379 雑誌「アルプ」 昭和33年3月、創文社から山の月刊雑誌「アルプ」が発刊された。 編集の主軸は教育、哲学、文学の世界で多彩な才能を発揮していた串田孫一。教え子の三宅修 (編輯) 、大谷一良(表紙カット)の両氏が創刊号から協力した。 「アルプ」とは、スイスの高山の雪線に近い豊かな牧草地のこと。「アルプ」の名付親は串田孫 一の文学の師、尾崎喜八だという。 創刊号で串田孫一は 「ここよりもなおい高い山へと進み、山から下って来たものが、荷を下ろして憩わずには いられない、この豊穣な草原は、山を文学として、また芸術として、燃焼し結晶し歌と なる場所でもある」 「また高原逍遙のみに満足する趣味を悦んでいるだけでもない」 まさに「アルプ」の進む方向を高らかに宣言した。 以後25年間300号にわたり詩人尾崎喜八、洋画の曽宮一念、エッセイスト河田槙、版画の畦 地梅太郎、写真家の内田耕作、作家の深田久弥、画文で辻まこと、随想では山口曜久、作家の庄野 英二、植物学者の宇都宮貞子、北海道の坂本直行、アイヌ文学の更科源蔵、画文の一原有徳など、 そうそうたる著名人が延べ600人も執筆したのであった。 昭和33年の創刊号は全68ページ定価80円。当時の雑誌の平均価格からみれば高価な雑誌だ った。私も創刊号から揃えたいと思い、安月給から無理して購入し愛読したのだが、生活が苦しい ので数ヶ月おきに購入する始末だった。 300号を通して装丁はほとんど変わらず、表紙は緑かかった水色。漉きのスジが横にうっすら と入っている。そこに黒、あるいは濃いベージュで「アルプ」のタイトル文字。本文はクリームが かった高級紙。原色版の挿絵が一点。ほかにモノクロ写真、多くのカットがついた。 山の雑誌だが、山ガイド、コース紹介、技術、山用具などの記事はまったくない。 最大の特色は広告の類がいっさい無いことだった。 我が国に過去いくつかの雑誌が発行されてきたが、25年間 に300号も続いたものは少ない。それも世間の風潮と妥協 することなく、芸術の香り高い孤高の精神を保ち続けた稀有 の雑誌だった。 平成15年秋、霧ヶ峰肩にあるコロボックルヒュッテに泊 まった。この小屋の書棚に「アルプ」全巻が揃っていたのだ が、ふっと見るとそれが無い。ご主人の手塚宗求さんの話 だと、北海道斜里町に出来た「北のアルプ美術館」に寄贈し たと言う。 若いときアルプに感動した人が個人で建設した ものらしい。そのときはまだ未完成の域だったらしいが、 後にだんだんと収蔵品も豊富になり、先年物故された 串田孫一の書斎も、そっくり復元されていると聞く。 先日も中日新聞に春日井の高校の先生が「アルプ」 全巻を揃えていると記事が出ていた。 ふわく山の会 2007 望月さんがかなり多数の号を揃え ておられる。困難な雪山や岩壁に挑戦する勇ましい登山 ばかりが持て囃される昨今だが、それらと対極的な 芸術の面から山を捉えてみるのも良いだろう。 串田孫一は 「北のアルプ美術館」 「長く日本の自然を見てきたが、人間が欲のため自然を傷つけ破壊し、 止めどもなく痛めつける痕跡が目につき、悲嘆の溜息をついた。だが「アルプ」誌の 編集を手伝いながら気ずいたことは、これらの根源にあるはずの人間の心の歪に気がついた ことである」 ◎先日、ネットオークションでは全巻揃って85万円の落札値だった。
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