基礎量子化学 星間H3+の物理化学:化学と天文学の繋がり 担当教員: 福井大学大学院工学研究科生物応用化学専攻教授 2012年4月~8月 6月29日 第11回 水素分子に陽子が付加したH3+ は、等価な三つの陽子と二つの電子 からなる、最も簡単な多原子分子です。その基礎的な性質のため、1911 年J.J.Thomsonによる発見以来、幾つかの分野(質量分析、イオン反応 論、電子再結合、各種のプラズマ実験、量子化学)で主導的な役割を果 たしてきました。 H3+は水素プラズマのなかで、H2 + H2+ →H3++H の反 応により、最も多量に存在するイオンなので、宇宙線で満ちた星間空間 で多量に発生するであろうことは、早くから予言されていました。1968年 にTownes達が星間アンモニアと水を発見すると、堰を切ったように多種 の分子が見つかり、その生成機構が謎となりました。Klemperer達は 1973年、極低温で進行する反応として、 H3+を発生源とするイオン分子 反応を提案しました。水素分子の陽子親和度低いため、 H3+が酸として 働き、 H3+ + X→H2 + HX+ で出来た陽子付加イオンHX+ が水素と連鎖 反応を起こす(例えばHO+ → H2O+ → H3O+)という推論です。分子の生 成は、星の生成に不可欠なので、 H3+が最も重要な未発見の分子であ ることが認識されました。 前田史郎 E-mail:[email protected] URL:http://acbio2.acbio.u-fukui.ac.jp/phychem/maeda/kougi 教科書: アトキンス物理化学(第8版)、東京化学同人 11章 分子構造 分子軌道法 10章 原子構造と原子スペクトル 11章 分子構造 11・5 異核二原子分子 多原子分子系の分子オービタル 11・6 ヒュッケル近似 1 H3+を星間空間に見つけるためには実験室の赤外スペクトルが必要で す。1975年の時点では、分子イオンの赤外スペクトルは全く未知の分野 だったので、時間がかかりましたが、1980年に何とか見つかりました。早 速星間空間での探索を始めたのですが、1980年の天体赤外分光観測 は未発達で、 H3+の弱い吸収線を見つけるには程遠いものでした。1989 年に木星にH3+の発光スペクトルが見つかりました。これはH2 のスペクト ルを観測していたグループが偶然にH3+の倍音を見つけたもので、基礎 音の発光ははるかに強く観測されました。そのあと五年くらいは、木星、 土星、天王星等の惑星のH3+の観測に懸かりきりでした。1980年代の終 わりくらいから、アレー検出器が使われるようになって、赤外分光の感度 と信頼性が飛躍的に向上しました。星間H3+は1996年に分子雲に深く埋 もれた、若い二つの星の方向に見つかりました。永い年月でしたが、一 旦見付かると至る所で見えます。特にモデル計算で予言されていた密度 の高い分子雲(~ 104 cm-3)よりも、薄い雲(~ 102 cm-3)のほうに多量に 存在することが見つかったのは、大変な驚きでした。星間物質の大半は これらの雲に存在しますから、 H3+が宇宙で最も大量に存在する分子イ オンであることが確立されました。 http://www.molsci.jp/discussion_past/2005/papers/3S01_w.pdf 岡 武史,分子構造総合討論会(2005,東京)3S01 6月22日 分子イオンH3+の分子オービタルを,共役π結合を含む系と同じよ うに1sオービタルのLCAO-MOを用いて書くことができる. Hückel近似を適用してMOエネルギーを計算し,エネルギー準位 図を描け.H3+には直線形と正三角形の2つの構造が考えられるが, どちらの構造が安定か,その根拠とともに答えよ.そして,結合 次数と電子密度を計算せよ(軌道係数は次のページ). ヒント:直線形H3+の永年方程式はアリルラジカルと同じであり, 正三角形H3+の永年方程式はシクロプロペニルカチオンと同じであ る. アリルラジカル シクロプロペニルカチオン CH CH 2 CH2 ・ または + 4 [解答例] (1)直線型H3+にヒュッケル近似を適用する.永年方程式はアリルラジカ ルの場合と同じである.ここで,電子数は2個である. 分子軌道係数 直線型H3+ χ[1] C χ[2] C χ[3] C 正三角形型H3+ φ[1] 0.500 0.707 0.500 φ[2] 0.707 0.000 -0.707 φ[3] -0.500 0.707 -0.500 χ[1] C χ[2] C χ[3] C HOMO nμ c μ c μ ∑ μ =1 x 1 0 a qa = b x 0 1 HOMO nμ c μ ∑ μ 2 a =1 x 1 =0 1 各要素をβで割って,(α-E)/β=xとおくと, 電子密度 結合次数 pab = 0 α−E β β α−E β =0 0 β α−E φ[1] φ[2] φ[3] 0.577 0.000 0.816 0.577 0.707 -0.408 0.577 -0.707 -0.408 x 1 0 1 x 1 = x3 − 2 x = x x 2 − 2 ( ) ( ) x 0 1 6 ( ) x x2 − 2 = 0 (2)正三角形型H3+にヒュッケル近似を適用する.