アメリカおよびメキシコのコロラド川デルタとエスチュアリに おける生態系

アメリカおよびメキシコのコロラド川デルタとエスチュアリに
おける生態系サービスと河川水の価格:
緩和と修復のためのガイドライン
カール
フレッサ
(アリゾナ大学地球科学教室)
1.はじめに
コロラド川は,かつてカリフォルニア湾北端の河川のデルタおよびエスチュアリに 16×
109 m3/年の河川水を供給していた(図1).しかし,コロラド川上流におけるダム,灌漑
計画,及び水路の完成以来,河川水の流路は完全に人間が使用するために進路を変え,通
常の年では表層水はカリフォルニア湾に到達することがなくなった.社会への経済利益は
大きいが,自然システムへの環境上の犠牲は深刻になっている.コロラド川は,乾燥した
南西アメリカおよび北西メキシコの都市と農業に用いる淡水の唯一かつ最大の供給源であ
る.河川水はロッキー山脈の雪解け水からもたらされている.
米国および米国とメキシコ間の河川水の配分は,1922∼1963 年の一連の各州間の協定,
国際条約および司法機関の裁決を通して決定された.コロラド川上流域の米国の州(コロ
ラド,ニューメキシコ,ユタおよびワイオミング)及びコロラド川下流域の米国の州は,
それぞれ 1 年当たり 9.2×10
9
9
m3/年の権利が与えられており,メキシコの権利は 1.8×10
m3/年である.河川に対する法的権利の総計(20.2×10
9
m3/年)は,年輪から推定した
過去 500 年間の平均流量(16×10 9 m3/年)を超過している.この急速に発展している地域
では得られる水の量よりももっと多くの水を得る法的権利がある.また,自然システムへ
の河川水の配分はなされていない.河川水使用に関するこの矛盾は,今後増加すると思わ
れる.アメリカ西部の水の重要性についてアメリカのユーモア作家のマーク・トウェイン
は“ウイスキーは飲むためにあり,水は戦うためにある”と端的に指摘している.
アリゾナ州とカリフォルニア州では,河川水のおよそ 80%が農業,20%が都市のために流
れを転換している.ネバダ州南部,カリフォルニア州およびアリゾナ州南部で成長する都
市の拡大は,農業用水を犠牲にした上で都市の水使用を増加させている.カリフォルニア
南部では,近年の協定で環境緩和の必要性により決定された河川水の価格の一部と共に,
都市の水使用者への農業用水の販売が許可されており,水の価格の一部には環境緩和の必
要性から決められた部分も入っている.将来的にこの協定は,農業から都市への水の運搬
のためのモデルとなりうるかもしれない.
2.生態系の財とサービス
生態系の財およびサービスとは,直接あるいは間接的に,生態系の作用に由来している
人間集団が享受する利益のことである.表 1 は,自然の生態系システムから人間社会に提
供されるサービスおよび財のうちの幾つかのリストである.
Costanza et al. (1997)は,川氾濫原,牧草地,耕地,河口域および海洋の砂州を含む
各々11 の生態群系(バイオーム)中の生態系サービスの通貨価値の概算を示した.一般に
生態群系は,提供される生態系サービスのタイプやその総合的な価値が異なる.Costanza et
al. (1997)は,“返済意志”に対して従来行われてきた見積もり,他の方法で同じサービス
を提供する場合の経費,およびその他のアプローチを総合することにより,生態系サービ
スの通貨価値を見積もった.
これらはすべて人間社会に対する自然システムの貨幣価値の評価概算であることに注意
すべきである.すなわち,彼らは,精神的,倫理的,道徳的あるいはそれ自体が持ってい
る価値のいずれにも貨幣価値を与えていないために,自然界の全体の価値を見積もってい
ない.コロラド川の河川水を農業や地方自治体の利用に転換したことは,12,000km2 のデル
タおよびエスチュアリから提供される生態系サービスのタイプと価値を変化させてきてい
る.
