立教ESDジャーナル 第2号 - 個人情報の取り扱いについて

No.2 2014.10
[表紙]越後妻有大地の芸
術祭の里。イリヤ&エミリヤ
=カバコフ「棚田」
(2000)
@まつだい「農舞台」
撮影:阿部治
C O N T E N T S
巻頭言 阿部 治………………3
大悲山磨崖仏(福島県南相馬市小高地区)参詣記 渡辺憲司………………4
西伊豆まちづくりプロジェクト 上田 信………………6
市民による持続可能な地域づくりの試み ──埼玉県小川町に学ぶ──
上條直美………………8
中国におけるトキ保護の現状 上田恵介………………10
講演録 日本の里山を撮る∼人と自然が織りなす風景・そこで息づく人間の知恵∼
小野泰洋………………12
立教大学 ESD 研究所/立教 SFR 重点領域プロジェクト研究主催上映会レポート
(仮)』∼
福島の声を聴く∼福島県立相馬高校放送局の震災後の活動と『今伝えたいこと
湯本優希………………16
立教大学阿部治ゼミナール 2013 年度活動報告 蝶の道プロジェクトについて 中村 幹………………17
第四回環境思想シンポジウム報告 山田悠介………………18
グローバリゼーションを理解するための参加型学習
── ESD 研究センター・アジアチームによる日・タイ協力プロジェクト──
田中治彦………………20
グローバリゼーション下における地域に根ざした教育の可能性について
──「場」
とつながるPBE(Place-Based Education)を参考に──
櫃本真美代・猪口綾奈………………22
School Education and Ecological Identity Keitaro Morita………………26
ESD 研究所 2013 年度活動記録………………30
編集後記………………31
巻頭言
本年は「国連持続可能な開発のための教育(ESD)の 10 年」
(英語の略記:DESD / 2005
~ 14)の最終年にあたり、11 月には、岡山市と名古屋市で「ESD に関するユネスコ世界
会議」及び関連会議が開催されます。これまで多くの方々が尽力してきましたが、ESD
を今後進めていく上で重要な節目となる総括会合が目前に近づいています。
DESD の取り組みを進める中で、他の持続可能性に関わる教育活動や多様な主体との連
携を促進し、環境という視点だけでなく、福祉や地域活性化等の多様な課題を統合し、従
来の環境教育の枠が広がってきました。また、地域における ESD の取り組みは、参加・
体験型学習や協働・連携、知恵と文化の再評価等を通じて、地域の様々な資源(人的資源、
自然資源、歴史・文化資源)に目を向け、人と人との結びつきによるコミュニティの強化
等によって地域のレジリエンス(回復力)を高め、安心・安全な暮らしをもたらすことに
つながります。このことは、東日本大震災からの復興や気候変動に伴う自然災害等に対す
る防災・災害教育とも密接に関連します。
ESD は地球規模の持続可能な開発に立った取り組みですが、その達成のためには持続
可能な地域づくりが不可欠です。一方、地球環境問題の激化とグローバリゼーションの拡
大によって、世界と地域とのつながりを意識し、行動するグローカル人材(地域の課題に
も精通した国際的に活躍できる人材)の育成も不可欠となってきました。近年、日本国内
で進行している少子高齢化・過疎化とそれに伴う地域の衰退や里山の荒廃、気候変動によ
る気象災害の増加、さらに福島第一原子力発電所事故による放射能汚染等、日本は〈課題
先進国〉ともいうべき状況を呈しており、現在の日本が直面している課題は、今後、世界
共通の課題になることが予想されます。そのとき、持続可能性の視点から国内各地域の問
題に対処できる人材は、グローカル人材となりえます。ESD は〈課題先進国〉という日
本のマイナスをプラスに転化する可能性を包含しており、まさに〈持続不可能〉な事態を
打開し、持続可能な未来を構築するために、ESD の真価が問われているのです。
DESD は、日本における ESD のありかたを模索する、いわば助走期間でした。これか
らの 10 年は、国民一人ひとりが社会の当事者として、持続可能な未来を描き、将来のビ
ジョンを明確にし、その達成に向けて取り組むことができる市民の育成をめざす、ESD
の実践・普及・定着の期間になるでしょう。
当初より、本学は ESD の拠点校として注目され、日本最初の ESD 研究機関として設立
された ESD 研究センター(2007 ~ 11)と、後継組織である ESD 研究所(2012 ~)の活
動を通じ、国内外における ESD の普及・推進に努めてきました。また、学内の研究助成
を受けて、原発事故の被災者・避難者の方々をエンパワーメントしうる ESD プログラム
の策定を目的とした「課題解決型シミュレーションによる ESD プログラムの研究開発」
(立教 SFR 重点領域プロジェクト研究、2012 ~ 14 年度)を実施しています。当研究所は、
今後も多様なステークホルダーと協働し、ポスト DESD を視野に入れた活動を展開して
いく所存ですので、今後ともご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
立教大学 ESD 研究所 所長 阿部 治
2014 年 10 月吉日
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
3
大悲山磨崖仏(福島県南相馬市小高地区)参詣記
渡辺憲司
福島原発事故の大きな影響を受け、現在、避難指示解除準備区域となっている南相馬市小高地区にある大悲山磨崖仏への
参詣紀行を記すとともに、取り残された文化財の意味を問い、その保護の現況を記し、我々が持続的にいかなる形で文化
財を継承すべきかを述べた。
お だか
東日本大震災から 2 年10 ヶ月、2014 年 1 月 12 日に小 高
式だからね。あれ……お湯出ないね。お客さん、後で髪洗
の磨崖仏を訪れた。約 1 年ぶりである。この時のことは、
いましょうね。そこに賞状あるでしょ。孫が小学校四年の
『時に海を見よ』(双葉社・文庫版)のあとがきで記した。
時に絵のコンクールで賞取ったのさ。内の婿さんの血だと
昨年の 11 月 22 日付『福島民報』に、「平安前期の土器出
思うね。ハイハイ。地震は大変だったよ。隣にあったビル
土 南相馬の国史跡「大悲山の石仏」 年代裏付け、文化
もその隣もみんな倒れてね。揺れがおさまるまで駐車場に
復興に期待」という見出しで、「日本三大磨崖仏の一つで
寝そべっていたんだよ。私の家は少し前に普請してたから
国史跡である南相馬市小高区小泉の「大悲山(だいひさん)
もったんだね。倒れれば保証金も少しは入ったんだけど
の石仏」のうち、市教委が観音堂石仏で実施した初の発掘
ね。小高の人も保証金入るんでないの。でもね家も何も無
調査で、石仏の制作年代を裏付ける平安時代前期の土器が
くなったらどこにも住めないよね。ああ嫌だ嫌だ……。代
出土した。発掘は東日本大震災で倒壊した覆屋の復旧事業
行バスじゃね。原ノ町までも電車少ないしね。これじゃ駅
に伴う調査。市は避難区域にある貴重な文化財の適切な保
前っていえないよ。駅にくっ付いて新しい床屋があったで
存を進め、文化復興に結び付けたい考えだ。」と記事が掲
しょう。こっちによく来たね。まああっちは若い人が行く
載された。
んだよ。こっちは馴染みだけだね。あれ、雨かね……。こ
思い立って朝早く上野から東北新幹線で仙台へ、仙台駅
の辺は雪降らないよ。ほとんどね。暖かいんだよ、いいト
から上りの常磐線。仙台駅から亘 理 駅まで 35 分。亘理か
コなんだけどね。常磐線ももう終わりかね……。
」と……。
らは代行バスで相馬へ約 1 時間。
奥で娘さんの声。
「かあさん。お客さん乗り遅れるよ。
亘理駅は城郭風の駅舎で郷土資料館が隣接している。こ
あと 5 分ないよ。
」
の町の 47 %が津波にのみこまれ、死者・行方不明者 305 名。
「トニックたっぷりつけとくね。かゆみ消えるからね。
荒浜、大畑浜・吉田浜は壊滅的であった。小高い警察所の
すまないね。組合に入っているからね。釣り銭ないから
脇を通ると仮設住宅が並んでいる。かって常磐線、宮城県
500 円まけとくよ。いつでもいいよ。
」と女房。
側の最後の駅であった坂元駅は、津波により、線路・駅施
駅に駆け込み、ようやく電車に間に合った。
設が流出した。バスの左手遠くに海が見え、荒涼とした整
相馬駅から原ノ町駅まで、約 20 分。原ノ町は南相馬市
地にクレーンのついた工事車輛が点在している。
の中心、震災前、原ノ町の駅そばは駅そばキングとテレビ
福島県側の最初の駅は、新地。津波で、プラットホーム
で取り上げられ、駅弁も七種類ほど売られていた。乗車人
だけが残った。横転した電車の映像を記憶の方も多いであ
数は 2000 人を越えることもあったが今は約 4 分の 1 に減
ろう。
少した。駅そばは駅前の店で売られているそうだが休みの
モダンなガラス張りの新地役場前をバスが通過。役場前
ようだった。駅前のタクシー乗り場には 3 人ほど並んでい
に「成人式会場」と看板がある。帰省する成人の都合にあ
る。ここから常磐線は広野まで休止状態。小高の大悲山へ
わた り
わせ、前日に成人式をやる地方は多い。
JR 相馬駅で、約 1 時間半の待ち合わせ。駅近くの空地
にぽつんと建った床屋に行く。
話好きの床屋の女房の話。
「埼玉から小高の観音さんにね。昔は亭主と一緒に行っ
たもんだよ。夫婦杉があってね。放射能で立ち入り禁止に
なったけどね。今はあすこも日帰りが出来るんだよ。子供
も授かるんだってね。石に彫ってあるから暗くて気持ち悪
いような仏様だけど。古くから御利益あるってね、この辺
の人はよく行ったんだ。お堂の隣に泊まるところもあった
もね。もう行けないよ。亭主がひと月前に死んでさ。風呂
でぱったりさ。久しぶりに店開けてみたんだけどね。成人
4
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
喫茶店の看板(筆者撮影)
はタクシーで 20 分ほどである。
トル余、高さ
小高地区に入ると、途端に物音がしない。まったく静か
5 メートル余
である。昨年は、立ち入り解除後、まだ日が浅いせいだっ
(観音堂前の
たのだろうか、信号機は赤のままだったが、それでも何と
案内板による
か、数人の人と出会った。今回は磨崖仏まで、人に出会う
計測)で正面
ことはなかった。駅前通りの交差点には、半壊した住宅が
上方に大きく
地震の大きな爪痕を語るように放置されている。クラッシッ
十一面千手観
クでおしゃれな感じの喫茶店の前のメニュー用黒板には、
音があり、観
白いチョークで「がんばっぺ小高」と強い文字が書かれて
音の後背の壁
いた。その喫茶店の前を通る。たしかに去年と同じように
面には、無数
その文字は書かれていたが、弱々しく消えかかっている。
の仏(賢劫千
小高は中世の古城跡を持つ、蔵の多い、和菓子のおいし
仏)が薄肉彫
い町であった。また近年は、隠れたラーメンのおいしい地
りされている。
区としても一部マニアには知られていた。
先に記した
小高地区は、原発から 20 キロ圏内で避難指示区域とな
ように、今は
り、原発事故後、立入禁止区域に指定されていた。現在は、
発掘調査と覆
宿泊禁止、日中の立ち入りは自由。避難指示解除準備区域
屋の修復作業
である。将来の居住に向けて整備計画が立てられることに
中で、観音の
なっているが、電気・水道などが未整備で住民は戻りよう
前には、
ビニー
にも戻ることができない。
ルシートが敷かれ、立ち入り禁止の札が立つ。
それまで一言も発しなかった運転手さんが重くゆっくり
地震での崩壊後、はじめての本格的発掘調査が始まった
口を開いた。
ことは、新聞記事で紹介したが、仏は地震により自身のあ
「使っていない家に戻れるったって、戻れるわけないさ。
り様を世間に示したと言えるのかもしれない。現地では、
全部壊せばいいのさ。早く除染もできるんじゃないの。
」
昨年 11 月 22 日に大悲山石仏保存修理委員会が開かれ、今
120 号線、陸前浜街道を泉沢地区に入って、浪江町まで
年度内に覆屋の設計が終わり、来年度に施工が予定されて
約 5 キロの辺りを山側に少し入る。
いると云うことだ。
樹齢 1000 年を越え、45 メートルもある天然記念物の大
貞観 11 年(896)に、マグニチュード 8 以上の大地震によ
杉が目印、杉の脇の階段を上って薬師堂がある。堂内に入
る大津波が南相馬を襲ったことが、独立行政法人産業技術
ると自動で電気がつく。仏たちは、保護のため、ガラス戸
総合研究所の地質調査で明らかになっていた。それは東日
で仕切られ、堂内には、千羽鶴や参詣旗が置かれている。
本大震災以前の報告である。大悲山の石仏はおそらく貞観
石仏は藤原時代のもので、約 2 メートルを超す大きな半
の大地震発生の時期とさほど違わない時期に出来あがった
肉彫りの座像が中心にある。他に立像・線彫りなど 10 余
のであろう。仏には歴史の教訓が刻まれていたのだろう。
体が刻まれている。ガラス越しではあるが、後背に彩色が
大悲の石仏は、復興への道を歩み始めたと云うことであ
施されているのがわかる。部分損傷も激しい。
ろう。しかし、仏は信仰によって支えられるものだ。参詣
うら
ガラス越しにみた薬師堂の石仏(筆者撮影)
大杉の裏には、小高町指定文化財の第 1 号である、『裏
人のいない仏はその魂を失う。そしてそれは人の魂をも
刳蓋付舟形刳抜石棺』がある。 6 世紀頃作られた古墳の石
祈りをも奪っていくのではないか。
棺と推定されているが、この石棺とほぼ同じものが浪江町
祈りは教訓である。私は、福島の石仏や野仏に祈ること
にあり、その近似性も指摘されている。
を忘れまいと思う。今、福島の仏たちは安らぎを与えては
薬師堂のある大悲山一帯は大蛇伝説に基づいて、「大悲
くれまい。だが、小さな行動への勇気を与えてくれそうな
山大蛇物語公園」となっている。大蛇と琵琶法師の悲しい
気がする。
物語である。ここは紅葉の名所としても知られていた。整
日が暮れた。海水浴と松林、そして初日の出でよく知ら
備された公園だが荒んでいた。
れた村上海岸を回って原の町に戻った。海は暗く、黒く、
薬師堂から道を引き返すと、阿弥陀堂がある。ここにも
冥い。波の音だけが繰り返す。
石仏が彫られていたのだが、剥落していて状況をうかがう
亘理から仙台へ。明るい電車の中では帰省した成人式帰
ことはまったく出来ない。そばに夫婦杉もあるが、杉は台
りの華やかな声がした。
(2014 年1月 30 日 記)
ぐりふたつきふながたくりぬきせっかん
風で倒され現在一本のみである。相馬の床屋さん夫婦が参
詣したのもこの夫婦杉であろう。「霊木 樹 齢壱千百余年 大悲山の大杉 古くからお百度巡は特に縁結安産長寿満足
に霊験あり 大悲山慈徳寺」と説明書きがある。
さらにかって旅館として営業していた所の前を引き返す
と、観音堂がある。岩窟は、間口14 メートル余、奥行 5 メー
渡辺憲司(わたなべ・けんじ)1944 年、北海道生まれ。
立教大学名誉教授、立教新座中学・高等学校校長。ESD 研
究所所員。日本近世文学・文化。博士
(文学)
。主な近編著に
『江戸遊女紀聞』
(ゆまに書房)
、
『AN EDO ANTHOLOGY』
(HAWAI’I PRESS)など。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
5
西伊豆まちづくりプロジェクト
上田 信
伊豆半島、駿河湾に面する西伊豆町では、「まちづくり協議会」という住民主体の地域おこしの試みが進められている。
筆者は人の縁から、この協議会につながりを持つようになった。西伊豆町では「お接待」
「おすそわけ」という言葉に象
徴される、金銭を媒介としないモノやサービスの交換が自然になされている。
「地元の方々へのお返しを」という気持ち
から、筆者は地域と「若者」「よそ者」とをつなぐ取り組みをはじめている。
はじめに
「よってって山田
さん」
(写真①)
を、
伊豆半島の西海岸、駿河湾に面した西伊豆町で、ESD
金・土曜日に開い
への模索が進んでいます。かつてこの町は、仁科(堂ヶ島)
ています。医院の
における観光、田子や安良里を拠点とする遠洋漁業、宇久
風格はそのまま残
須における硅石(ガラスの原料)採掘、大沢里の林業など、
し、町歩きの成果
多様な産業で賑わっていました。しかし、現在では長期に
を展示したり、地
滞在する観光客の減少、高齢化にともなう林業・漁業の衰
場の野菜やジャム
退、硅石鉱山の閉鎖などに直面しています。
などを販売したり
