フランス近代の両義性とデュルケム=モースの解釈学

東北社会学会大会 52 回大会(7 月 31 日)
に焦点を 当 て、表象 (représentation)の視点 か らガバナ ン スの変容 を 社会学的 に 論じる
①
フランス近代の両義性とデュルケム=モースの解釈学
フランス 近 代を舞台 に 、ガバメ ン トの表象 原 理を明ら か にする。
②
デュルケ ム =モース の 社会学か ら 、フラン ス 近代の両 義 性をみる 。
③
モダニテ ィ の両義性 を 越えた非 近 代社会に お ける社会 の 表象:事 実 から価値 へ
2.
フランス近代における「新旧」論争(la querelle des anciens et des modernes)の延
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5
伊藤 嘉高( 東北大学 大 学院)
長(古典主義対実証主義)
認 識 において基 本 的 に真 理 でないものがあるにもかかわらず、どのようにしてある種 の真 理 が
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発 生 するのかが問 題 なのだ。表 象 する存 在 は確 実 である。これが人 間 にとって唯 一 確 実 なも
■近代黎明期フランス
のである。問 題 なのは、人 間 がどのように表 象 するか、どのように表 象 せざるを得 ないかである。
・ ビュフォ ン (G.L.L. Buffon, 1707-88):動 物の各 種に固有 の 特徴を具 体 的かつ的 確 に叙述
修辞学の決定的敗北そして自然科学による道徳への侵入
するため ,表現,文体 にも苦心 。当時最も よ く知られ た 名文家で あ った。cf.〈 文は人な り〉
人 間 が存 在 を表 象 することは、問 題 ではなく、事 実 だからである。(ニーチェ『生 成 の無 垢 』)
の一句で 有 名な「文 体 論」(アカデ ミー・フラン セーズへ の 入会演説)。
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1. 問題設定―近代「社会」の変容に伴うガバナンスの変容
・ コンディ ヤ ック(É.B. de Condillac, 1715-80):科学によ る 普遍言語 (langue universelle)
の構築(Knowlson 1975=1993: chap.5)。
・ コンドル セ (M. de Condorcet, 1743-94):「社 会 科学」(道徳 科学)と い う語の導 入 。道徳
■社会=境界を持った国民社会
や政治の 分 析に対す る 自然科学 的 方法(数 理 統計、「社会 数学」)の適 用(ピネ ル へとつな
・ビリッ グ 「社会学 の 自己規定 の 核心に位 置 する『社 会 』は、国 民 国家のイ メ ージのも と に
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つくりあ げ られてい る」(Billig 1995: 53)
が る;Hacking 1990=1999:chap.5)。「〔 道 徳 科学 は 〕 その 主 題 が 人間 そ の も ので あ り 、 そ の
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直接の目 的 は人間の 幸 福であり 、 今後は物 理 科学に決 し て劣らぬ 発 展を遂げ る だろう。 そ
・エリア ス 「二十世 紀 の多くの 社 会学者が 『 社会』と い う場合、 か れらが念 頭 にしてい る の
してわれ わ れの子孫 が 知性の点 で も啓蒙と い う点でも わ れわれを 凌 駕するで あ ろうこの 甘
は、…… 国 家の枠外 に ある『市 民 社会』や 『 人間社会 』 ではなく 、 国民国家 と いう、い さ
美な考え は 、もはや 幻 想ではな い 。という の も、道徳 科 学はその 性 質上、物 理 科学と同 様
さか希薄 な 理想像で あ る」(Elias 1969=1977 :26)
事実の観 察 に基づい て いるのだ か ら、物理 科 学と同じ 方 法に従い 、 同等に正 確 な言語を 獲
得 し 、 同 程 度 の 確 実 性 に 到 達 す る に 違 い な い の で あ る 」( 1782, Mémoire sur le calcul des
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■グローバル化にともなう社会的統治性の問い直し:差異の崩壊
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・トゥ レー ヌ「私 たち が依然と し て社会と い う名で呼 ぶ こともあ る 統一体の 喪 失」(Touraine
probabilités)。
→高等教 育 における 古 典的カリ キ ュラムと そ れに関連 し た修辞学 の 削除を提 案
1998)
※明晰性 に よって「 規 定的属性 を もった現 象 の秩序」 と して「社 会 」を理解 す ることが 可 能
・ニコラス・ローズ「〔 社会とい う 〕領土は、新しい時 間 的、空間的 トポロジ ー の権力の 台 頭
になると い う見地(1 世紀後、 社 会科学は 共 通言語の 使 用を避け る べきであ る とデュル ケ
に よ っ て 変 容 し た た め に 、 社 会 学 は 『 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 危 機 を 経 験 し て い る 』」( Rose