3.コロラド川デルタとエスチュアリの景観の変化
コロラド・デルタおよび Imperial Valley における灌漑プロジェクトは,氾濫原,湿地
および砂漠の生物群系を農耕地に変えた.一方,カリフォルニア湾北部では,上流でのあ
らゆるタイプの水の転用により汽水生息域が海洋の砂州環境に近い生物群系に変化した.
農業に河川水を転換したことによる環境への影響は深刻になっている.現在の陸上と川
岸の生息環境では,自然の植物はかつての河川の流路に沿った範囲と農業用水の河川への
再流入によって形成された湿地に限られている.絶滅危惧種ではメダカの仲間と数種の鳥
を含んでいる(Glenn et al., 2001, Hinojosa-Huerta et al., 2002).旧河口域では,汽
水性の軟体動物の個体密度が極めて減少している (Kowalewskiet al., 2000; Rodriguez et
al., 2001).また,ニベ科の魚および固有のネズミイルカは生息域の環境変化による影響
を受けている可能性がある.さらに,河川水がカリフォルニア湾に到達しない時期には小
エビの収穫がは減少している(Galindo-Bect et al., 2000).
本稿では,Costanzaet al. (1997)の控えめな見積もり法を用いて,デルタとエスチュア
リの本来の生物群系及び変化した生物群系における生態系サービスの通貨価値を見積もっ
た(図3).砂漠の農耕地への転換は,1 ヘクタール当たり提供されるサービス価値を 2 倍
にした.一方,氾濫原および湿地の生物群系の農耕地への転換は,1 ヘクタール当たり 2 桁
分生態系サービスの価値を減少させた.海洋環境においては,エスチュアリから海洋砂州
への生物群系の転換は,1 ヘクタール当たり1桁分生態系サービスの価値を減少させた(図
3).
河川水の転換及び自然の生物群系から農耕地への転換以前は,デルタとエスチュアリの
生態系サービスの価値は一年あたり総計約 27 億ドルであった.転換以降,一年あたりの価
値は約 2 億 6 千ドルに減少した.コロラド川河川水の転換によって生じた生態系サービス
の価値の純損失は,一年あたり総計約 24 億ドルに達する.
4.水の生態系における価値
地域における生態系サービスの価値は水の利用性に依存するため,これらの概算にコロ
ラド川河川水に対する価値の概算を使用することが可能である.コロラド川が 1 年当たり
水を 1300 万 acre-feet(160 億立方メーター)供給すると仮定すると,河川水の生態系サ
ービス価値は 1acre-foot(1 m3 当たり 0.17 ドル)当たり 208 ドルになる.コロラド川河川
水の現在の米国の農業用水の価格は,1 acre-foot (1 m3 当たり 0.001 0.002 ドル)当たり
16 ドルから 32 ドルで変動し,市場価格は 1 acre-foot (1 m3 当たり 0.24 ドル∼0.71 ドル)
当たり 300 ドルから 880 ドル以上まで変動する.現行の価格は,失われた生態系サービス
の価値ではなく,運搬コストと市場の力に基づいている.1 acre-foot(1 m3 当たり 0.17
ドル)当たり 208 ドルの生態系コストは,自然のサービスの損失を経て社会に支払われた
隠れた報酬金といえる.
これらの評価はおおまかな概算だが,本乾燥地帯で河川水の価格に含まれるべき適切な
環境緩和の経費について交渉するための出発点を提供している.さらに,理想的な緩和の
取り組みは,自然システムに由来する本来の生態系サービスのタイプおよび価値を回復す
ることである.コロラド川デルタおよびエスチュアリの場合では,農耕地の約 170,000 ヘ
クタールの休耕によって氾濫原の生息環境を回復することにより,現在の生態系サービス
の赤字の大部分は“償還”できるかもしれない.そして節約分の河川水はカリフォルニア
湾に流れ込み,約 57,000 ヘクタールのエスチュアリを修復できる可能性がある.