こうした状況に対して、菅原由美子さん(菅原由美子観
と、活用されてい
光計画研究所主宰)のアドバイスを得て、ハコモノではな
ます。遠洋カツオ
く住民が主体となる「まちづくり」の動きが始まりました。
漁の基地であった
筆者は、宇久須まちづくり協議会スローライフ部会メン
田子では、カツオ
バーの 1 人と面識を持ったことが契機となり、この土地で
船の模型を作製し、
のまちづくりに₅年前から関わりを続けています。
遠洋漁業の語り部
西伊豆町まちづくり協議会の活動
①よってって山田さん
(仁科まちづくり協議会)
が漁民の心意気を来訪者に伝えるという活動を行っていま
す。清水にある東海大学海洋学部の関いずみ先生(ESD
西伊豆町では現在、役場の支援を受けた「西伊豆町まち
研究所客員研究員)の指導を受ける学生は、熱心にその話
づくり協議会」が、地元住民が主体となった地域の活性化
を聞いていました。安良里では砂浜に炭を入れるなどの方
に取り組んでいます。昨年 3 月に行われた協議会の成果報
法で、アサリの再生(写真②)に取り組み、宇久須では無
告会の席上、アドバイザーの菅原さんが示したヴィジョン
煙炭化器(写真③)を用いた簡便な方法で炭を焼き、休耕
が、印象的でした。実際の言葉づかいは忘れてしまいまし
田に鋤き込んで、耕地の再生を進めています。高齢化が進
たが、その要点はこのようになります。
む山間の大沢里地区では、活動が停滞しています。しかし、
廃校となった分校の校舎を利用した町営宿泊施設やまびこ
日本の各地で観光パンフレットが作られているが、使
われている写真のほとんどは、山や海などの美しい自
然。西伊豆町でこれから作られるパンフレットは、地
荘を拠点に、まちづくりの可能性を秘めています。
つながる・つなげる
元の住民の自然な笑顔が表紙に掲げられるものであっ
まちづくり協議会に興味を持ち、筆者は数年前から西伊
てほしい。
豆町に通い始めました。訪問したときに、しばしば地元の
方から受けた言葉があります。それは、「お接待」と「お
西伊豆町は「日本一、夕陽のきれいな町」として観光客
すそわけ」。好意を受けたときに、何かお返しできたらと
を集めようとしています。確かに駿河湾に沈む夕陽は、魅
いう表情をすると、「これは、お接待ですから」、「おすそ
力的です。しかし、地域のほんとうの魅力は、そこに住ん
わけですから」と言われてしまいます。何か持っているも
でいる人であり、その生き方だ、というのです。そのメッ
のを「おすそわけ」しなければ、と頭を絞って棚卸したと
セージを、観光パンフレットという目に見えるヴィジュア
きに思いついたのが、研究者として活動をするなかで培っ
ルなイメージとして、提示しています。
た人の輪でした。
まちづくり協議会は、仁科・田子・安良里・宇久須とい
山・海・里にひろがる豊かな自然、お祭・歴史に彩られ
う地区で、それぞれ個性的な取り組みを展開しています。
た奥行きのある文化、そして相互扶助が今も生きる社会、
市街地が広がる仁科では、地域に密着していた元・山田医
そのすべてがそこにある西伊豆町に自分自身が「つなが
院の建物を地域住民が借りて、コミュニティースペース
り」
、知り合いを
「つなげる」
。活動の理念は、
「おすそわけ」
。
6
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
それぞれの人が持つモノ・ワザ・チエを、貨幣を媒介とせ
ずに直接に交換しあうことです。
昨年はオリンピック招致のプレゼンテーションで用いられ
た「オモテナシ」という言葉が、英語やフランス語には翻訳
できない日本の心を示すメッセージとして、注目されました。
おなじように国連用語となった日本語に、「satoyama」が
あります。これに続く国際的な言葉として「osusowake」
を、一個の屹立した思想にまで磨き上げていきたいと考え
ています。
2013 年の活動振り返り
地域の活性化に大きな役割を果たすのは、
「馬鹿者」
「若
者」「よそ者」だと、よくいわれます。「馬鹿者」とは地域
②アサリ再生(安良里まちづくり協議会)
のなかにある固定したものの考え方にこだわらず、新たな
試みをはじめようとする人々、「若者」とは地域の動きに
町が襲われまし
活力を与え、未来への展望を拓こうとする人々、そして
「よ
た。 特 に 田 子・
そ者」とは地域の外から地元の人が見落としがちな地域の
安良里での被害が
魅力を発見したり、新たな考え方をもたらしてくれたりす
大きく、河川があ
る人々、ということになるでしょう。
ふれ土砂が民家に
2013 年の西伊豆町での活動を振り返ってみると、偶然
流入しました。そ
も重なり、結果として「若者」「よそ者」と地元とが「つ
の復旧のために、
ながる」という可能性が見えてきた、ということになるで
いち早く動いた
しょう。
のが国際ボラン
活動の拠点として、筆者が属しているNPO緑の地球ネッ
ティア学生協会
トワーク(GEN)関東ブランチが寄付を募り、東海工業
(I V U S A)で す。
伊豆事業所から宿舎を 5 月連休期間開始期から 11 月連休
2010 年 に IVUSA
期間終了時までの 10 ヶ月+数日のあいだ借りることがで
の関係者が西伊豆
きました。 5 月と 11 月には NPO メンバーが、 9 月には立
町に来訪していた
教大学の上田ゼミの学生が、この宿舎を合宿の場としまし
という縁から、被
た。
害の報道があった直後に、復旧に向けたボランティア活動
関東ブランチ 5 月合宿では大雨にたたられましたが、な
のため学生が来ることとなりました。
んとか再生休耕田での作付けを半分程度、行うことができ
2014 年 2 月 20 〜 22 日には、 7 月のボランティア活動の
ました。 9 月の上田ゼミ合宿では、再生休耕田のカボチャ
なかで生まれた西伊豆町と IVUSA つながりが発展し、黄
に、『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK 広島取材班、角川
金崎の松林再生ボランティア活動が実施されることとなっ
one テーマ 21 新書)で紹介されている事例を参考にして、
ています。この活動には、GEN 顧問の小川眞氏(菌類学
「감사 합니다」などのメッセー
釘で「ありがとう」
「謝謝」
者で菌根菌を用いた松林再生の指導を行う)
、桜井尚武氏
ジを記しました。関東ブランチ 11 月合宿は、再生休耕田
(林学者)なども参加する予定。この活動は「若者」「よそ
シェシェ
カム サ
ハム ニ ダ
③無煙炭化器(宇久須まちづくり協議会)
でサトイモ・サツマイモの収穫。収穫物は合宿参加者や活
者」が地域と係わる具体的な成果となるでしょう。
動に協力していただいている方々に「おすそわけ」しました。
活動の状況は、ブログ「西伊豆(宇久須)だより」
(http://
5 月合宿の企画として、 5 月 11 日(土)に役場宇久須
blog.goo.ne.jp/gen-ugusu)
に紹介されています。ぜひ一度、
支所にて講演会「地元学からの出発」を開催、①上田信「地
訪問してみてください。
元学について」、②橋谷勇治(NPO バイオマス産業ネット
(写真はいずれも筆者撮影)
ワーク会員)「山林活用と地域振興」、③長尾勤(株式会社
ベック社長)「ヤーコン 6 次産業化栽培から販売収入は可
能か」という内容で、「よそ者」として地域外の知見を紹
介する試みを行いました。
9 月の上田ゼミ合宿では、大沢里のやまびこ荘にて地
元の代表者に集まってもらい、学生との懇談会を行いまし
た。大沢里の魅力と課題などについて学生に語ってもら
い、学生からは発見したことを紹介してもらいました。
7 月 17 日夜から 18 日朝にかけて、ゲリラ豪雨に西伊豆
上田信(うえだ・まこと)東京都生まれ。1982 年東京大
学大学院人文科学研究科(東洋史専攻)修士課程修了。そ
の後、東京大学東洋文化研究所助手、立教大学文学部専任
講師を経て同教授。専門は中国社会史・生態環境史など。
立教大学アジア地域研究所所長、ESD 研究所運営委員。
NPO 緑の地球ネットワーク世話人。著書には、『森と緑の
中国史』
(岩波書店)
、
『トラが語る中国史』
(山川出版社)、
『風水という名の環境学』
(農文協)
、
『東ユーラシアの生態
環境史』
(山川出版社)
、
『大河失調』
(岩波書店)など。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
7
市民による持続可能な地域づくりの試み
─埼玉県小川町に学ぶ─
上條直美
ESD の実践例として、埼玉県小川町におけるフィールドスタディの事例を取り上げた。「持続可能な地域づくりの実践か
ら学ぶフィールドスタディ」では、小川町における有機農業を軸とした循環型地域づくり、歴史・文化・地域循環型経済
など多角的な取り組みを通して、人と人、人と自然の共生、持続可能性について体験的に学んだ。持続可能な地域は、同
時に人を育てる「地域の教育力」を備えており、ESD の本質が見える。
はじめに
り組みが、生ごみ資源化事業(家庭の生ごみからバイオガ
スや液肥をとりだすリサイクル事業)や有機野菜を使った
「埼玉県小川町を訪ねるフィールドスタディ」は、立教
コミュニティカフェのオープン、地場産の大豆を使った豆
大学異文化コミュニケーション研究科のリサーチ・ワーク
腐づくりなど、さまざまな形で少しずつ実現されている。
ショップ集中講義という位置づけで₂泊₃日の合宿として、
2009 年から 2013 年まで ₅ 年間、実施された。毎回 10 名前
後の大学院生が参加し、多様な学びが展開された。
小川町という学習フィールド
合宿のねらい
合宿のねらいを考えるときに、まず参加者がどのような
人たちかを知る必要がある。研究科の学生の関心は幅広
かった。持続可能な社会への関心という点では一致してい
私と小川町の個人的な出会いは、1990 年にさかのぼる。
たが、農業や地域づくりには未経験の人が多く、フィール
有機農家である金子美登さんは、代々小川町の農家だった
ドワークの経験も無い人が多かった。そこで、すでにさま
が、1971 年から有機農業に転換し、日本で最初の有機農
ざまな取り組みが形になっている小川町から何がしか、持
業実践家の一人として知られている。当時、金子さんの講
続可能な地域づくりにつながる学びが得られること、とい
演を聞く機会があり、有機農業というものの意味を初めて
うハードルを下げた形でプログラムを組むことにした。
知り、金子さんの言う「美しい農場」(人と自然の共生)
小川町へのエントリーポイントは、NPO 生活工房「つ
という言葉に心ひかれた。金子さんは苦労しながらずっと
ばさ・游」
の代表理事である高橋優子さんである。自称、
「普
有機農業を守り続けている。
通の主婦」だが、決して「普通」ではなく、金子さんらと
小川町を学習の場として選んだのは、金子さん以外に
協働して多様なプロジェクトを展開していた。高橋さんか
も、金子さんが育てた有機農業家や主婦の人たちとのネッ
ら、学生が学びに来るのだったら、学んだあと具体的な実
トワーク、文化と伝統を継承していこうとする若い後継者、
践につなげて欲しい、という希望もあり、私自身もそのよ
地域のエネルギー循環を考える人、など魅力的な人が多
うな希望を持っていたが、その点では学習者のニーズと合
く、人口約 ₃ 万人の町の中で顔の見える関係でつながり、
致させることは難しかった。しかし ₅ 年間を振り返って
小川町の中にひとつの見えない「輪(和)」を形成してい
みれば、結果的には、小川町につながり続けている学生や、
ると感じられたからだ。
農を主体とした活動に関わっている学生など複数おり、学
自然環境が地域の風土文化を形成するという言葉が文字
びを行動につなげるという役割は何らかの形で果たしてき
通り肌で感じられる小川町は、歴史と文化が豊かだ。周囲
たのではないかと思う。
を外秩父の山々に囲まれ、農林業が栄えた。江戸と秩父の
₂ 泊 ₃ 日のプログラムの骨子は、① NPO 生活工房「つ
街道の途中にあり、町場として発展し、小川和紙や建具、
ばさ・游」の活動のお話(コミュニティカフェで地場産有
酒造などの伝統産業が今でもある。こうした地域資源をど
機野菜を使った料理を提供していること、日替わりで多く
うやって持続可能な社会づくりに活かしていくかという取
の地域の人がボランティアで関わっていることなど)
、②
金子さんの有機農業「霜里農場」の見学、③和紙工房の見
学、④酒造蔵見学、⑤わたなべ豆腐見学、⑥小川町の歴史
と文化に関する講義などである。
ある年、参加者から、「小川町の普通の住民の話が聞き
たい」と言われ、「有機農業の里としての小川町」という
ドミナントストーリーではない、もうひとつのストーリー
を聞くことをプログラムに組み込んだ。それが、小川町の
大河地区の住民の方々との交流だった。60 代〜 70 代くら
いの住民の方を紹介していただき、お話を聞いた。定年ま
金子美登さんと田んぼ(撮影:上條直美/以下同)
8
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
で近隣の都市で働き、定年後は畑をやっていること、実は
NPO 生活工房「つばさ・游」のコミュニティカフェ「べりカフェ」
大河地区の皆さんとの集合写真
奥様がそれまでずっと畑を守っていたこと、畑といっても
●まちづくりの多様性
自給自足的であり、集落の中でお互い交換しあっているこ
しかし一人が頑張っているのではなく、さまざまな人
と、自給自足的であるから有機農業と言わなくても農薬は
が、さまざまな形で小川町をよくしていこうと取り組んで
使わないこと、山が荒れていること、後継者がいないこと、
いることもまた印象的であった。
集落のお寺の話や、自分たちで大河地区の歴史と文化の勉
●二面性:新住民と旧住民
強会をしていること、など、お話は尽きなかった。そして
二面性という言葉は複数の意味で使われている。ひとつ
どのお話も、小川町と住民の方の深いつながり、生活の様
は、人と人とのつながりがある一方で、地域特有の「新住
子を伝えるものだった。
民」と昔ながらの「旧住民」という呼び分けは、新しいも
持続可能な地域とは何であるか、私たちの思いこみや狭
のを受け入れる風土のある小川町でも、よそから来た住民
い視野を少し広げていただくことができたと思う。
を疎外するような意味合いの言葉として使われており、ま
参加者の学び
たそのような住み分けの存在もあるということが感じられ
た。参加者にとって、地域の重層性はなかなか理解しにく
各回の報告書から参加者の言葉を整理してみると、次の
いものであった。
ようなキーワードが出て来た。
●二面性:農業自体のむずかしさ
●地域の人同士のつながり(信頼関係)、人間関係への農
もうひとつの二面性は農業である。有機農業のすばらし
業からの示唆(有機的関係)、価値観・ビジョンの共有
さがある一方で、私たちの食卓を満たしてくれる「普通の
何をおいても、人と人との信頼関係があるところに地域
農業」の存在もまた同時に感じることとなる。有機農業は
が成り立っているということに加え、小川町の場合には、
手間のかかる農業だから、それだけでは生活がなりたちに
有機農業における「有機的な関係」というものが人と自然
くい。生産者も消費者も「食べていく」ための農業もまた、
の関係だけではなく、人と人との関係においても「お互い
今は必要だということ。どちらも否定しない立場から、農
に影響を及ぼし合う密接な関係」として考え方の基盤に
業生産や消費のあり方を問い直すことの大切さも学んだ。
なっているということである。
●価値観の転換
おわりに
参加者の学びとして顕著だったのは、農業自体を知るこ
合宿では、本当に多くの小川町の方々が快く協力をして
と、さらに有機農業という哲学を持った農業を知ること
くださった。それもまた、地域の力であり、地域の教育力
で、自分の生活の根底にある価値観をゆさぶられる経験を
の高さを示すことであろう。持続可能な社会は、それ自体
しているということである。消費が主体の生活から生産が
が学び続ける力を持っている社会であり、学び続けると
主体の生活という新しい価値に出会った人が多かった。
は、変化し続けることにほかならない。小川町で3.11以降、
●新しいことへ開かれている
エネルギー自給への取り組みが一層盛んになった。そうい
小川町は、街道沿いの町場という性格から、昔から新し
う小川町の姿から、経験から何を学び行動するか、という
いものや人がどんどん入ってきて混ざり合い、変化してき
学びの本質が見えてくる。
