Donovan Castro
井上浩明
→
Nelly Sierra
藤本拓也
→
Yvette Cortes
成岡隆介
→
Gina Sholander
住本映美
→
Christina Garcia
室谷琴乃
→
Maria Christina Guitterez
閹橋茉央
→
Stevci Joleen Ibarra
岩本将和&中尾亮太→Seth Tray Townsend
中村圭一
→
Lawrence Greg Shanle
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