Narrativebased medicine(NBM)と地域理学療法

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研究ノート
Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法
谷中
誠
鈴鹿医療科学大学 保 衛生学部 理学療法学科
1.はじめに
「一つの物語」として理解する。そして,「唯一の正し
い物語り」が存在するとは えない。その時,その時
近年,ポストモダン思想の医療・福祉の世界への影
の事情に応じて「より適切な物語り」を選択すればよ
響として narrative(ナラティブ)をキーワードとした
いと える。現代のナラティブアプローチの え方で
潮流が見られる。1998年に Greenhalgh らが,
『Narra-
は,ナラティブは,私達が生活している社会や文化を
tive Based Medicine』を出版し ,Narrative based
背景として,相互 流的な語りの中から恣意的に作り
(NBM )という用語が医療の世界に普及しつ
medicine
出される(構成,構築される)と える。このような
つある。札幌医科大学の山本和利らは,開業医のプラ
立場を社会構成主義あるいは構築主義(social con-
イ マ リーケ ア に お け る NBM の 重 要 性 を 強 調 し,
structionism)と呼ぶ。私達の手の届かないどこかに,
EBM を補完するものとして捉えている 。地域リハビ
すでに決定された客観的な真実があるとは えない。
リテーションを担う理学療法士としても,患者中心の
客観主義的実在論を否定する。医療においては,治療
医療を志す限り,無視することのできない潮流である。
関係の中で,医療従事者と患者が患者にとってより望
本稿では,NBM の概略を紹介するとともに,地域理学
ましい新しい物語の共同執筆者となることこそが医療
療法への応用と今後の課題について 察する。
の本質であると えるものである 。
なお,narrative とは,英語で,
「物語」を意味する
一 方,医 療 の 世 界 で は,1990年 代 に 入 り,EBM
が,一般に外来語としてのニュアンスを日本語の「物
(evidence based medicine)
が強調されてきた。
(EBM
語」と区別するためか,
「ナラティブ」と表記されるこ
という言葉は 1991年に Guyatt GH により提唱され
とが多い。
た 。)EBM は,
「科学的な根拠に基づく医療」と訳さ
2.Narrative based medicine(NBM )と
は
ナラティブの視点は,理論や仮説や判断などを全て
れるが,それが,客観主義的実在論に基づいているこ
とはいうまでもない。客観的なデータに基づいた治療
行為によって,人類は病から解放されると える。集
団的なデータに基づく限り,人間に対する見方は,個
Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法 113
別性から離れ,人間を機械としてみなす傾向に陥るの
しい物語を書き綴ったあげくに,不幸な病人の山を築
ではないかという危惧が生まれる。それは,個々の人
く恐れはないだろうか。だから,EBM が必要というこ
間の実存を無視した医学的モデルで,患者をみがちで
とになるが,正反対のものを融合させることが可能だ
あるということを意味する。そこで,EBM への対抗文
ろうか。両方の長所のみを取り入れて融合させること
化として,NBM が提唱されてきたというのは,もっと
は可能だろうか。NBM を EBM の対抗文化として捉
もなことであろう。
えるならば,そのようなご都合主義が成り立つとは思
えない。NBM とは,要するに,卓越した医療従事者
実際の一般診療における NBM の実践プロセスは,
以下のごとくである 。
が,昔から,実践していたことをいいかえただけだと
はいえないだろうか。卓越した医療従事者が蓄え,そ
して,その人々とともに消えていったであろう実践知
⑴ 患者の病いの体験の物語り」の聴取のプロセス
(listening)
に光をあて,その重要性を強調することに大きな意義
があることは確かであるが,それが NBM である必要
⑵ 「患者の物語りについての物語り」の共有のプロ
セス(emplotting)
があるのだろうか。
現代医療の非人間性に対する批判は,医療事故など
⑶ 「医師の物語り」の進展のプロセス(abduction)
に絡み,最近,厳しさを増してはいる。しかし,けっ
⑷ 「物語りのすり合わせと新しい物語りの浮上」の
して今に始まったことではない。それは,医療を描い
プロセス
た多くのドラマの中で,非人間的な治療行為をする医
(negotiation and emergence of new story)
⑸ ここまでの医療の評価のプロセス(assesment)
師と人間的な治療行為を目指す医師との相克として,
常に描かれてきた医療にまつわる基本的なテーマであ
るといえる。単純に人間的(ヒューマンな)医師を正
以上を対話 析と事例研究を研究方法論としながら,
実践していくのである。
義の味方として描くというステレオタイプなものが多
かったとしても,科学的な医療と,そこから派生する
人間疎外というテーマは,一般には,それほど新しい
3.NBM と EBM
テーマではない。ただ,それが,医療の世界で真剣に
EBM の基底にあるのは,現在まで,近代社会を支配
論じられてきたかというと意見が かれるだろう。こ
してきた理性を崇拝するヨーロッパ啓蒙思想(モダニ
のような医療上の問題を解決するために,従来から試
ズム)
であり,NBM の基底にあるのは,それを徹底的
みられてきたように,様々な面接技法を取り入れ,患
に批判するポストモダン思想である。この二つを相補
者中心の医療を心がけるというスタンスとどう違うの
的なもの,車の両輪と例える
かについては,現在のところ,著者としては,明確に
のに対しては,強い違
和感をおぼえる。
できていない。
