Steven Levitsky and María Victoria Murillo,eds., Argentine

〈書評〉
Steven Levitsky and María Victoria Murillo,eds.
Argentine Democracy: The Politics of
Institutional Weakness.
University Park: Pennsylvania State University Press, 2005*
慶應義塾大学他非常勤講師 廣田 拓
1 .本書の構成と問題提起
本書は、S. レヴィツキーと M. ムリージョの共同編集による13本の論文集であ
る。主たる内容として、まず編者は、明文化されたルールや手続きが実際に施行
される側面(施行性)とそのルールや手続きが安定する側面(安定性)との両面
から導かれた「制度的脆弱性」を中心概念として提示している。次に、各執筆者
がこの概念を受けて、近年のアルゼンチンの個別具体的な政治文脈や政治制度を
分析している。
構成に関して、共同編集者が導入部と第 1 章、さらに結論部を執筆し、各章の
共通のテーマである、アルゼンチンにおける「制度的脆弱性」が政治アクターに
もたらす帰結と影響を論じている。残りの各論文は、大別して以下の 4 つの部分
に分けられている。第 1 部「経済改革の制度、アクター、政治」は、1989年に大
統領に就任し、1990年代を通じて政権を担ったメネム政権の政策決定と政治アク
ター間の政策をめぐる政治過程に焦点を当てている。第 2 部「民主制度の再考」
は、地方の政党ボスが国政議会に及ぼす影響や行政権と司法権(最高裁判所)と
の相互関係を扱っている。第 3 部「アルゼンチンの政治システムの変化と持続」
は、1990年代にメネム政権が断行した経済改革が政党システムに与えた影響と各
政党の対応力の相違を論じ、その結果として見られる代表制の危機の問題を取り
上げている。第 4 部「市民の組織と抗議の出現パターン」においては、一方で、
市民社会が権力のチェックや監視機能を担う「社会的アカウンタビリティ」が論
じられている。他方では、2001年の危機以後もアルゼンチン社会にはクライエン
ティリズム関係が継続して存在していることが指摘されている。
本書の序論部で提示された理論上の論点は、以下の 5 点である。第 1 に、制度
的脆弱性の帰結である。第 2 に、急進的な経済改革と民主主義との緊張関係であ
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Argentine Democracy: The Politics of Institutional Weakness.
る。第 3 に、政党システムの変化と政治的代表制の危機がある。第 4 に、サブナ
ショナルとナショナルレベルとの政治関係である。第 5 に、ポスト・コーポラテ
ィズム時代の国家-社会関係の転換となっている。
2 .内容の概観
本書の主要目的は、アルゼンチンの政治において「制度的脆弱性」がもたらす
帰結や影響を考察することである。序論部において、共同編者にとって制度とは、
政治アクターの行動に制約と可能性を与えるフォーマルかつインフォーマルな人
為的ルールや手続きであるとする。
「制度的脆弱性」は、
「施行性」と「安定性」
の 2 つの側面からみて、明文化されたルールが実際に遵守されず、またそのルー
ルが権力と選好に左右されて変動しやすいことを表す。こうして、「制度的脆弱
性」と政治アクターとの関係に着目すれば、ルールが明文化された通り施行され
ず、安定性を欠くとき、政治アクターは不確定性に直面する。そこで、アクター
の行動は、過去の行動に基づいた期待を見込めない以上、行動の見通しは短期的
になる傾向があると考えられる。以下では、各論を概観したい。
第 1 章で、共同編者はアルゼンチン政治史の中に制度的脆弱性の原因を探って
いる。また筆者らは、1983年以降、数々の経済危機を生き抜いた民主制度の根強
さを指摘する一方で、メネム政権が民主制の下で断行した経済改革の影響を考察
している。さらに、メネム政権以後から2003年のキルチネル政権までを射程に入
れて、アルゼンチンの政治変動を論じている。
第 2 章のスピラーとトマシの共同論文は、マクロ経済政策の不安定性がアクタ
ーに不確定性を与えるため、政治アクターが協力や交渉する余地を欠いて短期的
な政策をとることを指摘している。また、政策の不安定性から、逆にアクターが
堅い政策を選択し(例えば、兌換法)
、それに固執する傾向とその弊害もみている。
