福祉社会の行方ー福祉の社会学的考察 - 九州大学文学部・大学院人文

満田久義他編『社会学への誘い』朝日新聞社
1999 所 収
第九章
福祉社会の行方ー福祉の社会学的考察
安立清史(九州大学文学部助教授)
まえがき
「社会福祉」という切り口をとおして日本社会の問題や課題を社会学的に分析すること
ができる。かつては貧困や疾病や戦禍に起因する福祉ニーズへの対応が社会福祉の主たる
課 題 で あ っ た が 、現 在 で は 、人 口 構 造 の 変 化( 高 齢 社 会 化 )、家 族 構 造 変 動( 小 子 化 、小 家
族 化 、核 家 族 化 と 同 居 率 の 低 下 等 )、地 域 社 会 関 係 変 化( コ ミ ュ ニ テ ィ サ ポ ー ト ネ ッ ト ワ ー
クの衰微等)に起因する福祉ニーズへの対応が急務となっている。こうした福祉ニーズの
変化に社会はどう応えてきたか。福祉国家の危機が喧伝されるなか、これからの福祉社会
の 行 方 は ど う な る の か 。社 会 福 祉 に 関 連 す る 社 会 科 学 (社 会 福 祉 学 、社 会 政 策 学 、公 共 経 済
学 、心 理 学 、ジ ェ ロ ン ト ロ ジ ー な ど )が み な こ う し た 課 題 に 取 り 組 ん で い る 。し か し 社 会 学
はこれまで社会福祉の分野であまり有効な貢献をしてきたとは言えない。だが課題の質か
らしても量からしても、社会福祉と福祉社会の行方は、社会学にとっても大きな研究と課
題の宝庫である。本章では、日本社会が社会福祉をどう受け止め、どう変容させながら日
本 化 し 、そ し て 現 在 ど ん な 課 題 に 直 面 し て い る か を 考 え よ う 。「 社 会 福 祉 」は 、ど の よ う に
して日本社会に入ってきたのであろうか。入る過程で何らかの変形を被らなかったであろ
うか。はたして社会福祉という概念は、日本社会に根づいているのであろうか。今後、社
会福祉が、より日本社会に根づくための条件とは何であろうか。それは社会福祉の社会学
の課題である。
1章.社会福祉概念の導入と日本化
社会福祉概念
石田雄らの研究等が示すところによれば、日本にはもともと社会福祉という概念はなか
った。それは第二次大戦敗戦後のアメリカ軍による占領期に、GHQが日本政府に指令し
て 導 入 さ れ た も の で あ る 1 。ア メ リ カ は 、日 本 に な ぜ フ ァ シ ズ ム が 勃 興 し た の か を 社 会 科 学
者を動員して分析し、その原因の一つが日本社会に貧困や社会問題への対応を専門とする
社会保障や社会福祉がなかったことであるとして、日本に社会福祉を根づかせることを重
視していた。それは日本が再びファシズムに陥らないための重要な要件であると明確に認
識し、占領にあたってアメリカの大学でのソーシャルワーク教育のシラバスまで持参して
い た と い う 驚 く べ き 先 見 性 を 持 っ て い た 2 。社 会 福 祉 は 、ア メ リ カ に と っ て 日 本 の 民 主 化 に
1
2
石 田 雄 [ 1983][ 1984]
GHQの社会福祉担当者と直接交渉した仲村優一の証言による
とって欠くべからざるものであった。
社会事業から社会福祉へ
それまで日本政府が社会事業や社会政策として実施してきたものは、明治期にあっては
天皇制を民衆に知らしめ根づかせるための慈恵的・恩恵的な慈善事業であり、大正期にお
いてはおおむね治安対策としての社会事業、つまり国家が近代資本主義国家となるに随伴
して生じてくる貧困や労働争議などの社会問題への対応を主眼とした社会政策であった。
昭和にはいると戦時動員体制の一環として厚生省が国民の健康の問題へと乗り出したが、
良質な兵力と戦時労働力の育成を主眼とした父権主義的な施策であった。それらを時系列
的に示せば以下のようになる。
(1)明 治 天 皇 制 の も と で の 感 化 ・救 済 ・ 慈 善 事 業
(2)大 正 期 の 治 安 維 持 対 策 と し て の 社 会 事 業
(3)昭 和 初 期 の 戦 争 へ む け て の 動 員 体 制 ・戦 時 労 力 政 策 と し て の 厚 生 事 業
(4)G H Q の 指 令 に よ る 社 会 福 祉 の 導 入
GHQは社会福祉の三原則(無差別主義、国家責任による生活保障、公私分離の原則)