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1996: 328)
ムが主張 す ることに な る)。 すなわ ち、記述 原 理。
・ウォー ラ ーステイ ン 「社会と は 、実際に は まずもっ て 世界的規 模 の過程に よ って生み 出 さ
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れ、その 過 程に対応 し た形態を と っている 構 造であり 、 従来もそ う であった の に、まる で
産 業 化 と 都 市 化 が 必 然 的 に も た ら す 構 造 的 変 化 は 、人 間 と 社 会 に 関 す る 言 明 を も っ ぱ ら 慣 習 あ る
自律的で 内 的に発展 し ている構 造 であるか の ように、 わ れわれの 多 種多様な ( 国民的な )
、、、、 、
『社会』 の 社会的発 展 の諸過程 を 分析して も 無駄であ る」(1991=1993 : 108)
い は 個 人 的 な 経 験 に 基 づ く 洗 練 さ れ た し ゃ れ た 言 葉 で 表 現 す る こ と を も は や 許 さ な か っ た 。古 典
・コール ハ ース:ジ ェ ネリック ・ シティ(generic city)は ニーチェ さ ながらに 善 悪の議論 を
的 な モ ラ リ ス ト 精 神 の 伝 統 的 路 線 は 今 や 途 切 れ 、ア ン ケ ー ト が 思 い 出 よ り も 重 要 と な り 、索 引 が
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社 会 的 箴 言 録 の 現 代 的 形 式 と な っ た ( Lepenies 1985=2002: 62)。
拒否する 。
■古典主義者による批判
■課題設定:表象としての「社会」
・国民国 家 の揺らぎ に 伴い、「社会 」そして ガ バナンス 様 式はいか に 変容する の か?
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「自然」と「歴史」(伝統)の超越性
・ 啓蒙の抽 象 化、フ ラン ス革命に 対 するド・ボ ナルド(de Bonald, 1754-1840)、ド・メー ス
→国民国 家 に横たわ る、
( ラト ゥール のいう )モダ ニティの「構 制」
( constitution; Latour 1991)
-1-
トル(de Maistre, 1753/4-1821)らの古典主義 者 による( 実 証主義に よ る進歩に 対 する信念 )
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批判。
-2-
■「古典」期
・ シャルル・モーラス( Charles Maurrus, 1868-1952)によるプロテス タ ント批判:一方の 古
典的人文 主 義を通じ た カトリッ ク 教義の安 定 性、他方 の 決して安 定 した判断 を 導くこと が
、、
ない継続 的 な自省。 ま た、モー ラ スにとっ て 後期 コン ト の著作(『実 証政治学 体 系』) は人
・人間観 察 協会(Société des Observateurs de l’Homme) の設 立(1799 年):
生物学者 ( キュヴィ エ 、ラマル ク 、ジュシ ュ ー、サン ・ ヒレア)
を区別す る 試金石で あ った(Lepenies 1985=2002: 38)。
医者(ピ ネ ル、カバ ニ ス)
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5
※ こ う し た 「 イ デ オ ロ ー グ 」( Idéologue) の 目 標 は 、 言 語 の 修 正 に 基 づ く 共 通 の 認 識 論 の う
よ っ て 揺 り 動 か し て く れ る 支 え で あ る 。こ れ は 詩 人 た ち に 慰 め を 求 め た り 、な ら か の 専 門 書 を 紐
ちに、人 間 科学と自 然 科学を統 一 すること に あった( Rabinow 1989: 20)。
解 く よ う な 瞬 間 で は な い 。純 粋 な 科 学 は 今 は 余 り に も 冷 た く 思 わ れ る で あ ろ う し 、詩 文 は た だ 途
( habitat)
→古典時 代 の自 然 史の表 象原 理との調和を目指す:ex. 古典植物学 に おける「生息 地」
方 も な い 空 虚 を 生 む だ け で あ ろ う 。狭 い 意 味 で の 実 証 主 義 者 で な く と も 、こ の よ う な 状 況 下 で オ
ー ギ ュ ス ト・コ ン ト の 道 徳 と 論 理 を 思 い 出 す こ と の で き る 私 の 世 代 の 人 び と を 、私 は 幸 せ だ と 思
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冒険家( ブ ーゲンヴ ィ ル)
言語学者 / 哲学者( ド ・トラシ ー 、ジェラ ン ドー)
今 精 神 が 必 要 と し て い る の は 、同 じ く 精 神 的 な 本 性 を 持 ち 、か つ 、精 神 を そ れ に 相 応 し い 観 念 に
概念(生 息 種と生息 地 の始原的 調 和)
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う 。( Maurras, Romantisme et revolution)
■殆ど「近代」期
・ シャルル・ペギー(Charles Péguy, 1873-1914)
:
「過去 三十年 にキリス ト 誕生から 現 代まで
