368k - 豊田市郷土資料館

豊田市
郷土資料館
だ よ り
新吉原三浦屋の高尾 頼兼君身請けの図
(館蔵・化粧の道具展にて展示紹介)
目 次
・企画展
館蔵・化粧の道具展
・企画展
猿投山麓の遺跡
・ふるさとの祭事記 ─神楽とちゃらぼこの笛─
・名鉄三河線
猿投 西中金
・日本最初の化学私塾 錦径舎 跡
・平成
年度郷土資料館事業報告
・文化財シリーズ・資料館ニュース
宇都宮三郎補遺
かんざし
いつも美しくありたい…。そう願う女性たちはいつ
髪飾り
こうがい
簪 ・ 笄 ・櫛
の時代もかわりありません。
今回は、郷土資料館収蔵品の中から実際に市域で使
われ、大切に保管されてきた化粧道具・装飾品を展示
紹介します。
化粧するとは身体に直接施す装飾、身を飾る・装う
方法ということができます。しかし、その意味は、時
代とともに変化します。古代では魔よけ・護身といっ
た呪術的なものから、次第に身を飾る意味が強くなっ
ていきました。時代によっては髪形や髪飾りが特定の
階級のみが使えるものであったり階級により服装が決
められていた時代もありました。個人的には美的欲求
を満たす行為であり、個性を確立・保持する行為、個
性を主張する行為でもあります。
展示資料から
鏡
古代の銅鏡は、権力の象徴であり、邪悪なものを跳
ね返す、寄せ付けない、とされて墓に埋葬されるなど
歴史的にみると信仰的な意味をも持っていますが、今
回の展示資料は日常の道具として鏡が使われた時代、
特に江戸時代後期から明治期の鏡です。
浮世絵に描かれた女性を見てください。髪を結った
かんざし
前髪の後ろに櫛をさし、種類の違う 簪 を 本、まげ
こうがい
の左右からは花飾りのついた 笄 がみえます。後ろの
てがら
まげには手絡という布が巻かれ、前髪も同じ柄の布で
結んでいます。簪・笄・櫛どれをとってもオシャレで、
鏡の背面の文様を一つ一つ見て行くと、吉祥文・鶴
亀文・花鳥画文・草木に文字を配置した図様とさまざ
まです。これら鏡の意匠は、着物や工芸品の図柄と共
通し、当時の流行をうかがうことができます。
華やかです。一つ一つの細工が細かく美しい工芸品と
しても見ごたえがあります。簪はとくに種類が多く、
玉簪・花簪・かわり簪・平打簪等と形で分類されてい
ますが、素材の違うものや大きさの違うものなど、流
行や個人の好みによってさまざまなものがあります。
笄は、平安時代には公家の男子の髪を巻きとめたり、
冠を固定したりするためのものでした。江戸時代には
女性が髪を巻きつけてまげを作るために使われました
が、次第に装飾的な意味で使用されるようになってい
き、片端が取り外せるものや両端に装飾が施されたも
のができてきました。
鏡
(左 亀楽字波に亀文
大きさは、
寸
右 鶴亀吉祥文)
寸(約
櫛は、現在も使う道具ですが、江戸時代には多様な
約
)で
種類程度の規格があったといわれ、江戸時代後期には
より大型の
寸(約
)
、 寸(約
流行しました。
)の鏡も作
展示では、お歯黒の道具、元結、かもじ、昭和初期
寸の
に使われた化粧品瓶の他、市内の遺跡から発掘された
られるようになりました。展示では最も大きい
鏡が 枚ほどあります。
まげの流行とともに髪に挿す櫛として、装飾的な櫛が
勾玉や管玉等、古代の装飾品もあわせて展示します。
豊田市では現在までにおよそ
の遺跡が確認され、
県内では豊橋・名古屋・瀬戸に次ぐ数となっています。
中でも、市域北部の猿投地区には
近い遺跡が存在
し、市内で最も遺跡が豊富な地域です。
滝 号墳(御船町)・勘八
墳群(加納町)出土
号墳(勘八町)・寄元古
土器・装身具・武器【初公開】
世紀後半から 世紀前葉にかけて築造された古墳
です。
うえ の だん
企画展
く
猿投山麓の遺跡
は、平成
年度に続
回目の展示となりますが、今回は最近の発掘調査
こ もちまがたま
上ノ段遺跡
(加納町)出土
子持勾玉
親勾玉の背や腹に勾玉形の小突起(子勾玉)を付けた
資料や個人蔵の資料など、特に初公開の資料を中心に
ものを子持勾玉と呼びます。主に
展示しています。主な内容は以下のとおりです。
れたもので、全国で約
世紀につくら
点が確認されています。上
み ふね
御船城跡
(御船町)
出土
市内最古級
(約
まん か
ナイフ形石器【初公開】
