「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」 おはようござい

「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」
おはようございます。今日で四日目のご縁を頂戴いたしました。また雨が降りますとこ
ろをお越しいただきまして、ありがとうございます。ちょっと寒さの方はゆるみまして出
やすくなりましたけれども、冬の今の時期にしては珍しい雨が降っておりましたので、朝
起きてちょっとびっくりしておったのですけれども。
ただ今、いただきましたご賛礼は歎異抄の第十三抄から引かせていただきました。
親鸞聖人とお弟子の唯円さんとのやりとりの中で、「本当に極楽往生できるのであれば、
あなたは千人を殺すことができるか?」と親鸞上人がおっしゃる。それに対して、幽遠さ
んは「一人、二人とも殺すことはできない。だけど縁によっては、また人を殺すことも起
こるのだ」とおっしゃいます。
人間というのは縁にあえば、どうしょうもないことをしでかすものなのだ、というまさ
に人間の本当の罪深さと言いますか、そのことをおっしゃったくだりでして、私は歎異抄
を読みまして、
「さるべき業縁」という言葉が非常に重く響いてくる言葉だな、と教えてい
ただいた時に強く感じたものでした。
人間、
「何をしでかすか分からない」、ということで言いますと、昨年、東京の方で3歳
の幼稚園児の女の子を同じ幼稚園に通っていた同級生のお母さんが殺害する、という事件
がありました。しかもあの方のご主人は臨済宗のお寺に勤めておられる僧侶であるわけで
した。お寺の奥さんがそういう殺害を犯す、という大変とんでもない事件だな、と思った
わけなのですが、本当に教育が熱心な地域であるだけに、よその子に比べて我が子がうま
くいかない、と本当に些細なことでもいたたまれなくなって、人間は本当に何をしでかす
かわからないな、ということをあの事件を見ました時は私も思ったものです。
■長男の背の高さ
最近、フッとしたことで私自身の暮らしぶりを振り返りますと、私には中学一年生の長
男がおるのです。見ていただいたように私はわりと大柄で、一七八㎝、体重は未だに成長
中ですので今は八十㎞ぐらいありますが、まだこれから増えるかわかりません。女房もわ
りと背が高いのです。1 一六五㎝ぐらいありますから女性としては大きい方です。
そのわりに長男がわりと小ぶりなのです。保育園に行っていた時はそこそこ背が高かっ
たのですが、一緒に通っていた保育園時代に仲のよい家族が五~六世帯あり、よく家族ぐ
るみで遊びに行ったりしていたのです。小学校がうちだけが違いましたもので小学校で離
ればなれになりました。久しぶりにその親子が一緒に寄って食事をしようかということに
なり、親子づれで遊んだりした時に、うちの子は保育園の時は背が高かったのに、小学校
の半ばぐらいでお会いした時には、よその子はどんどん大きくなっているのに、うちはど
うも大きくなっておらん、と。
たったそれだけのことで親というものは卑下したりするものなのですね。特に自分が背
が高いから余計、うちの子どもは両親ともに大きいから必ず大きくなるだろうと思ってい
たのが、もう一つ大きくない。次男も三男も背が高いからそんなことは全然気にすること
ない、全く問題はないのですが、人間というものはそんなところでも気になると気になる
のですね。
「長男が好き嫌いが多いから、大きくなれないのではないやろうか」、とか、
「両
親は大きい。そういえば女房の母親が少し背が低いな」、とか自分とは関係のないところで
こいつの偏食のせいや、女房の母親が背が低いからやろか、とか、会ってないけど、死ん
だ僕のおじいちゃんも背が低かったって言うし、隔世遺伝と言いまして、親が問題なけれ
ば、おじちゃんのせいや、おばあちゃんのせいや、もう全部人のせいにしながら、そうし
ながら自分のせいじゃないのだ、というふうに責任をなすりつけようとする。
人間の気持ちとは些細なことで揺れるのだな、と。縁に触れたら何を思うや、人ばっか
りを責めている。その幼稚園児を殺したお母さんの話から、その時はえらい親がおるな、
と思っていたけれども、ひょっとするとよう似たことを考えている親がここにもおるのや
ないやろうか、ということを感じたわけです。背の高い元気な長男の友達を見たときに「な
んで?」と、うちの子も別に身体が悪いわけではない、健康で丈夫なわけですから、その
ことをなぜ素直に喜べないのかな?