訳者註
生態系サービス;生態系が持つ機能を人間が資源として生態系から引き出して利用・享受すると
き,その価値の総体を生態系サービス(ecosystem goods and services)とよぶ.具体的には,食
料や材木といった生産機能に直結したいわゆる財(goods)とともに,肥沃な土壌の生産,汚染物
質の分解,気候の緩和,洪水や土壌流出の制御,害虫の制御,農作物の受粉などのサービスがあ
る.(共立出版「生態学事典」より)
of
Ca
lif
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【Fressa,フレッサ】
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V
California
Fig.1. Location of study area and Colorado River delta and Gulf of California, looking south. Dark
areas in the Imperial Valley in the USA and Mexico are irrigated agriculture. Lake at bottom of image
is the Salton Sea, a saline lake created accidentally in 1905 and now maintained by agricultural return
flow. Dashed line in Gulf of California marks the approximate limit of the former estuary and is 100 km
long.
図 1. 研究地域,コロラド川デルタおよびカリフォルニア湾の位置.アメリカおよびメキシ
コにおける Imperial Valley の暗色の地域は潅漑農地を表している.写真下部はソルトン海(1905
年に突発的に造られた塩水湖で,現在は農業用水のソルトン海への再流入(return flow)によ
って維持されている).カリフォルニア湾のかつてのエスチュアリのおおよその境界線を破線で
示している(長さは 100km).
Annual Discharge (maf)
C o lo ra d o R iv e r D is c h a rg e a t U S -M e x ic o b o rd e r (1 8 7 8 -1 9 9 7 )
30
25
20
15
10
5
0
1860
1880
1900
1920
1940
1960
1980
2000
Ye a r
Fig. 2. Draining the river. Colorado River discharge at US-Mexico border from 1878 to 1997.
Discharge (flow) units are in millions of acre-feet (maf) (1 acre-foot = 1,233 m3). With the exception of
El Niño years in the 1980’s and early 1990’s, the US delivered only its treaty obligation of 1.5 maf (1.8
x 109 m3) to Mexico. All of Mexico’s share is used in agriculture and cities. River water no longer
reaches the Gulf of California.
【Fressa,フレッサ】
図 2. 河川水の流量.1878∼1997 年までの米国-メキシコ国境でのコロラド川の流量.流量の
単位は数百万 acre-feet(maf)(1acre-foot=1,233 m3).1980 年代および 1990 年代初めのエ
ル・ニーニョの年を例外として,米国はメキシコに協定義務である 1.5 maf(1.8×10 9 m3)だ
けを流出している.メキシコの分担分はすべて農業と都市において使用される.河川水はもはや
カリフォルニア湾に到達しない.
Biome transitions, Colorado Delta
Changes in ecosystem services
Before conversion
After conversion
Floodplain@
Croplands+
$12,340 ha-1yr-1
$219 ha-1yr-1
Desert*
Croplands+
$122 ha-1yr-1
$219 ha-1yr-1
Estuary#
Shelf#
$1,732 ha-1yr-1
$179 ha-1yr-1
Fig. 3. Biome transitions and per hectare changes in the value of ecosystem services in the Colorado
Delta and estuary before (left column) and after (right column) conversion of the landscape for agriculture.
Symbols as follows: ha = hectares; @ not including disturbance regulation; *desert values assumed
to be half of rangeland values; + rangeland values used where cropland values are not known; # value
of nutrient cycling not included.
図 3 生物群系の推移とコロラド・デルタおよびエスチュアリにおける農業のための景観変化
前(左側)と後(右側)の生態系サービス価値のヘクタール当たりの変化.記号は以下の通り:ha=
ヘクタール;@擾乱調整を含んでいない;* 砂漠の価値は放牧地の価値の半分と仮定;+農耕地
の価値が不明な場合の放牧地の価値;#栄養塩の循環の価値を含まない.
Table 1.
Gas regulation
Climate regulation
Disturbance regulation
Water regulation
Water supply
Erosion control
Soil formation
Nutrient cycling
Ecosystem goods and services (after Costanza et al., 1997)
表1 生態系の財とサービス
Ecosystem goods and services
Waste treatment
Pollination
Biological control
Refugia
Food production
Raw materials
Genetic resources
Recreation and culture