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第2回 科学と美術:知覚を疑え! 三嶋博之 はじめに 今日は「見えない

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第2回
とにかく、皆さんが今ここで見えていることというのが、
科学と美術:知覚を疑え!
未来や過去とつながっている。それを皆さんは、
「今ここ」
三嶋博之
で知覚できていて、多少未来のことや多少過去のことも、
記憶や推測に頼らなくてもわかる、直接わかると。こう
いうことを専門的には「直接知覚(direct perception)」
はじめに
という言葉でいいます。未来や過去がダイレクトにパー
今日は「見えないことがミエルこと」というタイトル
シーブ(perceive=知覚)されるという話なのです。ち
でお話をしたいと思って用意してきました。この話が、
ょっと無理な話のように聞こえるかもしれませんが、ま
直接、今日のテーマ「知覚を疑え!」やその作品とつな
んざら無理ではないということを、あとでご覧いただく
がるのかどうか、深いところではつながっているつもり
フィルムで実感していただこうと思います。
なのですが、それはもしかすると最後になるまでわから
それから、こういう問題もあるのです。今、未来や過
ないかもしれません。どうかしばらくの間、おつきあい
去というお話をしましたが、この世界は奥行きがある、
ください。
3次元であるということは皆さんわかっています。とこ
私の専門は生態的な心理学、生態心理学、英語で「エ
ろが、目というのは、目の内側のちょうど目をのぞき込
コロジカル・サイコロジー」とよばれているものです。
んだときに真正面に見えるところがスクリーンになって
なかでも知覚、知ったり、わかったりすることですね、
いまして、そこに光に反応する細胞がずっと敷きつめら
こういったことがどうしてできるのかということを、人
れているのです。これを「網膜」と言います。そこに光
間の心理の面から明らかにしようということを専門にや
のイメージが結像することで、皆さんは目で光を見るこ
っています。
とができるということになるのですが、これは残念なが
さて、私たちは、実は今見えているもの以上のことに
ら「2次元」のスクリーンなのです。ですから、どんな
ついてわかっています。このことを、皆さんもご自身の
に奥行きのあるものでも、いったんそこに投影されてし
経験から知っていると思います。今、皆さんの目に入っ
まうと、奥行きというのはつぶれてしまって見えないと
てくる光について考えましょう。この部屋はだいぶ薄暗
いうことが起こる。
くなっていますが、この部屋の様子はわかりますね。今、
この問題はずいぶん昔、ケプラーとかデカルトの時代
皆さんの目には、天井にある光源からの光が、何回跳ね
から気づかれていて、「どうして奥行きの情報はないはず
返ったかわかりませんが、数え切れないぐらいこの部屋
なのに、私たちは奥行きの感覚があるのか」ということ
の中にある表面に反響して、結果的に皆さんの目の中に
で論争がありました。ところが、実感として私たちは奥
飛び込んできています。それが、皆さんがこの部屋を見
行きがわかる。つまり、2次元のものが3次元に見える
ることができていることの理由です。
「今」この部屋を満
ということは、失われた奥行きの次元という見えていな
たしている光が、「今まさに」皆さんの目を刺激している
いはずのものが見えている、ということです。それはど
というわけです。
うしてだろうということも含めてお話ししたいと思いま
でも、考えてみると、今ここで目に入ってくる光線が
す。
見せている現在のこの部屋の様子だけではなくて、ちょ
あと、私のことについてご紹介いただいた中で「アフ
っと先のこととかちょっと過去のこと、例えば、皆さん
ォーダンス」という言葉が出てきたと思いますが、今日
はこの部屋に入ってくる前に扉を通り抜けて外から入っ
は「アフォーダンスとは何か」という話を直接的にはお
てきたわけですが、そういうこともわかっているわけで
話ししません。ただ、アフォーダンスという言葉につい
すね。未来のことは推測されるからわかるのだ、過去の
て、若干の説明と今日の話との関連はお話ししておくべ
ことは覚えて記憶されているからわかるのだと考えるの
きかなと思いますので、今ここでしたいと思います。
が常識です。しかし、必ずしもそうとは言えないという
「アフォーダンス」という言葉は、ジェームズ・ギブ
ことを、つまり、過去や未来のことも知覚されている、
ソンという人が提唱したものです。心理学の中では比較
ある意味「ミエテイル」ということを、今日は非常に古
的新しい概念で、最近それがちょっと見直されてきてい
い実験のデモンストレーションをご覧いただくことで理
て、デザインや建築、あるいは人工知能など、心理学そ
解していただけたらと思います。
のものではないのだけれど関連はしているような領域で
今日は見えていることでお話をしますが、例えば聞こ
えていることや触っていることもそうかもしれません。
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も注目されています。
簡単に定義しますと、アフォーダンスというのは「環
境の意味や価値」あるいは「行為の可能性」のことなの
といって外の世界がなくなったとは思わない。
「覚えてい
です。どういうことかというと、アフォーダンスとは
るからあたりまえじゃないの」と思うかもしれませんが、
「何々できる」ということで、アフォーダンスが知覚され
例えば窓の外の景色を見ているとき、窓枠に切り取られ
ると言ったときには、それは「何々できるということが
た景色が見えている。このときに切り取られた外の世界、
わかる」ということです。例えば、「椅子のアフォーダン
窓枠の外側の世界がなくなってしまったとか、窓側の内
ス」というのがあったとしましょう。それは、つまり、
側に見える世界しかないとかは思わない。これは結構不
「座ることができる」というような、性質ということです。
思議な話なのです。
一つめのポイントは、椅子のどの「部分」を探してもそ
それから、網膜という、眼球の内側にある光を感知す
のようなアフォーダンスを探すことはできないというこ
る細胞のスクリーンに、例えば立体のオブジェクト、人
とです。椅子総体としての性質であるということですね。
間でも木でも動物でも何でもいいですが、これが映され
そしてもう一つのポイントは、それは知覚者との関係で
るとつぶれた形になってしまう。けれども、私たちは世
決まるということです。大きな椅子は、小さい子どもに
界の奥行きを知覚するということが起こります。
とっては、むしろ「机」としての機能を提供するという
これは、私たちが「見えない」世界の部分、窓枠の外
ことはよくあることです。総体としての対象に、私たち
とかといったことについて、「見えない」のだけれども
知覚者がどういった行為を仕掛けるのか、そういうこと
「ミエテイル」ということと原理は同じなのかもしれない。
が知覚されるというのがアフォーダンス知覚の議論なの
窓枠の外の世界は、「想像している」からあると「思う」
です。
のではなくて、確かに「ミエテイル」という感じがある。
これを、もう少し違う言い方をすると、「今なされてい
幻覚や妄想、夢などとは明らかに区別できると思いませ
ない行為が将来できるということが今わかる」というこ
んか。夢の中で見ていることと現実とがどうして混同さ
となのです。これは「見えていないことがミエル」とい
れないのか。私たちが今この会場にいて「外の世界が見
うことと似ていませんか。今ここにある、まさに今の
えている」と思ったことと、夢の中で「外の世界が見え
「見たまま」としてわかること以外のこと、何かできるか
ている」ということは違いますよね。もし、どちらも私
もしれないということが今わかるというのが、アフォー
たちが外の世界について想像している、思っているから
ダンスの不思議なところです。
わかるのだということであれば、幻覚と現実の外の世界
というわけで、ちょっとだまされたような気がしたか
の想起、思い出すことというのは区別できないはずです。
もしれませんが、アフォーダンスの知覚ということを考
しかし、皆さんはできている。それは理由があるのでは
えるときに、「見えないことがミエル」ということ、今か
ないか。ただし、見えない。ややこしいのですが、知覚
らお話しするようなことを知っておくということが非常
的に「ミエテイル」けれども光のエネルギーとしては見
に重要です。これは、アフォーダンスという概念の提唱
えていない。では、世界がなぜ「ミエル」のか。
者、ジェームズ・ギブソンがたどった道筋をもう一度た
どるということとも対応しています。
今からご紹介する知覚の実験は、1950年代、60年代に
そういうことで、知覚心理学の伝統理論を疑ってみよ
うと。この話だけすると大学の授業の半期15回がつぶ
れるような内容ですので、非常に簡単にいきますが、伝
行われたものです。ジェームズ・ギブソンは1979年まで
統的な知覚心理学では、「知覚(知ること・わかること)
生きるのですが、アフォーダンスという概念はその中期
というのは感覚に基づいている」と考えられています。
ごろから温めていて、明確に打ち出すのは晩年です。そ
これはきわめてあたりまえの文章です。これは普通多く
のアフォーダンスという概念がギブソンの中で熟成して
の大学の基礎の心理学の授業で、あたりまえのように教
いくときの基礎になり、あるいはそれを支えた実験、あ
えられています。これは、「感覚主義(センセーショナリ
るいはその結果というものを皆さんに今日ご紹介します。
ズム)」とよばれているようなタイプの伝統なのです。
そういったことをとおしてアフォーダンスという概念が
わかるための土台を作ってみたいと思います。
難しいのでもう少しきちんと言うと、例えば、皆さん
は今たぶん飲み物を後ろの台から取っていただいたかと
思います。そのときに、
「コップの中に入ったお茶」を知
窓の外の世界が「ミエル」?