ノ段遺跡の子持勾玉は全長
と大型で、県内最大
年前)
の旧石器時代の石器です。 の大きさを誇っています。
だ
万加田・船塚遺跡
(荒井町)
出土
縄文土器・石器・土偶
年前)の集落で、造形色
縄文時代中期後半(約
豊かな土器などが多数出土しました。
ひらすき
花本遺跡
(花本町)
出土
古墳時代中期(約
木製平鋤
年前)の水路脇から出土しま
した。土を掘り起こす道具ですが、現在のスコップと
変わらない姿であることに驚かされます。
かみむか い だ
こ よう
展示会場の様子
上向ィ田古窯
(亀首町)
出土
す
え
き
はに わ
須恵器・埴輪
が とう
【初公開】
昭和 年に猿投町誌編集委員会が調査した窯跡で、
現在のところ西三河では最古の
たて
世紀前半に位置づけ
舞木廃寺・舞木古窯(舞木町)
出土
瓦・瓦塔
世紀後半に建立された舞木廃寺は、市内唯一の国
指定史跡です。平成
年の調査で出土した瓦塔(ミニ
かっちゅう
られます。家・盾・ 甲冑 などをかたどった形象埴輪が
チュアの焼き物の塔)や、平成
年に発見された、舞
多数存在することが特徴です。市内で埴輪を立て並べ
木廃寺の瓦を焼いたと思われる窯の資料があります。
た古墳は多くありませんが、資料を詳細に検討したと
号墳にこの
長い眠りから覚めた遺跡・遺物を、パネル等を用い
窯で焼かれた須恵器・埴輪が供給されていた可能性の
てわかりやすく説明しています。先祖たちの智恵や思
高いことがわかりました。両遺跡の資料を並べて展示
いを感じながら、私たちの現代につながる過去をたど
していますので、じっくり見比べてください。
ってみてください。
ころ、直線距離で
以上離れた青木原
上ノ段遺跡出土の子持勾玉
南から上ノ段遺跡と猿投山をのぞむ
(森
泰通)
むかし、豊田は多くの村に分かれていました。各村
の担当となっていました。お祭りが近づいてくるとピ
には村の神社があり、鎮守の神様として祀られていま
ーヒャラピーヒャラドーンドン 、チャラボコチャン
した。豊田には神明社や八幡社、八柱神社といった神
チャンスチャンチャン
といった笛や太鼓の音にだん
やおよろず
社が多いのですが、八百万の神といわれるようにいろ
だん力が入り、村中に響き渡るようになります。特に
いろな神社があります。神様のご利益によって、春祭
チャラボコ・打ハヤシといわれる祭り囃子は若い衆の
り、夏祭り、秋祭りなどが行われたほか、また雨乞い
面目がかかっており、地域によっては太鼓合戦といわ
などの祈願なども行われていました。
れるような太鼓の打ち比べなどをやるところもありま
こうしたお祭りは、年に一度のことであり、お祭り
した。そうしたところでは隣村には絶対負けられない
とともに行われる奉納・余興は最大の娯楽でした。こ
意地があり、太鼓の張り具合やより大きな太鼓を買う
かぐら
れらを神楽というように、とりわけお祭りを一番楽し
ためにたくさんのお金をかけたようです。
みにしていたのは神様だったのでしょう。お祭りには
けん ば
だ
し
まつり ばや し
か
ぶ
き
神楽のほか献馬や山車、 祭 囃子、歌舞伎など様々な
日本の伝統的な笛には、竜笛・能管・横笛・篠
祭事や芸能が奉納されました。神様に喜んでもらおう
笛・神楽笛・囃子笛などがあります。このうちお
と氏子や若い衆は一生懸命練習しました。
祭りになどの民俗芸能に使われる祭笛は一般的に
豊田の伝統的な神楽には巫女神楽と獅子神楽である
ところの神楽獅子
(嫁獅子)
があります。現在、神楽獅
子を行っているところはなくなりましたが、その痕跡
として獅子頭を残す地域はたくさんあります。
篠笛と呼ばれていますが、豊田や西三河、尾張に
分布するみこ舞に使われる祭笛は神楽笛、神楽の
系統の祭り囃子で使われる祭笛を囃子笛と呼ぶケ
ースが多いようです。
神楽笛の構造は流儀により統一した規格がみら
れますが、囃子笛については神楽笛を流用したも
のから指孔の間隔が不揃いのものまで様々なもの
が見られ、神楽と祭り囃子の歴史を物語るものと
大変興味深いものです。
る
企画展ちゃらぼこ
月
日(土)から開催す
ではこうした笛の数々も
展示しますのでご覧いただきたいと思います。
いろいろな祭笛
巫女神楽
(みこ舞)
豊田には
神楽笛
(市販品)
八草の獅子頭(左が雄、右が雌)