永年方程式はシクロ プロペニルカチオンの場合と同じである.ここで,電子数は2個である. ∴ x = 0 ,x=± 2 (α-E)/β=x であるから ⎧ ⎪E = α ⎪ ⎨ ⎪ (α − E ) = ± ⎪ β ⎩ α−E β β β α−E β =0 β β α−E 2 , ∴ E =α ± 2β E =α x 1 1 1 LUMO E =α + 全電子エネルギーE(linear)は. E total (linear 1 x 1 =0 1 1 E =α − H1s 各要素をβで割って,(α-E)/β=xとおくと, 2β x 1 1 2β ) = 2α ) x 1 = x3 + 2 − (x + 2 x) = x3 − 3 x + 2 1 1 HOMO ( x x = ( x + 2 )( x − 1) = 0 2 + 2 2β 7 8 ( x + 2)( x − 1)2 = 0 ∴ x = −2 , x =1 永年方程式 (重根) ⎧ (α ⎪ ⎪ ⎨ ⎪ (α ⎪ ⎩ (α-E)/β=x であるから − E) β − E) β 直線型 H3+ = 1, ∴ E =α −β x 1 0 1 x 1 =0 0 1 正三角形型 x 1 1 H3+ 1 x 1 =0 = − 2 , ∴ E = α + 2β 1 1 E =α −β LUMO E = α + 2β HOMO x x エネルギー固有値 E =α − E =α E =α + 全電子エネルギー 2β 2 β E total = 2 α + 2 2 β E =α −β E = α + 2β E total = 2 α + 4 β H1s 全電子エネルギーE(triangle)は. E total (triangle ) = 2α + 4β 9 直線型 H3+ α − 10 正三角形型 H3+ 2β α −β α α α + 全エネルギー 安定化エネルギー 2β α + 2β 2α + 2 2 β 2α + 4 β 2 2β 4β β<0であるから, E total (triangle )< E total (linear ) したがって,正三角形型H3+の方が安定化エネルギーが大きくて,安 定であると考えられる. 12 永年方程式を解いてエネルギー Enが求まったら,次のステップは波動 関数ψnを求めることである.そのためには係数ciを求める必要がある. しかしながら,永年方程式からは係数の比を求める式しか得られないの で,各々の値を決めるためにはもう1つの式が必要である. この式を得るには,最良の波動関数も規格化されていなければならない という条件を課す.この条件は,この計算の最終段階で, ①エネルギー固有値を永年方程式に 代入して係数の比を求める. 結合性オービタル1π(E+)では, 反結合性オービタル2π*(E-)では, ∴ 13 401 ②波動関数の規格化条件から係数を計算する. ⎧Ψ + = c A ( A + B ), E+ = α + β ⎨ ⎩Ψ − = c A ( A − B ), E− = α − β 2 + = 2c + 2c S = 2c 2 A 2 A 重なり積分 Sij(i≠j)=0 =1 ∴ cA = ∫Ψ 2 − dτ = c 2 A 1 2 2 A 2 pπ1 =1 1 ∴ cA = 2 14 pπ1 ( ) ( ) 1 1 pπ − pπ2 , E− = α − β 2 ψ− = α Ψ+ H H H H Ψー α A pπ2 401 pπ2 1 1 pπ + pπ2 , E+ = α + β 2 E+ = α + β 15 cA = −1 cB したがって, 2 A = 2 c A2 − 2 c A2 S = 2 c A2 c A β + cB β = 0 ∴ E− = α − β ∫ A dτ + c ∫ B dτ − 2 c ∫ ABdτ 2 c A (α − α + β ) + c B β = 0 cA =1 cB ⎧ ⎪Ψ + = ⎪ ⎨ ⎪ ⎪Ψ − = ⎩ dτ = c A2 ∫ A2 dτ + c A2 ∫ B 2 dτ + 2 c A2 ∫ ABdτ 2 A E− = α − β − c A β + cB β = 0 が成り立たなければならない,ということである. ∫Ψ B(C2p) c A (α − α − β ) + c B β = 0 n A(C2p) ②波動関数の規格化条件から係数を 計算する. E+ = α + β 2 2 ∫ Ψ dτ = ∑ cn = 1 401 ⎧ c A (α − E ) + c B β = 0 ⎨ ⎩ c B (α − E ) + c A β = 0 ①変分法で求めたエネルギー固有値 を永年方程式に代入して係数の比を求 める. 