内務省警保局発表で、朝鮮人 231 人、中国人 3 人、 間違えられた日本人 59 人としているが、情報を 流した内務省警保局だから、できる限り少なく見積 もっているのだろう。 東大教授で社会学者であった吉野作造博士は独自 の調査で 2,711 人。別の調査機関の発表では 6,415 人としておりますから正確な人数は解らない。 そして更に震災のドサクサに紛れて非道を犯しているが、近年の研究では、明らかに意 図的であり、上部から命令によるものだったことが定説になっている。。 関東大震災後には幾多の不可解な事件が起きているが、その中でも奇怪な事件として例 を挙げると、筆頭は甘粕正彦憲兵大尉が主役となる無政府主義者大杉栄殺害事件だ。 当時、渋谷憲兵分隊長、更に麹町憲兵分隊長を兼務していた甘粕憲兵大尉が大正 12 年 9 月 16 日、アナキストの大杉栄、内妻の伊藤野枝、大杉の甥で僅か七歳の橘宗一を憲兵隊麹 町分室に連行、屋上で三人を絞殺、遺体を本部裏の古井戸に遺棄してしまった。 この事件が表面化したのは 20 日「時事新報」と「読売新聞」がスク-プ記事にしたから で、これは震災前に大杉栄と伊藤野枝の恋愛スキャンダルが世間を騒がせており、更にそ の前に葉山「日影茶屋」での日日新聞記者神近市子(後国会議員)が絡む刺傷事件が背景に あったから、今で云う大衆週刊誌的な興味で報道され、しかも戒厳令下での憲兵隊が絡ん だ事件だから大騒ぎとなった。 では何故満足な取り調べもせず殺害してしまったのか、大震災に乗じてアナキストや社 会主義者、及び朝鮮独立運動家が連合して国家転覆の気勢が昴まり、その首謀者が大杉栄 だと憲兵隊としては目星をつけていたようで、震災の混乱の中で殺害しても判らないだろ うと考えたのかもしれないが、全く関係のない 7 才の子供まで殺害してしまったのだから 弁明の余地はない。 それでも軍法会議では全ての責任を甘粕大尉に押しつけ、単独犯として禁固 10 年の判決 を下したが、恩赦で短縮され僅か 3 年足らずで大正 15 年に出獄、軍の機密費でフランスへ 留学、その後は満州建国の黒幕、満州映画理事と華やかな路を歩んだが、終戦時青酸カリ で自決。 なお、戒厳司令官福田雅太郎大将と憲兵司令官小泉六一少将が監督不行届きの罪で更迭 され、戒厳司令の後任は山梨半造陸軍大将が就任した。 更に震災後の戒厳令公布下にありながら、不可解な事件が続発している。 城東亀戸警察署管内では社会主義者の平澤計七、川合義虎等 8 人が一旦留置されたのだ が革命歌を高唱し、騒擾甚だしく制止を訊かなかったため軍隊に引き渡されて刺殺された、 これが「亀戸事件」 在日中国人留学生 王希天(本名王煕敬)を陸軍将校が斬殺。王希天は旧制 1 高に入学、 その頃明大に留学中の周恩来と無二の親友となっており、その後は勉学の途を挫折、生活 のため日雇い労働者となり、社会の底辺で生活するうち社会主義に目覚めている。 一方日本と中国の間では密かにある協議が進行中で、それは当時ロシヤ革命の最中で、 -4-
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