と、自分は俗に言う、ケツの穴の小さい人間やな、
と、子どもの背の高さのことだけで思ったことがございました。
そんなことから今日はこの人間の「罪の意識」と申しますか、
「罪の自覚」、そんなこと
をお話させていただきたいと思います。
■ペットブームの中で
私は一日に平均七件か八件ぐらい、月命日、逮夜参りに御門徒さんの家に寄せてもらい
ます。その中にこんな大きな熱帯魚を飼っておられるうちがありました。
「ノーザンバラム
ディ」というアフリカの方でとれるお魚なのです。水槽で飼っておられて最初はこれぐら
いの小さい魚やったのです。白い魚で、それにちょっと黄色みがかった鱗がありまして、
大きな水槽の中で自由に泳ぎ回っていました。観賞用の熱帯魚だそうですが、大きくなる
のが早くて、私が毎月行くたびにどんどん大きくなっていきます。大きな水槽でしたが、
その中に大きくなった魚が一匹おりました。隣の方にはまた別に金魚鉢がありまして、そ
こには金魚がたくさん泳いでいるのです。
それでそこの奥さんに「あ、金魚も飼ってはりますのか?」と聞きましたら、
「うちの息
子が飼っているのやけれど、実はこの金魚はこっちの大きな魚の餌なのですわ」と。肉食
だったのですね。餌に金魚をあげんとあかんわけですわ。
「残酷やなー、かわいそうやなー」
と思いましたが、毎日金魚を食べてどんどん大きくなるのです。
それから二ヶ月ほどして、またお参りに行きましたら、その水槽の中が空っぽなのです。
「あれ?
あのごっつい魚、どないしましたんや?」と聞きましたら、「息子が言うには、
魚が大きくなりすぎて、水槽の中で自由に泳げなくなってきたもので、かわいそうやから
近くの〓〓池に放して来た」というのです。
この辺りでしたら、深泥ケ池か鴨川に放すようなものです。そんなことをしたら、まず
水温が違ってその魚自体が死んでしまうだろうし、生きていたら生きていたで、その池の
他の魚をぱくぱく食べるわけでしょう。
人間のペットブームが過熱しています。いろんなペットを飼って、なかには小さいワニ
を飼って家の中で育てて、
大きくなってどうしょうもないから生ゴミに入れて捨てたとか、
そんな話もありました。
大阪で一番多いのはミドリ亀です。お祭りかどこかの夜店の屋台でミドリ亀を買ってく
るのでしょうが、ところが亀というのは寿命が長い生き物ですから、そんなに動くわけで
はないし、そのうち飽きてしまう。と、どこに捨てにいくかというと、四天王寺さんに持
っていくわけです。四天王寺さんには昔から亀がいます。そうしたら最近、四天王寺さん
は、ミドリ亀はおるわ、こんな背の高いぽこっとした亀はおるわ、です。みなペットで飼
った亀を飽きていらなくなったら、全部ここに捨てに来る。人間が亀を「かわいいな」、と
思って飼いだしたものを嫌気がさしたら捨てるのです。
さっきのノーザンバラムディという熱帯魚も今はどうしているか分かりません。しかし
そんな大きな肉食魚を流されたらえらいことです。そんなものがもし生きていて京都の深
泥ケ池にでもおったらびっくりします。
そんなことをしておる。だけど本人は金魚を食べさせる時には「かわいそうやな」と思
いながらも、この魚の食事が金魚やから、餌が金魚やから、仕方がない、と生の魚を食べ
させる。その次はどうかというと、狭くなったから、かわいそうやから池に放す。どっち
も人間のエゴといいますか、多分水温が合わないから死んでしまうのやないやろうか、と
言っていましたけれども、どうせなら最後まで責任をもって飼ってやらないとかわいそう
やな、と思うのですが、結局「ここに置いて置くのはかわいそうや」というのは、苦しが
っているのを見る自分が嫌で辛いだけで、本当にその魚がかわいそうかどうか、広い水槽
で飼ってやるのに越したことはないけれども、自分が見るのが嫌だから結局池に放してし
まうわけです。池の中でどうなっているかまではわからないわけです。
お参りに行って、大きな魚が突然姿を消したわけですから、びっくりしました。
今のペットブームの中では似たりよったりのことがあるのではないかな、と思います。