を示し日本政府にその履行を迫った。GHQの社会福祉施策は、ニューディールの流れを
くむ革新性をもち、本国のアメリカでも完全には実現されていなかったほどの先進的なも
のだったから、もしそのまま実現されていたら日本社会はいちはやく福祉国家になってい
たかもしれない。しかしGHQの指令は日本政府の抵抗と財源不足、理解不足、人材不足
などにより、次第に換骨奪胎され「日本化」していった。GHQと日本政府との軋轢と日
本化の過程を分析すれば、GHQが求めた社会福祉がどのように変形して日本化していっ
たかがわかる。
社会福祉の日本化過程
日本政府は国民に社会福祉の権利性とくに請求権を認めることに抵抗しつづけた。日本
政府にとって社会福祉の拡大は、福祉へ依存する「無為なる惰民」を生産するものと映じ
た。国民生活の向上よりも国家の発展を優先し、国民生活の保障は父親のような国家が子
ど も の 面 倒 を み る か の よ う に 教 化 的 な 姿 勢( paternalism= 父 権 主 義 )で 社 会 政 策 を 行 っ て
きた日本政府にとって、社会福祉という概念はなかなか理解できなかったようである。
第二次大戦後、福祉国家を建設していった先進諸国のほとんどが労働党や社民党の政権
下に、労働者の生活保障や社会保障の充実を主眼として福祉国家の建設を進めたのに対し
て、日本ではGHQの外圧のもとに半ば強制されて社会福祉関連の諸立法をすすめ福祉施
策を実施してきた。社会保障・社会福祉諸施策が、パターナリスティックな国家によって
主導されてきた。これは他の福祉国家には見られない特徴であり、ブースやロウントリー
らの社会学者によるロンドンの貧困家庭の調査から始まる伝統をもち、労働党政権のもと
で福祉国家づくりが進められたイギリスにくらべても、北欧のスウェーデンのように社民
党政権のもとで、労働者と資本家との政策的妥協のもとで発展してきたモデルとも、また
アメリカのように市場原理のもとで展開してきたモデルとも大きく異なる。
医療・福祉・年金政策等が長期的な展望のもとに国家主導で立案され実施される姿は、
ゴールド・プランや公的介護保険の導入などでひとつのピークを迎えた。この二つの重要
な社会福祉政策の策定過程に、国民や全国の地方自治体はほとんど関与していない。しか
し日本の社会保障・医療・福祉政策を日米比較研究しているアメリカの研究者の多くが、
日 本 の 政 策 の 成 功 を 認 め て い る 3 。長 期 的 な 視 野 の も と に 、父 権 主 義 的 な 国 家 観 と 倫 理 観 と
に支えられた厚生官僚の主導してきた日本の社会保障・社会福祉政策は、長期的政策とし
ては評価されてよい。
しかしながら、この結果、社会保障・社会福祉領域での国への依存体質が、国民のあい
だにも地方自治体のあいだにも濃密に形成されてしまったことは、大きな問題であった。
それは社会保障・社会福祉が、大きな国家や経済の波動に左右されやすくなったためであ
る。国主導で進められた高齢化社会対策や医療・福祉政策は、いつまた国主導で方向転換
さ れ た り 縮 小 さ れ た り し な い と も 限 ら な い 。1980 年 代 の 経 済 不 況 と 行 革 の 時 代 に 保 守 政 党
や財界主導でさかんに論じられた自助努力と家族扶助を強調する「日本型福祉社会論」は
そ の こ と を 教 え る 4。
2章
社会福祉組織の日本化
日本の社会福祉はGHQがその基礎をおいた。では、その社会福祉を実施する体制はど
うなっていたであろうか。ここにも興味深い日本化の過程が現れる。
社会福祉協議会
GHQは社会福祉の実施方法として国家責任の明確化と全国的単一政府機関の樹立を求
め た 。し か し そ れ は 財 源 的 に も 人 材 的 に も 困 難 で あ っ た 。ア メ リ カ で 1910 年 代 か ら 共 同 募
金 運 動 の 発 展 と と も に 社 会 福 祉 協 議 会 ( Social Welfare Council) が 発 展 し て い た の を モ
デルとして日本でも民間の社会事業団体の再編成が行われ、それが日本の社会福祉協議会
となった。アメリカの社会福祉協議会は、共同募金を基盤として、コミュニティの人びと
が創設し運営しているコミュニティ内の福祉機関や施設の連合組織であり、いわば草の根
の地域福祉施設や機関のネットワークの場が社会福祉協議会なのである。しかし日本の場