よりもよ り 以上に変 化 した現代 世 界を憎悪 し ていたペ ギ ーは、生 涯 、オルレ ア ンと故郷 の
ボーズを 懐 かしんで い た。これ も また「社 会 学者の算 術 」など必 要 とせず、 健 全な常識 さ
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コレラの流行(1832 年)
「生息地」から「環境」へ
・ラマル ク (Lamarck, 1744-1829)とビシャ ー (Bichat, 1771-1802)
生息地概 念 の否定→ 環
境( milieu)へ:「環境 」は有機体 の 外部にあ り 、適者 生存 の場合に は 、有機 体に 対して変
化を強い る 外部環境 (cf. ジョルジ ョ・カン ギ レムの理 論 的生気論 )。
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えあれば 知 ることの で きる事実 で あった 」(Lepenies 1985=2002: 65)。
→適応と 変 異は個別 の 有機体、 す なわち生 命 システム に おいての み 起こる。 シ ステムの 生 理
内の有機 体 の機能を 強 調。
※古典主 義 者には、 古 典的な理 想 (超越的 表 象)があ り 、内省的 / 再帰的な 疑 義を発す る こ
・この見 方 のもとで 、ボナルド や ラムネー(Lamennais, 1782-1854)らの伝統主 義 的理論家 は 、
とを必要 と しなかっ た (ノエシ ス 的; Schnäeldelbach 1983)。
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自身の関 心 を個人か ら 集合的な も のへと移 し た。
「 社会諸 関係は長 期 にわたる 歴 史的過程 の
産物であ る 。全体が 個 々の部分 を 規定し、 個 々の部分 は 社会全体 の 位置から そ の意味を 得
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る」( Rabinow 1989: 26)。
3.
表象の原理から有機体説へ
あるいは「人間の誕生」
・サン・ シ モンの身 体 器官のメ タ ファー: ビ シャーに よ る基礎的 有 機器官機 能 モデルの 適 用
→一定の 社 会秩序の 下 での階級 間 の調和
■ラビノーによるフーコーの彫琢
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・二段階 の 認識論的 近 代化
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・ 「古典」期:先の記述原理に基づき、修辞学が一掃され、科学が明瞭明確な概
念を通じ て 事物を分 類 。
4.
都市化に伴うノルム(平均=規範)の誕生
・ 「近代」期:因果原理を特徴とし、ダーウィンの有機システムのモデルに基づ
■コレラへの対策
く。
30
・ フーコー は 、この二 分 法を分か り やすくす る ために、古 典期にす で にシステ ム 化された因
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検査して 、 健康では な い島を切 り 離し隔離 す る。
果原理を 内 包してい た 自然科学 ( 物理学、 化 学)を無 視 し、代わ り にほとん ど システム 化
・「近 代的」反応:コ レ ラを「伝 染 病」とみ な し、環境( とりわけ 都 市の貧困 層 居住区の 生 活
されてい な かった( 人 文主義) 科 学(自然 史 、経済学 、 言語学) に 焦点をあ て た。
環境)に よ っていか に 伝染され る のかを調 査 →都市に お ける脱ゲ マ インシャ フ ト化した 匿
・ しかし、フ ーコーの 第 二の近代 の エピステ ー メーは、自 然科学と 人 文科学の 内 在的かつシ
名の大量 の 個人なら び に大規模 な 統計地の 収 集による 応 用科学( Rabinow 1989: 60ff)。
ステム的 な 思考に対 応 している 。
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・「古 典的」反応:コレ ラを「接触 感染病」と して、シス テマティ ッ クに格子 化 された地 域 を
・ このシス テ ム的思考 の 発展が、 西 洋近代の 深 化の根本 を なしてい る (Rabinow 1989)
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→平均と し てのノル ム (「通 常」起 こること ) の出現
※規範と し てのノル ム 、平均と し てのノル ム と、デュ ル ケムの「 社 会的事実 」 との相同 性
・ 「制度化 さ れた規範 」 としての 社 会的事実 (1895 年、『規準』)
・ 社会統計 と しての社 会 的事実(1897 年、『自殺 論』)
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-3-
-4-
■二種類のノルムの癒合、そして「社会的」なもののディストピアへ
再帰性の 創 出として の 理論と実 践 の節合(Giddens 1976=2000)
・社会統 計学 者(とり わけ ケトレー )に よる二種 類 のノルム 概 念の癒合(規 範=平均 )
( Rabinow
■『フランス教育思想史』(1904/5 年の講義)
1989: 66)
・デュル ケ ムによる フ ランス教 育 史の時代 区 分
1759 年 の 間 に ノ ル ム 的 と い う 言 葉 が 初 め て 登 場 し 、 1834 年 の 間 に ノ ル ム 化 と い う 言 葉 が 初 め て