日本の場合、都会の道は狭いですから、大きな犬を飼われて、いつも散歩につれて行かれ
ていても、本当に大型犬が運動をしないといけない量からいうと、ちょっとゆっくり歩く
程度では本当はあかんらしいですね。自転車につけて走り回るぐらい散歩もしないといけ
ないけれども、人間の都合で「ああ今日はもうしんどいからやめとこ」と犬の首をひっぱ
って終わりにするわけで、犬ももう少し歩きたいと思っていると思うのですが、そんなこ
ともあるのではないか、と思います。
■「富良野塾」
先日大阪で、教育関係の講演会を聞く機会がありました。
その時に、今、北海道に住んでおられるシナリオライター、脚本を書く方で、倉本聡と
いう方がおられるのですが、ご存じでしょうか。
「北の国から」というテレビドラマを作ら
れています。北海道に富良野という町がありまして、町といっても人口二千六百人の町ら
しいですが、面積たるや四国のどこかの県と変わらないぐらい広い、広大な土地のある町
です。
その富良野に住んでいる倉本聡さんが、富良野を背景に「北の国から」というドラマを
作られました。純くんという男の子と蛍ちゃんという女の子との兄妹が、小さい頃からど
う育っていくか、富良野の厳しい大自然の中でのいろんなドラマを織り交ぜて繰り広げて
いくわけですが、最初はシリーズでそれからは年に一回づつ、「北の国から 97」、「98」と
毎年続いているドラマです。役者は子どもの時からずっと一緒ですから、子役の純君、蛍
ちゃんも今では映画にも出る役者に育っています。
倉本聡さん自身は生まれも育ちも東京の方ですが、今の世の中があまりにも、大量に物
を作って、大量に消費して、また大量に物を捨ててしまう。そういう文化のあり方に疑問
を感じて、せめて自分だけでももう少し質素に暮らそう、ということで四十二才の時に富
良野に住み着くわけです。
北海道というのは内陸部では一番寒いところです。寒さもハンパではないわけです。最
初は掘っ建て小屋みたいなところに住んだものですから、しかも東京から移り住んで、寒
さに対する対応が分からなかったようで、例えば、寒いのでお風呂のお湯を沸かして、そ
れをそのまま置いておかれたらしいのです。蒸気で少しでも部屋が暖まるかと思って。と
ころが、朝起きたら、風呂桶の中が全部が凍りついているわけです。凍っているのは仕方
がないにしてもその氷を出さないことには次の日、風呂も沸かせない。どうしょうか、と
いうことでそのへんにあったノミとコンパスでコンコン割って、三時間ぐらいかけて、や
っと氷が六つか七つの固まりになったらしいのです。それでそれをごそっと出して、全部
出した時には「大きな耳くそがとれたような感覚やった、気持ちよかった」、と言うておら
れました。
そんな寒さであるとか、汚い話もあるのですが、翌年、近所の方に聞いたら、年末とい
うか秋口に「トイレは一度捨てとかないとあかん」
と。
「貯まった糞尿を処理せんとあかん」、
というわけですが、それを言われたのが遅かったものですから、知らずに冬を迎えて、ト
イレで用を足していますと、だんだん、凍ってしまうわけです。ウンコが。それでマッタ
ーホルンのようにウンコの山ができてしまって、ある時知らないで、
ふっとしゃがんだら、
お尻にツッと前のウンコが刺さってお尻をケガした、と。もう瞬間的にウンコが凍るらし
いです。オシッコは液体ですから、落語のネタみたいにオシッコが凍るということはない
けれども、「ウンコは凍りますね」、ということです。
凍って満杯になったけど、奥さんにまで外でしろとは言えないから、
「その冬、私は真冬
の氷点下二十度ぐらいの中で外でウンコをしました」と。
本当に寒い、大自然の厳しさをイヤ、というほど思い知らされたそうです。
そんな富良野での生活を続けてかれこれ二十数年になるわけですが、テレビドラマ、
「北
の国から」を見て、多くの若者が富良野で生活がしたい、いろいろな申し入れがあったそ
うなのです。それにちょっとでもお役にたつようにということで、倉本聡さんはシナリオ
ライター、脚本家、役者を養成する学校、「富良野塾」を自分で始められるわけです。