合には違った。アメリカではコミュニティから自発的にわき上がる福祉への活動が社会福
祉協議会という組織の実態をなすのにたいし、日本の場合には地域社会のなかにこうした
実体を持たぬまま上からの指令で地方組織が再編成された。たとえば中央社会福祉協議会
は軍人援護会や同胞援護会、日本社会事業協会などが統合されたものとして発足したもの
であったし、地方の市町村社会福祉協議会も行政主導で急速に組織化されていったが公私
の 境 界 は 不 分 明 で あ っ た 。「 郡 市 社 協 と な る と 会 長 の 半 分 は 市 長 や 地 方 事 務 所 長 の 顔 が 見
いだされる。さらに町村となると会長は大部分が町村長であり、その他は町村議会議長で
あ る 。 か く し て 町 村 社 協 は 事 実 上 い わ ゆ る 御 用 団 体 化 し て い る 実 態 で あ る 5 」。 前 田 大 作 に
ジ ョ ン ・ キ ャ ン ベ ル [ 1996]、 池 上 ・ キ ャ ン ベ ル [ 1996]
日本型福祉社会論に関しては、日本の家族構造や地域社会構造が急激に変化しているこ
とを踏まえず、伝統的な家族イメージにもとづいて「日本的」が論じられたとして、研究
者から多くの批判と反論が寄せられた。社会保障や社会福祉領域で日本型福祉社会論を肯
定 的 に 評 価 す る 研 究 者 は ほ と ん ど い な い 。 堀 勝 洋 [ 1981] が 詳 し い 。
5 石 田 雄 [ 1983]
[ 1984]
3
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よれば日本の社会福祉協議会の問題や限界は、地域で福祉活動を行っている施設や機関の
ネットワーク組織でなく、民生委員や地域組織の代表などの地域名望家層による「人の組
織」である点に起因している。代表が集まって協議はするが、なかなか福祉サービスの実
態が見えて来ないのである。いずれにせよコミュニティに社会福祉の実体がないまま上か
ら 社 会 福 祉 協 議 会 と い う 官 製 の 福 祉 組 織 が 形 成 さ れ た 6。
社会福祉法人
社 会 福 祉 法 人 に も 同 様 な 日 本 化 の 過 程 が 見 ら れ る 。G H Q の「 公 私 分 離 の 原 則 」に よ り 、
政府は私設社会事業団体に補助金を交付してはならないとされた。憲法89条では「公金
は(中略)公の支配に属さない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出、また
はその利用に供してはならない」と規定している。よって社会福祉法人は、民間団体であ
るが「公の支配」のもとにあって、行政の指導に忠実に従いながら措置委託費によって社
会福祉事業を行うことになる。独自財源をほとんど持たず、サービス内容についても自主
性をもてないようでは、行政が直接に福祉サービスを提供する場合と何ら変わらず、民間
団 体 で あ る こ と の 独 自 性 や 特 色 を 発 揮 し て い る と こ ろ は 多 く な い 7 。急 激 な 高 齢 化 や 家 族 構
造の大幅な変化に伴って生じる新しい福祉ニーズに、迅速にフレキシブルに応えることが
できる社会福祉施設や機関が求められているのである。社会福祉法人に関しては現在、社
会福祉事業法の見直しの過程で改革が論議されている。
3章.ボランティアの日本化
医療・福祉ボランティアは、日本ではどのように展開されてきたであろうか。ここにも
興味深い日本化の過程が見られる。
方面委員・民生委員
無償で社会事業や社会福祉に携わる人のことを福祉ボランティアと言うとすれば、日本
では大正時代の済世顧問や方面委員にその起源を見ることが出来よう。方面委員は敗戦後
に 民 生 委 員 へ と 名 称 変 更 さ れ る が「 行 政 委 嘱 ボ ラ ン テ ィ ア 」8 で あ り 、福 祉 活 動 の 日 本 化 過
程に貢献とともに問題点も投げかけた。方面委員は、大正期の米騒動を一つの契機として
生 ま れ た も の で 、「 米 騒 動 な る 騒 擾 が 各 地 に 蔓 延 し 、 社 会 階 級 の 軋 轢 の 端 緒 が 現 れ た 」、 そ
こで「貧富の差、職業上の地位等に依る社会階級の調和」をはかり、増大する都市貧困層
に対処すべく地域名望家層を動員して対応をそれぞれの地域で行わせようとしたのが方面