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5
・ カロリン グ 朝:文法 的 形式主義 の 時代。中 世 的なパリ 大 学が継承 。
登 場 し 、ノ ル ム 的 な も の は 社 会 的 ノ ル ム の 機 能 を 、そ れ 自 体 の 利 用 と そ れ 自 体 の 中 身 の 規 定 と 結
・ 中世:論 理 学と討論 ( 対話的形 式 主義)の ス コラ的時 代 。
び つ け る 力 を 得 た 。( Canguilhem, Le Normal et le pathologique)
・ 古典的、人文主義的時代:文学的形式主義の時代。フランス絶対主義国家と宮廷
貴族の時 代 。
・カンギレ ム「〔統 計学 者によっ て 考えられ て いる人間 の 特徴は〕そ れらが常 に 見出され る た
めに平均 的 であった の ではなく 、 それらが 所 与の生活 様 式にとっ て 平均的、 そ の意味で 規
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・デュル ケ ムは、こ れ ら三つの 時 代におけ る 形式主義 と 社会の抽 象 化に反対 し た。
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範的であ る ために、 常 に見出さ れ たのであ る 」
〔 人 文 主 義 教 育 の 原 理 は 、〕 人 間 性 と い う も の は 、 い つ ど こ に お い て も 全 く 同 一 で あ っ て 、 時 間
と 環 境 に よ っ て 本 質 的 な 変 化 は 認 め ら れ な い も の で あ る と い う こ と で あ る 。す な わ ち 、人 類 全 体
※社会的 事 実と規範 性 の第三の 概 念:社会 的 事実は、 環 境への社 会 の適応に 資 する限り で 標
に 対 し て ノ ル マ ル と し て 認 め ら れ る 精 神 的 態 度 や 道 徳 性 の 形 態 は 、唯 一 つ し か 存 在 し な い と い う
準的なも の になり、 逆 の場合は 病 理的なも の になる。
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※因みに 、 デュルケ ム も社会分 業 について こ の視点か ら 論じてい た 。
こ と が 、 自 明 の 真 理 と し て 認 め ら れ て い た の で あ る 。(『 フ ラ ン ス 教 育 思 想 史 』 637 頁 )
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・デュル ケ ムは人文 主 義教育を 、 十八世紀 の 抽象的な 個 人主義と 結 びつけ、 所 与の社会 に お
ける個人 の 具体的で 道 徳的な個 人 主義を対 置 した。
も し 分 業 が 、幾 ら か し ば し ば 、事 実 上 、正 常 的 状 態 か ら 逸 脱 さ え し な か っ た な ら ば 、あ ま り 大 し
た 非 難 の ま と に は な ら か な っ た で あ ろ う 。そ れ 故 、わ れ わ れ は 分 業 の 正 常 形 態 と 異 常 形 態 と の 混
ジ ェ ス イ ッ ト の コ レ ー ジ ュ や 大 学 の コ レ ー ジ ュ に お い て 、人 文 主 義 者 た ち は 生 徒 に 対 し て 、ご く
同 を 避 け る た め に 、分 業 が あ ら わ し て い る 主 要 な 異 常 的 諸 形 態 を 分 類 す る よ う に 努 め る で あ ろ う 。
こ の 研 究 は 、生 物 学 に お い て と 同 様 社 会 学 に お い て も 、病 理 学 が 生 理 学 を 一 層 よ く 理 解 さ せ る の
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に 役 立 つ と い う 利 益 を 、 与 え る で あ ろ う 。( 1893 年 、『 分 業 論 』 上 巻 90 頁 )
一 般 的 な 若 干 の 感 情 や 何 等 か 一 般 的 な 、し か も 単 純 な 観 念 に 還 元 さ れ 、単 純 化 さ れ た 、味 気 な い
人 間 を 教 え て い た に す ぎ な か っ た 。し か し 、現 実 の 人 間 は も っ と ず っ と 複 雑 で あ り 、こ の 複 雑 な
人 間 全 体 を 本 当 は 教 え な け れ ば な ら な い の で あ る 。… … 生 徒 は 、彼 が 日 常 用 い る の と は 全 く 異 な
→理想や 理 念に代わ り 、都市化、個人化に 伴 う平均の 基 体化(hypostatization)とともに、環
っ た 観 念 、慣 習 、政 治 組 織 、家 族 制 度 、道 徳 、論 理 を 学 ぶ こ と に よ っ て 、人 間 性 の 中 に 包 蔵 さ れ
境に適合 的 な社会シ ス テムが生 ま れること に なる。
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※近代的 ガ バナンス に おいて、す べてはこ の「社会的な るもの」の「再生産 」、そしてデ ィ ス
て い る 生 命 の 豊 か さ を 意 識 す る よ う に な る で あ ろ う 。( 665 頁 )
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トピアへ と 向かうよ う に仕向け ら れるのか !
