菜種油が地域を動かす壮大なエコプロジェクト 金丸弘美 食総合プ ロデ ューサー 聞けば昭和三十年頃には鹿児島には三百軒以上 のかも知らないままに訪ねたのが始まりだった 。 てみようよ﹂と誘われて、国産菜種油がどんなも 料理に国産菜種油を使っている。琉泊色で美し い。 鍋 に 瓶 か ら そ そ ぐ と 滑 ら か な 光 沢 を た た え て の油を搾る製油所があったそうだが、いまでは四 流れ出す。 し っ か り し た 力 強 い 天 ぷ ら が か ら り と 理由はカナダから菜種が輸入され大量に安い油 軒 し か 残 っ て い な い と い う。 が出回るようになったこと、農業で化学肥料が使 あがる。春の日差しをいっぱいに詰め込んだよう 我が家で使っている菜種油を絞っているのは鹿 わ れ 始 め、畑 に 植 え ら れ た 菜 の 花 や 、菜種の 油を な香ばしさが部屋中にひろがるのである 。 児 島 県 肝 属 郡 東 串 良 町 の 村山 製油の 村山賓盛さん きもつきぐんひがしくしらさねもり と 長 男 の 博 隆 さ ん と そ の 家 族。もう十五年以上の 搾ったあとの搾りかすが肥料に使われなくなった くて今も作っている ﹂とのこ とだった。実際、現場 村 山 賓 盛 さ ん は ﹁昔の菜種の香りが 忘 れ ら れ な きっかけは、妻が府中の伯母から﹁おいしいか らりとあがる油を手に入れてほしい﹂と相談され ばしいとは思ってもみなかった 。 しかし原料の菜 ということであった 。 お付き 合いになる。 たことからだった 。 そ れ は 妻 の 母 が 元 気 な く ﹁ お 種そのものが入手が難しく、わずかにとれる鹿児 菜種(上)と搾られてくる菜種油(下) その菜種油に大きな風が吹き始めた。ひとつは 島と青森の菜種で油を搾っているとのことだった 。 で国産菜種油を香りをかぐまでは、こんなにも香 実は、当時、義母は義姉と関西に住んでいて阪 いしい天ぷらが食べたい﹂と言いだしたことが 始 まりだ った 。 神淡路大震災に遭い、しばらく東京で暮らすこと となって 、伯 母 が 食 事 の め ん ど う を み て い た の で ある。奄美出身の義母には、東京で購入した油が どうにも口にあわなかったらしい。震災後で元気 の な い 義 母 に 力 を 与 え る に は 、彼 女 が 求 め る 油 が 必要だ ったという わけだ 。 鹿 児 島 の 出 身 の 知 り 合 い か ら紹 介 さ れ た の が 村 山製油だ った 。 か つ て 鹿 児 島 で は 菜 種 が 多 く 栽 培 さ れ て い て 、 今 も 菜 種 油 を 作 っ て い る と い う。 ところが 妻 が 言 う に は ﹁ 国 産 で 菜 種 を 作 る と こ ろは 、も う ほ と ん どな いらしいの。このままでは なくなってしまう。 応援してあげて。とにかく行つ 1 8 地食がおもしろい 奥さんのトシ子さんのチラシ効果である 。 ﹁あなた 一般 家 庭 か ら 出 た 生 ゴ ミ は リ サ イ ク ル に よ っ て れ る し 、 搾 ったカスは上質な肥料として使える 。 かつて菜種油は製油所が農家が持ち込んだ菜種 お隣にあった村山製油に依頼がされて、町との連 ることとなった 。 そして菜の花から生まれた種は、 いう活動が始まった。生ゴミと資源ゴミに分類す 堆肥化され、菜種栽培や農家の肥料として使うと の菜種を搾りませんか﹂と、新聞折り込みをした 油 を 搾 ってブツブツ交 換 で 作 ら れ て い た の だ と い のだ 。 う 。 それを思い出したトシ子さんが新聞のチラシ 携が始まったというわけだ 。 される 。 それが 町内の 菜 種 栽 培 に 利 用 される 。 収 に乳酸菌を入れて発酵させて、半年かけて堆肥化 生ゴミは回収されると枝葉四と生ゴ で呼び掛けたところ﹁昔 の製油をするところが ン も の 油 が 搾 れ る よ う に な った。 今では、 二百 名 あ った の か ﹂ と 菜 種 を 持 参 す る 人 が 現 れ て 十 五 ト 近くの人たちから菜種油の搾りを依頼されるよう との連携である 。 そ し て 大 崎 町 は 、 平 成 十 八 年 度 環 境 省 ﹁ 一般 廃 燃料に使われているのである 。 ( ディーゼルエンジン代替燃料 )と し て ゴ ミ 収 集 車 の 家庭用の廃油は、こちらも回収されて、 B DF 使われたりしている。 町で一般家 庭 用 と し て 販 売 さ れ 、 ま た学校給食で 穫された菜の花の種が 村 山 製 油 で絞られて、大崎 そして大きな転機になったのは、平成十三年か になったという 。 そおくん L ら隣 町 の 曽 於 郡 大 崎 町で始ま った ﹁菜種エコプロ ジェクト 大崎町では循環型社会の取り組みを平成十年か ら開始した 。 将 来 の ゴ ミ 埋 め た て が や が て 不 可 能 になる 。 ま た ゴ ミ 処 理 場 を 作 れ ば 処 理 費 用 も 膨 大 棄 物 処 理 事 業 実 態 調 査 ﹂ に お い て 全 国 第 一位 に 選 ば れ た と 知 った の で あ る 。 ゴ ミ リ サ イ ク ル 率 が な にかかる 。 そ こ で 、 す べ て の ゴ ミ を 資 源 化 し よ う と 町 の 方 針 を 大 転 換 さ せ た 。 住 民 説 明 を 一年がか ん と 八 十 パ ー セ ン ト を 達 成 し た と い う。 その 一つ パーセントである 。 全 国 平 均 が 十 九 ・六パ ーセ ン パ ー セ ン ト 、 第 三位 は 徳 島 県 上 勝 町 で 七 十 五 ・ 五 ちなみに第二位は長野県筑北村で七十六・六 り で 行 い 、 資 源 ゴ ミ の 分 別化と生ゴ ミのたい 肥 化 が菜種栽培 トというから驚異的なリサイクル率である 。 ミにわけで、 二か 所 あ る セ ン タ ー に 別 々 に 持 ち 込 元の 倒 そ お リ サ イ ク ル セ ン タ ー に 生 ゴ ミ と 資 源 ゴ 大崎町は、 二十 八 の ゴ ミ 分 別 が さ れ て い て 、 地 奨励だった。 つまり菜の まれる 。 センターの担当の方によると、 ﹁ 大崎町か 菜種の花、 可憐な花を 花は黄色い サイクルされます﹂とのことであった 。 ら 持 ち 込 ま れ る 資 源 ゴ ミ は 、こま か く 住 民 段 階 で 観作物にな る。 花から 域全 体 に つ な が る エ コ プ ロ ジ ェ ク ト へ と 大 き な 広 分類されているので、九十九・九パーセントがリ はミツバチ が り を も た ら し て い る こ と を 知 って、す っか り 嬉 しくな ったのだ った 。 こ ん な 取 り 組 み が 全 国 に 広 かせる。 景 が蜜を採る 。 が れ ば 、 ど ん な に 素 敵 だ ろ う。 畑一面に咲 そして、菜 菜種油を探しに行った旅から、 小 さ な 製 油 所 地 種は油がと . を推進したのである。 村山さん家族 1 9
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