上海外国语大学 硕士学位论文 - 上海外国语大学论文管理系统

上海外国语大学
硕士学位论文
论文题目:「歯車」に見る芥川龍之介の
晩年の心象 专
业: 日语语言文学 方
向: 姓
名: 车才良
导
师:
日本文学 曾峻梅 副教授
2009 年 6 月
1
謝
辞
小論の作成にあたり、指導教官の曾峻梅先生から貴重なご意見や熱心なご指
導をいただきました。ここに曾先生に心より感謝の意を表したいと存じます。
そして、多くの有益な助言と示唆を与えてくださった上海外国語大学の譚晶
華先生、高潔先生、徐旻先生、外国専門家の桜田先生にも衷心より感謝したいと
存じます。
また、ご多忙中、審査してくださる先生の方々にも感謝を申し上げます。そし
て、一緒に大学院の生活を送ってきたクラスメートの皆さんにも感謝します。
2
要旨
昭和二年七月二十四日の未明に、芥川龍之介は自宅で自殺を遂げた。
「歯車」、
「闇中問答」、
「或阿呆の一生」、
「十本の針」という遺稿が残っている。
「歯車」はそ
の中の唯一の純粋な小説である。同時に芥川龍之介の後期の最も重要な作品で、
それをもってかれの最傑作とする人が多い。発表時より今まで高評価されてい
る。
「作中第一」(佐藤春夫)、
「生涯の最大傑作」
「最もオリジナルな(個性的)
傑作」(堀辰雄)、
「芥川氏のすべての作品に比べて断然いい」(川端康成)、
「芥川君の全作品でも逸品」(広津和郎)などと高く評価されてきた。最も盛ん
に論じられた作品の一つである。小論はテキストの分析を中心に、
「歯車」を論
じていきたい。
小論は三章からなっている。第一章では主にレエンコオト、歯車、赤光、飛行
機などのイメージの象徴的意味を考察する。
「歯車」には象徴的イメージが多く、
それぞれ主人公の心象風景を表している。それらのイメージの象徴的意味の究
明は作品解読の鍵となっている。
第二章ではイメージをつなげる方法と作品の構成をめぐって論じていく。
「歯車」には数多くのイメージは作品の各章に分散されている。しかし、心象と
心象の間、イメージとイメージの間にはつながりがある。イメージと幾つかの
場面と重なって一つの全体になっている。そのため、構造の面から見ると、作品
は一貫したプロットの展開ないし持続性が欠けているが、首尾照応して巧妙に
展開していく。技巧の面から言うと、
「歯車」は完成度が非常に高い小説である。
作者が作品を創作する時、告白という手法を使うのではなく、巧みな芸術技巧
を使っている。この一章では、まず、数多くのイメージがどういう手法で統一さ
れているのかと各イメージ間の関係を考察して、作品の構図を分析する。次に
作品における幾つかの場面と登場人物に目をやり、そしてそれらの場面とイメ
ージの関係を探る。第三節では「歯車」の創作手法を考察する。
3
第三章ではテキストを作者と結び付けて論じる。遺稿としての「歯車」この小
説は晩年の芥川龍之介の心象風景を考察する絶好なテキストの一つである。作
品に漂っている不安の情緒は、芥川龍之介の自殺の動機であった「ぼんやりし
た不安」を解明するのに一つの手がかりとなっている。この一章では主人公の
滅びへの道から作者芥川龍之介の滅びを考察したい。その滅びの原因は晩年の
芥川龍之介の心象の主な内容だった一種の不安である。小論は最後に「歯車」と
「或阿呆の一生」への分析を通して、その不安の内包を究明する。
キーワード:芥川龍之介 「歯車」 心象 イメージ
4
摘要
昭和二年(1925)七月二十四日凌晨,芥川龙之介在家中自杀,留下遗稿
《齿轮》、
《一个傻瓜的一生》、
《暗中问答》和《十支针》。
《齿轮》是遗稿中唯一一篇纯
粹的小说。同时也是芥川龙之介后期最重要的作品,很多人把它视为芥川最杰出
的作品。从发表至今一直受到好评。被誉为“作品中第一”(佐藤春夫语);
“生涯中的最大杰作”、“最具个性化的杰作”(堀辰雄语);“芥川君的所有
作品中的逸品”( 广津和郎语); “和芥川的所有作品相比也绝对是上品”
(川端康成语)。
《齿轮》是芥川龙之介作品中论述得最多的作品之一。本文以文
本分析为中心对《齿轮》展开论述。