委員であった。これは江戸時代以来の五人組の伝統を都市化社会の中で再編成しながら導
入した日本独自のもので、家族主義と隣保扶助の観念のもとに地域住民を教化していく色
彩 を 強 く も っ て い た 。方 面 委 員 は 名 誉 職 と さ れ 人 件 費 を 要 し な の で 急 激 に 各 地 に 普 及 し た 。
方面委員を引き継いだ民生委員が公的扶助事務に関わることにGHQは批判的であった。
6
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前 田 大 作 [ 1990]
田 中 尚 輝 [ 1998]
西 尾 勝 [ 1975]、 大 森 彌 [ 1989] 参 照
しかし有資格の専任職員が当時の日本に十分いるはずもなく、結局、民生委員は生活保護
事務の補助機関、のちに協力機関になった。あるGHQ高官は「民生委員が、公的扶助を
行う場合、それを自分等の個人的な感情問題と考えたり、あたかも個人的な贈り物のごと
く 扱 っ て い る 。『 私 は 彼 ら が 気 の 毒 に な っ た の で 彼 ら に 援 助 を 与 え た 』、 と い う 言 葉 が 当 た
り前のこととなっている。これは温情主義であり、封建思想に貫かれたものである」と批
判している。石田雄は「公私両領域の連続体制で地域を動員する民生委員や地域社会福祉
協 議 会 の や り 方 は 、同 時 に 地 方 ボ ス の 牛 耳 る と こ ろ と な り 、共 同 体 的 規 制 の 働 く 場 と な る 」
と 述 べ て い る 9 。し か し 戦 後 の 社 会 福 祉 の 生 成 期 に は こ う し た 地 域 名 望 家 層 の 無 償 行 為 を 活
用しなければ、社会福祉は成り立たなかったのである。
その後の社会福祉の展開に、福祉ボランティアが大きく関わることはなかった。状況が
大 き く 変 わ る の は 1980 年 代 に な っ て か ら で あ る 。
住民参加型在宅福祉活動
1980 年 代 に 入 る と 全 国 で 行 政 に よ る 福 祉 、と り わ け 一 人 暮 ら し 高 齢 者 や 寝 た き り 高 齢 者
を抱える家族などへの在宅福祉が不十分であるとして市民が小さな互助団体を形成し、ホ
ームヘルパーを謝礼金程度で派遣する「住民参加型在宅福祉サービス活動」と言われる会
員 制 を 基 本 と す る 有 償 ・ 有 料 型 の 住 民 互 助 型 の 運 動 1 0 が 勃 興 し た 。 1980 年 代 末 に は ま だ 全
国 で 120 程 度 の 団 体 数 で し か な か っ た が 、1997 年 現 在 で 団 体 数 約 1080、活 動 者 数 十 万 人 と
見積もられている。これは福祉政策や計画策定過程への市民参加ではないが、市民の福祉
需要を知らせ、自分たちで解決していきながら社会へと訴えかける作用を起こした。行政
も従来型の措置型福祉では不十分なことを認識し、社会福祉協議会にホームヘルプサービ
スの事業委託を行ったり、大都市部を中心に第三セクター方式の「福祉公社」を設立して
こうした草の根市民の福祉への期待と参加意欲に応えようとした。われわれが全社協と共
同で行った調査によれば、こうした在宅福祉活動に参加した人びとの9割以上が主婦で、
年 齢 的 に は 4 0 代 後 半 か ら 6 0 代 が 中 心 で あ っ た 11。 一 番 大 き な 参 加 動 機 は 「 社 会 福 祉 に
関心があったから」であったが、これはつまるところ、子育てが一段落したあと、時間的
ゆとりができた主婦層が、周囲や自分の家族を見わたしたとき、将来にわたる深刻な問題
として老後の介護不安を感じ、高齢化社会の問題をリアルに自分たち自身の老後の問題と
してとらえたということであろう。小子化・核家族化が進む中での高齢化は、同居や家族
による助け合いに支えられてきた日本型の老後保障や介護を難しいものにする。現在、高
齢化しつつある主婦層にとってそれは実に深刻で不安をかき立てる問題であった。自分た
ちの家族の将来の問題と社会福祉とが重なり合った。こうして目覚めた主婦層が全国的に
ボランティア活動を展開しはじめたのが、住民参加型在宅福祉活動や市民互助型活動であ
石 田 雄 [ 1983][ 1984]