覚しているわけですね。これが「コップの中に入ったお
「見えないことがミエル?」
。何か変な言葉だけれども
茶である」というふうに、その存在自体が総体として特
どういうことだろう。私たちは家の中にいても、オフィ
定できることが知覚だとすると、それがどのような感覚
スの中にいても、この会場の中にいても、見えないから
要素からできているかということ、例えば「ちょっと冷
三嶋 博之
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たい」「でも、コップが何かふにゃふにゃして軟らかい」
れたものがあるかどうかということは、いつもは言えな
「だから、陶器のコップではないのだ」などという細かい
いですね。あるかもしれないし、ないかもしれない。で
感覚、軟らかい、熱い、冷たい、ツルツルしている、そ
すから、この見えない領域も普通は存在しつづけている
ういった非常に要素的な感覚というのがベースになって、
よという、その一般的な知識は必ずしも成り立たないか
知覚というものが構成されていると考えるのが伝統的な
もしれない。でも、いずれにせよ、そういった場合は例
知覚の理論です。こまかい感覚要素がまずあって、それ
外を考えればいいということにしておいて、こういった
が組み合わされることによって知覚ができる、というの
ところは想像に頼っているのだという話をするのが伝統
が伝統理論なのです。「そんなのあたりまえじゃないの」
的な理論です。
と思うかもしれないけれども、それが必ずしもそうとは
言えない。
ギブソンの疑い
「感覚主義」とは、例えば目の場合でいうと、目に入
しかし、この考え方は違うよと言った心理学者がいま
る光のエネルギーが目を刺激し、それによって知覚が生
した。この人の名前がジェームズ・ギブソンという人で
じるという、とても「常識的」な考え方です。例えば音、
す。先程お話ししたアフォーダンスという理論の提唱者
光、熱といった要素的な刺激に対し、それぞれのエネル
です。簡単にプロフィールの説明しましょう。生まれは
ギーに固有の特別な受容器(センサー)
、例えば、熱さを
アメリカのオハイオ州です。ギブソンは生態心理学とい
感じる感覚受容器や光を感じる感覚受容器、物理的な刺
う領域をつくったのですが、実は、生態心理学といわれ
激と対応した感覚の受容器があって、そのセンサーの出
ている領域は別にもあって、ロジャー・ベーカー
力が中枢神経、例えば脳などへ行って統合され、ここで
(Roger Barker)という人がこういう名前で彼自身の領
世界のイメージができる。そのイメージを見ることとい
域のことを言っていたのですが、それとはまた別のもの
うのが知覚であり、認識である、足りない部分や統合す
です。そのロジャー・ベーカーの生態心理学とギブソン
るやり方は記憶などで補う、これが「感覚主義」なので
の生態心理学は違うものだと覚えておいてください。
す。
ギブソンはアフォーダンスという概念の提唱者で、代
この考えでは、当然、エネルギーと知覚が、感覚を介
表的な本が『知覚システムとしての諸感覚』(2004年に
して対応しているので、エネルギーがないところでは知
東京大学出版会より邦訳が刊行予定)や、
『生態学的視覚
覚は生じないということになります。ですから、皆さんが
論』(1979年オリジナルの英語版が出版、日本語版が
今この部屋にいるときには、この部屋の中のエネルギー
1985年にサイエンス社から出版)です。ほかにも論文も
しか知覚していないので、外の世界は壁で遮断されてい
たくさん書いているのですが、本としてはこの2冊が重
ますから、外の世界の知覚は起こらない。それはただ想
要です。実は全部で3冊書いているのですが、1950年代
像するだけ、ということになります。
に書かれた本は、本人が「あれは失敗」と思っているの
例えば、障害物があって、動物がいた。障害物の裏側
で、今ここでは紹介しないことにします。1979年12月11
というのは見えない領域だから、ここは想像するしかな
日に亡くなりました。世界大戦のころは、飛行機のパイ
い。つまり、見えないからといって世界がなくなってい
ロットの教育映画を作る仕事をしていました。ギブソン
るわけではないという事前の知識を私たちは持っていて、
はかなり若いころから耳が聞こえなくなってしまって、
その知識で見えない領域を補っている。こういう考え方
補聴器をつけて片耳がかろうじて聞こえるかどうかだっ
なのです。でも、隠れて見えない領域の向こうに常に隠
たそうです。人と話していて、だんだん話がつまらなく
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なると補聴器の電源を切ったという話も伝わっています。
です。このガラスの板は上下左右、あるいはぐるっと回
かなり頑固な人だったそうです。
ったり、場合によっていろいろな動きができるようにし
ギブソンは何をしたかという話に戻ります。彼は「刺
激は知覚の原因ではない」と言いました。これは「知覚
ます。そして、このガラス板の上にいろいろな模様をつ
けてみます。
は感覚に基づかない」というとてもラディカルな主張で
どんな模様をつけるかというのは実験の目的によって
す。ここで、まず、感覚と刺激との関係について、確認
変えます。例えばランダムなパターンをつけたいとき、
しておきましょう。確かに、感覚というのは刺激に基づ
今日、会場にカールステン・ニコライの≪ミルク≫の写
いています。例えば、肌が蚊に刺された。チクッとかし
真がありますね。ああいったパターン、模様のことを
ますね。場所によってしたりしなかったりするのは、蚊
「肌理」といいますが、あの「肌理」は、パターンがない
が刺したときにちょうど感覚のセンサーに当たったかど
ようである、あるようでないというもので、そういった
うかということで感じたり感じなかったりするのですが、
ものを作りたいときに簡単な方法は、絵の具を投げつけ
要は、とにかくチクッとしたり、熱いと思ったり、冷た
るとかだと思います。絵の具を筆につけて振り回したり、
いと思ったりということは確かに感覚として私たちは持
パウダーをガラス板に振りかけて定着させたりして、ガ
っていて、それは刺激に基づいている。これは確かであ
ラスの面にパターンを作ってみます。そのパターンので
って、ギブソンも否定しないのです。そうではなくて、
きたガラスの板をある特別な方法で動かすと、その影が
例えば熱い、冷たい、寒いといったごく単純な感覚以上
ちょうど影絵のようにスクリーンに映る。それを見て被
の「知覚」、例えば、今持っているのがペットボトルかど
験者の人はどう思うか、どう感じるかというのを調べて
うかいうことがわかるということは感覚に基づいてはい
みます。
ないのだ、と。これも変な話に聞こえるかもしれません
が、そういう主張をします。
ギブソンはさまざまな実験データに基づいて刺激が知
覚の原因にはならないと主張した。この実験を今からた
「隠された」という情報
さっそくですが、フィルムの紹介をしたいと思います