た。その風土が今も多くの人を外から受け入れているとい
うことにつながっているのではないか。
●歴史性
新しいものが入ってくることは、決して歴史性を薄める
要素ではなく、むしろその逆であるということも学びのひ
とつだった。
●キーパーソン(結節点的人物)
まちづくりには、人と人をつないだり、地域のリソース
同士をつなげたりするキーパーソンの存在が重要で、小川
町でも前述の高橋優子さんがその役割を担っている。
上條直美(かみじょう・なおみ)
フェリス女学院大学ボラ
ンティアセンターコーディネーター。立教大学大学院異文
化コミュニケーション研究科特任准教授などを経て2014 年
より現職。ESD 研究所所員。NPO法人開発教育協会
(DEAR)
副代表理事。専門は、開発教育、社会教育。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
9
中国におけるトキ保護の現状
上田恵介
中国からもらった日本のトキの子孫たちは、現在、佐渡島で順調に野生復帰を始めている。では中国のトキは今どんな様
せん せい
とう さい
子なのだろう。一昨年、機会があって、陝 西 省洋県から河南省董 塞 まで、中国にある3つのトキ保護区の飼育施設を
JICA の現地スタッフや地元の人たちの案内で回り、中国におけるトキ保護の様子をみて来たので紹介する。
佐渡のトキたちの野外への放鳥が始まって早や 5 年、野
外へ放されたトキたちは順調に繁殖に成功し、ヒナも巣立
ち始めている。ところでかれらは日本原産のトキではな
い。日本のトキは 1981 年に佐渡島に生息していた最後の
野生のトキ 5 羽すべてが捕獲され、佐渡のトキ保護セン
ターで人工飼育が試みられたが、繁殖に成功することな
く、2003 年に最後の 1 羽「キン」が死亡し,日本産トキ
は絶滅した。現在,佐渡島をはじめ各地の動物園で飼育さ
れ,人工繁殖が試みられているトキはすべて 1998 年に中
ヨウヨウ
ヤンヤン
国から譲り受けたオス「友友」とメス「洋洋」のつがいか
ら生まれた子孫である。ではかれらの故郷、中国のトキた
洋県の田んぼの真ん中の木にあるトキの巣。
ちは、いまどうしているのだろう。
トキは現在、飼育下のものも含めて中国全土で 1800 羽
JICA(国際協力事業団)が中国でトキ保護事業への支
まで増えているという。これら中国のトキも、佐渡のトキ
援を行っている。飼育や放鳥等の技術はすでに確立されて
も、すべて 1981 年に洋県で発見された 7 羽( 2 つがいと
いるので、トキを取り巻く社会的環境の整備が事業の目的
その子供たち)の子孫である(というのが中国側の公式見
である。トキ保護のパンフレットを作ったり、地元の小学
解であるが、それまで十分な調査がおこなわれたことがな
生たちに愛鳥教育を行なうといった側面支援のプロジェク
いので、もっと多数が奥地で生き残っていた可能性が指摘
トである。
されている)
。
せんせい
とうさい
一昨年、機会があって、陝西省洋県から河南省董塞まで、
洋県は低い山々に囲まれた盆地で、周囲の山には谷津田
中国にある 3 つのトキ保護区の飼育施設を JICA の現地ス
が続く、日本の里山と似た風景である。ただ斜面の傾斜が
タッフや地元の人たちの案内で回り、中国におけるトキ保
緩やかなため、谷津田がときには 2 km も奥まで深く続き、
護の様子をみて来たので紹介してみたい。
周囲の山の斜面は雑木林に覆われ,いかにもトキの生息に
洋県は陝西省の南、西安から車で 3 時間ほどのところに
とって好適な環境であった。そのひとつの村、麻底村では
ある人口 8 万の小さな地方都市である。周囲は小高い山に
当時 6 巣が繁殖中で、斜面の松林に、夕方になるとトキが
囲まれ、コムギやイネやトウモロコシを作っている典型的
集まってねぐらをとっていた。もうひとつの周湾村では 3
な中国の農村である。畑は山の上まで広がっている。
つの巣があったが、 1 つはヒナが私たちの訪問前に繁殖に
失敗し、 2 つが子育ての最中だった。 1 つの巣には 3 羽、
もう 1 つには 1 羽のヒナがいた。巣は人家から 100 mも離
れておらず、親鳥もすぐ下の水田で採餌していた。人を
まったく恐れず、となりの田んぼで作業している農民と数
m の距離でも平気で餌を取っているのは、かつて日本でも
見られた光景であったろう。
トキはこうした山間部の谷津田のみではなく、洋県の郊
外に広がる平野部でも普通に見ることが出来た、水田の真
ん中に 1 本だけのこった大木の上にも巣があって、 2 羽の
ヒナが親から餌をもらっていた。さらに現地のスタッフか
らはトキが市内の人家の庭木にも営巣しているという話を
聞いた。日本のトキを見ているとなにか神経質で臆病な鳥
洋県のトキ保護センターの入口には“トキは国家第一級の保護鳥”と
大きく書かれている。
10
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
だなと思っていたことが、とても意外であった。
ねい せい
寧 西 にも飼育場がつくられ、洋県から移された 16 羽の
トキが飼育されていた。ここでもすでに放鳥が行なわれ、
周辺の谷に自然状態で 30 羽が生息しているという。洋県
よりも標高が高い山に囲まれた谷間の村で、谷の傾斜が急
なため、 1 つあたりの棚田の規模は小さく、幅が数 m しか
ないような小さな棚田がきれいに続いている。しかしここ
でも農民の都市への流出が続き、上部の棚田は放棄され
て、湿地化したり、下部の棚田は苗木用の畑にかわってし
まっているところもあった。
洋県からトキが飛来することもあり、昨年は 2 羽のメス
が飛来し、それぞれつがって繁殖に成功したという。洋県
とここは直線距離にして 100km くらいなので、日本でも
佐渡のトキのメスが本土へ漂行したように、繁殖期にはメ
スはつがい相手を探して、これくらいの距離を普通に移動
しているのだろう。
河南省董塞のトキ飼育施設。このときはまだ順化ケージは出来ていな
かった。
とうさい
3 番目の保護区は武漢にある董塞保護区で、ここでは去
年、JICA の援助で馴化施設が完成し、放鳥が行われはじ
めている。ここには 2007 年に日本から里帰りしたトキ(日
中間の協定で日本で生まれたトキの半数は中国に戻すこと
になっている)を中心に、17 羽から始まったトキの飼育
個体群がすでに 88 羽にまで増えていた。私が訪れたとき
には、まだ馴化用のケージがなかったので、狭い飼育ケー
ジに 10 羽くらいずつが分散飼育されていた。成鳥のトキ
以外にふ化したばかりのヒナが 10 羽ほど飼育されており、
ヒナは順調に育っていた。さらに JICA が援助したトキ専
用の孵卵器にも多くの卵があるということだった。
3 つの飼育施設を見学させてもらい、現地の人たちの話
河南省寧西の棚田。ちょうど田植えが終わったばかりだった。
も聞いたが、中国のトキは、たぶんもう心配ないだろう。
つ一定の収入が保証できるような施策を取らない限り、い
洋県や寧西では、すでに十分な数の自然の繁殖集団が形成
くらトキの放鳥数が増加しても、生息適地はどんどん減っ
されている。董塞でも昨年、日本から返還されたトキを含
て行く。
む 34 羽が自然に放たれた。かれらは順調に数を増やし、
それは日本でもおなじことである。中山間地域は若者た
陝西省や河南省の農村風景にとけ込んで行くだろう。それ
ちの流出と高齢化で、どんどん離村が続き、廃村になる集
はおそらく日本のトキにも言えることである。佐渡島から
落も加速度的に増えている。かつて薪炭林として、頻繁に
新潟を中心にあと 50 年もすれば裏日本の平野部から山間
人の手が入っていた里山は、いまは利用する人もなく、放
部はトキの舞う風景にかわって行くだろう。
置されたままになっている。日本の山と里の美しかった風
だが一つ心配がある。トキが生息する農村の現状はどう
景がどんどん消えている。そう遠くない将来、私たちが気
なのか。山間の谷津田は人が放棄すれば、あっというまに
づいたときには、懐かしい山里の風景は消え、里山という
乾燥化し、ヤナギやハンノキなどの樹木が侵入して、トキ
言葉もなくなってしまっているのではないだろうか。大規
の住めない環境にかわっていく。それは中国とて同じこと
模化を指向し、農薬と化学肥料をつぎ込むだけの農業に未
である。近代化と経済成長が進む中国では、不便な田舎か
来があるとは思えない。トキが遊ぶ美しい野山を保全して
ら都会への農民の移動が加速している。今回訪問した洋県
いくためには、農業と自然の調和を主軸に据えた抜本的な
でも、トキの巣のすぐ下の田んぼの持ち主は、「田んぼを
農業政策の転換が必要とされているのではないだろうか。
作っても 1 年に 4 ~ 5000 元にしかならないが、西安に出
て働けば月に 3 ~ 4000 元になる。もう来年は田んぼを作
らずに町で働く」と言っていた。高齢化と人口減が続くの
は日本の中山間地域とまったく同じ状況である。
トキを守ろうとする時、山間部の棚田や谷津田を残し、
保全して行くには、そこでの人々の日常生活が、昔と同様
に営まれていなければならないという問題に突き当たる。
収量の少ない、労働のきつい谷津田をそのまま維持しなさ
いと、農民たちに簡単に言うわけにはいかない。農民たち
が生き甲斐と喜びを持って農業に打ち込むことができ、か
上田恵介(うえだ・けいすけ)立教大学理学部生命理学科
教授。ESD 研究所所員。1950 年、大阪府枚方市に生まれ
る。主な研究テーマは鳥の行動生態学、進化生物学。理学
博士。主著に『花・鳥・虫のしがらみ進化論─「共進化」
を考える』『擬態─だましあいの進化論』1 〜 2、
『種子散
布─助け合いの進化論』1 〜 2(築地書館)
、編著に『行動
生物学辞典』
(東京化学同人)
、監修に『鳥(小学館図鑑
NEO)
』
(小学館)
『世界の美しい鳥』
、
(パイインターナショ
ナル)など多数。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
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講演録
日本の里山を撮る
〜人と自然が織りなす風景・そこで息づく人間の知恵〜
小野泰洋
私たちにとって最も身近な自然である里山を、私たちの祖先は自然資源を持続的に利用することで維持してきた。地域に
おける自然利用の知恵は、ESD にとっても重要な要素として注目されている。里山を取材し、映像化してきた小野泰洋
氏をお招きし、里山のすばらしい自然とその自然を維持させてきた人間の知恵について、映像上映と講演を行っていただ
いた(2013 年6月4日、立教大学太刀川記念館3階多目的ホール)
。
NHK は 15 年ほど前から里山を撮り続けており、今は全
たとえば、家の裏山は、薪や肥料の材料となる葉や、シ
国の里山 100 か所を記録しています。この「ニッポンの里
イタケ栽培のためのほだ木を採るなどして利用されていま
山」は、写真家の今森光彦さんと共に、様々な里山を最新
した。そこで生まれたのが「里山」という言葉です。それ
鋭のカメラで記録し、次世代に残していこうというプロ
を知った今森さんが、里山を撮り始めたのが 20 年ほど前。
ジェクトです。
今森さんが撮影を始めたことで、里山が一気に世に広まっ
「里山」という言葉自体は昔から日本にありましたが、
たと言われています。
1940 年代に、森林生態学者である京都大学の四手井綱英
現在知られている「里山」は、農村のような、人間が自
先生が、林学の用語として使い始めたのが一般に広まった
然に少しだけ手を入れて、自然を利用しながら暮らしてい
きっかけと言われています。林学では「奥山」という言葉
る環境を指します。私たちは、全国の里山を探す上で、里
が使われていました。奥山とは、村から離れた山の奥で、
山の解釈を少し広げることにしました。それは「人の暮ら
スギやヒノキなどを生産する経済的な価値がある山のこと
しがあり、そこに生きものや植物がいれば、すべて里山で
です。ところが、四手井先生は、奥山だけではなく、家の
ある」ということです。たとえば、立教大学のキャンパス
裏山や集落の端にある平地の森なども、同じように価値が
でも、みなさんが勉強している傍らに生きものが共生して
あるのではないかと考えました。
いれば、それは里山だと考えます。なぜなら、そこには必
新潟県十日町市の棚田。撮影:今森光彦(以下同)
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Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
長野県白馬村の青鬼集落。アルプスの山々が棚田に映る。
ず人と生きものが一緒に暮らせる何らかの知恵や工夫があ
るはずで、それを見つけだせれば、私たちが自然と共生し
ていく上でのヒントを得られると思うからです。
「ニッポンの里山」では、東京都からも 2 か所とりあげ
ています。 1 か所は、大田区の池上本門寺です。本門寺
の屋敷林は、400 年前から木が植わっていて、そこにたく
さんの生きものが棲んでいます。このような生きものの住
処が見られるのは、人々が本門寺を大事に扱い、また本門
寺が社寺林を大切にしてきたからということで、ここを里
山と捉えました。もう 1 か所は伊豆七島の利島です。島
の人々が自生した椿を島中に植え、椿に覆われています。
その結果、人々は椿の実から油を採取して暮らしに利用
し、島の産業にもしてきました。また、椿のおかげで、様々
な野鳥が棲むようになりました。人々が椿を植えたこと
静岡市の茶畑。草が生えている土手を茶草場(ちゃぐさば)と呼ぶ。
人が定期的に草を刈ることで、キキョウやオミナエシ、ユリ、ランの
仲間といった日本在来の植物が、茶畑の近くに咲いている。
で、豊かな多様性のある環境が生まれた例です。
里山が、なぜ注目されるのか。まずは「ふるさとの原風
景」ということです。日本は、南北に長く四季がはっきり
しています。地球儀をみて、日本の緯度を辿ると、横に並
んでいる他の国々は、砂漠や乾燥地帯がほとんどです。と
ころが、日本は潤っていて緑豊かで、四季がはっきりして
います。それがつくりだす美しい風景が、里山にはありま
す。そこには、人がいて自然があるだけでなく、生きもの
も暮らしています。ですからこの風景は、人と自然が調和
して生まれているわけです。風景を丁寧に見ていくと、人
がいろいろと自然に手を加えているのに、なぜ水はきれい
なのか、なぜ生きものが棲んでいるのか、という知恵が見
えてきます。このように里山の風景を探して、そこにどん
な物語があるのかを探ることが、番組のねらいです。里山
静岡市の茶畑。
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青森市のリンゴ園。リンゴの樹洞にフクロウが巣をつくる。毎年同じ木に営巣するフクロウのためにその木が枯れないよう手入れする。
3 番目は「共生の知恵」です。人間がいいものを作ろ
うと、農業にしっかり取り組む結果、生きものが棲めると
いう知恵がたくさんあります。どこの里山へ行ってもそう
した知恵があるということを、番組の中で必ず一つ紹介し
ようと心がけて、里山を探しています。
4 番目は「日本人としての自然観」です。日本人は、
欧米人に比べて、自然を愛でる・楽しむという感覚をもと
もと持っているのではないかと強く感じます。
では、里山に住んでいない私たち、東京に住んでいる私
たちは、一体どうしたらいいのか。それは、やはり里山に
出かけることだと思います。今日の話が、里山の見方の一
つになり、今まで見ていた風景の中から、何か違うものを
秋田県三種町。ジュンサイの沼。農家は箱船に乗って収穫する。
見つけだすきっかけになるとありがたいです。
では長い時間をかけて、人が自然に手を入れながら、人と
は、人と生きものが共生する場です。自然を生かしながら
生きものや植物が共生できる場が生まれているのです。
利用する知恵も生きています。日本の原風景の中で、本物
里山が注目される理由の 2 番目は「生物多様性」です。
の恵みが生みだされているのが里山なのです。また、詩人
里山の中には、人が手を加えることで、生きものが棲める
のアーサー・ビナードさんが、日本人は里山によって育て
ようになった場所がたくさんあります。2010 年に、愛知
られてきたと語っています。里山を失うことは、日本が人
県で COP10(生物多様性条約第 10 回締約国会議)が開催
材も失うことなのだということも、改めて考える必要があ