■自給自足の生活
全国から毎年四十名前後の若者が集まってきて、二年間、そこで共同生活、ほとんど自
給自足の生活をするそうです。そして大自然に親しみながら勉強をしていくわけです。
なにしろ都会から来る人が多いわけですから、開校式、初日は何をするかと言うと、電
気もガスも電話も一切使わない。そういう生活を二十四時間するそうなのです。そうする
と、夜になると、全くの闇なのですね。電気一つつきませんから全くの暗闇です。
今、この京都のど真ん中で、本当の暗闇というのはないでしょう。烏丸通りにせよ、四
条通りにせよ、煌々と電気がついていますね。そんなに明るくせんでもええのと違うか、
と思うくらいに電気がついています。私も子どもの頃は、田舎でしたから、月が出ていな
い夜で、本当に電気が消えた世界を見ると、真っ暗で、隣に誰がいるかもわからない経験
をしたことがあります。本当に人間というのは暗闇に放り出されると非常に敬虔な思いに
なると言いますか、神や仏といいますか、人間を超えたものに対して、人間がいかにも脆
弱なちっぽけな存在だと感じるそうですが、ここでもそういう暗闇の体験をさせるわけで
すね。
これは蛇足です、とおっしゃっていましたが、倉本聡さんのお知り合いで、C.W.ニコル
という作家がおられます。この方も毎年、若者を集めていろいろなサバイバルゲームと言
って、厳しい生活をさせて、どうして生き残るか、ということをやっておられるらしいの
です。ある時、倉本聡さんに今年どんな企画をしょうかという相談があった時、
「やっぱり
人間、一番恐いのは暗闇かな」
、ということで、その方は長野県でされたそうですが、男女
二十名ぐらい若者が集まって、一人ひとり、何メートルか離れた山の中に一人だけ置いて
くるわけです。何も持たずに。
それで「次の日の朝、私が迎えに行きますから、ご自由にお過ごしください」、と。ちょ
っとした食べ物だけを置いて、次の日の朝に迎えに行く。そうしたら非常におもしろい傾
向が出た、というのです。どんな傾向があったか、というと、一様に男性は自分の身の回
りにその辺の枝や枯れ葉や落ち葉などで、覆いを作って身を守ろうとする、壁を作ったり
すると。その中で寝ていたと。女性はどうかというと何もせずにそのまま仰向けに寝てい
た。これはいったいどういうことなのでしょう、と C.W.ニコルさんが倉本聡に話をしたら
しいのですね。
きっと女性はもともと本能的に強くできているのだ、と。だからそのままで寝ていても
何ともない。逆に男性は絶えず、何か自分の身の回りを鎧甲で固めて、武器を持たないこ
とには生きていけない、そういう本能があるのではないか、そういう話をされていました。
いずれにしましても全く暗闇の中に放り出されると、何もすることはできません。朝に
なり、明け方四時か五時ぐらいに徐じょに太陽が昇ってくる、明かりが差してきますね、
それだけで若者たち、四十人の塾生たちは「感動する」というのですね。いわゆるお日様
の光と熱、そのありがたみをしみじみを感じるわけです。そうして、時間がたって電気が
つく、ガスが使える。それだけで、「もうこれで幸せや」というふうになるというのです。
今のように夜でも煌々と明かりがついていると、それが「当たり前」と思ってしまいま
すが、一度でも暗闇の世界を体験すると、改めて光や熱のありがたみを感じることができ
るのではないか、そんなことをお話の中でされていました。
■「罪の意識と感謝の意識」
そしてその塾ですが何日か経ち、今度は食事の時に倉本聡さんが各テーブル、グループ
ごとに生きたニワトリを一羽、置かれるわけです。
「これ、どうするのですか、先生?」
「い
や、それを食べるのです」というわけです。要するにニワトリをつぶす、絞める行為を体
験させるわけです。
とてもそんな、鶏もさわったことがない子もいるわけです。「こんなもの、殺すのです
か?」と塾生が言うと、倉本聡さんは「君らは、ケンタッキーフライドチキンは好きやろ
う?
水炊きは好きやろう?
きやろう?」と言うわけです。
焼き鳥も好きやろう?
串カツも好きやろう?