(図1)。
くさん紹介します。このときに使われたのはフィルム映
2つ表面があります。この表面は、止まった状態だと
像です。その映像を被験者に見せるのです。今は映像の
どちらが手前にあるのかわからないわけですね。それで、
技術が非常に進歩していますので、どんな映像でも時間
もしこの状態でどちらが近いかと聞かれたら、皆さんは
さえかければ、あるいは手間とお金さえかければコンピ
どうやって答えるでしょうか。普通は大きく見えるもの
ュータ・グラフィックスで作れますが、当時はそんなこ
は近くにあって、小さく見えるものは遠くにあるという
とは到底できなかった。しかし、結構いい道具があって、
法則性が何となく成り立っているはずなので、大きく見
これを使えばギブソンがやりたかったことができたので
える面が手前にあると思われるでしょうか。けれども、
す(図0)。
このような推測は、今大きく見えたり小さく見えたりし
まず、被験者と点光源(ランプ)の間に半透明のスク
ているその2つのものが、実は同じ大きさなのだという
リーンを置きます。そうすると、光源から来た光がスク
ことを事前に知識として持っていないと、成り立ちませ
リーンに映って、被験者はそれを見ることができます。
ん。そして、実際の世界には様々な大きさのものがたく
ここで、スクリーンと光源との間にガラスの板を置いて
さんありますから、このような推論にもとづいた判断は、
みます。これは1枚だったり2枚以上だったりいろいろ
ほとんど当てずっぽうと変わらないことになります。と
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三嶋 博之
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ころが、このフィルムが動いていった時、そういう事前
いう情報になるのです。ですから、2つの表面が重なっ
の知識などなくても、どちらの表面がどちらの表面の前
た状態で静止していると1枚の面にしか見えない。とこ
にきたかというのがすぐわかります。
ろが動いているときだけ、これらの表面が2つに分離し
これは、隠したり隠されたりするときは、隠している
側が手前にあるという単純な事実なのですが、これは実
は1つの重要な発見なのです。
た存在であるということがわかります。
これは1968年に撮られたヴィデオです。このフィルム
は非常に貴重なフィルムのコピーですが、古いこともあ
もう1つ、すごく重要なことを言います。それは、こ
り、今や、専門家でもあまり見たことのある人はいない
ちらの小さい方がこの大きい方に潜ったからといって、
と言われています。私も今年の夏に初めて見ました。そ
この小さい方の表面が「なくなってしまった」とは思わ
ういうちょっとした歴史的な価値のあるフィルムでもあ
ないということです。あくまで「隠された」と思うとい
るということも知っておいていただきたいと思います。
うのがポイントなのですね。
この実験で起こっていることを、もう少しきちんとお
感覚主義の知覚の理論だと、大きい表面の後ろ側に小
話ししましょう。まず、このフィルムで起こっているこ
さい表面が行くと、それは小さい表面からはね返ってく
とは、
「肌理の削除」です。どうやら、面の進行方向前端
る光、この場合はプロジェクターから出ている強い光が
に見えるエッジ(縁)のところで「肌理の削除」が起こ
皆さんの目に届かないわけですから、ここにはもう感覚
っていると、その削除される側の表面というのは、奥に
はないわけです。つまり、感覚主義に基づけば知覚もな
あるように見える、隠されていくように見えるという視
いはずです。だから「ある」ということは推論、あるい
覚の法則性があるのです。
は想像されるのみであるということになります。しかし、
これは皆さんがどんなところでも見ているはずのもの
皆さんはおそらく想像している、というような印象より
です。立っていて、すぐ前にある机の向こう側の縁から
も強く、確かにこの小さい方の表面は隠されただけで、
床を見る。そういうときに座ったりすると、床の表面が
なくなってはいないと思ったはずです。
机のエッジによって削除されていく。そういった「肌理
もし隠された瞬間にこの会場に入ってきた人が、今度
は小さな表面が出てきた瞬間を見た場合には、
「この表面
の削除」が下に潜り込んでいく表面というものを見せる。
そういう情報になっているわけです。
は昔からあった」と思うはずです。隠れていただけで昔
出てくる場合。今度は「肌理」が削除されているので
からあった。これは、今まで「記憶」という言葉で語ら
はなくて、付け加えられる。動く表面の後端で「肌理」
れていた領域の話です。しかし、それは「ミエテイル」。
がどんどん生まれてくる。これを「肌理の添加」と言い
ややこしいですが、見た目の形態としては「見えていな
ます。どんどん生まれてくる「肌理」を見ると、それは
かった」けれども、「ミエテイル」。
潜り込んでいたものが出てくるというふうに見えます。
フィルムの動きを止めると2つの表面は同化します
しかも、ずっと前からあったというふうに知覚されます。
(図2)。一つの凸型の表面にしか見えなくなってしまう。
今見ているのは今のこの瞬間の光でしかないのだけれど
これが3つ目のポイントです。最初から、小さい方の面
も、昔からあったという情報がミエルというのは不思議
と大きい方の面とにはランダムな「肌理」がありました。
な話ですね。
このランダムな「肌理」は、それぞれ相対的に止まって、
次の例をご覧ください(図3)。円盤が出てきて、止ま
つまり、この黒い点々どうしの位置関係が変わらない状
って、戻って、また入っていく。ここで大事なのは、円
態だと、これはこの面が剛体である、硬い表面であると
盤が隠れていくときに円盤が失われたとは思わないとい
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うことです。あくまでも「隠された」と思うはずです。
ものは、実は光のパターンでしかないのです。
「隠された」という言葉の意味は、「あるのだけれども今
ニコライの≪ミルク≫でも、それはミルクを写したも
見えない場所にある」ということです。今、
「ある」とい
のなのですが、止まっている状態で、写真として固定さ
う言葉を2回繰り返しましたね。今は見えないだけで、
れていると、ミルクと言われなければ、一つ一つの「肌
どこかにあるのだということを含意している言葉、そう
理」はツルツルした細かく分割された何かの表面としか
いう意味のある言葉というのは「隠されている」
「隠れて
見えないですね。ですから、硬さ、軟らかさとか、ある
いる」という言葉です。これは、なくなってしまったと
いは剛体とか液体とかということは、その物質が何であ
いうのとは全く別の話です。存在しているのだけれども
るかということによって見ているわけではなくて、その
見えない、それがただ「隠されている」という言葉です。
逆に、その「肌理」がどのように運動しているかという