■モース「呪術論」(1902/3)におけるマナ(Lévi-Strauss 1968=1973)
・モース に とってマ ナ (全体的 社 会的事実 ) は、カン ト のア・プ リ オリな総 合 的判断の 基 礎
付けの根 本 的源泉で あ り、
「総 合的 」であると いうこと は 、論理的精 神の外部 に 事物が存 在
5.
新ソルボンヌのデュルケム社会学
科学的表象から内在的象徴へ
30
すること を 示してい る 。
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→思惟と は 象徴と事 物 の間の関 係 である
・マナは 「 あるいは 宿 命的に、 あ るいはあ ら ゆる点で 偶 然的に、 そ の多くが 恣 意的に選 択 さ
デュルケムは国 家 と教 会 の妥 協 のない分 離 を迫 られているフランスの第 三 共 和 制 にとって世 俗 的
れた一定 の 事物に対 し て形成さ れ る社会感 情」
( Lévi-Strauss 1968=1973: 37)の表出である 。
な道 徳 以 上 に必 要 なものはないであろうということ、この一 種 のカトリック信 仰 の代 用 としての道 徳 を
・指示対 象 に対する シ ニフィア ン の異常な 過 剰をもっ た 世界、す な わちマナ に おける思 惟 と
こそ社 会 学 は将 来 提 供 すべきだということをすでに認 識 していた。(Lepenies 1985=2002: 77)
事物の関 係 :マナの 過 剰は一連 の 「その役 割 が象徴的 思 考を可能 に する意味 論 的機能」 の
35
■実証主義における理論と実践の節合
35
・コント 同 様、デュ ル ケムは社 会 科学が建 設 的な社会 変 動をもた ら すと考え た 。
41)。
・さらに 、一 般大衆が 社 会科学の 教 育を受け 、集合意識 を 鋳直し合 理 化するこ と を期待し た 。
・マナは 基 体自体を 意 味表示す る :マナは 力 と作用、 名 詞、形容 詞 、動詞の す べての象 徴 と
・しかし 、 デュルケ ム は露骨な 社 会工学信 奉 者であっ た わけでは な く、人々 の 集合が自 ら 建
いう点で 、 アンチノ ミ ーを伴い 、 論理的思 考 にとって は あまりに も 未分化。
設的な社 会 変動を引 き 起こすも の として想 定 していた ( Lukes 1975: chap.2)。
40
・第一に 、 社会科学 者 の専門知 を 通じた理 論 と実践の 節 合、第二 に 、一般大 衆 の社会科 学 的
-5-
なかで「 象徴 的思考の 法 則にした が って」事 物の 間で「配 分さ れる」
( Lévi-Strauss 1968=1973:
→近代化 は 、マナの 諸 性質を論 理 カテゴリ ー へと分化 、 分離させ る 。
40
・最も無 媒 介的なマ ナ の象徴か ら 、近代化 に よる無化 を 通じて媒 介 される「 形 式」へ
-6-
・科学的 思 考におい て は、無化 さ れた抽象 的 シニフィ ア ンが、そ れ らの指示 対 象への十 全 性
近刊)
をもった 地 位に立つ 。
・近代化( 科学的分 類 の歴史)は 、
「この社会 的感情の 要 素が漸次 弱 まってい き 、個人の内 省
的 思 考 に ま す ま す 多 く の 自 由 を 認 め る よ う に な っ て い く 過 程 の 段 階 的 歴 史 で あ る 」( 95-6
■「分類の未開形態」(1903)における近代化の視点(Lash 1999)
5
・テーマ : 表象と事 物 の関係が 中 心となる 「 分類」形 態 の(非ハ バ ーマス的 ) 文化的近 代 化
頁)。
5
※再帰的 近 代化の皮 肉 :再帰的 近 代化が生 ま れるため に は、分類 の 象徴に対 す る社会的 感 情
が弱まり 、 象徴が脱 社 会組成化 さ れなけれ ば ならない ( Lash 1999: 108)。
(カント 的 な直覚カ テ ゴリー( 時 間、空間 ) やその他 の 実体の社 会 的内容が 無 化される こ
とによっ て 近代化が 効 率的に進 む )
※デュル ケ ムの実証 主 義的側面 と 解釈学的 側 面はポス ト 近代社会 に おいてい か に調停さ れ る
のか?
