顧客価値経営への変革

顧客価値経営への変革
MPC代表取締役・日本経営品質賞判定委員 岡本 正耿
イノベーション
世界には大きく二つの経済運営の仕方があります。ひとつは、財産はすべて国有であり、
国による全体的な計画と統制によって経済活動をしようとします。もうひとつは、人々は
私有財産を持つことができ、国はできるだけ関与せずに運営するやり方です。こちらは民
間企業がどの分野に進出しようと自由であり、それら民間企業が競争することによって経
済を運営しようとするものです。前者は社会主義経済で、後者が私たちの自由主義経済で
す。社会主義のほうは長期的な計画を国がたてますから、基本的に変化は見られません。
けれども自由主義のほうはなにをやろうと自由ですから、儲かりそうな分野には沢山の企
業が参入しますし、それだけ競争が激しくなります。そうするとこちらは絶えず変化して
おり、むしろ変化している状態が当たり前になります。
変化が当たり前ですと、企業は絶えず自分自身をも変化させなければなりません。その
ような変化を起すことをイノベーションといいます。イノベーションは革新と訳されます
が、これだと政治の世界の保守対革新と混乱しますから、新機軸とか新結合と訳したほう
がいいかもしれません。
シュンペーターという経済学者は経済発展の担い手である企業家が行うことをイノベー
ションといいました。彼によればそれには次の5つがあります。
(1)新しい製品、あるいは新しい品質の製品の生産
(2)新しい生産方法の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5)新しい組織の実現
ところで企業家という表現がよく使われますが、これと経営者はどう違うのでしょうか。
シュンペーターは、「イノベーションを遂行する」人だけを企業家と呼び、同じ人が創造
された企業を単に継続的に経営していくようになると企業家ではなくなるといっています。
それは単なる管理者だそうです。
確かに経済を活性化するのはイノベーションなのであって、完成された制度の上にたっ
て単に経営をする人ばかりでは、経済は駄目になってしまいます。そこで、まず全ての組
織が自らの責任として行わなければならないのはイノベーションなのです。自由主義経済
で企業を行うには、すべてのビジネスマンがイノベ一夕ーでなければならないのです。ど
うか毎日決まりきったことを管理していくという管理者の発想を捨ててください。
自己実現
マズローという心理学者の名前を聞いたことがあるでしょう。欲求5段階で有名です。ま
ずひもじさをなくしたい、疲れたら眠りたいという生理的欲求があります。次に暑さ寒さ
から身を守りたい、安心できるところで暮らしたいという安全の欲求があります。やがて
仲間が欲しい、どこかに属したいという所属の欲求になり、さらに他人から認めてもらい
たい、ほめてもらいたいという尊敬の欲求になります。そしてこれらの欲求を超える、自
分を高めたい、社会の役にたちたいという自己実現の欲求というのをマズローは最上位の
欲求としました。彼はルーズベルトやアインシュタインという社会に偉大な貢献をした
人々のことを調べて、自己実現の欲求を発見しました。そしてこの利他的な欲求こそが、
人間社会をよくすることができる、最も大切なものだというのです。
経営に関してマズローが重視するのは価値観、目的とビジョン、共同の仕事です。価値
観について彼は「次から次へと出る本が、組織理論や経営手法について詳しく述べている
のに、価値観についてはほとんどなにも言っていない」といいます。自己実現というのは、
自分が至高の存在を目指すということですから、強い価値観を持たなければそのレベルに
は到達しないのは当然のことです。また目的やビジョンについては「企業でもし関係する
すべての人が組織の目的やビジョンについて明確な考えをもっていれば、考えなければな
らないのはその目的を実現する手段のどれを選ぶかということになる。ところが目的が不
明確であったり、理解されていなかったりするので方法や手段についての議論が混乱して
しまう」と指摘します。目的がはっきりせず、人々に共有化されていないから、いたずら
に経営手法や手段をもてあそぶことになってしまうのです。共同の仕事とはこの価値観と
ビジョン、目的を共有化したチームで行われるときに素晴らしい成果を生み出します。マ
ズローは「寛大さは富を減らすのではなく、むしろ増大させる。チームという環境の下で
は、他の人に影響力や力を与えれば与えるほど、あなたはそれを持つことになるだろう」
と言います。他のメンバーのために尽くせば尽くすほど、自分が尽くされることになると
いうのです。
成熟社会
EQ指数
130 以上
120 以上
110 以上
100 以上
社会行動の特徴
自分を表面に出さず、自己を犠牲にしてまでも、良い仕事や他人への奉仕
に献身する。
社会的に有益な仕事に献身し、反社会的な行動は絶対にとらない。しかし
エゴは抑制されていない。
正しい環境の下では、責任ある、信頼できる態度をとるが、自分の所属集
団の基準には付和雷同しやすい。
通常の条件の下では良き市民でも、反面いやしい利己的な行動をとる。
時々嘘をつく。
監督されている限り、社会的な存在として行動する。しかし時々不正なこ
90 以上 と(余分なつり銭を返さない、万引きするなど)をする。倫理的な価値を尊
ぶ感覚に乏しい。低い倫理水準に流れやすい。スリルを好む。
80 以上 嫉妬、憎悪、時として残酷、犯罪的な行動の傾向がある。法を犯しやすい。
70 以上 野蛮で悪意があり、残忍で常習の犯罪者。
イノベーションを目指し、自己実現に励むことによって、そこにどのような世界を創り
出すことができるのでしょう。その答えを与えてくれるのはノーベル賞学者のデニス・ガ
ボールです。彼は未来社会を描いた「成熟社会」という本を書いているのですが、そのな