本文由三章组成。第一章主要考察雨衣、齿轮、赤光、飞机等意象的象征性意
义。
《齿轮》中有许多象征性的意象,分别表达了主人公不同的心象风景。对这些
意象的象征性意义的探究是作品解读的关键。
第二章围绕连接众多意象的方法和作品的结构展开论述。
《齿轮》中各个意象
虽然分散在作品的各章中,但心象和心象之间,意象和意象之间有着联系,意
象还和众多的场面重合构成一个整体。因此,从作品的结构来看,虽然没有一以
贯之的情节的展开,缺乏连续性,但是却首尾照应,巧妙地展开。从技巧层面来
说,《齿轮》是艺术性非常高的小说。作者在创作该作品时,并没有使用告白的手
法,而是使用了巧妙的艺术技巧。在本章中,首先考察众多的意象是通过怎样的
手法统一起来的,以及各个意象之间的关系,并对作品的结构进行分析。其次,
把目光转向作品中的众多场面,探讨这些场面和意象的关系。第三节考察《齿轮》
的创作手法。
第三章把文本和作者结合起来论述。作为遗稿的这篇小说是考察晚年时期的
芥川龙之介的心象风景的最好文本之一。作品中飘荡着的不安的情绪,是阐释芥
川龙之介自杀的原因“恍惚的不安”的一个重要线索。本章中首先由主人公走向
消亡的道路来考察芥川龙之介的消亡。消亡的原因是一种不安,也是晚年的芥川
龙之介的心象的主要内容。最后通过对《齿轮》和《某傻子的一生》的分析,来探究
那种不安的内涵。
关键词:芥川龙之介 《齿轮》 心象 意象
5
目次
先行研究…………………………………………………………… 7
は じ め に… … … … … … ………………………………………… 10
本 論 … … … … … … … … ………………………………………… 13
一、「歯車」に見るイメージ群……………………………… 13
(一)、レエン・コオト………………………………………………13
(二)、歯車……………………………………………………………14
(三)、復讐の神………………………………………………………15
(四)、赤光…………………………………………………………19
(五)、飛行機………………………………………………………22
二、イメージと構成………………………………………………23
(一)、イメージを連鎖する方法と作品の構図 ………………23
(二)、イメージを場面と重ねる方法……………………………26
(三)、虚構化という手法…………………………………………31
三、「歯車」と芥川龍之介の滅び…………………………………32
(一)、芥川龍之介の滅びへの道 ………………………………32
(二)、「歯車」に語られている不安………………………………36
終 わ り に… … … … … … ………………………………………… 40
参 考 文 献 … … … … … … ………………………………………… 41
6
先行研究
吉田精一は、
「歯車」を「或阿呆の一生」とともに取り上げて、
「彼の悲痛な敗北
の記録」として位置づけている。氏は「芥川龍之介」1において次のように論じて
いる。
「歯車」は地獄に落ちた彼自身を描き上げた作品である。激しい脅迫観念と、
神経の戦慄が、一行、一字の裏にまで流れている。彼がしばしば試みてほとん
どすべての場合に失敗した怪奇の描写を、死に迫ったその最後において、恐
ろしい迫力をもって、みごとに成し遂げたのである。(中略)この歯車の世
界に住んでいた彼の、自殺することは必然というべく、すこしも不自然を感
じ得ないのである。
前述の著書は本格的な芥川研究の出発点となって、戦後の研究の多くはここ
から出発したのである。
中村真一郎「芥川龍之介」2は、
「『歯車』こそ、わが国の文学の生んだ最も深い
意味での世紀末文学であろうが、魂の問題を理知で分析しようとし、分裂的世
界に到達したことは、ほとんど必然の成り行きだ」と指摘している。
実存的地平で作品を読み込むのは佐藤泰正である。佐藤は一連の「歯車」論を
発表し、
「歯車」を芥川の<「罪と罰」>であり、
「解体寸前の世界」3と捉える。彼
はまた、
「真の悲劇の意味は」
「主体を喪って時代の主潮にのみこまれざるをえ