され、そこで日本政府は世界に里山をアピールしました。
ると思うのです。
世界各地にも人間が自然と共生していくための知恵やヒン
里山は世界に誇る日本ならではの美しい空間です。そこ
小野泰洋(おの・やすひろ)NHK エンタープライズエグ
ゼクティブ・プロデューサー。1983 年 NHK 入局。初任
こうと世界に提案しました。これは「SATOYAMA イニ
地の仙台局で 5 年間を過ごした後、主に科学関連分野の番
シアティブ」と呼ばれ、いま世界中の研究者が里山を探す
組を担当。著書に NHK スペシャル「コウノトリがよみが
活動を行っています。里山は、生物多様性の場としても、 える里」
(2006)の舞台裏をまとめた『コウノトリ、再び』
(共著、エクスナレッジ、2008)がある。
世界的に注目されているのです。
トがあるのではないか。それを再興し、さらに活用してい
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Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
新潟県十日町市。星峠の棚田。
岩手県遠野市。雪の森から馬が木材を運びだす。切った木の先に小さなソリをつけて馬に引かせる「馬搬」。
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立教大学 ESD研究所/立教SFR重点領域プロジェクト研究主催上映会レポート
福島の声を聴く
〜福島県立相馬高校放送局の震災後の活動と『今伝えたいこと
(仮)
』〜
湯本優希(文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程)
2012 年 ₃ 月に初演された福島県立相馬高校放送局の『今伝えたいこと
(仮)
』は、高校生たちが、お互いに震災への思い
を持ち寄ってつくられた作品。本上映会(2013 年 ₉ 月 ₈ 日、立教大学)では、相馬高校放送局顧問の渡部義弘氏をお招
きし、作品の創作過程や上演・上映先での反応、生徒の変化など、震災後の活動についてお話しいただきました。ここで
は、当日参加した学生によるレポートを掲載します。
東日本大震災から ₁ 年後、東京・笹塚で初演された、
『今
伝えたいこと(仮)
』
。この作品は、福島県立相馬高等学校
放送局の女子高校生たちが東日本大震災における地震や津
波、原発事故に対する苦しみや悲しみ、恐れ、将来への不
安を演劇という形で訴えたものです。彼女たちの等身大の
「高校生の声」は大きな反響を呼び、各地で上演や上映会
が行われてきました。そうした震災後の福島の現状を伝え
る活動により、彼女たちは高校生として初めて 2013 年度
JCJ 特別賞(日本ジャーナリスト会議)を受賞しました。今
回の上映会では、
『今伝えたいこと(仮)』をはじめ、相馬
く感じました。また、₃人が不安を吐露しているのに対し、
高校放送局の計 ₇ つの音声・映像作品が上映され、顧問
一方で震災の話題がタブー視される描写もあり、
「被災者」
の渡部義弘先生が作品ごとに解説をしてくださいました。
として一括りに考えるのではなく、震災に対して個々の思
まず最初に聞いたのは、詩人である若松丈太郎氏の「み
いや向き合い方があることを知るべきなのだと気付かされ
なみ風吹く日」という詩の朗読です。この詩は東日本大震
ました。
災以前に発表されたものですが、すでに原発事故を危惧
震災後の通学路を撮影した『つなみのあと』や、出産や
し、未来へ警鐘を鳴らしている作品でした。
健康についてインタビューを行った『 Is this ? 』
、将来への
続いて、相馬高校放送局制作による作品の上映が始まり
潜在的な恐怖がうかがえながらも明るく生きようとする女
ました。震災後の混乱を音声でつづった『(non)fiction 』
子高生たちの姿が収められた『 Girl’s Life in Soma 』
。これ
という作品の中で、はっとさせられたのは「東日本大人災」
らの作品も、女子高校生の視点から見た震災後の現状を伝
という言葉です。
「放射線量はただちに人体に影響を及ぼ
えてくれました。最後の作品『相馬高校から未来へ』には、
す値ではない」
「爆発的事象」など、当初、原発について
〈考え続けることを止めてはいけない、大切なのは考え続
説明された言葉はあまりに曖昧でした。そういった無責任
けること〉という結論を出した彼女たちの未来へ向かう強
な言葉が更なる混乱を招いたことを考えると「東日本大人
い意志がありました。しかし、彼女たちをたたえるばかり
災」という言葉はとても恐ろしくかつ的確な表現ではない
で終わってはいけません。私たちも一人一人が考え続けて
でしょうか。
いかなければならないのです。
次に上映されたのは『今伝えたいこと
(仮)
』の最終公演
(2013 年₃月)の映像でした。タイトルの「
(仮)
」は、彼
女たちの伝えたいことが状況に応じて変化していくからと
【当日の上映作品】
①「
み な み 風 吹 く 日 」( 若 松 丈 太 郎 作 鈴 木 夏 歩 朗 読 )
2011 年 ₈ 月録音
いう理由で付けられ、脚本や演出、手直しに至るまで彼女
②「
(non)
fiction」
(ラジオドラマ)2012 年 ₆ 月制作
たち自身が手掛けた作品です。女子高校生₃人組の一人、
③「今伝えたいこと
(仮)
」
(公演映像)2012 年 ₃ 月初演/
ひときわ明るかった望美が自殺してしまい、残された麻希
上映は 2013 年 ₃ 月の最終公演版
と桜の不安が一気に溢れます。望美は震災で家族を亡くし、
④「つなみのあと」
(テレビドキュメント)2011 年 ₆月制作
親戚の家での生活やインターネット上の福島への誹謗中傷
⑤「 Is This ?」
(ラジオドキュメント)2012 年 ₆ 月制作
に苦しんでいました。そんな望美の辛さを知り、麻希と桜
⑥「Girl’s
Life in Soma 」
(テレビドキュメント)2012 年 ₆
は〈将来、結婚や出産の際に放射能の影響といった差別を
受けたら〉と不安をこぼします。麻希の「私たちの話を聞
いてください! 子どもの訴えを無視しないでください!」
という叫びや、自殺をした後の望美が登場する場面での
「誰か私たちを助けてよ」という涙ながらの訴えに、未来
を担う高校生の悲痛な声を決して軽視してはいけないと強
16
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
月制作
⑦「相馬高校から未来へ」
(テレビドキュメント)2013 年
₆ 月制作/第 60 回 NHK 杯全国高校放送コンテスト・テ
レビドキュメント部門優勝作品
(※初出は大学公式サイト「講演会レポート」
〈2013 年度〉
http://www.rikkyo.ac.jp/feature/lecture_report/)
立教大学阿部治ゼミナール 2013 年度活動報告
「蝶の道プロジェクト」について
中村 幹(社会学部現代文化学科4年)
社会学部阿部治ゼミナールでは、文献研究だけでなく、学生自身が主体となって持続可能な社会について学ぶ活動を実践
してきました。とくに、立教大学の地元である西池袋地域の方々との協働を通して、地域の緑化などを継続して行ってい
ます。ここでは、2013 年度から本格的にスタートした「蝶の道プロジェクト」についてご紹介します。
2013 年度、社会学部阿部ゼミナールでは「蝶の道プロ
ジェクト」を推進してきました。これは、チョウを通じた
大都市池袋の生物多様性の活性化と、地域のコミュニティ
づくりを目的としたプロジェクトです。具体的には、立教
大学の位置する西池袋の街を中心に、チョウの成虫が蜜を
吸いに訪れる草花や、チョウの幼虫が好んで食べる植物を
各拠点に植えることでチョウを呼び、池袋の生物多様性を
豊かにしていくことと、植物の植え込み作業をはじめとす
る活動を近隣の地域の方々と共に行うことで人の集まる場
を作り、地域のコミュニティづくりに貢献するという二つ
の狙いのもと、池袋を、自然と人、人と人、地域と人がつ
ながる街にすべく活動しています。
なぜ、テーマが「チョウ」なのか。これには三つの理由
バタフライカフェ
があります。
一つは、チョウは、その一生のほとんどをきまった植物
浸透するのではないかと考えています。
に頼って生活をおくるため、その植物を植えて育てること
こうした活動の拠点が、立教大学からほど近いところに
でチョウも数が増えていきます。したがって、生物の種と
ある「みらい館大明」です。廃校になった旧豊島区立大明
して数を増やすのが比較的簡単であること。次に、チョウ
小学校の敷地を利用し、特定非営利活動法人いけぶくろ大
が増えることで、チョウを餌とする生き物や、さらにそれ
明が運営している生涯学習施設で、その敷地の庭の一部を
らの生き物を餌とする多くの生き物が生息できる環境が
利用し、チョウの集まる花壇づくりや、一般向けのワーク
整っていくこと。最後に、チョウが童謡や美術作品、装飾
ショップの場を行っています。現在、庭にはチョウの集ま
品などをはじめ、一般的にとても親しみやすい生き物とし
る草花をはじめ、私たちが植え込みをした植物が育ってお
て認識されていることが挙げられます。
り、チョウ以外にもヒキガエルやトンボなどたくさんの生
単に生物多様性の保全と地域のつながりを謳うだけでな
き物が集まる場となっています。
く、一般に親しみのあるチョウという生き物を守っていく
2013 年度は、主な活動の PR の場として、みらい館大明
という目的を掲げることで、プロジェクト自体がより広く
で「バタフライカフェ」というイベントを数回開催しまし
た。これは、地域コミュニティの活性化を目的の一つとし
て掲げる当プロジェクトの活動についてより多くの地域の
方に知っていただくために行ったものです。みらい館大明
の一室を開放して、展示物やチラシなどでプロジェクトの
活動を紹介し、その場で来場者向けの生き物観察などの
ワークショップも行いました。また 2013 年 10 月には、み
らい館大明で行われた地域参加型のイベントに合わせ、小
学生向けの企画として校庭での生き物さがしと落ち葉や木
の実など使った工作を行いました。
まだ発展途上のプロジェクトですが、今後も地域の方の
ご協力が得られるように、また少しでも当プロジェクトが
発展していけるように、ゼミ生一同、努力していきたいと
思います。
庭園整備
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
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第四回 環境思想シンポジウム報告
山田悠介
長野県小諸市にある安藤百福記念自然体験活動指導者養成センターでは、毎年春に「環境思想シンポジウム」と呼ばれる
シンポジウムが開催されている。第四回目となる2014年のシンポジウムでは、人文科学/社会科学という枠を超え、場所、
命と食、異文化理解といった多様な視点から「環境」をめぐって議論が交わされた。その様子を以下にご報告したい。
2014 年 ₃ 月 18 日、長野県小諸市にある安藤百福記念自
然体験活動指導者養成センターにて、第四回環境思想シン
ポジウムが開催された。環境倫理学、環境社会学、環境文
学、環境教育などさまざまな分野で「環境」を専門とする
識者が集い、人間と自然環境との関係性や、環境思想の過
去、現在、未来についてそれぞれの立場から議論を交わす
本シンポジウムも今年で四回目を数える。平日にもかかわ
らず 40 名を超す参加者が集まったカンファレンスルーム
は、ほぼ満席状態だった。午前 ₉ 時、部屋の中央部にロ
の字に並べられた机に基調講演者とパネリストが、そし
て、パネリストを囲むように聴衆が着席し、センター長の
岡島成行氏(大妻女子大学)のご挨拶でシンポジウムが開
「環境思想シンポジウム」会場風景
(写真提供:安藤百福センター及び野田研一/以下同)
始された。
最初の講演は、山里勝己氏(琉球大学名誉教授)による
れたうえで、移動と定住の問題について考察することがいか
「ゲーリー・スナイダーの環境思想:日本との関連で」。ま
に重要であるかなど、多彩なトピックについて議論された。
ず、前方のスライドに映し出された 19 世紀の画家ジョン・
次に、歴史学、環境史、災害史などを専門とし、日本だ
ガストの American Progress という絵画を分析しながら、
けでなく東アジアにも研究の射程を広げている北條勝貴氏
アメリカ建国の歴史がヨーロッパから渡ってきた人びとが
(上智大学)が講演をされた。タイトルは、「〈串刺し〉考
先住民や野生動物を西へ西へと追いやっていった歴史でも
─〈残酷さ〉の歴史的構築過程─」。日本の古代から
あることが解きほぐされていった。そして、移住は場所の
中世にかけてのさまざまな文献に描かれた動物の串刺しや
獲得だけでなく、場所の喪失ももたらすという観点から、
殺生にまつわる物語を読み解きながら、串刺しを「残酷な
沖縄の歴史や、3 . 11 以降漂流することを余儀なくされた福
行為」と解釈することが、歴史的に構築されたものである
島の人びとにも言及し、移住すること/させられることが
ことが明らかにされていった。たとえ生理的に嫌悪感を覚
人や場所にいかに大きな影響をもたらすかが示された。
えるような行為や事象であっても、それをどのように解釈
続いて、移動の文化をその根底に持つアメリカのなか
するかは、当然のことながら時代や文化によって異なる。
で、人と場所との繋がりに目を向けたゲーリー・スナイ
串刺しの意味を歴史的に追ってゆくことで、仏教などの要
ダーの環境思想へと話が展開していく。青年時代のウィル
因によってこの行為のもっていた多様な意味が削ぎ落とさ
ダネスとの接触、京都相国寺で日本文化を学ぶ日々、シエ
れ、変容させられていく過程が浮き彫りにされていった。
ラネバダへの定住といった数々のターニングポイントと併
と同時に、「存在論」に立脚して問題の解決を図ろうとす
せてその詩を読み解きながら、スナイダーがソロー流のア
る立場のもつ危うさも検討に付され、世界が文化的「構築
ナーキズムの伝統と東洋思想をミックスさせることによっ
物」であるという認識こそが、世界の捉え方の多様性を認
て西洋文化・文明の在り方に疑問を投げかけ、表舞台から
め、自分たちの文化や価値観が普遍的で唯一「正しい」も
排除されてきた先住民文化や野生動物からのまなざしを復
のではないという思考を可能にすることが強調されてい
権させようとしてきた軌跡が語られた。質疑応答では、定
た。質疑応答では、安易に「文化相対主義」を持ち出すこ
住は場所とのつながりを構築することもできるが、その一
とで思考停止に陥ってしまう危険性や、人文学的なアプ
方で、災害が起こるような場所にしか生活ができない人が
ローチで解明されたことと自然科学的なアプローチで解明
存在するということや、移動によって災害を回避するとい
されたことはいかに取り結ぶことができるのか、といった
う志向性もあることなど、定住によって「不幸」が生み出
非常に大きな問題が俎上に載せられ、活発に意見が交換さ
される場合もあることが指摘された。その他、自然との関係
れた。
だけでなく、人と人とのつながりやコミュニティも考慮に入
昼の休憩をはさんで、午後の部へ。午後の部の司会は鬼
18
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
頭秀一氏(東京大学)、講演者は結城正美氏(金沢大学)
と福永真弓氏(大阪府立大学)。エコクリティシズムを専
門とし、文学における食の問題を研究テーマとする結城氏
が取り上げたのは、汚染された食べ物を食べるという行為
である。結城氏はまず、石牟礼道子の『苦海浄土─わが
水俣病』に、汚染されていることを分かった上で海の幸を
口にする人びとの姿が描かれていること、また、水俣の多
くの漁民たちが汚染されたことを認識してなお土地の魚介
を食べ続けていたことを指摘された。石牟礼の作品だけで
なく、加藤幸子や田口ランディの文学にも描かれる、リス
クがあると分かっていながら食べるという行為をいかに考
えてゆくことができるのかという問題提起は、活発な議論
を呼んだ。ディスカッションでは、漁師としてのアイデン
センター長岡島成行氏挨拶
ティティや、生きる場所との緊密な関係性、食べ物を「授
かり物」と捉えるメンタリティなどに注目し、科学的な言
説(リスク/安全)とは異なる視点から食の問題を考える
必要性が検討された。
福永氏は、先住民居住地の剥奪や自然資源利用の制限な
ど、場所と場所を奪われた人びとの問題をテーマに発表さ