第 3 章のエチェメンディ論文は、メネム政権が有力な産業界や労働組合から支
持を得て経済改革のための連合を形成する諸手段を分析している。筆者は、この
政策連合が短期的には経済改革を促すものの、長期的には2001年の経済危機を招
く一因となったと述べている。
第 4 章のイートン論文は、国政議会における州知事や地方の政党ボスの果たす
役割の重要性を分析している。このような地方ボスの権力基盤は、分権的な政党
の構造と選挙制度にある。筆者によれば、メネムは州知事と協定を結び予算分配
で妥協したために、結果として2001年の経済破綻を招く要因を育んだと分析され
ている。
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第 5 章のジョーンズとワンの共同論文は、イートンと同様に地方の政治ボスの
国政議会への影響力を論じている。筆者らの見解から、州の政党ボスは国会議員
の任命やキャリア形成に深く関与するので、国政においても州知事との協力関係
が求められるという。こうして、筆者らは大統領が国政議会で法案を通す際には
州知事の支持を取りつけるために交渉する必要があることを指摘している。
第 6 章のヘルメケ論文は、行政権と司法権との関係を扱っている。筆者は、最
高裁判所の裁判官が制度的脆弱性のために憲法の規定で保証される司法の独立性
を享受することが困難であると論じる。しかし他方で、筆者の指摘によれば、政
権の支持基盤の安定性によっては、裁判官が戦略的に政権との関係から離脱する
ことで政権への反対の意思を表すと同時に、自らの地位の保持を図るといわれて
いる。
第 7 章のトーレ論文は、代表制の危機を分析している。1999年以降、政党シス
テムは危機に陥り、特に、アリアンサ(連合政権)の失敗は、都市に住む教育水
準の高い中間層の非ペロニスタ層に対して反政党感情や政治アクターへの不信感
をもたらした。その一方で、ペロニズムは選挙基盤を維持しているという。こう
して、筆者はアルゼンチンの政党システムは部分崩壊で、都市中間層の非ペロニ
スタ層は有効な代表制の回路を持たず疎外された状態にあると結論づけている。
第 8 章のレヴィツキー論文は、ペロン党の組織自体の制度的脆弱性がもたらす
帰結を論じている。筆者によると、ペロン党には安定し拘束力のある内部のルー
ルがないために政党内での内紛や無秩序に陥りやすい。しかしながら、この政党
内部の流動性こそが、政党の融通性や変化への順応力を促すのであるという。筆
者は、この制度的脆弱性がもたらした融通性に、ペロニズムが新自由主義改革の
中を生存した理由があると論じている。
第 9 章のカルボとムリージョの共同論文は、ペロン党の回復力とペロン党以外
の政党の不利な点を論じている。ペロン党は、より小さく、貧しい周辺部の州に
おいて過度に議員数が代表される選挙制度やクライエンティリズムを利用して国
政議会での多数派を占める。こうして、ペロン党の持続的な選挙の成功は、ネオ
ポピュリズムの台頭を防止している。また、筆者らはペロン党の変化への順応力
によって厳しい経済環境の中でも形式的には民主主義が維持されることを示して
いる。
第10章のペルソッティ論文は、都市の中間層による権利志向の市民運動や権力
の乱用を監視するメディアが、法治および説明責任を促すという「社会的アカウ
ンタビリティ」を論じている。他方で、第11章のアウジェーロ論文は、失業者や
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下層の労働者を中心とした抗議運動や組織化の背景にも、相変わらずクライエン
ティリズム・ネットワークの伝統が息づいていることを示唆している。
結論部では、共同編者は既存の政治制度論に対して、「制度的脆弱性」概念の
有効性を示している。また、編者はこの「制度的脆弱性」がもたらす政治アクタ
ーへの影響や脆弱性の原因も探っている。以上から、本書はアルゼンチンの個別
事例を分析しながらも比較の視座を開くという付加価値があるといえる。
3 .本書の意義と問題点
本書の意義は以下の諸点にある。第 1 に、
「制度的脆弱性」概念の利点がある。
既存の制度論では、制度の導入は、制度それ自体が安定的に施行されることを自
明の前提としている。これに対して、「制度的脆弱性」概念を用いると、われわ
れは、制度がいかに機能して、政治アクターの期待と行動にどのような影響を与
えているかなどを考慮して、制度の強弱の程度に応じたバリエーションが見出せ
るのである。