かで将来の望ましい社会は「人々が微笑をたたえた社会」であるといいます。誰もが他人
のことを慮り、他人のために役立とうとするような社会であり、そのような社会を実現す
るためには倫理指数(EQ=Ethical Quotient)の高さが人々に求められると彼はいいます。
EQの指数と社会行動の特徴を彼は上記のように明かにしています。
社会を変革するとかあるいは自分たちの会社を変革するといいますけれども、実は社会
も会社も個人の集まりである訳です。ですから、こう考えてくると結局はそれぞれの人々
が自分自身を高める、自己を絶えず変革していこうとすることがベースになるのだという
ことがよくわかります。
顧客価値
自らを変革するというのですが、企業を変革する場合にはマズローのいうような価値観
をしっかりと持たなければなりません。変革もなんらかの目的実現のための手段ですから、
目的や価値観があいまいだと不毛な議論に陥ってしまいます。
企業は社会の要請に基づき、何らかの価値を創造するわけですが、その価値を評価して
くれるのは顧客です。ですから、企業はなにかを生産したり販売したりする存在なのでは
なく、本来は顧客に満足を提供する存在なのです。
ところが先のシュンペーターがいうように企業はまずイノベーションによって創られま
す。そこでどうしても最初は製品やサービスをつくることに関心が集中します。こういう
経営を生産志向といいますが、とにかく大量に物をつくるという発想に陥ってしまうので
す。このようにならないために、顧客がどのようなものを求めているのかを予めよく調べ
てから、製品やサービスをつくるという考え方が生まれてきました。これを顧客志向とい
います。
顧客志向ですと、確かに顧客の求める製品サービスをつくることはできたのですが、実
はこの考え方だけでは製品やサービスをつくり、それを販売するまでにしか配慮が行き届
きません。ところが顧客は製品やサービスを購入してから、それを使って生活をしたり仕
事をしたりします。この段階で使い方がわからなかったり、故障したりしたときに親切で
丁寧な対応をしてもらえないと顧客は不満をもってしまいます。不親切な対応をされたら、
次には買ってくれなくなるかもしれません。そこで売り手側からすると「販売の後」にも
きちんとした対応をできるようにすることが必要になったのです。このような考え方が顧
客満足なのです。顧客志向が製品やサービスを売るまでに重点を置いていたのに対して、
顧客満足はそれだけではなく売った後にまで顧客の期待や要望に応えていこうとすること
なのです。
ところで顧客はどのようにして製品やサービスを選ぶのでしょうか。顧客は類似の製品
やサービスと比較をして、どこかに魅力があるから特定の製品やサービスを選ぶのです。
この顧客が比較して選択の基準にするものを知覚品質といいます。単なる品質は会社が自
分で設定するものですが、知覚品質のほうは顧客に尋ねてみなければわかりません。製品
の品質さえよければ顧客は評価してくれるものと思っていたのに、顧客は納期が守れるか
どうかを気にしているかもしれません。消費財では、物の良さはブランドのイメージに大
きく作用されることもあります。そのような何を顧客が重視していうるのかは、顧客に尋
ねてみなければ絶対にわからないのです。
業務改善から戦略形成へ
顧客に尋ねてみますと、企業が予想もしなかった側面を顧客は重視していることがわか
ります。そこでそのような側面を改善強化しようということになります。ところが、これ
がなかなか大変なのです。
自社で決めた品質を向上させる手法として品質管理(QC)というものがあります。これ
は統計的な手法や、現場のサークル活動などによって業務改善を行うものです。主に生産
の現場で発達した手法です。ところが知覚品質を向上させるためには、この手法が役に立
たないのです。なぜかというと、先の例えば納期を守るとか、ブランドのイメージを向上
させるというようなことは、単純にひとつの業務を改善すればできるということではあり
ません。生産能力を飛躍的に向上させたり、生産から販売そして納品までのプロセスを大
胆に革新しなければならないかもしれません。ブランド・イメージの向上などは短期的な
方策ではほとんど効果がありませんから、長い年月をかけたイメージの構築プロセスをつ
くりあげなければなりません。
そこで必要となるのが戦略なのです。戦略とは長期的に企業全体を方向付けることです
が、顧客の求める知覚品質の主にどの側面を高めていくのか、他社とは異なったどのよう
な知覚品質の構成をつくりあげるのかということを明かにしなければならないのです。
自社の特長をつくるには、(1)製品サービスそのものをユニークなものにする、(2)生産
や販売、物流やサービス提供の仕方を卓越したものにする、(3)顧客との関係の仕方、親密
さを徹底的に極めるといった3つの行き方があります。この3つとも極められればいいの
ですが、なかなかそうはいきません。そこで、このいずれかを企業の中心的な価値創造プ
ロセスと決めて、そのプロセスを絶えず変革して磨き上げていくようにするのです。これ
は単なる業務改善ではなく、戦略的な意思決定なのです。
ところでこの戦略はどのように定められるのでしょうか。戦略を定めるには、マズロー
のいった価値観が必要となります。市場で起こっている様々な出来事に対応していこうと
する考え方を事実前提といいます。課題を解決しようとする行き方です。それに対して、
自らが大切に育んでいきたい価値に基づいて考えるのを価値前提といいます。課題解決に
対して、こちらは目的実現型です。こういう価値を提供しつづけたいという強い願いがあ
り、それは企業が目指す卓越性や有能領域を明らかにします。管理が効率を追求すること
であるのに対して、戦略は投資領域を選択していくことです。この卓越性や有能領域こそ
が、その企業の投資重点になります。
顧客価値を高める経営革新とは、このようなことを継続的に行っていくことなのです。