なかったことではなく、むしろ彼が避けがたくも深く自身の裡にかかえこんで
いた亀裂のごときものにあった」4と論ずる。
自裁とオーバーラップされて読まれる論への反論、疑義がある。三好行雄は、
従来の晩年の作品群に関する論が、
「悲劇を潤色したり正当化し」すぎてはいな
いかと疑義を提したうえで、
「歯車」にも「意識的な『表現』が志向され、効果の測
定と綿密な配慮さえうかがわれる」5と修正を試みた。
「歯車」について、彼はま
た次のように論じている。
「歯車」は現代の地獄変相図である。<僕>は<地獄よりも地獄的な>人生
1
『芥川龍之介』吉田精一 三省堂、昭 17
『芥川龍之介』中村真一郎 要書房 昭 29
3
「芥川における神ー『歯車』をめぐってー」 佐藤泰正 『国文学』 昭 45.11
4
「『歯車』論――芥川文学の基底をなすもの」 佐藤泰正 『国文学研究』六 昭 45,11
5
「歯車·或阿呆の一生·西方の人など――永遠に超えんとするもの」 三好行雄 『明治大正文学研究』十
四 昭 29·10
2
7
――かれの心象を拡大したにひとしい幻想の風景の内部を生きている。狂気
と死の予感にみちた時間だけが流れている世界。龍之介はその深淵のそこに
まで降り立ち、みずから死を選ぶ人間の凄絶な心象風景に、みごとな表現を
与えた。死を賭けして成功した怪奇な小宇宙の描写は、ほかのどういう小説
もまだ実現したことのない、無気味な戦慄を秘めている。暗く、無気味で、異
様に美しい。
三好行雄の「芥川龍之介論」6の中の一節である。その中で彼は「歯車」の技巧
や方法について「実生活を描く方法において、
『芸術その他』の理論はまだ生き
ている。
『歯車』は、芥川龍之介の連れ出された極限の世界を明示しながら、狂気
の発端にまで追われた龍之介が、なお、固有の方法論を捨てぬ小説家だった事
実を告げている。」と指摘した。森本修は「芥川龍之介伝記論考」の中で、
「歯車」
を「丹念な配慮を凝らして書かれたもの」とする。川口朗は「歯車」で「従来と作
風がそれほど変化しているわけではない」とする。
作品自体への切り込みからの作品論がある。石崎等「松林のある風景――『歯
車』の一面」は、貫通する重要なイメージの一つとしての<松林のある風景>を
「荒涼とした精神的自画像の背景であり、最も日本的<家>霊というべきもの」
と規定し、
「<家>を溯ることによって、
『僕』の狂気の不安の淵源となっている
血の宿命ととれないこともない」7と論及している。
発表時より周辺作品との位置関係についての論もある。谷崎潤一郎とのプロ
ット論争と結びつけられ論じられることも多かった。たとえば、
「『話』のない小
説をもってこれにあてた」8という言及もある。
この作品から罪意識を読み取る論も見られる。たとえば、奥野政元の「『歯車』
の世界」や宮坂覚の「芥川龍之介の罪意識――『白』
『歯車』を中心として」などが
ある。
ほかには、ギリシア神話を視点にして展開する論もあり、外国文学、たとえば
ダンテの「地獄篇」と比較を通して、外国文学からの影響を論じるものもある。
また、
「歯車」と芥川の死とか、
「歯車」の技巧、方法、構図とか、<僕>の不安とか
いう面から、心理学的側面まで論が展開されている。
6
『芥川龍之介論』 三好行雄 筑摩書房 昭 51.9
「松林のある風景――『歯車』の一面」 石崎等 『現代国語研究シリーズ』 昭 47·5
8
「芥川龍之介の『歯車』の意義」 水谷昭夫 『近代日本文芸史の構成」 桜楓社 昭 43
7
8
「歯車」は遺稿としての意味が深い。遺稿だからこそ、芥川龍之介の死とのつ
ながりが緊密になっている。そういうことで、芥川の生前の心象と切っても切
れないつながりがあるのである。晩年の芥川の心象については、彼のいう「ぼん
やりした不安」からみる論が多い。中谷克己は次のように述べている。9
芥川は自殺に際して、その理由を「ぼんやりした不安」としている。そして、
作品『歯車』は、その不安の実体を執拗に追いつづける作品として書かれてい
るのであるが、その実体は、単に日常的苦痛だけでも、また思念的苦悩だけで