一次結合の係数ciの値を求めるには,永年方程式から求めたn個のエ ネルギー Enを用いて永年方程式を解く. 規格化を行うと, 永年方程式 LCAO-MOの係数の決め方 1 1 1 2 pπ − pπ 2 2 H H H H ψ+ = 1 1 1 2 pπ + pπ 2 2 16 EX ヒュッケル近似:結合次数と電子密度 クールソンは結合次数pabを次式のように定義した. pab = χ[1] χ[2] χ[3] χ[4] HOMO nμ c μ c μ ∑ μ a =1 ブタジエンの各結合の結合次数 b φ[1] +0.3717 +0.6015 +0.6015 +0.3717 φ[2] +0.6015 +0.3717 -0.3717 -0.6015 2 HOMO μ =1 μ=1.a=1,b=2 n c ∑ μ b μ=2.a=1,b=2 μ=1.a=2,b=3 μ=2.a=2,b=3 = 0.4473 0.894 0.447 0.894 qa = ) nμ c μ ∑ μ 2 a =1 = 1.0000 2 2 2 + 2 c22 q2 = ∑ 2 c22μ = 2 c21 = 2 × 0.60152 + 0.3717 2 { ( = 2 × 0.60152 + − 0.3717 2 EX 結合次数と電子密度 HOMO C1 1.0000 C2 0.8944 C3 C4 0.0000 -0.4472 C2 0.8944 C3 0.0000 C4 -0.4472 1.0000 0.4472 0.0000 0.4472 1.0000 0.8944 C1 2 2 + 2 c32 q3 = ∑ 2 c32μ = 2 c31 μ =1 18 EX 2 q1 = ∑ 2 c12μ = 2 c112 + 2 c122 = 1.0000 a 17 2 ( =1 LUMO = 2 × 0.6015 × 0.6015 + 2 × 0.3717 × (− 0.3717 ) 2 μ aμ ブタジエンの各炭素原子上の電子密度 φ[1] φ[2] φ[3] φ[4] χ[1] +0.3717 +0.6015 -0.6015 +0.3717 χ[2] +0.6015 +0.3717 +0.3717 -0.6015 χ[3] +0.6015 -0.3717 +0.3717 +0.6015 χ[4] +0.3717 -0.6015 -0.6015 -0.3717 μ =1 nμ c μ c μ ∑ μ 2 μ =1 ( HOMO p23 = ∑ 2 c 2 μ c3μ = 2 c 21 c31 + 2 c 22 c32 HOMO = 2 × 0.3717 2 + 0.60152 pab = = 0.8943 各炭素原子上の電子密度は次式で表わされる. μ =1 φ[4] +0.3717 -0.6015 +0.6015 -0.3717 = 2 × 0.3717 × 0.6015 + 2 × 0.6015 × 0.3717 は, µ=1と2に関して各2個である.caµは,µ番目のMOのa番目の原 子軌道の係数である. =1 φ[3] -0.6015 +0.3717 +0.3717 -0.6015 p12 = ∑ 2 c1μ c2 μ = 2 c11 c21 + 2 c12 c22 ここで,nµは,µ番目の分子軌道を占める電子数(ブタジエンの場合 qa = EX )} 0.0000 0.8944 1.0000 この表の対角要素は電子密度,非対角要素は結合次数を表わしている. = 1.0000 2 2 2 + 2 c42 q4 = ∑ 2 c42μ = 2 c41 ) μ =1 ( = 2 × 0.3717 2 + 0.60152 0.8944 ) 1.0000 = 1.0000 19 1.0000 0.4472 1.0000 0.8944 1.0000 20 EX Electron Population on atom π電子密度 atom Population 単純ヒュッケル法 1 1.00000 計算出力例 2 1.00000 3 1.00000 4 1.00000 結合次数:π電子がどの程度非局在化したかを表すパラメータ Bond-Order Matrix 2- 1 0.89443 3- 1 0.00000 3- 2 0.44721 4- 1 -0.44721 4- 2 0.00000 4- 3 0.89443 1.000 1.000 π電子密度 1.000 1.000 結合次数 0.447 0.894 0.894 EX H H 結合長 H H H π結合次数 H (1)両端の2重結合C1-C2(C3-C4)はπ結合次数が1より 減少し(0.894),エチレンより弱く長くなっている(1.349Å). (2)中央の単結合C2-C3のπ結合次数は0より大きくなって (0.447),二重結合性を帯びて短くなっている(1.467Å). 