大阪通信 Vol.68 とっても久しぶりに「現在読破中!」です。今回は中経出版の文庫を3冊と、その 他4冊を紹介します。宝島ムックとか絵本とか、初めてのご紹介もあります。お楽しみ ください。 1)菅田正昭『現代語訳 古語拾遺』新人物文庫(新人物往来社→中経出版 →KADOKAWA…ですから、おそらく出版社名が変わっています) 古代氏族に忌部(いんべ)氏がいました。時代が下ると斎部と書くようになりまし た。読み方は「いんべ」のままです。忌部の子孫・忌部広成(いんべのひろなり)が平 城上皇(へいぜいじょうこう)の求めに応じて、平安時代に書き下した書物が『古語拾 遺』です。言うならば忌部版『古事記』といったところで、『古事記』との重複も多い のですが、忌部の祖・天太玉(あめのふとだま)を、さりげなくアッピールしている部 分が目につきます。中臣・忌部が古代ヤマト王権以来律令制に至るまで、祭祀二大氏族 だったのですが、中臣がその政治部門を「藤原」として独立させ、いつのまにか忌部に 祭具を持たせ、重要な祭文を詠ずることになってしまって、忌部は存続の危機に立たさ れたのでしょう。 「わてら、こんなに貢献してきましたがな」という一冊が、本書です。 日本史の教科書的には、氏族旧事(くじ)のひとつ、物部の『先代旧事本紀』(せんだ いくじほんぎ)みたいなもの…となりますね。さて広成の意図を忖度するに、著者によ ればこういうことだと。それは「古代祭祀氏族の末裔として、天照大神の直接のお声を お聞きしたいと願う気持ち」であり、方法論としては「遠祖の太玉命になって、神代の 「天石窟」(あまのいわやと)と「天下り」という二つの神話空間の現場へ出掛け、天 照大神のお側に侍ればよい」というものであったと。なるほど忌部が忌部を描き出すと、 こう落ち着いてくるものだと思いました。 2)歴史読本編集部『ここまでわかった! 卑弥呼の正体』新人物文庫 (新人物往来社→中経出版→KADOKAWA…ですから、おそらく出版社名が変わ っています) 卑弥呼の正体に関する代表9説を紹介し、 「卑弥呼は誰であったのか?」を突き詰め ます。天照大神、神功皇后、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)、倭姫、甕依 姫(みかよりひめ)、 「卑弥呼機関」 、 「九州の巫女」、 「出雲族」、 「公孫氏」…よく言えば 百花繚乱、悪く言えば言いたい放題であります。小生などは「卑弥呼は誰でもよかった」 と思っていますし、卑弥呼に鬼道(原始道教ですね)を舞わせているその裏で、邪馬台 国連合をコサエた黒幕こそが重要だと思っています。その意味では纏向学研究所の寺沢 薫さんにご登場いただき、「全く新しい枠組み(=統治システム)の産物」と自説をぶ ち上げていただきました方が、スカッとさわやかに、卑弥呼が誰であるのか、よくわか 1 大阪通信 Vol.68 ってくるのではないでしょうか。文献記述に無理やり卑弥呼を探すことは、ナンセンス だと思います。 3)歴史読本編集部『ここまでわかった!「古代」謎の4世紀』新人物文庫 (新人物往来社→中経出版→KADOKAWA…ですから、おそらく出版社名が変わ っています) 三国志魏志東夷伝倭人条、いわゆる魏志倭人伝に、魏への卑弥呼の遣使が西暦23 9年とあります。3世紀ですね。このあとしばらくして、倭人のことが中国正史から消 えます。復活しますのは5世紀、いわゆる「倭の五王」が南宋の皇帝に遣使する記事で すね。間の約100年、倭がどうなっていたのかよくわかっていません。中国の正式記 録に書かれていないからです。謎の4世紀と申します。わからんまま放っておこう…で は、学問になりませんから、4世紀に関する仮説が、考古学の側から積極的に提示され てきました。掘りゃあ分かる…のですが、裏を返しますと、掘ってもわからないとお陀 仏です。文献史学の側からは、それこそ記紀の行間をこじ開けて、少ない記述から大胆 な仮説を提示してきました。以前に紹介しました上垣外憲一さんの『倭人と韓人』(講 談社学術文庫)など、最たるものです。本書はそのようなセンセーショナリズムからは 無縁でありながら、最新の考古学的知見により、4世紀を再構築しようとする試みです。 記紀、河内、首長連合、巨大古墳、沖ノ島祭祀、七支刀、好太王碑文、三角縁神獣鏡、 漢字文化、四道将軍…陳腐ながらも、尽きせぬキーワードですね。もちろん史学である からには、根拠なく論じることはタブーです。しかし謎が深ければ深いほど、面白さが 尽きないモノでもあります。 4)所功『伊勢神宮』講談社学術文庫 つい先年まで「式年遷宮」で盛り上がっておりました伊勢神宮です。雨後の竹の子 のごとく書店にあふれておりました伊勢神宮本も、ようやく落ち着いてきたようですの で、神宮史として一番詳しく、しかもしっかりと書かれていそうな一冊を手に取ってみ ました。初期ヤマト王権の祭祀王が、天照大神(あまてらすおおみかみ)を内宮に、豊 受大神(とようけのおおかみ)を外宮に祭り、豊受は天照の飲食にかしずき、どちらも 二十年に一度遷宮する。内宮に鎮座する主神が、もともと天照であったか疑問を呈する むきもあり、高皇産霊(たかみむすび)に措定する説も根強い。…とまあ、これくらい 知識を下敷きに読んで、十分なボリュームかなと思いました。ついでの話で恐縮ですが、 遷宮に限らず、何かと「盛り上がり狂想曲」が鳴り響いている間は、あれこれ手を出さ ず、指をくわえて待っていることをお勧めします。玉石混交に、一気にドカンと出版さ れた書籍たちも、ブームが下火になるにつれて淘汰されていきます。