芸能と文化展 - 高山市文化協会

第
市民歴史散歩
回
参加者募集
【江馬氏について】
関ヶ原」とも言われる八日町
ら勢力を伸ばしていた三木氏
していた江馬氏は、南飛騨か
した。ここで輝盛は三木氏の
が、今回訪れる「梨打城」で
この戦いの際に、最前線と
して戦いの舞台となったの
の戦いです。
と対立していました。江馬氏
銃弾に倒れ、勢いに乗った小
高原諏訪城(現神岡町)に
居を構え、飛騨の北部を支配
交流館駐車場
(国府町八日町)
は武田と結び、三木氏は上杉
島 時 光 が 高 原 城 へ 攻 め 込 み、
日(日)開催
◆ 申 込 方 法 五 月 七 日( 水 )
より参加費五〇〇円
(昼食代、
と結んでいましたが、最後の
江馬氏は滅ぶこととなりま
みつき
保険料込)を添えて、高山市
当主・江馬輝盛は上杉に近づ
す。
ときもり
てるもり
民文化会館窓口へ
こうとして父・時盛を殺害し、
(一社)
高山市文化協会加盟団体
実権を奪いました。
※キャンセルされても参加費
◆定員 一〇〇名(定員にな
り次第締め切ります)
「国府・梨打城」 月
高山市文化協会では、年に
一度、地元の歴史に関わる地
を訪ねる「市民歴史散歩」を
実施しています。
十四回目となる今回は、か
つて飛騨において三木氏と覇
権を争っていた、江馬氏終焉
の地「梨打城」を訪ねます。
催事のお知らせ
三木氏と共に上杉方となっ
た江馬輝盛でしたが、武田・
[第十回 一滴会書展]
文化協会後援
の返金は出来ませんので、ご
上杉の勢力減退、そして織田
◇日時 五月十六日(金)~
十 八 日( 日 ) 午 前 九 時 ~ 午
後六時
(最終日午後四時まで)
◇会場 文化会館三階講堂
岩田真紫藻
代表
ま た、 児
童福祉施
設 な ど
に、 七 段
飾りのひ
な人形を
贈ること
を三十五
年続けて
いました。
し か し、 会 員 も 年 令 が 高 く な
り、 昨 年 か ら は 園 生 や 園 の 人
にお願いしています。
今 は 発 表 会 の 折 な ど に、 美
し い〝 ま り 〟 な ど を 作 り、 購
入いただいたお金を東日本災
害 復 興 の 一 助 と な る よ う、 新
聞社などを通して贈る活動
を、 教 室 の 続 く 限 り 行 い た い
と考えています。
◇問合せ ℡三三‐四五三五
しました。
【真多呂人形 紫の会】
私 は、 両 親 の 看 護 の た め、
三十歳半ばにて高山へ参りま
し た。 そ れ ま で に、 東 京 に て
初代真多呂(家元)に師事し、
二代目真多呂と共に全ての基
本を習得しました。
高山に向かうことを申し上
げ た 時、 先 代 は「 高 山 は 日 本
一伝統工芸の優れているとこ
ろ、 心 し て 行 き な さ い 」 と は
なむけの言葉をくださいまし
た。
病気の母をかかえておりま
したが、高山だけでなく下呂・
萩 原 に も 教 室 を 開 き、 一 時 は
六十名以上の生徒さんに夢中
で 指 導 に 当 た り ま し た。 以
来 本 校 で 資 格 取 得 し た 方 は、
五百名以上になります。
教 室 で は、 先 ず ボ デ ィ ー 作
り 毛 吹・ 面 想 な ど を 教 え、 ま
た十二単の着付けなどもいた
文化協会
加盟団体紹介
を挑みます。これが「飛騨の
ろ盾としていた三木氏に戦い
心が目覚め、当時は織田を後
信長の死をきっかけとして野
了承ください。
◇展示の部◇
6月21日(土)~22日(日)
午前9時半~午後5時(22日は午後4時まで)
版画・写真・生花・盆栽・書道・
工芸・文芸など
江馬氏の最後の戦いとなっ
た「八日町の戦い」や、最前
線として築城された「梨打城」
について、市史編さん室の田
中彰さんらから解説していた
だきます。
飛騨の歴史を紐解くことに
より、歴史遺産の保存・活用
の認識を新たにしましょう。
◆ 日 時 六 月 十 五 日( 日 )
出発九時~正午解散(昼食後)
15
今年も高山文化フォーラムの季節がや
ってまいりました。
新年歌会始のお題「静」をテーマに、芸
能21団体と展示16団体が、一年の成果を
発表いたします。お誘いあわせの上、ぜ
ひ文化会館へお出かけください。
◇芸能の部◇
6月21日(土)小ホール 午後6時開演
舞踊・長唄・筝曲など
6月22日(日)大ホール 午後1時開演
邦楽・洋楽・バレエ・詩吟など
◆集合 高山市荒城農業体験
芸能と文 化 展
6
14
文化フォーラム2014
「岡目一目」
あの人の目は岡目一目で
はなく、本当に八目くらい
まで読めたのではないだろ
うかと思う。フランスの小
説家で文化大臣までやった
アンドレ・マルロー氏のこ
とだ。
なまじの日本の文化人よ
りよっぽど日本文化につい
ての造詣が深い。この人が
居 な か っ た ら、
「ミロのヴ
ィーナス」や「モナ・リザ」
は日本に来ることはなかっ
た。
そのお返しに、
アンドレ・
マルロー氏が求めたものが
何だったか?(アナタなら
日本を代表する世界的な芸
術作品として、パリに胸張
って送り出せるものとして
何を選ぶだろうか?)
ある。日本と中国の文化の
それはなんと唐招提寺の
「鑑真和上像」だったので
懸け橋として、命をかけ何
回も失敗し、失明してまで
も日本へやって来た人の像
で あ っ た。
「天の川ふりさ
けみれば~」の阿倍仲麻呂
の逆の人である。
若葉して
御めの雫
ぬぐはゞや
芭蕉
五月、青葉若葉の美しい
季節となった。
〈ガンモンモ筆〉