21 22 SHMo2 Data Table triagular H3+ 分子軌道係数 Number of Electrons = 2 Net Charge = 1 LUMO = (2) alpha + 1.000 |beta| HOMO = (1) alpha - 2.000 |beta| 直線型H3+ χ[1] C χ[2] C χ[3] C 正三角形型H3+ φ[1] 0.500 0.707 0.500 φ[2] 0.707 0.000 -0.707 φ[3] -0.500 0.707 -0.500 結合次数 pab = HOMO ∑ nμ c aμ cbμ μ =1 χ[1] C χ[2] C χ[3] C φ[1] φ[2] φ[3] 0.577 0.000 0.816 0.577 0.707 -0.408 0.577 -0.707 -0.408 電子密度 qa = HOMO ∑ μ =1 n μ c a2μ 次に,正三角形型H3+形の分子軌道係数を求めて,結合次数と電子密 度を計算する. Lowest Ionization Energy (Koopmans' Theorem) = 14.60 eV Lowest Excitation Energy = -5.310 eV Orbital Energies / Coefficents Table ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Orbital energies in units of |beta| relative to alpha Energy --> 1 2 3 # Symbol -2.000 1.000 1.000 1 C -0.577 0.000 0.816 2 C -0.577 0.707 -0.408 3 C -0.577 -0.707 -0.408 Population Tables ~~~~~~~~~~~~~~~~~ Atoms # Symbol hX Electron Pop. Net Charge 1 C 0.00 0.667 0.333 2 C 0.00 0.667 0.333 3 C 0.00 0.667 0.333 Bonds i j X--Y 1 2 C--C 2 3 C--C 3 1 C--C kXY Bond Order -1.000 0.667 -1.000 0.667 -1.000 0.667 0.667 0.667 0.667 + 0.667 0.667 0.667 正三角形型H3+の各結合の結合次数 χ[1] C χ[2] C χ[3] C φ[1] φ[2] φ[3] 0.577 0.000 0.816 0.577 0.707 -0.408 0.577 -0.707 -0.408 pab = = 2 × 0.5774 × 0.5774 = 0.6668 p23 = 2c 21 c31 ∑ nμ c aμ cbμ χ[1] C χ[2] C χ[3] C μ =1 LUMO E = α + 2 β HOMO = 0.6668 p31 = 2c 31 c11 0.667 μ=1.a=3,b=1 0.667 = 2 × 0.5774 × 0.5774 = 0.6668 6月29日 学生番号, 氏名 (1) 直線型H3+の分子軌道係数ならびに,各結合の結合次数および 各炭素原子の電子密度を計算せよ. 分子軌道係数 直線型H3+ χ[1] C χ[2] C χ[3] C φ[1] 0.500 0.707 0.500 φ[2] 0.707 0.000 -0.707 φ[3] -0.500 0.707 -0.500 (2) これまでに学習した内容のうち,良く理解できなかったので,もう 一度説明した方が良いと思うものがあれば書いて下さい. 25 = 0.6668 nμ c μ ∑ μ =1 2 a LUMO E = α + 2 β HOMO 0.667 μ=1.a=3 = 2 × 0.5774 2 HOMO E =α −β μ=1.a=1 = 2 × 0.5774 2 = 0.6668 2 μ=1.a=2 q2 = 2c21 2 q3 = 2c31 + 0.667 qa = = 2 × 0.5774 2 = 0.6668 = 2 × 0.5774 × 0.5774 電子密度 φ[1] φ[2] φ[3] 0.577 0.000 0.816 0.577 0.707 -0.408 0.577 -0.707 -0.408 q1 = 2c112 μ=1.a=2,b=3 EX 正三角形型H3+の各炭素原子の電子密度 HOMO E =α −β μ=1.a=1,b=2 p12 = 2c11 c21 EX 結合次数 + 0.667 0.667 26
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