囃子笛
(市販品)
種類の巫女神楽があり、ひとつは神事や
み
こ まい
囃子笛
(手作り)
藤沢 水神囃子
結婚式で行われる神前神楽で巫女舞といわれるもので
す。もうひとつが民俗芸能に分類される里神楽で一般
的にみこ舞といわれ、 巫子舞
舞姫舞
御子舞
囃子笛
(手作り)
八草 八柱太鼓
神子舞
などの文字が充てられる稚児(小学
年
年くらい)の舞です。このふたつの巫女神楽は外見
からは区別がすることがむずかしく、地域でも混同さ
企画展ちゃらぼこ
と き
月 日(土)
月 日(日)
ところ 豊田市棒の手会館 特別展示室
れているのが現状です。みこ舞には巫女的な要素はな
く女児の舞のかわいさをお供えして、神様に楽しんで
もらうものだともいわれています。
ちゃらぼこ大会
と き
月 日(日)
ところ 猿投棒の手ふれあい広場
神楽を始めとして献馬や祭囃子、歌舞伎などお祭り
の奉納祭事は若い衆
(青年会というところもあります。
)
(蟹
一夫)
月末をもって、名鉄三河線の猿投─西中金
現在のようにモータリゼーションの発達していなか
間が廃線となりました。 月 日には終着駅である西
った頃、鉄道はバスとともに近年の地域交通の主役で
レールバスお別れ会 が開かれています。
した。昭和 年代頃までは沿線人口の増加の影響や、
この路線を利用してきた地域の人や鉄道ファンも集ま
通勤・通学者の増加により、この区間の利用者も年々
り、その名残を惜しんでいました。
増加してきました。しかし、山間区域にあって人口の
今年の
中金駅で
少ないこの沿線では、昭和 年代前半から鉄道利用者
が年々減少することになります。このような事情から、
昭和
年には、それまでの電車から経費の安いレール
バスへの運行に替えられました。
三河広瀬貨物輸送量
年
度
発
送
到
着
年度
年度
レールバス
また、かつては沿線で産出された粘土などの貨物輸
年(
)に、当時の三河鉄道
(株)
により刈谷─大浜港間
が営業されたこと
名鉄三河線は大正
送にも大いに活躍していた路線でした。しかし、貨物
輸送も昭和 年に廃止となっています。
により始まります。その後、順次、北部へ延伸され、
大正
年には猿投まで開通しました。その年、三河鉄
この度、名古屋鉄道
道 は足助町までの路線延長方針を樹立し、あわせて、 の 駅名看板
時刻表
駅ホーム表示板
を寄贈していただきました。長い間、市民の足として
既設路線前全線の電化を決定しています。
今回、廃線となった猿投─西中金間は、この北部方
面への延伸計画に沿って、昭和
運賃表
のご好意により、三河広瀬駅
年 月から昭和
年
月にかけて開通しています。しかし、西中金から足
利用され、親しまれてきた地域交通の歴史資料として
大切に保存していくとともに、展示資料として活用さ
せていただきます。
助までの間は足助町追分までの用地買収と路盤造成が
行われたものの、その先の用地買収の難航や不況の影
響により、工事施工期限の延長を繰り返しました。三
河鉄道 が名古屋鉄道に合併された後の昭和 年には
その免許を返上し、ついには開通に至りませんでした。
日あたり乗降客の推移
年
度
三河御船
枝
(人)
下
三河広瀬
西中金
年度
年度
年度
年度
三河広瀬駅
駅舎
[参考文献]
(近代編) 豊田市統計書
(昭和 年、
昭和 、
猿投町誌 豊田市史
昭和
、平成 年版)
特別展
乗り物の歴史─近代豊田の交通─
宇都宮三郎
(
)
は、幕末から明治にかけて
活躍した豊田市ゆかりの化学技術者で、日本の近代化
学の父とも言われる人物です。
せいみ
豊田市郷土資料館では、平成
から化学技術へ
年度に特別展 舎密
を開催し、三郎の生涯と事跡を紹介
しました。しかし準備期間等の限りもあり、特別展の
中では紹介できず、また明らかにできなかった課題が
多く残ってしまいました。特別展終了後、断続的・断
片的ながらそれらの課題に関する情報等を得ることが
あり、館だより
( ・
号)
でも報告してきました。今
(
回は、三郎が明治 年
)
に創設した日本最初の化
錦径舎学則 (名古屋市東山植物園蔵)
きんけいしゃ
学専門の私塾
錦径舎
部分が錦径舎の場所
の跡地について紹介します。
錦径舎が設けられた場所は、元は新庄右近(旗本?)