そうなってもしつ 2 大阪通信 Vol.68 こく本屋の片隅に置かれている一冊こそ、読むべき価値のあるものだとお考えください。 この『伊勢神宮』のように、いぶし銀のような一冊であります。 5)木下正史『飛鳥・藤原の都を掘る』吉川弘文館 奈良国立文化財研究所の考古学者・木下先生が、おもに『明日香風』(あすかかぜ) に発表された論考を集成したものです。小墾田宮(おはりだのみや)、上宮(うえのみ や)、水落遺跡(みずおちいせき)、斉明宮、石神遺跡(いしがみいせき)、斉明の上水 道、蘇我の邸宅、天武皇親の邸宅、古代道路、奥山久米寺(おくやまくめでら)、山田 寺(やまだでら)、大官大寺(だいかんだいじ)…と、飛鳥だけでも、たいへんなてん こ盛りです。このあと藤原京も控えていますから、古代史好きにとっては桃源郷のよう な一冊です。はい、陶淵明(とうえんめい)になった気分です。紹興酒片手に読みたい ものです。…と、甘く見ておりますと、「大官大寺」にガーンと打たれました。飛鳥ウ ォーキング・香具山方面編のウォーキングポイント「大官大寺跡」が、天武朝まで遡れ ないとは初めて知りました。これは文武朝(「もんむ」は天武の孫、聖武の父です)の 「大官大寺」跡だそうです。 「知らんかった…。まだまだや」 。力なくつぶやきながらも、 「人生勉強」と次のページを繰る己の力強さに、少しだけ自誉めしてあげようと思いま した。 6)別冊宝島『白洲次郎という生き方』宝島社 「この国の国民は、叩きのめされると、すぐに尻尾を振りたがる」 。わが民族に対し て、おそらくはこのような蔑視にも似た感情を禁じえなかった統治者が、かつてこの国 にいました。連合国軍総司令部(GHQ)、ダグラス・マッカーサーです。そのマッカ ーサーに正対し、「我々は戦争に負けたに過ぎない。君たちの奴隷になったわけではな い」と言い放った男がいました。戦後日本の復興を背負った元外交官・吉田茂の片腕・ 白洲次郎でした。神戸白洲財閥の御曹司にして、樺山伯爵家の令嬢・正子を妻に持ち、 イギリス・オックスフォード卒、堪能な英語を駆使して、戦後処理をひとえに担った男 でした。口癖は「プリンシプル」。単純明快、原理原則こそが、行動規範だった男です。 理想はカントリージェントルマン、ノーブレス・オブリージェが人生訓でした。かっこ 良いです。白洲のように生きてみたいです。ずっと思ってきただけの小生みたいな輩が、 きっとこの世に一万人くらいいると思います。60歳過ぎたころの白洲が、白いポルシ ェの横にたたずむ写真が残っています。ワルトハムの懐中時計も、ダンヒルのライター も持っていますし(もう煙草をやめましたから、持っているだけですが)、名もないス コッチに目がなかったことまで一緒なのに(白洲は一生飲んでいましたが、私は既に飲 んでいません)、白いフェアレディZの横にたたずんでも、小生、白洲と違いすぎるの 3 大阪通信 Vol.68 は何故でしょうか(笑)。ともあれ、大好きな白洲本、久々にゲットしました。読んで いるだけで、幸せです! 7)童心社『万葉のうた』文:大原富枝、画:岩崎ちひろ 額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおおじ)の有名な相聞歌(そ うもんか)が、『万葉集』にあります。 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる(額田王) 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも (大海人皇子) 額田王が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に奪われてのち、互いに冷めやらぬ 恋心を詠ったものであるといいます。「万葉人は、おおらかなことよ」と。いえいえ、 たしかに万葉人はおおらかであったと思いますが、古代最凶のテロリスト・中大兄には 「おおらか」の「お」の字も無かったと思いますから、こんな歌を詠みあっていては危 険です。自殺行為です。と、私も含め心配な人々が、たくさんいたからでしょうか、こ の歌は近江の狩場で「戯歌」(ざれうた)として詠われたものだと、そんな説が流布さ れております。初老の男女が昔懐かしむ戯歌とは、ずいぶん貶められたものだと、逆に 憤激するまもなく、岩崎さんの挿絵に微笑んでしまいます。あまりに情熱的で、かなり 聡明な女性として描かれることが多かった額田王が、なんと春の野に蝶と戯れているで はありませんか。戯歌でもマジ歌でも、どっちでもよくなりました…はい。『万葉集』 は、岩崎さんと読むべきだったんですね。小生、やっと知るところとなりました。あり がとうございました。 それはさておき、生まれて初めて西武新宿線に乗って、東京の「ちひろ美術館」に 行ってまいりました。小生、童話の挿絵には全く素人ですから妻に教えを乞い、生涯日 本共産党員であられたちひろさんの政治的人生には、妻は全くの門外漢ですから、小生 が教示いたしました。ちひろさんご夫妻のポートレートに、契約結婚されただんなさん が写っておられまして、「この人、だれ?」と聞かれました小生が、ついつい癖で「松 本善明、日共中央!」なんぞとぶっきらぼうに答えてしまい、妻にずいぶん叱られまし た。 「松本善明参議院議員です。日本共産党中央員会委員でいらっしゃいました。」と答 えるべきだったのでしょうか(笑) 。 紙数が尽きました。「現在読破中」 、次回もお楽しみあれ! 4
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