君, 諸 学生 いま病理がおもしろいぞ! −病理学自主学習のススメ− 連 載 第9回 症例から学ぶ ②症例報告 * 横尾英明 中里洋一 * はじめに 案を書いてみても跡形もなく加筆されてしまったことなど を理由として挙げていた. 最近の本学の医学教育カリキュラムは臨床に偏重したも 1.夜学生の存在は当教室の伝統 群馬大学医学部第一病理学教室(現在名:病態病理学分 野)には古くから学生が自由に出入りする伝統がある.教 室創設者の川合貞郎名誉教授のモットーは「和を以て尊し と為す」であり,そのお人柄に惹かれて開学当初から多く の学生が「夜学生」と称して教室に出入りしていたと聞 く.そのなかのお一人であった石田陽一名誉教授が後任と して教室を主宰され,川合先生のご専門の一つであった神 のとなり,基礎医学の時間数が減らされている.そのせい か学生の解剖学,組織学の知識は従来よりも落ちているよ うに感じられる.病理学はこれらの知識の上に成り立つ が,基礎となる知識が不十分なうちに病理を学んでも「面 白い!」と思えるくらいまで理解を深めてもらっている か,そこには甚だ心許ない状況が存在する. そこで最近では未診断の剖検例を渡して切り出しから病 理解剖診断書の作製までを一貫して担当してもらったり, 経病理,なかでも脳腫瘍病理を大いに発展させられた.現 教授も学生時代から教室に出入りを始め,両先生から病理 解剖や病理学的研究を学ばれた.筆者は大学 5 年生の時に 現教授の夜学生の一人として教室の出入りを許され,その 珍しい生検例を臨床病理学的に検索してもらうなど,日常 の病理業務に根ざしたテーマを中心に据えている.一部の 学生はそれを論文発表のレベルまで高めている. 3.つかみは OK ? 後最初の大学院生となり,今日に至っている. この伝統は今なお健在である.剖検例の検索,教育症例 標本の検鏡,病理学的研究,症例報告の執筆など,各自が それぞれのテーマに取り組んでいる(図 1).全ての教室員 が学生の指導に熱心で,それぞれのスタンスで学生との接 点をもっている. 2.あるべき病理学自主学習の姿とは 筆者は学生の病理学自主学習のテーマとして何がふさわ しいかを,代々の夜学生らと共にこの 10 年間くらい模索 してきた.初期には研究活動に興味のある学生を集めて筆 者の研究に参加してもらった.その成果は 3 編の論文とし 学生が教室に出入りするきっかけはさまざまである.教 授が顧問を務める部活に属している,部活の先輩が病理学 教室にいる,正規カリキュラムの病理学実習で教員と知り 合った,既に教室に通っている友人を介して紹介しても らった,留年したから,などと多種多様である. 若い人で賑わう教室は学生にも魅力的に映るに違いない と考え,人の波が途切れることのないよう,受け入れる 我々の側としても折に触れて学生へのアピールを欠かさな いようにしている. てまとまった1─3).しかし学生カリキュラムの過密化なら びに教員の多忙化によって研究指導は次第に困難となって きた.また彼らに感想を聞いてみると,研究活動に従事で きた満足感はあっても,それと共にある種の物足りなさも 抱いたようである.例えば研究のモチーフは教員が提示し たものであったとか,研究手技の一部を担当したが全体を 組み立てるほどの貢献はできていなかったとか,論文の原 ………………………………………………………………………………… 群馬大学大学院医学系研究科病態病理学分野 * 0287─3745/07/¥100/ 頁 /JCLS Ⅰ.剖検例の検索 1.切り出しから検鏡まで 当該症例の解剖に立ち会えればなおよいが,授業等の関 係で難しいことが多いので,ホルマリンに貯蔵された臓器 を学生に与えるところから剖検例の検索は始まる.解剖依 頼書とマクロ所見をまとめたプロトコールを学生に渡し, ひとまず読んでもらってから指導医が症例の内容を説明 し,病理解剖の目的を理解させる.次いで臓器の肉眼観察, 写真撮影,切り出しを行う.自動包埋装置の完了時間は学 病理と臨床 2007 Vol. 25 No. 2 171 図 1 教育用症例の検鏡に取り組む医学科 4 年(当時)の学生と筆者 過去の診断書を渡して参考にしてもらい,見よう見まねで 体裁を整えてもらう.指導者のチェックを経て完成したら 学生の署名も添えている. 検索が済むと CPC において病理側を代表して演者を務 めることとなる.プレゼンテーションに必要な写真や説明 のスライドを準備するわけだが,人前で発表することを意 識して標本を見直し,写真に収めていく作業は症例の一層 の理解に役立つ.プレゼン資料が出来上がると指導医が発 表の振り付けをし,いよいよ本番を迎える.当日はマクロ およびミクロの所見を提示した後に症例を総括する.