地鶏も好
それは誰かが、絞める、という行為をして店頭に並んで
いるのであって、店頭でパックに入って並んでいると、
「どっちの色がいい」、
「こっちの方
が鮮度がいい」とか言って食べているけれど、絞める、というその行為そのものを忘れて
いる。実体験をして、今後作家になる、役者になるのであれば、これも勉強やから、と絞
め方を教えるわけです。
まず頸動脈をパッと切るらしいですね。そうすると血がパッと出る。それを逆さづりに
すると、まだニワトリはバタバタするわけです。私は言うときますけど、ようしません。
ニワトリを触ったこともないのです。本当はそういうのは恐がりなのです。それで逆さつ
りにすると、バタバタする。それで血が抜けたら、今度は熱湯に入れて引き上げて、それ
から羽をむしるそうです。
「残酷やな」と思うけれども、結局誰かがそうされたものをいただいているわけです。
実は私は昨日も知り合いと串カツを食べましたから、その中に肉も入ってましたから、
「す
まんな」と思うのですが。
そういう体験をする。そうしたら塾生たちはニワトリを触ったこともない、絞めたこと
もないわけですから、もう半狂乱になったり、泣き出す若者もいる、と。倉本聡さんはそ
の時に「みなさん、特に信仰があるかどうか知らないけれども、自分が知っている限りの
神や仏に祈りなさい」、こう言うわけですね。要するに「自分の罪を許してほしい」と。こ
ういう思いは誰しもあるわけですね。小動物、ハエや蚊をパンと叩いた時は人間、ほとん
ど気にならないけれども、ニワトリを一匹つぶそうと思ったら、
「もうすまんな、かんにん
してや」という思いがある。そういう「罪の意識」、それを誰かがしてくれるから、食べて
いける、生きていけるのだ、という「感謝の意識」、これを教えるのにはこれがてっとり早
い方法なのだ、そんなことをおっしゃっていましたね。
三日三晩は夜中になると、うなされる子がいたりするそうです。それも二回、三回とや
ると人間って結構順応できる。昔の人はそれぐらいのことは当たり前でできたわけです。
今でも東南アジアや中国に行きますと、ニワトリというのは生きたまま売っているそうで
すね。買って帰って自分で絞めて調理するわけです。
これはある小学生の子どもの作文です。
「こうしなければ生きていけない。
ニワトリを絞めるおばあちゃん。そんなの人間やない。
わかっているから、すまんな、と言って絞める。」
人間はどうしょうもない。どうしょうもない、というのはどうしてもニワトリを食べな
いといけないか、というそういう話ではなくて、あらゆる命をいただかないことには生き
ていけないわけです。そういう意味だと思うのですね。
以前、うちの報恩講にお越し頂いた布教師さんが、全国あちこちに行っておられるので
す。西本願寺の売れ筋の布教師さんですが、三六五日のうち二〇〇日ぐらいあちこちの法
座に出ておられます。その時はちょうど北陸の方ばかり回っていた、
とおっしゃるのです。
富山、福井、石川、このへんは浄土真宗の真宗王国と言われるくらい、真宗のお寺が多
くありますので、報恩講のジョウレイといって、報恩講のひとつのルートにのると、次は
このお寺、このお寺というふうに順繰りに布教に回られた。
そうするとだいたいどこでもお魚がおいしいものですから魚料理がでるわけですね。
そうしたら、あるお寺で昼ご飯が終わった時に、
「ごえんさん、今夜は魚がよろしいやろ
か、鶏がよろしいやろか」と聞かれたそうなのです。そんな、こちらから「何が食べたい」
とは言わないものですから、
「いや、もうお任せしますので、何でもありがたく頂戴します」
と言った。
「それでもせっかく用意していますから、どっちがよろしいやろうか」と聞かれ
た。
「それならまあ、この辺はお魚が非常においしいところで、ずーっとお魚を頂いてきま
したので、それならまあ、ちょっと気分を変えて」というふうに言ったと。要するに「鶏
にしましょうか」ということを布教師さんがおっしゃった。そうしたらそこの坊守さんが、
「ほな、これから締めてきますわ」と言われた。
「いやあ、締めてまでは辛いなあ。そうや
けども考えたら魚も一緒や」。
そう聞かれたら答える方も辛いわけですね。これから絞める方がええか、死んでいる魚
がええか、という話ですから。どちらにしても他の命を頂かないと生きていけない人間な
のだ、ということもそんな話からも教えられたわけです。
■「生活必需品とは?」
富良野のそういう厳しい生活の中で二年間が経つと、そうとうたくましくなるそうです。
ある時に倉本聡さんが「生活必需品は何か?」と塾生に聞いたというのです。二年間自
給自足の生活をしています。
そうしたら塾生の答え、生活必需品の一番が「水」
、二番が「マッチやライターなどの火
を起こす道具」、ほとんど自給自足の生活ですから火を起こす道具が次に大事だ、と。三番
が「食べ物」、食料品ですね、で、四番が「めし」と答えていますから、やはりご飯ですね。
食べ物全体ということではなしに、飯。それだけみな食べ物が大事だという思いがあるの
ですね、三番、四番が食糧品関係。で、五番が「ナイフ」だったのですね。食べ物を調理
する時のナイフが必要だ、と。
富良野塾の生活を関口弘の番組が取材に来たことがあったそうなのです。その時に、こ
の生活必需品の話が出て、テレビ関係者が、これはおもしろいから、と言って、東京の新
宿で遊んでいる若者にアンケートをとって、
「生活必需品とは何か」と聞いてみようという
ことになったのです。
そうしたら何だと思います?