ここで皆さんが見ているのは「隠されていた」ものが出
ことで、剛体性とか、液体性とか、弾性とか、あるいは
てきた。そしてまた「隠れて」そしてまた出てきたとい
その材質が何かといったことがわかるのです。
うことなのです。
ギブソンの実験はこのように、どういった情報がどう
しかも、円盤が隠れていったように見えるところは何
いった印象を与えるかということを非常に実験的に絞り
もなくて真っ暗です。そこは光のエネルギーがない状態、
込んで提示した。それで実際どう見えるかを調べること
真っ暗だと思ってください。そうすると、感覚主義の理
によって、私たちがどういう情報を使って認識というも
論によれば、ここはつまり何もないということになるは
のが行われているのか、それを調べるという実験だった
ずなのです。ところが、こちら側の、つまり動く円盤の
のです。この事例は非常に大事な研究です。なかったも
削られていく様子によって、それと相補的に何もないと
のがあるように見えて、見えないものがやはりあるよう
ころに何かがあるように見える。ここに何かがある、ト
に見えることが、表面のパターンの特別な変形によって
ンネルみたいな、ポケットみたいなものがある、そこに
起こるのです。
吸い込まれていくのだと。
これまでのフィルムで経験されることをもう一回まと
これの現象自体を発見したのはギブソン本人ではなく
めましょう。スクリーン上に投影された光の濃淡のイメ
てミショットという人なのですが、そのミショットとい
ージは、真っ平らで2次元的なものなのだけれども、そ
う人をギブソンは大変高く評価していて、その人の実験
こに、ある特別な変化があれば、前後関係が知覚される。
を自分なりに解釈してこういったことを言っています。
ある特別な変化というのは、表面にある「肌理」の添加
この「ないのだけれどもあるように見える切り込み」の
や削除がある法則的な独特なやり方で行われていること
ことを「フェノメノロジカル・スリット(現象学的切り
で、そのときには前後関係が知覚される。なおかつ、
「後
込み)」といいます。これは物質的にはないのだけれども、
ろ」にある面は「隠された」と知覚される。なくなった
現象として見えるということを意味しています。ただ、
とは思わない。消失したとは知覚されない。すなわち、
そのフェノメノロジカル・スリットというのは何も特別
見えないけれども存在すると知覚される。
なものではなくて、実はこの円盤さえ実際はないもので、
おさらいです。知覚の伝統理論はどうであったかとい
現象としてあるだけなのです。なぜかというと、これは
うと、光のないところに刺激はない。刺激のないところ
光のパターンでしかないからです。実験装置を思い出し
に感覚はないし、結果として知覚はない。刺激がないと
てください。ここであたかも硬いような、硬いかどうか
ころの認識は、つまり原因のない認識ということだから、
はわかりませんが、まとまった表面としてしか見えない
それは推論によってのみ可能である。少ない手がかりで
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三嶋 博之
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足りないところを補うために想像するプロセス、これが
側に倒れた表面、つまり床みたいなもの、あるいは上り
推論である、と。
坂みたいなものとして見えませんか。
ただし、この場合だと、思い浮かべるということが、
これは原理を説明しますと、画面の上側がゆっくり、
今起きている自分が現実世界を思い浮かべているのか、
下側が速く動いています。そういう「肌理」の流動のし
寝ている自分、あるいはアルコールを飲んでいたり薬を
かた、下側が速い、上にいくにつれてだんだんゆっくり
飲んでいたりしている自分が思い浮かべているのかとい
いうふうに動くようにしておくと、それを見る私たちは
うのが、原理的に区別できないということになります。
向こう側に倒れた表面というものを見るのです。
これは非常に不安です。ところが、ギブソンの知覚理論
今度、こんなのも見ていただきましょう(図4)。もう
はもっとシンプルです。「隠される」という現象には、そ
一回1968年のフィルムに戻ります。このように、光とし
れと対応した「隠される」ことの情報があるのだ、「なく
ては全部スクリーンという同一平面で起こっていること
なる」ことには「なくなる」情報があるのだと。このよ
でしかないのですが、画面中央の影の部分が周囲の「肌
うな情報、
「隠れている」のか「なくなっている」のかと
理」をだんだん削除しながら拡大していくということが
いうのは、
「肌理」の添加や削除のされ方というところで
起こると、それは影の部分が近づいてくる、近づいてく
確かに分けられるということをギブソンは言ったのです。
る物体がある、ということの情報になるのです。
奥行きの知覚
ちらに飛んでくるようなものがあって、思わずよけたり
テレビのコマーシャルなどでたまにゴルフボールがこ
これは別のフィルムです。これは先程のものよりも10
したことはないですか。あれは正しい反応です。例えば、
年ほど古いものです。ここでは、奥行き感というのが空
映像の真ん中に頭が来るようにだれかに立ってもらって、
間に見られます。そのときに、「肌理」の運動のしかたと
この映像を映したとしますね。重心の動揺がわかるよう
いうのが非常に重要です。
な特別な装置をつけて、その人の動きを観察していると、
止まっていると、ただの平面、大理石の表面にしか見
えません。このフィルムを持ってきてくれたのはウィリ
これが近づいてくると、どんなにがんばっても体はよけ
ようとします。重心動揺のセンサーにちゃんと現れます。
アム・メイス(William Mace)という国際生態心理学会
先程のものは、全体のフィールドが視野だとして、そ
のディレクターをしている人です。その人の話では、ガ
の全体は変わらない。その場合は全体、つまり背景に相
ラス表面にパウダーを振りまいてこういった模様を作っ
当する部分は動かず、しかしそれが削除されていくと、
たということです。これを動かしてみます。空間感とで
何か小さいものが近づいてきたというふうに思うのです
もいうのでしょうか、広がりが知覚されると思います。
が、そうではなくて、視野全体の肌理が動くとどうなる
この仕掛けがどうなっているかというと、スクリーンと
かというと、何か壁のようなものが遠ざかったり、近づ
点光源の間に複数枚のガラスを置いて、そのガラスには
いたりするというふうに見えるのです。それはつまり、
パウダーで「肌理」がつけられています。それを異なる
自分が動いているということかもしれません。今、この
速度で、ただし、ある一定の速度の差が出るようにして
スクリーンだと非常に狭い視野に相当する部分でしかな
動かすと、
「肌理」の運動の速いところとゆっくりしたと
いので、なかなか実感できないのですが、通常、視野の
ころが出てきて、それが私たちに奥行きを見せていると