臨床 医からの質疑もまずは学生演者に振るが,十分に答えられ ない場合は指導医が補足する.学生としてはかなり緊張す るようだが,堂々と演者を務め上げている姿をみると指導 医としても胸をなで下ろす. 4.同級生の前で行う CPC もある 群馬大学の臨床実習は 5∼6 年生にかけて行われており, その実施方式から前期(全科必修)と後期(選択制)に分か 生の都合に合わせて適宜決める. 包埋,薄切,染色は技師に指導を依頼している.薄切の 要領がつかめれば空き時間を利用して 1 つずつパラフィン ブロックを削っていけばよいので,お互いのスケジュール 調整に悩むことはほとんどない. 標本が出来上がると指導医がひとまず全ての標本に目を 通して,今後の指導の方向性を把握する.「きれいな標本 れる.病理はそのいずれにも開講されており,当教室では 後期に回ってきた学生に未診断の剖検例を与え,上記と同 様,切り出しから解剖診断書作成までをさせている. また 6 年生には「実践病態学講義:応用病理学」という 座学の科目があり,専門家を招いた講演会などに加えて CPC も開催している.臨床各科にも協力を仰ぎ,一般の 講義室で行うこと以外は付属病院内の CPC と同様である. この時に提示する症例は後期臨床実習で学生に与えた剖検 ができたね」と一言付け加えてあげると,学生は愛着のあ るお手製の標本を熱心に観察する. 2.学生と一緒に所見の確認 学生がひと通り観察を済ませて自分の言葉で所見をまと 例を使用し,検索した学生に病理側の演者を務めてもらっ ている.いわば同級生の前で病理医に成り代わってレク チャーするわけである.聞いている学生にとって,これは 相当に新鮮な光景のようで,発表後には同級生の聴衆から めたら,ディスカッション顕微鏡で指導医が標本の見方を 教える.通常の学生実習ではスクリーンに映された映像や アトラスで病理組織学を学ぶが,同じ視野を共有しながら 指導すると学生の理解は段違いによくなる.病理医教育が このようになされている現実を考えれば,この方法の教育 効果の高さは当然のことであるが,時間が許せば常日頃か ら学生にも目合わせによる指導をしてあげたいと思う. 一連の過程で学生は解剖学や組織学,場合によっては生 理学などの知識もおさらいする必要性に迫られる.しかし 目的意識のはっきりした復習は非常に学習効果が高い.以 前に正規のカリキュラムで学んでいた際にはよくわからな しばしば拍手が送られる.当該臨床科からもオーベンクラ スの先生が出席してくださることが多く,臨床科にとって も学生への格好のアピールの場となっているようである. CPC で取り上げられた症例は当教室の卒業試験の出題 範囲に含めることを常としており,発表に携わった学生に はそれが多少のインセンティブとして働き,また試験が近 づくと彼らは同級生から大モテするとのことである. 5.剖検症例を誌上発表 さらに意欲のある学生には症例を論文形式でまとめても らい,群馬県医師会の機関誌に発表させている.同誌は興 味ある剖検症例の連載を 500 回以上も続けており,記録に かったことも,ここで一気に理解を深める学生も少なくな い. 一緒に検鏡しながら学生がまとめた組織学的所見に加筆 し,後で清書してもらう.症例の内容がおよそ理解できた ら,必要に応じて特殊染色や免疫染色を行ってもらう.病 理専門医であれば必ずしも必要のない特殊染色も,ここは 教育目的もあって何かをやってもらうことが多い. 3.病理解剖診断書の作成と CPC 次いで病理解剖診断書の執筆に取りかかる.見本となる よれば第 1 回は 1959 年,初代教授の川合貞郎先生のお手 によるものである.昨今では病理学教室の若手病理医が交 替で執筆を担当しているが,そこに学生の原稿も受け付け てもらっている.同誌は掲載原稿の別刷を無料で作製して くれるので,勉強の成果を目に見えた形で残すことがで き,学生には論文を仕上げたような達成感があるようであ る.これまでに学生がまとめた症例リストを表 1 に示す. 群馬県医師会のご高配には我々も深く感謝している. 172 病理と臨床 2007 Vol. 25 No. 2 表 1 学生が検索して群馬県医師会報に掲載された剖検症例 学生名 八幡真弓 喜多和代 多胡香織,渡辺 亮 今井航介 菅原江美子,米浦直子 宮崎 郁,天田早香 CPC483 回 CPC487 回 CPC500 回 CPC502 回 CPC506 回 CPC510 回 高橋知子 CPC511 回 題 名 刊行日 原発性胆汁性肝硬変に肝腫瘤を合併し 15 年の経過で死亡した 84 歳の女性 出生前診断にて先天性横隔膜ヘルニアが認められ,生後 3 日で死亡した女児 腟原発悪性黒色腫にて化学療法が奏効せず 7ヵ月の経過で死亡した 73 歳女性 肺原発多形癌にて 1 年 2ヵ月の経過で死亡した 66 歳男性 皮膚転移を初発とし,原発巣の確定が困難であった腺癌の 1 症例 C 型肝炎のインターフェロン療法中に血小板減少,腎機能障害を契機に約 3ヵ月 の経過で死亡した 65 歳男性 進行胃癌にて化学療法が奏効せず,約 11ヵ月の経過で死亡した 43 歳男性 2003 年 10 月 2004 年 2 月 2005 年 7 月 2005 年 9 月 2006 年 3 月 2006 年 9 月 2006 年 10 月 1.