もなかった。その二つの苦悩を綜合したものが「ぼんやりした不安」の大部分
であったのである。
「ぼんやりした不安」の内容について、平野謙は「その言葉の中には、芥川自身の
文学上の不安も、健康上の不安も、処世上の不安もこめられていただろう。」10と
指摘している。
川西正明は芥川の自殺について、次のように言った。11
芥川龍之介の死は、第一には遺書に認めたように「過去の生活の総決算の
為」の自殺であった。第二は「歯車」や「或阿呆の一生」以上の世界を創造する
のが不可能な立場に立ち至った文学的な死であった。第三は生きる苦痛に耐
え、それまでとまったく異なった思惟形式と存在形式をもって世界を創造し、
この世界を生き延びる人間像を創造する想像力が芥川龍之介には欠如して
いたためである。
9
「歯車――死への急進と死の論理の構造」中谷克己 『芥川文藝の世界』 明治書院 昭 52.8 P222
『昭和文学史』 平野謙 筑摩書房 昭和 52.12 P13
11
『昭和文学史』上巻 川西政明 講談社 2001 年 P 30
10
9
はじめに
「歯車」は芥川龍之介の遺稿の一つである。同じ遺稿としての作品には「或阿
呆の一生」と、
「闇中問答」および「十本の針」がある。その中では、
「歯車」と「或阿
呆の一生」は芥川の最後の時期の心象風景をよく反映している。吉田精一は、
「歯車」と「或阿呆の一生」とは、
「芥川の悲痛な敗北の記録」であると指摘してい
る。
「或阿呆の一生」は芥川の自叙伝の意味を持つ作品だったのに対して、
「歯
車」は純粋な小説である。
「歯車」はきわだった筋はなく、主人公<僕>は知人の
結婚披露宴に出るために家を出て、そのまま披露宴の行われたホテルに泊まっ
て、小説を書いた。<僕>は強い神経衰弱のために、地獄よりも地獄的な人生を
生きなければならず、狂気の一本前の神経は、あらゆる物事に恐怖と戦慄を感
じる。彼はその中で、一人で苦しく生きている。彼は無数の幻覚と錯覚を感じて
いる。最後に彼は苦しみや悩みのため、絶望の気持ちを吐いていた。全文もそれ
で結んでいる。
「歯車」は芥川の晩年の多くの作と同じく、筋のない小説の一種
と言うべきであるが、他の作とは違いがあり、作品の幅は「蜃気楼」などの作品
よりはるかに広いのである。芥川はその作品に彼の直面した人生をそっくり取
り入れようとしている。人生を表現する時、
「歯車」は小説の方法を取っている。
というのは、
「歯車」は、
「闇中問答」のように或る声と<僕>との問答の形式で
書いているのではなく、また、
「或阿呆の一生」のような自伝的な表現形式を取
っていない。「歯車」には、象徴的な表現が多く、非常に構成的にできている。
「歯車」は六章からなっている。自筆原稿および『文藝春秋』に発表したものに
は、それぞれの章の脱稿日が記されているが、それは次のようである。
一 レエン・コオト 昭和二年三月二十三日
二 復讐 同 三月二十七日(『文藝春秋』は記入なし)
三 夜 同 三月二十八日
四 まだ? 同 三月二十九日
五 赤光 同 三月三十日
六 飛行機 同 四月七日
「歯車」は「一 レエン・コオト」のみ、武者小路実篤編集の雑誌『大調和』(昭
2・6)に作者生前に発表されたものの、全文の六章は、没後遺稿として『文藝春
秋』(昭 2・10)に載った。上から見て分かるように、
「歯車」全文は昭和二年四
10
月七日にもう脱稿した。作者に発表意志があったなら、時間的には当然生前に
活字可能であった。しかし、作品全篇の発表は同年の十月になった。なぜ芥川は
「一 レエン・コオト」のみ発表に出したのか、残りの五章は完成したのに、な
ぜ発表に出さなかったのか。それについて、吉田精一は、
「彼の節制と、又世間的
な見栄とは、ここでは殆どあとを消そうとしている。彼が生前この稿を発表し
ようとしなかったのも、その為であろう。」12と言い、宇野浩二は、
「その時分の芥
川は、どこかの雑誌にでも出して、金にかえたほうが、便利であったのではない
か、と思われるのに、それをしなかったのは、臆測を逞しくすれば、芥川の芸術