生活必需品。一番「金」
。二番が「テレビ」。三番が「携
帯電話」。四番が「車」。五番が「家」。こういう順番やったそうなのです。
確かに都会に住んでいると、「水が必要だ」、というのは、それこそこの前二千年問題で
「水道が止まったら、どないしょう」といって買いましたけど、普段、水が生活必需品で
ある、というのは都会に住んでいると、まず思いませんわ。コンビニに行けば何でも売っ
ています。
私の家は歩いて2分以内のところにコンビニが2件あるのです。そうすると子どもも家
になかったら、
「ちょっとコンビニに行ってくるわ」と言って、自分のところの冷蔵庫みた
いな感覚で行くわけです。
そんな生活ぶりであるわけで、私の子どもは中一と小学校三年、一年の男三人、いるの
です。この前、順番に別のところで会って、
「おまえな、生活必需品っていうて、生活に一
番大事なのは何やと思う?」って聞いたら、男の子三人、三人ともが一番は「金や」と言
いました。がっかりしました。
「そうか…金か」
「小遣い、お金」
。小学校一年生の子ですら
も「何が一番大事か」と聞いたら、
「金」と言うのやからがっかりですわ。みなさんも帰っ
て一度お孫さんに聞いてみてください。
ですがさすがに子どもですので、順番に聞くと、上位五番の中に三人ともが「自転車」
と言ってくれました。まあ子どもにしたら自転車がないことには生活ができないので「そ
うそう、そんなんもあるんや」で、と言っていたのですが、現実はそうです。要するにあ
らゆる物や金ばかり追い求めている生活の中で、子どもにしてみたら、何が一番大事かと
ういと、
「金さえあればええのや」という風潮になってきているのだということを教えられ
たわけです。
そして、次に倉本聡さんはこんなエッセイについて話されます。
フランスの片田舎の空港で、一人の旅行者が飛行機から降り、空港ロビーで自分のトラ
ンクに腰かけて両肘をついて物思いにふけっています。そこへ空港の職員が来て、
「どうさ
れました?
気分でもお悪いのですか?」と聞くと、
「いえ、今、遠方から身体だけが到着
しました。心の到着を待っています」と答えた、というのです。フランスらしい非常にし
ゃれたエッセイですけれども、
「どうかみなさんも戦後、特に高度成長以降、物や金ばかり
追い求めた中で、しばらく命の尊さであるとか、人間の罪深さであるとか、愚かさ、こう
いったことの心の到着をお待ちください」、と言って話は終わるのでした。
■罪深さ、愚かさの自覚
その少し前に倉本聡が自分のお母さんのことを話すくだりがあり、これがまた印象的な
のです。
倉本聡はお父さんには早く死に別れて、お母さん、母親は女手一つでお茶の先生をされ
て生計を支えられていたそうなのです。私も詳しく知りませんが、茶道の世界で順番に位
を上げていこうと思うと、結構お金がかかるそうですね。お茶会を開き、みんなに集まっ
てもらい、道具がまた一つひとつが高いものですが、道具も着物も揃えないといけない。
それでお茶会を開いて、みなさんに集まってもらい、流派の家元さんに組織の上納金なん
かも払うのですかね。よくよく計算してみると、持ち出しの方が多いことが分かったので、
倉本聡はある時、お母さんに「私がぼちぼちテレビで売れ出したから、もうこんなことし
なくていい。これからは私が食わすからもうやめておけ」とお茶道具を取り上げた、とい
うのです。
それから半年後にお母さんは老人性の躁鬱病に罹られるわけです。躁鬱の「繰」の方か
ら先に出たものですから、ある日家に帰ったら、デパートからの大量の贈り物が届けられ
た。躁鬱病の躁病は非常に積極的な出方をするそうなのです。
大量の物が送りつけられる。
そうかと思うとウナギが好きやったから、あちこちにウナギを食べに歩く。さっき食べた
のに、また昼からも行く。そんなことを繰り返しているうちに、他の体調も崩れて半年後