全体の流動が起こるということは、自分が動いていると
いうことがわかったのです。
いうことになります。視野の全体があまり動いていない
次のフィルムです。この場合、下が手前、奥が向こう
4
24
のだけれども、その一部分が何か「肌理」の削除とか添
加をしているというときは、自分以外の何かが近づいた
されたりします。実は、あのような流れこそが仮現運動
り遠ざかったりしているという情報になります。
です。
今度はまた違うパターンです。本のページみたいなも
どうして「仮現」と言うのか、電球はほんとうは走っ
のがパラパラとしていますが、解説すると、ページの端
たりしていないのだけれども、隣り合う電球をある一定
に見える部分で「肌理」の添加が起こっています。どん
の速度で点滅させると、光が走っているように見えるか
どん出てくる、あらわになる。そのときに、ページに見
らです。走っている「ように見える」から「仮現」なの
える部分に「肌理」の圧縮が起こる。逆に動かすと、ペ
です。それで仮現運動です。
ージに見える部分に伸長、引き伸ばしが起こっていて、
さて、これが仮現運動のフィルムです(図7)。2つが
ページの端に見える部分で削除が起こっている。そのと
点滅しているようにしか見えない人もいるかもしれませ
きには、それはペラペラした板がこちらに来たり、あち
んが、2つの運動をしているこの間でパッパッパッと光
らに行ったりと、ページの一端を支点にして倒れたりし
っているだけなのだけれども、何か、移動しているよう
ていることを見せてくれるのです。しつこいようですが、
に見えませんか。タッタッタッと左右に瞬間移動してい
このときも、このページに覆われた背景がなくなったと
るように見えるでしょう。
は思わない。「隠された」というか、重なったというふう
に見えるはずです。
次はどうでしょうか(図8)。今度は、光の間にトンネ
ルがあるように見えるでしょう。しかし、もちろんトン
今度は存在がなくなるパターンです(図5)。この場合
ネルなどはないのです。ただ、先程の現象的スリットに
はおそらく、
「隠された」とはあまり思わないのではない
隠れていくような円盤がこちらとこちら、左と右で、タ
でしょうか。これは何だかわかりますか。ドライアイス
イミングよく入れ替わり見えているという状況です。
ですね。ドライアイスが蒸発していく様子を撮影したも
のだそうです。
この2つで何が違うかというと、前のフィルムでは運
動だけが見える。ところが、後のフィルムでは運動をし
また違うパターンの「消える」です(図6)。「隠され
ている光の玉の間に、存在しないけれども「ある」よう
た」とは違う「消える」という独特のパターンです。こ
に見えるトンネルが見える。ないけれどもあるように見
れはジェームズ・ギブソンの研究室の大学院生の昼のサ
ンドイッチのハムだそうです。これがかじられていく様
子です。
えるのは、この光の玉の削られ方、あるいは現れ方が、
「隠れると」いうことと「あらわになる」という情報を含
んでいて、それがタイミングよく交互に繰り返すから、
玉が行ったり来たりするように見える。
仮現運動
次のフィルムはちょっと難しいです。一つ予備知識が
小さな子に、おもちゃの列車がトンネルを通過すると
ころを見せたとします。そのとき、ある程度の長いトン
必要です。「仮現運動」というものです。「apparent
ネルを作らないとだめなのですが、かなり小さな子でも、
motion」というのですが、名前は知らなくても、実は身
トンネルの中に先頭車両が入って全体の車両が見えなく
近な、よく知っている現象です。街頭によくあるサイン
なったときに、今はトンネルしか見えなくて列車は見え
ボードをご存じですね。長細いネオン管ではなくて、一
ないのだけれども、列車が出てくるであろう側のトンネ
個一個豆電球やLEDが並んでできたサインボードをご想
ルの口を先回りして見ます。ですから、こういった能力
像ください。そこにいろいろな表示が流れます。新幹線
は人間の発達の中で早期に起こります。非常に基本的な
に乗ると、デッキに移る出入り口の上にニュースが表示
能力なのです。
5
三嶋 博之
25
動きで知覚する
ということが前提にないと驚くということはないです。
今日は最初、窓枠の外側の話から始めましたね。窓枠
その驚きのベースになるような、曲がり角が続いている
でもこの会場の入り口でもいいのですが、外の世界とつ
のではないかという連続性という「当たり前」があって
ながっていた、そこをとおして外の世界が見えるような
こそ、驚きがある。そして、その連続性というのは、こ
口があったとします。そうすると、その枠の外側という
の曲がり角を前後するときに見えたり見えなかったりす
のは、静止画であれば実はあるかどうかというのはわか
る、エッジでの「肌理」の削除や添加の中で見えている
らない。それこそ想像するしかない。
のです。
私はこの話を進めるうえでちょっとだけインチキをし
もっと簡単な話をすると、自分の手で私たちは環境を
ました。というのは、窓枠の譬え話は、静止している条
隠します。さっきは見えていた部分が見えなくなったり
件で始めています。完全に頭を固定して、片目をつぶっ
ということが起こります。こんなことはいつも起こって
て、その目で窓の外を見るというときには、確かに壁の
いるではないですか?でも、あたりまえかもしれないけ
裏側にある世界、窓枠の外側の世界というのはあるかど
れども、自分の手で隠されて見えなくなった環境の部分
うかわからないのです。そして、話の途中でいきなり、
がなくなったとは思いませんね。これがあたりまえのよ
運動するという話をさもあたりまえのように導入しまし
うに知覚されるのも、実はギブソンが1950年、60年代に
た。今見ていただいたフィルムは、すべて運動するとい
発見した「肌理」の添加と削除という情報があるからな
うことが非常に大事です。フィルムの運動を止めたら、
のです。手の側の「肌理」は削除されない、でも、向こ
フィルムの意味がわからなくなりましたね。
うの景色の「肌理」は添加されたり削除されたりする。
あれと同じように、止まっている窓枠であっても、例
それは、つまり手が手前にあって道路が向こう側にある
えば、そこに近づく人や、頭をゆらゆらさせている人が
のだという認識を導く。そして、隠されている道路は、
窓枠を見ると、窓枠の外の景色は少しかもしれないけれ
なくなってはいない。
どもその窓枠のところで削られたり、あらわになったり
まとめなのですが、世界は隠される。そして、あらわ
します。そういった情報は、その窓の外の世界が連続性
になります。これは消失という経験とは違って、持続し
を持っているということの認識をさせます。
ているという知覚をもたらします。持続の知覚というの
例えば、窓に近づいたり遠ざかったりすると、窓枠の
は結構微妙な言い方です。というのは、持続というのは
ところで確かに「肌理」の添加と削除が起こっています。
時間を含んでいますね。つまり、過去から未来まで、そ
角を曲がるときも、塀の向こうの「肌理」が追加されま