的良心と打算のためであったのであろうか。」13と述べている。この作品の発表
形態からも当時の芥川龍之介の苦心が見えるだろう。
もう一つ、作品の表題についてのことであるが、
「歯車」は佐藤春夫の勧めに
よって「歯車」と改題したという。佐藤春夫の追憶によると、
「『歯車』と言えばあ
の作品はアルス児童文庫のことで自分が訪ねた時彼が机辺からその最初の一
章を取り出して自分に見せたものだ。その時題は「夜」と書いてあった。その上
に二三字消した跡があるので自分はそれを見ていると彼は題が気に入らぬか
と言った。そうして消してあるのは「東京の夜」だと言った。東京の夜は気取り
過ぎるし「夜」ではあまり個性がなさ過ぎるので自分は「歯車」という題を勧め
て見た。彼は即座にペンを取り上げてそう直した」14。また、芥川の甥に当たる葛
巻義敏は、
「歯車」の「真原稿には、最初『東京の夜』、続いて『夜』、
『ソドムの夜』な
どの題字が見られる」15と指摘した。いままで作品「歯車」は「ソドムの夜」→「東
京の夜」→「夜」という改題を経て、最終的な「歯車」に落ち着いたことが一般的
な見方である。
以上の二つの点から見ると、芥川が「歯車」を創作する時、熟考を重ねたので
ある。そのため、作品自体も独特の風貌を呈している。その象徴的な表現、巧み
な構文、またあふれている暗澹な、陰鬱な雰囲気などが「歯車」の傑作としての
要素となっている。
芥川龍之介は自殺という極端的な方式で自分の命を絶った。芥川の死は当時
12
13
14
15
『芥川龍之介』 吉田精一 新潮文庫 昭 33.1
『芥川龍之介』 宇野浩二 文藝春秋新社 昭 28.10
「芥川龍之介を憶ふ」 佐藤春夫 『改造』 昭 3.7 『芥川龍之介未定稿集』 葛巻義敏 岩波書店 昭 43.2
11
の文壇だけでなく、社会にも、一般の民衆にも大きなショックを与えた。それ以
外に、人々は強い関心を持っているのはその自殺の原因だった「ぼんやりした
不安」である。そういう不安は遺稿「歯車」
「或阿呆の一生」などにもっとも具体
的に語られてある。
小論はまず、小説としての「歯車」を論じたい。
「歯車」の技巧上の特徴としては、
イメージを使うことであり、イメージに作者の心象をまつわらせることである。
そして、小論はいままでの先行研究にあまり言及しなかった作中の場面や人物
をも抽出して分析し、それらの場面や人物の登場はどんな意味があるのかを考
察したい。最後に晩年の芥川龍之介の心象を探っていきたいと思う。作家の心
象を分析する時に、作品に漂っている「ぼんやりした不安」の具体的内容に重点
を置きたい。
12
本論
一、「歯車」に見るイメージ群
「歯車」の中には一連のイメージがある。作品はそれらのイメージからなって
いると言っても過言ではないと思う。それぞれのイメージは作者の心象を暗示
している。この章では各イメージの象徴的意味について考察していく。
(一)レエン·コオト
「歯車」の(一)は「レエン·コオト」である。章題に用いられている「レエン·コ
オト」は、(一)のみならず「歯車」全体における主人公の心象の暗合点として
提示されている。「レエン·コオト」が初めて現われるのは作品冒頭のある理髪
店の主人の言葉のなかである。
「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るつて云ふ
んですが。」……
「尤も天気の善い日には出ないさうです。一番多いのは雨のふる日だつて
云ふんですが。」
「雨のふる日に濡れに来るんぢやないか?」……
「御常談で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だつて云ふんです。」
こういう方式で現われた「レエン·コオト」は次々に主人公<僕>の目に出て
くる。(一)の中には、「レエン·コオト」は次の順序で現示する。
①待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺め
てゐた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思ひ出した。