貴重な症例を埋もれさせないために 日常の病理診断業務で我々はさまざまな興味ある症例に うための配慮でもあった.しかし学生に書かせた cover letter とは別に,学生には内緒で編集部に連絡を入れたこ ともあった.筆頭著者は学生なので,できることでしたら 教育的配慮のあるコメントをお願いしますと. 論文の査読に当たった方がどなたであったか,こちらと 遭遇する.しかし忙しさにかまけて症例報告を怠り,塩漬 けになった貴重な症例の 1 つや 2 つは病理医だったら誰に でもあると思われる.このようなものを埋もれさせない方 策として,筆者は学生に症例を与えて症例報告を目標に検 索してもらうようにしている. まず症例を一緒に検鏡する.症例のもつ意義を筆者のわ かる範囲で説明するが,稀少例であるためにこちらも十分 にわかっているわけではない.そこで追加して実施すべき しては知る由もない.しかしいずれも非常に暖かいコメン トをいただいた.再投稿の結果すぐに受理された.最初に 指導した学生の論文 4)は筆者が留学に旅立つ寸前のこと で,受理の知らせは現地に着いてから「結実」と題される 学生からの電子メールで知ったことが懐かしく思い出され る.また 2 本目の論文 5)では,掲載号の編集後記に我々の 取り組みを編集委員会でも評価して下さっている旨が記さ れ,また同論文は本誌の佐野壽昭先生(徳島大学)の論文 検索事項,文献検索の方法,まとめ方の要領などを示して, 症例報告の本質である「この症例から学べる点を読者にい かにわかりやすく伝えるか」を念頭に作業に取りかかって もらう.同様な所作でこれまでのところ 3 名の学生が論文 にも引用され 7),その道の専門家も価値を認めてくださっ たと学生と一緒に大いに喜んだ.3 番目の論文 6)は剖検症 例で,切り出し,標本作製,CPC を経て症例報告までを 複数の学生が分担して仕上げた. 刊行までたどり着いた 4─6). 2.「診断病理」誌の良い点 発表の場として我々は「診断病理」誌に着目した.同誌 は著者の誰かが病理専門医であれば原稿を受け付けてもら え,原稿の長さが適当であることに加え,当教室若手の投 稿の査読が教育的だった経験などから,学生にもふさわし いだろうと考えたからである.また学生に向かって「最初 から英文で」などと気張ると,往々にしてほろ苦い挫折を 味わうことになりかねないことも考慮した. 3.論文作成から投稿へ 文献の渉猟は一般的な教科書から始まり,和文専門書, 4.学生のその後 最初の論文 4)を書いた学生は卒後,某大学の麻酔科に 入ったと聞いている.彼女は癌全般に興味があったよう で,外科,病理,麻酔科のなかで最終的に麻酔科を選んだ ようだ.病理とならび医療を下支えする診療科を選んだの は,目立たないところにも重要な役目が存在することに気 づいたからでは,などと勝手に想像している.2 番目 5)の 学生は 2006 年春に大学を卒業し,こちらとしては臨床研 修終了後に病理の門を叩いてくれることを切に願ってい る.3 番目6)の学生は現在 5 年生で,将来は病理医か画像 診断医が希望とのことである.筆者の経験ではこの 2 つの 英文専門書,和文論文,英文論文へと進み,既報告例と比 較することで当該症例の意義を深めさせ,一字一句に責任 をもって記述することの重みを教え,何度も推敲してわか りやすい文体に整え,投稿規定に沿った形で内容を収斂さ せていく.さらに本文を補完する適切な図表の作成も同時 並行で進める.通常の学業の合間での作業であったが,2 ∼3ヵ月程度で論文は完成した. 投稿時の連絡先(corresponding author)はいずれも学生 とした.査読意見に対処することの何たるかを知ってもら 科に同時に興味を示す学生は少なくないようだ.彼らが盛 んに取り組んでいる国家試験の問題集などでは,共に写真 問題として登場するところである.学生は写真がカラーか 白黒の違いくらいしか両者を区別していないかもしれない が,病理は病変の実物を取り扱う分野であり,必要に応じ て分子レベルの解析もできることを説明して,病理の特徴 をアピールしている. 5.自主学習に最適な時期 筆者個人の印象では,学生への病理学自主学習の指導は Ⅱ.