して現在をもちろん伴っています。見えているその光の
す。
パターンというのは、今この瞬間のものでしかないのだ
その先の連続性というのは、この時点でもうミエテい
けれども、そこに、ある特別な情報というのが含まれて
るはずです。広がっているはずだ、と。それは推論をし
いて、それは実験的にピックアップして、また実験的に
ているというよりも、知覚しているという印象に近いと
提示することができます。それをフィルムとして皆さん
思います。連続性がここ、つまりエッジの部分で見えて
ご覧いただきました。そういう情報を見ると、確かに
いる。けれども、角を曲がったところに例えば花がある
「隠される」、あるいは「隠れていた」ということが、な
とは思わない。だからちょっと驚いたり楽しかったりす
くなっているのではないのだとわかる。それは、その表
る。でも、驚いたり楽しかったりする探索の動機づけと
面が持続しているということです。隠されているのだけ
いうのは、つまり、最初にどういう期待を抱いているか
れども、ある。
6
26
持続の知覚というのは、特別な変化の様式によって可
かた、ネコに固有の変化のしかたがある。それは形態で
能になります。「肌理」の添加や削除、そのされ方を「情
はありません。形態というのはもっとスタティックなも
報」と呼びましょうとギブソンは言いました。情報、す
の、固定したもののことをいう言葉だと思います。そう
なわち、インフォメーションです。普通に使われている
定義すれば、ここで言っているものは形態ではなくて、
言葉ですが、伝統的な心理学の理論では、これを刺激
変化の中での特別な持続性、いろいろな変化のしかた、
(stimulus)といったのです。ギブソンは、皆さんに今見
形を変えるネコというのがいるのだけれども、それはネ
ていただいたようなものは刺激というよりももう少し高
コなりの形の変え方しかしない。だから、ネコとイヌは
次の変数であり、「情報」とよびましょうと提案します。
違って、ネコはイヌっぽくは動かないということです。
これは見かけの形態とか、エネルギーとは異なる次元の
イヌっぽく動くとすれば、それはイヌです。そういうも
ものだということです。
のを私たちは見ているらしい。
これもちょっとややこしいかもしれませんが、例えば
ずっと最初の方のフィルムで、動かすと片方の面が片方
の面に潜り込んでいくという映像を見ていただきました。
美術とアフォーダンス
美術作品というのはその機能において、ここで述べた
そのときに、横切って動いているときに限って、隠して
「窓」のようなものかもしれないと思いました。というの
いる面と隠されている面との間に縁(エッジ)が見えま
は、「見せるもの」と「ミセルもの」。形として、とにか
した。あれは、動いているときにしか見えません。止め
く見た目としてすぐわかるような見せるものと、その影
るとエッジが消失しますね。あのエッジは何かというと、
にある、直接は見えないのだけれども確かにわかるもの
あるとも言えるし、ないとも言えない。何だかわからな
というのがあって、そういうものをうまく作りこんだ特
いようなものだけれども、とにかく見える。ああいった
別なものなのではないかなと思います。
ものは「ものの形」なのだろうかというと、ちょっと微
例えば、カールステン・ニコライの作品は、視覚的に
妙ですね。わからない。形以上のものかもしれないけれ
音をミセルものです。ちょっと違うのですが、視覚にと
ども、なんと表現すべきかちょっとわからない。でも、
って音は常に隠された存在です。こういう言い方をして
そういったものを私たちは見ているようだ、それがもの
いいのか、少し文学的すぎますでしょうか。音というの
の形そのものではなくて、ものの形の奥にある本質なの
は視覚では見えない。それは遮蔽されたもの、窓枠の外
かわからないけれども、それをギブソンは情報とよぶの
にあるものだと考えることができるかもしれません。で
です。
も、その作品が、例えば木の葉の揺れが、これは音では
違う言い方をしましょう。例えば、ネコというのは、
特別なやり方でそのネコの背景にあるものを隠すような
ないけれども、大気の流れを気づかせる。そういう経験
を私たちはしていますが、これは確かに光以外の何かを
存在ですね。つまり、ネコの形というのはネコの形で背
見せているわけです。このときの「見せる」というのは
景が切り取られている状態で、それを見ると私たちはネ
「ミセル」と私が呼んだようなことなのですが、そういう
コだと。でも、ネコというのは動物ですから動きます。
だから、ネコの形を特定しているような情報というのは
ことを美術作品は気づかせてくれます。
とにかく、見かけ以上のものが作品には含まれていて、
ネコの動き、どうやって背景を削るかというその削り方
それは直接見たり聞いたり触れたりすることはできない
の運動にある。だから、ネコの形というのは何か決まっ
かもしれないけれども、私たちはそれを「ミル」ことが
たものではない。ただ、あるとしたら、特別の変形のし
できる。見えないものを「ミル」という営み、これを私
7
三嶋 博之
27
たちは日常的にやっています。曲がり角を曲がるだけで
なものの見た目と、素手で触ったときの印象とのギャッ
もそうですし、入り口を通り抜けるということもそうな
プみたいな感覚が楽しめると思います。これは見かけ上
のですが、それは見えなくなった世界を「想像する」と
の「見えていること」と、触覚的な活動も参加しての
いうことではなくて、そういう言葉で言うのはやめよう
「ミエルこと」というのが少しずれることがあって、その
と。なぜかというと、「想像する」という言葉はあまりに
ずれが楽しいということが一つあると思います。
主観的すぎるからです。つまり、個々人が勝手に思い浮
さらに、この金属のメッシュのグローブをつけると非
かべればいいという意味を含んでいます。でも、作品そ
常にまた印象が変わります。というのは、私たちは通常、
れ自体の持つ意味や価値を、その公共性を、そういった
皮膚の表面で感じる感覚が触覚だと思い込んでいます。
言葉は正当にとらえることができないのではないかと思
けれども、これは心理学的にわかっていることなのです
います。
が、筋肉や、筋肉を骨につないでいる腱、関節の変形に
私たちが作品に「ミル」ものは、それが例えば巧妙に
隠されたもの、芸術家は結構ひねくれていますので、あ
よる感覚も触覚としてあるのです。前者は皮膚触、
cutaneous touchといって、後者の筋肉とか腱とかの変
まりストレートに表現されていません。それがおもしろ
形 を dynamic touchと い っ て い る の で す が 、 通 常 、
いというところもありますが、窓枠の外の世界について
dynamic touchというのは非常に重要な役割を果たして
抱いている程度に確かな印象というものを抱かせてくれ
いる触覚なのですが、意識されることはめったにないの
る。また、いろいろな人たちで認識を共有できるという
です。なぜ重要かというと、私たちの身体の方向、例え