「 分 類 の 未 開 形 態 」は 、世 界 の 分 類 に 資 す る 象 徴 が あ る 変 容 の 過 程 を 辿 る プ ロ セ ス を 描 い て い る 。
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こ う し た 象 徴 は 、未 開 の ト ー テ ム 、世 界 宗 教 の 神 々 、近 代 的 論 理 カ テ ゴ リ ー に わ た る 歴 史 の な か
10
で 、非 擬 人 化 あ る い は 非 社 会 組 成 化( de-societalization)の プ ロ セ ス を 辿 る の で あ る 。
( Lash 1999:
106)
6.
モダニティの両義性を越えて
・分類は 「 純粋観念 」 に由来す る のではな く、「感情」 の 所産に他 な らない(「分 類の未開 形
15
態」93 頁)。
15
・従来の 社 会学的ク ロ ノロジー ( 野生の思 考 →近代の 思 考)の否 定
を利用し て いる(「分類 の未開形 態 」3-5 頁)
・ モ ダ ニ テ ィ の 構 制 の 誤 り : 政 治 的 代 表 ( representation) と 認 識 論 的 表 象 ( representation)
・反ア リス トテレス 的 視点:
「類 似 性の存在 と いう単な る 事実から は クラス(類 )の存 在は 導
の区分( cf. スピヴァ ッ クの「サ バ ルタンは 語 ることが で きるか 」;Spivac 1988=1999)
かれない 」 →クラス の 存在のた め には「あ る 種の理想 的 な環境に お ける再統 一 」が必要
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■構制(constitution)
・Bruno Latour, 1991, Nous n'avons jamais été modernes(『 我々が 近代的で あ ったこと な どない 』)
・
「 論理的 操 作」は「論 理学とは ま ったく関 係 のない非 常 に異なっ た 源泉」から「諸々の要 素」
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・構制の 四 要素(あ ら ゆる構制 に おいて以 下 の領域が 取 り決めら れ 保証がな さ れる)
意 識 は 、相 互 に 他 の 中 に 消 え て な く な る 諸 表 象 の 連 続 し た 流 れ に ほ か な ら ず 、そ れ ら の 区 別 が 現
・ 主体:社 会 、共同体 、 文化、国 家 、文化
われ始めるとき、表象はまったく断片的なものでしかない。これは右にあり、あれは左にあり、
・ 客体:事 物 、技術、 事 実、自然
あれは過去のもの、これは現在のもの、これとあれは類似している、これはあれに随伴する等。
・ 言語:言 説 、媒介、 翻 訳、代理 、 表象
(9 頁)
・ 存在:神 、 英雄、ト ー テム化さ れ た先祖、 実 存の問題
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■近代的構制の保証
・分類は 、 象徴敵領 域 に位置し て いる。す な わち、諸 表 象が象徴 的 にコード 化 (全体的 社 会
・ 主体:「内在 的」。 絶えず 「人工的 」 に市民に よ って構築 さ れる
的事実に 媒 介)され て 初めて文 化 が十全に 存 在し、分 類 が可能に な る。
・ 客体:時間、空間的に「超越的」ないし普遍的。非構築的で発見の対象。客観的に真。
・「事 物の分 類は人間 の 分類を再 生 産する」
30
・
「最初 の論 理的カテ ゴ リーは社 会 的カテゴ リ ーだった の である。事 物につい て 最初に作 ら れ
自然科学 、 社会科学 に おける事 実 と技術は こ の意味で 超 越的。
30
た類は、 人 間の類別 な のであり 、 人間の類 別 にそれら は 統合され た」( 89 頁 )
・ 言語:主 体 と客体の 間 の翻訳は 「 禁止」さ れ る。「 純化の 仕事」。
・ 存 在 : 聖 と 俗 の 分 離 。「 取 り 消 し 線 を 引 か れ た 神 」 が こ の 二 元 論 の 調 停 者 の 役 を 務 め る 。
・
「事物 は社 会の不可 欠 な部分を な している と 考えられ て おり、その 社会にお け る位置づ け が
↑
その自然 に おける位 置 づけを決 定 したので あ る。」
・科学社 会 学による 客 体の超越 的 性格に対 す る挑戦( cf. Latour 1987=1999)。自然の内在 性。
→事物の 社 会組成化 (societalization/Vergesellshaftung)
35
構築主義 。
35
・社会的 行 為者は、 聖 化された 分 類とそれ ら が分類す る 事物の両 方 に対して 強 い感情的 な 投
・社会の 超 越性の指 摘 :人間の 共 同体は「 多 くの非‐ 人 間〔事物 、 技術、客 体 、自然〕 の 登
録(enrôlement)を 通じ て」(Latour 1993: 138)時間的に 持 続できる 。
資を行う。一つ一つ の カテゴリ ー 、事物は「 それ特有 の 感情的価 値 を持って い る」
(94 頁)
↓
■準主体、準客体(Serres 1987=1997)
→明確明 瞭 な思惟を 困 難にする
・モダニ テ ィの客体 は 、実際に は 超越と内 在 の非近代 的 な混在、 す なわち「 準 ‐客体 」。