症 例 報 告 病理と臨床 2007 Vol. 25 No. 2 173 臨床科目が始まって臨床実習の始まる少し前あたり(本学 のカリキュラムでは 4 年生後半に相当する)が一番効果的 だと感じている.その理由として,人は誰しも自分の得意 な方法で物事を考えたり処理しようとするものだが,まだ 臨床科目の理解が不十分な段階で病理の知識が相対的に高 くなると,学生は病理学を思考の中心に据えて医学をとら えるようになるからではと考えている.次の好機は臨床実 習終了後で,彼らの断片的な医学知識をつなぎ合わせるの に病理学的思考が大いに役立っているように思う.しかし 卒業間近になって唐突に病理学教室に通うという状況を演 出することは困難なので,もっと早い段階からの啓蒙活動 が欠かせない. おわりに 我々の究極の目的は病理医志願者を 1 名でも多く発掘す ることである.当教室に属する若手は学生時代から出入り していた者が多く,他施設の昨今の状況と比較しても病理 医をいくらか多くは輩出していると思われ,このような活 動が十分とは言わないまでも多少の役割を果たしてきたの ではないかと考えている.また本学卒業生が地元に帰って 病理を専門に選んだという話を聞いた時なども,何やらと ても報われたような気持ちになる. しかし我々が学生の自主学習に対して払ってきた努力の 果実は,対象学生だけにとどまっていないようにも感じて いる.学生からみた病理学の敷居はおそらく低くなってい るだろうし,彼らは病理のよき理解者となって臨床現場に 散っているであろう.そういう彼らがいつ病理に転向して くるかもわからない.実際に当教室では臨床医を経験して から病理に再入門する人も少なくない. またこんな別の見方もできると思う.「同級生の何某が どこかの研究室に通って何か面白いことをやっているらし い」という状況は,感受性の高い学生にはとても刺激にな る話ではないだろうか.学生の関心が病理のみに集まらな くても,刺激を受けた学生が各々好きな研究室に通って自 主的な学習に取り組むという状況が生まれれば,大学教育 174 病理と臨床 2007 Vol. 25 No. 2 全体にとっても好ましいことであろう. 筆者は研究者を夢見て大学に進学し,学生時代は数々の 研究室を訪問して,時には研究活動に参加させてもらって 自らの適性を見極めつつ進路を模索したが,最終的に当病 理学教室を選んだのは,学問的な理由だけでなくアット ホームな居心地のよさに惹かれたからである.その一方で 学生時代には多少の悔いも残した.できることなら学生時 代に論文を書いてみたいと思っていたが,当時はそこまで 面倒をみてくれる師に巡り会えなかった.そんな経験も あって,自分が学生を教える立場になったら学生に論文発 表の機会を提供してあげようと考えてきた.夜学生を大切 にする当教室の伝統と自らの思いを重ねたこのような活動 が,病理医の人材発掘や医学生教育全般の底上げに役立つ と信じ,今後とも地道に継続していきたい. 文 献(*印は学生) 1)横尾英明,石原亜希子*,礒田浩二 他:メセナミ ン銀を利用した簡便なメラニン顆粒染色法.病理 と臨床 1998,16:889─891 2)Yokoo, H., Isoda, K., Sakura, M.* et al.:A novel monoclonal antibody that recognizes human perivascular cells of the central nervous system under a specific immune reaction. Neuropathology 2000, 20:216─220 3)Yokoo, H., Nobusawa, S.*, Takebayashi, H. et al.: Anti─human Olig2 antibody as a useful immunohistochemical marker of normal oligodendrocytes and gliomas. Am J Pathol 2004, 164:1717─1725 4)藤田かおり*,横尾英明,富沢雄一 他:66 歳女性 の鼠径管内に発生した chondroma の 1 例.診断病 理 2000,17:397─398 5)太田池恵*,横尾英明,堀口桂志 他:頭蓋底部に 発生した脊索腫の 5 例.診断病理 2004,21:105─ 108 6)関根彰子*,蜂須賀健*,横尾英明 他:耳下腺原発 小 細 胞 癌 の 一 剖 検 例. 診 断 病 理 2006,23:262─ 265 7)佐野壽昭:トルコ鞍部・鞍上部腫瘍.病理と臨床 2004,22:1037─1043
© Copyright 2024 Paperzz