ことがあります。これは確かにある。でも、伝統的な知
ば目で見ていないのに腕の方向がわかるなどというのは
覚の理論は、それができるということを保証しないので
dynamic touchによっているからなのです。けれども、
す。どうしてかというと、見えないところは想像するか
それは皮膚表面の触覚が「自覚」という点で優位なので、
ら。想像は個々人の営みです。
押さえ込まれてしまう。ところが、この特別なグローブ
でも、ギブソンのように考えると、私たちの認識とい
うのは情報という公共的なリソースを通じて他人と共有
をつけると皮膚表面の触覚がなぜか押さえ込まれるので
す。
できるという可能性を残してくれています。いろいろな
私自身、少し触覚の仕事をしていたので、こういうグ
作品をいろいろな人が見て、お互いに共感するなどとい
ローブを探していました。でも、見つけることができな
うことがあるかもしれませんが、それを気持ちと気持ち
かったのですが、今日、このグローブをはめてすごく驚
がダイレクトに感応していると考えることは、現代の科
きました。皮膚表面の感覚がこれほど劇的になくなるグ
学では許されていない。それを保証しているのは、おそ
ローブはないと思いました。これをつけて対象を触って
らく作品に織り込まれている公共性のある情報なのでは
みると、表面の触覚上の「見かけ」が剥がれることによ
ないかと思います。
って、深いところの触覚、それは自分自身の深いところ
というわけで、ギブソンの生態心理学は、私たちが
の触覚でもあるし、対象物の深いところの触覚でもある
「リアリティ」とは何を指すかを考えるための道具立てを
のですが、それがお互いに相互作用するという不思議な
提供してくれているのではないか。そういうふうに思い
感覚が得られます。そういう意味でも非常に巧妙な作品
ます。
だと思います。
また、こちらの触る方のメイレリスの作品なのですが、
まず、見た目ですね。ものの大小、あるいは質感みたい
8
28
もう1つの「動物」シリーズの方なのですが、これを
ただ目で見ていても「何だ、この金属の重なりは。これ
がどうして動物なのか」と思うのですが、触ると不思議
いませんか? イヌの動きとネコの動きは違いますね。
な印象があります。私の受けた印象を参考までに報告し
それは「見かけ」の違いを超えた、動きの違いなのです。
ます。動物の身体というのは連係しています。手足が連
そもそも動物ですから、静止した見かけが同じ状態で持
係するとか。その連係のしかたというのはとてもソフト
続していることはありません。さて、動きというのは変
なもので、走っているときの連係と歩いているときの連
化ですね。でも、その動きに何か一定のものがあるとい
係が違うというのが動物の特徴なのですが、それでもや
うものを不変項と呼ぶのです。つまり、ネコのネコ性が
はり連係はしているのです。この、柔軟で、ある意味予
わかること、それは不変項の知覚に他ならないのです。
測がつかない連携をしていて、それゆえ自律的に思える
不変項というのは変化の中で一定のものです。つまりそ
というのが動物という存在です。さて、この作品をさわ
こには時間的な幅が含意されています。
ってみると、金属の板が、その連係のしかたがちょっと
もう一度先程のフィルムの話をしますと、円が欠けて
予測のつかないようなつながりを作っているので、どこ
いって吸い込まれていくというのはわかった、かもしれ
か触るとそれが全体にウワーッと波及していって、また
ない。次に、隠れていたものが出てきたとしますね。そ
その波が戻ってくる。すると、それが勝手に動いている
こには円の形が欠けている状態からだんだん円に近づい
ような感じが触覚的に得られるのです。作品は金属の固
ていくという変化があるのだけれども、それはその円が
まりで、記号的にはまさに無生物で死んでいるものなの
隠されていただけで、存在したということの不変項にな
だけれども、生きているものの性質を写しとっていると
っているとギブソンは考えます。確かに変化は今見えて
思いました。
いるものなのだけれども、一定のものとして隠されてい
たという情報のことについて考えるのです。その情報と
質疑応答
いうのは、円盤そのものではないでしょう? 見えなか
Q1
ったものが見えてくるというときに、かつてもあったと
「今見えていること」から直接未来と過去の情報
を得ているとおっしゃっていましたが、フィルムを見せ
いう情報込みでミエテいる。これは結構難しい話です。
ていただいて、私はどうしても過去を記憶して、それで
記憶とか推論ということは、印象として確かにあると
丸が丸に見えているということを感じているのではない
思うのです。すごく昔のことの記憶とか、それを現在の
かなと思えてしまうのです。
変化ですべて説明しようというのはちょっと極端な話か
A1
たぶん、「記憶」ということの言葉遣いをもう少し
もしれません。記憶ということを考えるときに、現在、
厳密にしないといけないと思うのですが、ここで言って
過去、未来という時間の区切り方があって、それをまず
いますのはこういうことなのです。ギブソンの言葉では
どう区切るかというのを前提に話が進むと思うのですが、
「不変項の知覚」という言葉があります。「不変項」とい
現在見える、この今その瞬間で見えることから説明でき
うのは、英語でいうとinvariant。variantというのは変数
る時間の幅をもう少し広げて、それを今見えていること
なのですが、それにinがついていて「不」、「何々にあら
でちょっと説明しようと。ちょっと前、ちょっと先ぐら
ず」の「ず」がついて不変項です。不変、変わらないも
いのことは、せめて今この瞬間で見えていることで説明
の、不変項が知覚されているという言い方をします。
しようと。もちろん、ずっと先のことだといろいろな影
先程ネコの話をしましたが、ネコというのはいろいろ
響で変わるかもしれないけれども、そして、ずっと前の
な形の変化をします。でも、その変化のしかたには独特
ことというのはわからないかもしれないけれども、知覚
の不変の特徴がある、すなわち固有のネコ性があると思
という言葉で説明できる時間の幅をもう少し広げておこ
図版出典
Gibson, J. J. (1968). The change from visible to invisible:
A study of optical transitions. (motion picture).
State College, PA.: Psychological Cinema Register.
なお、このフィルムを用いた実験に関しては下記を参照。
Gibson, J. J., Kaplan, G., Reynolds, H., & Wheeler, K. (1969),
The change from visible to invisi ble: A study of optical
transitions. Perception & Psychophysics 5(2) : 113-116.