に入院されるわけです。その後は躁鬱病がかなり激しくなり、晩年の五年間は座敷廊のよ
うな部屋で生涯を終わられたそうです。
亡くなられてから後、生前非常にきっちりとしたお母さんでしたから、こおりが一つ出
てきました。
「私が死んだら、あけるように」ということで遺品が入っていたわけです。亡
くなられてからそのこおりを開けると、中から一通の遺書が出てきた。その遺書には何と
自分の葬儀の方法についてが、こと細かく書かれてあった、というのですね。
まず親戚は誰と誰を呼べ。酒を振る舞え。派手にはしなくていい。食事は○○亭の弁当
の、松竹梅の「松」についてくる吸い物がおいしいから、これを取るように、とか、自分
の葬儀のことが本当にこと細かく、書いてある。お骨は四十九日まで仏壇に置くのが普通
だけれども、
「 すぐにお墓に納骨して、早く私のことを忘れなさい」と。明治の女性ですね、
非常に気骨があって、凛としたものがあったのでしょう。
そういうことが細かく書いてある中で、どの部屋で祭壇を組んで葬儀をするか、となっ
た時に、お茶室として使っていた八畳の間がありこの両側に縁側があって、縁側を入れる
と十二畳の広さになると。障子・襖をはずしたら十二畳として使える。玄関の横の納戸に
ござがあって、そのござは十二畳分のござや、と。あのござを使って十二畳の部屋として
使えるから、納戸に入っているござを使いなさい。そこまで書いてあるわけですね。
(…テ
ープ反転…)
実はそのござが入っているはずの納戸は六年前に取り壊してもうないのです。というこ
とはお母さんは一体いつ遺書を書いたのか?
と、振り返りますと「お茶を止めろ」
、と言
った直後に遺書を書いているのですね。
「お茶をやめておけ。道具はもういい。そんな金ば
かりを使うことはもうしなくていいから、ワシが食わせてやる。ワシがこれから親を食わ
せてやるから心配するな」
、と言ったにもかかわらず、お母さんはその時に遺書を書かれた。
倉本聡さんがおっしゃるのには人間は誰かに愛される、誰かに何かをしてもらう、その
ことも嬉しいけれども、誰かのお役にたちたい、というそれがどれほど尊いことか、大切
なことか、そのことが作家である私は全く気がつかなかった。そのことが恥ずかしい。自
分は罪深い、ということを今になって感じたのだ。こんなことをおっしゃっていました。
だから私たちがある意味で親孝行のつもりでやっていることでも、おじいちゃん、おば
あちゃんの仕事をとってしまう。おじいちゃん、おばちゃんが楽しみにしていたことをと
ってしまう、そのことが老いを進め、死を早めることになりかねない、そんなことにも気
がつかないでいることがあるわけですね。
その限りにおいて私たちは、賛礼では「さるべき業縁ももおよおせば、いかなる振る舞
いもすべし」と言われています。どんなことも、何をしでかすか分からない、という言葉
があるわけです。
人間の本当の罪深さ、愚かさの自覚が深ければ深いほど、そういう衆生を救わずにおれ
ないのだ、という本願のありがたさ、仏の慈悲のかたじけなさ、というものが余計に深く
いただけるのではないかな、と思うわけです。
自分は「親孝行でいいことばかりをしているのだ」、という気でおれば、
「あなたを救う」
と言われても「そら、わしはこれだけのことをやっているのだから当たり前だ」というふ
うに思うかも分かりませんが、そうではなくて、本当に人間の罪深さ、愚かさの自覚が深
ければ深いところに、「そのあなたを救わずにおれない」と言われたら、「ありがたいな、
こんな愚かな人間を救ってやろう、と言っていただくのはありがたいな」と思えるのでは
ないでしょうか。
本日はこのような倉本聡さんの生い立ちから「去るべき業縁」という歎異抄の御文を味
あわせていただきました。
「マイジ念仏〓〓経〓〓」
ありがとうございました。