第 2 に、「制度的脆弱性」を単純にネガティブな捉え方をしない見方がある。
つまり、「制度的脆弱性」が政治や政治アクターにもたらすネガティブな影響は、
同時に生じるポジティブな影響で相互補完されるという点である。各論考が示す
ように、「制度的な脆弱性」が政治やアクター間に必ずしもネガティブな影響ば
かりを及ぼすものではない。確かに、制度的脆弱性は、アクター間の短期的な妥
協に陥りやすく、長期的な展望の下での政策形成や協力関係、さらには信頼を育
む調整メカニズムを構築することが困難である。しかし、制度の脆弱性ゆえにア
クターは変化に迅速に、そしてフレキシブルに順応できるのである。加えて、ア
クターが自由な裁量で既存のルールや手続きにとらわれない革新的な対応策を講
じる可能性も生じるのである。危機の渦中も支持基盤を維持したペロン党の回復
や社会的アカウンタビリティの事例は、制度の脆弱性を相互補完するインフォー
マルな制度や対応の有効性を表している。
次に、問題点を指摘したい。第 1 に、「制度」に関する一面的な考え方と制度
に関与する利害関係者の範囲の問題がある。本書の制度は、アクターの行動に課
されるパターン化された制約というものである。この考え方の背景には、自律し
た個人が自らの外部に制度を認知するという立場があり、それゆえに個人の存在、
個人の価値や選好が制度以前に先験的に存在するという想定である。この観点か
らは、人は自らの相互作用を成立させるためにルールを考案するとされる。しか
し、その際に制度生成の論理が、利害関係者として同一視されたアクターの考え
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る制度の効用や機能に限定されないだろうか? それでは、制度に関する異なる考え方をみよう。もし個人に先立って慣習や規
範として制度が所与のものとして存在し、個人は、そもそも価値や選好の面で既
に一定の制度の影響を帯びている存在であるという考え方があるならば、制度は
アクターの現実理解や行動を意味付けるものと理解される。この場合の制度は、
現実を解釈する上での個人の認知構造の枠組み(認知フレーム)となる。よって、
本書で制度を考察する際には、合理的なアクターによる外部からの制約としての
ルール設定という見方以外の制度概念を考慮する余地がなかったのだろうか?
評者の考えでは、制度とは規範を内面化させることでアクターに利害関係者の
利害に反するような行動の選択を制約するようなメカニズムとして捉える。この
考え方では、制度やアクターだけではなく利害関係者をも組み込める利点がある。
例えば、政治制度を考える場合も、制度に直接的に関与する政治アクターに限定
することなく、制度の外部に位置する利害関係者として国民や政党支持者なども
範囲を広げて考慮に入れられるのではないだろうか。本書の制度概念に欠けてい
るのは、制度概念の精緻化という点と、同時に制度に関与する政治アクターと利
害関係者を同一視したり、利害関係者の範囲を狭く限定している点にある。
第 2 の問題点は、個別の制度間の関係性という視点である。個々の制度的脆弱
性が、複数の制度間の相互補完関係から制度群の全体の中で安定性をもたらすの
ではないか? 例えば、法治の欠如、三権による権力のチェック機能の不全、行
政権の肥大、ペロン党優位の選挙制度などのネガティブな要素の連鎖関係から市
民社会に「社会的アカウンタビリティ」が生まれたり、大統領が司法の独立性を
確保したり、法治の徹底を図る上で人権擁護を実践することがある。つまり、個
別の制度の脆弱性は、全体としての(あるいは複数の)制度間の脆弱性を関係さ
せると、アクターがむしろ制度を安定させる措置を講じるということである。評
者としては、個々の制度が必ずしも独立して成立しているのではなく、同じ政治
文脈の中で異なる複数の制度の脆弱性を利用した共存関係があるという点により
注目すべきであったと考えている。
参考文献
河野勝 『社会科学の理論とモデル 12 制度』、東京大学出版会、2002年
Levitsky, S. 2003 Transforming labor-based parties in Latin America: Aregentine Peronism in
comparative perspective. New York: Cambridge University Press.
* 本書評を作成するにあたり、 2 名の匿名査読者から頂いた指摘・示唆に感謝致します。
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