三嶋 博之
29
うということをギブソンはやっていたと思います。
Q3
Q ということは、例えば円盤の話でしたら、規則的に
域でも注目されているというお話でしたが、建築の分野
徐々になくなっていったり、徐々に出てきたりしますよ
でその考え方がどんなふうに取り入れられて具体化され
ね。それがランダムではないということが過去の情報と
ているのか、もし例をご存じでしたらお話しいただけま
いうことでよろしかったですか。
せんか。
A おっしゃるとおりです。そういうことです。
A3
Q2
「アフォーダンス」という考え方が建築などの領
心理学者としてはただ観察して発見するということ
「私」を基点にして自分という存在や自分以外の
をやっていればいいのだけれども、建築ということに関
存在も規定していくというような考え方の中で、自分と
していえば、創り出すということをしないといけないの
いうところから離れて周囲との関係の中で自分をとらえ
ですね。ある特定のアフォーダンスを知覚できるような
直していくという考え方にいろいろな知の分野で考え方
かたちで例えば建築を作るなどということになると、こ
が移行してきていると思います。そういう考え方の中で、
れは実際にはなかなか難しいと思うのです。ただ、でき
アフォーダンスというものが見直されてきたのはどうい
ている人はいると思いますが、何か決まった方法がある
う意味合いにおいてなのかということをお聞きしたいと
というわけではありません。ただ、アフォーダンスは建
思うのですが。
築であるかぎり自然に持ちますよね。ただ、意図して作
A2
結構マニアックな質問です。確かに心理学の中の心
り込まれてはいないかもしれない。
理主義というものがあります。心理学なのだから心理主
ある特定の階段を作った。それはべつに何の気なしに
義はあたりまえではないかという意見もあるかもしれま
作ったのだけれども、みんな座ってしまう、憩いの場に
せんが。心理主義というのは、私たちの考えていること
なるとかいうことはあると思うのです。ただ、それを意
というのは頭の中に閉じている、という考え方なのです。
図してというのはなかなか難しいところがあると思いま
それに反対する立場というのはやはり各種ありまして、
す。
極端な例は、環境の側に原因がすべてあって、環境の側
Q4
の何か変数を説明すれば良いというタイプの心理学もあ
の関係で人が何かを感じたときに、それがアフォーダン
ります。
スの考え方を導き出すきっかけになったりとか、そうい
エコロジカル・サイコロジーがなぜエコロジカルとい
それは、ビオトープなどを作って、その中でそれと
うことも・・・。
うかということとも関連するのですが、エコロジカル・
A4
それはあると思います。
サイコロジーでは、私たち人間も含めた動物とそれを取
Q5
先程のデモンストレーションのいくつかの絵を見な
り囲んでいる環境との両方を相補的なものとしてセット
がら、コンピュータ・グラフィックスのことが思い浮か
で考えましょうというのが根底にあるのです。例えば、
んだのです。例えば最近、コンピュータ・グラフィック
私たちが移動するというときに、世界のパターンが全体
スの「ファイナル・ファンタジー」という映画があって、
的に流動するという話を先程ちらっとしましたが、あれ
あれはかなり精巧な技術とお金を使って、おそらく最新
は世界という自分の外側に自分の動きを見るということ
の技術が投じられていると思うのですが、それでもやは
なのです。だから、世界の動きを見れば、それがはね返
りリアルではなかったと言われるわけですね。実際ヒッ
って自分のことがわかるということなのです。これはな
トしなかった。そういう人間の感情などを表すものとし
かなか良い事例です。なぜかというと、見ているのは世
ては受け止められなかった。
界の情報なのだけれども、世界の情報を動かしているの
最後のお話で、計算してその先に何があるかというも
は自分なのですね。自分の動きと世界の動きが情報を介
のを想像する、推測するような場合には驚きがある。つ
して相補的になっています。
まり、自分の予想と違っていたという場合は驚きがある
そのように、自分の側の要因と環境側の要因とが両方
ということがありましたが、コンピュータ・グラフィッ
込みになっているような単位というのが大事だ、それを
クスの場合はすべて計算するわけです。あらゆるものが
探していこうということを結構やります。だから、ただ
計算されていて、計算されていないものというのは基本
環境と人間と両方大事なのだということだけではなくて、
的にないわけです。だから、そういう不確定なノイズが
一応科学だから、両方が合わさったところを観察可能な
ないということがリアリティがない理由なのではないか
ものとして見られるということが大事なのです。そうい
とよくいわれるのですが、アフォーダンスの理論を応用
うものを見つけましょうということを結構努力していま
して、コンピュータ・グラフィックスでもすごくリアル
す。
な表現ができるという考え方はできるのでしょうか。
30
A5
難しい話ですね。アニメーションの研究をしている
A7
多々あります。ギブソンの1966年の本がそろそろ訳
仲間がいまして、その方は、コンピュータ・グラフィッ
されるはずである、とあいまいなことを言っていたのは、
クではなく、アニメーターが感情の表現の動きをどうや
実は我々のグループで訳していて、日本語にできないも
って作るかといったプロセスを見ています。映画という
のがたくさんあるからなのです。アフォーダンスもアフ
ことではたぶん人間の動きが一番問題になるかと思いま
ォーダンスのままでいいのかという議論が昔からありま
す。もちろん自然の動きとかもあるのですが、人間の細
して、もっとちゃんとした訳もあればそれにすべきだと
かな表情などをコンピュータ・グラフィックスでつくり
いう話もあるのです。
だすのは難しいと思います。
人間の感情というのも、ニコライの写真パネルの波の
例えば、芸術、美術の方、あるいは建築の方もよく出
会う言葉で「perspective」という言葉がありますね。
ように、確かに表面に表れていますね。だから、おそら
「perspective」の心理学の中での定訳は「遠近法」なの
く表情の動きなどで、その人の見かけ、笑っているけれ
です。それはテクニックのことを表していると考えられ
ども内心ちょっと寂しいとか、そういうこともわかるの
ます。でも、「perspective」というのは「そこにある」
ですが、私たちはそのような社会で生まれてきたのでそ
ものなのです。見る人が得るもので、それは知覚の領域
ういうことに非常に敏感ですね。これは機械で作るのは
なのだけれども、それを遠近法という言葉に訳すと、遠
非常に大変だと思います。
近を表現するテクニックの話を主に含意することになっ
機械で作るときには、計算して作るかぎりにおいては、
その表現手法が明確に言語として表現できていないとい
て、我々はそれをどう訳していいのかまだ悩んでいると
ころです。
けないということがあると思います。ところが、私たち
私たちが「perception」と言っていることの意味なの
が他人の表情を読んだりするときには、わかるのだけれ
ですが、それは先程から言語を超えているというふうに
ども表現できないということがたくさんあるのです。
言っているのですが、名前はつけられないけれどもわか
アフォーダンスというのは、要は知覚の領域の話なの
っているようなことを「perception」というふうに私た
ですが、知覚というのは多くの場合、言葉を超えている
ちは一応使っている気がします。そして、ギブソン理論
というふうに私たちは考えています。一方、コンピュー
ですので、これは主客の区別を超えたものを指し示す言
タ・グラフィックスは映像とはいっても骨格は言語の塊
葉として使われていると思います。これをとりあえず
ですので、言語のシステムであるコンピュータ・グラフ
「知覚」と訳していますが、その意味は、こういった事情
ィックスに微妙な感情などの知覚の話をのせるのは、現
を含んだことなのです。
状ではおそらく無理だと思います。というのが私の意見
です。知覚と言語のずれというのが今の回答のポイント
かなと思います。
Q6
イメージは実際我々が見ているものと同じような、
同質のものだろうと思いがちですが、その背後にそうい
う言語的な構造が必ずある以上はなかなか難しいのでは
ないかということでしょうか。
A6
そうです。
Q7
通常、「perception」というのはすぐ「知覚」と訳
されるのですが、最近、ある訳者の言葉で、
「perception」
という言葉を「知覚」と言ってしまうことについて、非
常に難しいというようなことが書いてあったのです。私
も最近、その「perception」ということをどう訳したら
いいか悩んでいまして、そのあたり、そういう研究をさ
れていてぶつかるときというのはありませんか。つまり
「perception」という語には、そこに個々の主観というも
のが入ってくると思うのです。
「知覚」と言った場合の方
三嶋博之
生態心理学,福井大学教育地域科学部教育実践総合センター助教授。知性と
環境の関わりを解き明かすことで注目される「アフォーダンス」理論の精力
が、いわゆる狭義になってしまうのではないかなと思う
的な紹介者。主な著書:『エコロジカル・マインド』
(NHKブックス)
、主な
のですが。
共編著:『アフォーダンス』
(青土社)
、
『アフォーダンスと行為』
(金子書房)
三嶋 博之
31
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