れた。先住民やマイノリティに対する抑圧の問題などを扱
う「環境正義」という発想が社会運動から生まれてきたと
いう歴史的な流れを概観した上で、「環境正義(environmental justice)」と、「生態系に対する正義(ecological
justice)」が対立関係にあるという状況を非常に明快に整
理された。そして、福島や沖縄などに代表されるような、
さまざまな負担を負わされている地理的空間が存在すると
研究報告の様子
いうこと、さらに、そうした事実が社会的に隠蔽されてい
るという問題点を指摘し、それらを可視化させることや、
パネリストとのディスカッション、そしてフロアーも交え
こうした事態がどのような社会空間で生み出されてしまっ
た質疑応答から私が痛感させられたこと。それは、今では
ているのかを把握することの重要性を強調された。最後
見えなくなってしまっていること、あるいは、
「見えてい
に、そうした問題に対し、互いに掬い取ることができる部
るのに見ていないもの」(鷲田清一『〈想像〉のレッスン』)
分が異なる人文科学と社会科学が相補的にアプローチする
があることを認識し、それらを可視化していこうとする試
ことによって、実り多い議論が可能となることを示唆し、
みのもつ重要性であった。その場所がどのような来歴を秘
シンポジウムは幕を閉じた。
めているのか、その「来歴」がどのように構築されてきた
ものなのかを問うこと。一つの行為や出来事には、解釈の
場所をめぐる問題、命と食をめぐる問題、そして、異文
可能性が無限にあることを常に忘れず、自分にとっては理
化理解をめぐる問題。まるで示し合わせたかのように相互
解できない〈ふるまい〉に込められた「意味」を実証的に
に関連するテーマについて論じられた各講演者のご発表や
忖度すること。大きな声にかき消されそうな声に耳をすま
し、見えないように仕向けられたことから目を背けないこ
と。分からないこと、分かりえないことを認め、それでも
関わり続けようとすること。筆者の力が及ばず、本稿では
こうした志向性に貫かれた今回のシンポジウムで展開され
たさまざまな議論のごく一部しかお伝えすることができな
かったが、環境思想をめぐる濃密なやりとりにご興味を持
たれた方は、ぜひ次回の環境思想シンポジウムに足をお運
びいただきたいと思う。
安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター外観
山田悠介(やまだ・ゆうすけ)1984 年、埼玉県出身。立
教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士課程後
期課程在学。主な論文に「動物変身譚における反復と類像
性」
(
『文学と環境』第 15 号、ASLE-Japan /文学・環境
学会)ほか。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
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グローバリゼーションを理解するための参加型学習
─ESD研究センター・アジアチームによる日・タイ協力プロジェクト
田中治彦
ESD 研究センター・アジアチームでは、2007 年度より 3 か年にわたって北タイの NGO と協力して、若手 NGO 指導者の
研修を行い、
『グローバリゼーションを理解するための参加型学習』のマニュアルを開発した。2010 〜 11 年度には、アジ
ア学院と協力してアジア・アフリカの農村指導者研修にも応用した。経済のグローバリゼーションによる環境と地域共同
体の破壊に対抗するには、住民参加によるローカルな知を生かした新しい開発手法が求められている。
経済のグローバリゼーションは文字通り世界的な現象で
かにして問題解決
あり、とくにアジア・アフリカなどのいわゆる開発途上国
について話し合い
においては、農村のより弱い立場にある民衆に大きな影響
を行っていた。し
を及ぼしている。北タイに本拠を置く NGO である ISDEP
かしながら経済の
(持続可能開発教育促進研究所)は、農村の人々にグロー
グローバリゼー
バリゼーションの現実を理解させるような学習活動をしば
ションの進展に伴
しば行ってきたが、問題が複雑であるために村人に理解し
い、従来の参加型
てもらうには大変な困難があった。
学習では対応しき
一方、日本の開発教育においては、世界の現実を参加型
れなくなってい
ワークショップによって理解するための優れた教材が多数
た。すなわち、タ
ある。そこで、開発教育に関わる日本とタイの NGO が協
イの国内に近隣の
力して、グローバリゼーションを理解するための参加型学
ミャンマー、ラオ
習教材を開発することとなった。本プロジェクトは、北タ
ス、中国などから
イの各地で活躍する約 30 人の若手の開発ワーカーの研修
安い農産物が流入 『グローバリゼーションと参加型学習』マニュ
プロジェクトを実施しながら、新しい参加型学習のテキス
することにより、 アル(タイ語版)
トを開発することをねらいとしている。
農産物の価格が下がり、タイの農村が経済的に困難な状況
プロジェクトは₂期₅か年にわたって行われた。第₁期
に陥っていた。自由貿易などの経済のグローバリゼーショ
(2007 〜 09 年度)には、立教大学 ESD 研究センター、ISDEP、
ンを農民たちに説明することは、ISDEP にとっても困難
開発教育協会(DEAR)、恵泉女学園大学の ₄ 者が協力し
なことであった。そこでその年の₈月に、ISDEP のスタッ
て、北タイにおいて若手 NGO スタッフの研修プログラム
フ研修で筆者らは DEAR の「新・貿易ゲーム」を実施し
を₃か年にわたって実施し、最終的に参加型学習のマニュ
たところ、参加者から大変好評を得た。
アルを開発した。第₂期(2010 〜 11 年度)には、日タイ
翌 2005 年₈月に開かれた「グローバリゼーションと農
の協力で開発された参加型学習のマニュアルをもとに、こ
村開発」というセミナーの中では、DEAR の『コーヒーカッ
れを他のアジア・アフリカ・太平洋地域の開発ワーカーの
プの向こう側─貿易が貧困をつくる?
!』を実施した。この
研修に適応して、その有効性を確かめた。このプロジェク
教材も北タイの NGO スタッフらによって好意的に受け入
トは日本のアジア学院(栃木県那須塩原市)の協力のもと
れられた。そこで、2007 年₃月に発足した ESD 研究セン
に行われた。
ターのアジアチームのプロジェクトに位置づけて事業を開
このように、本プロジェクトはタイにおける参加型学習
始することとなった。
のマニュアル開発にとどまらず、それを他のアジア・アフ
リカ諸国に応用できるかどうかその可能性を探ることを最
終目標としていた。
1.プロジェクト発足までのいきさつ
(2004 〜 06 年度)
2.北タイの若手NGO指導者養成プロジェ
クト(2007 〜 09 年度)
ISDEP による北タイの若手 NGO 指導者養成プロジェク
トのねらいは₃つあった。第一は、北タイにおける若手の
NGO スタッフおよび村落のリーダーの研修セミナーを実
筆者は 2003 年よりタイのチェンマイ大学に在外研究す
施することにより、社会開発における力量を高めることで
る機会を得た。ISDEP のプラヤット・ジャトポンピタク
ある。第二は、FTA
(自由貿易協定)
によって経済のグロー
ン代表に初めて会ったのは 2004 年₆月である。日本の開
バリゼーションにさらされるタイの農村に見合った研修プ
発教育の教材を紹介したところ、氏は「新・貿易ゲーム」
ログラムの開発である。そして、第三に研修プログラム開
に特に関心を示した。ISDEP はもともと PLA(参加型学
発にあたって日本の開発教育の参加型学習の教材を活用す
習行動法)などを活用して、地域の課題を住民自身で明ら
ることである。
20
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
北タイの村での研修風景
日本側から立教大学、DEAR、恵泉女学園大学の関係者
が参加して、毎年₁回研修セミナーが行われた。第₁回若
手スタッフ研修セミナーは 2007 年₈月 30 日〜 ₉月₁日に
アジア・アフリカの農村指導者研修(アジア学院)
3.アジア・アフリカの指導者研修での適用
(2011 〜 12 年度)
行われた。日本側からは DEAR の『「援助」する前に考え
2010 〜 11 年度には、NGO 指導者養成事業の成果をタイ
よう』と『パーム油のはなし』が紹介された。タイ側は、
一国のみではなく、アジア各地に広げるために、農村指導
参加した約 30 名の若手スタッフが村落と関わる上で普段
者研修施設である学校法人アジア学院(アジア農村指導者
抱えている課題について経験交流が行われた。
養成専門学校)の協力を得てセミナーを行った。アジア学
第₂回若手スタッフ研修セミナーは2008年₉月に行われ、
院には、毎年 20 数か国、約 30 名のアジア・アフリカなど
DEAR の『ケータイの一生』のタイ・バージョンを実施
の中堅農村指導者が集まり₉か月間の研修を受けている。
した。日本側からは、オルタナティブな開発の事例という
その研修カリキュラムの中で、グローバリゼーションと参
ことで、有機農業でまちづくりを行っている埼玉県小川町
加型学習をテーマとした授業を採用してもらうことによ
の事例が紹介された。タイ側からは、北タイ開発財団が
り、アジア・アフリカの各地での広がりを期待した。
行っている土地改革プロジェクトなどの実践事例が報告さ
ここでは、経済のグローバリゼーションによる環境や地
れた。
域共同体の破壊の問題は文字通り世界共通であり、より弱
2009 年₉月に行われた第₃回研修セミナーでは、日本
い立場の人々により厳しい影響を与えていることが判明し
側からは『地域から描くこれからの開発教育』(新評論)
た。そして今後は、グローバル経済に頼らない「オルター
に紹介されているオルタナティブなまちづくり・村づくり
ナティブな開発」をめざすことが大切である、との意見が
の事例が報告された。タイ側からは、本セミナーに啓発さ
多く出された。その際に地域の伝統的な知
(ローカル・ウィ
れて活発化した「北タイ新世代グループ」や「社会開発の
ズダム)を重視する必要があることが確認された。このセ
ための若者トレーニングプログラム」などの事例が報告さ
ミナーはアジア学院のその後のカリキュラムや教育方法の
れた。
改善に役立っていて、今後、アジア・アフリカの指導者た
これらのセミナーにより次のような成果が現れた。第一
ちを通じて、本プロジェクトの成果が広まることを期待し
は、ISDEP による『グローバリゼーションを理解するた
たい。
めの参加型学習マニュアル』の製作である。ここでは、
DEAR の教材がタイの状況に応じて改変されて採用され
ている。この教材についてはタイ語のみならず、日本語版
と英語版の翻訳も行われた。
第二に、北タイにおける現場型 NGO と学習型 NGO との
連携が進んだことである。土地問題などに取り組んでいる
現場型の NGO は目前の問題解決が急務であり、学習活動
にはあまり関心を示さなかった。しかし、問題が長期化す
るとともに、運動自体を立て直す必要もあり、ISDEP の
参加型学習プログラムを体験することになった。これによ
り学習型 NGO と現場型 NGO との連携が強化されることに
なった。第三は、参加型学習のハンドブックが、バンコク
に拠点をおくタイ・ボランティア・サービスを通してタイ
全土で活用されたことである。
田中治彦(たなか・はるひこ)。上智大学総合人間科学部
教育学科教授、立教大学 ESD 研究所客員研究員。ESD 研
究センターではアジア・チームのチーフとして、本プロ
ジェクトや地域ファシリテーター養成プログラムの開発に
関わった。(特活)開発教育協会では理事として、参加型
学習教材の開発・普及に努めている。ESD 研究センター
からは『若者のための ESD』
『先住民族と ESD(正・続)』
『アジア・太平洋地域の ESD』
(明石書店)などを発刊。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
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論文
グローバリゼーション下における地域に根ざした教育の可能性について
─「場」とつながるPBE(Place-Based Education)を参考に─
櫃本真美代・猪口綾奈
グローバリゼーションは、特定の地域や社会、伝統、すなわち「場」との無縁性を助長させ、地域社会や環境に無関心な
若者を増長させた。これに対し、「場」「地域」に根ざした教育が行われ始め、地域づくりを促進させている。本稿では、
アメリカで近年注目されている “Place - based education:PBE” を参考に、グローバリゼーション下における地域に根ざ
した教育の可能性について考察する。
1.はじめに
Programme for International Student Assessment)の順
位が下がった結果を踏まえ、ゆとり教育の見直しとして授
グローバリゼーションの時代といわれている今日、資
業時間数の増加やカリキュラムの変更が行われ、大人の決
源、情報、人材、思想など、国境を越えてあらゆるものの
めた政策に当事者である子どもが翻弄されることとなって
移動・交流が可能となり、場所や時間に関係なく多くの
いる。
人々が同じ体験を味わうことができるようになった。特
このことから、本稿ではグローバリゼーション下におけ
に、SNS の急激な発展は目覚ましく、情報の拡散・共有は、
る地域に根ざした教育の可能性について議論していきた
従来のマスメディアをはるかに超えた勢いであり、それは
い。ただし、これまでの地域に根ざした教育の議論は、例
標準化・均一化が進むことにもつながり、多様性や独自性
えば地方や田舎、少数民族、マイノリティの村など、地域
を危ぶむ声が高まっている。この結果、特定の地域や社会、
とのつながりが深かった場所であり、かつ資本主義、グ
伝統に縛られることなく、新しいグローバルな文化の構築
ローバリゼーションの波にのまれて崩壊してしまった場所
が加速することで場所とのつながりが益々希薄化し、それ
での議論が多い。しかしそれでは、人口が集中している都
が理由で地域社会や環境に無関心な若者を増長させるとし
市近郊や新興住宅地での学校問題に同じように対処できな
て、場所との無縁性が持続可能な社会づくりへの若者の参
いのではないだろうか。旧住民と新住民との接点だけでな
画を疎外している(スミス、2012)。
く、隣近所との付き合いもなく、昼間は学校や仕事などで
これに対し、日本を始め各国で地域に根ざした教育が行
地域とは無縁であったり、マンションや商業施設が建ち並
われ始めている。教育を通して特定の地域や社会、伝統と
び自然も少なく人工物に囲まれた場所に住む人々に、どれ
のつながりを回復するものだ。しかし、このような地域に
だけ地域に愛着を持ってもらい持続可能な社会づくりに参
根ざした教育の潮流は今に始まったことではない。1970
画してもらうのかを説いても、恐らく理解してもらえない
年代、発展途上国では先進国の開発政策をそのまま採用し
のではないだろうか。このような理由から本稿では、地域
て失敗に終わったことから、「ローカル・ナレッジ」「土着
に対して数世代のつながりしか持てない移民の国でもあ
の知」といった、各国・各地域に根ざした知恵をもって開
り、資本主義、グローバリゼーションの中心でもあろうア
発するオルタナティブな動きが起こり、NGO や住民組織
メリカで近年注目されている“Place - based education:
などで行われるノンフォーマル・エデュケーションの中で
PBE”に焦点をあて考察していく。
取り入れられてきた。他方、経済発展を遂げた日本では戦
後、東井義雄(1966)が「村を捨てる学力」だと批判した
ように、学校教育では地域のつながりや子どもの生活とか
2.ニューローカリズムと教育
ア メ リ カ で 地 域 が 注 目 さ れ る よ う に な っ た 理 由 は、
け離れた教育が行われ、誰もが一定の学力や技術の水準に
「ニューローカリズム」という新しい社会的な動きと関係し
達し良き労働者として日本の経済を支えてきた。しかし、
ている。この「ニューローカリズム」とは、資本主義下に
共同体の崩壊と同時に子どもを育むシステムが崩壊し、さ