下の写真は、私用で上京した際に、三郎が出版した
錦径舎学則 (注 )に記載されている地図と、明治
という人物の屋敷で、明治 年(
) 月に三郎が明
期の古絵図、現在の地図を見比べながら、場所を探し
治政府から正式に拝借しています(注 )。しかし、錦
当てて撮影したものです。
径舎学則が刊行されたのは明治
年 月のことなので、
年 月に三郎が明治政府から開成学校
おそらく明治
への出仕を命じられた時から、開成学校に近いこの場
所に移り住んだのでしょう。
(
安政 年
)に尾張藩を脱藩して以来、三郎はそ
の時々に関係した人物の屋敷などに寄宿し、住居を転
々としています。例外的に、元治元年(
)
に幕府奥
ほ しゅう
医師・桂川甫 周 の屋敷の庭に西洋館を建てて自らの住
まいとしますが、幕末の混乱の中でそこにも長くは住
めませんでした。もしかしたら、この屋敷の持ち主で
あった新庄氏と三郎とは、何らかの関係があったのか
錦径舎
もしれません。
跡
いずれにせよ、三郎はこの錦径舎で初めて腰を落ち
この場所の地番は、東京都千代田区神田錦町 丁目
番地です。東京電機大学の西側裏手の向い側にあた
り、最寄りの駅は
御茶ノ水駅です。当時の名残を
留めるものはなく、またそれを示すものもないため、
ここが日本の化学専門私塾発祥の地であることを知る
人はほとんどいないことでしょう。
錦径舎の位置を特定して紹介するのは、今回の館だ
よりが最初になると思っていたのですが、資料を調べ
なおしてみると、残念ながら
(注
明治化学の開拓者
)という本の中で既に現在の場所についての記述
がなされていました。
てい
着け、明治 年に大澤貞と結婚もしています。この結
婚に関して、結婚式当日に媒酌人が嫁を連れて三郎の
家に行ったところ、三郎は化学試験室で実験に熱中し
新婦の出迎えもしなかった、という逸話(注 )が残さ
れています。実際の錦径舎の活動内容などは不明です
が、化学試験室があり三郎が実験をしていたことは推
測できます。
(天野博之)
注 )錦径舎の学則および教授内容などが記載されている
注 )塚原徳道
注
(三省堂)
)幸福寺資料
注 )読売新聞
明治 年 月 日記事
平成 年度郷土資料館事業報告
文化財保護審議会
委員委嘱
(
年 月
日
有・無形民俗文化財保存修理、維持事業補助
(山車修理、山車・囃子・棒の手保存維持、郷土
年間)
の先人顕彰)
審議会開催
(年 回)
猿投神社文化財収蔵庫修理
史跡・展示施設視察研修
(松阪市小津安二郎青春館、宝塚古墳ほか)
豊田・西加茂文化財保護委員研修会
(西尾市岩瀬文庫、吉良町金蓮寺ほか)
文化財防火デー
(如意寺、高月院、六鹿邸)
文化財指定
鈴木正三遺跡
(江戸、山中町恩真寺)
木造阿弥陀如来立像
(鎌倉、加茂川町法興寺蔵)
琴平町のシデコブシ自生地
(市 県指定)
伝統的郷土芸能・神楽
(古瀬間町)
展示
郷土資料館総入館者数
資料調査
人
豊田市史検証・補完、同人物編精査
特別展 白瀬中尉の南極探検
月
日
月 日
史料叢書編集・刊行(鈴村家文書 下巻)
人
月 日
併催事業・体験マイナス
・白瀬中尉ポイントラリー
特別公開
月
企画展
月
企画展
月
名
法興寺阿弥陀如来立像 胎内納入品
日 同月
日
人
月 日
人
月 日
人
棒の手会館 あおりに描かれたオマントの美
月
日
月 日
棒の手会館 劇場若林座
月
日
月 日
松平郷館・常設展 松平の歴史
施設整備等
文化財施設耐震補強工事
(民家、
喜楽亭、又日亭、七州城隅櫓)
岩倉神社舞台トイレ新築
六鹿会館展示場開設
(仮)
産業・くらし資料館改修設計
文化財施設耐震補強設計
(土蔵、丸根城跡東屋)
補助事業
伝統的郷土芸能保存修理、維持事業補助
(チャラボコ、神楽)
