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平和学――日本での研究生活の一年間
立命館大学・国際地域研究所
客員研究員
張鴿
(一)日本での体験篇
一、地域体験
4.27-4.30
九州・福岡 小倉 門司港
5.19-5.22
北海道・札幌 積丹半島 旭川 美瑛
5.22-5.26
東京 横浜
6.9-6.12
沖縄・那覇
7.17-7.20
広島 厳島神社
8.20-8.30
北海道・函館
9.10-9.14
九州・鹿児島 宮崎
10.5
四国・お遍路さん
また近距離旅行としては、大阪、奈良、神戸、名古屋、伊勢神宮、姫路城、天橋立、城崎温
泉、宝塚歌劇団、高野山、美山、高雄、京都の北山めぐり、琵琶湖などの観光地へ行きました。
二、2015年激動の日本、主なホットスポット
安保法案
沖縄辺野古米軍軍事基地
原発再稼働
三、普通の旅行者と違う視角
Y 型の政治・曖昧な経済・歪んだ社会・独特な文化
四、中国との対照
本当の民主主義か・貧富格差の拡大・無縁化社会・汚染問題[中国の環境汚染・日本の放射線汚染]
(二)平和学の理論篇
一、平和学とは
平和学(peace studies)は、戦争の原因と平和の条件を探る学問で、色々な学問の共同
作業です。これは1950年代に生まれた、まだ発展途上の学問ですが、1つの学問分野
として国際的に認知されています。これは人類が生き残るための学問であり、未来をどう
準備するかという学問である。
ーー君島東彦、「社会の中の芸術家ーー芸術家にとっての戦争と平和」
二、平和思想の淵源観点(加藤朗)
1神の平和の淵源ーーヘブライ文明の平和観
・古代ユダヤ教の平和観
現在イスラエルで、日常挨拶に頻繁に使われているシャロームという言葉は、「元来、
全きこと、傷なきこと、健やかなことなど、共同体及び共同体内に個人の生活を支え促す
全面的な幸福を意味する」(宮田[2006]13頁)。すなわち現在における平和の概念を表
す言葉であった。ただし、その平和とは「ただ戦争が存在しない状態を指すのではなく、
はるかにより積極的な意味を持っていた。シャロームは同時に幸福、繁栄、安全を意味
し、さらには神意による正義の実現という意味をも含む」(石田[1968]19 頁)、あるいは
「何よりも神からくる、生命に満ち溢れた動的な状態」(関根[1962]92 頁)である。契約
(ベリース)によって神(ヤハウェ)と人、そして人と人との主体的な関係を契約によっ
て作り出すことによって実現できると考えられた。
旧約聖書が戦争を肯定していることは否定できない。こうした戦争こそが神の平和
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を求める聖戦である。ただしモーゼの十戒にある「あなたは殺してはならない」は戦争に
あてはまらない(宮田[2006]14-15 頁)。なぜなら「神が<<万軍の主>>としてその民
のために戦い、民はまたその守りの元に国土を守るために戦うということは、古代イスラ
エルの信仰告白に他ならない」(宮田[2006]15 頁)である。
(加藤朗、『入門・リアリズム平和学』、勁草書房、2009年、p10−11)
・キリスト教の平和観
キリスト教の平和観としてもっともよく知られているのが旧約聖書のモーゼの十戒の第
六戒、「汝、殺すなかれ」(「出エジプト」第20章13節)である。こうしたキリスト
教の平和は新約聖書でエイレーネという。ユダヤ教のシャロームとは異なり、エイレーネ
の特質は「<<平和>>がイエスの人格及びその宣教との人格的な出会いを通して初めて
可能とされるところにある」(宮田[2006]22 頁)。という意味で地の平和となりえたにも
かかわらず、ついに地の平和とはならなかった。
(P11)
・イスラムの平和観
イスラムという言葉自体は平和を意味しイスラム教は文字通りに解釈すれば平和の宗教
である。アラビア語ではヘブライ語のシャロームのように挨拶言葉として「アッサラー
ム」という言葉を使う。シャロームとアッサラームは語源的に同じ「slm」という平和を
意味する言葉からの派生語である(俵木[2000]2 頁)。イスラム教ではイスラム世界を平
和の家と戦争の家とに分けて、イスラム(平和)の名が示すようにイスラム世界を平和の
世界と見なしている。 (P12)
2地の平和の淵源ーーヘレニズム文明の平和観
神の平和とは対照的に地の平和がある。地の平和とは一言で言えば、人と人の間、文字
通り人間すなわち世のなかの平和である。この地の平和の淵源は、ヘブライ文明と共に西
洋文明の2大源流の一つであるギリシア、ローマのヘレニズム文明にまでさかのぼること
ができる。多神教に基づくヘレニズム文明の平和観こそ、ヘブライ文明と共に現在の地の
