第7回「ハンガリー旅の思い出」2010年コンテスト作品

第7回「ハンガリー旅の思い出」2010年コンテスト作品
三船 麻理さんの作品
「ハンガリーは、第二の故郷」
私が初めてハンガリーを訪れたのは1990年夏、東欧各国で相次いで社会主義政権が否定され、
その前年にはベルリンの壁が崩れるという、歴史的な時期でした。
ピアニスト・チャバ・キラーイさんのお招きを受けて、私の知人の女性Mさんとふたりで出かけたので
す。
Mさんは、20歳そこそこだったキラーイさんがコンクールで初来日した1989年に、一次予選で落ちて
落胆していた彼を自宅に泊めるなどいろいろ面倒をみました。そのお礼の招待とあって、私のほうはキ
ラーイさんのお宅のあるブタペストに数日滞在するだけのつもりだったのです。それが思いがけない長
逗留になりました。
私はキラーイさんにお目にかかるのは初めてでしたが、彼の自宅でそのピアノ演奏を聴いた瞬間、体
に電流が走るほどの衝撃を受けました。
話を聞くと、幼少から国の代表としてヨーロッパ各国を演奏旅行していたほどの演奏家だったのです。
民主化される以前、音楽家とスポーツ選手の生活は国によって保護されていたためとのこと。エリート
教育を受けていたのでしょう。
彼は私たちの宿泊のために自分たちのアパートを空けてくれました。それだけではありません。当時1
歳だった息子のダビットをだっこした奥さんと一緒に、車でハンガリー国中を案内してくれたのです。ブダ
ペスト観光に始まり、バラトン湖、その近くの温泉地へ―ビーズ、そして歴史に富むティハニイにも行き
ました。彼はバラトン湖畔に別荘を持っていました。そこで泊まり、泳いだり日本のお好み焼きを作ったり
して楽しみました。
キラーイさんの生まれ故郷のペーチ近くのコムロで、彼のご両親とお兄さん家族の住んでる家にも泊
めていただきました。コムロでは、みんなで山にハイキングにでかけました。ハンガリーには、1000m
を超える高い山がほとんどありません。ゆっくり歩いていたはずなのに、途中でダウンしてしまいまし
た。
ダビッドのお尻に蒙古斑をみつけてハンガリー人と日本人は、民族のルーツが同じなんだ、と妙に納
得したものです。
ハンガリーを回った車は、東ドイツが生んだ「トラバント」。車体の一部にボール紙が使われていたとい
われる、いわくつきの車です。音のうるさい小さな車にダビットも入れて5人を詰め込んだ400kmの気
力と体力の旅でしたが、思い出をいっぱい作りました。
あれから私はすっかりハンガリーのファンになり、今年もブタペストに行きました。この20年で10回目
の訪問です。今回は、しばらくご無沙汰していたキラーイさんのピアノコンサートにも出かけました。10
年ぶりに聴く彼の演奏は、深みと迫力を増して心の芯まで染み入り、とても感動しました。
そうそう、彼の車はもう「トラバント」ではありません。カーナビのついたスズキの車に変わっていまし
た。
20年前、ブタペストに一軒しかなかったマクドナルドは、郊外に至るまでどこでもみかけるようになりま
した。また、ドイツ、フランス資本の大型量販店も賑わっていました。
今年はハンガリーも異常気象で滞在中、暑い日は38度を記録し、寒い日は何枚も重ね着したほど。ド
ナウ川の水位も上がって、水害の被害もあり、地球温暖化の影響かと心配になりました。
でも変わらないのは、ハンガリーの人々との温かい触れ合いです。行くたびに、それが私の心を癒し、
明日へのパワーとなります。
中央アジアの民族であるフン族がたどり着いた東の端が日本、西の端がハンガリー。それもあってで
しょうか、どこか懐かしいハンガリーは私の第二の故郷です。
2011年1月