全 国 社 会 福 祉 協 議 会 に よ れ ば 、 社 会 福 祉 協 議 会 運 営 型 、 行 政 関 与 型 ( 福 祉 公 社 型 )、 住
民互助型、協同組合運営型、ワーカーズコレクティブ型などがあるという。住民互助型と
い う 分 類 に は 問 題 が あ る と し て 、「 市 民 互 助 型 」と 呼 ぶ べ き だ と す る 意 見 も あ る 。田 中 尚 輝
[ 1998]
1 1 安 立 清 史 [ 1993]
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る 12。 こ れ は 日 本 社 会 の 福 祉 の 行 方 を 考 え る う え で き わ め て 暗 示 的 ・ 示 唆 的 で あ る 。
会員制・有償制をとる住民互助型活動を純粋なボランティア活動とは峻別する考え方も
ある。しかし調査から浮かび上がった担い手の意識はかなりボランティアに近いものであ
っ た 13。 住 民 互 助 型 活 動 は 、 福 祉 ボ ラ ン テ ィ ア の 日 本 的 な 形 態 の ひ と つ と 考 え る こ と も 出
来る。
ところで、日本とアメリカとでは、ボランティア活動や非営利団体の活動についての社
会的位置づけが大きく異なっている。正確な比較は困難であるが、概略以下のように比較
できるだろう。
アメリカのNPOとボランティア
アメリカのNPO(非営利組織)は、宗教、教育、慈善、科学、学術団体などが、行政
による許認可制ではなく届け出制により法人格を取得でき、審査によって様々な税制上の
減 免 措 置 が う け る こ と が で き る と い う も の で あ る 14。 ア メ リ カ の 特 徴 は 、 分 厚 い ボ ラ ン テ
ィア活動の文化の上に、法的な根拠をもつNPOがあり、活発な社会的活動を行っている
ことだろう。任意団体としてのボランティア団体では限界のあることを、NPOが担って
おり、NPOは行政や民間企業などとも共働しながら巨大な非営利活動のセクターを形成
しており、アメリカ社会の不可欠の構成要素となっている。アメリカでは、市場を通じて
供給できない、あるいは市場供給が適切でない社会サービスを行政が提供するよりは、ボ
ランティア団体やNPOが多様な社会的価値やニーズに応じて提供するほうがサービスの
質の点からも効率の点からも望ましいとされ、行政はこうしたNPOを法的にも財源的に
も支援し共働しようとする。民間の企業や財団からの援助も分厚い。つまりNPOを社会
の 不 可 欠 の 構 成 要 素 と し て 認 め て い る 15。
日本のボランティア活動とNPO
日本の場合には、これまで市民の非営利活動が社会の不可欠の構成要素であるとは考え
られてこなかった。行政が行うこと(のみ)が公共とされ、市民活動は行政の補助活動で
あるかぎりにおいて行政から認知され援助された。市民が公益法人を設立するにあたって
は官庁による様々な規制があり、先進国のなかでもっとも非営利組織の設立が難しいと言
われている。ゆえに日本の市民活動やボランティア団体は、そのほとんどが法人格を持た
ない任意団体である。組織基盤、財政基盤が脆弱なうえ、法人格をもたない任意団体なの
田 中 尚 輝 [ 1998]
安 立 清 史 [ 1993][ 1994]
1 4 ア メ リ カ の N P O ( Non Profit Organization) に つ い て の 基 礎 資 料 は 、 Independent
Sector に よ る N P O サ ー ベ イ が 著 名 で あ る 。そ れ ら に よ れ ば 、全 米 で ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 や
N P O は 700 万 と も 800 万 団 体 と も 言 わ れ て い る が 、う ち 約 120 万 団 体 が 登 録 し 、税 制 特
典を受けられる法人格を持つ団体が約40万団体である。また同調査によれば、全米で約
9000 万 人 が 、ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 を し て い る と 見 積 も ら れ( 1993 年 、以 下 同 じ )、調 査 対 象
者 の 4 8 % が 、 平 均 し て 週 に 4.2 時 間 活 動 を し て お り 、 全 体 で 1 9 5 億 時 間 の ボ ラ ン テ ィ
