112 研究ノート Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法 谷中 誠 鈴鹿医療科学大学 保 衛生学部 理学療法学科 1.はじめに 「一つの物語」として理解する。そして,「唯一の正し い物語り」が存在するとは えない。その時,その時 近年,ポストモダン思想の医療・福祉の世界への影 の事情に応じて「より適切な物語り」を選択すればよ 響として narrative(ナラティブ)をキーワードとした いと える。現代のナラティブアプローチの え方で 潮流が見られる。1998年に Greenhalgh らが, 『Narra- は,ナラティブは,私達が生活している社会や文化を tive Based Medicine』を出版し ,Narrative based 背景として,相互 流的な語りの中から恣意的に作り (NBM )という用語が医療の世界に普及しつ medicine 出される(構成,構築される)と える。このような つある。札幌医科大学の山本和利らは,開業医のプラ 立場を社会構成主義あるいは構築主義(social con- イ マ リーケ ア に お け る NBM の 重 要 性 を 強 調 し, structionism)と呼ぶ。私達の手の届かないどこかに, EBM を補完するものとして捉えている 。地域リハビ すでに決定された客観的な真実があるとは えない。 リテーションを担う理学療法士としても,患者中心の 客観主義的実在論を否定する。医療においては,治療 医療を志す限り,無視することのできない潮流である。 関係の中で,医療従事者と患者が患者にとってより望 本稿では,NBM の概略を紹介するとともに,地域理学 ましい新しい物語の共同執筆者となることこそが医療 療法への応用と今後の課題について 察する。 の本質であると えるものである 。 なお,narrative とは,英語で, 「物語」を意味する 一 方,医 療 の 世 界 で は,1990年 代 に 入 り,EBM が,一般に外来語としてのニュアンスを日本語の「物 (evidence based medicine) が強調されてきた。 (EBM 語」と区別するためか, 「ナラティブ」と表記されるこ という言葉は 1991年に Guyatt GH により提唱され とが多い。 た 。)EBM は, 「科学的な根拠に基づく医療」と訳さ 2.Narrative based medicine(NBM )と は ナラティブの視点は,理論や仮説や判断などを全て れるが,それが,客観主義的実在論に基づいているこ とはいうまでもない。客観的なデータに基づいた治療 行為によって,人類は病から解放されると える。集 団的なデータに基づく限り,人間に対する見方は,個 Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法 113 別性から離れ,人間を機械としてみなす傾向に陥るの しい物語を書き綴ったあげくに,不幸な病人の山を築 ではないかという危惧が生まれる。それは,個々の人 く恐れはないだろうか。だから,EBM が必要というこ 間の実存を無視した医学的モデルで,患者をみがちで とになるが,正反対のものを融合させることが可能だ あるということを意味する。そこで,EBM への対抗文 ろうか。両方の長所のみを取り入れて融合させること 化として,NBM が提唱されてきたというのは,もっと は可能だろうか。NBM を EBM の対抗文化として捉 もなことであろう。 えるならば,そのようなご都合主義が成り立つとは思 えない。NBM とは,要するに,卓越した医療従事者 実際の一般診療における NBM の実践プロセスは, 以下のごとくである 。 が,昔から,実践していたことをいいかえただけだと はいえないだろうか。卓越した医療従事者が蓄え,そ して,その人々とともに消えていったであろう実践知 ⑴ 患者の病いの体験の物語り」の聴取のプロセス (listening) に光をあて,その重要性を強調することに大きな意義 があることは確かであるが,それが NBM である必要 ⑵ 「患者の物語りについての物語り」の共有のプロ セス(emplotting) があるのだろうか。 現代医療の非人間性に対する批判は,医療事故など ⑶ 「医師の物語り」の進展のプロセス(abduction) に絡み,最近,厳しさを増してはいる。しかし,けっ ⑷ 「物語りのすり合わせと新しい物語りの浮上」の して今に始まったことではない。それは,医療を描い プロセス た多くのドラマの中で,非人間的な治療行為をする医 (negotiation and emergence of new story) ⑸ ここまでの医療の評価のプロセス(assesment) 師と人間的な治療行為を目指す医師との相克として, 常に描かれてきた医療にまつわる基本的なテーマであ るといえる。単純に人間的(ヒューマンな)医師を正 以上を対話 析と事例研究を研究方法論としながら, 実践していくのである。 義の味方として描くというステレオタイプなものが多 かったとしても,科学的な医療と,そこから派生する 人間疎外というテーマは,一般には,それほど新しい 3.NBM と EBM テーマではない。ただ,それが,医療の世界で真剣に EBM の基底にあるのは,現在まで,近代社会を支配 論じられてきたかというと意見が かれるだろう。こ してきた理性を崇拝するヨーロッパ啓蒙思想(モダニ のような医療上の問題を解決するために,従来から試 ズム) であり,NBM の基底にあるのは,それを徹底的 みられてきたように,様々な面接技法を取り入れ,患 に批判するポストモダン思想である。この二つを相補 者中心の医療を心がけるというスタンスとどう違うの 的なもの,車の両輪と例える かについては,現在のところ,著者としては,明確に のに対しては,強い違 和感をおぼえる。 できていない。 そもそも,著者にとっては,EBM が登場したこと自 ここでは,EBM と NBM の関係を単純化しすぎて 体がたいへんな驚きであった。