②するとレエン・コオトを着た男が一人僕等の向うへ来て腰をおろした。
僕はちよつと無気味になり、何か前に聞いた幽霊の話をT君に話したい心も
ちを感じた。
③レエン・コオトは今度も亦僕の横にあつた長椅子の背中に如何にもだ
らりと脱ぎかけてあつた。
④僕の姉の夫はその日の午後、東京から余り離れてゐない或田舎に轢死し
てゐた。しかも季節に縁のないレエン・コオトをひつかけてゐた。
この一節の中に現われていた「レエン·コオト」は、まず「幽霊」というイメー
ジとともに「僕」に恐怖の印象を与える。
「レエン·コオト」の出現の頻度が次第
に多くなって、他のイメージも<僕>に不快や憂鬱な感じを与えるので、<僕
13
>がいよいよ不安になって、無気味になる。その中では、結婚披露宴の晩餐の時
に見た肉の上の蛆と、人気のないホテルの廊下と、ひっそりしたホテルの部屋
なども「僕」の不安と不快に拍車をかけた。また、給仕の「オオル·ライト」という
言葉も「僕」にわけの分からない不安を感じさせる。このように、各イメージが
重なって連鎖している。この一節は僕の姉の夫の死の知らせで終わった。特に、
終わるところの姉の夫の死は僕に不安感や恐怖感を深めた。それは、姉の夫は
自殺の時「季節に縁のないレエン・コオトをひつかけてゐた」からである。第二
章「復讐」の結末のところにも「レエン·コオト」は出ているが、これも(一)と
同じように<僕>の無気味、不快の気持ちを与えるものである。
もし(一)と(二)の「レエン·コオト」は<僕>の恐怖、不安、無気味、不快
などの心象の暗示だとすれば、最後の「飛行機」に現われているこのイメージは
「僕」の死への帰結へと発展してきたと言える。<僕>は「東海道線の或停車場
からその奥の或避暑地へ自動車を飛ばした。運転手はなぜかこの寒さに古いレ
エン・コオトをひつかけてゐ」た。ここで、
「レエン·コオトは」
「古い街道を通る
一列の葬式」の風景と重なって、最終章の始めの部分からはもう<僕>の終焉
の運命を暗示しているだろう。
(二)歯車
歯車は作中のもう一つの最も重要なイメージである。しかも、それは作品全
体を貫いて、<僕>の心象を分析する手がかりの一つである。歯車は文中の三
箇所に現われている。
①……のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なもの
を?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ
経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視
野を塞いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる
代りに今度は頭痛を感じはじめる。
②僕の右の目はもう一度半透明の歯車を感じ出した。歯車はやはりまはり
ながら、次第に数を殖やして行つた。
③何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ
半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいた
ことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖える
14
のにつれ、だんだん急にまはりはじめた。
この歯車の出現は錯覚で幻視でありながら、芥川の現実の体験でもあった。
このことは斉藤茂吉にあてた書簡に語られている16。<歯車>というイメージ
について、眼科医たちの病理的な分析がある。椿八郎は眼科医の立場から推理
的診断をして、芥川龍之介は眼科領域の奇病“閃輝暗点”の発作にしばしば悩
まされておられたと言う。さらに、彼はそう言う病気は芥川の自殺と深い関係
があることを指摘している。彼は「芥川さんが、自殺されたのは、このことばか
りが原因でなかったかもしれない。けれど、僕の臆測するとことでは、このギリ
ギリ廻って見える歯車と、それにつづくはげしい頭痛が、あの頃、非常に頻繁に