ア 活 動 が 行 わ れ 、ボ ラ ン テ ィ ア の 27% が 、週 に 5 時 間 以 上 活 動 し 、平 均 し て 、一 世 帯 あ た
り 収 入 の 1.7% を ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 に 寄 付 し て い る 、 と の デ ー タ が 紹 介 さ れ て い る 。 安 立
清 史 [ 1998] 参 照 。
1 5 安 立 清 史 [ 1996] 参 照 。
12
13
で行政からの業務委託等が出来ず、行政とボランティア団体との共働は困難であった。こ
のことが、日本のボランティア活動を短期的で限定的な活動にしてきたと思われる。しか
しながら神戸淡路大震災の後、多くのボランティアが神戸の復興に活躍したこともあり、
こうした狭い枠組みを変えようとする声が大きくなり、1998年に「特定非営利活動促
進 法 」( 略 称 N P O 法 )が 成 立 し た 。福 祉 ボ ラ ン テ ィ ア 団 体 も 、住 民 互 助 型 組 織 な ど が 法 人
格を取得して福祉NPOとして公的介護保険の指定事業者になる可能性が開けた。NPO
法と公的介護保険が導入されると、狭い措置型福祉の枠がはずれ、社会福祉における公私
の役割分担が、新しい定義を必要とするようなるであろう。その方向性は、パターナリス
ティックな国家主導の福祉ではなく、分権化され、市民の福祉ニーズをより反映した福祉
サービスの供給体制になっていくことが予想される。それを担うのは国や行政ではなくて
より市民に近いNPOとなっていくのではないだろうか。
福祉国家の危機?
1970 年 代 以 降 、 不 況 の 経 済 波 動 が や っ て く る た び に 、「 福 祉 見 直 し 」 や 「 福 祉 国 家 の
危 機 」が 論 じ ら れ て き た 。議 論 の テ ー マ と し て は 挑 発 的 で 耳 目 を 集 め や す い も の だ っ た が 、
実際は、世界的に見てもこうしたイデオロギー的な議論によって福祉国家が終焉したり福
祉 政 策 が 大 き く 変 化 し た こ と は な か っ た 1 6 。福 祉 の 定 義 そ れ 自 体 が 各 国 で 異 な る と は い え 、
国民総生産にしめる社会保障・社会福祉費用の比率は、過去数十年にわたって増えこそす
れ減少したことはなかった。その意味で、先進国はいずこも福祉国家体制なのでありそれ
は少しも揺らいではいない。ただしその供給サービス内容や供給方法などは大きく変化し
てきている。
福祉改革の行方
厚 生 省 は 1990 年 代 に は い っ て 福 祉 八 法 改 正 な ど を は じ め 、大 き な 福 祉 改 革 に 乗 り 出 し
ている。古川孝順によればこうした福祉改革の方向性は、普遍化・多元化・分権化・自由
化・計画化・総合化・専門職化・自助化・主体化・地域化が複合したものになるだろうと
い う 17。 こ の う ち 普 遍 化 ( 貧 困 層 に 限 定 さ れ て い た 社 会 福 祉 利 用 者 が 一 般 層 へ と 拡 大 し て
い く )、多 元 化( 行 政 と 社 会 福 祉 法 人 に 限 定 さ れ て き た 福 祉 サ ー ビ ス の 提 供 組 織 が N P O な
ど へ も 拡 大 し て い く )、分 権 化( 社 会 福 祉 サ ー ビ ス の 措 置 権 限 な ど の 地 方 自 治 体 へ の 権 限 委
譲 な ど )、地 域 化( 施 設 サ ー ビ ス と と も に 在 宅 福 祉 サ ー ビ ス の 充 実 へ )の 流 れ が 重 要 で あ ろ
う。これまでは、国主導で福祉政策が策定され、それを機関委任事務として地方自治体が
国の規制のもとに供給していた構図が、今後は国主導で脱集権化(規制緩和や措置権限の
地方委譲等)がはかられていくことになる。現在まではあくまでも国主導による脱集権化
で あ る た め 、 そ れ な り の 限 界 が 見 え 隠 れ す る 18。 し か し こ の 方 向 性 は 持 続 す る で あ ろ う か
ら、今後は地域社会の実態と市民のニーズをふまえた社会福祉へと転換していく可能性が
武 川 正 吾 [ 1989]、 ジ ョ ン ・ キ ャ ン ベ ル [ 1996] を 参 照