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・近代化 は 事物の脱 社 会化(de-societalization/Entgesellshaftung)を伴う(Lash 1999; Urry 2000=
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・モダニ テ ィの主体 は 、一定の 時 間空間に お いて超越 的 な「準‐ 主 体」。
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文
献
■実証主義と構築主義を越える
・実証 主義:超越的な 客 体によっ て 因果関係 を 同定する に とどまる 。時間空間 的 に普遍な「 か
Barthelemy-Madaule, M., 1979, Lamarck : ou le mythe du precurseur, Seuil.( =1993, 横 山 輝 雄 ・ 寺 田
たい客体 」 が人間の カ テゴリー の 運命を規 定 する。こ の 普遍性は 科 学技術に よ って決定 さ
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れる(経 済 、遺伝学 、 生物学 )。そ して「か た い客体」 が 、主体の 「 やわらか い 次元」(宗
元 一 訳 『 ラ マ ル ク と 進 化 論 』 朝 日 新 聞 社 .)
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教、消費 、 大衆文化 、 政治)を 説 明する。
Delange, Y., 1984, Lamarck, sa vie, son oeuvre, Actes Sud.( =1989, ベ カ エ ー ル 直 美 訳『 ラ マ ル ク 伝 :
・構築主 義 :内在的 な 主体によ る 構成を同 定 するにと ど まる。す な わち、客 体 の「やわ ら か
忘 れ ら れ た 進 化 論 の 先 駆 者 』 平 凡 社 .)
い次元 」(自 然、神、 機 械、芸術 ) が主体の 「 かたい部 分 」によっ て 構成され る (「社 会的
Durkheim, É., 1893, De la Division de Travail Social, Presse Universitaries de France. ( =1989,
要因」)。
10
Billig, M., 1995, Banal Nationalism, Sage.
井伊
玄 太 郎 訳 『 社 会 分 業 論 』( 上 ・ 下 ) 講 談 社 .)
※デュル ケ ム、モ ―ス の「分 類」は「社会 的カ テゴリー が 投企され る スクリー ン」
(Latour 1993:
10
53)である 。
― , 1897, Le Suicide : Études de Sociologie, Alcan.( =1980, 宮 島 喬 訳 『 自 殺 論 』 中 公 文 庫 .)
― , 1938, L’évolution pédagogique en France, Alcan. ( =1981, 小 関 藤 一 郎 訳『 フ ラ ン ス 教 育 思
→いずれ も 、領域の 分 離を再生 産 するだけ 。
想 史 』 行 路 社 .)
Durkheim, É. & M. Mauss, 1903, ‘De quelques formes primitives de classification’ (Année sociologique,
■非近代的構制へ
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1901-2).( =1980, 小 関 藤 一 郎 訳 『 分 類 の 未 開 形 態 』 法 政 大 学 出 版 会 .)
・準客体 と 準主体の 非 分離・独 立 性(第三 空 間)
15
→こうし た 集合体と ハ イブリッ ド の「絶え 間 がない配 置 に干渉す る あらゆる 制 度は有害 で あ
田 正 勝 訳 『 文 明 化 の 過 程 ( 上 ): ヨ ー ロ ッ パ 上 流 階 級 の 風 俗 の 変 遷 』 法 政 大 学 出 版 局 .)
る」
Giddens, A., 1976, New Rules of Sociological Method: A Positive Critique of Interpretative Sociologies,
・非近代 的 な言語使 用 の鍵は翻 訳 ネットワ ー クの禁止 を 解除し「 ア ソシエー シ ョンを結 ぶ 」
Hutchinson. ( =2000, 松 尾 精 文 ・ 藤 井 達 也 ・ 小 幡 正 敏 訳 『 社 会 学 の 新 し い 方 法 規 準 : 理
我々の「 自 由」に対 す る禁止を 終 わらせる こ とにある ( Latour 1993: 141)。
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Elias, N., 1969, Uber den Prozess der Zivilization, Francke Verlag. ( =1977, 赤 井 彗 爾・中 村 元 保・吉
→非近代 的 構制によ っ て、アル カ イックな も のと新し い ものを結 ぶ 新しいア ソ シエーシ ョ ン
解 社 会 学 の 共 感 的 批 判 』 而 立 書 房 .)