埋蔵文化財
曽根遺跡公園整備事前発掘調査
(
月)
(曽根・神明・堂外戸・丸根・伊保遺跡)
出土品整理
又日庵展
日
とよたの祭事記調査映像記録(石野の万灯祭)
緊急発掘・範囲確認調査
(国庫補助市内遺跡)
古代のきらめき 展
日
昭和史資料調査
(敷田・切山・兼近・吉兼・七曲古窯、伊保東古城)
手呂の銅鐸(県指定)
保存修理
古城遺跡発掘調査報告書刊行
史跡整備
曽根遺跡公園整備工事
鈴木正三遺跡(市指定)第 期整備工事
百々貯木場跡(
年度)測量調査
だるま窯測量調査
池田第 号古墳(県指定)用地取得
その他
松平八代歴史サミット( 月)、博物館実習受入れ
夏・春休み歴史体験講座開催
・夏休みこども月間(まがたま作り、土偶作り、
ポイントラリー、金属鋳造実演)
・春休みこども週間
きょうどしりょうかんであそぼう!
総合学習支援、棒の手会館収蔵庫くん蒸
おうけつ
甌穴とは、非常に長期にわた
る川の水の浸食作用によってつ
豊田市王滝町周辺の巴川河床
には、約
にわたって大小
くられたかめ状の穴です。
河床の割れ目やくぼみがある
と、川の水が渦を巻き、くぼみ
個あまりの甌穴が発達して
います。陽にさらされているも
の、水を貯めているもの、らせ
ん状のもの、流水に洗われてい
るものなど、実に様々な形の甌
を大きくしていきます。そのく
ぼみの中に砂や小石が入ると、
渦によって回転しくぼみをいっ
文化財シリーズ
穴を見ることができます。中に
を超すものもあり、
は直径
そう大きく深く掘り下げます。
このようにして甌穴はできていきます。
甌穴ができるためには、河床に岩盤が
おうけつ
巴川の甌穴
(市指定文化財)
露出していることや、川の流れが急なこ
とが条件です。現在甌穴がみられる場所
は、長い間このような条件を維持してきたところとい
えます。
穴の形が崩れかけたものも多くあります。
巴川の甌穴は、昭和 年 月 日に市指
定文化財に指定されました。
市内では王滝渓谷
(歌石園地下流
・仁王川河床)
や平戸橋周辺
(通称弁天岩付近)
でも
甌穴を観察することができます。
資料館
こどもの日によろいをきてみよう!終了
月 日のこどもの日に こどもの日によろいをき
てみよう! を開催しました。これは、鎌倉時代と戦
鎌倉時代の鎧と姫の衣装に大変
人気が集中してしまったため、一
時期 時間以上待ちがでてしまい
国時代の鎧
(レプリカ)
の試着ができるというもので、
今年度で 回目になります。今年は鎧の他にも姫の衣
装の試着もできま
した。
試着の他にも自
分だけのオリジナ
ル貝あわせ作り、
ましたが、試着と挙母城の模型を
バックにしての写真撮影をご家族
で楽しんでいただけたようです。
試着希望者は鎧と姫あわせて
人、当日の入館者は 人と大
変な盛況ぶりでした。
郷土資料館オリジ
ナルよろい作り
豊田史料叢書 鈴村家文書
下
発行
鈴村家文書 中 に続く挙母城下の町屋史料です。
祭礼や車狂言についての記録や、天保 年に起きた
キットを使っての
よろい作りなども
楽しむことができ
ました。
加茂一揆 についての記述のある日記などから、当
時の出来事をうかがうことができます。
郵送販売も行っておりますのでご希望の方は郷土資
料館までお問合せください。
試着の様子
利用案内
豊田市郷土資料館だより
開館時間
休 館 日
平成 年
毎週月曜日
(祝祭日は開館)、年末年始
入 場 料 無料
(ただし特別展開催中は有料となります)
交
通 名鉄 梅坪駅 より南へ
徒歩
愛知環状鉄道 新豊田駅 より北へ
徒歩 分
%再生紙を使用しています
編集 発行
月 日発行
豊田市郷土資料館
徒歩 分
名鉄 豊田市駅 より北へ
100
古紙配合
円
分
豊田市陣中町
(
)
(
@
)