そもそも,著者にとっては,EBM が登場したこと自
ここでは,EBM と NBM の関係を単純化しすぎて
体がたいへんな驚きであった。今までの医学とはいっ
いるかもしれないが,割り切って えれば,臨床経験
たい何であったのか。近代医学の生み出した莫大な量
の豊富な医療従事者から見れば,EBM も NBM も当
の研究論文は何を研究していたのだろうか。それはそ
たり前のことをいっているに過ぎないともいえる。そ
れで,別の機会に論ずるとして,これからは,科学的
の当たり前のことを再認識する必要があるからこそ,
にやろうというのは,望ましいことである。それがま
思 の枠組みとして取り上げられていると えるのが,
た,なぜ,NBM なのだろうか。
妥当かもしれない。EBM あっての NBM ということ
NBM は,悪くすると,あいまいで,情緒的な,あや
なのである。今まではこの両者のバランスがとれてい
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ないがために,臨床知をどのように形成していけばよ
なデータを実際に収集することは不可能に近いといわ
いのかがあいまいであったと えればよいのかもしれ
ざるを得ない。今日までの地域理学療法に関する研究
ない。しかしながら,基底となる思想がまったく相容
発表をみると,統計的に信頼性の高い研究は,やはり
れない思想である以上,補完的ではありえないのであ
困難であるという結論にいたる。それでは,NBM は,
る。EBM と NBM(本来の意味でのナラティブに基づ
単なる代替医療の一種として位置付けられるのであろ
くという意味での NBM )の両極端のスペクトルの間
うか。前述したように,ナラティブアプローチとは,
で,どこに位置するかを個々の医療従事者が選択を迫
そもそも,データを操作して,普遍的な結論を得るこ
られることになろう。その意味では,NBM とは,
「ナ
とは最初から不可能であるという前提でものを えて
ラティブモドキ」としてしか存在しえないと著者は
いくのであって,安易に補完物として
えるのである。これは,心や社会を対象とした心理学,
無理がある。この違和感は,本質的なものであって,
社会学,哲学などの人文学と自然科学との中間に位置
調和するものではない。結局は,EMB と NBM の両極
する臨床医学の特性と えるべきかもしれない。それ
端のスペクトルの中で,どの位置に自
は,臨床医学の隣接 野(看護,臨床心理,ケースワー
個々のセラピストが独自に決定していくことになるだ
クなど)とは,また,異なっている。それにしても,
ろう。著者自身としては,NBM に立脚した地域理学療
患者中心の医療を重視する立場から見ると NBM の
法を構築することに理学療法の新しい可能性を見いだ
スタンスは十 に価値があるのである。
したいと えている。
4.NBM と地域理学療法
5.今後の課題
身体機能を対象とした臨床医学の一
野である理学
えていくには
が立つのかを,
今後の課題として,EBM と NBM の接点について,
療法は,心理療法や,ケースワークなどの心や社会的
具体的な対話 析,事例 析を基に探求することが必
な問題を扱う 野とは異なる。心理療法,ケースワー
要であると えている。さらに,それが,地域理学療
ク,また,ケアワークや看護と比較すると,相対的に
法の臨床にいかなる作用を持つものかを具体的に検討
いって
(あくまで相対的にである),人間を機械として
する必要がある。
捉えるところで仕事をしている。EBM が成り立つ土
壌がまったく存在しないとはいえない。しかし,リハ
参 文献
ビリテーションとは,人間的な行為であり,それを無
1)トリシャ・グリーンハル,ブライアン・ハーウィッ
視したところでは,存在価値を疑われるのは間違いな
ツ編集,斎藤精二・山本和利・岸本寛 監訳,ナラ
い。そこで,NBM が重要となるのである。
ティブ・ベイスト・メディスン,金剛出版,2003
また,別の現実的視点で,NBM の え方を地域理学
療法に応用することの意義が えられる。病院,施設
と異なり,地域理学療法では,個別の在宅患者の理学
療法が基本であり,EBM の
え方では,対処が困難で
あるという現実的な問題がある。病院,施設等で得ら
れた EBM に基づく知見を個別の在宅患者に応用する
には限界がある。統計理論としては,統計的に有効な
データさえ集めれば,有意義な結論を引き出すことは
可能である(EBM の現状での限界
を無視したとし
て)。しかし,理学療法士が現実の患者から,そのよう
2)山本和利編著,脱専門化医療,診断と治療社,p.
243,2001
3)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ
ディスンの実践,金剛出版,pp. 18-21,2003
4)山本和利,EBM を飼いならす,中外医学社,p.
1,2002
5)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ
ディスンの実践,金剛出版,p. 32,2003
6)斎藤精二・岸本寛 ,ナラティブ・ベイスト・メ
ディスンの実践,金剛出版,p. 30,2003
Narrative based medicine(NBM )と地域理学療法 115
7)山本和利,EBM を飼いならす,中外医学社,pp.
3-4,2002
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Narrative Based Medicine (NBM ) and
Community-Based Physical Therapy
M akoto TANINAKA
Department of Physical Therapy, Faculty of Health Science, Suzuka University of Medical Science
Key Words:Narrative based medicine, NBM, Community-based physical therapy