今までの医学とはいっ いるかもしれないが,割り切って えれば,臨床経験 たい何であったのか。近代医学の生み出した莫大な量 の豊富な医療従事者から見れば,EBM も NBM も当 の研究論文は何を研究していたのだろうか。それはそ たり前のことをいっているに過ぎないともいえる。そ れで,別の機会に論ずるとして,これからは,科学的 の当たり前のことを再認識する必要があるからこそ, にやろうというのは,望ましいことである。それがま 思 の枠組みとして取り上げられていると えるのが, た,なぜ,NBM なのだろうか。 妥当かもしれない。EBM あっての NBM ということ NBM は,悪くすると,あいまいで,情緒的な,あや なのである。今まではこの両者のバランスがとれてい 114 ないがために,臨床知をどのように形成していけばよ なデータを実際に収集することは不可能に近いといわ いのかがあいまいであったと えればよいのかもしれ ざるを得ない。今日までの地域理学療法に関する研究 ない。しかしながら,基底となる思想がまったく相容 発表をみると,統計的に信頼性の高い研究は,やはり れない思想である以上,補完的ではありえないのであ 困難であるという結論にいたる。それでは,NBM は, る。EBM と NBM(本来の意味でのナラティブに基づ 単なる代替医療の一種として位置付けられるのであろ くという意味での NBM )の両極端のスペクトルの間 うか。前述したように,ナラティブアプローチとは, で,どこに位置するかを個々の医療従事者が選択を迫 そもそも,データを操作して,普遍的な結論を得るこ られることになろう。その意味では,NBM とは, 「ナ とは最初から不可能であるという前提でものを えて ラティブモドキ」としてしか存在しえないと著者は いくのであって,安易に補完物として えるのである。これは,心や社会を対象とした心理学, 無理がある。この違和感は,本質的なものであって, 社会学,哲学などの人文学と自然科学との中間に位置 調和するものではない。結局は,EMB と NBM の両極 する臨床医学の特性と えるべきかもしれない。それ 端のスペクトルの中で,どの位置に自 は,臨床医学の隣接 野(看護,臨床心理,ケースワー 個々のセラピストが独自に決定していくことになるだ クなど)とは,また,異なっている。それにしても, ろう。著者自身としては,NBM に立脚した地域理学療 患者中心の医療を重視する立場から見ると NBM の 法を構築することに理学療法の新しい可能性を見いだ スタンスは十 に価値があるのである。 したいと えている。 4.NBM と地域理学療法 5.今後の課題 身体機能を対象とした臨床医学の一 野である理学 えていくには が立つのかを, 今後の課題として,EBM と NBM の接点について, 療法は,心理療法や,ケースワークなどの心や社会的 具体的な対話 析,事例 析を基に探求することが必 な問題を扱う 野とは異なる。心理療法,ケースワー 要であると えている。さらに,それが,地域理学療 ク,また,ケアワークや看護と比較すると,相対的に 法の臨床にいかなる作用を持つものかを具体的に検討 いって (あくまで相対的にである),人間を機械として する必要がある。 捉えるところで仕事をしている。EBM が成り立つ土 壌がまったく存在しないとはいえない。しかし,リハ 参 文献 ビリテーションとは,人間的な行為であり,それを無 1)トリシャ・グリーンハル,ブライアン・ハーウィッ 視したところでは,存在価値を疑われるのは間違いな ツ編集,斎藤精二・山本和利・岸本寛 監訳,ナラ い。そこで,NBM が重要となるのである。 ティブ・ベイスト・メディスン,金剛出版,2003 また,別の現実的視点で,NBM の え方を地域理学 療法に応用することの意義が えられる。病院,施設 と異なり,地域理学療法では,個別の在宅患者の理学 療法が基本であり,EBM の え方では,対処が困難で あるという現実的な問題がある。病院,施設等で得ら れた EBM に基づく知見を個別の在宅患者に応用する には限界がある。統計理論としては,統計的に有効な データさえ集めれば,有意義な結論を引き出すことは 可能である(EBM の現状での限界 を無視したとし て)。しかし,理学療法士が現実の患者から,そのよう 2)山本和利編著,脱専門化医療,診断と治療社,p. 243,2001 3)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ ディスンの実践,金剛出版,pp. 18-21,2003 4)山本和利,EBM を飼いならす,中外医学社,p. 1,2002 5)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ ディスンの実践,金剛出版,p. 32,2003 6)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ ディスンの実践,金剛出版,p. 30,2003 Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法 115 7)山本和利,EBM を飼いならす,中外医学社,pp. 3-4,2002 116 Narrative Based Medicine (NBM ) and Community-Based Physical Therapy M akoto TANINAKA Department of Physical Therapy, Faculty of Health Science, Suzuka University of Medical Science Key Words:Narrative based medicine, NBM, Community-based physical therapy
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