おける経済のグローバル化が、地域コミュニティの経済的
らに自然という遊び場を失った子どもたちは家の中でテレ
破壊、文化の均一、そして生態学的破壊をもたらすことを
ビやゲームをして遊ぶようになり、異年齢集団の中で社会
認めながらも、地域の改善への努力には、資本主義や市場
のルールを学ぶこともなくなった。さらに、学校以外の余
経済を全面的に否定することはできないとし、地域を意識
暇は、進学塾や習い事に費やされ、競争社会で勝ち抜くた
した経済開発を模索する動きである(Gruenewarld and
めの準備を着々と進めている。しかしながら、画一的で個
Smith、2010)
。そして、この動きは経済界にとどまらず、
性より協調性を重んじる教育は現代のグローバルな競争社
教育界にも影響を及ぼしており、教育によって学習者と地
会に対応しきれないだけでなく、学校や家庭、地域社会で
域をつなげ、地域の経済だけでなく、環境、文化や福祉な
の人間関係や実体験の欠乏から、受験競争、校内暴力、学
ど、コミュニティライフの幸せのために地域の再生を試み
級崩壊、不登校、いじめなど、学校教育は様々な問題を抱
るものである。
えるようになる。さらに近年では、PISA(学習到達度調査:
そもそも「ニューローカリズム」とは、2000 年初期に
22
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
イギリスの元首相トニー・ブレアによって提唱されたもの
ており、過去の解では通用しなくなった。すなわち、
で、国家の優先順位や目的の枠の中で地方自治体に権威を
今の企業や政府のトップは、産業やグローバリゼー
移譲することであり、地方自治体の自主性と行動を重視し
ションを優先しているため、未来に必要とされるだろ
たものである。アメリカにおいては、イギリスほどこの考
う考えや行動を提唱することはないだろう。
えが普及しているわけではないが、アメリカの教育の関心
これらは決してアメリだけの問題ではなく、日本にもい
も、地域や各学校へ期待するところが大きい(Crowson
えることである。
and Goldring, 2009)。
前述したように、PBE は古いものでもないし、新しい
3.地域や環境に対する愛着
ものでもない。学校が始まる前の教育は、地域に根ざした
環境教育の課題の一つに、具体的に環境のために行動を
ものであり、近代の学校教育がこのつながりを切ってし
起こしてもらうには、いかに環境に気づき、関心をもって
まったからだ。さらに、20 世紀初頭のアメリカでは、ジョ
もらうかがある。日本では 1960 ~ 70 年代の公害を機に学
ン・デューイやウィリアム・ヒアド・キルパトリックなど
校教育に公害教育が取り入れられているが、残念ながら受
が学校教育における子どもたちの生活経験の重要性をあげ
験に必要な知識としての四大公害や温暖化・森林破壊など
たにも関わらず、中央集権化や標準化が進む中で、彼らの
の地球環境問題の名称を覚えるにとどまっているのが現実
実践は過少評価されてしまった(Gruenewarld and Smith、
で、それだけで関心をもつ生徒は少ないであろう。また、
2010)
。しかしながら今、学校教育において子どもたちの
いかに環境問題を自分事として捉え親身に考えられるかと
生活の場である地域とのつながりを模索した教育が脚光を
いう、当事者性の問題もある。この原因の一つに、地域や
浴びている。その理由として、生徒の成績を上げるという
自分の周りの環境との物理的、社会的な関わりがないこと
国家あるいはグローバルな教育目的に対して、地域が担う
があげられるのではないか。
役割が重視されているからである。地元の学校はもはや広
Place =「場」と人間の情緒的関わりから環境に対する
範な社会的問題や学校改善への解決とは完全に隔離し、そ
態度と価値づけを探ったイー・フー・トゥアン(1992)に
の自主性が損なわれているにも関わらず、依然地域は教育
よれば、トポフィリア=「場所への愛」には文化を始め、
における責任と実践の中心でもある。さらに、学校と地域
美しさ、自然との身体的接触、親しさや愛着、都市と田園
との活性化の関係や地域に根ざした社会資本の開発など
の比較など多くの形があるという。しかし、ある特定の場
は、まさに国家規格の真っただ中にある教育においては、
所と否応なく関わりながら日常を過ごしているのが現実で
最注目の分野でもある(Crowson and Goldring, 2009)
。
あり、意識していなくとも何らかの態度とともに抱く感
このように、国家から州政府そして地方自治への移行だ
情、こだわりがトポフィリアでもある(阿部、1992)
。そ
けでなく、学校の環境にも関心をもち、目標が達成できな
してこのような感覚は、日常生活に流され時を過ごすとと
い学校に対しては地域社会発達の努力をも求めている。例
もに、年齢とともに失われていくのであり、トポフィリア
えば、より良い教育を得るには、文化的、経済的、物理的、
は感性豊かな子ども時代に生まれるのである(小野、1992)。
心理的など、様々な環境が必要であるが、貧困や不健康な
子ども時代の自然体験や自然の喪失体験が将来の行動に
ど様々な圧力に置かれている子どもたちは、これらの環境
影響を及ぼすことは、環境的行動を行っている活動家を対
を得ることができない。よって、地域社会の資源の分配と
象に過去にどのような経験をしてきたかを調査・研究した
子どもたち、家族、そしてクラスを直接つなげることが重
SLE(Significant Life Experiences)研究ですでに明らか
要な課題となってくる(Crowson and Goldring, 2009)
。
になっている(降旗ら、2006)
。
一方、グレゴリー・スミス(2012)は、地球市民として
このように、子ども時代に地域や自分の周りの環境との
グローバルな課題に取り組むには、一つの場所、地域だけ
接点がないまま大人を迎える現代の若者を始め、子ども時
に注目することは適当ではないとしながらも、学校教育の
代にはまだ少しの関わりがあったが今は全く関わりがなく
一部で生徒に地域に目を向けさせる理由として以下の4つ
感情も薄れてしまった大人、あるいは子ども時代の故郷と
をあげる。
現在の住居が異なるなど、地域や環境に関心が持てない原
①低い成績と高い中退率の改善として、学びと実生活を
つなげる。
②日本同様に、子どもたちが自然の中で過ごす時間が減
少している。
③労 働力としての人材育成に重点を置きすぎたばかり
に、健全で民主的な地域社会に不可欠な信頼や関係と
因はいくらでもある。地域や環境に少しでも愛着をもって
もらうには、いかに関わらせるかが大きな課題であり、こ
のような点からも PBE は重要であろう。では、PBE とは
どのような教育なのか次章で述べたい。
4.PBEと子どもの参画
いった社会資本を無視してきたために、社会生活に必
David Sobel(2013)によれば、PBE とは国語、数学、
要な他人との関係やネットワークを構築できなくなっ
社会、科学などカリキュラム全体で、概念を教える出発点
ている。
として地域社会や自然環境を利用するプロセスであるとい
④テロ、格差・貧困、天災・人災など、現代社会は資本
う。すなわち、現場、現実世界での経験を重視することで
主義や民主主義の枠を越えてあまりにも課題が累積し
学校と地域をつなげ、子どもの学力だけでなく、地域社会
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
23
そして自然環境の質を高めるものである。また、早くから
のものとをあまり区別しない見方」
をする。だからこそ
「自
この取り組みを支持してきた The Rural School and Com-
然界に対する人間の思いやりの気持ちを発達させる別の媒
munity Trust(2005)によれば、ある特定の場所の歴史、
介になる」可能性があるのだ。さらに、子どもはよく物に
環境、文化、経済、文学、芸術などに根ざした学びである
感情移入することから、「環境全体に対する関心と配慮に
という。さらに、高野孝子(2013;p.32)は様々な定義や
まで広げる」には「直接に自然と接することが必要」だと
考えがある中でその共通点には、「地域社会や暮らしの場
する。しかし、子どもの頃に自然と接したからといってす
に着目し、環境と社会を構成する多様な要素をつなぎ、そ
べての人が環境に関心をもつわけではない。ハートはそこ
のつながりを理解する」ものとしている。
に「自然を慈しむような気持ちをもつ大人といっしょに、
これをふまえ、スミス(2012;p.9)は PBE を行うこと
自然の世界の豊富な多様性を直接経験する機会をもつこと
によって「その場所と地域とのつながりを実感する」「自
ができれば理想的である」とし、時には「大人による自然
然や社会の健全を脅かす課題を発見し検討する力を養う」
に対する特別な方向づけ」も重要だとする。好奇心旺盛な
「自然や社会環境の保全のための意思決定に必要なノウハ
子どもの知的欲求を満たす大人の存在が重要なのだ。しか
ウと自信を与える」としている。すなわち、PBE は、①
しながら、自然に対する知的欲求だけでなく、環境や現象
学びの場を学校から地域社会に移し、地域のあらゆるもの
に自ら直接接することで愛情が生まれたり、現象の理解
を教材にすることで、子どもの学びと実生活とをつなげ学
(少なくとも 10 歳以下の子ども)には必要であるともして
びの意義を意識化させる、②子どもの気づきや関心を地域
いる。よって、多くの子どもにとって、学校を中心とした
社会や自然環境に向かわせ、課題発見・解決のために必要
生活圏が「アクセスを期待できる唯一の現実的なレベル」
な能力を育成しながら地域社会や自然環境の質を高める、
であることから、学校の周りにできる限り自然の場所をつ
ことに貢献するといえる。
くり、そこで遊んだり成長とともにその場所をケアする機
「つながりという感覚こそが、地球環境を守ろうと願い、
会を増やすことを主張する(ハート、2000;p.21)
。
同時に世界の中での自分の居場所を実感するということに
このように、ハート(2000;p.197)もまた「子どもの
つながっていく」とスミス(2012;p.12)が述べるように、
頃に場所への意識を養い、コミュニティや社会への愛着を
PBE は「場」とのつながりから人間の感情や態度に変化
養うことが、何にもまして重要」であるとし、そのような
をもたらすものである。
場として学校で地域に根ざした教育、例えばアクション・
しかし、PBE を定義するにあたり高野(2013;p.29)は、
リサーチをあげている。
「英語圏での実践者や研究者の中では、Place - based edu-
以上のことから、PBE、もしくは地域に根ざした教育を
cation に代わって、place and community - based educa-
子どもの頃に行うことは、地域づくりや環境保全だけでな
tion という言葉が使われるようになり、community の要素
く、教育問題など現代社会が抱える様々な問題に対して一
を含むことを前提」として使われており、
「PBEの概念には、
つの解決策を導く。しかし、それには周りの大人の意識改
『場所』だけでなく人と人との関係性の集合体である地域
社会」を含むとし、
「人びとの関係性や暮らしがある場や
社会に根差した、とい文脈で理解すべきだ。」とする。こ
のことからPBEとは、物理的な場所だけではなく、社会的・
革、協力が必要であり、大人のための教育こそが必要不可
欠なのではないだろうか。
5.大人のための教育
文化的な場所を意味する地域を包含した、地域に根ざした
日本では、学校教育に対して主に社会教育、生涯学習が
教育として考えていいだろう。
大人のための教育として行われている。そして、大人に対
一方、アメリカにおける地域に根ざした教育といえば、
しても地域に根ざした教育が各地で行われている。具体的
ロジャー・ハート(2000)の「子どもの参画」がある。ハー
には、地域課題に取り組み続けてきた社会教育で「地元学」
ト(2000)は「環境問題と子どもの権利問題」を関連させ
「地域学」
「○○(地域名)学」など、地域の高齢者が代々
て地域づくりや環境保全の問題に取り組み、地域に根ざし
継承してきた地域の知恵を学ぶことにより、地域の資源や
た教育による子どもの参画の必要性を説いた。それは、過
知恵の再発見、そこに生きる人々の自信回復とアイデン
小評価されがちな子どもの能力や可能性に光を当てる一方
ティティの確立につなげ、地域づくりにいかすものだ。し
で、多くの国で行われている環境教育の扱う内容や方法の
かしながら、社会教育施設の代表格である公民館の利用者
妥当性に疑問を投げかけたものでもある。どのようにすれ
は、退職して時間のある高齢者や小さな子どもをもつ母親
ば人は環境に関心を持ち、行動を起こすのか。あるいは、
などが多く、青少年を抱える働き盛りの世代や若者が少な
自然環境に対する気持ちを、いつまでも持ち続けるような
いのが課題となっている。最近では、駅ビルの中に公民館
人間に果たして育てることはできるのか。 この難題に対
を設置したり開館時間を変更するなどの動きもあるが、指
し、ハート(2000;p.17-18)は次のようにこたえる。
定管理者に任せるところも多く、社会教育の専門家の不
子どもは大人より「自然に近い」という見方は、正確に
在、単なる貸し施設状態、趣味・資格としての講座など、
は知覚的・肉体的に近いのであって、概念的には遠い。子
本来あるべき社会教育の学びが行われているとは言いがた
どもは「あらゆるもののなかに意志と意識があると見る傾
い。
向」
、すなわち「アニミズム」的であり、「人間と人間以外
地域や環境に無関心な大人をいかに巻き込むか。そのた
24
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
めには、「なぜ学ぶのか」という動機づけが必要であろう。
引用文献
成人教育に詳しいジェニー・ロジャーズ(1997;pp.42-43)
David A. Gruenewarld and Gregory A. Smith,“Place -
は、人は『知らぬ間に学ぶ』という可能性を否定しないな
Based Education in the Global Age –Local Doversity ”,
がらも、
「動機づけがなされないかぎり、人は学習しよう
Routledge, 2010, 377p.
としないし、また学習ができない」としている。そして、
成人が学習する理由は多様であるが、基本的には自由意思
で学習に参加し、去る自由も持っている。よって、たとえ
David Sobel,“Place - based Education: Connecting Class­
room and Community ”www.antiochne.edu/wp-content/
uploads/2012/08/pbexcerpt.pdf, 2013.12.16
興味・関心があって学びに参加したとしても、その学びが
Robert L. Crowson and Ellen B. Goldring,“The New
つまらないものであれば学びをやめてしまうだろう。で
Localism: Re-examining Issues of Neighborhood and
は、どのように動機づけをし、学びを組織していくのか。
Community in Pubolic Educaion ”, Yearbook of the
佐藤一子(1998)は、大人の学びの蓄積がある社会教育・
National Society for the Study of Education Volume
生涯学習にその可能性を見出す。例えば、地域共同体が崩
108, November 1, 2009, pp.1-24
壊した地域、あるいは住民同士のつながりが希薄な地域で
The Rural School and Community Trust,“Rural School
は、個人の日常生活の興味・関心事と地域課題、例えば環
and Community Trust Annual Report 2005 ”,2005, 10p.
境、福祉、子育て、地域文化などの問題と接点ができた時、
自治会あるいは小・中学校などと一体となって地域課題に
イー・フー・トゥアン著/小野有五・阿部一訳『トポフィ
リア:人間と環境』せりか書房、1992、446p.
