September 2, 2015 ≪ご参考≫ (大阪) K K 黒人霊歌「Go Down Moses」の発音に注意すべき単語の発音記号 と日本語訳 及び 黒人霊歌の歴史的背景 ≪注意すべき発音≫ ● Go, go【góu】 ( 《注》 【g :】ではない!) ● Press’d【prést】 ( 《注》 【présd】ではない!)= Pressed の略 ● stand【st nd】⇒ は英語らしい発音を! ● Oh【óu】 ( 《注》 【 ː】ではない!) ● Moses【móuziz】 ( 《注》 【m ːzez】ではない!) ● ole【óul】( 《注》 【 ːl】ではない!)= old ≪米≫19 世紀黒人英語の訛り表記の名残り ● Pharaoh【féərou】⇒ 下線部の発音に注意! ①歴代の古代(紀元前 1570-1070)エジプト王 の称号 ファラオ、②暴君、専制君主 ● Thus【ð s】 ( 《注》 【ð z】ではない!) ● saith【séθ】 ( 《注》 【séiθ】ではない!) ≪古・聖書・詩≫= says の意。say の三人称単数直接法現在形。 この歌詞における saith the Lord は the Lord saith の倒置法で = the Lord says の意。 ● bold【bóuld】 ( 《注》 【b ːld】ではない!) 「勇気のある、大胆な、豪胆な」の意。 ● smite【smáit】なぐる、一撃を加える、打ち負かす、≪聖書≫殺す、滅ぼす、の意 ≪“Go Down Moses”の日本語要訳≫ 「ヘブライ人(イスラエル人)がエジプトの地にいた時のこと。我が民を自由にせよ。 あまりの抑圧に耐えかねていた。人々を自由にせよ。 行け、モーゼ、はるかエジプトで。 王に告げよ、人々を自由にせよと。 」 (2008 年 ウェルズ・恵子(立命関大教授)訳を参考) 1 ≪“Go Down Moses”の背景≫ ご存じの通り、黒人霊歌の中でも名曲中の名曲で、旧約聖書の物語、映画のバックグラウ ンド・ミュージック、小説の題名にも登場する歌。歴史的背景については下記ご参考まで。 『行け、モーセ(モーゼ)Go Down Moses』は、旧約聖書「出エジプト記」における物語の一部が歌詞 で歌われる黒人霊歌。作曲は不明だが、一説によれば、19 世紀半ばのアメリカ南北戦争前後における奴隷 解放運動、そして南部州から逃亡に成功したアフリカ系労働者達が匿われた北軍のモンロー砦が関連して いると考えられるという。 ちなみに同曲は、ノーベル文学賞小説「Light in August」で有名なアメリカ文学の巨匠・ウィリアム・ フォークナー(William Cuthbert Faulkner/1897-1962)による 1942 年著の同名のフィクション小説 「Go Down, Moses」に大きなインスピレーションを与えていると言われる。 「出エジプト記」(英語では Exodus)では、エジプトのヘブライ人家族に生まれたモーゼが、神から使 命を受け、ファラオ支配下のエジプトで奴隷状態にあったヘブライ人(イスラエル人)をエジプトから連 れ出す物語が記述されている。 『Go Down Moses』は、19 世紀アメリカの南北戦争や秘密組織「地下鉄道」に関連付けられて説明さ れることがしばしばある。「アメリカ南北戦争 (American Civil War)」は、黒人奴隷の扱いを巡る争いが 発端となって国内が二分した結果生じた国内戦争。奴隷制に賛成の南部州と、解放運動を推進した北部州 との間で、1861 年から 4 年に渡って戦闘が繰り広げられ、北軍・南軍合わせて 62 万人もの死者を出すと いう未曽有の国内戦争となった。開戦前後、南部州の黒人労働者達の間には、自由な北部州への脱走を試 みる動きが広がっており、これを助ける秘密組織「地下鉄道 Underground Railroad」が彼らの逃亡成功 に大きな役割を果たしていた。 バージニア州にある北軍のモンロー要塞(Fort Monroe)には、南部州からの脱出に成功した黒人労働 者達が続々と集まり、ここにたどり着けば自由になれるとして、モンロー要塞は「自由の要塞」と称賛さ れた。