襲ってきて、それを母親の狂死と結びつけられたのではないか。」17と言ってい
る。また、加賀乙彦は歯車の幻覚は眼性片頭痛または閃光暗点といわれる病気
だ18と診断をつけている。
そのような妄想の世界にすむ<僕>には、偶然に出会った事柄が次々と一連
の意味を与えられたのである。例えば黄色のものはすべて、松林も本も不吉の
象徴とされ、反対に緑色のものは吉兆とされる。<僕>の歯車体験は、<僕>と
いう存在と、その外なる世界の違和を象徴するのであろう。この歯車もレエン·
コオトのように、<僕>の不安、不安から死と終焉への道を暗示し、<僕>の心
象から心象への変化の道を暗示している。
(三) 復讐の神
作品の第二章は「復讐」を題として、<僕>の認識を描いている。この一章は
第一章に続いて、いつも<僕>に恐怖だの不安だのを与える現象から始まる。
その現象というのは、朝、目が醒めるとスリッパーが片っぽしかないというこ
とである。章の内容は復讐の認識を提出することをめぐって展開していく。こ
の章の結末の部分には次のように「復讐の神」が登場した。
「一番偉いツオイスの神でも復讐の神にはかなひません。……」
僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行つた。いつか曲り出し
た僕の背中に絶えず僕をつけ狙つてゐる復讐の神を感じながら。……
16 昭和二年三月二十八日付の斉藤茂吉にあてた書間に次のように書いている:一休禅師は朦々三十年
と申し候へども、小生などは碌々三十年、一爪痕も残せるや否や覚束なく、みづから「くたばってしまへ」
と申すこと度々に有之候。御憐憫下され度候。この頃又半透明なる歯車あまた右の目の視野に回転する事
あり、或いは尊台の病院の中に半生を終ることと相成るべき乎。
17
「『歯車』と眼科医」 椿八郎 一九六九、東峰書房間刊『随想・鼠の王様』所収
18
「『歯車』の診断」 加賀乙彦 「現代日本文学大系」筑摩書房 昭和 53.11
15
一体この「復讐の神」の実体は何であろうか。次の章を読まないと分からない
のであろう。次の第三章、第四章はその復讐の神への疑問や解析などにそって
展開して行ったからである、作品の次の数章を辿りながら、
「復讐の神」の実体
を考察していこう。
まず、(三)の「夜」の結末のところを見よう。<僕>は夢の中で、妻に子供の
世話を言い付けているうちに、
「復讐の神」なる「狂人の娘」を見かけたのである。
と同時に、今まで執拗に<僕>を悩まし続けた「復讐の神」の実体が、
「狂人の
娘」との日常的、道徳的な罪に他ならないことを、はっきり認識するのである。
作中には次のように書いている。
……そこには又Hと云ふ大学生や年をとつた女も佇んでゐた。彼等は僕の
顔を見ると、僕の前に歩み寄り、口々に僕へ話しかけた。
「大火事でしたわね。」
「僕もやつと逃げて来たの。」
僕はこの年をとつた女に何か見覚えのあるやうに感じた。のみならず彼女
と話してゐることに或愉快な興奮を感じた。そこへ汽車は煙をあげながら、
静かにプラツトフオオムへ横づけになつた。僕はひとりこの汽車に乗り、両
側に白い布を垂らした寝台の間を歩いて行つた。すると或寝台の上にミイラ
に近い裸体の女が一人こちらを向いて横になつてゐた。それは又僕の復讐の
神、――或狂人の娘に違ひなかつた。……
「狂人の娘」のことは、「或る阿呆の一生」にも出ている。
……前の人力車に乗つてゐるのは或狂人の娘だつた。のみならず彼女の妹
は嫉妬の為に自殺してゐた。
「もうどうにも仕かたはない。」
彼はもうこの狂人の娘に、――動物的本能ばかり強い彼女に或憎悪を感じ
てゐた。
二台の人力車はその間に磯臭い墓地の外へ通りかかつた。蠣殻のついた粗
朶垣の中には石塔が幾つも黒んでゐた。彼はそれ等の石塔の向うにかすかに
かがやいた海を眺め、何か急に彼女の夫を――彼女の心を捉へてゐない彼女
の夫を軽蔑し出した。……
「或る阿呆の一生」(二十一)「狂人の
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