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のなかで 歴 史を回復 す ることが で きる。
Hacking, I., 1990, The Taming of Chance, Cambridge University Press. ( =1999, 石 原 英 樹 ・ 重 田 園 江
訳 『 偶 然 を 飼 い な ら す : 統 計 学 と 第 二 次 科 学 革 命 』 木 鐸 社 .)
・世俗の 中 に神々を 連 れ帰るこ と で、非近 代 が近代の フ ァウスト 的 主体を減 殺 する。
Knowlson, J., 1975, Universal language schemes in England and France 1600-1800, University of
※プレ・ モ ダン的な 動 員が単純 な 再生産を 導 いたのに 対 して、非 近 代的な動 員 はネット ワ ー
Toronto Press.( =1993, 浜 口 稔 訳『 英 仏 普 遍 言 語 計 画:デ カ ル ト 、ラ イ プ ニ ッ ツ に は じ ま
クの拡大 再 生産を導 く 。
る 』 工 作 舎 .)
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Lash, S., 1999, Another Modernities: A Different Rationalities, Blackwell.
Latour, B., 1993, We have never been modern, Harvard University Press.
■結び:ネットワーク・ガバナンス論への視座
― , 1987, Science in Action: How to follow scientists and engineers through society, Harvard
・従来の 主 体のネッ ト ワーク
University Press. ( =1999, 川 崎 勝 ・ 高 田 紀 代 志 訳 『 科 学 が 作 ら れ て い る と き : 人 類 学 的
→準主体 と 準客体の ネ ットワー ク 。ここ で、準主体と 準 客体はと も に「表象」するより は「伝
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送」する 。
考 察 』 産 業 図 書 .)
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・手段と し ての客体
Snthropologie, Presses Universitaires de France. ( =1973, 有 地 享 ・ 伊 藤 昌 司 ・ 山 口 俊 夫 訳
→リスク 社 会化(死 の 脱超越化 ) に伴う再 帰 的な客体 の 生産;準 主 体を追跡 す る準客体 と し
「 マ ル セ ル ・ モ ー ス 論 文 集 へ の 序 文 」『 社 会 学 と 人 類 学 』 弘 文 堂 .)
ての監視 ビ デオカメ ラ (監視カ メ ラ‐市民 の ハイブリ ッ ド)。
Lukes, S., 1975, Emile Durkheim: His Life and Work, Penguin.
・準主 体と 準客体が ア クタンと な る物語:
「 言 説は、社会 と同様 、事 物と混在 す るアクタ ン の
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Lévi-Strauss, C., 1968, “Introduction a l'oeuvre de Marcel Mauss,” M. Mauss, Sociologie et
集合であ る」(Latour 1993: 90)。
Mauss, M., 1968, Sociologie et Snthropologie, Presses Universitaires de France. ( =1973, 有 地 享 ・ 伊
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→どうい っ た物語が 準 主体と準 客 体によっ て 織られる の か。
藤 昌 司 ・ 山 口 俊 夫 訳 『 社 会 学 と 人 類 学 』 弘 文 堂 .)
Rabinow, P., 1989, French Modern: Norms and Forms of the Social Environment, The University of
※政治的 実 践と認識 文 化論的( epistemocultural)活動の 結 合
Chicago Press.
Roger, J., 1989, Buffon: Un philosophe au Jardin du Roi, Librairie Artheme Fayard.( =1992,
ベカエー
ル 直 美 訳 『 大 博 物 学 者 ビ ュ フ ォ ン : 18 世 紀 フ ラ ン ス の 変 貌 す る 自 然 観 と 科 学 ・ 文 化 誌 』
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工 作 舎 .)
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Rose, N., 1996, “Refiguring the territory of government,” Economy and Society, 25: 327-56.
Schnäeldelbach, H., 1983, “Dialektik als Vernunftkritik: Zur Konstruktion des Rationalen bei Adorno,” L.
von Friedeberg & J. Habermas (eds.), Adorno-Konferenz 1983, Suhkamp.
Serres, M., 1987, Statues: Le second livre des foundations, François Bourin. ( =1997, 米 山 親 能 訳 『 彫
5
像 : 定 礎 の 書 』 法 政 大 学 出 版 局 .)
Spivak, G.C., 1988, “Can the Subaltern speak?” C. Nelson and L. Grossberg (eds.), Marxism and
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る こ と が で き る か 』 み す ず 書 房 .)
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Urry, J., 2000, Sociology beyond Societies, Routledge. ( =近 刊 , 吉 原 直 樹 監 訳 『 社 会 を 越 え る 』( 仮
題 ) 法 政 大 学 出 版 局 .)
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