古 川 孝 順 [ 1997]
1 8 た と え ば 、福 祉 マ ン パ ワ ー の 不 足 か ら 、国 民 に 福 祉 へ の ボ ラ ン テ ィ ア 参 加 を 呼 び か け る
「 参 加 型 福 祉 」 が 主 唱 さ れ る と い う よ う に 。 新 藤 宗 幸 [ 1996] は 「 統 制 さ れ た 分 権 」 に す
ぎず集権的な構造は変わっていないと批判している。
16
17
あ る 。1997 年 の 公 的 介 護 保 険 の 成 立 は 、さ ま ざ ま な 評 価 が あ っ た が 福 祉 に 対 す る 権 利 性 の
確立と市場原理の導入などにより国家主導の従来型から大きく転換する画期的なものであ
った。スティグマの随伴する限定的で選別的な福祉から、普通の人びとが高齢化したら普
通 に 利 用 す る サ ー ビ ス 、 そ の 意 味 で 医 療 や 福 祉 な ど が 同 じ 次 元 の 「 社 会 サ ー ビ ス 」 19へ と
転換していくだろう。高齢化社会への変動のなかで社会福祉のあり方も急速に変わりつつ
ある。変化を実感しながら住民参加型在宅福祉などで活動し、自分たちの求める福祉のあ
り方を模索する人びとが大量に現れてきたことは画期的なことである。市民の福祉への積
極的な関わりや活動が、NPO法などによって法的にもその存在根拠を獲得し独自の領域
を形成することが出来るようになった。そして現在かつてないほど福祉への関心と市民の
参加の現実的可能性が高まっている。これからの社会福祉が日本社会へより根づくかどう
かは、こうした市民の関心とニーズと自発的な関わりが、どう社会福祉変えていけるかに
かかっている。
推薦文献
安 立 清 史 , 1996,「 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 の 日 米 比 較 (1)(2)」,『 月 刊 福 祉 』 8-9 月 号 , 全 国 社 会 福 祉 協 議 会
田 中 尚 輝 , 1998,『 ボ ラ ン テ ィ ア の 時 代 − N P O が 社 会 を 変 え る 』, 岩 波 書 店
社 会 保 障 研 究 所 編 , 1996,『 社 会 福 祉 に お け る 市 民 参 加 』, 東 京 大 学 出 版 会
欧 米 で は 、 す で に 「 welfare」 と い う 言 葉 に ネ ガ テ ィ ヴ な 含 意 が 張 り 付 き す ぎ た と し て
「 personal social service 」 と か 「 human service」 と い う 言 葉 へ の 置 き 換 え も 始 ま っ て
いる。日本でも「対人援助サービス」とか「対人社会サービス」という言葉が使われるよ
うになってきている。
19
学習課題
(1)社会福祉は、どのように日本化していったかを歴史社会学的に考察せよ。
(2)公的介護保険とNPO法は,社会福祉をどう変えてゆくか、考察せよ。
(3)社会が高齢化すると、社会福祉はその役割をどう変えてゆくか、考察せよ。
参考文献
朝 日 新 聞 論 説 委 員 室 他 、 1996、『 福 祉 が 変 わ る 、 医 療 が 変 わ る 』 ぶ ど う 社
安 立 清 史 ,1993,「 住 民 参 加 型 在 宅 福 祉 サ ー ビ ス 活 動 の 担 い 手 の 意 識 」,『 月 刊 福 祉 』1993-11,全 国 社 会
福祉協議会
安 立 清 史 , 1994,「 福 祉 活 動 の 担 い 手 」, 目 黒 依 子 編 『 ジ ェ ン ダ ー の 社 会 学 』, 放 送 大 学 教 育 振 興 会
安 立 清 史 , 1996,「 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 の 日 米 比 較 (1)(2)」,『 月 刊 福 祉 』 8-9 月 号 , 全 国 社 会 福 祉 協 議 会
安 立 清 史 ,1996,「 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 の 振 興 条 件 」,高 橋 ・ 高 萩 編 ,『 高 齢 化 と ボ ラ ン テ ィ ア 社 会 』,弘 文
堂
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