取り組む可能性があるかもしれない。「日常生活の関心の
グレゴリー・スミス「『場の教育』の展望」特定非営利活
なかに地域の課題性が凝縮された具体的な問題に着目す
動法人 ECOPLUS『「地域にどう根ざすか」持続可能な
る」地域社会教育は、「地域住民全体にとって生活をよく
社会づくりを目指した「地域に根ざした環境教育」モデ
するうえでの普遍性・共通性があると認識され深まりとひ
ルの構築 国際シンポジウム報告書』2012、pp.7-21
ろがりが生まれる過程とのフィードバックによって発展す
ジェニー・ロジャーズ著/藤岡英雄監訳/徳島大学生涯学
る実践」となりえるからだ(佐藤、1998;p.156)
。そして「成
習研究会訳『おとなを教える 講師・リーダー・プラン
人の多様な関心に応じて生まれる教養的学習・文化的活動
ナーのための成人教育入門』学文社、1997、282p.
を発展させていくことと、地域や生活の現実に立脚する課
ロジャー・ハート著/木下有勇・田中治彦・南博文監修/
題的な学習のほりおこしの統一が課題」であるとし、その
IPA 日本支部訳『子どもの参画 コミュニティづくりと
ためには社会教育職員や団体が地域住民と対話しながら
身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社、
コーディネートしていく必要があるとしている(佐藤、
1998;p.191)。この他にも、地域社会に根づいている博物
2000、216p.
阿部一「訳者あとがき1」イー・フー・トゥアン/小野有
館や図書館などの社会教育施設や地域と大学・NPO など
五・阿部一訳『トポフィリア:人間と環境』せりか書房、
がこれらの実践の担い手として考えられるだろう。
1992、pp.433-438
6.おわりに
東日本大震災直後、人や地域におけるつながり・絆・助
け合いなどといった言葉が溢れ、暮らしている「場」や働
降旗信一・石坂孝喜・畠山芽生・櫃本真美代・伊東静一
「Significant Life Experiences(SLE)調査の可能性と課
題」
『環境教育』VOL.15-2、2006、pp.2-13
高野孝子「地域に根ざした教育の概観と考察─環境教育と
く「場」
、様々な「場」とそこにいる人々との関係を改め
野外教育の接合領域として─」『環境教育』VOL.23-2、
て考えさせられた。また、社会のあり方や環境に関心を持
2013、pp.27-37
ち、市民活動に参加し声をあげる人々も増えた。しかし、
小野有五「訳者あとがき2」イー・フー・トゥアン/小野
震災から3年がたち、何事もなかったかのように震災以前
有五・阿部一訳『トポフィリア:人間と環境』せりか書
と変わらない日常が繰り返され、地域や環境への想いも薄
房、1992、pp.439-445
れつつある。オリンピック開催に東京が歓喜し、経済成長
東井義雄『村を育てる学力』明治図書出版、1966、325p.
優先の名の下に原発再稼働へと流れが傾く一方で、進まぬ
被災地の復興に疲れ捨てられたと語る被災者たちがおり、
被災者への配慮は下より、放射能汚染地域における人・社
会・自然のつながりの再構築・未来は忘れ去られようとし
ている。これを防ぐためにも、自分が生きる「場」との関
係性を改めて考えられるよう市民が自由に参加できる学び
を提供・支援することが引き続き必要であり、持続可能な
社会の構築は震災後の学びにかかっているのではないだろ
うか。
櫃本真美代(ひつもと・まみよ) 立教大学兼任講師、東
京農工大学・麻布大学・大正大学非常勤講師、ESD 研究
所客員研究員。東京農工大学大学院修了(農学博士)
。専
門は、社会教育・環境教育など。
猪口綾奈(いのぐち・あやな) 立教大学兼任講師、東京
大学非常勤講師。SIT Graduate Institute(米国)修了(MA
in TESOL)
、マサチューセッツ州立大学において専任講師
として日本語教育に従事。専門は、日本語教育・異文化コ
ミュニケーション・外国語教授法など。
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
25
Paper
School Education and Ecological Identity
Keitaro Morita
1. INTRODUCTION
ed in contributing to nonprofit work, while one was find-
In July 2003, the Law for Enhancing Motivation on
ing a sense of satisfaction in the international nature of
Environmental Conservation and Promoting of Environ-
the work. An analysis of the interviews revealed that
mental Education was enacted in Japan. With this Law,
seven factors—nature experience, a lost sense of nature,
the Ministry of the Environment, in order to create a
family, books/media, school, ecological social events, and
sustainably developing society, promotes environmental
the shadow of America — were key in establishing their
education in schools, communities, workplaces, and
ecological identities. The former five overlap Furihata’s
homes. When having been informed of the Law, however,
research, while the remaining two emerged in the pro-
I wonderd: Does environmental education, or education
cess of my analysis. Of these, I would like to draw atten-
in general, construct environmental consciousness?
tion to the“School”factor in this paper.
This paper attempts to answer this question based
Non-Governmental Organization (NGO). The staff mem-
3. SCHOOL EDUCATION AND ECOLOGICAL
IDENTITY
bers were chosen because despite having been socialized
3.1 School Education Constructs Ecological Identity
on interviews with staff members of an environmental
in environmentally destructive society, they have some-
As mentioned in the previous section, I identified
how developed environmental consciousness, or ecologi-
“School”as one of the seven factors. The reason is that
cal identity (Thomashow, 1996), striving to solve impend-
school, or education, appears to be one of the sites where
ing environmental problems.
their ecological identities were anchored. During the interviews, they alluded to their schooling periods as sig-
2. LITERATURE REVIEW AND RESEARCH
METHOD
nificant to the development of their ecological identities.
Ms. Higashi is just such a case. During the interview, she
Since the 1980’s, numerous Significant Life Experi-
told me that one of her elementary school teachers was
ences (SLE) research papers have been published in the
influential in cultivating her ecological identity. She ex-
field of environmental education studies. SLE research
plained this defining life event as follows (the two slash
investigates significant ecological experiences in the lives
lines [//] indicate omission of word[s].):
of people, mainly environmental specialists, that influence
awareness of the natural environment and lead to the
Higashi: My teacher in the fifth or sixth grade was study-
shaping of ecological identity.
ing butterflies, and influenced me at great length, I think.
In Japan, the first research of this nature was con-
The teacher told us,“When your mother is trying to kill a
ducted by environmental education scholar Shinichi Furi-
roach, it’s thinking,
‘I’
ve gotta run away,’
”and this brought
hata (2005), which focused on 188 executive officers of
a fresh sense to a child’s mind. From this teacher, [I
environmental education organizations. Ten SLE catego-
learned] the importance of living things, lives, and nature //
ries were determined from answers to the questionnaires
distributed in the study (in order of the frequency): na-
In the same vein as Ms. Higashi, Ms. Kaneshiro stated
ture experience [sic ], a lost sense of nature, family,
that she became motivated to engage in environmental-
books/media, social activity, school, work, friends, others,
ism in elementary school. In her narratives, she charac-
and travel.
terized the following episode:
Meanwhile, from April to October 2009, I carried out
semistructured interviews in Japanese with 29 staff
Kaneshiro: Around the time when I was in elementary
members of an environmental NGO based in Japan. The
school, we learned at school that environmental problems
collected data enabled me to qualitatively delve into their
were serious // so, I thought we needed someone to ad-
significant ecological experiences by asking them to re-
dress them.
flect on such experiences. I decided not to use the data
provided by three of the participants, as they did not
Later in the interview, Ms. Kaneshiro acknowledged that
seem to possess an ecological identity; two were interest-
not only elementary school but also junior high school
26
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
was an arena where her ecological identity was nurtured.
Kawabe: Well, my university is in Kyoto and I started
She reflected (the asterisk symbol [*] indicates the author’
there in 1997. In the same year, by chance, the Kyoto Con-
s word[s].):
ference [COP3] took place in the city, though I only got
the feeling that something important was going on. Well,
Kaneshiro: Why [did I become interested in] environmen-
back then, during the Conference, I wasn’t that interested.
tal problems? Actually, ultimately, school education was
But, // I had to make a presentation [about the Confer-
the trigger, I think. Elementary school and junior high
ence] in my seminar class and, so, at the very least, I read
school. By saying so, I might sound like a very serious A-
books and newspaper articles. I also wrote a paper //
student (laughter), but, after all, I believe I pretty much
belong to the generation that learned,“We have these
Obviously, Mr. Kawabe’s ecological identity is at least
problems”and“We have those problems.”People my age
partially informed during university through the experi-
are, generally speaking, the generation that grew up by
ence of researching for the sake of a presentation and a
being told that environmental problems were serious //
paper on the environmental conference.
Starting from“resources will be depleted soon”and“oil
will be exhausted within certain years,”and also waste
Likewise, Mr. Kyomoto’s ecological identity started to
grow while at university:
problems, too? And chemical contamination //
(*): During your school education, in what subject were
Kyomoto: Well, the direct trigger [for my ecological iden-
you taught [about environmental problems]?
tity to grow] dates back to my university days. I majored
Kaneshiro: Social studies, probably.
in international relations, and // studied about the U.N.,
NGOs, and stuff. Needless to say, global challenges were
As in her account, Ms. Kaneshiro’s generation learned
always taken up as topics, including population issues
about pollution problems in school. The education is
and human rights. Poverty, too. Let alone development
called kôgai-kyôiku in Japanese, or pollution education. It
and the environment. // among these U.N.- and NGO-re-
is Japan’s first environmental education initiative, unique
lated areas, I picked the environment [as my own re-
to Japan, raising the public’s consciousness of the right to
search topic] when I had to choose.
the environment (Sekigami, 2005). In fact, I belong to the
same generation as Ms. Kaneshiro and, accordingly, re-
In the example of Ms. Saita, her ecological identity was
ceived this education in social studies. While it did not
first inspired by the book, King Solomon’s Ring , by ethol-
successfully manage to spark ecological identity within
ogist Konrad Lorenz, which she read in the fifth or sixth
me (because other factors such as nature experience and
grade. During her university years, her ecological identi-
books have fashioned my ecological identity), in Ms.
ty was reinforced via study and discussions with class-
Kaneshiro’s case, it is one of the essential factors in the
mates:
formation of her ecological identify.
In the case of Ms. Kitada, she began to harbor an in-
Saita: My department at university was called environmen-
terest in environmental issues at around age 15 when in
tal resources. That’s where I really was taught about //
Japan, one is supposed to be in either junior high or high
every environmental problem, ranging from air pollution
school. Her narrative:
to water pollution to microorganism to wildlife to plants
to forests. // Besides, everyone around me was highly
Kitada: // I’ve been concerned about waste problems
interested in environmental issues, so we discussed pret-
since I was around 15.
ty much everything, arguing over one thing or another,
(*): Wow.
which deepened my relevant knowledge.
Kitada: // For example, when I had to write a report for
the social studies class, I produced a report about some-
So is Ms. Kawanaka; her ecological identity was also
thing related to them [waste problems]. Or, whenever I
shaped by university education. At one point in the inter-
had to pick a subject, I was naturally picking them //
view, she reflected:
Going beyond high school, the present study identifies
Kawanaka: I first learned about symbiosis between nature
four participants whose enthusiasm for environmentalism
and human beings in university. // the trigger [for my
traced back to their time at university. Mr. Kawabe is
ecological identity to grow] was my university days //
one case:
when I studied symbiosis with nature, which has been
lost by now. The topic of my senior thesis was changes
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
27
in common forests during and after the Middle Ages,
(*): So, biodiversity, or flora and fauna come first?
which [also] led me to become interested in the natural
Saita: Right, yes. So, while waste issues and, to my sur-
environment and environmental issues.
prise, global warming would come to lay people’s [emphasis added] minds, // it [biodiversity] comes to my
In her case, learning about symbiosis and writing a se-
[emphasis added] mind first when hearing the term“en-
nior thesis on forests at university played a role in estab-
vironmental issue.”
lishing her ecological identity.
To briefly summarize this section, education at school
Here, I cannot fail to notice the elitist tone in her narra-
from elementary school to university can empower peo-
tive. Similarly to that seen in Mr. Kawabe’s comment,
ple with ecological identities. In what follows, I will con-
this is due to the I/lay people dichotomy.
sider a potential side effect of school education.
To take as another example Mr. Arakawa with a
Bachelor’s degree, in his case, he holds the we (NGO)/lay
3.2 School Education and Elitism
people dichotomy:
Among the 26 research participants, almost all of
them are highly educated, with 2 having graduated from
Arakawa: The environmental destruction currently dis-
2-year college, 15 from university, and 9 from graduate
cussed is caused by human beings and, so, as long as
school. Indeed, an analysis of data of approximately 4,000
they exist, it will continue to exist. As it’s impossible to
research participants in the first four rounds of the bien-
prevent it, instead of preventing it, we guide it in a better
nial Texas Environmental Survey conducted in Novem-
direction. Therefore, for example, when cowboys guide
ber and December of 1990, 1992, 1994, and 1996 con-
cattle on the western wilderness [in the U.S.], only a few
cludes that those who are better educated are more
cowboys on horses do so. If the cattle start stampeding,
concerned about environmental quality and committed
nobody can stop them. So, in order to prevent this, the
to environmental protection (Klineberg, McKeever, &
cowboys guide them skillfully. [In the same way,] we [em-
Rothenbach, 1998). Presumably in part because of this,
phasis added] guide [lay people ] to reduce the degree of
some of the participants are found to have a certain elit-
the destruction. Otherwise, the cattle wouldn’t listen.
ism, an attitude that a society should be run by the elite,
(*): Hmmm.
in the same manner as other environmentalists (Hum-
Arakawa: So, all in all, we shouldn’t offend the cattle // in-
phrey & Buttel, 1982). Worth noting is Mr. Kawabe, who
stead of offending them, we have to feed and guide them.
holds a Master’s degree:
Here, Mr. Arakawa likens lay people to cattle. In his
(*): // What comes to your mind when you hear the term
“environmental issue”?
thinking, there exists the structuralist formula we : lay
people : : cowboys : cattle , configuring his elitist frame of
Kawabe: // probably, garbage and recycling would come
mind. This reminds me of the pitfalls, in which those in-
to lay people’s [emphasis added] minds but I [emphasis
volved in environmentalism are not aware enough of the
added], well, wouldn’t say that they weren’t related to
unconscious power that positions them as heroes of justice
environmental issues. Soil contamination can be caused,
(Furukawa, 1999).
and all resource issues are part of environmental issues,
In the case of Mr. Shima, who obtained two Bachelor’s
I think. But, somehow, I still have difficulty considering
degrees in Japan and the U.S., I find that the structural-
waste issues to be environmental issues.
ist equation he espouses is we : lay people : : sensitized :
(*): Is that so?
desensitized , again, insinuaring elitism:
Here, it seems that he maintains the I/ lay people dichot-
Shima: Those who can sense that the environment or this
omy in his mind, an elitist reference.
world where they live is being destroyed, even if not sens-
In a similar way, Ms. Saita, holding a Bachelor’s de-
ing it directly, are taking actions or took actions, I think.
gree, also embraces the I/lay people dichotomy, which
So, there’re sensitized people and desensitized people [em-
the following passage vividly attests to:
phasis added]. A sensitized person wrote the book, Silent
Spring [by Rachel Carson], as early as 50 years ago. Back
(*): // What comes to your mind when you hear the term
“environmental issue”?
then, desensitized people never thought that nature was
being destroyed or wondered what would happen to the
Saita: // It rather exudes an image of biodiversity pro-
environment, [then] politicians, for instance. // my own
tection //
sense of crisis is related to my anger and agony over the
28
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
fact that my beloved living things and the natural world
nese Society of Environmental Education.
are disappearing. // There’re lots of people who haven’t
Furihata, S., Ishizaka, T., Hatakeyama, M., Hitsumoto, M.,
moved their butts and, so, I think our task is probably to
& Ito, S. (2007). Potentials and challenges of research
move their butts [emphasis added].
in“Significant Life Experiences”in Japan. Children,
Youth and Environments, 17 (4), 207-226. Retrieved
In environmental movements, there are many cases
where the dichotomy we/they is implied (Yuki, 2004),
December 31, 2013, from http://www.colorado.edu/
journals/cye/17_4/index.htm
while the present study witnesses the dichotomies of I/
Furukawa, A. (1999). Kankyô no shakaishi-kenkyû no
lay people and we/lay people . I would say that such bina-
shiten to hôhô—Seikatsukankyô-shugi toiu hôhô [Per-
ry oppositions, coming from elitist thoughts, can be prob-
spective and method of social history studies of the
lematic; this is simply because environmentalism is to be
environment: The method of living environmental-
led not by the 1% of the elite but by the 100% of all, that
ism]. In H. Funabashi & A. Furukawa (Eds.), Intro-
is, ecological democracy (Humphrey, Lewis, & Buttel,
duction to environmental sociology: Theories and
2002).
methods for the study of environmental problems (pp.