平和のもう一つの思想の淵源である。(P14)
・ギリシアの平和観
古代ギリシヤでは平和の女神の名前であるエイレーネが平和を表す。エイレーネはシャ
ロームやアッサラームのような神との契約という平和観とは異なる。秩序正しき自然の循
環という状態概念こそが人間の似姿としての神、そして神々の社会の写し絵としてのギリ
シア世界の平和観の核心と言って良いだろう。とはいえ、ギリシア人がキリスト教の平和
観のように非暴力を主張したわけではない。むしろ都市国家の発展につれ秩序を維持する
ための戦争という考え方が主流を占めるようになる。(P15)
・ローマの平和観
ギリシアの平和観はやがてローマ帝国へと受け継がれ、平和の女神エイレーネはローマ
なパックス(pax)として受け継がれる。ローマ帝国の平和観はパックスという言葉に象徴
される。パックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)、パックス・ブリタニカ(大英帝
国による平和)、パックス・アメリカーナ(アメリカ「帝国」による平和)などの言葉に
あるように、パックスとは現代では平和を意味する。しかし、パックスが現在の英語の
pact(協定、協約)の語源になったように、もともとの意味は契約である。ただし、シャ
ロームのように神との契約(ベリース)ではなく、ローマ法的で、世俗的な人と人との契
約である。その意味で、ローマの平和はギリシアの平和と同様に、人と人との間の平和を
求める地の平和である。(P16)
3心の平和の淵源ーー東洋文明の平和観
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西洋文明の平和観とは対照的に、仏教、ジャイナ教のインド文明、儒教の中国文明そし
て外来の仏教、儒教を受容し日本古来の自然崇拝から生まれた神道の日本文明などの東洋
文明では、心の平和が育まれてきた。
・インドの平和観
平和に当たるサンスクリット語はシャーンティである,寂静(じゃくじょう)と訳され、
乱れることのない心の状態を意味している。またインドでは人間はもちろん人間以外の動
物を含めて一切の殺生を許さないアヒンサーの思想がある。この不殺生の思想はジャイナ
教、仏教など宗教の別なく、インドに生まれた宗教に共通の思想と言える。(P18)
・中国の平和観
中国の平和観の淵源は戦乱が相次いだ春秋戦国時代に形成された諸子百家の思想に求め
ることができる。ギリシア哲学のように政治や社会との関わりの中で深化した政治哲学や
道徳倫理の思想体系である。
孔子、儒教の平和観は「修身斉家治国平天下」に如実に表れている。国家が平和になる
には何よりも一人一人が身を修めることが必要であるとし、為政者には身を収め徳をもっ
て国を修める徳治主義を訴えたのである。修身による平和という意味で、法や制度によっ
て平和を創ろうとしたギリシアやローマの地の平和とは異なり、心の平和が基本と成って
いる。(P20−21)
孟子、性善説を唱え、仁、義、禮、智、中でも仁・義の徳を持って為政者が政治を行え
ば理想的な王道政治が実現できると仁政の重要性を口説いた。「恒産なければ、因りて恒
心無し」として、人々の暮らしの安定を図る、すなわち地の平和を人々にもたらすことで
人々の心にも平和がもたらされると、為政者に仁政を促した。戦争については「春秋に義
戦なし」と主張した。つまり天命を受けた天子による戦争は義戦である。
墨子、兼愛による平和を主張した。「もし天下が兼く(ひろく)相愛することになれ
ば、国と国とが攻め合わず、家と家とが乱し合うことなく、盗賊はすべてなくなり、君臣
父子は皆たがいに孝行と慈愛の行いすることができ、天下は治る」と主張した。P21
このように中国の平和観は為政者や人々の倫理すなわち心のあり方に力点を置いた心の
平和であり、同時に心の平和が地の平和をもたらすという地の平和の側面も持っている。
P22
・日本の平和観
日本の平和観はまさに「平和」という言葉が示すように、「平らか」で同時に「穏や
か」「なごやか」な心の状態をいう。その思想の淵源は聖徳太子の『憲法十七条』に求め
ることができる。第 1 条に以和為貴(和を持て貴シトナス)とあるように、日本の平和観
では何よりも和が尊ばれた。P22
神道はありとあらゆるものへの感謝やいたわり、尊敬の念を日本の平和観として育てて
きた。山や川、海、一木一草あらゆるものに神や魂が宿るという信仰は自然と一体化する
という体の平和にもつながる平和観を日本人の間に育んできた。
こうした仏教や神道という思想以上に日本人の平和観を形成したのは、むしろ元和偃武
以後、徳川による天下太平の時代が二百数十年続いたことにあるかもしれない。P23
歴史の中で育まれてきた日本人の平和観は明治開国と同時に一旦は西洋文明の地の平和