モンロー要塞周辺で匿われた黒人労働者の数は最終的に 1 万人にも及び、彼らには大きなオークの 木がある屋外教室で読み書きが教えられた。エイブラハム・リンカーンによる奴隷解放宣言(1863 年)の 際には、オークの木の下で宣言文を読み聞かせ、それ以降そのオークの木は「解放のオーク」と呼ばれる ようになった。(『世界の民謡・童謡 worldwolksong.com』をベースに作成) 2 ≪黒人霊歌とは?≫ 黒人霊歌は、かっては英語で Negro Spirituals と呼ばれたが、現在は Black Spirituals と 呼ばれるが一般的である。 Afro-American あるいは African-American 系と呼ばれる black people(アメリカ黒人) の祖先がアメリカで創作した音楽で、アフリカ音楽と西洋の音楽の融合の影響、キリスト 教の聖書(特に旧約聖書)の影響を受け、元々は宗教歌が多いと言われている。その多く が 18 世紀~19 世紀中頃起源の音楽で、米国のブルース、ゴスペルの源流になった音楽であ る。南北戦争(1861-1865 年)当時、北部の白人が南部で感銘を受けて黒人たちから直接 聴き取り採譜して、米国全土に知られるようになった。 有名な宗教歌「Amazing Grace」を黒人霊歌と思い込んでいる人もいるようだが、間違 いで、Amazing Grace は白人が作曲した讃美歌ゆえ、White Spirituals と言われ、黒人霊 歌ではない。 黒人霊歌(Black Spirituals, Spirituals)は、African-Americans(アフリカ系アメリカ 人)にとって苦痛に満ちた時代に生まれた歌である。それは、彼らが故郷であるアフリカ 大陸から何千マイルも離れた見も知らぬ地まで奴隷船*で運ばれ、そこで奴隷として生きな ければならなかったという極めて切迫した現実の中で生まれた。 アメリカ大陸に連れてこられた彼らは奴隷主である白人に教会に連れていかれ、教会の 礼拝を経験したが、彼らが真の意味で魂の解放を得たのは、一日の過酷で辛い苦役を終え た夜遅くに仲間と秘密に集まりあって、白人達の家から離れた森などの場所で自分達だけ の礼拝を持って、神に祈り、歌い、踊った時間であったと伝えられている。それが彼ら自 身の真のキリスト信仰の形でもあったのである。 黒人達が集まった場所は Hush Harbor と呼ばれ、白人達の教会が「目に見える教会」で あるのに対して、Hush Harbor は社会的に「見えない教会、隠れた教会」であった。 黒人霊歌の歌詞と音楽は、危険と隣り合わせの、そうしたテンションの中で自然に生ま れ、切迫した日常からの解放、人間としての真の自由を求める魂、彼らがアフリカ人とし て継承してきた文化・伝統・習慣の発現、イエス・キリストを信じる新しい信仰の中で、 彼らの求める自由が実現されるという希望と確信の中で生み出され、長い時間をかけて多 様な内容と独特のリズムの黒人霊歌が形成されていったと言われている。 黒人霊歌を全米、英国、世界中に有名にしたのは、下記の通り、南北戦争後の 1867 年に 設立された黒人の教師を育成すべき高等教育機関を目指すフィスク大学において、学生の 3 合唱団を創部した (1972 年 Fisk Jubilee Singers と命名) 白人宣教師で、会計係兼音 楽監督として献身的に合唱団を指導したジョージ・ホワイトの功績が大である。Fisk Jubilee Singers は現在も同大学合唱団として健在。 フィスク・ジュビリー・シンガーズは 19 世紀後半、白人や北部の人たちに黒人霊歌を 徐々に大衆化させた最初の合唱団となっていった。苦しいスタートではあったが、徐々に 聴衆を魅了するようになり、名声を高めて、1872 年、第 18 代アメリカ合衆国大統領ユリシ ーズ・グラントに招聘されホワイトハウスで演奏を行った。1873 年、11 人のメンバーでグレ ートブリテン島を含むヨーロッパ巡業に行き、4 月にヴィクトリア女王の前で “Go Down, Moses” と “Steal Away to Jesus” とを演奏し、翌 1874 年 5 月にアメリカに戻った。 4
© Copyright 2024 Paperzz