125-152). Tokyo: Bunkashobo Hakubunsha.
4. CONCLUSION
Humphrey, C. R., & Buttel, F. H. (1982). Environment, en-
The present study has revealed that education at
ergy, and society . Belmont, CA: Wadsworth.
school, ranging from elementary school to university, can
Humphrey, C. R., Lewis, T. L., & Buttel, F. H. (2002). En-
construct ecological identity. The results align with some
vironment, energy, and society: A new synthesis . Bel-
past SLE studies (e.g., Furihata, 2005; Furihata, Ishizaka,
mont, CA: Wadsworth.
Hatakeyama, Hitsumoto, & Ito, 2006, 2007; Klineberg,
Klineberg, S. L., McKeever, M., & Rothenbach, B. (1998).
McKeever, & Rothenbach, 1998). In a SLE study, experi-
Demographic predictors of environmental concern: It
ences at elementary, junior high, and high schools are
does make a difference how it’s measured. Social Sci-
called fundamental SLE , while those at university are
ence Quarterly, 79 (4) (December 1998), 734-753.
named direct influential SLE (Furihata, Ishizaka,
Morita, K. (2010). Ecological reflection begets ecological
Hatakeyama, Hitsumoto, & Ito, 2006, 2007). In this study,
identity begets ecological reflexivity . Unpublished
however, an overt difference between the two is not ob-
doctoral dissertation, Rikkyo University, Tokyo.
Sekigami, S. (2005). Kôgai-kyôiku kara manabu-beki
served.
Now, let me return to the research question: Does
mono 〜 Kôgai-kyôiku-ron [Items to learn from pollu-
education construct environmental identity? Based on
tion education: A theory of pollution education]. In Y.
the research results, I can, with some reservation, say
Asaoka (Ed.), Atarashii kankyô-kyôiku no jissen [New
yes. My reservation arises from the tendency for the elit-
environmental education practices] (pp. 52-72). Tokyo:
ism supposedly partially created as a side effect of edu-
Kobundo.
cation. This point should never be neglected in an effort
Thomashow, M. (1996). Ecological identity: Becoming a
to construct environmental identity through education,
reflective environmentalist . Cambridge, MA: MIT
for environmentalism is to engage not only by the 1% of
Press.
the elite, but the 100% of all.
Yuki, M. (2004). Kankyô-bungaku no eko=rojikaru na
kokoromi―Terî・Tempesuto・Wiriamusu to Ishimure
*This paper is based on the author’s 2010 dissertation.
Michiko wo chûshin ni [Environmental literature’s
eco=logical attempt: Focusing on Terry Tempest Wil-
References
liams and Michiko Ishimure]. In K. Noda & M. Yuki
Furihata, S. (2005). Shizen-taiken wo sekinin-aru-kôdô e 〜
(Eds.), Ekkyô-suru toposu―Kankyôbungaku-ron-jo-
Shizen-taiken-gakushûron [Turning nature experienc-
setsu [Topoi crossing borders: Critical essays on envi-
es into responsible behavior: A theory of nature
ronmental literature] (pp. 183 -203). Tokyo: Sairy-
experience learning]. In Y. Asaoka (Ed.), Atarashii
usha.
kankyô-kyôiku no jissen [New environmental education practices] (pp. 73-105). Tokyo: Kobundo.
Furihata, S., Ishizaka, T., Hatakeyama, M., Hitsumoto, M.,
& Ito, S. (2006). Potentials and challenges of the research on“Significant Life Experiences”(SLE) in Japan. Environmental Education, 15 (2), 2-13. The Japa-
Keitaro Morita received an MA in Intercultural Communication and a DBA in Social Design Studies from Rikkyo University, as well as an MA in Conference Interpreting from
Monterey Institute of International Studies. Dr. Morita has
published on topics such as ecological identity, environmental
literature, ecofeminism, queer ecology, and NGOs.
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
29
ESD 研究所 2013 年度活動記録
●イベント記録
「日本の里山を撮る~人と自然が織りなす風景・そこ
で息づく人間の知恵~」
【日時】2013 年 6 月 4 日(火)
18:30 ~ 21:00【会場】太刀川記念館 多目的ホー
ル【講師】小野泰洋氏(NHK エンタープライズ エ
グゼクティブ・プロデューサー)
【主催】ESD 研究所
「福島の声を聴く~福島県立相馬高校放送局の震災後
の活動と「今伝えたいこと(仮)」~」【日時】2013
年 9 月 8 日(日)13:30 ~ 16:00【会場】太刀川記
念館 多目的ホール【講師】渡部義弘氏(福島県立
相馬高校放送局顧問)【主催】ESD 研究所、立教
SFR 重点領域プロジェクト研究
「激変する途上国と日本の未来像」【日時】2013 年 10
月 5 日( 土 )16:45 ~ 18:15【 会 場 】11 号 館 A203
教室【講師】荒木光弥氏(国際開発ジャーナル社
代表取締役、主幹)
【主催】異文化コミュニケーショ
ン研究科、立教・異文化コミュニケーション学会
【共催】ESD 研究所
「大地の芸術祭と地域づくり─アートを通じた ESD
の可能性─」
【日時】2013 年 10 月 8 日(火)19:00 ~
21:00【会場】太刀川記念館 多目的ホール【講師】
北川フラム氏(アートディレクター)【主催】ESD
研究所
「韓国の環境問題と環境教育」【日時】2013 年 10 月 9
日(水)18:30 ~ 20:00【会場】10 号館 X201【講師】
朴泰潤氏(延世大学校教育学研究科教授)【主催】
ESD 研究所、異文化コミュニケーション研究科
立教大学 ESD 研究所×キープ協会の環境教育基礎講
座/第 1 回「ESD と環境教育」【日時】2013 年 11 月
22 日(金)18:30 ~ 21:00【会場】太刀川記念館
多目的ホール【講師】阿部治、中西紹一(ESD 研
究所所員、異文化コミュニケーション研究科特任
准教授)、川嶋直(ESD 研究所客員研究員、異文
化コミュニケーション研究科兼任講師、公益財団
法人キープ協会シニアアドバイザー)【主催】公益
財団法人キープ協会、ESD 研究所
「装置としての ESD(持続可能な開発のための教育)
:
サステナビリティにむけた協働」【日時】2013 年 11
月 23 日(土)17:30 ~ 19:00【会場】11 号館 A203
【講師】阿部治 【主催】異文化コミュニケーショ
ン研究科【共催】ESD 研究所
「スウェーデンにおける ESD の現状と展望」【日時】
2013 年 11 月 27 日(水)18:30 ~ 21:00【会場】太
刀川記念館 多目的ホール【講師】ヨハン・オーマ
ン氏(オレブロ大学人文教育社会科学研究科准教
授)、ボディル・スンドベリ氏(同大学理工学研究
科専任講師)【主催】ESD 研究所
「自治の村・会津檜枝岐の人びとにまなぶ─映画『や
るべえや』と震災後の「福島」─ 」【日時】2013 年
12 月 1 日(日)13:30 ~ 17:30【会場】太刀川記念
館 多目的ホール【講師】安孫子亘氏(長編ドキュ
メンタリー映画『やるべえや』撮影・監督)、藤井
賢誠氏(福島県双葉郡双葉町・光善寺 副住職)【主
催】ESD 研究所、立教 SFR 重点領域プロジェクト
研究【共催】関礼子ゼミナール【後援】檜枝岐村教
育委員会、東京檜枝岐会
立教大学 ESD 研究所×キープ協会の環境教育基礎講
座/第 2 回「企業と環境教育」【日時】2014 年 12 月
30
Rikkyo ESD Journal No.2 (October 2014)
19 日
(木)18:30 ~ 21:00【会場】太刀川記念館
多目的ホール【講師】川嶋直、藤木勇光氏(電源
開発株式会社秘書広報部審議役)
、菊池香氏(朝日
新聞社広告局メディアプランニング部)
【主催】公
益財団法人キープ協会、ESD 研究所
立教大学 ESD 研究所×キープ協会の環境教育基礎講
座/第 3 回「学校と環境教育」【日時】2014 年 1 月
23 日
(木)18:30 ~ 21:00【会場】太刀川記念館
多目的ホール【講師】川嶋直、鈴木利彦氏(立教
池袋中学校・高等学校聖書科教諭、生徒部長)
、小
玉敏也氏(麻布大学生命・環境科学部教授)
【主催】
公益財団法人キープ協会、ESD 研究所
国際シンポジウム「地域と学び」
【日時】2014 年 2
月1日
(土)10:00 ~ 17:00【会場】太刀川記念
館 多目的ホール【登壇者】ロン・トゥース氏(プ
レ ン ヴ ェ ー ル 環 境 教 育 セ ン タ ー セ ン タ ー 長 )、
ピーター・レンショウ氏(クイーンズランド大学
教授)、ククイ ・ マウナケア=フォース氏(MA’O
オーガニックファーム代表)
、安藤聡彦氏(埼玉大
学教育学部教授)
、木俣美樹男氏(東京学芸大学環
境教育研究センター教授)
、佐々木豊志氏(くりこ
ま高原自然学校代表)
、佐久間憲生氏(出羽三山の
自然を守る会理事長)、高野孝子氏(NPO 法人エ
コプラス代表理事、早稲田大学教授)
、横山隆一氏
(日本自然保護協会理事)、大前純一氏(NPO 法人
エコプラス理事)、阿部治【主催】NPO 法人エコ
プラス【共催】ESD 研究所【助成】独立行政法人
環境再生保全機構地球環境基金
「第 1 回お祭りカンファレンス」【日時】2014 年 2
月 22 日
(土)13:00 ~ 17:30【会場】 8 号館 8202、
8303、8304【登壇者】久繁哲之介氏(地域再生プ
ランナー)
、平田大六氏(新潟県関川村村長)
、鄭
甲寿氏(公益財団法人ワンコリアフェスティバル
代表理事)
、小倉ノエミ氏(川崎市国際交流協会外
国語相談員)、土井祥平氏(YOSAKOI ソーラン祭
り学生実行委員会代表)、浅見祐樹氏(NPO 法人
国際ボランティア学生協会会員)
、小野修一氏(群
馬県大泉町観光協会副会長)
、中村幹君(立教大学
社会学部阿部治ゼミナール)、上田信(ESD 研究
所運営委員、文学部教授)【主催】ESD 研究所、
NPO 法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)
●ブース出展
「ESD の 10 年地球市民会議 2013」
「ESD テーマ会議」
【日時】2013 年 10 月 18 日
(金)
・19 日
(土)
【会場】岡
山コンベンションセンター
「第 7 回 HESD フォーラム」【日時】2013 年 10 月 26 日
(土)
・27 日
(日)
【会場】金沢大学
「清里ミーティング 2013」【日時】2013 年 11 月 16 日
(土)~ 18 日(月)【会場】公益財団法人キープ協会
清泉寮
「エコプロダクツ 2013」【日時】2013 年 12 月 12 日
(木)
~ 14 日
(土)
【会場】東京ビッグサイト
●刊行物
『立教 ESD ジャーナル』創刊号(2013 年 7 月)
『 Eco Opera ! / シンポジウム報告書 “西池袋”を刺
激する! part2 ─豊島区制施行 80 周年で西口公園
が変わる─』
(2013 年 10 月)
立教 ESD ジャーナル編集規約
第 1 条(名称) 本誌の名称は、立教 ESD ジャーナルとし、
英文表記は、Rikkyo ESD Journal とする。
第 2 条(目的) 本誌は、ESD 研究所の研究・実践成果の発
表の場であるとともに、ESD の普及に寄与することを目的
とする。
本誌は、巻頭言、ESD 研究所の活動(講演
第 3 条(内容)
会・シンポジウム等含)の記録、ESD 研究所員及び客員研
究員の活動に関する記事、研究論文、その他編集委員会が認
めたものを掲載する。なお投稿論文の採否は編集委員による
審査の上、決定する。
第 4 条(刊行回数) 本誌は、原則として年 1 回発行する。
第 5 条(投稿資格)
(1)ESD 研究所員及び所員であった者。
(2)ESD 研究所の客員研究員及び客員研究員であった者。
(3)編集委員会の承認を受けたその他の者。
第 6 条(投稿規定)
(1)論文は、原則として本誌の体裁で 4 頁(本文、写真・図版、
注、参考文献等を含む)とする。ただし、内容に応じて
分量の増減を認める場合もある。
(2)写真・図版等の掲載を希望する場合、必ず所蔵者・著作
権者等に執筆者が許諾を得ること。その際に発生する掲
載料等は執筆者の負担とする。
(3)投稿の締切日等については編集委員会で定め、事務局か
ら通知する。
第 7 条(編集委員会)
ESD研究所運営委員会の委員が兼務する。
(1)編集委員会は、
(2)編集委員の中から、委員長 1 名を互選する。
(3)編集委員会は、原稿の内容、分量等に関して、執筆者に
対して修正、変更等を求めることができる。
第 8 条(立教 Roots での公開)
(1)本誌に掲載された原稿は、立教大学学術リポジトリ(立
日本からの訪問団の問いかけに応えるマダガスカルの子どもたち(撮影:阿部治)
編集後記
『立教 ESD ジャーナル』第 2 号をお届けします。ご寄稿くださった皆様に厚く御礼
申し上げますとともに、早々にお原稿をいただきながら刊行が大幅に遅れましたこと
をお詫び申し上げます。所員、客員研究員の皆様から、多様なテーマのご論稿をいた
だき、多方面から持続可能な社会・未来について考えることのできる充実した誌面と
なりました。また本号から、研究論文を掲載することといたしました。ご投稿いただ
いた論文は編集委員会で審査し、掲載の可否を決定します。ESD や関連するテーマ
での幅広いご投稿を歓迎します。投稿については当研究所事務局にお問い合わせくだ
さい。
本年は「国連 ESD の 10 年」の最終年にあたり、その総括会合が 11 月、日本で開
教 Roots)を通じて Web 上で公開する。
催されます。現在、会合をオールジャパンで迎えるために、多くの方々が尽力してい
にその旨を告知する。
る最中です。これを契機に、ESD が広まり、定着していくことを願っております。
(2)前項の公開を希望しない者は、投稿に際し、編集委員会
(阿部)
本誌の編集に関して必要な事項は編集委
第 9 条(その他)
員会が定める。
第 10 条
(付則) この規約は 2014 年 4 月 1 日から施行する。
立教ESDジャーナル 第 2 号
発行日
2014 年 10 月 31 日
編集・発行
立教大学 ESD 研究所
Research Center for Education for Sustainable Development
〒 171-8501 東京都豊島区西池袋 3-34-1 12 号館 2 階 B206
Tel/Fax: 03-3985-2686
URL: http://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/ESD/
発行人
阿部 治
印刷所
上毛印刷株式会社