を受け入れた。しかし、地の平和の概念が第二次世界大戦の敗戦と同時に破綻した。そし
て今再び日本は憲法9条という新たな平和観の元で、かつての日本人の平和観がそうであ
ったように、心の平和を享受している。P24
4体の平和の淵源ーー環境問題
西洋文明は主体としての人間と客体としての自然とが個別に存在する対立的、機械論的
自然観に立ち、自然を支配、利用することで近代化を推し進めてきた。その結果、自然は
破壊され、資源の不足、温暖化などが起こり、環境、資源など自然を支配しようとする西
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洋近代化はもはや限界を迎えつつある。正常近代化の限界を乗り越え、私たちが健康で暮
らすには何よりも環境の保護が必要である。P24
環境問題の発見・核兵器の登場と環境
三、平和思想の代表者と観点
1、カントの永遠平和論
1795年哲学者カントが出版した『永遠平和のために』が平和論の原点と見なしてい
る。ロックとルソーと異なり、カントはホッブズと同様に自然状態を戦争状態と見なし
た。「ひとつの世界共和国という積極的理念の代わりに(もし全てが失われてはならない
とすれば)、戦争を防止し、持続しながら絶えず拡大する連合という消極的な代替物のみ
が、法を嫌う好戦的な傾向の流れを阻止できるのである」(カント[1985]45頁、傍点訳
書)。カントのこの主張はまず消極的な国家連合による戦争の防止、そしてより積極的な
ひとつの世界共和国における世界市民の連合による戦争の廃絶を志向するものとして、平
和論のバイブルと成っている。ただしカントの構想では、消極的な国家連合から積極的な
ひとつの世界共和国への道筋は示されていない。(加藤朗、『入門・リアリズム平和
学』、勁草書房、2009年、p34)
非戦の思想
平和憲法の中核的思想である戦争放棄・軍備撤廃の思想の淵源はカントにある。カント
は『永遠平和のために』第3条項で「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」
と主張した。「なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによ
って、他の諸国を絶えず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が刺激となって、
互いに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、つい
には平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍
その物が先制攻撃の原因となるのである。」(カント[1985]16−17頁)だからといっ
て、カントが非暴力主義者であったということにはならない。「だが国民が自発的に一定
期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防備することは、
これとは全く別の事柄である」(カント[1985]17頁)(加藤朗、『入門・リアリズム平
和学』、勁草書房、2009年、p126)
2、ガンディの非暴力思想
ガンディの平和思想は非暴力の思想として知られているが、その非暴力は「真理と非暴
力」というように真理と結びつけて語られる所にその核心があると思われる。ガンディは
「私の宗教は真理と非暴力に始まり、それに終わる」と言った。(千葉真、『平和の政治
思想史』、株式会社おうふう、2009年、P185)
3、マーティン・ルーサー・キング牧師の平和思想
マーティン・ルーサー・キングは、公民権運動で活躍した黒人解放運動の指導者であ
り、彼のキリスト教信仰に基づく神学思想は、しばしば黒人神学のカテゴリーとして捉え
られ、この視角からなされる研究は数多い。(千葉真、『平和の政治思想史』、株式会社
おうふう、2009年、P260)
キングの言う自由主義とは、アメリカの政治思想史に多大な影響を与えたジョン・ロッ
クに代表される啓蒙思想としての自由主義が、時代的変遷を経て、功利主義や実証主義と
合体し、さらに聖書学においては、聖書の文献学的批評に結実したものである。キングが
特に評価する自由主義の諸点は、「真理探究への献身、開放的、分析的知性の主張、最高
度の理性の光を放棄しないこと」である。(P262)
4、ヨハン・ガルトゥングの平和思想
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戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴
力のない状態を「積極的平和」とする概念を提起し、平和の理解に画期的な転換をもたら
した。平和のための超国家的なネットワークの総括者で、超国家的手法の開発者でもある
これまでに、スリランカ、アフガニスタン、北コーカサス、エクアドルなど、世界で 40
ヶ所以上の紛争の仲介者としても活躍した。
日本においても中央大学、国際基督教大学、関西学院大学、立命館大学、創価大学など
で客員教授を務めるなど、親睦は深い。安倍政権の掲げる積極的平和主義は、ガルトゥン
グが論じた「積極的平和」とは内容が全く異なり、ガルトゥングは「安全保障関連法案
は、平和の逆をいくものです」と批判している。
5、マティン・キデールの平和思想
キーデルは、平和運動・平和思想の注意深い史的分析に基づいて、二つの平和主義を区
別する。一つは、今すぐに一切の軍事力の保持と武力行使を認めない立場であり、もう一
つは、長期的目標として軍事力と戦争の廃絶を諦めないが、そのためには国際秩序の変革
が必要であり、その努力をし続け、しかし暫定的には防衛のための軍事力の保持と武力の
行使を認める立場である。前者をパシフィズム(pacifism)、後者をパシフィシズム
(pacificism)と呼んでいる。君島先生は前者を絶対平和主義、後者を漸進的平和主義と訳
している。キーデルによれば、平和運動・平和思想の歴史を見ると、確かに絶対平和主義
の潮流は重要であるが、平和運動・平和思想の主流は漸進的平和主義であったというこ
と、あるいは両者は相互補完的であるということである。
津本陽が『無量の光』の最後に、今日の日本と世界を見まわしつつ、こう書いた。
「わが国民は、恵まれた先進国の恩恵を受けているが、実は前途に待ち受けている死を
思う余裕もないほど、生活苦に圧迫される日々を送っている。
生きてゆくためのバランスを失い、自らの死を選ぶ人が毎年どれだけ出ているかを思え
ば、生活の切迫感がわかる。失踪者はその何倍になるのか。
国民を動揺させるような報道は流されないが、国際的資本主義という化物に食いつぶさ
れる餌のような悲惨な運命をたどる発展途上国の現状は外国テレビ報道でたまにかいま見
るだけでも、生きながらの地獄のようである。
今後の世界がどう変化して行くか、思うのも恐ろしい。人間は自分の欲望によって自壊
して行くのではないか。
どれほど財力を蓄えても、死ぬときは裸である事実を知りながら、酷使され破壊して行
く弱者を踏み潰して憚らないのが、資本というものに振り回される強者の論理である。」
ーー津本陽、『親鸞』、角川書店、p26
参考文献
1、君島東彦、「社会の中の芸術家ーー芸術家にとっての戦争と平和」、『芸術と法』、
武蔵野美術大学造形研究センター、2013年、p85。
2、千葉真、『平和の政治思想史』、株式会社おうふう、2009年。
3、加藤朗、『入門・リアリズム平和学』、勁草書房、2009年、p34。
4、ヨハン・ガルトゥング、高柳先男など訳、『構造的暴力と平和』、中央大学出版部、
2008年。
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5、ヨハン・ガルトゥング、木戸衛一など訳、『ガルトゥングの平和理論』、法律文化
社、2006年。
6、ヨハン・ガルトゥング、藤田明史、『ガルトゥング平和学入門』、法律文化社、20
04年。
7、木戸衛一、『平和研究入門』、大阪大学出版会、2014年。
8、池尾靖志、『平和学を始める』、晃洋書房、2004年。
9、『日本の科学者』2016年 1 月号、通巻576号。
10、津本陽、『親鸞』、角川書店、p26。
平和学入門書
1、君島東彦編[2009]『平和学を学ぶ人のために』世界思想社。
2、高柳先男[2000]『戦争を知るための平和学入門』筑摩書房。
3、高畠通敏[2005]『平和研究講義』五十嵐暁郎・佐々木寛編、岩波書店。
4、池尾靖志[2002]『平和学をはじめる』晃洋書房。
5、池尾靖志[2009]『平和学をつくる』晃洋書房。
6、Martin Ceadel,Thinking about Peace and War,Oxford University Press,1987.
7、David Cortright, PEACE: A History of Movements and Ideas, Cambridge University Press,
2008
8、David P. Barash and Charles P. Webel, Peace and Conflict Studies, Third Edition, SAGE,
2014
9、Kent D. Shifferd, From War to Peace: A Guide to the Next Hundred Years, McFarland, 2011
第6页